シャンプーは、掟の外で乱馬を選ぶ―らんま1/2・女傑族の村残留IF―   作:エーアイ

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第36話 乱馬は、日本に帰っていない

 日本。

 天道家では、朝食が終わっても早雲が卓の前に残っていた。

 

 手元には、何度も開いた跡のある手紙がある。

 差出人は早乙女玄馬。

 中国での修行を終えたあと、息子を連れて天道家へ向かう。そう知らせてきた手紙だった。

 

 その息子は、まだ来ていない。

 父親も来ていない。

 次の手紙も、届いていなかった。

 

「またそれ読んでるの?」

 

 なびきが卓の向かいへ座る。

 早雲は手紙から顔を上げた。

 

「どこか読み落としておらんかと思ってな」

 

「何か書いてあった?」

 

「いや」

 

「じゃあ、昨日と同じね」

 

 なびきは頬杖をついた。

 台所から戻ったかすみが、空いた湯飲みへ茶を注ぐ。

 

「途中で予定が変わったのかしら」

 

「玄馬なら、あり得る」

 

 修行によさそうな場所を見つければ、そちらへ行く。

 金が足りなくなれば、予定より長く足を止める。

 昔から知っている男だからこそ、早雲にも思い当たることはいくつもあった。

 

 だが、何度もそれで納得しているうちに、日だけが過ぎていた。

 

「今も中国にいるんでしょう?」

 

 あかねが聞く。

 

「最後の知らせではな」

 

「今は分からないの?」

 

「ああ」

 

 あかねは、早雲の持つ手紙を見た。

 

「息子さんも一緒なんでしょ。何かあったんじゃないの?」

 

 早雲はすぐには答えなかった。

 玄馬一人なら、あいつのことだと笑えたかもしれない。

 だが、手紙には息子の名前もある。

 

 乱馬。

 まだ顔も知らない少年だった。

 

「無事なら、一度知らせてくれればいいのですけれど」

 

 かすみの言葉に、早雲がうなずく。

 なびきも今度は茶化さなかった。

 

「返事を出すにも、今いる場所が分からないんじゃね」

 

「そうなんだ」

 

 早雲は、折り目に沿って手紙を畳んだ。

 

「もう少し待ってみよう。突然、何事もなかったように現れるかもしれん」

 

「来たら、まず今までどこにいたのか聞いてよ」

 

 あかねが言った。

 

「そうだな」

 

 早雲は手紙を封筒へ戻す。

 玄馬が今、息子を連れてどこにいるのか。

 何をしているのか。

 この家にいる誰も、答えを知らなかった。

 


 

「ムース。その箱、もう運んでいいのか?」

 

「待つんじゃ。あと一つ残っとる」

 

 中国、女傑族の村。

 西の共同倉庫で、乱馬は木箱を持ち上げかけたまま止まった。

 

 午前中は北の水路で、傷んだ蓋板を二枚替えた。

 担当の者に見てもらい、外した板と道具を片づけて、昼には宗家へ戻った。

 午後に頼まれたのは、届いた金具を棚へ収める仕事だった。

 

 ただし、荷ほどきをするだけでは終わらない。

 倉庫の奥では、ムースが届いた金具を一つずつ確かめていた。

 

 蝶番を開く。

 軸が抜けかけていないかを見る。

 確かめ終わったものから、種類ごとに分けた箱へ入れる。

 

「よし。それは運んでいい」

 

「こっちの小さい方も?」

 

「それはまだじゃ」

 

「じゃあ、終わった方を右へ寄せろよ。同じとこに置かれたら分かんねえだろ」

 

「おぬしが次々持っていくから、場所が変わるんじゃ!」

 

「片づける仕事なんだから持ってくに決まってるだろ!」

 

 ムースが眼鏡を押し上げた。

 乱馬は箱を抱えたまま、作業台の右端を顎で示す。

 

「そっちへ置いた分だけ運ぶ。それならいいだろ」

 

「……なら、そうしろ」

 

「最初からそれでよかったんだよ」

 

 乱馬が箱を運ぶ間に、ムースは次の金具へ手を伸ばした。

 言い合いはしていても、手は止まらない。

 

 荷車を一緒に直したときにも、金具を確かめていたのはムースだった。

 乱馬は金具の良し悪しまで勝手に決めず、空いた棚へ箱を収めた。

 棚の手前には、釘の袋も並んでいる。

 奥へ押し込みすぎないよう揃えて戻ると、作業台の下で木の桶に足が触れた。

 

「これも片づけるやつか?」

 

「それには触るでない。取りに来る者がおる」

 

