シャンプーは、掟の外で乱馬を選ぶ―らんま1/2・女傑族の村残留IF―   作:エーアイ

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第34話 シャンプーは、次の勝負を自分から申し込む

 市場から戻った翌朝、乱馬は買ったばかりの仕事着を洗った。

 その日は軒下へ干しておき、さらに翌朝。

 宗家へやって来た乱馬は、いつもの赤ではなく、あの濃い青灰色の仕事着を着ていた。

 

 店で試着した姿なら、すでに見ている。

 だが、こうして朝から普通に着ているのを見ると、少し印象が違った。

 

 袖口と腰の紐は乱馬の身体に合わせて締めてある。

 少し余裕のある作りだが、動きを邪魔するほどではない。

 シャンプーは一度だけ、乱馬を上から下まで見た。

 

(やっぱり、似合っている)

 

 市場で見たときにもそう思った。

 だが今は、もう店の商品には見えない。

 これは宗家のものでも、シャンプーのものでもない。

 乱馬が必要だと考え、足りない金を自分で働いて用意し、市場で自分で選んだ服だった。

 乱馬の服だ。

 

 もう着替えが必要になるたび、自分の仕事着を貸す必要はない。

 シャンプーは、それでいいと思った。

 

「何見てんだよ」

 

 視線に気づいた乱馬が、自分の袖を見下ろした。

 

「新しい方、着たのだな」

 

「洗って乾いたからな。変じゃねえ?」

 

「いや。似合っている」

 

「ならよかった。店で動いたときは平気だったけど、一日着るのは今日が初めてだからな」

 

 乱馬はそれ以上気にする様子もなく、いつもの席へ座った。

 新しい服でも、食卓でやることは変わらない。

 玄馬より先に肉へ箸を伸ばし、横から来た箸を自分の箸で止める。

 

「乱馬。それは父が取ろうとしていた肉だぞ」

 

「先に取った方だろ。欲しいなら別の取れよ」

 

「父へ一枚譲る孝行心はないのか」

 

「服買う金まで節約しろって言ってた親父に、肉だけ譲る理由ねえよ」

 

「節約と食事は別問題だ」

 

「都合よすぎだろ!」

 

 シャンプーは少しだけ笑った。

 やはり、服が変わっても乱馬は乱馬だった。

 

 食事が終わるころ、コロンがその日の仕事を告げた。

 

「乱馬とシャンプーは東の干し場へ行きな。古くなった棚板が二枚ある。傷んだ縄も見て、必要なら替えておくれ」

 

 乱馬がすぐに顔を上げる。

 

「替えの板は、倉庫の横に積んであるやつでいいんだよな?」

 

「そうだよ。使えるものを見て持っていきな」

 

「分かった。縄も倉庫にあるか?」

 

「あるよ」

 

「じゃあ先に取ってくる」

 

 場所がどこかとは聞かなかった。

 何を先にすればいいかとも聞かなかった。

 

 村へ来たばかりのころなら、一つずつ確認していたことだった。

 今の乱馬は、自分で分かるところまで進めて、必要なところだけを聞く。

 

「シャンプー、行こうぜ」

 

「もう準備はいいのか?」

 

「倉庫寄って板と縄持ってけばいいんだろ。行きながら取る」

 

「なら行こう」

 

 二人は並んで宗家を出た。

 


 

 途中の倉庫で縄を受け取り、棚板の置き場へ寄る。

 乱馬は積まれた板を上から順に見ると、ひびや反りのないものを二枚抜き出した。

 

「これと、こっちなら使えそうだな」

 

「私もそう思う」

 

「じゃあ持つぞ。長い方、そっち頼む」

 

 シャンプーが反対側を持つ。

 二人で一枚目を運び始めると、乱馬は途中で新しい仕事着の袖紐を少しだけ締め直した。

 

「着てみてどうだ?」

 

「悪くねえよ。肩も動くし、しゃがんでも引っ掛からねえ。仕事で一日使って平気なら、買った意味あったな」

 

「修行にも使うつもりだっただろう」

 

「そっちは店先で少し動いただけだからな。本気でやるならまた別だよ」

 

 言いながらも、乱馬の歩幅に窮屈そうなところはない。

 シャンプーはそのことを確認しながら板を運んだ。

 

 干し場の入口は、片側に道具箱や古い木材が積まれていて少し狭い。

 このまま進めば、乱馬は広い方へ避ける。

 

 そう考えたところで、シャンプーは先に身体をずらしかけた。

 だが、止める。

 

