シャンプーは、掟の外で乱馬を選ぶ―らんま1/2・女傑族の村残留IF― 作:エーアイ
離れの戸を叩く音で、乱馬は目を覚ました。
一度。
二度。
三度目が鳴る前に、寝台から身体を起こす。
「起きてるよ」
窓の外は、まだ青白い。
女傑族の村で迎える二度目の朝だった。
隣の寝台では、玄馬が毛布を頭までかぶっている。
乱馬が上着を羽織って戸を開けると、外にはシャンプーが立っていた。
背中に大きな籠を負い、両手には空の木箱を抱えている。
朝稽古の錘は持っていなかった。
「肩はどうだ」
「もう平気だ」
乱馬は右肩を回す。
わずかに張る感覚は残っている。
だが、石板を支えた直後ほどではない。
シャンプーは乱馬の動きを見た。
「痛いなら言え」
「痛くねえって」
「昨日も同じことを言った」
「細かい奴だな」
「今日は大朝市だ。着替えろ」
乱馬は、昨夜宗家の中庭に並べられていた木箱と木札を思い出した。
「昨日言ってたやつか」
「そうだ」
「それで、俺も行くのか」
「連れていく」
乱馬がシャンプーを見る。
「ばあさんに命じられたのか」
「違う。私が連れていくと決めた」
乱馬は、昨夜シャンプーがコロンへ提案したことまでは知らない。
「へえ」
「何だ」
「昨日より、また少しましになったと思っただけだ」
「何がだ」
「何でもねえよ」
乱馬は離れの中へ戻った。
着替えながら、寝台の玄馬へ声をかける。
「親父も大朝市の手伝いだろ。起きろ」
「わしは昨日の労働で全身が」
「家畜小屋を途中で抜けただけじゃねえか」
「精神的にはよく働いた」
毛布の中から答えが返る。
戸口のシャンプーが言った。
「玄馬には別の仕事がある」
「何だ」
「食べ物の見張り」
乱馬は動きを止めた。
「それ、絶対に任せちゃ駄目な奴だろ」
「玄馬が食べないよう、二人つける」
「親父が見張るんじゃなくて、親父を見張るのかよ」
毛布が勢いよくめくれた。
「わしを何だと思っている!」
「食い意地の張った親父」
「信用のない客人」
乱馬とシャンプーが続けて答えた。
「二人ともひどくないか?」
玄馬の抗議を残し、乱馬は着替えを終えた。
離れを出ると、リンファが小さな包みを二つ持って待っていた。
「朝食の前に準備へ出るのでしょう。これを持っていって」
包みの中には、蒸した饅頭が一つずつ入っている。
乱馬はすぐに受け取った。
「助かる」
「広場で全部食べてしまわないようにね」
「一つしかねえだろ」
「売り物の話よ」
リンファが笑う。
乱馬は昨日の玄馬と同じように扱われた気がして、少し不満そうな顔をした。
村の中央へ向かう道には、すでに多くの人が出ていた。
荷車を押す者。
布を抱える者。
鶏を入れた籠を運ぶ者。
交易隊の荷から塩や鉄を分け、広場へ運ぶ者。
普段の朝とは違う。
「昨夜も準備してたのに、まだ運ぶのか」
乱馬が木箱を抱えながら言った。
「昨夜は品を分けただけだ。広場へ出すのは今朝になる」
「ずいぶん人が多いな」
「交易隊が戻った翌日は、大朝市が開かれる」
「毎日じゃねえのか」
「普段も小さな売買はある。野菜や肉を売る店は出る」
シャンプーは前を歩きながら答える。
「だが、交易隊が戻ったあとは、村の外から持ち帰った塩、布、鉄、道具をまとめて売る。村から外へ出す薬草や香辛料も、この日に大きく動く」
「外の商人も来るんだろ」
「交易隊と一緒に来た者がいる。帰る時期を知って、周辺の谷や町から先に村へ入り、待っていた者もいる」
「昨日戻ったのに、今日いきなり集まったわけじゃねえのか」
「交易隊が戻る日は、おおよそ決まっている」
村の外門近くには、見慣れない荷車が何台も並んでいた。
外から来た商人たちは昨夜、外来者用の宿舎や荷置き場で休み、日の出前から店を組んでいるらしい。
「ムースも、その交易隊の護衛だったんだよな」
「そうだ」
「朝から来てねえな」
「自分の分家で、交易品を仕分けている。仕事がなければ宗家へ来るなと言った」
「素直に聞いたのか」
「ひいばあちゃんが見ている」
「そりゃ来られねえな」
乱馬は饅頭をかじる。
シャンプーも自分の分を食べながら歩いた。
広場へ近づくにつれ、人の声と家畜の鳴き声が大きくなる。
石造りの家に囲まれた中央広場へ入ると、乱馬は足を止めた。
いつもは修練や集会に使われる広い場所へ、何十もの店が並んでいる。
石畳へ敷物を広げた小さな店。
木製の台を組んだ店。
大きな天幕を張り、外から運んできた布や金属製品を並べる商人。
野菜。
肉。
乾物。
薬草。
布。
靴。
農具。
武器の部品。
山羊や鶏まで、柵の中へ入れられている。
「でかいな」
「今日は大朝市だからな」
「全部、村の店か」
「違う。村の家が出す店。周辺の集落から来た店。外の商人の店がある」
シャンプーは広場の一角へ向かった。
宗家の印がついた石台がある。
その前へ布を敷き、運んできた箱を開けた。
乾燥させた薬草。
干した山菜。
布袋に詰めた香辛料。
共同倉庫から出した保存食。
「宗家が商売するのか」
「これは宗家だけの品ではない」
シャンプーが答える。
「村の共同倉庫で預かったものを売る。代金は塩、鉄、布、薬を買うために使う」
