帆羽くれあヤンデレ概念 作:あわわぜ
桜町駅から徒歩9分。この辺じゃ一番良いマンションの、最上階の一室。俺──蓮堂ロイの自宅はそこにある。
まあ正味、価格はかなり高い。が、こりゃある意味での経費である。
元はと言えば数ヶ月前、くれあが記憶を失ったことで、一度はロンドンに一人で帰国した俺。しかしまふる所長の指示で、引き続き日本に滞在することとなった。
しかし、るるかは既に日本の探偵事務所を離れてしまったし、俺が一人で暮らすには、あそこはあまりにも広すぎた。
……それに、あの場所で一人暮らしをしていると、五人で暮らしていた頃を思い出す。それが何よりキツかった。
ということで、俺は新たに家を買って貰ったのだ。なんてこった。まふるちゃん太っ腹。
そして、それだけじゃない。俺が生活に困らない──どころではなく、むしろ過剰なレベルの軍資金まで頂いてしまった。
曰く、
──あたしの助手をやってくれてた時代の給料……のボーナス分だよ。好きに使いな。
だそう。
やはりまふるちゃん太っ腹。
俺が働きもせず毎日パティスリーに通えていたのもそのためだ。
……なんてこともあり、豪遊なんてほどでもないが、ある程度裕福な生活を送れていた俺である。リビングや台所なんかね、もうすごく綺麗だよね。数ヶ月経ってもいまだに慣れないよね。
「わあ、すごい。高級ホテルみたいだわ!」
マンションを見てぽかんと……せず、最上階まで登って再びぽかんと……せず、部屋に足を踏み入れてやっと……今度はぽかんとしたくれあが、感動の声を上げた。なんか自宅を見てこんな反応してくれるのってすごく嬉しいね。でもなんでマンションの大きさや最上階の部屋には驚かなかったのかな。……あ、そういやこの子、俺んちの住所特定してんだった。こえーな。
「ロイくんって、本当にお金持ちなのね……」
「うーん。まあ俺が金持ちっていうより、そうだな……上司、はおかしな関係だな。えっと、あー、保護者…親、そう! ロンドンに住んでる親みたいな人が随分お金を持ってて、俺が日本で一人暮らしできるようにしてくれてるんだ」
「ロンドン……! ロイくんの親御さんはロンドンに住んでいらっしゃるの!?」
「おう。探偵をやってるんだぞ」
「探偵さん!? すごいすごい! シャーロックホームズ!? ポワロ!?」
「……うーん、まあそんなところです」
くれあはもう、なんかテンション爆上がりである。本能かしらん。元名探偵(助手)の血が騒いでるのかしらん。記憶を失ってなおこの関心とは、なんとも殊勝である。
「あんなちゃんやみくるちゃんと同じね!」
ええ、あんなちゃんとみくるちゃんと同じです。なんなら事務所も同じです。日本支部かロンドン支部かってだけの違いです。
「まあ、そういうことだから。とりあえずソファにでも座っててよ。すぐにお茶を淹れるから。お菓子もね。今日は俺がご馳走する側さ」
「ええ、ありがとうね、ロイくん。あ、ところで、これなんだけど……どこに置けばいいかしら」
俺が促すと、くれあは首肯した。しかし思い出したように、自身の手元の〝それ〟を、指差した。〝それ〟だ。
桜町駅まで迎えに行ったとき、改札を抜けてきた彼女が当然のように持っていたもの。こちらが目を逸らせば、特に言及もなくずーっと持っていたもの。終ぞ言及しなければ、リビングまで入ってきて初めて、やっとあちらの方から言及してきたもの。
──スーツケース。
「あの、くれあさん」
「うん、なにかな」
ほわほわ〜。にこにこ〜。「なにかおかしなことでも?」とでも言いたげに、大切そうに抱えている。
「ずっと思ってたんだけど、なんですかね、それは」
「スーツケースよ」
「うん、見ればわかるよ。俺が聞きたいのは──」
と、言いかけて、俺は口を
彼女はその小さなスーツケースを、両手で可愛らしく抱えながら、例によって人の脳を焼くタイプの実に危険な上目遣いを、それはもう蠱惑的に携えていらっしゃった。首を僅かにこてんと傾げる。紅潮した頬と、適度に
──あ、ダメだこれ。今日も今日とてダメだ。これは「ロイくんを悩殺するポーズ」だ。禁止のやつだ。これされたら俺は絶対断れなくって──
「ダメ、かな……?」
「構いませんよ泊まりですねもう最高ですはい是非ともこちらから大歓迎したいくらいですよくれあさんとお泊まり会ができるなんて、もうねもう最高ですよ」
あ…? どうせこの間まで事務所で一つ屋根の下だったって? トクベツ感なんて今更だって……?