 乱馬を見る。

 

 肩だけではない。

 腰。膝。足。

 

 実際にどちらへ踏み出すのかを見る。

 

 乱馬の右足が広い方へ出た。

 そこで初めて、シャンプーは反対へ寄る。

 

 板は入口へぶつからず、そのまま通った。

 

「今、ちょっと待った?」

 

 乱馬が板の向こうからこちらを見る。

 

「おまえがどちらへ行くか見てから合わせた」

 

「先に分かってたんじゃねえの?」

 

「分かっていても、おまえがその通りに動くとは限らないだろう」

 

「まあ、板ぶつけるよりはその方がいいか」

 

 乱馬はそれ以上気にせず前を向いた。

 シャンプーは黙って、その背中を見る。

 

 仕事のためでもある。

 だが、それだけではない。

 

 前の勝負で、自分は乱馬の次の動きを先に決めた。

 境界際まで追い込んだあと、乱馬は場内へ戻る。

 そう考えて、戻る場所を先に潰そうとした。

 

 乱馬は戻らなかった。

 足場ではなく、シャンプー自身へ踏み込んできた。

 

 そこを読み違えて負けた。

 

 なら今度は、先に答えを決めなければいい。

 乱馬が実際に動いてから、自分も動く。

 

 それを身体へ馴染ませるには、勝負のときだけ意識するより、普段からそうしていた方がいい。

 

 二枚目の棚板でも、シャンプーは乱馬の動きを先回りしなかった。

 乱馬が持ち替えるなら、それを見てから自分も持ち替える。

 向きを変えるなら、足が出てから合わせる。

 

 乱馬は何度か不思議そうにこちらを見たが、作業そのものは滞らなかった。

 

 棚板を交換し、古い縄も二本取り替える。

 外した縄のうち、まだ使える部分は短く切って倉庫へ戻すことにした。

 

「こっちは残せそうだな。こっちはもう駄目だろ」

 

 乱馬が二本を見比べる。

 

「そうだな。使える方だけまとめておこう」

 

「じゃあ工具戻して終わりか」

 

「ああ。これで頼まれた分は終わりだ」

 

 片づけまで済ませるころには、昼が近くなっていた。

 乱馬が腰を伸ばし、腹を押さえる。

 

「終わったら余計腹減った。戻ろうぜ」

 

「その前に、乱馬」

 

「何?」

 

 シャンプーは一度だけ言葉を選んだ。

 

 前なら、戦えと言った。

 自分が戦いたいなら、それで始まると思っていた。

 

 だが、今は違う。

 自分が戦いたいことと、乱馬が戦うかどうかは別だ。

 

「昼を食べたあと、私と勝負しないか?」

 

 乱馬が少しだけ目を見開いた。

 

「おまえから申し込むのか?」

 

「私が戦いたいからな。前に負けたところも直したい」

 

「今日じゃなきゃ駄目か?」

 

「嫌なら別の日でもいい。おまえにも都合があるだろう」

 

 乱馬は数秒だけ考え、それから笑った。

 

「いや、やる。俺だって前に勝ったからって、次も勝てるとは思ってねえよ。もう一回やった方が面白い」

 

「なら、昼のあとだ」

 

「決まりだな」

 

 そこで乱馬は、自分の青灰色の袖を見た。

 

「これで本気の勝負すんの、初めてだな」

 

「修行にも使うために買ったのだろう?」

 

「そのつもりだけど、買ったばっかで破ったらちょっとへこむ」

 

「朝から棚板を運んで、もう埃はついているぞ」

 

「汚れるのと破れるのは違うだろ!」

 

「なら破らなければいい」

 

「勝負しながらそこまで気にできるかよ!」

 

 言い返しながらも、乱馬の顔は楽しそうだった。

 


 

 昼食のあと、共同修練場へ行くと、コロンと玄馬のほかに、近くにいた子どもや作業帰りの村人が何人か足を止めた。

 大げさに人を集めたわけではない。乱馬とシャンプーがまた戦うらしいと聞いて、少し見に来ただけだった。

 

 乱馬は白線の内側へ入り、肩と腰を軽く回した。

 朝から着ている青灰色の仕事着は、動きを邪魔していない。

 

「やっぱ動けるな。これなら服の方は問題なさそうだ」

 

「勝負が始まる前に決めるのか?」

 

「仕事で動いた感じならってこと。試合はこれからだよ」

 

