翌朝。
カゲマルが目を覚ました時、最初に感じたのは肩の痛みだった。
「……いってぇ。」
布団の中で身体を起こそうとして、右肩に鈍い痛みが走る。
昨夜、ミズキの風魔手裏剣が掠めた場所だ。
幸い傷は浅かった。
医療班からも、数日安静にしていれば問題ないと言われている。
それでも、身体のあちこちに残る痛みまでは消えてくれない。
中忍との戦闘。
ほんの僅かな時間だった。
勝とうとすらしていなかった。
ただ時間を稼いだだけ。
それでも。
(……これか。)
カゲマルは自分の手を見る。
実戦。
アカデミーで行ってきた模擬戦とは、何もかもが違った。
相手の攻撃には、本気で自分を傷つける意思があった。
一度判断を間違えれば死ぬ。
昨日、自分は初めてその世界へ足を踏み入れた。
怖くなかったと言えば嘘になる。
いや。
正直に言えば――。
(めちゃくちゃ怖かったな。)
今になって、指先が僅かに震えた。
戦っている最中は考える余裕などなかった。
イルカを守る。
ナルトが術を覚えるまで時間を稼ぐ。
それだけに集中していたから動けただけだ。
終わってしまえば、自分がどれだけ危険なことをしていたのか嫌でも分かる。
「兄貴。」
声に顔を上げる。
襖にもたれかかるようにして、シカマルが立っていた。
「起きてたのか。」
「今起きた。」
シカマルは部屋へ入ってくると、兄の肩へ巻かれた包帯を見る。
眉間に皺が寄った。
「……馬鹿だろ。」
「朝一番にそれ?」
「父ちゃんから家にいろって言われてた奴が、一人で中忍相手に時間稼ぎして怪我して帰ってきたんだぞ。」
「反論できない。」
「だろ。」
シカマルは大きくため息を吐き、そのまま隣へ腰を下ろす。
少しの沈黙。
「でも。」
シカマルは前を向いたまま言った。
「無事でよかった。」
小さな声だった。
カゲマルは一瞬だけ目を丸くする。
「心配してくれた?」
「してねぇ。」
「今、無事でよかったって。」
「うるせぇ。」
シカマルは露骨に顔を背ける。
その耳が僅かに赤い。
カゲマルは笑った。
「ありがとな。」
「……めんどくせぇ兄貴。」
そう言いながらも、シカマルは部屋を出ていかなかった。
しばらく二人で黙って座っていた。
双子だからといって、すべてを言葉にする必要はない。
そんな時間だった。
────────
朝食の席。
予想通り。
ヨシノの雷が落ちた。
「カゲマル!!」
「はい。」
「返事だけはいいわね!」
目の前で仁王立ちする母に、カゲマルは正座していた。
昨夜。
負傷した息子が忍たちに付き添われて帰宅。
その時点でヨシノの顔は引き攣っていた。
シカクから事情を聞いた後も怒りは収まらず、怪我人だからという理由だけで説教が翌朝に延期されていたのだ。
「下忍になったばかりで何してるの!」
「まだ正式には班も決まってないけど。」
「そこじゃない!」
「はい…」
台所の隅で、シカマルが味噌汁を飲みながら目を逸らしている。
助ける気はないらしい。
「いい!? 忍者になったからって、命を粗末にしていいわけじゃないんだからね!」
ヨシノの声が少し震える。
そのことに気付き、カゲマルから笑みが消えた。
怒っているだけではない。
怖かったのだ。
息子が帰ってこない可能性を。
それを理解した瞬間、胸の奥が痛んだ。
「……ごめんなさい。」
今度は、真面目に頭を下げる。
ヨシノはしばらく黙っていた。
やがて、大きく息を吐く。
「分かればいいのよ。」
