翌朝。
奈良家の庭には、大小さまざまな物が並べられていた。
木の枝。
丸い石。
水を張った桶。
火の消えた燭台。
白い布。
そして、地面には一定の間隔を空けて、墨で十本の線が引かれている。
縁側に座ったシカマルは、それらを眺めながら欠伸をした。
「……何すんだよ、これ」
「検査だ」
庭の中央に立つシカクが答える。
「誰の?」
「カゲマルのだ」
「じゃあ俺、寝てていいか?」
「駄目だ」
「なんでだよ」
「比較対象が必要だからだ」
シカマルは露骨に嫌そうな顔をした。
その隣で、カゲマルは黙って庭を見渡している。
あの日。
初めてチャクラを意識した瞬間、庭一面へ広がった影。
そこから姿を現した、兵士のようなもの。
シカクはそれについて、詳しい説明をしなかった。
いや。
説明できなかったのだろう。
奈良一族の当主である父にも、あれが何なのか分かっていない。
だからこそ、今日の検査が行われる。
「最初に言っておく」
シカクが二人を見た。
いつもの気怠そうな雰囲気はない。
一族の忍として、真剣な目をしている。
「今日やるのは術の修行じゃねぇ」
「お前たちが何をできるのか」
「何ができないのか」
「それを確かめるためのものだ」
シカマルが片手を上げた。
「できなかったら?」
「それが分かれば成功だ」
「できたら?」
「余計な修行が増える」
「じゃあ、できない方が得じゃねぇか」
「お前は少し黙ってろ」
カゲマルは思わず笑った。
シカマルは不満そうに口を尖らせたが、逃げ出す様子はない。
なんだかんだ言いながら付き合ってくれる。
それが、少し嬉しかった。
「まずはチャクラの操作からだ」
シカクが地面の線を指さす。
「昨日と同じように、体内のチャクラを感じろ」
「ただし、今日は外へ出すな」
「右手に集める」
「次に左手」
「右足、左足」
「最後に、身体の中心へ戻せ」
基礎中の基礎。
そう言いながら、シカクは二人の前で実演した。
外から見れば、ほとんど変化はない。
しかし、注意深く感じれば、チャクラが体内を移動しているのが分かる。
流れる水のように自然で、無駄がない。
「シカマルからやれ」
「俺からかよ」
文句を言いながらも、シカマルは目を閉じた。
右手。
左手。
右足。
左足。
シカクの指示に合わせ、ゆっくりとチャクラを移動させていく。
途中で何度か眉をひそめたが、大きく乱れることはなかった。
五歳児としては明らかに異常な制御力だった。
「もういい」
シカクが告げる。
シカマルはすぐに目を開けた。
「できたか?」
「初めてにしちゃ悪くねぇ」
「悪くねぇってことは、よくもねぇのか」
「褒められたがるな。面倒くせぇ」
「親父に言われたくねぇ」
次はカゲマルの番だった。
目を閉じる。
身体の内側にあるものを探す。
昨日感じた、黒い水のような力。
それは意識した瞬間、すぐに見つかった。
深い。
静かでありながら、底がない。
カゲマルはその一部を、右手へ移そうとする。
だが。
――ぞわり。
足元で、何かが蠢いた。
「止めろ」
シカクの声が飛ぶ。
カゲマルは即座に意識を切った。
目を開けると、足元の影が右腕の方向へ細長く伸びている。
まるで体内のチャクラの動きに、影まで連動したかのようだった。
シカクは影の先端を見つめる。
「もう一度だ」
カゲマルは頷き、今度は左手へ集める。
影も左へ伸びた。
右足へ移せば、影は右側へ。
左足なら、左側へ。
最後に身体の中心へ戻すと、影も元の形へ縮んだ。
「……やっぱりな」
シカクが小さく呟く。
「何が分かったの?」
カゲマルが尋ねる。
「お前の場合、チャクラを動かすだけで影が反応する」
「普通は違うのか?」
「ああ」
シカクは自分の影を指した。
「奈良一族の人間でも、影を動かすには明確な意思が必要だ」
「印を結ぶ」
「術式を組む」
「影へチャクラを流す」
「その手順を経て、初めて影が動く」
「だが、お前は違う」
シカクの視線が鋭くなる。
「お前にとって影は、術の道具じゃねぇ」
「身体の一部に近い」
カゲマルは自分の影を見下ろした。
身体の一部。
