皆さんのコメントで気づきました。ありがとうございます。
「女とガキを連れてこいってよ」
男の言葉が、朝の静かな空気に響いた。
カゲマルは苦無を構えたまま、ゆっくりと息を吐く。
目の前にいるのは忍ではない。
額当てもなければ、忍術を使う様子もない。持っている武器も刀や鉈、棍棒といった統一性のないものばかりだ。
それでも。
こちらへ向けられている敵意は、本物だった。
訓練とは違う。
負ければ怒られるわけではない。
怪我をする。
最悪の場合、死ぬ。
そして、自分たちの後ろにいるツナミとイナリが連れていかれる。
「……十人」
スズが小さく言った。
カゲマルは視線を動かさない。
「他には?」
「今のところ聞こえない。林の中にも、多分いない」
「多分?」
レンが聞く。
「絶対なんて言えない」
「それでいい」
カゲマルが答える。
スズの情報を絶対だと思わない。
ゲンマに何度も言われたことだ。
耳だけに頼るな。
そして、それはスズだけの話ではない。
カゲマルも同じ。
未来の知識だけに頼るな。
影だけに頼るな。
自分の目で見る。
自分の頭で考える。
男たちも、ようやく三人の存在に気づいたらしい。
先頭の男が足を止める。
「なんだ、お前ら」
その視線が額当てへ向いた。
一瞬。
表情が変わる。
「……木ノ葉の忍?」
後ろの男たちにもざわめきが広がった。
レンが一歩前へ出る。
カゲマルは何も言わなかった。
止めるほどではない。
まだ間合いは遠い。
「ここから先は行かせない」
レンが言う。
いつもの大きな声ではなかった。
少し硬い。
緊張している。
それでも、逃げてはいない。
先頭の男が三人を見比べる。
そして。
笑った。
「ガキじゃねぇか」
後ろからも笑い声が上がる。
「忍っつっても、子供だろ」
「三人しかいねぇぞ」
カゲマルは男たちの視線を見る。
自分。
レン。
スズ。
その後ろ。
家。
ゲンマの姿は見えていない。
正確には、見せていない。
少し離れた家屋の陰から状況を見ている。
相手からすれば。
本当に下忍三人だけ。
そう見える。
「どうする?」
スズが聞いた。
小さな声。
カゲマルは答える。
「向こうから来るまで待つ」
レンが僅かにこちらを見る。
「こっちから行かないの?」
「守るのは家だから」
敵を倒すために離れる必要はない。
こちらには守る場所がある。
向こうには近づく必要がある。
なら。
来させればいい。
「スズ」
「うん」
「左右を見てて。回り込む奴がいたら教えて」
「分かった」
「レン」
「おう」
「最初は任せる」
レンの口元が少し上がった。
「それ待ってた」
「ただし追いすぎない」
「分かってる」
「本当に?」
スズが聞く。
「分かってるって!」
その声で。
男たちの一人が苛立った。
「舐めやがって!」
前へ出る。
刀を持った男。
走る。
速くない。
アカデミーで何度も見た突進より、ずっと雑だ。
でも。
本物の刃だった。
レンの表情から笑みが消える。
「来るよ」
カゲマルが言う。
「おう」
男が刀を振り上げる。
レンは待った。
直前。
身体を横へずらす。
刃が空を切った。
「なっ――」
レンの拳が男の腹へ入る。
鈍い音。
男の身体が浮いた。
「ぐっ……!」
膝をつく。
レン自身が一瞬驚いた。
「……入った」
「レン!」
スズの声。
右。
レンが反応する。
二人目が棍棒を振り下ろしていた。
レンは後ろへ跳ぶ。
棍棒が地面を叩く。
その隙に三人目が回り込む。
「左からもう一人!」
スズが叫ぶ。
「見えてる!」
カゲマルが印を組む。
影が伸びる。
地面を走り。
