「君には私の調査に同行してもらう」
バランシェ博士は再びそう言った。
「調査の同行と言いますが、私はただの事務屋ですよ。調査の役に立てるとは思えません」
「ただの事務屋だからこそ、出来ることがある」
博士は当然のように言った。
「私にはよく分かりませんが」
「私もまだ、はっきりとは分かっていない」
「はい?」
思わず聞き返してしまった。
博士は胸を張っている。
分かっていないことを、なぜそんなに堂々と言えるのだろう。
「君も知っている通り、私は地図屋だ」
「それは知っています」
知らない方がおかしい。
ラキシス・バランシェ博士。
若くして研究室を任され、各地の地図作成を手掛けてきた研究者である。
私が研究室付きになって二年になるが、未だに何を考えているのか分からない人物でもあった。
「だが最近、少し困っていてね」
「博士がですか?」
「そうだ」
意外だった。
博士はいつも、自分の中に答えを持っているような人だった。
少なくとも私にはそう見えていた。
「一人では見えないものがあるらしい」
「見えないもの?」
「そうだ」
博士は懐から一冊の手帳を取り出した。
使い込まれた革表紙の手帳だった。
「探検手帳という」
聞き覚えのない名前だった。
「探検、ですか」
「ああ。ある冒険者が見聞きした景色や噂を手掛かりに、各地を訪ね歩くための手帳だ」
「観光案内のようなものですか?」
「違う」
即答だった。
「少なくとも私にとっては違う」
博士は手帳を開いた。
「ここには正確な場所も道順も書かれていない」
「それでは不便なのでは?」
「不便だとも」
博士は嬉しそうに言った。
「とても不便だ」
私は返す言葉を失った。
「だが、その不便さに意味がある気がしている」
「どんな意味です?」
「それはまだ分からない」
また胸を張った。
「分からないんですか」
「分からない」
「それを調査するんですか」
「そうだ」
「危険では?」
「危険だね」
「認めるんですか」
「認めるとも。だが面白い」
この人は駄目だ。
私は心の中でそう結論付けた。
「とにかく私はこの手帳を追いたい。そして、一人では限界を感じている」
博士はそう言ってこちらを見た。
「君には私と違う見方をしてもらいたい」
その言葉の意味はよく分からなかった。
ただ一つ分かることがある。
私は休暇を取りに来たはずだった。
それなのに、なぜか博士の調査に同行することになっている。
人生というものは、どうしてこうも書類の記載内容と違う方向へ進むのだろう。
「さて、今日はもう遅い。調査は明日からだ」
気付けば空は赤く染まり始めていた。
「分かりました。それでは私は宿に戻ります」
私は博士と別れ、宿へ向かった。
部屋へ戻ると、そのままベッドへ倒れ込んだ。
休暇を取りに来たはずだった。
海を眺めて、美味い飯を食べて、のんびり過ごすつもりだった。
それがどういうわけか野外調査へ参加することになっている。
意味が分からない。
だが、一つだけ分かったことがある。
探検手帳。
今回の騒動の元凶は、どうやらそれらしい。
少し考えを整理しようと思い、夕食を取るためロビーへ降りた。
食事を注文し、何気なく辺りを見回した時だった。
宿の隅に置かれたマガジンラックが目に入る。
その中の一冊に見覚えのある文字があった。
『探検手帳特集』
思わず手に取る。
ぱらぱらとめくってみるが、何が書いてあるのかよく分からない。
北洋諸島から出てきたのは今回が初めてだ。
エオルゼア各地の地名を並べられても、私にはさっぱりだった。
だが、探検手帳について扱った雑誌であることだけは分かった。
私はしばらく考えた後、宿の主人に声を掛けた。
「この雑誌、買えますか?」
数百ギルを支払って雑誌を受け取る。
少し高い気もしたが、必要経費だと思うことにした。
これを博士に渡せば調査の参考になるかもしれない。
ひょっとすると私が同行する必要もなくなるかもしれない。
博士が一人で満足してくれれば、私は予定通り休暇を満喫できる。
そう考えると、この数百ギルは安い投資だった。
私は少しだけ明るい気分になって部屋へ戻った。