確かに、その表現はしっくりきた。
手足を動かす時、人はいちいち術式を意識しない。
歩こうと思えば足が動く。
掴もうと思えば手が伸びる。
カゲマルの影も、それと同じように反応している。
「それって、奈良一族だからじゃねぇのか?」
シカマルが尋ねる。
「違う」
シカクは即答した。
「俺も、お前も、奈良一族の他の連中もそうはならねぇ」
「一族の血が原因なら、似た例がもっと残ってるはずだ」
その言葉に、カゲマルは僅かに緊張した。
「血継限界じゃない?」
「ああ」
シカクは地面へしゃがみ込み、一本の枝を拾った。
「血継限界ってのは、血筋によって受け継がれる特殊な性質だ」
「だが、奈良一族の影秘術は違う」
「一族秘伝ではあるが、血そのものに術が刻まれているわけじゃねぇ」
「理論上は、術式と修行法を知れば、奈良の血がない奴でも習得できる」
「もっとも、実際には繊細すぎて簡単じゃねぇがな」
枝の先で、地面に円を描く。
「お前の力も、血によって生まれたものじゃない」
「なら、何なんだ?」
シカマルが聞いた。
シカクは少し黙った後、答えた。
「適性だ」
「適性?」
「チャクラには性質がある」
「火、水、風、雷、土」
「一般に知られている性質変化はその五つだ」
シカクは円の周囲へ、五本の線を引く。
そして、円の中央へ点を打った。
「だが、それだけじゃねぇ」
「精神のエネルギーを形にする陰遁」
「生命のエネルギーを形へ宿す陽遁」
「奈良一族の影秘術は、陰遁に強く関わっている」
カゲマルは息を呑んだ。
陰遁。
予想していた言葉だった。
幻術や精神エネルギー。
形のないものへ形を与える性質。
そして、六道仙人が十尾のチャクラから尾獣の形を作った際にも用いられた力。
原作知識として知ってはいる。
だが、父の口から聞くと、その重みはまるで違った。
「カゲマル」
シカクが顔を上げる。
「お前は陰遁への適性が、異常に高い」
「どれくらい?」
「今まで見たことがねぇくらいだ」
「親父にも?」
「ああ」
シカクは躊躇なく認めた。
「少なくとも、陰遁に関しては俺より上だ」
シカマルが目を丸くした。
「兄貴、親父よりすげぇのか?」
「適性だけならな」
シカクはすぐに付け加えた。
「才能があることと、術を使いこなせることは別だ」
「刀を持つ才能があっても、振り方を知らなきゃ自分を斬る」
「今のカゲマルは、それと同じだ」
カゲマルの影が、微かに揺れる。
その動きを見逃さず、シカクは続けた。
「だから、まず抑えることを覚えろ」
「伸ばすんじゃない」
「形を作るんでもない」
「元に戻す」
「何も起こさない」
カゲマルは首を傾げる。
「力を使わない修行?」
「そうだ」
「つまらなそうだな」
シカマルが言う。
「お前もやるんだぞ」
「なんでだよ」
「影を扱う上で必要だからだ」
「……帰って寝てぇ」
二人は庭に引かれた線の前へ立った。
課題は単純だった。
一歩進む。
止まる。
影を動かさない。
もう一歩進む。
止まる。
影を必要以上に伸ばさない。
陽光の位置によって、影そのものは当然動く。
だが、チャクラに反応して起きる余計な揺れを抑えなければならない。
一見すると簡単だった。
しかし、カゲマルには難しかった。
一歩目。
影が僅かに膨らむ。
やり直し。
二歩目。
影の先端が二つに分かれる。
やり直し。
三歩目。
今度は影を押さえ込もうと意識しすぎて、地面へ黒い棘が浮かんだ。
「力むな」
シカクが言う。
「押さえつけようとするから、反発する」
「じゃあ、どうすればいい?」
「受け入れろ」
「動くなと命令するんじゃねぇ」
「今は動かなくていいと伝える」
「影に?」
「自分自身にだ」
難解だった。
だが、不思議と意味は理解できた。
影は別の生き物ではない。
自分の感情や意識に反応している。
ならば影を従わせるのではなく、自分の心を整える必要がある。
カゲマルは目を閉じた。
焦るな。
怖がるな。
証明しようとするな。
ただ、そこにあることを認める。
足元に落ちる影。
身体の中を満たす、深いチャクラ。
どちらも自分の一部だ。
