「待てぇぇぇぇ!!」
木ノ葉の大通りに、レンの絶叫が響いた。
前方では、一匹の大型犬が猛烈な勢いで人混みを駆け抜けている。
太い縄の先で、レンが引きずられていた。
「止まれって! おい! ちょっ――うわっ!」
角を曲がった瞬間、身体が浮く。
そのまま道端の木箱へ突っ込んだ。
ガシャァン!
「レン!」
カゲマルが思わず声を上げる。
だが、助けに行く余裕はない。
「ワン!」
「こら!」
カゲマルの手にも一本の縄が握られている。
その先では茶色い中型犬が、右へ左へ好き勝手に走り回っていた。
「なんでこんな元気なんだよ!」
薬草畑での任務を終え、昼から請け負った二つ目のDランク任務。
犬三匹の散歩。
文字だけを見れば簡単だった。
少なくとも、十分前まではそう思っていた。
「カゲマル!」
少し離れた場所からスズの声が飛ぶ。
「そっち行った!」
「何が!?」
「私の!」
「え?」
直後、白い小型犬がカゲマルの足元を横切った。
その後ろからスズが走ってくる。
手には――切れた縄。
「……逃げた?」
「逃げた」
いつもの冷静な表情とは裏腹に、その声には僅かな焦りが混じっていた。
カゲマルは白い犬を見る。
犬もこちらを見る。
一瞬、目が合った。
「ワン!」
「待て!」
次の瞬間には全力で逃げ出した。
「なんで散歩で追跡任務になってんの!?」
カゲマルが走り出し、スズも続く。
すると後ろから、さらにレンの声が響いた。
「そっち行ったぞぉぉ!」
「何が!?」
「俺の犬!」
振り返れば、先ほどの大型犬がこちらへ突進してくる。
縄からレンを振りほどき、完全な自由を手に入れたらしい。
カゲマルとスズは同時に横へ避けた。
大型犬が目の前を通過する。
その後ろから、服を土だらけにしたレンが走ってきた。
「なんで避けるんだよ!」
「無理だろ!」
「あれ止めてくれよ!」
「お前の担当だろ!」
「縄離れたんだよ!」
「なんで!?」
「木箱に突っ込んだからだよ!」
スズが冷静に返す。
「自慢することじゃない」
「分かってる!」
三匹すべてが逃走。
第十一班にとって、予想外の苦戦だった。
⸻
少し離れた屋根の上。
ゲンマはしゃがみ込み、三人の様子を眺めていた。
右では大型犬を追うレン。
左では小型犬を追うスズ。
中央では、自分の担当犬を押さえつつ他の二匹まで気にしようとしているカゲマル。
「まあ」
口元の千本を揺らす。
「頑張れ」
助ける気はない。
今回の依頼は犬を散歩させ、無事に飼い主の元へ返すだけ。
危険はほとんどなく、多少転んだところで下忍なら大した怪我にもならない。
ならば、自分たちでどうにかすればいい。
「さて、どうするかね」
ゲンマは少しだけ楽しそうに目を細めた。
⸻
「一回集まろう!」
カゲマルが叫んだ。
「無理!」
遠くからレンが答える。
「こいつ速ぇ!」
「いいから戻って!」
「犬は!?」
「一回逃がしていい! このままバラバラに追っても捕まらない!」
スズはすぐに方向を変えた。
レンも少し遅れて戻ってくる。
三人が路地の入口へ集まった。
幸い、三匹ともまだ近くにいる。
「スズ。場所、分かる?」
「うん」
目を閉じ、耳を澄ませる。
人々の声。
店の呼び込み。
足音。
荷車。
その中から、犬の爪が地面を蹴る音と首輪の金具が鳴る音を拾っていく。
「白いのは右の路地。大きいのは正面、少し遠い」
「俺のは?」
「左。止まった」
カゲマルが頷く。
「よし」
レンが拳を握る。
「三手に分かれる?」
「だから、それやって失敗したんだろ」
「じゃあどうする?」
カゲマルは少し考える。
追えば逃げる。
なら――。
