雪は、しばらく降り続いていた。
ガトーの手下たちが逃げ去ったあとも、橋の上には誰もすぐに動き出そうとしなかった。戦いが終わったという実感が、身体に追いついていない。
カゲマルは白と再不斬を見ていた。
並んで横たわる二人。その周囲だけが、ひどく静かに見える。
知っていた。
二人がここで死ぬことも、その最期がどんなものになるのかも。
それでも、何も同じではなかった。
血の匂いも。再不斬の掠れた声も。白の閉じた瞼も。
前世で見ていた時には存在しなかったものが、今はあまりにも近くにある。
「カゲマル」
レンに呼ばれ、カゲマルは顔を上げた。
「……サスケ」
その一言で我に返る。
「ナルト!」
サクラがすでに駆け出していた。
砕けた氷の近く。ナルトがサスケの身体を抱えている。
「サスケ君!」
サクラが膝をつく。
「サスケ君! ねえ、返事して!」
「サクラちゃん……」
ナルトの声が弱い。
その顔を見た瞬間、カゲマルの胸が詰まった。
ナルトは。
まだサスケが死んだと思っている。
「俺を庇って……」
「嘘……」
サクラの手が震える。
サスケの頬に触れる。
冷たい。
返事がない。
「サスケ君……」
涙が落ちる。
カゲマルは動かなかった。
知っている。
サスケは死んでいない。
白は急所を外している。
そのはずだ。
でも。
(……本当に?)
足が止まる。
原作では。
記憶では。
そうだった。
だが、今まで何度も考えてきた。
ここはもう、自分が知っている物語そのものではない。
ナルトとサスケの関係も少し変わった。第十一班がいる。ゲンマもいる。白との戦い方だって、完全には同じではなかった。
なら。
サスケが生きている保証は。
「奈良」
ゲンマの声だった。
カゲマルが振り返る。
「突っ立ってないで確認しろ」
「……はい」
その一言で足が動いた。
カゲマルはサスケのもとへ駆け寄る。
「サクラ、ちょっといい?」
サクラが涙を浮かべたまま顔を上げた。
「何?」
「確認する」
首筋。
脈。
カゲマルの指が触れる。
一秒。
二秒。
「……」
ある。
弱い。
けれど。
確かに。
「生きてる」
ナルトが顔を上げた。
「え?」
「脈がある」
「本当!?」
サクラがカゲマルの腕を掴む。
「本当に!?」
「うん。ちゃんとある」
次の瞬間。
「サスケェェェ!!」
ナルトの声が橋中に響いた。
「うるせぇ……」
小さな声。
全員が止まった。
サスケの瞼が、僅かに開いている。
「……耳元で叫ぶな……ウスラトンカチ」
ナルトの口が開いたまま固まる。
「サスケ……」
「なんだ、その顔」
「サスケェェェ!!」
「だからうるせぇ!」
ナルトが抱きつこうとする。
サスケが弱々しく押し返す。
「離れろ!」
「生きてるってばよぉぉ!」
「見りゃ分かるだろ!」
「さっきまで死んでたじゃねぇか!」
「勝手に殺すな!」
サクラが泣きながら笑った。
「二人とも……!」
そしてナルトの頭を殴った。
「病人の上で騒がない!」
「なんで俺だけ!?」
「うるさいから!」
「サスケも喋ってんだろ!」
「お前が騒ぐからだ、ウスラトンカチ」
「何だとぉ!?」
いつもの二人。
いや。
少しだけ。
違う二人。
サスケは口では悪態をついている。
それでもナルトを見る目に、以前のような冷たさはなかった。
カゲマルはそれを見て、ようやく息を吐いた。
本当に。
生きている。
「……よかった」
無意識に出た言葉だった。
隣へ来たレンも頷く。
「ああ」
スズはサスケを見ながら首を傾げた。
「でも、なんで生きてるの?」
空気が一瞬止まる。
「言い方」
レンが小声で突っ込んだ。
「だって、あれだけ刺さってた」
「それは俺も思ったけど!」
カカシが近づき、サスケの状態を確認する。
「急所を外されてる」
ナルトが白を見る。
「……白が?」
「おそらくね」