「行く」
一歩進む。
影は自然に動いた。
二歩。
三歩。
余計な揺れはない。
四歩。
五歩。
最後の線を越えても、影は静かなままだった。
「できた」
カゲマルが振り返る。
シカクは腕を組んだまま、僅かに口元を緩めた。
「今の感覚を忘れるな」
「よし、次は俺だな」
シカマルが立ち上がる。
「見てろよ、兄貴」
彼は一歩目を踏み出した。
影は動かない。
二歩。
三歩。
全く乱れない。
そのまま十本目の線を越える。
「できたぞ」
「お前は元から勝手に影が動かねぇだろ」
シカクが呆れたように言う。
「じゃあ俺、やる意味なかったんじゃねぇか!」
「集中力の訓練にはなった」
「騙したな」
「忍は騙し合いが基本だ」
「便利な言葉だな、それ」
午前中の検査が終わる頃には、カゲマルは地面へ仰向けに倒れていた。
術を使ったわけではない。
それでも、常に自分のチャクラと影を意識し続ける作業は、想像以上に精神を消耗した。
隣では、シカマルがとっくに眠っている。
「こいつ、どこでも寝られるな……」
カゲマルが呟く。
「それも才能だ」
シカクは木陰へ腰を下ろした。
手には、奈良一族に伝わる古い巻物がある。
紙は黄ばみ、端が擦り切れていた。
「それは?」
「一族の記録だ」
「俺の力について載ってる?」
「いや」
シカクは巻物を閉じた。
「昨日から調べてるが、同じ例は見つからねぇ」
「そう……」
カゲマルは空を見上げた。
分かっていたことだ。
奈良一族にこんな力を持つ者がいたなら、原作でも何らかの形で語られていた可能性が高い。
自分の存在によって生まれた、原作にはない力。
その事実は、胸の奥に重く沈んだ。
「不安か?」
シカクに聞かれ、カゲマルは少し迷った。
「少し」
「何が一番怖い」
「暴走して、誰かを傷つけること」
眠っているシカマルを見る。
あの影は、強い感情に反応する。
守りたいという気持ちで伸びることもある。
だが。
怒りや恐怖に反応した時、どうなるのか。
まだ誰にも分からない。
「だったら、傷つけないために学べ」
シカクが言った。
「怖がるだけじゃ、何も変わらねぇ」
「力は勝手に善にも悪にもならない」
「使う奴が決める」
「……うん」
「それから」
シカクはカゲマルの額を軽く指で弾いた。
「一人で抱え込むな」
「痛っ」
「お前は隠すのが下手だ」
「そうかな」
「五歳にしちゃ上手すぎる」
カゲマルの身体が固まる。
シカクは何気ない顔をしていた。
「だが、俺を騙せるほどじゃねぇ」
「お前が何を隠してるかまでは聞かん」
「話せる時が来たら話せ」
「それまでは、せめて困ってるかどうかくらい言え」
カゲマルは父の横顔を見つめた。
どこまで気づいているのだろう。
前世の記憶。
未来の知識。
この世界の人間ではないという秘密。
まさか、そこまで見抜いてはいないはずだ。
それでも。
自分が普通の五歳児ではないことには、気づかれている。
「父さん」
カゲマルが呼ぶと、シカクの眉が僅かに上がった。
普段は親父と呼ぶことが多い。
だから、その呼び方が珍しかったのだろう。
「何だ」
「ありがとう」
シカクはしばらく黙り込んだ。
やがて、面倒そうに頭を掻く。
「礼を言うくらいなら、母ちゃんに怒られないように泥を落としてから家に入れ」
「そこ?」
「重要だ」
その日の午後。
修行を終えたカゲマルとシカマルは、ヨシノに頼まれて里の市場へ向かった。
頼まれたのは、夕食に使う野菜と調味料。
二人だけで買い物へ行くのは、これが初めてではない。
奈良家から市場までの道も覚えている。
「大根と人参と味噌」
カゲマルが確認する。
「あと何だっけ」
シカマルが聞く。
「豆腐」
「そんなに持てねぇぞ」
「半分持て」
「兄貴が全部持てばいいだろ」
「なんでだよ」
「俺、修行で疲れた」
「お前は途中で寝てただろ」
二人は言い合いながら、里の大通りを歩く。
通りには多くの人がいた。
任務帰りの忍。
買い物をする主婦。
遊び回る子どもたち。
店先からは、焼いた魚や団子の匂いが漂ってくる。
木ノ葉隠れの里。
物語の中心となる場所。