「追わない」
「は?」
「向こうから来てもらう」
スズが首を傾げる。
「どうやって?」
「犬って何が好きだと思う?」
「肉!」
レンが即答した。
カゲマルが笑う。
「……こういう時だけ早いな」
「褒めてる?」
「半分」
三人の視線が、すぐ近くの串焼き屋へ向いた。
香ばしい匂いが漂っている。
レンがニヤリと笑う。
「なるほど」
⸻
数分後。
「ちゃんと代金払えよ」
店主が眉をひそめる。
「はい!」
レンの手には肉の串が三本。
カゲマルが財布を見てため息をついた。
「任務報酬より高くつかないよな……?」
スズが串を見る。
「三本もいらないんじゃない?」
「三匹いるだろ」
「一本を分ければいい」
レンが固まった。
店主が笑う。
「返品はなしだぞ」
「そんな!」
「もう一本食べれば?」
カゲマルが言う。
「犬用に買ったのに俺が食っていいのか?」
スズが淡々と返す。
「味付けされてるし、そもそも犬に丸ごと食べさせない方がいい」
「……じゃあこれ、完全に俺の昼飯?」
「そうなるね」
「悪くないな!」
切り替えだけは早かった。
⸻
作戦は単純だった。
スズが三匹の位置を把握し、カゲマルとレンが逃げ道を塞ぐ。
あとは匂いで誘う。
最初に姿を見せたのは、カゲマルの担当だった茶色い犬。
鼻を動かしながら、ゆっくり近づいてくる。
「ほら」
カゲマルがしゃがみ、串から外した小さな肉片を差し出した。
「おいで」
一歩。
また一歩。
犬が近づき、肉を口にする。
「今!」
レンが飛び出そうとした。
「待って」
カゲマルが小声で止める。
慌てて捕まえれば、また逃げる。
ゆっくりと頭を撫で、そのまま首輪を掴んだ。
「よし」
一匹目。
レンが感心したように見る。
「お前、犬慣れてる?」
「いや」
「じゃあ何で分かった?」
「追われたら逃げたくなるかなって」
スズが呟く。
「人間みたい」
「多分、似たようなもんでしょ」
白い小型犬も同じように捕まえた。
問題は最後の大型犬だった。
肉を食べた直後、再び駆け出そうとする。
「逃がすかぁ!」
レンが身体ごと飛びついた。
「ワン!」
「うおおお!」
そのまま数メートル引きずられる。
「また!?」
「今度は離さねぇ!」
土煙を上げながらも、今度こそ腕を離さない。
やがて大型犬が諦めたように止まった。
レンは地面にうつ伏せになったまま親指を立てる。
「捕獲……完了」
スズが見下ろす。
「ぼろぼろ」
「勝ったからいい」
「犬の散歩に勝敗を持ち込まないで」
カゲマルは耐えきれず笑った。
⸻
夕方。
三匹を無事に飼い主へ返し、任務は完了した。
「……疲れた」
レンが道端のベンチへ沈み込む。
服は土まみれ。
髪も乱れていた。
スズも隣へ腰掛ける。
「草むしりの方が楽だった」
「それは認める」
「犬の散歩で忍術を使うとは思わなかった」
カゲマルも座る。
最後の一匹を捕まえる際には、逃げ道を塞ぐため影真似まで使った。
敵を倒すためだけではなく、こういう場面でも術は役に立つ。
忍術に対する見方が、少しずつ広がっていく。
「どうだった」
前からゲンマが歩いてきた。
レンが顔を上げる。
「先生! 見てたなら助けてくださいよ!」
「見てたぞ」
「だから!」
「自分たちで終わっただろ」
言い返しかけたレンが、そこで口を閉じた。
確かに。
三人だけで終わらせた。
ゲンマが順番に顔を見る。
「で。何か分かったか?」
スズが答える。
「犬は速い」
「そういう話じゃない」
レンが続く。
「大型犬はもっと速い」
「お前ら似てきたな」
カゲマルが苦笑し、少し考えてから答える。
