シャンプーは、掟の外で乱馬を選ぶ―らんま1/2・女傑族の村残留IF― 作:エーアイ
朝食が終わるころ、コロンはいつものようにその日の仕事を割り振った。
「乱馬とシャンプーは北の共同畑へ行きな」
乱馬が茶碗を置く。
「俺とシャンプー?」
「昨日の風で雨除けが何か所か外れたそうだ。支柱も傾いている」
「何本だ?」
「六本」
「多くねえか?」
「昨日、荷車を持ち上げていた男が何を言ってるんだい」
「あれは持ち上げてただけだろ」
「今日は支柱を立てるだけだよ」
「何でも『だけ』で済ますなよ!」
向かいではシャンプーが食事を終え、特に文句もなくうなずいている。
「分かった」
乱馬は隣を見る。
「親父は?」
「西の薪置き場」
「昨日も西の薪置き場だったよな。またかよ?」
玄馬の箸が止まった。
「またとは何だ、乱馬」
コロンは平然と続ける。
「昨日の分が残っているからね」
「親父、昨日何してたんだよ!」
「薪を効率よく運ぶ方法について検討を」
「運べよ!」
「急がば回れという言葉がある」
「回って戻ってきてねえだろ!」
玄馬は咳払いをして視線を逸らした。
リンファが空いた器を集めながら笑う。
「今日はちゃんと終わらせてくださいね」
「信用がないな」
「昨日の仕事を残したんだから仕方ねえだろ」
乱馬は立ち上がる。
「じゃあ行くか」
シャンプーも席を立った。
「六本ある。早く行くぞ」
「分かってるよ」
勝負の話は出なかった。
昨日は乱馬が勝った。
シャンプーは負けた。
だが今朝は、北の畑の支柱を直す。
それが今日の予定だった。
共同畑へ着くと、どこが傷んでいるかはすぐ分かった。
畑の上に渡された雨除け布が一部たわみ、端を結んでいた縄も外れている。
六本ある支柱のうち、二本は大きく傾いていた。
「昨日けっこう風が吹いたんだな」
乱馬が言う。
「夜中に一度強くなった」
「寝てて気づかなかった」
「玄馬の鼾の方が大きかったのではないか?」
「それはある」
二人は最初の支柱へ向かった。
乱馬が縄を見る。
「先にこれ外すぞ」
「わかった。私は支柱を持つ」
「じゃあ俺はこっちだな」
「倒すなよ」
「倒さねえよ」
以前なら、どこを持つのか、何を先に外すのか、一つずつ確認していた。
今は乱馬も、傾いた支柱をそのまま力任せに戻したりはしない。
先に布の張りを緩める。
縄を外す。
支柱の根元を見る。
土が崩れていれば埋め直す。
「もう少し右だ」
「こっちだな」
乱馬が支柱の傾きを直す。
「よし。押さえてるから固めろ」
シャンプーが根元へ土を入れ、踏み固める。
「もう離していいぞ」
「よし」
乱馬が手を離す。
支柱はまっすぐ立った。
「一個終わり」
「あと五本だな」
「分かってるって」
「最初に何本あるか聞いたのはおまえだ」
「聞いたけど、いちいち残りを数えなくていいんだよ!」
二本目、三本目。
三本目には途中でひびが入っていた。
「これは替えた方がいいな」
乱馬が割れ目を指でなぞる。
「そうだな」
シャンプーが予備の支柱を取りに行く。
乱馬は壊れた一本を横へ寝かせようとした。
地面に出ていた割れた竹の先を跨ぐ。
そのとき、ズボンの裾が竹の先へ引っ掛かった。
びりっ、と布が裂ける。
「……あ」
乱馬が止まった。
シャンプーも振り返る。
「どうした」
乱馬は自分の脚を見る。
赤いズボンの膝の少し上。
布が横へ裂けていた。
「引っ掛けた」
「そのまま動くな。広がるぞ」
「これくらい平気だろ」
乱馬は裂けた部分を指で寄せる。
「あとで縫えばいい」
「今より広がってから縫うつもりか」
「そんな簡単に広がるかよ」
乱馬が試すように一歩踏み出す。
裂け目が少し伸びた。
「……」
乱馬は脚を見下ろした。
「…今のはたまたまだ」
「もう一歩試すか?」
「やらねえよ!」
シャンプーは裂け目を見る。
「一度戻って着替えた方がいい」
「替えなんか――」