カゲマルにとっては、すでに生まれ育った故郷でもある。
それでも時折、不思議な感覚になる。
かつて画面越しに見ていた景色の中を、自分が歩いている。
顔も知らなかった人々が、それぞれの生活を送っている。
物語では描かれなかった人生が、ここには無数に存在していた。
「兄貴」
シカマルが足を止めた。
「何だ?」
「また遠い顔してるぞ」
「ああ……悪い」
「別にいいけどよ」
シカマルは視線を前へ戻す。
その時。
通りの先から、騒がしい声が聞こえてきた。
「だから、金は持ってるってばよ!」
幼い少年の声。
続いて、苛立った店主の声が響く。
「駄目だ! お前には売らん!」
「なんでだよ!」
「帰れ!」
カゲマルの足が止まった。
人だかりの隙間から、金色の髪が見える。
汚れた服。
頬にある、三本ずつの髭のような痕。
青い瞳。
見間違えるはずがなかった。
うずまきナルト。
まだアカデミーにも入っていない。
里の英雄になる前の少年。
今はただ、九尾の器として大人たちから避けられている子ども。
「売ってくれたっていいだろ!」
ナルトは小さな手に握った硬貨を店主へ見せる。
「ちゃんと金もある!」
「うるさい! 店の迷惑だ!」
店主が手を振り上げた。
叩くつもりなのか。
追い払うだけなのか。
判断するより先に、カゲマルの身体が動いた。
「やめろ!」
店主の手首を、細い影が絡め取った。
空中で腕が止まる。
周囲から息を呑む音が聞こえた。
カゲマル自身も驚いていた。
印は結んでいない。
術を使おうと考えたわけでもない。
ただ、止めなければと思った。
その瞬間、影が動いた。
「兄貴!」
シカマルの声が飛ぶ。
カゲマルはすぐに息を整えた。
押さえつけるな。
受け入れろ。
今は、もう動かなくていい。
影へ伝える。
黒い筋は店主の腕から離れ、地面を滑るようにカゲマルの足元へ戻った。
沈黙が落ちる。
店主は青ざめた顔で、自分の腕とカゲマルを見比べた。
「な、奈良一族の……」
奈良家の家紋。
カゲマルとシカマルの顔。
里で商売をしていれば、奈良一族の当主の息子だと知っている者も多い。
「子どもに手を上げるのは、よくないと思います」
カゲマルは静かに言った。
「そいつは……」
店主が何かを言いかける。
化け物。
九尾。
災い。
そんな言葉を口にするつもりだったのかもしれない。
だが、周囲の視線に気づき、言葉を飲み込んだ。
「……もういい。早く連れていけ」
吐き捨てるように言い、店の奥へ引っ込む。
集まっていた者たちも、気まずそうに散っていった。
残されたナルトは、呆然とカゲマルを見ている。
「お前……」
「怪我は?」
「してねぇってばよ」
「そうか」
カゲマルは地面へ落ちた硬貨を拾い、ナルトへ差し出した。
「これ、お前のだろ」
「……うん」
ナルトは硬貨を受け取った。
だが、すぐには離れない。
不思議そうにカゲマルとシカマルを見比べている。
「なんで助けたんだ?」
その質問に、カゲマルは一瞬言葉を失った。
子どもが殴られそうだったから。
それだけで十分なはずだ。
だが、ナルトにとっては違う。
誰かが自分を助けること。
自分の側へ立つこと。
それには特別な理由が必要だと思っている。
そのことが、胸を締めつけた。
「助けちゃ駄目なのか?」
「そうじゃねぇけど……」
ナルトは視線を逸らす。
「みんな、オレを見ると変な顔するから」
カゲマルは周囲を見た。
離れた場所から、何人かの大人がこちらを見ている。
怯え。
嫌悪。
警戒。
幼い子どもへ向けるものではない。
九尾襲撃で家族を失った者もいるのだろう。
恐怖が消えない者もいる。
頭では理解できる。
だからといって、その憎しみを何も知らない子どもへぶつけてよい理由にはならない。
「俺は奈良カゲマル」
カゲマルが名乗った。
ナルトは目を瞬かせる。
「こっちは弟のシカマル」
「勝手に紹介すんなよ」
シカマルは面倒そうに言った。
だが、帰ろうとはしない。
「お前は?」
知っている。
誰よりもよく知っている。
それでも、カゲマルは尋ねた。
ナルト自身の口から聞きたかった。