うるさいっ! どう見たってトクベツだろ! 同棲とお泊まりは別物だろ! 一人暮らしの我が家に好きな女の子が泊まってくれるってシチュエーションがもう最高だろ! どうしようもなく胸が高鳴るレベルのトクベツだろ! これはもう! コンテンツだろ!!
「ってことで、その荷物はそこの、テレビの横に置いといてよ」
「うん、そうさせてもらうわね」
くれあは嬉しそうに頷いて、指示通り荷物を置き、ソファーへと向かっていった。
俺は台所へと向かってお湯を沸かす。その間に買い置きのマドレーヌやビスケットを用意し、イギリスの王道紅茶──イングリッシュ・ブレックファストを棚から取り出す。ミルクにも合う優れものだ。一応は英国人(?)たるもの、結局王道が一番である。
茶を淹れて、お菓子を皿に乗せ、ティーポットとカップを持ってリビングに戻る。
しかし、くれあはどことなく浮き足だった様子で、あっちを見たりこっちを見たりだった。ときどきシュシュに向かって独り言喋ってたり。……うーん、お泊まりだから緊張しているのだろうか。
まあ、今日は最高のおもてなしで、ゆっくり寛いでもらおうじゃないか。
⚡︎──⚡︎
力押しでお泊まりの許可をもらえた。今日はとうとう、上目遣いとかを意識的にやってしまった。もうご立派に「おねだり」だった。
昔はこんなじゃなかったのに、いつの間にやら、好きな男性に媚びるという行為を一丁前に習得していた自分が怖い。
さて、そんなこともあったのだけれど、早速今夜、私は彼と〝既成事実〟を作ろうと思う。
「……〜〜っ!」
自分で想像して悶えた。滑稽ね。これじゃあ押し倒すのすら無理かなぁ。
でも、仕方ないの。私だってもう、日々気持ちを抑えるので精一杯なんだから。ロイくんのことが好きで好きで好きで、もう大好き超大好きで結婚したくてなんなら監禁……はしないけど? しないわよ? ……でもでも、とにかく大大大大好きで仕方ないんだ。
とはいえ、いまだに交際にすら至らない現状。いえ、それを甘んじて受け入れているのは私自身なのだけれど、それはそうと、やっぱり愛し合いたいじゃない。
なにせ、今の私とロイくんは、実に歪な関係性にあると言える。
まず今言った通り交際はしていない。私は彼に告白して、しっかりと振られている。まあ逆に言えば、彼は確実に、私の気持ちを知っていることになる。
でもそれなのに、彼もまた、私への好意は隠そうともしない。
私を振ったのに、彼は私のアプローチに笑顔で応じてくれる。私のことを助けてくれる。私のために動いてくれる。……別に勘違いじゃないわ。しっかり彼の口から「好き」の言葉も確認しているのだから。
でもでもそれなのに、やっぱり、交際には至らない。
ほんとに意味がわからないわ!
「うぅ、そ、それにっ、こんなにいいお部屋に住んでるなら、もっと早く招待してくれてもよかったのに……!」
もとより、住所は知っていた。彼が良いマンションに住んでいること、最上階に住んでいることも知っていた。でも内装がここまで豪華だなんて思わなかった。普通にすごい。
もっと早く招待して欲しかったなぁ。彼と交際できたらここで同棲したいとも思う。ガラス張りの大きな窓から、まことみらい市の夜景を二人で眺めて──
……あ、えっと、前者三つをどうして知っていたかは伏せるわね。別に後をつけて特定した……とかじゃないから。ないったらないんだから!
閑話休題。
さて、それはそうと交際の話だ。私はロイくんが好き。ロイくんも私が好き。でも付き合うのは〝まだ〟ダメなんだと言う。
それを語る彼の、すごく真剣でかっこいい表情を見ると、もう何だって許せる……じゃなくて、ええと、……そこに〝なにか重要な事情〟があるのは分かるんだ。
重要な、事情。
──重要な事情があるんだから、その内容を無理に聞かなくてもいい?
否。重要だからこそ、聞く必要がある。
──彼を信頼してるなら、盲目的にあらゆる秘密を許すべき?
否。そんなの信者と大して変わりはない。……確かに信者も悪くはないけれど、少なくとも今の私は、彼との対等な交際を望んでいるはずだ。
──両思いが確定しているなら、未だに交際が叶わない現状を、理由も聞かずに許容すればいい?