翌朝。
私は雑誌を抱えて博士との待ち合わせ場所へ向かった。
博士は既に来ていた。
「それで博士。探検手帳というのは一体どういうものなんです?」
「グリダニアでミリス・アイアンハートが冒険者達に配っている手帳だ」
「冒険者達に?」
私は首を傾げた。
「ちょっと待ってください。冒険者向けのものを、どうやって博士が手に入れたんです?」
「最初は断られた」
博士はあっさり言った。
「冒険者ではないから渡せないとね」
「それはそうでしょうね」
「だから冒険者になった」
私は数秒黙った。
「……はい?」
「冒険者になった」
「本当に?」
「本当だとも」
博士は胸を張った。
私は頭を抱えた。
この人は本当に何をやっているのだろう。
「ちなみに何のクラスを?」
「巴術士だ」
ますます意味が分からなかった。
「探検手帳を貰うためですか」
「そうだ」
「それだけのために?」
「だけ、とは心外だね」
博士は不満そうに言った。
「ルインも撃てる」
「そこではありません」
私は内心ため息をついた。
話の衝撃の大きさで失念していたが昨晩手がかりになりそうなものを手に入れたのだった。
鞄の中から雑誌を取り出しながら、
「そうだ博士。昨日、参考になりそうな資料を手に入れたんですよ」
「探検手帳特集を組んだ雑誌なんですよ」
博士の視線が雑誌へ向く。
「………………」
雑誌を渡すために持ち直した瞬間、
嫌な予感がした。博士が本を取り出しパラパラとページをめくり、小さく何かを呟いた。
「博士?」
「ルイン」
パシュッと小気味いい音が聞こえた。
「あ痛っ!」
「何するんですか!」
博士の唱えたルインによって雑誌は粉々に砕けた。
「安心したまえ。私のルインでは人を傷付けるほどの威力はない。ギルドマスター代理のお墨付きだ」
なぜか得意げな顔をしていた。
「何で得意げなんですか!……びっくりはしたけど確かにあまり痛くないですね」
当たった瞬間は痛かった。
だが、その痛みはすぐに消えた。
巴術士になったばかりでは、ルインはこんな威力なんだろうか…いや、こんな威力ではモンスターと戦闘なんて無理じゃないだろうか?
博士と話していると、思考があちこちへ飛んでしまう。
何の話をしていたか忘れてしまうこともしょっちゅうだ。
だが今回は違った。
「昨日宿で見つけて、博士の調査に役立つと思って購入したんですよ」
「君がそんな風に考えるとはとても思えないな。大方上手くいけば調査に同行しなくてもいいかもしれないとか考えたのだろう」
冷や汗が背中を伝った。自分の考えてた事をピタリと言い当てられたら誰でもそうなると思う。
「そんな事ないですよ」
自分でも分かるくらい声が上擦った。
博士はじっとこちらを観察している。
「まあ、そういう事にしておこう。一つ言っておきたいのだがね」
「私はこの探検手帳の正解がいちばんの目的ではないんだ」
私には意味が分からなかった。
「どういう事です?」
「ミリスが何故こんな事をしているのか?という事さ」
「まったく分かりません」
「あぁそうだ君にはまだ中身を見せていなかったね」
私は手帳の中身を読んでみた。
……正直、何を書いてあるのか分からなかった。
景色の特徴らしき文章があるだけで、場所を特定できそうな情報はどこにも見当たらない。
「これだけですか?」
「ああ」
「これで場所が分かる人なんているんですか?」
博士は静かに笑った。
「だから面白いんだ」
「例えば答えが五になる式はいくらでもある」
博士は指を一本立てた。
「一足す四」
続いて二本目。
「二足す三」
さらに三本目。
「十引く五」
四本目。
「一かける五」
「どれも答えは五だ」
「ですが、それぞれ式は違いますね」
「その通り」
博士は満足そうに頷いた。
「答えだけ見れば、どれも同じ五だ。しかし、その五がどうやって生まれたのかは式を見なければ分からない」
私は少し考える。
「つまり、過程の違いということですか」
「そうだ」
博士は静かに手帳を閉じた。
「足して得られた五と、引いた結果残った五。同じ五でも、そこへ至る理由はまったく違う」