 シャンプーは武器置き場から、自分の二つの錘を取った。

 どちらも短い縄の先に重い錘がついている。

 縄を長く使えば間合いを取って振れ、短く持てば近い距離でも扱える。

 結び目と縄の傷みを確認してから、両手へ一つずつ持つ。

 

 コロンが境界の外から声をかけた。

 

「条件は前の勝負と同じでいいね?」

 

 乱馬とシャンプーは顔を見合わせた。

 

 場外、または十数えても立てなければ負け。

 武器は使用可。ただし相手を殺すための攻撃は禁止。

 勝者が敗者へ新しい要求を出すことはなく、以前の接吻について続いている裁定にも影響しない。再戦を強制する権利もない。

 

「俺はそれでいい」

 

「私も同じ条件でいい」

 

「なら始めるよ」

 

 コロンが杖を石床へ一度打ちつけた。

 

「始め!」

 

 乱馬が先に間合いを詰めた。

 

 右拳がまっすぐ来る。

 シャンプーは片方の錘を短く握り、硬い部分で拳の軌道を外へ逸らした。

 

 すぐに左拳。

 今度は身体を沈めてかわす。

 

 乱馬はそのまま右へ回り込もうとする。

 

 シャンプーは動かない。

 

 肩が動く。

 腰もついてくる。

 それでも、まだ足は出ていない。

 

 乱馬の右足が石床を踏んだ。

 

 そこで初めて半歩だけ左へずれる。

 乱馬の拳が頬の横を抜けた。

 

「ちっ」

 

 乱馬が振り向きざまに蹴りを返す。

 シャンプーは錘を持った前腕で受け、衝撃を逃がしながら一歩下がった。

 

 金属と骨がぶつかる鈍い音が響く。

 乱馬は追わず、一度間合いを取り直した。

 

「やっぱり、先に動かなくなったな」

 

「前は先に決めて負けたからな」

 

「俺が動いてから決めるってことか?」

 

「そういうことだ」

 

 乱馬の口元が上がる。

 

「じゃあ、見てからじゃ間に合わないようにする」

 

「やってみろ」

 

 今度は乱馬が細かく足を刻んだ。

 右へ行くように見せて止まり、左へ切り替える。

 そこから一度距離を外し、また正面へ入る。

 

 シャンプーは肩だけでは動かない。

 腰だけでも決めない。

 実際に足が石床へ置かれるまで待つ。

 

 乱馬の踏み込みに合わせ、片方の錘を横から放った。

 乱馬は頭を下げてかわす。

 

 錘には縄がつながっている。

 シャンプーが手首を返すと、通り過ぎた錘が弧を描いて戻る。

 

 乱馬はそれも見ていた。

 振り返らずに一歩前へ抜け、戻ってくる錘の軌道から外れる。

 

 そこへシャンプーはもう片方の錘を低く振った。

 狙いは足元。

 

「くそ!」

 

 乱馬は跳んで縄ごと越える。

 空中で身体をひねり、そのまま蹴りを落とした。

 

 シャンプーは両腕を上げて受ける。

 重い衝撃に二歩下がったが、倒れない。

 

 着地した乱馬へ、今度は自分から踏み込む。

 至近距離では縄を長く振れない。

 錘を短く持ち、右の拳と一緒に打ち込む。

 

 乱馬が前腕で受け流し、左拳を返した。

 拳が脇腹へ浅く入る。

 

「っ……!」

 

 シャンプーも下がりながら錘を返し、乱馬の肩をかすめる。

 二人とも一度距離を取った。

 

 息が少し上がっている。

 どちらもまだ動ける。

 

 シャンプーは乱馬の足を見る。

 乱馬もこちらの肩だけではなく、腰、膝、足まで見ている。

 

 前と同じことは、もう通じない。

 

 それでいい。

 


 

 先に仕掛けたのは乱馬だった。

 

 真正面から一気に来る。

 シャンプーは動かない。

 右へ来るとも、左へ抜けるとも決めない。

 

 乱馬の前足が着く。

 そこで動いた。

 

 右手の縄を短く持ち、錘を床すれすれに横へ振る。

 乱馬は足を引いて避け、そのまま距離を詰めてきた。

 

「今度はそれか!」

 

 乱馬がシャンプーの左腕を取る。

 錘を大きく振る距離が消えた。

 乱馬はそのまま身体ごと押し込み、シャンプーを境界際まで運ぶ。

 白線がすぐ後ろへ来る。

 

 シャンプーは下がりながら、乱馬を見る。

 

 前なら、このあと乱馬がどこへ足を戻すかを考えただろう。

 どこへ着地するか。

 どこへ逃げるか。

 

