シャンプーは、掟の外で乱馬を選ぶ―らんま1/2・女傑族の村残留IF― 作:エーアイ
女傑族の村へ連れてこられて、二日目の朝は、まだ終わっていなかった。
「待ちやがれ、ムース!」
「男乱馬との休戦は認めていない!」
「さっき同じ一人だって認めただろ!」
村の中央へ向かう屋根の上を、乱馬とムースが走っている。
ムースが広げた布が風をはらむ。
──男乱馬、婿候補反対。
裏側には、
──女乱馬、一時休戦。
そう書かれていた。
「その布を捨てろ!」
「これはおらの意思表示じゃ!」
「意味が分かんねえんだよ!」
乱馬が屋根を蹴った。
ムースの背中へ手を伸ばす。
その直前、二人の頭へ別々の拳が落ちた。
「ぐっ!」
「なっ!」
乱馬とムースが同時に屋根から落ちる。
石畳へ降りたシャンプーが、二人を見下ろしていた。
「朝の市場で暴れるな」
「先に逃げたのはこいつだ!」
「追ってきたのはきさまじゃ!」
「二人とも同じだ」
シャンプーは言い切った。
乱馬とムースが同時に反論しようとする。
その間へ、杖の先が差し込まれた。
「そこまでにしな」
コロンが杖の上に立っている。
いつからいたのか分からない。
周囲では、朝の仕事へ出ていた村人たちが、少し離れた場所から様子を見ていた。
「ひいばあちゃん」
「ちょうどよい。今日から先の話をしようと思っていたところだよ」
乱馬が眉をひそめる。
「今日から先?」
「昨日は、裁定が出るまで寝床を与えると決めただけさ」
コロンは乱馬を見る。
「一晩泊めた。その先をどうするかは、まだ決めていなかった」
「だったら俺たちは出ていっていいんだな」
「話を最後まで聞きな」
杖の先が乱馬の額を軽く叩く。
「死の接吻と求婚の接吻をどう扱うか。呪泉郷の呪いに治療法があるか。調べるには時間がかかる」
「どれくらいだ」
「まだ分からん」
「またそれかよ」
「だから、その間のお前たちの扱いを決める」
コロンは宗家の方角を杖で示した。
「寝床と食事は用意する。ただし、何もせずに食わせ続けるつもりはない」
「客人じゃなかったのか」
「客人でも、長くいれば生活の一部になる」
「勝手に長くするな」
「出ようとしたお前が、いま村の中にいるのはなぜだい」
乱馬は口を閉じた。
子どもを助けるために引き返した。
その後、呪いの手掛かりを聞くまでは戻ると自分で決めた。
シャンプーに捕まったわけではない。
「村にいる間は、村の仕事を手伝いな」
「断ったら?」
「食事は自分で用意する。寝床も明日からは自分で探すことだね」
「ほとんど脅しじゃねえか」
「条件だよ」
乱馬がシャンプーを見る。
「おまえと同じこと言いやがる」
「ひいばあちゃんに教わったわけではない」
シャンプーが答えた。
「それで、何をさせる気だ」
コロンはシャンプーへ向き直る。
「シャンプー。乱馬の監督は続ける。ただ見張るだけでは、互いのことは分からんだろう」
「はい」
「今日は一緒に働きな」
乱馬とシャンプーが同時にコロンを見る。
「一緒に?」
「朝食の後、北の斜面で薬草を採る。午後は修練場の石床を直す」
「多くねえか?」
「村の戦士なら一日で終える仕事だ」
「俺は村の戦士じゃねえ」
「シャンプーに二度勝った男が、仕事の量へ文句を言うのかい」
乱馬の眉が動く。
「やってやるよ」
「単純だねえ」
コロンは笑い、今度はムースを見る。
「ムース。交易隊の報告を済ませたら、午後の石床直しへ加わりな」
「なぜおらまで!」
「村へ戻り、村で食べるからさ」
「おらはシャンプーに会うために帰ってきた!」
「なら、会いながら働けばいい」
ムースは反論しようとした。
だが、シャンプーが何も言わずに見ているのに気づき、胸を張った。
「任せろ、シャンプー! おらがこの男の倍は働いてみせる!」
「仕事は速さを競うものではない」
「では三倍だ!」
「聞いていない」
シャンプーが歩き出す。
「朝食に戻る」
「おらも行くぞ!」
ムースがついていこうとする。
コロンの杖が襟へ引っかかった。
「お前は先に交易隊の荷を倉へ運びな」
「シャンプー!」