「答えだけを見ていては、その違いは見えてこない」
「探検手帳も同じだよ」
博士は手帳を軽く持ち上げた。
「ここに書かれている景色だけが見せたいのなら、座標を書けば済む話だ」
「だが、ミリスはそうしなかった」
「ならば、この不便さには理由がある」
私は改めて手帳を見る。
確かに、書かれているのは景色の特徴や、誰かが残した曖昧な噂ばかりだ。
正解へ一直線に導くような情報は、どこにもない。
「私は思うんだ」
博士は手帳を軽く閉じた。
「ミリスが見せたかったのは、景色そのものではない」
「では何を?」
「そこへ辿り着くまでの、人の考え方だよ」
私は首を傾げた。
「考え方、ですか」
「ああ」
博士は手帳の一節を指でなぞる。
「同じ文章を読んでも、人によって思い浮かべる景色は違う」
「水辺を探す者もいる」
「山を目指す者もいる」
「人に話を聞く者もいれば、地図を広げる者もいる」
「誰一人として、同じ道は歩かない」
私は探検手帳を見つめた。
確かに、これだけ曖昧な文章なら、人によって考え方が変わるだろう。
「そうですね。私ならまず人に聞くと思います」
「そう。だから私は、その違いを知りたい」
博士は静かに笑う。
「正解に辿り着いた事実ではなく、どう考えてそこへ至ったのか」
「その過程こそが、この手帳の本当の価値だと思うんだ」
博士の言いたいことは分かる。
だが、どこか腑に落ちない。
私は事務屋だ。
毎日扱う書類は、途中がどうであれ、正しく完成して提出されれば仕事は終わる。
正しい結果が出れば、それで十分だった。
だから、そこへ至る過程まで知る必要があるという考え方は、正直まだ実感が湧かない。
そんな私の表情を見て、博士は小さく笑った。
「納得はしていないようだね」
図星だった。
「でも、それでいい」
博士はそう言って私を指差した。
「だから君に来てもらった」
「私は私という式で考える」
「君は君という式で考える」
博士は静かに私を見た。
「だから同じ景色へ辿り着いたとしても、そこへ至る式は違う」
「私は、その式を集めたいんだ」
博士の言いたいことは理解できた。
だが、納得したわけではない。
私は事務屋だ。
研究室に配属されてからというもの、議会へ提出する予算申請や報告書を何度も見てきた。
研究とは何かしらの成果を生み、人の役に立つからこそ価値がある。
少なくとも私はそう考えている。
だが博士は違う。
探検手帳が何の役に立つのかではない。
人はどう考えて景色へ辿り着くのか。
ただ、それを知りたい。
役に立つかどうかなど、一度も口にしなかった。
正直、何の役に立つ研究なのか私には分からない。
それでも、この人が本気で知りたいと思っていることだけは伝わってきた。
ならば、一度くらい付き合ってみてもいい。
「わかりました。私でお役に立てるかは分かりませんが協力しましょう」
「うん、ではさっそくこのNo21の検討に入ろう」
「21?1からではないのですか?」
「1〜20までは終わらせてあるよ、そう言っただろう?」
色々ありすぎて正直覚えてなかった。
「そうでしたっけ。20まで自力で終わらせる事が出来たのは理由があるんですか?」
「21からは追加で付け足されたんだ。20までは割と詳細に場所が書いてあったからね」
博士は少し考え込むように顎へ手を当てた。
「……何度か死にかけたがね」
「……今、何か言いました?」
博士ははっとしたようにこちらを見る。
「……いや、気にしなくていい。それは独り言さ」
こうして博士と私はNo21の検討を始めた。
この時はまだ少し面倒なだけだろうと気楽に構えていた。
残り60ヶ所あるとは夢にも思っていなかった。
そして博士の執念とも言える行動力も、それによって周囲を巻き込む騒動も、この時の私には想像の範囲外であった。
第一話 了
本作で使用しているゲーム内スクリーンショットは、『ファイナルファンタジーXIV 著作物利用条件』に基づいて掲載しています。
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