シャンプーは、掟の外で乱馬を選ぶ―らんま1/2・女傑族の村残留IF―   作:エーアイ

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第23話 シャンプーは、勝っても何も求めない

 翌朝。

 乱馬は、離れの前で右肩を回していた。

 

 前へ。

 後ろへ。

 頭の上まで。

 

「……もう平気だな」

 

 張りはない。

 腕を勢いよく振っても、昨日まであったわずかな違和感は消えている。

 乱馬は拳を握った。

 

「よし」

 

「何がよしなんだ」

 

 背後から玄馬の声がした。

 乱馬が振り返る。

 玄馬は離れの入口に座り、まだ眠そうな顔で欠伸をしていた。

 

「肩。もう治った」

 

「油断するな。傷は治りかけが一番危ない」

 

「昨日までろくに働いてなかった奴に言われたくねえ」

 

「わしは薪運びの監督をしていた」

 

「二束、人に持たせただけだろ!」

 

「人を適材適所へ配置するのも立派な仕事だ」

 

「自分を楽な場所に配置しただけじゃねえか!」

 

 乱馬が言い返した、そのときだった。

 足音がした。

 乱馬が顔を向ける。

 宗家の方からシャンプーが歩いてくる。

 

「ん?」

 

 乱馬の声が少し変わった。

 いつも朝に来るときとは違う。

 

 籠を持っていない。

 薬草もない。

 

 水桶でもない。

 仕事道具もない。

 両手には、錘があった。

 乱馬はその錘を見る。

 次に、シャンプーの顔を見る。

 

「……朝からそれ?」

 

 シャンプーは乱馬の前まで来た。

 

「乱馬」

 

「何だよ」

 

「私と戦え」

 

「嫌だ」

 

 即答だった。

 

 シャンプーの眉が動く。

 

「まだ何も言っていない」

 

「錘持って来て『戦え』って言っただろ」

 

「言った」

 

「なら答えも同じだ」

 

 乱馬は腕を組む。

 

「嫌だ」

 

「理由は」

 

「昨日言っただろ」

 

 乱馬はシャンプーを見る。

 

「勝ったら結婚、負けたら殺される勝負なんかしねえ」

 

「今回は違う」

 

「何が」

 

「その二つの扱いを、この勝負の結果では変えない」

 

 乱馬の表情が止まった。

 

 玄馬も欠伸をやめる。

 

「……何?」

 

 乱馬が聞き返す。

 シャンプーは錘を下ろした。

 

「昨日、おまえは言った」

 

「何を」

 

「死の接吻も、求婚の接吻もない。ただの勝負なら、断る理由はないと」

 

「言ったけど」

 

「だから、その勝負をする」

 

 乱馬はしばらく黙っていた。

 

「ちょっと待て」

 

「何だ」

 

「おまえ、昨日の夜にはまだ決めてなかっただろ」

 

「決めていなかった」

 

「勝った後」

 

「そうだ」

 

「じゃあ今は?」

 

 シャンプーは乱馬を見る。

 

「決めた」

 

 乱馬の腕がほどける。

 

「何を」

 

「この勝負で私が勝っても、おまえに何も求めない」

 

 朝の空気の中へ、はっきりと言葉が落ちた。

 乱馬は何も言わない。

 シャンプーは続ける。

 

「夫になれとも言わない」

 

「……」

 

「村へ残れとも言わない」

 

「……」

 

「何かを約束しろとも言わない」

 

「本当に?」

 

「本当だ」

 

「勝ったのに?」

 

「勝ってもだ」

 

 乱馬がシャンプーの顔を見る。

 

 冗談を言っているようには見えない。

 

「じゃあ俺が勝ったら?」

 

「死の接吻の続きにはしない」

 

「殺しに来ねえ?」

 

「来ない」

 

「後からやっぱり駄目ってのも?」

 

「この勝負を理由にはしない」

 

 その言い方に、乱馬が反応した。

 

「この勝負を?」

 

「そうだ」

 

「前の二つは?」

 