ムースの声を背中で聞きながら、シャンプーは宗家へ向かった。
乱馬も隣へ並ぶ。
「おまえ、本当に一日中俺を見る気か」
「監督を続けろと命じられた」
「また命令かよ」
「そうだ」
シャンプーは答えたあと、少しだけ考えた。
「だが、今日は逃げるかどうかだけを見るのではない」
「じゃあ、何を見るんだ」
「おまえが、どう働くかだ」
「品定めかよ」
「おまえも、私や村を見るのだろう」
乱馬は横目でシャンプーを見た。
「……まあな」
「なら、同じだ」
朝食は、朝の仕事を終えた者から順に取る。
宗家の長い卓には、粥、蒸した饅頭、漬物、焼いた肉が並んでいた。
乱馬は席へ着くなり、饅頭を三つ取った。
「二つまでだ」
シャンプーが言う。
「何でだよ」
「全員へ行き渡ってから、残りを取る」
「まだこんなにあるだろ」
「後から戻る者がいる」
乱馬は不満そうな顔をしながら、饅頭を一つ戻した。
隣では玄馬が、すでに五つ目へ手を伸ばしている。
シャンプーが箸で玄馬の手を叩いた。
「痛い!」
「二つまでだ」
「わしは客人だぞ」
「今日から村の仕事を手伝うことになった」
「聞いておらん!」
「いま伝えた」
玄馬の手が止まる。
「わしは旅の疲れが」
「家畜小屋の掃除」
「腰も痛む」
「仕事をしない者は、昼食なし」
玄馬は素早く立ち上がった。
「家畜小屋はどちらかな」
乱馬が粥をすすりながら笑う。
「最初からそう言えよ、親父」
「食事を条件にするとは卑怯だぞ」
「俺じゃねえだろ」
玄馬は饅頭を二つ懐へ入れようとした。
シャンプーの箸が、その手を止める。
「持ち出すな」
「働く前の栄養補給を」
「ここで食べろ」
玄馬は渋々座り直した。
乱馬は食べる速度が速い。
玄馬に取られる前に、自分の分を確保する癖がついているのだろう。
だが、周囲の皿を一度見てから箸を伸ばしている。
他の者の分まで奪うことはしない。
玄馬がシャンプーの皿から肉を取ろうとする。
乱馬の箸が途中で止めた。
「人のから取るな」
「共に食卓を囲む仲ではないか」
「昨日来たばっかだろ」
「一晩を同じ屋根の下で過ごせば家族同然だ」
「同じ屋根でもねえ。俺たちは離れだ」
乱馬は肉を奪い返し、シャンプーの皿へ戻した。
「ほら」
「おまえが食べてもよかった」
「おまえのだろ」
「私は後で取る」
シャンプーは配膳の残りを確認してから座ったため、自分の皿へ取った料理が少なかった。
それを不満に思ったことはない。
「残っていれば十分だ」
「残らなかったら?」
「食べない」
「何だそりゃ」
乱馬は自分の皿から、まだ手をつけていない饅頭を一つ取った。
シャンプーの前へ置く。
「二つまでなんだろ」
「これはおまえの分だ」
「俺はもう一つ食った」
「足りないのではないか」
「後で残ってたら取る」
乱馬は粥へ戻った。
シャンプーは目の前の饅頭を見る。
求婚の贈り物ではない。
好意を示すためでもない。
自分の食事が少ないことに気づいたから、置いただけ。
乱馬にとっては、それ以上の意味などないのだろう。
「いらないなら返せ」
乱馬が言う。
シャンプーは饅頭を取った。
「食べる」
「なら早く食え。親父が狙ってる」
玄馬の箸が伸びかけていた。
シャンプーは饅頭を口へ運ぶ。
玄馬の箸が空をつかんだ。
朝食の味は、いつもと同じだった。
それなのに、なぜか普段より少しだけ温かく感じた。
朝食後、乱馬とシャンプーは北の斜面へ向かった。
背中には薬草を入れる籠。
腰には小さな鎌。
コロンも杖の先に立ち、途中まで二人の前を進んでいる。
「薬草を採るのも仕事かよ」
「村で使う薬だ」
シャンプーが答える。
コロンは足元に生えた二種類の草を示した。
どちらも細長い葉と、薄紫色の茎を持っている。
「葉の裏に白い筋がある方は傷薬。ない方は腹を下す。根は残しな」
乱馬は二つの葉を裏返した。
「似すぎだろ」
「だから確かめる」
シャンプーは根元へ鎌を入れ、使う部分だけを切った。
乱馬も真似をする。
だが数本採ったところで、シャンプーが乱馬の籠から一本抜いた。
「毒草が混じっている」
「どこが違うんだよ」