「村の金ってことか」
「そうだ」
台の端には、何枚もの木札が置かれている。
商品名と量は女傑族の文字。
その隣には、乱馬にも分かる数字が書かれていた。
乱馬は一枚を取る。
上下を逆にする。
横へ向ける。
「何て書いてある」
「薬草一束、十二文」
「こっちは」
「三束で三十文」
「三つなら三十六だろ」
「まとめて買う者には少し安くする」
「じゃあ全員三つ買うだろ」
「一束しか必要ない者もいる」
「最初から一束十文にすればいい」
「それでは共同倉庫に利益が残らない」
「面倒だな」
乱馬は別の札を見る。
「数字は読めるのに、何の値段か分からねえ」
「だから勝手に売るな」
「俺を何のために連れてきたんだよ」
「荷物を運ぶ。品を渡す。外の商人が不正をしないか見る」
「最後だけ武術家らしいな」
「殴るな」
「不正した奴でも?」
「先に私へ言え」
シャンプーは秤を置く場所を確かめる。
だが、台の下にも木箱の中にも見当たらない。
「向こうの塩商から秤を借りてくる」
「俺が行く」
「店が分かるのか」
「青い天幕の下だろ」
乱馬は広場を見る。
青い天幕が四つあった。
「どれだよ」
「白い塩袋が積んである店だ」
白い袋を積んだ店も二つある。
「案内しろ」
「店を空けられない」
「じゃあ、俺がここにいる」
シャンプーは少し考えた。
「客が来ても、勝手に値段を決めるな」
「札に書いてあるだろ」
「村の者は、金だけで払うとは限らない」
「物と交換するのか」
「それもある。村の仕事をした分を帳面から引くこともある」
「帳面?」
「説明は戻ってからする」
「最初から全部説明しろよ」
「いまは準備だ」
シャンプーは広場の反対側へ向かった。
乱馬は一人、台の後ろへ残された。
並んだ商品を見る。
香辛料の匂い。
薬草の苦い匂い。
干し肉の匂い。
朝の饅頭一つでは足りなかった。
乱馬の腹が鳴る。
干し肉へ手を伸ばしかけ、途中で止めた。
「売り物だったな」
誰へともなく言う。
広場の端では、玄馬が饅頭の籠を背負っていた。
両側には女傑族の女が一人ずつついている。
玄馬が右手を伸ばす。
右側の女がつかむ。
左手を伸ばす。
左側の女がつかむ。
玄馬は何事もなかったように両手を下ろした。
「見事な監視だな」
乱馬が感心していると、店の前から声がした。
「この山菜を二つ、もらえるかい」
腰の曲がった老婆が立っている。
小さな布袋を手に持ち、乾燥山菜の袋を指していた。
「安い方を二つ」
乱馬は木札を見る。
数字は八。
二つなら十六文だ。
「十六文だな」
袋を二つ取る。
老婆は布袋から硬貨を出した。
十文しかない。
「足りねえぞ」
「今日は、これだけしか持っていないんだ」
「なら一つにしとけ」
「孫が二人いてね。次の大朝市まで持たせたいんだよ」
「次に払うってのは?」
「そのつもりだったけれど、宗家の帳面を確認してもらわないとね」
乱馬には意味が分からない。
「帳面に何か書いてあるのか」
「去年、息子が共同倉庫の屋根を直したんだよ」
「屋根を直すと、山菜が買えるのか」
「村では、そういうこともある」
老婆が困ったように笑う。
「なら持ってけよ。シャンプーが戻ったら聞けばいい」
乱馬が二袋を差し出そうとした。
「待て」
戻ってきたシャンプーが、その手を止める。
左手には秤。
右手には厚い帳面を持っていた。
「誰へ、何を渡す」
「このばあさんに山菜を二つ。十文もらって、残りは帳面だ」
シャンプーは老婆を見る。
「孫たちの具合は?」
「上の子は熱が下がったよ。下の子は、まだ少し咳が出る」
「なら、小袋を二つよりこちらがよい」
シャンプーは山菜の小袋を戻す。
代わりに、保存の利く大袋を一つ取った。
さらに薬草を少量、紙へ包む。
「山菜が十五文。薬が三文。合わせて十八文」
「十文しかないよ」
「十文受け取る。残り八文は、共同倉庫の修繕分から引く」
シャンプーは帳面を開いた。
家ごとに違う印が並び、その横へ数字と短い記録が書かれている。
「まだ残りがある。次の市で払う必要はない」
「助かるよ」
老婆は深く頭を下げ、品を抱えて帰っていった。
乱馬は帳面を覗き込む。
「値段を安くしたんじゃねえのか」
「値段は変えていない」
「十文しか取ってねえだろ」
「残りは、以前の仕事で払われている」
「屋根を直した分か」
「共同倉庫は村全体で使う。直した者へ、村が返す」
乱馬は老婆の背中を見る。
「金がなくても、仕事した分で買えるのか」
「何でもではない。帳面に残っている分だけだ」
「面倒だけど、ずるくはねえな」
「最初からそう言っている」
「そこまでは言ってねえだろ」
シャンプーは帳面を閉じ、秤を台へ置いた。
「大朝市が始まる。今度こそ勝手に売るな」
「もう一人くらいならできる」
「できていない」
「ちゃんと十八文って分かっただろ」
「私が計算した」
「数字くらい読める!」
「商品名は読めない」
乱馬は言葉に詰まった。
その横で、市の開始を知らせる銅鑼が鳴る。
広場の入口から、新しい客と荷車が次々に入ってきた。
女傑族の村の大朝市が、本格的に始まった。