「桶まで届いたの?」

 

「持ち手が緩んでおったから、直したんじゃ」

 

 桶の持ち手には、新しく削った木の色が残っていた。

 乱馬は足を引き、邪魔にならないところへ桶を寄せる。

 

「ここなら蹴らねえだろ」

 

「蹴る前に足元を見ろ」

 

「蹴ってねえよ。触っただけだ」

 

 ムースは答えず、蝶番を二つ、ほかとは別に置いた。

 

「そっちは?」

 

「修練場の小倉に使う。戸の金具が傷んでおるそうじゃ」

 

「棒とか入ってるところか」

 

「そうじゃ。直してくれと頼まれた」

 

「じゃあ、それは棚へ入れねえ方がいいな」

 

 乱馬は二つを避け、残りの箱へ手を掛けた。

 ムースも、それ以上説明を続けなかった。

 


 

 倉庫の入口へ差す日が傾き始めたころ、外から声がした。

 

「ムース!」

 

 ユエだった。

 隣には短い髪の少女と、髪を高い位置で結んだ少女がいる。

 三人とも入口で足を止め、中をのぞき込んだ。

 

「お母さんが、桶を受け取ってきてって」

 

「直っておる。そこじゃ」

 

「あ、乱馬もいた」

 

 ユエの視線が、棚の前にいる乱馬へ移る。

 乱馬は空になった箱を下ろし、桶のある場所を指した。

 

「おまえの家のだったのか。そこにあるぞ」

 

「うん。朝、預けたんだって」

 

 ユエが桶の持ち手をつかむ。

 ムースはその手元を見てから、口を開いた。

 

「緩みはなくなった。家で使って、まだ気になるところがあれば言うんじゃぞ」

 

「うん。ありがとう」

 

 ユエは持ち上げて、いったん足元へ置いた。

 それから乱馬を見る。

 

「昨日の続き、今日はできる?」

 

「まだ片づけが残ってる。今日はやめとけ。今からやったら、桶を返すのも遅くなるだろ」

 

「ちょっとだけでも?」

 

「そのちょっとが、一回で終わんねえじゃん」

 

 髪を結んだ少女が、隣の二人を見た。

 

「一人一回なら、三回で終わるよ」

 

「できなかったら、もう一回って言うだろ」

 

「できるまでやればいいんじゃないの?」

 

「ほら、終わんねえじゃん!」

 

 短い髪の少女が笑った。

 ユエも少し口を尖らせたあと、作業台を見る。

 

「じゃあ、この箱だけ運んでもいい?」

 

 金具を取り出したあとの、小さな空き箱だった。

 乱馬は中を確かめる。釘も、尖った金具も残っていない。

 

「そこの壁際までな。重ねすぎんなよ」

 

「三つくらい持てるよ」

 

「前が見えなくなるだろ」

 

 ユエは箱を持ち上げ、一度前を見た。

 下の箱を戻す。

 

「じゃあ二つ」

 

「それでいい」

 

 残った一つを短い髪の少女が取った。

 髪を結んだ少女は、すでに壁際へ積んである箱が傾かないよう、横から押さえる。

 三人で置き終えると、ユエは満足そうに振り返った。

 

「できた」

 

「ありがとな。でも、それで稽古の時間ができたわけじゃねえからな」

 

「まだ言ってないよ」

 

「顔に出てる」

 

 今度は三人とも笑った。

 

「何を笑っている」

 

 入口から別の声がした。

 帳面を抱えたシャンプーが立っている。

 

 薬草畑では、昨日揃えておいた支柱の交換を終えた。

 そのあとの薬草小屋の仕事も済ませ、今は届いた金具の数を倉庫の記録と合わせに来たところだった。

 

「シャンプー!」

 

 ムースが顔を上げる。

 乱馬は横から、作業台に残った箱を示した。

 

「こっちは確認済みだって。棚へ入れた分も、数は紙に書いてある」

 

「分かった」

 

 シャンプーは帳面を開く。

 ムースが、取り分けた蝶番を指した。

 

「この二つだけ、小倉の修理へ回す。届いた数には入っておるが、棚へは戻さん」

 

「では、それも分けて記録する」

 

 シャンプーが書きつける。

 その横で乱馬が残った箱を持ち上げると、ユエがふいに聞いた。

 

「乱馬って、いつまでここにいるの?」

 

 乱馬の手が止まった。

 

「いつまで?」

 

「村に。ずっと仕事するの?」

 

 乱馬は箱を抱え直した。

 

「日本には帰るよ。いつになるかは、まだ決まってねえけど」

 

「帰るつもりはあったんじゃな」

 