 シャンプーは少しだけ間を置いた。

 

「まだ裁定中だ」

 

 乱馬の目が細くなる。

 

「そこは消えねえんだな」

 

「私が勝手に消せるものではない」

 

「じゃあ、求婚の接吻も死の接吻も残ってる?」

 

「残っている」

 

「面倒だな!」

 

「だから、この勝負とは分けると言っている」

 

 乱馬が頭をかく。

 

「分かりにくい!」

 

「ではもう一度言う」

 

「いい。聞いてる」

 

 シャンプーはそれでも言った。

 

「以前の二つの勝負について、村の裁定はまだ終わっていない」

 

「ああ」

 

「それに、一度求婚の接吻が成立した相手へ勝ち返しても、その扱いは消えない」

 

 乱馬の眉が寄る。

 

「……じゃあ、今日おまえが俺に勝っても?」

 

「求婚の接吻は残る」

 

「勝って取り消しにはならねえの?」

 

「ならない。再戦の勝敗で婚姻の扱いを消す掟ではない」

 

「面倒だな、それ」

 

「村ではそういうものだ」

 

「じゃあ今日の勝負で、前の二つは?」

 

「長老たちの裁定のままだ。今日の勝敗では動かさない」

 

「……分かった」

 

「そのうえで、勝った者は負けた者へ何も要求しない」

 

 乱馬が少しだけ目を見開く。

 

「勝ち負けだけ?」

 

「勝ち負けだけだ」

 

 乱馬は黙った。

 玄馬が横から口を挟む。

 

「つまり普通の勝負ということか」

 

「親父は黙ってろ」

 

「わしにも話を理解する権利がある」

 

「何でだよ」

 

「息子の将来に関わる」

 

「今まで勝手に俺の将来決めてた奴が言うな!」

 

「それは教育方針だ」

 

「話ややこしくすんな!」

 

 乱馬は玄馬を追い払い、もう一度シャンプーを見る。

 

「おまえさ」

 

「何だ」

 

「何でそこまでして戦いてえの?」

 

 シャンプーはすぐには答えなかった。

 

「俺に二回負けたから?」

 

「それもある」

 

「村のみんなに言われたから?」

 

「それだけではない」

 

「じゃあ何」

 

 シャンプーは自分の錘を見る。

 

「勝ちたい」

 

「昨日も聞いた」

 

「昨日は、それしか分からなかった」

 

「今日は?」

 

 シャンプーは顔を上げる。

 

「おまえに勝ちたい」

 

「同じじゃねえか」

 

「違う」

 

「どこが」

 

「勝った後に夫にするためではない」

 

 乱馬が黙る。

 

「二度負けたから、掟を果たすために勝つのでもない」

 

「……」

 

「私が、おまえと戦って勝ちたい」

 

 シャンプーはそこで止めた。

 乱馬の表情が少し変わる。

 昨日までなら。

 そこへ必ず別のものがついていた。

 

 殺す。

 夫にする。

 掟を果たす。

 今回はない。

 

「それだけ?」

 

「それだけだ」

 

「勝ったら嬉しい?」

 

「嬉しい」

 

「負けたら?」

 

 シャンプーの手が錘を握り直した。

 

「何が足りなかったか考える」

 

 乱馬の眉が少し上がる。

 

「それから?」

 

「直す」

 

「何のために」

 

「次に勝つために」

 

 乱馬は数秒、何も言わなかった。

 

 やがて、口元が少し動く。

 

「それ、俺が言ったやつじゃねえか」

 

「最初はな」

 

「最初は?」

 

「今は私もそうする」

 

「へえ」

 

「何だ」

 

「いや」

 

 乱馬は少しだけ笑った。

 

「やっと普通の武術家っぽくなったなって」

 

「私は前から武術家だ!」

 

「分かってるって!」

 

「おまえに二度負けただけだ!」

 

「そこ自分で言うのかよ!」

 

「次は勝つ」

 

「勝つのは俺だ!」

 

 二人の声が朝の離れの前へ響いた。

 