乱馬はそこで言葉を止めた。
「……ねえ」
「ないのか?」
「旅してんだから、何着も持ってねえよ」
「それで仕事するつもりか」
「終わるまではいけるだろ」
乱馬は気にせず、次の支柱へ向かった。
シャンプーは少し呆れた顔をしたが、それ以上は言わなかった。
問題は、支柱だけではなかった。
雨除け布の中央が大きくたわんでいる。
昨夜の雨が抜けきらず、上に水が溜まったままになっていた。
下から見るだけでは、布の色に紛れて分かりにくい。
乱馬は端を留めている縄へ手を掛けた。
「これ外すぞ」
「待て」
「何?」
「上に水が――」
だが、乱馬はもう縄を解いていた。
支えを失った布の端が下がり、上に溜まっていた雨水が一気に流れ落ちる。
ざばっ、と冷たい水が乱馬の頭から降りかかった。
「うわああっ!」
赤い上着が身体へ張りつく。
濡れた黒髪が赤くなる。
身体が縮む。
肩幅が狭くなり、濡れた服の中で身体つきが変わった。
水が落ちきったあと。
女の乱馬が、その場に立っていた。
「冷てえええ!」
乱馬が濡れた前髪をかき上げる。
「言う前に外したな」
シャンプーが言う。
「先に言えよ!」
「言おうとした」
「間に合ってねえ!」
「待てとは言った」
「何で待つかまで言え!」
乱馬は袖を絞った。
水が地面へ落ちる。
「最悪だ」
しかも濡れただけではない。
さっき裂けたズボンにも泥がついている。
身体が小さくなった分、服の余り方も変わり、破れたところが余計に目立った。
シャンプーがそれを見る。
「一度戻るぞ」
「何で。濡れただけなら、そのうち乾くだろ」
「濡れただけではない。さっき破れたところに泥もついている。そのまま仕事を続ける気か?」
「あとで洗って直せばいいだろ」
「その前に着替えた方が早い」
「着替えって……」
乱馬は自分の全身を見る。
濡れている。
汚れている。
破れている。
少し黙った。
「……替えがねえ」
「何だ?」
「替えの服だよ」
乱馬が嫌そうな顔をする。
「予備の服は持ってねえんだよ」
「その一着しか持っていないのか?」
「旅してんだから、着替えばっか持ち歩けねえだろ」
「では、洗っている間はどうしていた?」
「乾くまで待つか、そのとき借りられるもんがあれば借りるか」
そこまで言って、乱馬が口を止めた。
「……今、借りられるもんなんかねえな」
「ある」
「え?」
「前に貸した仕事着だ。あれなら今のおまえにも合う」
乱馬は少し嫌そうな顔をした。
「またおまえの借りんの?」
「嫌なら、その濡れた服で続けるか?」
乱馬は自分の服を見下ろした。
水を吸った赤い上着。泥のついたズボン。しかも膝の上は裂けている。
「……いや。借りる」
「なら取りに戻るぞ」
「今度は汚さねえようにするよ」
「仕事着だから、汚れるのは構わない」
「そういう意味じゃねえよ。借りもんだから気をつけるってこと」
「分かった」
「じゃ、さっさと戻ろうぜ」
宗家へ戻った乱馬を見るなり、リンファは目を丸くした。
「また水?」
「『また』って言うな。今回は畑だ!」
「前は水路だったものね」
「そういう覚え方すんなよ!」
後ろから入ってきたシャンプーが、乱馬の脚を指した。
「水だけではない。服も破れた」
「あら、本当」
リンファが乱馬のズボンを見る。
「泥も入ってるわね。これは先に洗った方がいいわ」
「やっぱ洗わなきゃ駄目か」
「そのまま乾かして縫ったら、汚れまで残るわよ」
「それは嫌だな。仕事が終わったら自分で洗う」
乱馬はシャンプーを見る。
「前に借りた仕事着、まだあるんだろ?」
「ある。私が取ってくる」
「俺が借りるんだから俺も行く」
「場所を知っているのか?」
「……知らねえ」
「なら待っていろ」
「分かったよ」
リンファが小さく笑った。
「前よりずいぶん話が早くなったわね」
「一回借りてんだから、同じことで揉めても仕方ねえだろ」
しばらくして、シャンプーが畳まれた青い仕事着を持って戻ってきた。