 ムースがすぐに口を挟む。

 

「なくした覚えはねえぞ」

 

「毎日、当然のようにおるからじゃ」

 

「今ここにいるんだから、仕事してんだろ」

 

 乱馬は棚へ箱を収め、ユエへ向き直った。

 

「明日急にいなくなるわけじゃねえよ」

 

「じゃあ、帰るときは教えて」

 

「何で?」

 

「待ってても来なかったら、まだ仕事してるのか、もう帰ったのか分からないから」

 

 昨日も、ユエたちは宗家の前で待っていた。

 乱馬が仕事を終えて戻るのを、三人で。

 

 乱馬は少しだけ黙り、頭をかいた。

 

「……そんときゃ言うよ。日が決まったらな」

 

「うん」

 

「でも、毎日いつ帰るんだって聞くなよ」

 

「決まったら言うんでしょう?」

 

「言うって」

 

「じゃあ聞かない」

 

 ユエはあっさりうなずいた。

 短い髪の少女が、足元の桶を指す。

 

「こっちは今日返さないと」

 

「あ、そうだった」

 

 ユエが桶を持つ。

 髪を結んだ少女も戸口へ向かった。

 

「またね、乱馬。シャンプー」

 

「ムース、ありがとう」

 

「ぶつけずに持って帰るんじゃぞ」

 

 三人は声をそろえて返事をした。

 入口を出ると、誰が先に桶を持つかという話をしながら、自分たちの家の方へ歩いていった。

 


 

「乱馬」

 

 子どもたちの声が遠ざかってから、ムースが呼んだ。

 

「何だよ」

 

「明日、小倉の戸を外す。手が空くなら押さえに来い」

 

 乱馬は、ムースがよけておいた二つの蝶番を見る。

 

「明日やるのか」

 

「金具が揃ったからな。戸を支える者がいれば、早く済む」

 

「俺の仕事、まだ決まってねえよ」

 

「ならコロンに聞け」

 

「おまえも話しとけよ。何も知らなかったら、ばあさんだって決めらんねえだろ」

 

 ムースが少し口を閉じる。

 それから、金具を布で包んだ。

 

「……仕事の話はしておく」

 

「じゃあ、俺も聞いとく」

 

「聞くのを忘れるでないぞ」

 

「さっき帰るつもりあんのかって聞いた奴が、明日の俺まで押さえんなよ」

 

「仕事の話じゃ!」

 

「だから仕事が決まってからだって言ってんだろ!」

 

 シャンプーは、帳面から一度だけ顔を上げた。

 ムースが乱馬を好きになったわけではない。

 乱馬も、ムースの言い方へ素直に従うつもりはない。

 

 それでも、戸を外すなら支える者が要る。

 ムースは、目の前の乱馬へそれを頼んでいた。

 

「数は合っている」

 

 シャンプーが帳面を閉じる。

 

「金具は全部入れた。俺の方も終わり」

 

 乱馬は空き箱の積み方を確かめ、通り道に出ていた一つを壁際へ寄せた。

 ムースは自分の工具をまとめている。

 

「おらはこれを作業場へ戻す」

 

「小倉の分も?」

 

「工具と一緒にしておく。明日、また探すのは面倒じゃ」

 

「そりゃそうだな」

 

 ムースが工具箱を持ち上げる。

 シャンプーへ顔を向けたときだけ、少し声が変わった。

 

「シャンプーも宗家へ戻るのか?」

 

「ああ。帳面を返す」

 

「では、おらも工具を戻してから話をしに行く」

 

「コロンにか?」

 

「……そうじゃ。明日の仕事の話じゃ」

 

 乱馬が横で少し笑った。

 ムースはそれを見つけたが、工具箱を下ろしてまで言い返しはしなかった。

 

「乱馬。聞くんじゃぞ」

 

「分かったよ。何回言うんだよ!」

 

 ムースは鼻を鳴らし、先に歩き出した。

 いつも使っている工具箱を提げて、作業場の方へ向かっていく。

 乱馬とシャンプーは、その少しあとで宗家へ続く道に出た。

 


 

「ムースとも、明日の仕事の話をするようになったな」

 

 シャンプーが言った。

 乱馬は嫌そうに顔をしかめる。

 

「あいつが勝手に決めそうになっただけだろ」

 

「断らなかった」

 

「戸を押さえるくらいならできるからな。ほかの仕事とかぶらなけりゃ、別にいいよ」

 

「そうか」

 

「でも、一人でできるって言い張らなくなっただけ、少しは話が早えな」

 

 シャンプーの口元が緩む。

 

