シャンプーは、掟の外で乱馬を選ぶ―らんま1/2・女傑族の村残留IF―   作:エーアイ

7 / 7
第7話 シャンプーは、乱馬と過ごした一日を思い返す

 修練場の片づけが終わるころには、空が赤く染まっていた。

 

 割れた石板は端へ積まれ、新しい石床には、まだ薄く土の跡が残っている。

 乱馬は右肩をかばいながら、空になった薬草籠を左手で持っていた。

 

 その隣で、シャンプーが夕食に使う野菜の籠を持ち上げる。

 

「一人で持てる」

 

「俺も食うんだろ」

 

「右肩は使うな」

 

「使ってねえよ」

 

 乱馬は空いている左手を籠の反対側へかけた。

 

 二人は合図をしなかった。

 それでも、同じ足から歩き始めた。

 

「シャンプー、夕食はおらと――」

 

 背後からムースの声がした。

 

 振り返ると、ムースが割れた石を抱えたまま立っている。

 眼鏡はずれ、髪には土がついていた。

 

「宗家で食事だ。おまえは自分の家へ戻れ」

 

「なら、おらも宗家で」

 

「おまえは宗家の者ではない」

 

 シャンプーは歩調を止めずに答えた。

 

「明日の朝、また会いに来る!」

 

「仕事があるなら来い」

 

「仕事がなくても来る!」

 

「来るな」

 

 ムースが胸を押さえた。

 それでも追いかけようとしたところで、コロンの杖が襟へ引っかかる。

 

「交易隊から持ち帰った荷の整理が残っているよ」

 

「それは明日でも」

 

「明日は大朝市だ。朝市へ出す品もある。今夜のうちに仕分けな」

 

「シャンプー!」

 

 ムースは何か言い返そうとしたが、杖に引かれたまま村の西側へ連れていかれた。

 

 その先には、ムースが暮らす母方の分家がある。

 交易隊の荷も、暗器を整えるための道具も、そこへ戻すことになっていた。

 

「大朝市?」

 

 乱馬が尋ねる。

 

「交易隊が戻った翌日に開かれる」

 

「毎日やってる朝市とは違うのか」

 

「普段より大きい。外から来た商人も店を出す」

 

「へえ」

 

 乱馬は興味があるのかないのか分からない声を出した。

 

「それより、毎日あれなのか」

 

 村の西側へ引かれていくムースを見ながら尋ねる。

 

「昔からだ」

 

「大変だな、おまえも」

 

「おまえに言われたくない」

 

「何でだよ」

 

 シャンプーは答えなかった。

 

 昨日までなら、乱馬の言葉をただ失礼だと思っただろう。

 いまは、その意味が少しだけ分かる。

 自分が嫌だと言っても、ムースは求婚をやめない。

 では、乱馬が嫌だと言っているのに、求婚の接吻を理由に夫になれと迫る自分は、どのように見えているのか。

 野菜籠がわずかに傾いた。

 

「おい」

 

 乱馬が左手へ力を入れる。

 

「考え事するなら、籠を落とすな」

 

「落としていない」

 

「俺の方に寄っただろ」

 

「おまえが遅いからだ」

 

「またそれかよ」

 

 二人は言い争いながら、宗家の門をくぐった。

 


 

 宗家の中庭では、夕食の支度と、翌日の大朝市の準備が始まっていた。

 竈小屋から煙が上がり、刻んだ野菜と香辛料の匂いが漂っている。

 リンファが大鍋の中をかき混ぜ、その近くで叔母や従姉妹たちが食器と食材を運んでいた。

 中庭の反対側には、空の木箱、敷物、値札に使う木札が並べられている。

 共同倉庫から運び出す品を記した帳面を、叔母の一人が確認していた。

 籠を持って入ってきた二人へ、リンファが顔を上げる。

 

「お帰りなさい」

 

「戻った」

 

 シャンプーが答える。

 

 乱馬も籠を下ろそうとしたが、右肩がわずかに動いた。

 顔が一瞬だけしかめられる。

 

「右肩は使うな」

 

 シャンプーがすぐに言った。

 

「使ってねえ」

 

「いま動かした」

 

「籠を下ろすくらいだ」

 

「私が下ろす」

 

「片側だけ急に離すなよ」

 

 二人は互いの手元を見た。

 

「一」

 

 乱馬が言う。

 

「二」

 

「三」

 