回り込もうとしていた男の影へ。
接続。
男の身体が止まった。
「な、なんだ!?」
「影真似の術」
カゲマルが左腕を上げる。
男の左腕も上がった。
「う、動かねぇ!」
初めて見る忍術。
周囲の男たちが明らかに怯んだ。
カゲマルはそれを見逃さない。
「レン!」
「おう!」
レンが地面を蹴る。
影に捕らえられた男ではない。
その隣。
一瞬動きを止めた別の男へ向かう。
距離を詰める。
蹴り。
男が吹き飛ぶ。
「次、右!」
スズ。
レンが振り向く。
拳を避ける。
肘を入れる。
足を払う。
倒す。
速い。
アカデミーでも体術は得意だった。
ゲンマとの訓練で、さらに無駄が減った。
だが。
「レン、戻れ!」
カゲマルが叫ぶ。
「え?」
一瞬。
遅れた。
倒れた男の陰から。
別の男が飛び出す。
短刀。
レンの脇腹へ。
「っ!」
避けきれない。
カゲマルの身体が動きかけた。
その前に。
「下!」
スズの声。
レンが考えずにしゃがむ。
短刀が頭上を通過した。
そのままレンは地面へ手をつき、脚を振る。
男の足を刈る。
転倒。
すぐに距離を取った。
「……危な」
レンの顔から血の気が引いている。
今のは。
当たっていれば。
切られていた。
「戻って!」
「おう!」
今度は素直だった。
レンがカゲマルたちの位置まで下がる。
スズが言う。
「追いすぎ」
「……ごめん」
言い訳しない。
カゲマルは前を見る。
四人倒した。
一人は影で拘束中。
残り。
五人。
思ったより。
戦える。
そう思った瞬間。
カゲマルは自分の考えに気づいた。
違う。
まだ終わっていない。
「気を抜かないで」
自分にも言い聞かせるように呟く。
男たちの雰囲気が変わっていた。
もう笑っていない。
「こいつら……」
「本当に忍だぞ」
「ガキでも関係ねぇ!」
恐怖。
苛立ち。
そして。
焦り。
一人の男が叫ぶ。
「まとめて行け!」
残った男たちが一斉に動いた。
「五人!」
スズが叫ぶ。
正面三。
右一。
左一。
カゲマルは影真似を解除した。
拘束されていた男が崩れる。
一人だけを止めている場合ではない。
(どうする)
五人。
レン一人では捌けない。
自分も前へ。
いや。
全部止めようとするな。
ゲンマの言葉。
三人とも、自分で考えて動く。
「カゲマル」
スズの声。
「右は私が見る」
一瞬。
カゲマルはスズを見る。
スズはすでに苦無を抜いていた。
怖いはずだ。
手が僅かに震えている。
それでも。
目は逸らしていない。
「分かった」
それだけでいい。
「レン、正面!」
「任せろ!」
レンが前へ。
カゲマルは左。
三人が。
初めて。
別々に動いた。
──────────────
レンの前へ三人。
一人目。
刀。
二人目。
棒。
三人目は素手。
(全部見る)
ゲンマの訓練。
一人だけ見るな。
レンは刀を避ける。
反撃しない。
すぐ横へ。
棒。
身体を沈める。
頭上を通る。
三人目が掴みかかる。
「おらぁ!」
レンは腕を取る。
引く。
男の勢いをそのまま使い、前へ投げる。
男の身体が刀を持つ男へぶつかった。
「ぐっ!」
二人が崩れる。
レンは残った棒の男へ向く。
殴る。
避けられる。
もう一度。
フェイント。
男が顔を庇う。
レンは足を払った。
倒れる。
「よし!」
追わない。
レンは下がる。
さっき。
それで失敗した。
今度は。
周囲を見る。
────────
右。
スズへ男が走る。
鉈。
怖い。
音が。
大きく聞こえる。
男の足。
自分の呼吸。
心臓。
全部。
うるさい。
(落ち着いて)
聞くだけじゃない。
見る。
男の肩。
腕。
鉈。
右足。