乱馬は青い仕事着を受け取り広げた。
以前は、どこをどう留めるのか分からなかった。
今回は少し見ただけで、手が動いた。
「後ろ、ここで留めるんだろ」
「そうだ。前より早いな」
「一回着てんだから、少しくらい覚えてるよ」
乱馬は留め具へ紐を通しかける。
「そっちではない。反対からだ」
乱馬の手が止まった。
「……こっちか」
「そうだ」
「全部覚えてるとは言ってねえだろ」
「少しくらい、だったな」
「そこ拾うなよ!」
着替えを終えた乱馬は、自分の姿を見下ろした。
青い仕事着は、前と同じように今の身体へ収まっている。
初めて借りたときほど、着ていること自体を気にすることもなかった。
着替えを終えた乱馬は、脱いだ赤い服を見る。
濡れている。
泥もついている。
ズボンには裂け目まである。
「これ、仕事終わったら洗う」
「先に洗ってもいいぞ」
「まだ仕事残ってんだろ。こっち着てりゃ動けるし」
乱馬は借りた仕事着の袖をまくった。
「今日はこのままでいい」
シャンプーが乱馬を見る。
「女の姿のままで?」
「今、戻る必要ねえだろ。俺の服が乾くまではこっちの方が楽だし」
「そうだな」
リンファが濡れた赤い服を指す。
「それなら置いていって。仕事が終わってから洗えばいいわ」
「自分で洗う」
「分かったわ。じゃあ仕事が終わるまで、濡れた服はここに置いておけばいいわ」
リンファが空いている籠を指した。
「そこへ入れておいて」
「分かった」
乱馬は赤い服を籠へ入れた。
「よし。戻ろうぜ」
「まだ支柱が残っているからな」
「分かってるよ」
二人は再び畑へ向かった。
北の共同畑へ戻る。
先ほどまで近くで別の作業をしていた村人が、青い仕事着姿の乱馬を見る。
「ああ、乱馬」
「何?」
「そっちの新しい支柱、一本持ってきて」
乱馬が一瞬止まる。
「これ?」
「そう。それ」
「俺、今この身体なんだけど」
村人は首を傾げた。
「だから?」
「いや」
乱馬は支柱を見る。
長い。
持てないほどではない。
「何でもねえ」
持ち上げる。
隣でシャンプーが言った。
「乱馬だからな」
「どういう理由だよ!」
「さっきまで持っていた」
「男のときだろ!」
「今も乱馬だ」
「それはそうだけど!」
村人はもう別の場所へ行っていた。
乱馬は支柱を肩へ載せようとする。
だが。
「……ん?」
少し収まりが悪い。
男の身体で持ったときより肩の位置が低く、同じ位置へ載せると長い支柱の先が下がる。
乱馬は一度下ろした。
「何だ」
シャンプーが聞く。
「いや」
持つ位置を少し中央へ寄せる。
肩ではなく、脇と腰のあたりでも支える。
もう一度持ち上げる。
今度は安定した。
歩く。
「持ち方を変えたな」
「こっちの方が持ちやすいんだよ」
「もう慣れたのか?」
「そこまでじゃねえよ」
乱馬は支柱を運びながら答えた。
「この身体になってから、まだそんな経ってねえし」
少し歩く。
「でも何回か動いてりゃ、男のときと同じじゃ駄目なのくらいは分かる」
「たとえば?」
「今みたいに長いの持つときとか。いつもの位置だと端が下がる」
「それで、少し中央を持っているのか」
「その方が安定するからな」
「重さは?」
「重いけど、このくらいなら持てる」
乱馬は少し考える。
「力の入り方も違うしな。まだ全部分かってるわけじゃねえけど」
シャンプーは、乱馬が支柱を支えている手と足元を見た。
「その身体では、持ち方も変わるのだな」
「そりゃな。男のときと同じようにはいかねえよ」
乱馬がシャンプーの視線に気づく。
「……おまえ、また見て覚えようとしてんだろ」
「おまえと戦うなら、知っておいて損はない」
「やっぱ勝負に使う気じゃねえか!」
「使えるものを使って何が悪い」
「おまえな!」
乱馬が振り返りかけ、支柱がぐらりと傾く。
「乱馬、支柱」
「分かってる! 誰のせいだよ!」