「追いかけるだけが正解じゃない。相手がどう動くか考えれば、やり方を変えられる」
「まあ、及第点」
次にスズが口を開く。
「情報だけ持ってても意味がない」
「ほう」
「場所が分かっても、それをどう使うか考えないと捕まえられなかった」
昨日、ゲンマに言われたことを自分なりに理解し始めている。
ゲンマは小さく頷き、最後にレンを見る。
「お前は?」
「俺?」
しばらく真剣に考えた末。
「……縄は離すな」
沈黙。
ゲンマが千本を揺らした。
「それでいい」
「いいんですか!?」
カゲマルとスズが同時に笑った。
⸻
それから数日。
第十一班には相変わらずDランク任務が続いた。
畑の収穫。
「レン、それまだ採らない」
「なんで!?」
「色が違う」
「同じに見える!」
「違う」
「カゲマル!」
「スズが正しい」
「味方いねぇ!」
荷物運び。
「重っ!」
巨大な木箱を抱えたレンが震える。
隣では、カゲマルも同じ大きさの箱を抱えていた。
「体術得意だろ」
「体術と荷物運びは別!」
後ろでは、スズが比較的小さな箱を持っている。
レンが目を見開いた。
「なんでスズだけ小さいんだよ!」
「自分で選んだから」
「ずる!」
「早い者勝ち」
「カゲマル!」
「俺も大きいから文句言う相手間違ってる」
逃げた猫探しでは。
屋根の上で三人が一匹の猫を囲んでいた。
「今度こそ逃がさねぇ」
レンが身を低くする。
「近づきすぎ」
スズが止めた。
「犬の時と同じ。追い詰めると逃げる」
カゲマルの言葉に、三人は一度距離を取る。
警戒が緩んだ瞬間。
「今」
影で逃げ道を狭め。
スズが動きを読み。
レンが飛び込んだ。
「捕まえた!」
「ニャァァ!」
「痛ぇ! 顔はやめろ!」
その様子を隣の屋根から眺めていたゲンマが、僅かに目を細めた。
最初の頃なら、それぞれが勝手に飛び出していただろう。
今は短い言葉だけでも、互いの動きをある程度読める。
まだ粗い。
だが。
班としての形は、少しずつでき始めていた。
⸻
任務が終われば、今度は訓練。
「今日は手裏剣」
演習場に立ったゲンマが言う。
レンが露骨に嫌そうな顔をした。
「また基礎?」
「嫌か?」
「いや……」
「じゃあやれ」
「はい」
ゲンマが教えるのは、派手な術ではなかった。
手裏剣。
クナイ。
変わり身。
分身。
変化。
足音を消す歩き方。
仲間を見失わない移動。
罠の見つけ方。
戦闘時の合図。
アカデミーで習ったことを、実戦で使える形へ徹底的に磨き直していく。
「朝倉」
「はい」
「右肩上がってる」
手裏剣を構えたレンが首を傾げる。
「そんな分かります?」
「分かる奴にはな。投げる前に読まれるぞ」
レンは自分の肩を見て、もう一度構え直した。
「直します」
「水無瀬」
「はい」
「耳だけに頼るな」
スズが瞬きをする。
「でも私の長所は――」
「長所と依存は違う」
ゲンマは即座に返した。
「爆発音で耳を潰されたら終わりか? 目も鼻も使え。足元の振動も拾え」
スズは少し考えてから頷いた。
「はい」
そして。
「奈良」
「はい」
ゲンマの視線がカゲマルの足元へ落ちる。
夕日に伸びる影。
「お前も同じだ。影に頼りすぎるな」
カゲマルは黙って聞く。
「奈良の秘伝が強いのは知ってる。でも、使えない状況になったら?」
夜。
曇天。
灯りの乏しい場所。
複数の光源。
影真似にも当然、得手不得手がある。
「術一つ潰されて終わる忍にはなるな」
「……はい」
その言葉は胸に残った。
ゲンマの口元には、いつもの千本がある。
派手な武器でも。
血継限界でも。
秘伝でもない。
ただの細い針。
それでも彼の手に掛かれば、十分な武器になる。