そして、カゲマルの頭を軽く叩いた。
「でも。」
ヨシノの手が、そのまま髪を撫でる。
「無事で帰ってきてくれて、よかった。」
「……うん。」
その光景を、シカクは新聞越しに眺めていた。
新聞を畳む。
「カゲマル。」
「はい。」
「昨日の判断については、あとで話す。」
その声はいつも通りだった。
だからこそ怖い。
カゲマルの頬が引き攣る。
「……それ、怒ってる?」
「どうだろうな。」
「父さん。」
「飯食え。」
シカマルが横でぼそりと呟く。
「兄貴、終わったな。」
「他人事みたいに。」
「実際、他人事だし。」
「忍具袋渡した共犯者だろ。」
シカマルの箸が止まった。
「……それは黙っとけ。」
「母さーん。」
「兄貴!」
「嘘嘘。」
久しぶりに、奈良家の朝にいつもの空気が戻った。
────────
その日の午後。
カゲマルとシカマルはアカデミーへ向かっていた。
額には、木ノ葉の印が刻まれた額当て。
昨日までなら、それを身につけるだけで少し気恥ずかしかったかもしれない。
だが今は、不思議な重みを感じる。
「似合ってる?」
カゲマルが尋ねる。
「普通。」
「弟なんだから、もうちょっと褒めろよ。」
「めんどくせぇ。」
シカマルは額当てを首に巻いていた。
いかにも本人らしい。
道を歩く途中、何人かの里人がこちらを見る。
その視線は昨日までとは少し違っていた。
アカデミーの生徒ではない。
木ノ葉の忍。
まだ最下級とはいえ、正式な忍者になったのだ。
ふと。
前方から聞き慣れた大声が響いた。
「カゲマルー! シカマルー!」
振り向く必要もなかった。
金髪の少年が全速力でこちらへ走ってくる。
「見ろってばよ!」
ナルトは二人の前で勢いよく止まり、自分の額を指差した。
そこには。
イルカから譲り受けた額当てがあった。
「へへっ!」
これでもかというほど誇らしげな笑顔。
カゲマルも自然と頬を緩める。
「似合ってるじゃん。」
「だろ!?」
「昨日から何回見せてんだよ。」
シカマルが呆れたように言う。
「いいだろ! やっと手に入れたんだぞ!」
ナルトは額当てを撫でる。
本当に大切な宝物を扱うように。
昨日まで。
他の生徒たちが持っている額当てを、ナルトは遠くから眺めていた。
それを今、自分自身が身につけている。
その意味を考えれば、このはしゃぎようも当然だった。
「イルカ先生は?」
カゲマルが尋ねる。
「病院だってばよ!」
「お前は?」
「もう平気!」
表情はこれまで見たことがないほど晴れやかだ。
「そういえば。」
ナルトがカゲマルの肩を見る。
「怪我、大丈夫なのか?」
「このくらいなら。」
「……。」
ナルトの顔が曇る。
「昨日さ。」
珍しく、小さな声だった。
「俺のために戦ってくれたんだろ?」
「違うよ。」
カゲマルは即答した。
「え?」
「俺が守りたかったから動いただけ。」
ナルトが瞬きをする。
カゲマルは肩をすくめた。
「それに、最後にミズキを倒したのはお前だろ。」
「……まあな!」
一瞬で胸を張る。
立ち直りが早い。
「俺の影分身、すげぇだろ!」
「すごかった。」
「だろ!?」
「調子に乗るなよ。」
シカマルが横から釘を刺す。
「なんだよシカマル!」
二人が言い合い始める。
その横で、カゲマルは自分の足元へ視線を落とした。
陽射しを受けて伸びる影。
昨日。
確かに動いた。
自分の意識とは無関係に。
いや。
(無関係……なのか?)