二人は言い合いながら、支柱を運んでいった。
昼までには、六本の支柱をすべて立て直した。
雨除け布も張り直す。
今度は乱馬も、外す前に上を見る。
「今度は上も見たぞ。水は溜まってねえ」
「ちゃんと確認したのか?」
「したって。さすがに二回も同じことやるかよ」
「なら大丈夫だ。外していい」
「最初からそれくらい言えよ」
「今回は先に聞いただろう」
「……そうだけど、何か腹立つ」
二人で最後の縄を結ぶ。
仕事を終えて宗家へ戻ると、昼食の用意ができていた。
玄馬が先に席へ座っている。
「親父、薪の方はちゃんと終わったのか?」
「当然だ。今日は最後まで運んできたぞ」
「『今日は』って言ったな。やっぱ昨日は残したんじゃねえか」
「過ぎたことをいつまでも気にするな」
「朝ばあさんに釘刺されてたの親父だろ!」
玄馬は聞こえなかったふりをして、乱馬を見る。
赤い髪に、見覚えのある青い仕事着。
「ところで乱馬、その服はまたシャンプーから借りたのか?」
「畑で水かぶったんだよ。おまけに自分の服まで破れた」
「それで着替えが必要になったわけか」
「そういうことだ。俺の服は仕事終わったら洗う」
玄馬は青い仕事着姿の乱馬を改めて見た。
「その姿なら、食事量も少なくて済むのではないか?」
「変わんねえよ!」
「身体が小さいのだから胃も」
「俺の肉取る理由探すな!」
乱馬が肉皿を引き寄せる。
リンファが汁物を置きながら、乱馬の仕事着を見る。
「ちゃんと着られたのね」
「だいたいな。一か所だけ間違えたけど」
シャンプーが席につく。
「前よりは早かった」
「一回着てんだから、それくらいは覚えるって」
「次は一人で着られそうね」
「次がある前提で言うなよ!」
乱馬も席についた。
「それより腹減った。飯にしようぜ」
玄馬が肉へ箸を伸ばす。
乱馬の箸が横からそれを止めた。
「それ俺の」
「服の話はもうよいのではなかったのか」
「肉は別だ!」
いつもの昼食だった。
女の身体でも、シャンプーの仕事着を着ていても、乱馬の食べる量も、玄馬との肉の取り合いも変わらなかった。
午後の仕事まで終えると、乱馬は洗い場へ向かった。
朝脱いだ赤い服を籠から出す。
「うわ」
乾きかけた泥が、布へしっかりついている。
乱馬は水へ浸した。
泥のついたところをいきなりこすらず、水の中で何度か押し洗いする。前に泥だらけになったとき、一度やった手順だ。
「今度はこすらないのだな」
後ろからシャンプーの声がした。
「覚えてるよ。先に泥を水へ出すんだろ」
「そうだったな」
「一回やったことまで毎回聞くかよ」
乱馬は濁った水を替え、もう一度ズボンを浸した。
「問題はこっちだな」
裂けた部分を水の中で広げすぎないよう、指で押さえながら泥を落とす。
「そこは強く引くなよ」
「分かってる。これ以上裂けたら縫うとこ増えるだろ」
「分かっているならいい」
「だから見張らなくても平気だって」
「見張っていない。自分の仕事着を洗いに来ただけだ」
見ると、シャンプーも隣で自分の仕事着を洗っている。
「……なら最初からそう言えよ」
「聞かれなかった」
「そういうとこだぞ」
やがて水の濁りが薄くなった。
乱馬は赤い服を持ち上げ、布を傷めない程度に水を切る。裂け目に残っていた泥も落ちている。
「よし。あとは干して、乾いたら縫えばいいな」
「針と糸は宗家にある」
「じゃあ後で借りる」
乱馬は自分で服を干した。
これで乾くまでは、借りた青い仕事着のままだ。
「夕方くらいには乾くかな」
「天気が変わらなければな」
「じゃあ、それまではこれでいいや」
乱馬は青い袖を軽く引いた。
「仕事するのに困らなかったし」
「そうか」
「何だよ」
「何でもない。干し終わったなら戻るぞ」
「おう」
夕方。
赤い服はほぼ乾いていた。
乱馬は縁側へ座り、破れたズボンを膝へ載せている。手には、宗家から借りた針と糸があった。