 玄馬が腕を組む。

 

「なるほど。すでに始まっておるな」

 

「始まってねえ!」

 

 乱馬とシャンプーの声が重なった。

 


 

 乱馬はしばらくシャンプーを見ていた。

 

「一個確認」

 

「何だ」

 

「もし途中で俺が女になったら?」

 

 シャンプーは一瞬も迷わなかった。

 

「条件は変わらない」

 

「本当に?」

 

「おまえは乱馬だからな」

 

 乱馬の口が少し止まる。

 

「……そっか」

 

「何だ」

 

「いや」

 

 乱馬は頭をかいた。

 

「そこはもう確認しなくてもよかったかもな」

 

「なら聞くな」

 

「念のためだよ」

 

「確認か」

 

「おまえまで使うな!」

 

 乱馬が叫ぶ。

 

 そのあと、少しだけ息を吐いた。

 

「で」

 

「何だ」

 

「本当に何もついてこねえんだな」

 

「何度聞く」

 

「大事だろ!」

 

「勝っても何も求めない」

 

「負けても?」

 

「おまえを追わない」

 

「条件追加もしない?」

 

「しない」

 

「よし」

 

 乱馬が腕を回した。

 

 右肩。

 

 問題ない。

 

「ならやる」

 

 シャンプーの目が上がった。

 

「戦う」

 

「ああ」

 

「本当に?」

 

「何回聞くんだよ!」

 

「おまえが何回も聞いたからだ」

 

「それとこれとは別だ!」

 

 乱馬は拳を握る。

 

「ただの勝負なら断る理由ねえって、昨日言っただろ」

 

「言った」

 

「だったらやる」

 

 シャンプーは小さく息を吐いた。

 それは安心なのか。

 緊張なのか。

 乱馬には分からない。

 

「ただし」

 

 乱馬が言う。

 

「何だ」

 

「俺も勝つぞ」

 

「当然だ」

 

「昨日考えたとかいうの、全部破るからな」

 

 シャンプーの目が細くなる。

 

「できるならな」

 

「言ったな?」

 

「言った」

 

 玄馬が二人を見比べる。

 

「朝飯の前にやるのか?」

 

 乱馬とシャンプーが止まった。

 

「……朝飯」

 

 乱馬が言う。

 

 シャンプーも少しだけ目を動かす。

 

 玄馬は続ける。

 

「戦うなら食ってからの方がよかろう」

 

「親父がまともなこと言った」

 

「父を何だと思っている」

 

「飯のことだけは信用できる」

 

「どういう意味だ」

 

 シャンプーが錘を持ち直した。

 

「先にひいばあちゃんへ話す」

 

「ばあさん?」

 

「この勝負を、今までの二つと区別する必要がある」

 

 乱馬が少し考える。

 

「ああ」

 

「口約束だけでは駄目かもしれない」

 

「そういう村だもんな」

 

「それに、勝負の条件も決める」

 

「いつもの感じじゃ駄目?」

 

「今回こそ、曖昧にしない」

 

 乱馬は少しだけ笑った。

 

「それは賛成」

 

「では宗家へ行く」

 

「その前に飯」

 

「分かっている」

 

「肉あるかな」

 

「まだそれか」

 

「戦う前だぞ!」

 

「食べすぎるな」

 

「親父に言え!」

 

 玄馬はすでに宗家へ向かっていた。

 

「待て親父! 先に食うな!」

 

 乱馬が走り出す。

 

 シャンプーも、その後を歩いた。

 

 錘を持ったまま。

 


 

 朝食の席で事情を聞いたコロンは、すぐには返事をしなかった。

 乱馬は粥を食べている。

 シャンプーはその向かい。

 玄馬はいつも通り肉を狙っている。

 だが、コロンだけは箸を置いていた。

 

「もう一度言いな」

 

 シャンプーが顔を上げる。

 

「乱馬と戦います」

 

「それは聞いた」

 

「この勝負では、私が勝っても乱馬へ何も求めません」

 

「婚姻も?」

 