 同時に腰を落とす。

 野菜籠が静かに地面へ置かれた。

 リンファはその様子を何も言わずに見ていた。

 

「何だよ」

 

 乱馬が尋ねる。

 

「何でもないわ」

 

 リンファは穏やかに笑った。

 

「二人とも、朝より歩調が合っていると思っただけ」

 

「合ってない」

 

「合わせていない」

 

 乱馬とシャンプーが同時に否定する。

 リンファの笑みが少しだけ深くなった。

 

「そういうことにしておくわね」

 

 乱馬は納得のいかない顔をしたが、中庭に並ぶ木箱へ目を向けた。

 

「これ、明日の朝市に使うのか」

 

「ええ。交易隊が戻った翌日は、村の共同倉庫からも品を出すの」

 

 リンファが答える。

 

「外から持ち帰った塩、布、鉄を分ける代わりに、村の薬草や香辛料を売るのよ。周辺の谷や町からも商人が来るから、普段の朝市よりずっと大きくなるわ」

 

「昨日帰ってきて、明日には外の商人まで集まるのか」

 

「交易隊が戻る時期は、おおよそ決まっているの。同行してきた商人もいるし、近くの宿舎で待っていた人もいるわ」

 

「なるほどな」

 

 乱馬は帳面と木札を見る。

 木札には、読めない村の文字が並んでいた。

 

「何て書いてあるんだ」

 

「商品名と量と値段」

 

 シャンプーが答える。

 

「数字は読めるだろう」

 

「何の数字か分からなきゃ意味ねえよ」

 

「村の文字を覚えればよい」

 

「簡単に言うな」

 

 叔母の一人が笑った。

 

「朝市へ出るなら、読めた方が困らないよ」

 

「俺が出るなんて言ってねえぞ」

 

「誰も、おまえが出るとは言っていない」

 

 シャンプーが答える。

 

「なら、何で俺に言うんだよ」

 

「おまえが聞いたからだ」

 

 乱馬は口を尖らせた。

 

「何を運べばいい」

 

「今日の仕事は終わった」

 

 シャンプーが答える。

 

「籠だけ持ってきて、俺だけ待ってろってのかよ」

 

「肩を痛めている」

 

「左手は使える」

 

 乱馬は積まれていた食器へ手を伸ばす。

 シャンプーが右腕を押さえた。

 

「だから右肩を使うな」

 

「左手で持つって言ってんだろ」

 

 乱馬は左手だけで、食器を重ねた盆を持ち上げた。

 

「どこへ置く」

 

「母屋の広間よ」

 

 リンファが答える。

 

「でも、無理はしなくていいのよ」

 

「これくらい無理じゃねえ」

 

「では、落とすな」

 

 シャンプーが先に母屋へ向かう。

 乱馬も盆を左手へ載せたまま、その後を追った。

 

 母屋と竈小屋を何度か往復する。

 

 乱馬は食器を運び、卓を拭き、足りない椅子を並べた。

 片手でやりにくい作業へ右手を出そうとするたび、シャンプーが止める。

 

「それは私がやる」

 

「見張りながら全部やる気かよ」

 

「おまえが言うことを聞かないからだ」

 

「肩くらいで大げさなんだよ」

 

「痛めた場所を使えば、明日まで残る」

 

「明日も働かせる気か?」

 

「まだ決めていない」

 

「じゃあ、今日だけ気をつければいいだろ」

 

「治るまでは同じだ」

 

 乱馬は口を尖らせたが、右手を下ろした。

 そのころ、玄馬が竈小屋の入口から顔を出した。

 大鍋の横には、焼き上がった肉が並べられている。

 

 玄馬の手が伸びた。

 

 乱馬が盆を左手へ持ち替える。

 空いた足で、小石を蹴った。

 

 小石が玄馬の手の甲へ当たる。

 

「痛い!」

 

「つまみ食いすんな、親父」

 

「味見だ」

 

「さっきも同じこと言って追い出されただろ」

 

「今度は別の料理だ」

 

 リンファが玄馬の背後へ立った。

 

「夕食まで待ってくださいね」

 

 声は穏やかだった。

 だが、玄馬は肉から手を引いた。

 

「少し外の風に当たってこよう」

 

「そのまま広間で待ってろ」

 

 乱馬が言う。

 

「父親を信用しないのか」

 

「してねえから言ってんだよ」

 

 玄馬は不満そうに母屋へ向かった。

 シャンプーは、盆を持った乱馬を見る。

 

「玄馬の動きをよく見ている」

 