少年は少し迷った後、胸を張った。
「オレは、うずまきナルトだってばよ!」
その顔には、さっきまでの不安が残っている。
それでも、名乗る声は大きかった。
自分の存在を世界へ刻みつけようとするように。
「ナルトか」
カゲマルはその名を繰り返した。
「覚えた」
たったそれだけ。
それだけの言葉に、ナルトは目を見開いた。
「……忘れんなよ」
「ああ」
「絶対だからな!」
「分かったって」
「約束だぞ!」
「しつこいな」
カゲマルが苦笑すると、隣のシカマルが大きな欠伸をした。
「話、終わったか?」
「何だよ、お前!」
ナルトがシカマルを睨む。
「人が喋ってんのに欠伸すんなってばよ!」
「長ぇんだよ」
「長くねぇ!」
「めんどくせぇ奴だな」
「お前の方がムカつくってばよ!」
二人は出会って数秒で言い争いを始めた。
その光景に、カゲマルは僅かに目を細める。
原作でも、シカマルは幼い頃からナルトを完全には拒絶していなかった。
大人たちの偏見に流されず。
面倒くさそうにしながらも、一人の人間として接していた。
その関係が。
今、自分の目の前で始まろうとしている。
「お前、何を買おうとしてたんだ?」
カゲマルが尋ねる。
「カップ麺」
ナルトが答える。
「それだけ?」
「それだけって何だよ。うまいんだぞ!」
「毎日食べてるのか?」
「毎日じゃねぇ! たまにパンも食う!」
胸を張って言うことではない。
カゲマルは頭を抱えそうになった。
まだ五歳。
一人暮らし。
当然、料理などできるはずもない。
生活費は支給されているのだろうが、食事の管理までは十分ではないらしい。
「兄貴」
シカマルが嫌そうな顔をする。
「何だ」
「今、面倒なこと考えてるだろ」
「どうして分かった」
「顔」
シカマルはため息をついた。
「親父に言われたばっかじゃねぇか」
守ることと。
相手の道を決めてやることは違う。
シカクの言葉が蘇る。
ナルトを助けたい。
孤独から救いたい。
正しい食事をさせたい。
その気持ちは本物だ。
だが、出会ったばかりの自分が、ナルトの生活すべてを勝手に変えてよいわけではない。
カゲマルは少し考える。
「ナルト」
「何だってばよ」
「俺たち、今から夕飯の材料を買うんだ」
「へぇ」
「荷物持ちを手伝わないか?」
「なんで?」
「手伝ってくれたら、母さんに一人分多く作ってもらえるか頼んでみる」
シカマルが目を細めた。
「兄貴、結局連れて帰る気じゃねぇか」
「無理やりじゃない」
カゲマルはナルトを見る。
「来るかどうかは、ナルトが決めればいい」
ナルトは黙り込んだ。
疑っている。
期待して傷つくことを恐れている。
そんな表情だった。
「……本当に、行っていいのか?」
「母さんが駄目って言わなければ」
「そこは決まってねぇのかよ!」
「勝手に決めたら怒られる」
「お前、助けてくれた時は格好よかったのに、急に頼りねぇな!」
「うちの母さんは怖いんだ」
「親父より怖ぇぞ」
シカマルが真顔で付け加える。
「そんなにか?」
「ああ」
「鬼より怖い」
「聞こえてるよ!」
背後から、聞き慣れた声が響いた。
三人の身体が同時に固まる。
振り返ると、買い物籠を持ったヨシノが立っていた。
笑っている。
だが、目は笑っていない。
「シカマル」
「今、誰が鬼より怖いって?」
「兄貴が言った」
「おい」
「裏切ったな!」
「忍は騙し合いが基本だ」
「都合よく使うな!」
ヨシノは二人の頭を片手ずつ掴んだ。
「まったく、この子たちは……」
叱りつけようとして。
そこで、ナルトの存在に気づいた。
ナルトは反射的に一歩下がる。
大人に見つかった。
追い払われる。
そう思ったのだろう。
ヨシノは一瞬だけ目を細めた。
ナルトの服。
握り締めた硬貨。
店先の様子。
周囲から向けられる視線。
それだけで、何が起きたのか察したらしい。
「その子は?」
ヨシノが尋ねる。
「うずまきナルト」
カゲマルが答える。
「さっき知り合った」
「母ちゃん」
シカマルが口を挟む。
「兄貴が、こいつを夕飯に連れて帰りてぇって」
「お前も食べるだろ」
