カゲマルの影が、地面を這う。
真っ直ぐではない。
草木が作り出す影へ紛れながら、蛇のように軌道を変え、ゲンマの足元を目指す。
「影真似か」
ゲンマが小さく呟いた。
その瞬間。
「右!」
スズの声が飛ぶ。
ゲンマが動くより一瞬早く、レンが地面を蹴った。
「おらぁ!」
右側から一気に距離を詰める。
拳を振りかぶる――。
と見せかけて。
直前で身体を沈めた。
「今度は同じじゃねぇぞ!」
低い姿勢からの足払い。
ゲンマが跳ぶ。
そこへ。
カゲマルの影が伸びた。
(空中なら――)
回避できる方向は限られる。
影がゲンマの着地点へ迫る。
だが。
ゲンマは空中で身体を捻った。
一本のクナイが手から放たれる。
狙いはカゲマル――ではない。
地面。
カゲマルの影が進む、その途中だった。
クナイが地面へ突き刺さる。
影に物理的な障害が意味を持つわけではない。
当然、そのまま進む。
だが。
カゲマルの意識が、一瞬だけクナイへ向いた。
ほんの僅かな迷い。
それだけで十分だった。
ゲンマは着地と同時に横へ跳ぶ。
影が空を切った。
「くっ……!」
「術だけ見れば悪くない」
ゲンマの声が聞こえる。
「でも、お前自身が素直すぎる」
カゲマルの眉が動いた。
(今ので……)
わざとクナイを投げた。
攻撃するためではない。
注意を逸らすためだけに。
(これが実戦経験か)
知識では分かっている。
忍の戦いは術の強さだけでは決まらない。
駆け引き。
視線。
呼吸。
癖。
そして、相手が何を考えているのか。
そのすべてを利用する。
「カゲマル!」
レンの声で思考を切る。
ゲンマが動いていた。
今度は――。
自分から。
「散れ!」
カゲマルの声と同時に三人が別方向へ跳ぶ。
次の瞬間。
ゲンマが先ほどまで三人がいた場所へ着地した。
「うおっ……!」
レンの表情が引き締まる。
今までとは違う。
ほんの少しだけ。
ゲンマの速度が上がっていた。
「スズ!」
カゲマルが叫ぶ。
返事がない。
だが。
スズはすでに目を閉じていた。
視覚を捨てる。
代わりに。
音を拾う。
草を踏む音。
衣服が擦れる音。
枝が揺れる音。
レンの荒い呼吸。
カゲマルの足音。
そして――。
(先生は……)
小さい。
驚くほど小さい。
だが。
消えてはいない。
スズの耳が僅かに動く。
左。
違う。
これはレン。
右後方。
枝が揺れた。
違う。
風。
なら――。
スズの表情が変わる。
「カゲマル!」
「何!?」
「後ろ!」
振り向くより先に、カゲマルは前へ飛んだ。
直後。
頭上を何かが通過する。
千本。
一本の細い針が、先ほどまでカゲマルの頭があった場所を抜けていった。
「……!」
地面へ着地し、カゲマルが振り返る。
ゲンマは木の枝に立っていた。
口元には――。
すでに次の千本。
(口から飛ばしたのか)
カゲマルは背筋に冷たいものを感じる。
知ってはいた。
不知火ゲンマが千本を武器として使うことを。
しかし。
実際に向けられると、まるで違う。
予備動作がほとんどない。
視線を見ていなければ、いつ撃ったのかすら分からない。
「今のは良かった」
ゲンマがスズを見る。
「見えてなかっただろ」
「はい」
「どうやって分かった」
スズは木の上のゲンマを睨む。
「先生が飛ぶ前……枝が沈みました」
「音で?」
「はい」
ゲンマの目が僅かに細くなる。
「なるほど」
資料に書かれていた以上だ。
まだ技術として洗練されてはいない。
だが。
磨けば使える。
十分に。
「でも」
ゲンマが言った。
「俺を見つけただけじゃ勝てないぞ」
「分かってます」
スズは即答する。
その瞬間。
「じゃあ俺が行く!」
レンが木を蹴った。
「待て、レン!」
カゲマルの制止より早い。
レンは幹を駆け上がり、そのままゲンマへ飛びかかった。
「うおおお!」
拳。
ゲンマがかわす。
二撃目。
蹴り。
受け流される。
それでもレンは止まらない。
枝の上という不安定な場所にもかかわらず、身体を巧みに使って攻撃を繋げていく。
右。
左。
蹴り。
肘。
ゲンマが僅かに目を細める。
(体捌きは悪くない)
忍一族の出ではない。
秘伝もない。
特別な術もない。
それでも。
身体の使い方を知っている。
何度も何度も繰り返して身につけた動き。
それを見て。
ほんの一瞬。
ゲンマの脳裏に、緑色の服を着た同期の姿が浮かんだ。
――青春だぁぁぁ!!