隣では、シャンプーが自分の道具を片づけていた。
「これ、裂けたとこ閉じりゃいいんだろ」
「閉じるだけでは駄目だ。脚を動かしても開かないように縫う」
「やってみりゃ分かるか」
乱馬は針を通した。
一針。
二針。
三針。
裂け目は確かに閉じている。
「こんなもんだろ」
シャンプーが縫い目を覗き込んだ。
「その間隔では、動いたときにまた開くぞ」
「閉じてんのに?」
「今は脚を動かしていないからな。布が引かれれば、その隙間に力がかかる」
乱馬は縫ったところを左右へ軽く引いてみた。
針目の間が開く。
「あー……これじゃ駄目か」
「もう少し細かく縫った方がいい」
「分かった。やり直す」
乱馬が糸をほどこうとする。
「その前に、一度だけ見せる」
シャンプーが手を差し出した。
「針を貸せ」
乱馬は針を渡す。
シャンプーは裂け目の端から針を入れた。
「端を寄せて、少し斜めに戻す。次はあまり間を空けない」
二針、三針。
「こうしておけば、脚を動かしても一か所だけに力がかかりにくい」
「なるほど」
乱馬は縫い目を覗き込む。
「もう分かった。残りは俺がやるよ」
シャンプーが針を返した。
「ではやってみろ」
乱馬はさっきより狭い間隔で針を通す。
「このくらいか?」
「もう少しだけ端から離した方がいい。そこでは布が薄い」
「こっちか」
「そこなら大丈夫だ」
乱馬はそのまま次の針を通した。
何度か続けるうちに、最初はばらばらだった縫い目が少しずつ揃っていく。
「意外と面倒だな、これ」
「破れないように縫おうとすればな」
「親父なら適当に結んで終わらせそうだな」
「そしてまた破るだろう」
「…やりそうだ」
乱馬は少し笑いながら、また針を通した。
「おまえ、こういうのいつ覚えたんだ?」
「村では服も道具も、自分たちで直すことが多い。小さいころから見ていた」
「へえ」
「おまえは今までどうしていた」
「小さい破れなら、そのままだな」
「そのまま着ていたのか?」
「動けりゃ困らねえだろ」
「それで破れが大きくなったことは?」
乱馬の手が止まる。
「……何回かある」
「やはりな」
「その顔やめろ!」
シャンプーが少し笑った。
乱馬は再び針を動かす。
「でも、これは覚えとくと旅でも使えるな」
「服が破れるたびに、直せる者を探さなくて済むからな」
シャンプーは乱馬の縫い目を見ながら言った。
「金もかからねえし」
「針と糸なら、荷物へ入れてもほとんど場所を取らない」
「それいいな。次に市場行ったら買うか」
最後の一針を通し、乱馬は糸を結んだ。
「できた」
ズボンを持ち上げる。
縫い目は少し曲がっている。きれいとは言い難い。
それでも裂け目は閉じていた。
シャンプーも出来上がった縫い目を確かめる。
「初めてなら、それで十分だ。ちゃんと閉じている」
「次はもうちょいまっすぐ縫える」
シャンプーが少し笑った。
「次も破るつもりか?」
「破りたくて破ってんじゃねえよ!」
乱馬は自分で直したズボンを見て、もう一度縫い目を指で確かめた。
日が落ちるころには、ズボンの補修も終わった。
乱馬は縫ったところを指でなぞり、布の両側を軽く引いてみる。
「これなら大丈夫そうだな」
「最初よりずっと細かく縫えている。普通に動くくらいなら開かないと思う」
「普通にって、どのくらいだよ」
「少なくとも、いま力任せに引っ張って試す必要はない」
さらに強く引こうとしていた乱馬の手が止まった。
「……破れたら、また縫い直しだもんな」
「せっかく直したのだろう」
「分かった。着てから動いて確かめる」
乱馬は補修した赤い服を持って立ち上がった。
「じゃあ、今度こそ湯使ってくる」
「離れに用意してある。リンファが沸かしておいた」
「親父じゃないんだな?」
「玄馬には頼んでいない」
「なら安心だ」
「そこまで信用がないのか」
「今日の薪の話聞いたろ?」
「聞いた」
二人とも、それ以上は言わなかった。