「俺は反対してねぇ」
ヨシノはナルトへ視線を向けた。
ナルトは緊張した様子で立っている。
「ナルト」
名前を呼ばれ、肩が跳ねる。
「は、はい!」
「嫌いな食べ物はあるかい?」
「え?」
「夕飯を食べるんだろ?」
ナルトは何度も瞬きをした。
「……いいのか?」
「ここで立ち話をしてたら、日が暮れちまうよ」
ヨシノは買い物籠をカゲマルへ押しつける。
「ほら。人を誘ったなら、その分までしっかり持ちな」
「はい」
「シカマルも」
「俺もかよ」
「当たり前だろ」
二人が荷物を分けて持つ。
ヨシノは歩き出し、数歩進んだところで振り返った。
「ナルト」
「何してるんだい。置いてくよ」
「……うん!」
ナルトが駆け出す。
その顔には、先ほどまでなかった笑みが浮かんでいた。
奈良家へ向かう道。
ナルトはカゲマルとシカマルの間を歩いた。
話題は、好きな食べ物。
嫌いな野菜。
里で一番高い木。
どの雲が一番変な形をしているか。
どれも他愛のない話だった。
だが、ナルトは何度も笑った。
大きな声で。
楽しそうに。
その日の夕食。
ナルトはヨシノの作った料理を、驚くほどの勢いで食べた。
「うめぇ!」
「ちゃんと噛みな!」
「うめぇってばよ!」
「聞いてるのかい!」
「この肉、もう一個食っていい?」
「野菜を食べたらね」
「野菜は嫌いだってばよ」
「好き嫌いする奴におかわりはないよ」
「そんなぁ!」
向かいに座るシカマルが、気怠そうに呟いた。
「騒がしい奴だな」
「お前だって母ちゃんに怒鳴られてるだろ!」
「俺は静かに怒られてる」
「それ、何か違うのか?」
「全然違う」
カゲマルは二人のやり取りを眺めていた。
正史では存在しなかったはずの光景。
ナルトが奈良家の食卓に座っている。
シカクが時折、ナルトへ意味ありげな視線を向けている。
ヨシノは他の二人と同じように、容赦なく野菜を食べさせている。
ほんの小さな変化。
未来を大きく変えるものではないかもしれない。
明日になれば、ナルトはまた一人の部屋へ帰る。
里の視線も、すぐには変わらない。
それでも。
今日だけは。
ナルトは一人ではなかった。
カゲマルの足元で、影が静かに揺れた。
暴れることも。
勝手に伸びることもない。
まるで、穏やかな感情に寄り添っているかのように。
その様子を、シカクは見ていた。
だが、何も言わなかった。
食事を終えた後。
ナルトを家まで送る帰り道で、シカマルが尋ねた。
「また来るか?」
ナルトは驚いた顔をした。
「来ていいのか?」
「母ちゃんが決める」
「お前も結局、頼りねぇじゃねぇか!」
「俺に決定権はねぇ」
「二人とも同じだってばよ!」
三人の声が、夜の道へ響く。
少し前を歩いていたカゲマルは振り返り、二人を見た。
シカマル。
ナルト。
これから忍となり。
同じ里で戦い。
数え切れない選択を重ねていく者たち。
カゲマルは、未来を知っている。
だが、今日の出来事は知らなかった。
原作には存在しない一日。
誰かが書いた物語ではなく。
自分たちが選んだことで生まれた時間。
その事実に、カゲマルは初めて気づいた。
未来は。
決められた盤面ではない。
知っている物語をなぞるだけでもない。
一手動かせば。
次の一手は変わる。
そして、その先に何が待つのかは。
もう、自分にも分からない。
不安はあった。
それ以上に。
少しだけ、楽しみだと思った。
夜空の下。
三人分の影が、並んで伸びている。
そのうち一つだけが。
誰にも気づかれないほど僅かに形を変えた。
まるで、二人を守るように。
左右へ腕を広げていた。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます!
この作品は、「自分が読みたい!」という勢いだけで書き始めました。
小説を書くのも今回が初めてなので、文章や構成など至らない点も多いと思います。
それでも、奈良家にもう一人の兄がいたらどうなるのか──そんな妄想を形にしたくて、一話ずつ楽しみながら書いています。
温かい目で見守っていただけると嬉しいです。