「葉の裏を見ろ」
「見たぞ」
「筋が途中で切れている」
乱馬は舌打ちし、二つの草を並べる。
今度は白い筋だけでなく、茎の硬さと匂いまで確かめた。
「薬草を採り終えたら、二人で村へ戻りな」
コロンが言う。
「ばあさんは来ねえのか」
「長老たちと呪泉郷の記録を調べる」
「治す方法、ちゃんと探せよ」
「お前が毒草を持ち帰らなければ、こちらも進むだろうさ」
コロンは笑い、杖を弾ませて村へ戻っていった。
乱馬はしばらく草を採っていたが、やがて斜面の上へ視線を向けた。
「向こうにも生えてるんじゃねえか」
「いつもの採取場所ではない」
「でも、こっちより土が乾いてる。獣の足跡も避けて通ってる」
「何が言いたい」
「食わねえ草があるってことだよ」
乱馬は籠を置き、岩場を斜めに登った。
旅の途中で山へ入ることは多い。
水の集まる窪地。
陽の当たる斜面。
獣が口にする草と、避ける草。
名前は知らなくても、食べられるものと危険なものを見分けなければ、野宿はできない。
岩陰を越えた先に、同じ薬草がまとまって生えていた。
「ほらな」
シャンプーも登り、葉の裏を確認する。
「傷薬になる方だ」
「俺だって山のことを何も知らねえわけじゃねえ」
乱馬は得意そうに言った。
「名前は知らない」
「使えりゃいいだろ」
「毒草と混ぜれば使えない」
「それはもう覚えた」
シャンプーは群生地の端にしゃがんだ。
「全部は採らない。半分を残す」
「来年の分か」
「そうだ」
今度は乱馬も反論しなかった。
どこに生えるかを見つけるのは乱馬の方が早い。
どの草を、どの位置で切り、どれだけ残すかはシャンプーの方が知っている。
二人は別々の場所から採り始めた。
しばらくすると、乱馬の籠から毒草は一枚も見つからなくなった。
「もう間違えない」
シャンプーが言う。
「当たり前だ」
「最初は混ぜた」
「一回だけだろ」
「二本だ」
「細かいな」
乱馬は口では反発したが、次の草も葉の裏まで確かめてから切った。
昼には、斜面の平らな岩へ並んで座った。
持ってきた饅頭と干し肉を広げる。
乱馬は饅頭を二つ続けて食べ、三つ目へ手を伸ばした。
シャンプーの腹が小さく鳴った。
乱馬の手が止まる。
「食えよ」
干し肉を半分に割り、大きい方を差し出す。
「おまえの方が腹が減っている」
「帰りに遅くなられたら、籠まで持つことになる」
「私は遅くならない」
「じゃあ食って証明しろ」
シャンプーは少し迷い、干し肉を受け取った。
乱馬は村を見下ろす。
「おまえ、ずっとあそこに住んでんだな」
「ここが私の村だからな」
「出たいと思ったことはねえのか」
「交易や修行で外へ行くことはある」
「そうじゃなくて、戻らないって意味だよ」
シャンプーは少し考えた。
「ない」
「即答かよ」
「宗家の仕事がある。村にも、私がすることがある」
「全部、決められてんのか」
「決められていることもある」
「それでいいのか」
昨日なら、シャンプーはすぐに「当然だ」と答えていた。
だが、今日は少しだけ時間がかかった。
「いままでは、考えなかった」
「今は?」
「おまえが何度も聞くから、考えている」
「俺のせいかよ」
「おまえのせいだ」
乱馬は鼻を鳴らし、水筒へ手を伸ばした。
「俺は日本へ帰る」
「日本のどこへ」
乱馬は口を開き、少し遅れて答えた。
「親父が知ってる」
「おまえは知らないのか」
「帰りゃ分かる」
乱馬はそれ以上話したくないように村の方を見た。
シャンプーも追及しなかった。
帰ると言う乱馬自身が、帰る場所をはっきり説明できない。
それでも乱馬は、村へ残るとは言わない。
二人は同じ山を見下ろしながら、残った昼食を分けた。
村へ戻ると、午後の仕事が待っていた。
修練場の石床は、武術大会と前日の雨で何枚か割れている。
傷んだ石板を外し、新しい石をはめ込む。
コロンは乱馬、シャンプー、ムースの三人へ作業を割り当てた。
「なぜおらまで!」
ムースが叫ぶ。
「交易隊の報告は終わったのだろう」
「終わった。だからシャンプーと話を」
「なら、話しながら働きな」
ムースはシャンプーの隣を確保しようとした。