「それを本人に言えば、また長くなるぞ」

 

「だから今言ってんだよ」

 

 二人は並んで歩いた。

 村の道には、仕事から戻る者と、夕食の支度に向かう者が混じっている。

 すれ違った女へシャンプーが会釈すると、乱馬も軽く手を上げた。

 

 少し先で道が分かれる。

 乱馬は宗家へ続く方へ足を向けてから、口を開いた。

 

「帰る前に言え、だってさ」

 

「ユエか」

 

「ああ」

 

 乱馬は、子どもたちが行った方を見る。

 もう三人の姿は見えなかった。

 

「昨日待ってたときも、仕事が終わったら来るって思ってたんだな」

 

「おまえが、終わっていたらと言ったからだ」

 

「だからって、あんなにきっちり待ってると思わなかったんだよ」

 

「今日も聞きに来た」

 

「今日は桶だろ」

 

「ついでに聞かれただろう」

 

「……まあな」

 

 乱馬が頭をかく。

 

「日が決まったら言うよ。待たれても困るし」

 

「そうすればいい」

 

 シャンプーは、それだけ答えた。

 いつ帰るのかとも、帰らないでほしいとも言わなかった。

 

 ユエたちが頼んだのは、村に残ることではない。

 いなくなる前に、知らせてほしいということだった。

 乱馬はそれに、自分で返事をした。

 

「おまえは、帳面返したら終わりか?」

 

 乱馬が話を変える。

 

「ああ」

 

「じゃあ俺も、終わったって言ってくる。明日のことも聞かなきゃならねえし」

 

「ムースが先に来ているかもしれないな」

 

「あいつ、工具片づけるのは早そうだからな」

 

 乱馬が少し笑う。

 宗家の戸口まで来ると、中からリンファの声がした。

 

「二人とも戻った? 手を洗ったら、そこの籠を厨房へお願い」

 

「どれ?」

 

「戸口の右側よ」

 

 乱馬が籠を持ち上げる。

 

「これか。空じゃん」

 

「これから盛りつけるものを入れるの」

 

「まだ何も入ってねえのに、うまそうな匂いだけすんの、腹減るな」

 

「食べるのは仕事の報告が終わってからよ」

 

「分かってるって」

 

 シャンプーは帳面を抱え直し、その後ろから宗家へ入った。

 


 

 ムースは、夕食の前に一度やって来た。

 小倉の戸の状態と、使う金具のことをコロンへ話し、乱馬を一度だけ見てから帰っていった。

 

 食事が終わったあと、乱馬も改めてコロンへ聞いた。

 

「ばあさん。明日、ムースの方へ行っていいのか?」

 

「朝にほかの仕事と合わせて決めるよ。手伝いが要ることは聞いた」

 

「なら、朝もう一回聞けばいいな」

 

「そうしな。決まったらムースにも伝えておくれ」

 

「分かった」

 

 乱馬は、そこから先を急がなかった。

 明日の仕事が決まる前に、行くとも行かないとも言えない。

 朝に聞けば分かることだった。

 

 玄馬はすでに離れへ戻っている。

 乱馬も外へ出ようとして、戸口でシャンプーと顔を合わせた。

 

「決まったのか?」

 

「朝、決めるって」

 

「では、ムースにはそのあとだな」

 

「ああ。分かったら言う」

 

 乱馬は一つ伸びをした。

 青灰色の袖口から、今日も働いた手が出る。

 明日の仕事が小倉の修理になるなら、また木屑がつくのだろう。

 

「じゃあ、俺も戻る」

 

「ああ」

 

「また明日な」

 

 シャンプーが顔を上げる。

 

「また明日」

 

 乱馬は離れへ向かった。

 帰るために書き写した道は、今も旅荷物の中にある。

 日本へ帰るつもりも、変えていない。

 

 ただ、明日の朝はコロンに聞くことがある。

 決まればムースへ知らせる。

 ユエたちに会えば、きっとまた稽古のことを聞かれる。

 

 離れの戸を開けると、玄馬はもう布団を広げていた。

 

「親父、こっちまではみ出してんぞ」

 

「早く寝た者の場所だ」

 

「俺の寝る場所まで取んなよ!」

 

 乱馬は玄馬の布団を押し戻し、自分の分を敷いた。

 

 日本の天道家には、まだ新しい知らせは届いていない。

 早雲たちは、乱馬が今どこにいるのか知らない。

 

 その乱馬には、明日の朝、また顔を合わせる者たちがいた。

 

 早乙女乱馬は、まだ日本へ帰っていない。

 女傑族の村で、暮らしていた。

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