 今回は考えない。

 

 乱馬の右足。

 左足。

 

 実際にどちらへ体重を乗せるのかを見る。

 乱馬が押し切るため、左足を強く石床へ置いた。

 

 そこだった。

 

 シャンプーは左足を半歩だけ場内側へ引き、自分の身体の向きを変える。

 同時に右手の縄を短く使い、錘を乱馬の左足首の外側へ横から当てた。

 

 強く払う必要はない。

 体重を預けた瞬間の支点を、少しだけ横へずらせばいい。

 

「っ!」

 

 乱馬の腰が流れる。

 

 そこへ左の掌底を肩へ当て、乱馬が前へ出していた力を横へ逃がした。

 

「まだだ!」

 

 乱馬は崩れながらも、つかんでいたシャンプーの腕を離さない。

 強く引かれ、シャンプーの右足も白線の外へ滑った。

 

 二人とも倒れ込む。

 

 乱馬はすぐに足を戻そうとした。

 だが、勢いが残っている。

 

 両足が白線の外へ着いた。

 一方、シャンプーは右足こそ線の外へ出たものの、左足だけは内側に残していた。

 見ていた者たちの声が止まる。

 乱馬もシャンプーも、自分たちの足を見る。

 

 コロンが杖で石床を叩いた。

 

「場外。勝者、シャンプー」

 

 シャンプーは一瞬だけ息を止めた。

 

 勝った。

 

 前の敗因を考え、先に答えを決めないようにした。

 乱馬が実際に動くまで待った。

 

 それが最後まで通じた。

 

「よし!」

 

 思わず声が出る。

 

「今度はシャンプーだ!」

 

「またぎりぎりだった!」

 

 近くで見ていた子どもたちが騒ぎ、村人たちも「最後まで分からなかったね」と笑った。

 

 それだけだった。

 

 勝ったシャンプーが何を求めるのかを待つ者はいない。

 シャンプー自身も、何かを要求するつもりはなかった。

 

 欲しかったのは、今回の勝ちだけだった。

 

 乱馬は白線の外へ座ったまま、自分の左足を見ている。

 

「くそ……最後、俺が足置いてから来たな」

 

 シャンプーは息を整えながら立ち上がった。

 

「ああ。前は、おまえがどこへ戻るか先に決めて待った。それで外されたからな」

 

「今回は決めなかった?」

 

「おまえが本当に動いてから合わせた」

 

 乱馬はしばらく白線を見て、それからシャンプーを見る。

 

「干し場で板運んでたとき、俺がどっち行くか待ってたのもそれ?」

 

「仕事でも、その方が板をぶつけずに済んだ」

 

「やっぱ勝負のことも考えてたんじゃねえか」

 

「両方だ」

 

「欲張りだな、おまえ」

 

「おまえに言われたくない」

 

 乱馬は笑いかけて、すぐ悔しそうな顔へ戻った。

 

「でも、やられた。今回は俺の負けだ」

 

「認めるのか?」

 

「負けたのに認めなかったら次どこ直すか分かんねえだろ」

 

 乱馬は立ち上がり、新しい仕事着についた土を払う。

 膝と袖を確かめ、縫い目も見る。

 

「服は破れてねえな」

 

「丈夫な方を選んだ甲斐があったな」

 

「そこは正解だった。服のせいにもできねえ」

 

「するつもりだったのか?」

 

「しねえよ。負けたのは俺だって言っただろ」

 

 乱馬はもう一度、さっき自分が足を置いた位置を見る。

 

「次は、動いてから合わせてくる相手をどう崩すか考える」

 

「なら私は、その次を考える」

 

「もう先のこと考えてんのかよ」

 

「おまえもだろう」

 

「……まあな」

 

 シャンプーは少し笑った。

 乱馬が負けたあとにどうするのかは、もう知っている。

 

 悔しがる。

 どこで負けたかを見る。

 そして次に変える。

 だから、負けた乱馬を見ても以前ほど驚かない。

 

 青灰色の仕事着には、朝の干し場でついた細かな木屑と、今の勝負でついた土が残っていた。

 買ったばかりの服なのに、もう乱馬の一日分がついている。

 

「なら、また直してこい。私も止まっているつもりはない」

 

「言ったな?」

 

「言った」

 

 次の勝負がいつになるかは、まだ決めていない。

 今日の勝負は、今日で終わった。

 

 明日になれば、また別の仕事がある。

 

 今日は自分が勝った。

 次はまだ分からない。

 

 シャンプーには、それでよかった。

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