振り上げる。
スズは横へ。
刃が外れる。
苦無を持つ。
刺す。
――違う。
一瞬、躊躇した。
人間を。
刺す。
その迷いを。
男は見逃さなかった。
「死ね!」
鉈が横薙ぎに来る。
スズは身体を反らす。
刃先が服を掠める。
「スズ!」
カゲマルの声。
でも。
助けには来ない。
来られない。
左にも敵がいる。
自分で。
やる。
スズは苦無を握り直す。
刺さなくてもいい。
手首。
男が再び鉈を振る。
その前。
踏み込む。
苦無の柄を。
手首へ叩きつける。
「っ!」
鉈が落ちる。
スズはさらに一歩。
掌底。
顎。
男がよろめく。
足を掛ける。
倒す。
距離を取る。
呼吸が荒い。
「……できた」
小さく呟く。
倒した。
殺してはいない。
それでも。
戦った。
────────
左。
カゲマルは苦無で男の刃を受けた。
金属音。
重い。
忍ほど速くはない。
でも。
大人の力。
まともに受ければ押される。
カゲマルは受け流す。
身体をずらす。
男の横へ。
苦無の柄で脇腹を打つ。
男が呻く。
だが倒れない。
「ガキが!」
腕が伸びる。
カゲマルの服を掴もうとする。
避ける。
影を使うか。
いや。
使わなくても。
戦えるようになれ。
ゲンマに言われた。
忍術一個潰されて終わる忍にはなるな。
カゲマルは苦無を逆手に持つ。
男の踏み込みを見る。
大振り。
一歩下がる。
空振り。
懐へ。
肘。
腹。
男が身体を曲げる。
その足を払う。
倒れた。
カゲマルは息を吐く。
「……よし」
その瞬間。
「カゲマル!」
レン。
背後。
気づく。
遅い。
最初に倒した男。
復帰していた。
刀が振り上げられている。
避ける。
間に合うか。
身体を捻る。
だが。
刃が迫る。
(――まずい)
瞬間。
足元の影が。
揺れた。
カゲマルが術を使うより。
僅かに。
早く。
影が伸びた。
男の足へ。
触れる。
ほんの一瞬。
男の踏み込みが止まった。
「なっ――」
カゲマルは考えなかった。
地面を蹴る。
男の懐へ。
掌底。
顎。
男が後ろへ倒れる。
刀が地面に落ちた。
静かになる。
カゲマルは動けなかった。
今。
何が。
(俺……術を)
使った?
いや。
印は。
組んでいない。
影真似ではない。
足元を見る。
影は。
普通だ。
何も起きていない。
「カゲマル!」
レンが駆け寄る。
「大丈夫か!?」
「……うん」
「今の危なかったぞ!」
「分かってる」
スズも来る。
服の脇が少し切れていた。
「スズ、それ」
「掠っただけ」
「怪我は?」
「ない」
レンも。
大きな怪我はない。
三人。
立っている。
周囲には男たち。
呻いている者。
気絶している者。
逃げようとしている者。
「終わった……?」
レンが呟く。
「まだだ」
ゲンマの声。
三人が振り返る。
ゲンマが歩いてくる。
今まで。
本当に手を出さなかった。
だが。
その手には千本があった。
いつでも投げられる状態で。
「敵が動けるうちは終わってない」
三人の表情が変わる。
「拘束」
「はい!」
すぐに動く。
武器を遠ざける。
男たちを縛る。
気絶している者も。
抵抗する者はゲンマが睨むだけで大人しくなった。
数分後。
ようやく。
本当に終わった。
────────
「全員座れ」
家の前。
三人が並んで座る。
レンは泥だらけ。
スズの服は少し切れている。
カゲマルの手には。
気づかないうちに汗が滲んでいた。
ゲンマが立っている。
「まず」
三人が見る。
「任務は達成」
レンの顔が明るくなる。
「よっ――」
「ただし反省点は山ほどある」
止まった。
「……はい」