「求めません」

 

「村へ残ることも?」

 

「求めません」

 

「ほかの約束も?」

 

「何も」

 

 コロンの視線が乱馬へ向く。

 

「おまえが勝ったら?」

 

 乱馬が口の中のものを飲み込む。

 

「俺も何もいらねえ」

 

「シャンプーへ何も求めない?」

 

「勝ったって分かればそれでいい」

 

「接吻の扱いは?」

 

 シャンプーが答える。

 

「以前の死の接吻と求婚の接吻は、どちらも裁定のままです」

 

「シャンプーが今回勝ったら、求婚の接吻は?」

 

「消えません」

 

 コロンが乱馬を見る。

 

「女傑族では、一度求婚の接吻が成立した相手に後から勝ち返しても、それだけで婚姻の扱いが取り消されることはない。勝ったり負けたりするたびに変わるものではないからね」

 

「……そういう決まりかよ」

 

「そういう決まりさ」

 

 コロンは杖の先で卓を軽く叩く。

 

「つまり、以前の二つの勝負については何も解決していない」

 

「はい」

 

「今回の勝敗では、その裁定を動かさない」

 

「はい」

 

「そのうえで、勝者が敗者へ新しい要求をすることもしない」

 

「はい」

 

 乱馬が口を挟む。

 

「俺もそれでいい」

 

「おまえには聞いてないよ」

 

「俺の勝負でもあるだろ!」

 

「なら食べながら話すんじゃない」

 

「もう飲み込んだよ!」

 

 コロンがため息をつく。

 

「やれやれ」

 

 玄馬が肉へ箸を伸ばす。

 

 乱馬がそれを止める。

 

「話聞いてた?」

 

「聞いておる」

 

「何だって?」

 

「勝っても結婚しない」

 

「半分しか聞いてねえ!」

 

「最重要事項ではないか」

 

「俺にとってはそうだけど!」

 

 コロンが杖で卓を叩いた。

 

「静かにしな」

 

 二人が止まる。

 

「これはシャンプーだけが決めて終わる話じゃない」

 

 シャンプーがコロンを見る。

 

「分かっています」

 

「これまでの二つの勝負が村の裁定にかかっている以上、今回の勝負がそこへ影響しないことを先に明確にする」

 

「はい」

 

「長老たちにも確認を取る」

 

 乱馬が言う。

 

「時間かかる?」

 

「朝のうちには終わる」

 

「ならいい」

 

「急いでいるのかい」

 

「せっかくやるって決めたのに、明日まで待つの面倒だろ」

 

「おまえらしいね」

 

 コロンはシャンプーを見る。

 

「覚悟はあるのかい」

 

「あります」

 

「勝っても何も得ないよ」

 

「勝ちます」

 

「答えになっていない」

 

 昨日と同じ言葉だった。

 

 シャンプーは少しだけ止まった。

 

「勝てば」

 

 今度は言葉を選ぶ。

 

「乱馬に勝ったという結果が残ります」

 

「それだけ?」

 

「それでいいです」

 

 乱馬が向かいから見る。

 シャンプーは視線を逸らさなかった。

 

「分かった」

 

 コロンは杖を取った。

 

「長老へ話を通す」

 


 

 午前。

 

 共同修練場には、前日より多くの村人が集まっていた。

 知らせが回るのは早かった。

 乱馬は修練場へ入ると、周囲を見回す。

 

「多くねえ?」

 

「シャンプーの勝負だからな」

 

 玄馬が答える。

 

「何で親父まで来てんだよ」

 

「息子の晴れ舞台だ」

 

「別に大会じゃねえぞ」

 

「勝敗を見届けるのは父の務めだ」

 

「飯の時間までに終わるか見に来ただけだろ」

 

「それも重要だ」

 

「やっぱりな!」

 

 乱馬は石床へ目を落とす。

 

 前日。

 子どもたちの稽古のために、自分で引き直した白い線はまだ残っている。

 だが今日は、そのさらに外側に大きな四角い線が引かれていた。

 