あの瞬間。
自分は強く願っていた。
守りたい。
まだ倒れるわけにはいかない。
その感情に、影が応えたように見えた。
幼い頃から何度かあった現象。
感情が強く揺れた時だけ、影が不自然な動きを見せる。
(陰遁……。)
父も以前、自分の影を見て何かを感じ取っていた。
だが。
まだ答えは出ない。
考え込んでいると、シカマルに肩を小突かれた。
「兄貴。」
「ん?」
「置いてくぞ。」
いつの間にか二人は先へ進んでいた。
「ああ。」
カゲマルは足元から目を離す。
今はまだいい。
焦る必要はない。
自分は、ようやく下忍になったばかりなのだから。
────────
教室へ入る。
そこには、すでに見慣れた顔が揃っていた。
キバは赤丸を頭に乗せながら何かを自慢している。
チョウジは菓子を食べている。
ヒナタは静かに席へ座り。
サクラとイノは相変わらずサスケの近くで火花を散らしていた。
そしてサスケは。
騒がしい教室の中、一人窓際で頬杖をついている。
カゲマルとシカマルが入った瞬間。
その黒い瞳がこちらへ向いた。
一瞬だけ。
カゲマルの肩の包帯へ視線が落ちる。
「……怪我したのか。」
珍しく、サスケの方から声を掛けてきた。
「ちょっとね。」
「何があった。」
「色々。」
カゲマルが笑って誤魔化す。
サスケは少しだけ眉を寄せた。
だが、それ以上は聞いてこなかった。
「そうか。」
それだけ言って視線を窓の外へ戻す。
けれど。
ほんの一瞬だけ。
その目に何かが宿ったのを、カゲマルは見逃さなかった。
興味。
あるいは。
競争心。
(……負けず嫌いだな。)
思わず笑いそうになる。
やがて。
ガラッ。
教室の扉が開いた。
イルカが入ってくる。
肩には包帯が巻かれていた。
「イルカ先生!」
真っ先にナルトが立ち上がる。
「もう大丈夫なのかってばよ!?」
「お前がそれを言うのか。」
イルカは苦笑した。
その視線が、一瞬だけカゲマルへ向く。
二人とも怪我人。
視線が合い、何となく苦笑し合った。
イルカは教壇へ立つ。
そして。
かつて自分が教えていた生徒たちを見渡した。
全員の額や腕、首。
それぞれの場所に、木ノ葉の額当てがある。
教師として。
これ以上に嬉しい光景はないのだろう。
イルカの表情が柔らかくなる。
「改めて。」
教室が静かになる。
「卒業、おめでとう。」
誰も騒がなかった。
それぞれが、その言葉を噛み締めている。
「今日からお前たちは、アカデミーの生徒じゃない。」
イルカの声が教室へ響く。
「木ノ葉隠れの里に所属する、一人の忍だ。」
カゲマルは額当てへ触れる。
「ただし。」
イルカが少しだけ意地の悪い笑みを浮かべた。
「下忍になったからといって、すぐ好き勝手に任務へ行けるわけじゃない。」
教室がざわつく。
ナルトが真っ先に手を挙げる。
「じゃあ何すんだってばよ!」
「これからお前たちは三人一組の班に分かれる。」
その瞬間。
教室の空気が変わった。
「三人一組?」
「誰と?」
「サスケ君と一緒がいい!」
「私も!」
「おいおい……。」
一気に騒がしくなる。
カゲマルの隣で、シカマルが深いため息をついた。
「始まった。」
「だね。」
三人一組。
担当上忍。
第七班。
第八班。
第十班。
知っている名前が、次々と頭に浮かぶ。
そして。
カゲマルは静かに目を細めた。
原作には存在しなかった、自分。
奈良カゲマル。
自分がここにいる以上。
人数も。
班の構成も。
担当する上忍も。
同じままであるはずがない。
(ここからだ。)
これまでの未来は、まだ大きく変わってはいなかった。
けれど。
ここから先。
自分の存在そのものが、未来へ影響を与え始める。
イルカが名簿を手に取った。
「静かにしろ。」
ざわめきが少しずつ収まっていく。
「それじゃあ――」
イルカの指が、名簿の一番上へ触れる。
カゲマルは無意識に息を止めた。
「これから、班分けを発表する。」
忍としての最初の仲間。
そして。
最初の師。
新しい物語が、始まろうとしていた。
班分けについて。カゲマルがどの班にするか迷ってます。皆さんの意見をお聞かせください
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