「旅してりゃ、食いもん盗まれないようにするのは当たり前だ」

 

「親子なのに?」

 

「親子だからだよ」

 

 乱馬はそう答え、残りの食器を運んだ。

 


 

 夕食が始まるころには、宗家の母屋にも灯りが入っていた。

 長い卓には、煮込んだ肉と野菜、蒸した饅頭、山菜の和え物、香辛料を利かせた汁物が並んでいる。

 

 昨日と同じ卓だった。

 だが、乱馬を見る宗家の者たちの目は、昨日とは少し違っていた。

 男にも女にもなる外来者を見るだけの視線ではない。

 

「薬草は採れたのかい」

 

 叔母の一人が尋ねた。

 

「採れた。途中でまとまって生えてる場所も見つけたぞ」

 

 乱馬は少し得意そうに答えた。

 

「最初に毒草を混ぜた」

 

 シャンプーが横から言う。

 

「二本だけだろ!」

 

「二本混ぜた」

 

「その後は間違えなかった!」

 

「それは認める」

 

 乱馬がシャンプーを見る。

 

「なら最初からそう言えよ」

 

「最初に間違えたことも事実だ」

 

 叔母たちの間から笑い声が上がった。

 

「初めてで二本なら悪くないよ」

 

「シャンプーは最初、何本間違えたんだい」

 

「間違えていない」

 

 シャンプーは即座に答えた。

 

「子どものころから覚えている」

 

「それと比べんなよ」

 

 乱馬は饅頭へ手を伸ばした。

 しかし、すぐには取らない。

 卓の上と、まだ席へ着いていない者の数を一度確認する。

 

「もう全員分あるわよ」

 

 リンファが言った。

 

「なら三つ取っていいか」

 

「最初は二つまで」

 

 シャンプーが答える。

 

「昨日と同じかよ」

 

「全員が取ってからだ」

 

 乱馬は二つだけ皿へ載せた。

 その様子を、近くにいた従姉妹が見ている。

 

「昨日より聞き分けがよくなったね」

 

「納得しただけだ」

 

「何が違うんだい」

 

「命令されたからじゃねえ。後から来る奴の分がなくなるって分かったからだ」

 

 乱馬は饅頭を口へ入れた。

 シャンプーの箸が止まる。

 

 乱馬は、納得できなければ従わない。

 だが、意味を理解すれば自分で守る。

 

 薬草の見分け方も。

 石板を運ぶ歩幅も。

 食事の順番も。

 同じだった。

 

「石床はどうなった」

 

 別の叔母が尋ねる。

 

「直した」

 

 シャンプーが答える。

 

「乱馬と二人で運んだ」

 

「ムースもいたぞ」

 

 乱馬が言う。

 

「途中で石板を傾けた」

 

「それで肩を痛めたのかい」

 

「大したことねえよ」

 

「薬を塗った」

 

 シャンプーが答える。

 宗家の者たちの目が、今度はシャンプーへ向いた。

 

「何だ」

 

「何でもないよ」

 

 叔母たちは食事へ戻る。

 乱馬は不思議そうに周囲を見回したが、すぐに料理へ意識を戻した。

 玄馬が乱馬の皿へ箸を伸ばす。

 乱馬の箸がその途中で止める。

 

「自分のを食え」

 

「肩を痛めた息子へ代わり、父が栄養を」

 

「減らしてどうすんだ!」

 

 親子の箸がぶつかり合う。

 宗家の者たちは、もう作業の手を止めて乱馬を見ることはなかった。

 ただ、いつもの夕食に少し騒がしい親子が加わったように笑っている。

 シャンプーは、そのことへ気づいた。

 乱馬も気づいているのかもしれない。

 だが、何も言わなかった。

 


 

 夕食後、シャンプーは湯桶と薬草の入った小さな器を持ち、離れの裏にある洗い場へ向かった。

 乱馬はすでに着替えを持って待っている。

 

「湯はそこへ置け」

 

「肩の薬が落ちる。長く浸すな」

 

「分かってる」

 

「強くこするな」

 

「分かったって」

 

「湯桶を持つときは左手を使え」

 

「おまえ、細かすぎんだよ」

 

「今日、何度も右肩を使おうとした」

 

「使えるからだ」

 

「使えることと、使ってよいことは違う」

 

 乱馬は湯桶を左手で持ち上げた。

 

「これでいいだろ」

 

「こぼすな」

 

「子どもじゃねえ!」

 