しかし、眼鏡がずれていたため、積まれていた石板の横へ立つ。
「シャンプー、今日は二人で力を合わせよう!」
石板は何も答えない。
乱馬が横目で見る。
「放っといていいのか」
「しばらくすれば気づく」
シャンプーは割れた石板の隙間へ金具を差し込む。
乱馬が反対側へしゃがんだ。
「一、二で持ち上げるぞ」
「三ではないのか」
「水甕のときも言ってたな、それ」
「村では三で合わせる」
「俺は二だ」
「なぜ」
「早く持てる」
「合わせる意味がない」
二人は互いに金具を握ったまま動かない。
コロンが杖で石板を叩いた。
「いつまで話している。三で持ちな」
乱馬が舌打ちする。
「一」
シャンプーが数える。
「二」
「三!」
二人で力を入れる。
石板が持ち上がった。
乱馬とシャンプーの力は近い。
どちらか一方へ傾くことなく、水平に上がる。
「向こうへ運ぶ」
「分かってる」
二人は歩調を合わせる。
右。
左。
シャンプーが半歩早い。
乱馬が石板を少し引く。
「合わせろ」
「おまえが遅い」
「二人で運ぶんだから、速い方が合わせんだよ」
「朝は私に速いと言った」
「朝の何の話だ」
「忘れた」
シャンプーは言ってから、自分で気づいた。
水甕を一緒に支えたのは、今朝だった。
それなのに、すでにずっと前のことのように感じている。
乱馬も同じことへ気づいたらしい。
「今日、長くねえか」
「まだ午後だ」
「朝から逃げ損ねて、子ども助けて、ムースに絡まれて、今度は石運びかよ」
「逃げたことを仕事に数えるな」
「おまえが追ってきたんだろ」
「話しながら運ぶな」
「おまえが始めたんだ!」
二人は言い争いながら石板を運ぶ。
それでも石は傾かない。
決めた場所へ下ろす。
「一、二、三」
今度は乱馬が数えた。
二人の手が同時に離れる。
石板が静かに地面へ置かれた。
「できんじゃねえか」
乱馬が言う。
「何が」
「俺の数え方」
「三まで数えた」
「そこじゃねえよ」
次の石板へ向かう。
今度はシャンプーが、乱馬の歩幅へ合わせた。
乱馬も速度を上げすぎない。
一枚。
二枚。
三枚。
同じ作業を繰り返すうち、言葉が減っていく。
持ち上げる前に互いの手元を見る。
片方が腰を落とせば、もう片方も合わせる。
曲がるときには、内側の者が歩幅を狭める。
置くときには、どちらからともなく三まで数える。
ムースはようやく石板がシャンプーではないと気づき、二人を追いかけてきた。
「シャンプー! その男と一緒に運ぶ必要はない!」
「仕事だ」
「おらが代わる!」
ムースは乱馬が持っていた側へ飛びついた。
三人の力が一度に石板へかかる。
均衡が崩れた。
石板がシャンプー側へ傾く。
「危ない!」
乱馬は手を離さず、石板の下へ肩を入れた。
重さを受け止める。
シャンプーも踏ん張る。
ムースだけが、自分の力で石板を傾けたことに気づいていない。
「シャンプー、おらに任せろ!」
「おまえは離せ!」
乱馬が叫ぶ。
「なぜ恋敵の命令を聞かなければならん!」
「このままじゃシャンプーの足に落ちるだろ!」
ムースの動きが止まる。
シャンプーの足元を見る。
ようやく状況を理解した。
慌てて手を離す。
今度は反対側へ重さが移った。
「急に離すな!」
乱馬の膝が沈む。
シャンプーが石板を押し返す。
二人で均衡を戻し、何とか地面へ下ろした。
大きな音。
土煙が上がる。
乱馬は右肩を押さえた。
「おまえ、手伝うなら周り見ろ!」
ムースが言い返す。
「きさまがシャンプーと息を合わせているからだ!」
「仕事してんだよ!」
「シャンプーと二人で石を運ぶなど!」
「なら、おまえも普通に運べ!」
「恋敵と共同作業などできるか!」
「じゃあ帰れ!」
ムースと乱馬が顔を突き合わせる。
シャンプーが二人の頭を同時に殴った。
「仕事をしろ!」
二人が地面へ沈む。
コロンは少し離れた場所で、その光景を見ていた。
「うまくやっているようだね」
「どこがだよ!」
乱馬が起き上がる。
「今朝よりはましさ」
「今朝は追いかけっこしてただけだろ」
「いまは同じものを運んでいる」