否。そんなわけがない。交際どころじゃなくて、こっちは早く結婚して子供だって欲しいくらいなのよ。
だから「重要な事情」は、こんな現状を看過する理由には決してなり得ない。
「……そう、なり得ないのよ」
うん、自分自身でもおかしいと思うの。こんなのさっさと問い詰めればいい。こんなのらりくらりな男はダメ。こっちがこれだけ好意を示しているんだから、彼を問いただす権利だってあるはずだ。
「だけど、それをできない自分がいる。ええ、私には無理」
どうしても、できないの。彼の心の扉をノックすることはできても、自分から開けることができない。たとえ
なぜ、できないのか。
それもわからない。
私のきらめきが言っている……といえば聞こえはいいのかしら。私はすぐ
そんな葛藤をしているうちに、やっぱり私は、私のきらめきを信じることにした。今は問い詰めない。どんな秘密があっても、問い詰めない。ひたすた待ち続ける。
待ち続けると、決めた。交際も結婚もその先も、まだ我慢する。
だからこそ、既成事実なの。
既成事実。既成事実よ。妊娠じゃなくて、身体を重ねたという証拠。それでいい。この胸から溢れそうな愛の、正統なる受け皿だ。
単なる気分とかじゃなくて、自己満足でもなくて。私の身体は、そして心は、彼との既成事実を何よりも渇望している。恋人へと至る確約みたいなもの。「責任とってよね」というやつだ。
ロイくんがやけに気を遣ってる私のシュシュを、ぎゅって握ってたら、なんかそういう気分になった。「あ、既成事実を作ろう」って。不思議よね。
「でも、いざやろうとすると、無理よね。緊張が、その……」
半ばお守りみたいになってるシュシュを握る。私はできる。私はできる。私はできる。私は──あ、できる気がしてきたわね。……できる。
「……せ、せめて、キス……いえ、ハグ……んーん、手を繋ぐ。うん、そう。手を繋ぐところまではやりましょう!」
ええ、やっぱり最初は手を繋ぐくらいから始めるのがいいでしょう。
「うんうん。やっぱりいきなり本番は良くないよね。だから今日は手だけでいい……わよね?──った! 痛いっ!」
ばちっと、突然シュシュに静電気が発生した。
「──〜〜っ! 痛いわよ! なんてことするの!」
と、なんでかわからないけど、思わずシュシュに文句を言ってしまった。ホントになにしてるんだろ、私。
なんて自己嫌悪とやるせなさに苛まれる私。しかし、そこで予想外なことが起きた。
「っ、……ぇ」
再びぱちっと、今度は痛くもない小さな静電気が発生したのだ。まるで応答でもするように。……え、なにそれ怖い。怖い怖い怖い。怖いのだけれど。
……え、このシュシュ、もしかして意思でもある? 呪物、とか……? ロイくんが「洗濯するな、絶対」とか言ってたし、やっぱり曰く付きなんじゃあ……
でも今はそんなことどうでもいい!
「う、うぅ……だってぇ! 初めてのお泊まりで押し倒したりしたら、また彼に〝重い女〟って思われるじゃない……!」
呪物疑惑のあるシュシュ──呪いのシュシュに訴えかけでもするように、そんな独り言を漏らす。
昨日、彼に「重い女」と言われて何気に傷ついた。表面上は余裕綽々と振る舞ったものの、彼はその「重さ」を肯定してくれたものの、傷つくものは傷つくのだ。
でも、事実ではある。認めざるを得ない。
「……そうよ、その通りよ。私は重い女だよ。ホントはお部屋に閉じ込めて二人だけでずっと一緒に暮らしたいとか思ってるし。恋人だろうが友達だろうが、ロイくんが他の女の子と話してたら嫌だし。彼にキスしたるるかさんは絶対に許したくないし。あんなちゃんやみくるちゃんのことも、出来ればロイくんには近づけたくないし。あの子達がさりげなくロイくんの妹ポジションに収まりつつある現状も、ホントはすごく不満だし。彼の親御さんにも早くご挨拶したいし。子供は三人欲しいし。新婚旅行はヨークシャー、マンチェスター、ロンドンって回った後に、出来ればイタリアにも行ってヴェネツィアでゴンドラに乗って、あとアマルフィ海岸でレモンアイス食べさせ合いっこして、なんならギリシャのサントリーニ島で一緒に朝日を見たりもしたいし、それで──っ、痛い! 痛いよ! ホントに痛い! やっぱりあなた曰く付きでしょ!! 最後まで言わせてよ!」
またもや静電気で遮られた。そうですか。私はそんなに重いですか。うるさいですか。途中で夢語りを中断されなきゃいけないくらいうるさいですか。
「……」
心なしか呪いのシュシュは、それを肯定しているように思えた。なんだか頭にくる。
「洗濯、するよ……?」
「……」
「うん、それでいいの。わかったならいいのよ」
まったく、私ってば難儀な女。どうしてこんなに重くなっちゃうのかしら。……体重は重くないのに。
「……ふぅ。まあ、やれるだけやってみましょうかね。ロイくんは……なにがあっても私のなんだから」
呪いのシュシュで髪を結んで、私は一応、覚悟(?)を決めた。
私の答え、示しましょう!