しばらくして。
湯をかぶった乱馬は男の姿へ戻り、補修した赤い服へ着替えた。
まず膝を曲げる。
腰を落とす。
次に脚を大きく開き、最後に軽く蹴りを出してみた。
「お」
縫い目は開かない。
乱馬は脚を戻し、補修したところをもう一度確かめる。
「ちゃんと直ってる」
自分で洗った。
教わりながら、自分で縫った。
少し曲がってはいるが、もう裂け目ではなかった。
その隣には、脱いだ青い仕事着が置いてある。
乱馬はそれを持ち上げた。
「こっちも洗ってから返すよ」
「今日はもう暗くなる。明日でいい」
「じゃあ明日洗う。借りたまま返すのは嫌だからな」
「分かった。急がなくていい」
「前みたいに泥だらけじゃねえけど、着て仕事したしな」
乱馬は青い仕事着を畳み始める。
一度折る。
袖を重ねる。
そこで少しずれた。
「……何か違う」
もう一度やり直す。
今度は反対側がずれた。
横で見ていたシャンプーが口を開く。
「袖を先に揃えた方が畳みやすいぞ」
「今やろうと思ってた」
「さっきは反対から畳んでいた」
「今度は変えるんだよ!」
乱馬は袖を揃え、もう一度折った。
きれいとは言い難い。
それでも、さっきよりはまとまっている。
「よし。これならいいだろ」
「前よりはまっすぐだな」
「前のまで覚えてんのかよ」
「私の服だからな」
「……そりゃそうか」
乱馬は畳んだ仕事着を膝の上へ置いた。
シャンプーは、その服と乱馬の赤い服を見比べる。
「乱馬。一つ聞いていいか」
「何?」
「替えの服を持つ気はないのか?」
乱馬は少し眉を寄せた。
「替え?」
「今日は私の服があったから仕事へ戻れた。次も借りられるとは限らない」
「まあ……それはそうだけど」
「濡れるだけなら乾くまで待てる。だが、今日みたいに破れることもあるだろう」
乱馬は自分で縫ったズボンを見る。
次に、膝の上の青い仕事着を見る。
「一着くらい持っておけば、今日みたいなときに困らないってこと?」
「そう思っただけだ。買うかどうかは、おまえが決めればいい」
「でも服一着増えたら、その分荷物も増えるんだよな」
「日本へ帰るときか?」
「そりゃそうだよ。持って帰るなら軽い方がいいし」
乱馬は少し考えた。
今までなら、一着でも何とかなった。
洗えば乾くまで待てばいい。
多少破れても、そのまま着ていた。
だが今日は、それでは仕事ができなかった。
「……でも、またおまえの借りるのもな」
「貸すのが嫌だとは言っていない」
「そういう話じゃねえよ。必要なら自分の持ってた方が楽だろ」
シャンプーは少しだけ目を細めた。
「そうだな」
「値段も分かんねえし、今すぐ買うって決めたわけじゃねえけど」
乱馬は畳んだ青い仕事着を抱え直す。
「明日、ばあさんに聞いてみる」
「何を?」
「服がどれくらいするのか。俺の金で足りるのかも」
「買う気になったのか?」
「だから、まず聞くだけだって。金足りなかったらどうしようもねえだろ」
「それもそうだな」
「先に分かることから調べんだよ」
乱馬はそう言って立ち上がった。
「これ、明日洗って返すから」
「分かった」
「今度は畳み方も文句言わせねえ」
「それは明日見てから決める」
「言ったな?」
「言った」
「覚えてろよ」
乱馬は青い仕事着を持って離れへ戻っていった。
赤い服は洗った。
破れたところも、自分で直した。
借りた服は、明日洗って返す。
そして明日は、自分の替えを一着持つなら、どれくらいの金が必要なのかを聞く。
日本へ帰るための荷物は、増やしたくない。
その気持ちは変わっていなかった。
それでも今日、着るものがなくて困ったことも事実だった。
帰るときに持っていけるものなら。
この村にいる間にも使えるものなら。
一着くらい増えてもいいのかもしれない。
まだ買うとは決めていない。
まずは値段を聞く。
乱馬にとっては、それだけだった。
今日もまた、女傑族の村で過ごした一日が終わった。