コロンは乱馬とシャンプーを見る。
「人間は、同じものを持てば、嫌でも相手の重さを知る」
「何だそりゃ」
「片方が急げば、もう片方が苦しくなる。片方が手を離せば、残った者が重さを受ける」
コロンの杖が、新しい石板を指す。
「戦いでは、自分が勝てばよい。仕事では、二人とも最後まで立っていなければ終わらん」
乱馬は石板を見る。
シャンプーを見る。
「こいつなら、手を離しても一人で持てるだろ」
「持てる」
シャンプーは答えた。
「だが、一人では遅い」
「だろ」
乱馬は金具を拾う。
シャンプーも反対側へ回る。
ムースが間へ入ろうとする。
「おまえは向こうの割れた石を集めろ」
シャンプーが命じた。
「なぜおらだけ!」
「一人でもできる仕事だ」
「乱馬と離れろ!」
「仕事が終わらない」
「おらと運べばいい!」
「おまえは途中で手を離す」
ムースは言葉を失った。
「今のは事故だ!」
「仕事で事故を起こす者とは組めない」
ムースは肩を落とし、割れた石を集めに向かった。
乱馬が小声で言う。
「けっこう厳しいな、おまえ」
「仕事だからだ」
「ムース、泣いてるぞ」
「石を見れば止まる」
実際、ムースは涙で視界を失い、石ではなくコロンを持ち上げようとして杖で殴られていた。
乱馬は笑った。
シャンプーも、ほんの少しだけ口元を緩めた。
二人は次の石板を持ち上げる。
今度は何も言わなくても、同時に足が動いた。
仕事が終わるころには、空が赤く染まっていた。
乱馬は修練場の端へ座り、右肩を回した。
ムースが石板へ飛びついたとき、重さを受けて痛めたらしい。
シャンプーが、採ってきた薬草をすり潰したものを差し出す。
「塗れ」
「これ、今日採ったやつか」
「傷薬だ。毒草ではない」
「混ぜたのは最初だけだろ」
「二本だ」
「まだ言うか」
乱馬は薬を受け取った。
左手で右肩へ塗ろうとする。
だが、届きにくい場所で手が止まった。
「貸せ」
シャンプーが薬を取る。
「自分でできる」
「届いていない」
「このくらい」
「動くな」
乱馬の後ろへ回り、肩へ薬を塗る。
乱馬の身体がわずかに固くなった。
「痛いか」
「別に」
「なら力を抜け」
「おまえが急に触るからだろ」
「薬を塗ると言った」
「そういう意味じゃねえ」
シャンプーには、何が違うのか分からなかった。
指で薬を広げる。
昼まで一緒に草を採った。
午後は同じ石を持った。
その結果できた傷へ、採ってきた薬を塗っている。
朝には、今日一日をこうして過ごすとは思っていなかった。
「終わった」
シャンプーが手を離す。
乱馬は肩を回した。
「少しましになった」
「今日は右肩を使うな」
「まだ、母屋へ戻す荷物があるだろ」
「今日のおまえの仕事は終わった」
「籠を運ぶくらいならできる」
「右肩は使うな」
「使わねえよ。左手がある」
シャンプーは少し考え、空になった薬草籠を渡した。
乱馬が左手で持つ。
「明日の仕事は、まだ決まっていない」
シャンプーが言った。
乱馬が意外そうに見る。
「今日だけか?」
「ひいばあちゃんは、今日の仕事しか決めていない」
「じゃあ明日は出てっていいのか」
「裁定が出るまでは村にいろ」
「勝手に決めんな」
「だから、明日のことは明日決める」
乱馬は少し黙った。
「おまえが?」
「ひいばあちゃんと話す」
「結局、ばあさんに聞くんじゃねえか」
「私も考えてから話す」
乱馬は鼻を鳴らした。
「昨日よりは、話が通じるな」
「何がだ」
「自分で考えるって言ってるところだよ」
シャンプーは返事をしなかった。
母屋の裏口には、夕食に使う野菜の籠が残っていた。
シャンプーが片側を持つ。
乱馬は薬草籠を置き、空いている左手で反対側を取った。
「一人で持てる」
「俺も食うんだろ」
「右肩は使うな」
「使ってねえよ」
二人は籠を持ち上げた。
朝、コロンから一緒に働けと命じられた。
けれどいま、乱馬へ籠を持てと命じた者はいない。
シャンプーも、手伝えとは言っていない。
それでも乱馬は、自分の側を持った。
二人は合図をしなかった。
同じ足から、同時に歩き始めた。