「……」
ゲンマの口元が僅かに引き攣る。
(いや)
(あいつとは違うな)
少なくとも、まだ暑苦しくはない。
その時。
レンの拳が頬を掠める。
ゲンマの意識が現実へ戻った。
「おっと」
「もらった!」
レンが笑う。
だが。
次の瞬間。
ゲンマの手がレンの手首を掴んだ。
「え?」
身体が宙を舞う。
「うわぁぁぁ!?」
レンは木の枝から放り投げられた。
「レン!」
カゲマルが走る。
だが。
その必要はなかった。
空中でレンが身体を捻る。
枝を一本掴み。
勢いを殺し。
そのまま地面へ着地した。
「っぶねぇ!」
スズが呆れた顔をする。
「だから勝手に行かないで」
「でも今、当たりそうだっただろ!」
「当たってない」
「掠った!」
「当たってない」
「厳しくない!?」
「事実」
「二人とも!」
カゲマルの声で、二人が止まる。
ゲンマが木から降りてきていた。
「話してる暇あるのか?」
三人の表情が変わる。
ゲンマが地面へ着地する。
「残り十五分」
カゲマルは息を整えた。
半分。
まだ忍具袋へ触れることすらできていない。
(どうする)
ゲンマは強い。
当然だ。
真正面から挑んでも勝てない。
影真似も警戒されている。
レン一人では捕まえられない。
スズは位置を把握できても、そこから攻撃へ繋げる手段がない。
(……違う)
カゲマルは思考を止める。
今。
自分は何を考えた?
影真似では捕まえられない。
レンでは攻撃が当たらない。
スズには攻撃手段がない。
全部。
一人ずつ考えていた。
カゲマルは二人を見る。
「……そっか」
レンが首を傾げる。
「何が?」
カゲマルは小さく笑った。
「俺たち、まだ三人で戦ってない」
「は?」
「さっきから俺が指示して、レンが攻撃して、スズが探してる」
「それの何が悪いの?」
スズが尋ねる。
「役割分担としては正しい」
「でも」
カゲマルはゲンマを見る。
「全部、順番なんだ」
スズが考える。
そして。
理解した。
「……同時にやる?」
カゲマルが笑う。
「そう」
レンだけが首を傾げている。
「どういうこと?」
「レン」
「おう」
「今度は好きに動いて」
「さっきもそうだっただろ?」
「違う」
カゲマルは首を振る。
「俺に合わせなくていい」
「俺がレンに合わせる」
レンの表情が変わった。
「スズも」
「分かった」
まだ何も説明していない。
それでもスズは頷いた。
カゲマルは少し驚く。
「作戦聞かなくていいの?」
「たぶん分かったから」
スズはゲンマを見たまま答える。
「レンを囮にするんでしょ」
「言い方」
レンが抗議する。
「大体合ってる」
「カゲマル!?」
小さな笑い。
そして。
三人の表情が変わった。
ゲンマは黙って見ている。
(さて)
(どう来る)
レンが地面を蹴った。
今度も。
真正面。
「またか」
ゲンマが身体を僅かに傾ける。
レンの拳をかわす。
だが。
二撃目。
三撃目。
レンは考えない。
カゲマルの位置も見ない。
ただ。
自分が一番得意なことをする。
前へ。
さらに前へ。
ゲンマへ食らいつく。
「右!」
突然。
スズの声。
レンが考えるより早く右へ身体を傾ける。
千本が頬の横を通過した。
「下!」
しゃがむ。
ゲンマの蹴りが頭上を抜ける。
「左!」
レンが踏み込む。
拳がゲンマへ迫る。
かわされる。
当然。
だが。
それでいい。
レンの動きによって。
ゲンマの位置が変わる。
一歩。
二歩。
三歩。
そのすべてを。
スズが拾っている。
「カゲマル!」
「分かってる!」
カゲマルは動かない。
影だけを伸ばす。
レンを追う必要はない。
ゲンマを見る必要すらない。