 洗い場へ入り、乱馬が戸を閉める。

 シャンプーは入口の外へ座った。

 手には、塗り直すための薬が残っている。

 中から衣服を脱ぐ音が聞こえる。

 

「まだいるのか」

 

「湯浴みが終わったら、薬を塗り直す」

 

「自分でやる」

 

「右肩の後ろへ届かなかった」

 

「今日は届くかもしれねえだろ」

 

「昨日から腕が伸びたのか」

 

「伸びてねえよ!」

 

 乱馬の声と一緒に、湯を使う音がする。

 少しして、乱馬が小さく息を吐いた。

 

「今日は散々だったな」

 

「朝、逃げようとしたからだ」

 

「それだけじゃねえだろ。子ども助けて、ムースに絡まれて、薬草採って、石運んで」

 

「毒草を二本混ぜた」

 

「まだ言うのかよ」

 

「事実だ」

 

「おまえ、そういうとこ面倒だな」

 

 戸の向こうで、乱馬が笑ったような気配がした。

 昨日と同じ言葉だった。

 だが、昨日ほど腹は立たなかった。

 

「村の仕事って、いつもあんな感じなのか」

 

「毎日同じではない。水運び、薬草、家畜、畑、修練場、交易の荷。必要なものを、必要な者がする」

 

「おまえも全部やるのか」

 

「できることはする」

 

「武術だけやってるわけじゃねえんだな」

 

「村で暮らしているからな」

 

 しばらく湯の音だけが続いた。

 

「何だ」

 

 シャンプーが尋ねる。

 

「別に」

 

「何か言おうとした」

 

「おまえ、朝からずっと動いてたなと思っただけだ」

 

「いつものことだ」

 

「俺を見張りながらだろ」

 

「命じられた」

 

「それだけか?」

 

 シャンプーは答えられなかった。

 

 朝、乱馬が逃げると読んで路地へ回ったのは、自分で決めた。

 水甕を支えたのも。

 薬草を採る順番を決めたのも。

 肩の薬を用意したのも。

 

 すべてをコロンから細かく命じられたわけではない。

 

「全部ではない」

 

 シャンプーは答えた。

 

「自分で決めたこともある」

 

 戸の向こうが少し静かになる。

 

「そうかよ」

 

 乱馬はそれだけ言った。

 やがて、洗い場の戸が少し開く。

 

「終わったぞ」

 

「全部着たのか」

 

「着てるに決まってんだろ!」

 

「昨日は戸を開けたら、まだ途中だった」

 

「あれは台が壊れたからだ!」

 

 乱馬は顔を赤くして戸を開けた。

 髪からまだ湯気が上がっている。

 上着は羽織っているが、右肩をかばうため、腕を通しきれていなかった。

 

「座れ」

 

「命令すんな」

 

「薬を塗れない」

 

 乱馬はぶつぶつ言いながら石壁の前へ座った。

 シャンプーは上着を少しずらし、右肩へ薬を塗る。

 

「冷てえ」

 

「薬だからな」

 

「昼に採ったやつか」

 

「そうだ」

 

「まあ、暇よりはましだった」

 

 シャンプーの指が止まる。

 

「何が」

 

「今日だよ」

 

 乱馬は前を向いたまま答えた。

 

「仕事ばっかだったけど、何もせずに見張られてるよりはましだった」

 

「明日も仕事をするとは決まっていない」

 

「分かってるよ」

 

「村に残るとも決めていない」

 

「それも分かってる」

 

 乱馬は少しだけ振り返ろうとした。

 

「動くな」

 

「へいへい」

 

 シャンプーは薬を塗り終える。

 

「終わった」

 

「ありがとよ」

 

 乱馬は立ち上がった。

 礼を言われるとは思っていなかった。

 シャンプーが何も答えずにいると、乱馬は不思議そうに見る。

 

「何だよ」

 

「何でもない」

 

「変な奴だな」

 

「おまえに言われたくない」

 

 乱馬は離れへ戻っていった。

 


 

 離れでは、玄馬がすでに寝台へ横になっていた。

 大きないびきが部屋へ響いている。

 枕元には、どこから持ち出したのか、饅頭の包みが一つ置かれていた。

 

「結局持ってきてんじゃねえか」

 

 乱馬は包みを取り上げ、机の上へ移した。

 右肩を回す。

 薬を塗る前より、痛みは軽くなっている。

 昼に採った草だった。

 