ゲンマがレンを見る。
「朝倉」
「はい」
「最初に追いすぎた」
「はい」
「二回目は?」
「周り見ました」
「それでいい」
短い。
でも。
レンは少し嬉しそうだった。
次。
「水無瀬」
「はい」
「迷ったな」
スズの手が僅かに動く。
「……はい」
「刺せなかった?」
「はい」
ゲンマは責めなかった。
「最初はそれでいい」
スズが顔を上げる。
「人を傷つけるのを躊躇しなくなる方が問題だ」
ゲンマは続ける。
「ただし、迷って死ぬな。刺せないなら刺さなくていい。今日みたいに別の方法を選べ」
「……はい」
「それと」
ゲンマが切れた服を見る。
「帰ったら手当て」
「怪我してません」
「確認してから言え」
「はい」
そして。
カゲマル。
ゲンマの視線が向く。
「奈良」
「はい」
「途中までは悪くなかった」
途中まで。
カゲマルには分かった。
最後。
「背後を取られました」
「ああ」
「すみません」
「俺に謝るな。死ぬのはお前だ」
胸に刺さる。
「はい」
ゲンマが少し黙る。
「ただ」
視線が。
カゲマルの足元へ向いた。
「最後のあれ」
カゲマルの心臓が跳ねる。
「……見てました?」
「見てた」
レンが首を傾げる。
「何?」
スズも。
「最後?」
カゲマルは答えられない。
ゲンマが言う。
「術、使ったか?」
「……分かりません」
正直に答えた。
「印は?」
「組んでません」
「影真似を使うつもりは?」
「ありませんでした」
ゲンマがカゲマルの影を見る。
朝の光。
何もおかしくない。
「そうか」
それだけ。
「先生?」
「今はいい」
「でも」
「分からないものを今考えても答えは出ない」
父と。
少し似ている。
「覚えとけ」
ゲンマが言う。
「何が起きたかだけはな」
カゲマルは自分の影を見る。
感情。
危険。
守ろうとした時。
これまでにも。
似たことはあった。
ミズキの時。
そして今。
偶然なのか。
陰遁適性と関係があるのか。
分からない。
でも。
忘れない。
「はい」
その時だった。
「先生」
スズが立ち上がった。
ゲンマが見る。
「どうした」
スズは遠くを見る。
橋の方角。
「……何か聞こえる?」
レンが聞く。
「違う」
スズが空を見上げた。
カゲマルも。
見る。
霧の向こう。
遠く。
赤い光が。
空へ上がった。
信号弾。
一瞬。
全員が止まる。
ゲンマの表情が変わった。
「橋だ」
カゲマルの胸が跳ねる。
第七班。
ナルト。
サスケ。
カカシ。
再不斬。
白。
「先生!」
レンが立ち上がる。
「行くぞ」
ゲンマは即座に答えた。
「でも家は!?」
スズが聞く。
ゲンマは拘束した男たちを見る。
そして家。
ツナミとイナリ。
「水無瀬」
「はい」
「周囲」
スズがすぐ耳を澄ます。
目も動かす。
数秒。
「……今は他にいません」
ゲンマが判断する。
「全員で行く」
カゲマルが顔を上げる。
「いいんですか?」
「橋から信号が上がった以上、状況が変わった」
ゲンマは家へ向く。
「ツナミさん!」
扉が開く。
「はい!」
「こいつらは縛ってあります。俺たちは橋へ向かいます。絶対に外へ出ないでください」
ツナミの顔に不安が浮かぶ。
それでも。
頷いた。
「分かりました」
カゲマルは忍具袋を確認する。
今度は。
一回だけ。
「行ける?」
スズが聞く。
「うん」
レンも拳を握る。
「行こう」
ゲンマが走り出す。
三人も続く。
初めての実戦。
勝った。
任務も守った。
でも。
終わってはいない。
カゲマルは走る。
橋へ。
知っているはずの戦いへ。
そして。
もう。
知っている通りには進んでいない戦場へ。