スズの声を聞けばいい。
「右、二歩!」
影が曲がる。
「前!」
伸びる。
「左!」
さらに変える。
ゲンマが気付く。
(なるほど)
自分を追っているのはカゲマルではない。
スズだ。
そして。
スズが拾った情報をもとに、影が死角から迫ってくる。
同時に。
目の前ではレンが攻撃し続けている。
一人なら簡単に対処できる。
二人でも問題ない。
だが。
三つの役割が重なった瞬間。
ほんの少しだけ。
面倒になる。
ゲンマが後方へ跳ぶ。
「スズ!」
カゲマルが叫ぶ。
「三歩後ろ!」
影が伸びる。
だが。
ゲンマはそれも読んでいた。
着地と同時に横へ――。
「先生!」
レンの声。
ゲンマがそちらを見る。
レンは。
攻撃していなかった。
いつの間にか。
地面へ伏せている。
その身体の下。
レン自身の影へ紛れるように。
黒い線が伸びていた。
ゲンマの目が僅かに見開かれる。
(こいつ)
最初から。
レンを隠れ蓑にしていた。
影がゲンマの足元へ届く。
「影真似の術!」
カゲマルが印を結ぶ。
一瞬。
ゲンマの身体が止まった。
「取った!」
レンが跳ね起きる。
一直線に忍具袋へ手を伸ばす。
指先が。
袋へ――。
届く。
その直前。
カゲマルの額に汗が浮かんだ。
「っ……!」
ゲンマの腕が動いた。
僅かに。
ほんの僅かに。
力ずくで影真似へ抵抗している。
(嘘だろ……!)
チャクラ量。
身体能力。
術者としての力量。
すべてが違う。
完全には抑え込めない。
レンの指が忍具袋へ触れる寸前。
ゲンマの手が。
レンの額へ届いた。
トン。
指一本。
軽く押す。
「え?」
バランスを崩したレンが、そのまま前へ転がった。
同時に。
ゲンマが影から抜ける。
カゲマルは膝をついた。
「はぁ……はぁ……」
スズも目を見開いている。
「今の……抜けられるの?」
「実力差がありすぎる」
カゲマルが苦笑する。
「完全には止められなかった」
「くっそぉぉ!」
地面に転がったレンが叫ぶ。
「あとちょっとだったのに!」
「そうだな」
ゲンマが答えた。
三人が顔を上げる。
ゲンマは忍具袋へ手を伸ばす。
そして。
中から何かを取り出した。
三つの小さな鈴。
チリン。
澄んだ音が演習場へ響く。
「触った」
レンが瞬きをする。
「え?」
「最後」
ゲンマは自分の忍具袋を見る。
「お前の指、袋には触れてたぞ」
レンが固まる。
「……ってことは」
「最初に言っただろ」
ゲンマは三つの鈴を投げる。
カゲマル。
レン。
スズ。
それぞれが受け取る。
「取れ、じゃない」
一拍。
「俺からこれを取れ、だったな」
レンが鈴を見る。
「いや、取れてないですよね?」
「細かいな」
「細かくない!」
スズが鈴を指先で揺らす。
チリン。
その音を聞いて。
ほんの少しだけ笑った。
カゲマルも自分の鈴を見る。
「先生」
「なんだ」
「最初から取らせる気、ありました?」
ゲンマは答えない。
口元の千本を僅かに動かす。
「さあな」
その反応で十分だった。
ゲンマは三人の前へ立つ。
「今日見たかったのは強さじゃない」
三人が聞く。
「下忍になったばかりのお前らが弱いのは当たり前だ」
レンが少し不満そうな顔をする。
「大事なのは」
ゲンマの声から、僅かに軽さが消えた。
「自分に何ができて、何ができないか」
レンを見る。
「朝倉」
「はい」
「お前は速い。身体も動く。度胸もある」
レンの顔が明るくなる。
「ただし」
「はい……」
「考える前に突っ込むな」
「……はい」
次に。
「水無瀬」
「はい」
「耳はいい。俺が思ってた以上にな」
スズが僅かに目を見開く。