 場外を示す境界だった。

 

「昨日は俺が線引いたのにな」

 

「今日は別の者が引いた」

 

 シャンプーが答える。

 

「俺にもやらせりゃよかったのに」

 

「試合をする者へ線を引かせるな」

 

「何で」

 

「曲げるかもしれない」

 

「曲げねえよ!」

 

「昨日、一度曲げた」

 

「直しただろ!」

 

 近くにいた村人が笑う。

 乱馬がそちらを見る。

 昨日、シャンプーへ言いすぎたと薬草倉庫まで来た若い女もいた。

 

 目が合う。

 女は何も言わず、小さくうなずいた。

 乱馬も軽く顎を上げる。

 修練場の中央には、コロンと数人の年長者がいた。

 

 そのうちの一人が、乱馬とシャンプーを呼ぶ。

 

「二人とも、前へ」

 

 乱馬が線の内側へ入る。

 シャンプーも入った。

 

 錘は左右の手に一つずつ。

 乱馬は素手。

 

 年長者が二人を見る。

 

「勝負の条件を確認する」

 

 乱馬が少し顔をしかめる。

 

「本当に一個ずつやるんだな」

 

「曖昧なまま始めた結果が、今の裁定だ」

 

「……それ言われると何も言えねえ」

 

 コロンの口元が少しだけ動く。

 

 年長者が続けた。

 

「第一。勝敗は場外、または十を数えて立てない場合に決する」

 

「分かった」

 

 乱馬が答える。

 

「はい」

 

 シャンプーも答える。

 

「第二。武器の使用を認める」

 

 年長者がシャンプーの錘を見る。

 

「ただし、殺傷を目的とした攻撃は禁止する」

 

「はい」

 

「おう」

 

「第三」

 

 ここで声が少し変わった。

 

「この勝負は婚姻を決める勝負ではない」

 

 周囲が少し静かになる。

 

 乱馬はシャンプーを見る。

 

 シャンプーは前を向いている。

 

「はい」

 

 はっきり答えた。

 

「第四。この勝負は、死の接吻を履行するための勝負でもない」

 

「はい」

 

「第五。この勝負の結果によって、過去の死の接吻および求婚の接吻への裁定は変更されない」

 

 年長者は続けた。

 

「とくに求婚の接吻については、同じ相手へ勝ち返したからといって、一度成立した扱いが取り消されることはない。今回シャンプーが勝っても同じだ」

 

「はい」

 

 乱馬が手を挙げた。

 

「そこ俺も返事した方がいい?」

 

「当然だ」

 

「じゃあ、俺もそれでいい」

 

 年長者がうなずく。

 

「第六」

 

 少し間が置かれた。

 

「勝者は、敗者へ何も要求しない」

 

 乱馬の目がシャンプーへ向く。

 

 シャンプーも乱馬を見る。

 

「異論は?」

 

 年長者が尋ねる。

 

「ない」

 

 乱馬が答える。

 

「ありません」

 

 シャンプーも答えた。

 

「金品も?」

 

「いらねえ」

 

「仕事の肩代わりも?」

 

「いらない」

 

「婚姻も?」

 

「求めません」

 

「村への残留も?」

 

「求めません」

 

「再戦の強制も?」

 

 シャンプーが少しだけ止まった。

 乱馬がそれを見る。

 

「シャンプー?」

 

「……求めません」

 

「お」

 

「何だ」

 

「そこも?」

 

「次に戦いたいなら、また申し込む」

 

「俺が断ったら?」

 

「そのときは断られる」

 

「へえ」

 

「何だ、その顔」

 

「いや」

 

 乱馬が少しだけ笑った。

 

「普通だなって」

 

「最初からそう言っている!」

 

「最初は違っただろ!」

 

 周囲から小さな笑い声が上がった。

 年長者が咳払いをする。

 

「静かに」

 

 二人が口を閉じる。

 

「最後に確認する」

 

 年長者はシャンプーを見る。

 

「この条件は、おまえ自身が望んだものか」

 