 シャンプーは葉の筋を見分け、必要な分だけ切り、根を残した。

 石床を運ぶときは歩幅を合わせ、肩を痛めれば薬を作り、湯が必要なら運んできた。

 

 村の掟へ従っているだけの女だと思っていた。

 だが、今日一日を見ていると、それだけではない。

 自分で考え、手を動かし、必要なことを先にしている。

 

「面倒な奴だけどな」

 

 乱馬は小さく言い、寝台へ腰を下ろした。

 その言葉が、昨日と少し違う意味になっていることには気づかなかった。

 


 

 シャンプーが母屋へ戻ると、夕食の片づけと、大朝市へ出す品の仕分けが続いていた。

 リンファが最後の食器を棚へ戻し、その隣で叔母たちが薬草と香辛料を別々の箱へ詰めている。

 

「乱馬の肩はどうだった?」

 

「明日には動かせる」

 

「そう」

 

 リンファはそれ以上尋ねなかった。

 中庭の端では、共同倉庫から運び出す品を書いた帳面と、空の値札が並んでいる。

 シャンプーも自分の部屋へ戻ろうとする。

 

「シャンプー」

 

 中庭からコロンに呼ばれた。

 杖の上に立ち、朝市の荷を見下ろしている。

 

「ひいばあちゃん」

 

「今日一日、乱馬と働いてみてどうだった」

 

「仕事は覚えます」

 

「それだけかい」

 

「薬草は最初に二本間違えました。でも、途中からは間違えませんでした。石を運ぶときも、最初は歩幅が合いませんでしたが、最後は合いました」

 

 コロンが小さく笑う。

 

「よく見ていたようだね」

 

「監督ですから」

 

 コロンは、中庭へ積まれた木箱へ目を向けた。

 

「明日は大朝市だ。乱馬をどうするつもりだい」

 

 シャンプーはすぐには答えなかった。

 コロンが決めるのを待てばよい。

 昨日までなら、そうしていた。

 しかし今朝、コロンは言った。

 

 ただ見張るだけでは、互いのことは分からない。

 

 今日一日、乱馬と働いた。

 だが、村の中で乱馬が見たものは、まだ宗家と修練場と山の斜面だけだった。

 

「大朝市へ連れていくのはどうでしょうか」

 

 シャンプーが言った。

 コロンの目が細くなる。

 

「理由は?」

 

「交易隊が戻ったので、村の者だけでなく、外から来た商人も店を出します。乱馬は共通語を話せますが、村の文字や市場の言葉は読めません」

 

「それを教えるのかい」

 

「村にいる間、何も知らないままでは困ります。それに」

 

「それに?」

 

 シャンプーは少し考えた。

 

「乱馬が、村の外へ帰ると言うなら、村の中に何があるかを見てからでも遅くないと思います」

 

 コロンは、しばらくシャンプーを見ていた。

 

「それは誰の考えだい」

 

「私です」

 

 シャンプーは答えた。

 

「ひいばあちゃんが命じるから連れていくのではありません。私が、連れていった方がよいと思いました」

 

 コロンが喉を鳴らして笑う。

 

「なら、そうしな」

 

「いいのですか」

 

「お前が決めたのだろう」

 

 シャンプーは少しだけ目を見開いた。

 

「はい」

 

「明日の朝、乱馬にはお前から伝えな。まだ本人は、自分が大朝市へ出るとは知らないからね」

 

「分かりました」

 

「ただし、大朝市では目を離すんじゃないよ。乱馬は値段も読めずに、売り物へ勝手に手を出しかねん」

 

「そこまで馬鹿ではありません」

 

「どうだかね」

 

 コロンは杖を弾ませ、品の仕分けをしている叔母たちの方へ戻っていった。

 

 シャンプーも自分の部屋へ入る。

 寝台へ腰を下ろす。

 

 朝には、乱馬が日暮れまで村にいるとは思っていなかった。

 乱馬自身も、そう思っていなかったはずだ。

 

 逃げようとした男は、子どもを助けて引き返した。

 薬草を採り、石を運び、食事の支度を手伝い、宗家の離れへ戻っていった。

 

 明日もいるとは言っていない。

 夫になるとも言っていない。

 それでも今日一日、乱馬はシャンプーの隣にいた。

 

 その事実を思い返したとき、シャンプーの中に浮かんだのは、死の接吻でも、求婚の接吻でもなかった。

 三まで数えて、同時に持ち上げた石板の重さだった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。