(基礎を磨くって、こういうことか)
少しずつ。
ゲンマの教え方が分かってきた。
⸻
その日の訓練終わり。
レンが地面へ寝転がったまま尋ねた。
「先生」
「何だ」
「先生って昔から強かったんですか?」
ゲンマの動きが、ほんの僅かに止まった。
「何で?」
「特別上忍ってことは、何かすげぇ得意なのがあるんですよね」
「まあな」
「俺、そういうのないんで」
カゲマルがレンを見る。
声に落ち込みはない。
ただ、自分には何があるのか純粋に疑問なのだろう。
「カゲマルは影あるだろ。スズは耳」
「耳って言わないで」
「じゃあ聴覚」
「……まあいい」
レンは笑ってから、ゲンマを見る。
「俺は?」
「知らん」
「即答!?」
「まだ十二だろ」
ゲンマは平然と返した。
「今から決めることか?」
レンが黙る。
「忍一族じゃない。秘伝もない」
ゲンマは千本へ軽く触れた。
「それがどうした」
本当に大した問題ではないような声音だった。
「使えるもんが少ないなら、持ってるもんを磨けばいい」
レンは少しの間、何も言わなかった。
やがて起き上がり。
「……はい」
珍しく静かに答えた。
ゲンマはそれ以上語らない。
けれど、その短い言葉はレンの中に残った。
すぐに答えが出る必要はない。
自分に何ができるか。
それを探す時間は、まだ十分にある。
⸻
さらに数日後。
火影邸。
第十一班は、いつものように任務受付の前で次の仕事を待っていた。
「今日は何だと思う?」
レンが尋ねる。
「掃除」
「やだ」
「子守」
「もっとやだ」
「塀の修理」
「忍関係ないじゃん!」
「もう慣れたでしょ」
「慣れたくない!」
二人のやり取りを聞きながら、カゲマルはふと執務室の一角へ目を向けた。
そこにいたのは。
黄色い髪。
桃色の髪。
黒髪。
そして銀髪の上忍。
(第七班)
ナルト。
サクラ。
サスケ。
カカシ。
ナルトは三代目に向かって大声で訴えていた。
「もうこんな任務嫌だってばよ!」
その言葉を聞いた瞬間。
カゲマルの表情が僅かに変わった。
(……来た)
記憶が繋がる。
Dランク任務に耐えきれなくなったナルトが、もっと大きな任務を要求する。
そして与えられる、初めてのCランク。
依頼人は橋造りの達人。
行き先は――波の国。
ヒルゼンが一人の老人を室内へ呼び入れた。
酒瓶を手にした男。
その姿を見た瞬間、確信する。
(タズナ)
原作で、ナルトたちが初めて本物の殺意と向き合った任務。
鬼兄弟。
桃地再不斬。
白。
物語の中で知っていた出来事が、すぐ目の前まで来ている。
「奈良」
ゲンマの声で意識を戻す。
「俺たちも呼ばれてるぞ」
「はい」
歩き出す。
すれ違う直前。
ナルトと目が合った。
「カゲマル!」
ナルトが嬉しそうに笑う。
「俺たち、今度すっげー任務行くことになったんだってばよ!」
何も知らない笑顔。
カゲマルは一瞬だけ言葉に詰まり。
それでも、いつも通り笑い返した。
「そうか。頑張れよ、ナルト」
「おう!」
ナルトが親指を立てる。
二人はそのまますれ違った。
(大丈夫だ)
カカシがいる。
サスケも。
サクラも。
そして何より、ナルト自身がいる。
原作では乗り越えた。
余計なことをする必要はない。
そう頭では分かっている。
それでも。
胸の奥には、小さな棘のような違和感が残った。
この時のカゲマルには
まだ、その感情に名前をつけることができなかった
班分けについて。カゲマルがどの班にするか迷ってます。皆さんの意見をお聞かせください
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