「でも、聞いた情報をどう使うかが遅い」
「……はい」
「見つけるだけじゃ仲間は守れない」
スズは静かに頷いた。
そして。
最後。
「奈良」
「はい」
ゲンマは少しだけ長くカゲマルを見る。
「頭は回る。影真似も、この歳なら十分使える」
「ありがとうございます」
「でも」
やはり来た。
「全部、自分で何とかしようとするな」
カゲマルの表情が止まった。
「お前」
ゲンマは続ける。
「最初、二人をどう使うかしか考えてなかっただろ」
「……」
否定できない。
「指揮するのと、一人で全部考えるのは違う」
ゲンマが三人を見る。
「最後が一番良かった」
レンが拳を握る。
スズも自分の鈴を見る。
カゲマルは静かに息を吐いた。
確かに。
最後だけは。
自分が二人を動かしたのではない。
レンは自分で走った。
スズは自分で情報を拾った。
カゲマルが。
二人へ合わせた。
「三人で戦うってのは」
ゲンマが千本を指先で弾き、再び口へ咥える。
「三人で一人になることじゃない」
「三人とも、自分で考えて動くことだ」
風が演習場を抜けていく。
木々の葉が揺れた。
カゲマルはその言葉を胸の中で繰り返す。
三人とも。
自分で考えて動く。
前世の知識がある。
奈良一族の秘伝がある。
周囲より少しだけ、先のことを考える癖がある。
だから。
いつの間にか。
自分が正解を出さなければならないと思っていた。
(違うんだな)
隣を見る。
レンが悔しそうに鈴を握っている。
反対側では、スズが鈴の音を確かめるように何度も小さく揺らしている。
知らない未来を生きる。
二人の仲間。
自分が導く駒ではない。
「……よろしく」
カゲマルが呟く。
レンが振り向く。
「何が?」
「改めて」
カゲマルは二人へ笑う。
「これからよろしく」
レンは一瞬きょとんとしたあと。
ニッと笑った。
「おう!」
スズは少しだけ首を傾げる。
それから。
「……二回目」
「いいじゃん、別に」
「まあいいけど」
小さく笑う。
その様子を。
ゲンマは少し離れた場所から眺めていた。
三人とも未熟。
当然だ。
まだ十二歳そこそこの下忍。
戦い方も。
考え方も。
何も完成していない。
だが。
(悪くない)
特に最後。
誰か一人が中心になったわけではない。
互いの長所を使い。
互いの欠点を補った。
一瞬だけだが。
班として戦った。
ゲンマの脳裏に、遠い昔の光景が浮かぶ。
自分。
エビス。
そして。
やたらと暑苦しかった、もう一人。
その三人をまとめていた大きな背中。
「……班、か」
小さな呟き。
三人には聞こえなかった。
ゲンマは踵を返す。
「よし」
「今日は終わりだ」
レンが目を丸くする。
「もう終わりですか?」
「三十分経った」
「えっ」
「明日から任務に入る」
その言葉に。
三人の表情が変わった。
ついに。
本当の忍として。
木ノ葉から任務を与えられる。
「集合は朝八時。火影邸前」
ゲンマが歩き出す。
数歩進んだところで。
振り返らずに付け加えた。
「遅れるなよ」
「はい!」
レンの声が演習場中に響く。
少し歩いたゲンマが足を止めた。
「朝倉」
「はい!」
「声がでかい」
一瞬の沈黙。
スズが吹き出した。
カゲマルも耐えきれず笑う。
「なんで先生まで!?」
レンの叫びが響く。
こうして。
奈良カゲマル。
朝倉レン。
水無瀬スズ。
そして。
不知火ゲンマ。
四人による第十一班が
ようやく、その最初の一歩を踏み出した。
班分けについて。カゲマルがどの班にするか迷ってます。皆さんの意見をお聞かせください
-
7班に追加
-
8班に追加
-
10班に追加
-
新たな班作成(9班)