「はい」

 

「誰かに命じられたのではない?」

 

「違います」

 

「コロンに言われたのでもない?」

 

「違います」

 

 コロンは何も言わない。

 

「では」

 

 年長者が尋ねた。

 

「なぜ戦う」

 

 修練場が静かになった。

 乱馬もシャンプーを見る。

 

 昨日までなら。

 答えはいくつもあった。

 

 掟だから。

 敗北を返すため。

 夫にするため。

 村の戦士として。

 大会優勝者として。

 

 だが。

 

 シャンプーは、そのどれも言わなかった。

 

「私が戦いたいからです」

 

 乱馬の目が少しだけ動く。

 

 年長者はもう一度聞いた。

 

「乱馬に勝ちたい?」

 

「はい」

 

「勝った後に何か得るためではなく?」

 

「はい」

 

「ただ、勝つために?」

 

 シャンプーは乱馬を見る。

 

「はい」

 

 乱馬が鼻の下を指でこする。

 

「言うじゃん」

 

「おまえも勝つつもりなのだろう」

 

「当たり前だ」

 

「なら同じだ」

 

「そこは同じだな」

 

 コロンが前へ出た。

 

「乱馬」

 

「何だよ」

 

「おまえも確認するよ」

 

「何を」

 

「なぜ戦う」

 

「俺?」

 

「シャンプーだけに答えさせる気かい」

 

 乱馬は一瞬考えた。

 

「そりゃ」

 

 肩を回す。

 右肩は軽い。

 

「勝負だから」

 

「それだけかい」

 

「他に何がいるんだよ」

 

 乱馬はシャンプーを見る。

 

「こいつが勝ちたいって言ってんだろ」

 

「ああ」

 

「俺も負けたくねえ」

 

「それだけ?」

 

「それで十分だろ」

 

 コロンが少し笑った。

 

「十分だね」

 


 

 確認が終わる。

 村人たちが線の外へ下がった。

 玄馬も下がる。

 

「乱馬!」

 

「何だよ」

 

「油断するな!」

 

「分かってる!」

 

「腹を打たれると昼食が入らんぞ!」

 

「そこかよ!」

 

 乱馬が怒鳴る。

 周囲からまた笑い声が上がった。

 

 シャンプーは錘を一度回した。

 縄が空気を切る。

 

 乱馬の顔から笑いが消える。

 構える。

 

 昨日、子どもへ教えたことが頭をよぎる。

 顔だけを見るな。

 手だけを見るな。

 最初は肩。

 

 だが。

 慣れた相手なら、肩も嘘をつく。

 シャンプーの右肩がわずかに下がった。

 乱馬の目がそこへ向く。

 シャンプーは気づいている。

 

 乱馬が見ることを。

 乱馬も分かっている。

 シャンプーが、それを知っていることを。

 

「おまえ」

 

 乱馬が言う。

 

「何だ」

 

「昨日、何か考えただろ」

 

「さあな」

 

「その顔、絶対何かあるな」

 

「顔は嘘をつくのだろう」

 

 乱馬の眉が上がった。

 

「……言ったな」

 

「おまえが教えた」

 

「子どもにな!」

 

「私も聞いていた」

 

「そうだった!」

 

 乱馬は少しだけ笑う。

 シャンプーも構えを深くする。

 

 昨日までとは違う勝負だった。

 シャンプーが勝ち返しても、過去の求婚の接吻が消えるわけではない。

 

 過去の二つの接吻は、まだ裁定の中にある。

 何も解決してはいない。

 そのうえで。

 この一試合の勝敗では、その裁定を動かさない。

 

 勝者が敗者のその後を決めない。

 勝った者が得るのは、勝ったという結果だけ。

 負けた者に残るのは、次に何を直すかを考える時間だけ。

 

 コロンが二人の間を見る。

 

 乱馬。

 シャンプー。

 両者とも、もう相手から目を離していない。

 

 コロンの杖が上がった。

 次にそれが振り下ろされれば。

 三度目の勝負が始まる。

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