カカシは千本の位置を確認する。
「最初から殺すつもりなら、もっと確実な場所を狙えたはずだ」
ナルトは黙った。
白を見る。
自分と戦っていた時も。
白は。
「……あいつ」
拳を握る。
でも。
その拳にはもう怒りはなかった。
「最後まで……」
その先は言わなかった。
誰も続きを求めなかった。
ゲンマが周囲を見回す。
「感傷に浸るのは後だ」
声はいつも通りだった。
少し気の抜けた、淡々とした口調。
「まだ任務中だぞ」
レンの背筋が伸びる。
「はい!」
「声でけぇ」
「……はい」
今度は小さい。
ゲンマはタズナを見る。
「橋の安全確認。負傷者の処置。それからさっきの連中が本当に引いたか確認する」
カカシが頷いた。
「こっちは僕がサスケを見るよ」
「なら任せる」
ゲンマが三人を見る。
「奈良、朝倉。俺と来い。水無瀬はここに残って周囲を見ろ」
「はい」
「分かりました」
スズがすぐに答える。
レンは立ち上がったものの、一歩目で顔をしかめた。
「いてて……」
ゲンマが見る。
「どこだ」
「え?」
「怪我」
「いや、怪我っていうか、さっき戦った時に――」
「見せろ」
「大丈夫ですよ」
「朝倉」
声の温度が少し下がった。
レンは素直に腕を出す。
「……はい」
袖を捲る。
前腕に浅い切り傷。
本人も気づいていなかったらしい擦り傷がいくつか。
ゲンマが確認する。
「動くか」
「はい」
「痺れ」
「ないです」
「なら後で処置。今は無茶すんな」
「はい」
カゲマルは自分の身体も見る。
痛み。
ある。
手首。
肩。
脚。
戦っている時には気づかなかった場所が、今になって少しずつ痛み始めている。
「奈良」
「……はい」
「お前もだ」
「まだ何も言ってないですけど」
「顔」
カゲマルは思わず苦笑した。
「またですか」
「分かりやすくなってきたな」
「それ、忍として大丈夫ですかね」
「知らん。自分で直せ」
横でレンが笑う。
カゲマルも少しだけ笑った。
こういう会話ができる。
それだけで。
少し気持ちが戻ってくる。
三人は橋の奥へ向かった。
途中。
白と再不斬の横を通る。
カゲマルの足が。
ほんの少しだけ遅くなった。
ゲンマは何も言わない。
レンも。
ただ。
通り過ぎる。
今は任務。
分かっている。
それでも。
カゲマルは一度だけ振り返った。
白の顔には、雪が落ちていた。
⸻
橋の安全確認を終える頃には、雪も弱くなっていた。
ガトーの手下が戻ってくる気配はない。波の国の人々も橋へ集まり始め、負傷者の手当てや散乱した武器の回収を手伝っている。
タズナはその光景を見ながら、しばらく黙っていた。
「……こんな日が来るとはな」
ナルトが振り返る。
「何が?」
「こいつらが自分から武器持って立つ日じゃ」
橋に集まった人々を見る。
怯えていた。
ガトーに逆らえば殺される。
何をしても無駄だと。
そう思っていた人たちが。
今は。
自分たちの足で立っている。
「お前のおかげじゃな」
「俺?」
ナルトが自分を指差す。
「そうじゃ」
タズナが笑う。
「お前がイナリを変えた。イナリが皆を動かした」
「へへっ」
ナルトが鼻の下を擦る。
「まあな!」
「すぐ調子に乗る」
サクラが呆れる。
「いいだろ別に!」
少し離れた場所。
カゲマルはそのやり取りを見ていた。
原作を知っていたから。
ナルトならきっとそうすると思っていた。
でも。
実際にやったのはナルトだ。
自分ではない。
未来の知識でもない。
ナルト自身が。
イナリと向き合って。
怒って。
言葉をぶつけて。
行動した。
その結果が。
目の前にある。
(これでいい)
カゲマルは思う。
自分が知っているからといって。
全部に関わる必要なんてない。
知らないふりをするのとも違う。
必要な時には動く。
でも。
誰かが自分で進める道まで。
先回りして奪わない。
簡単そうで。
きっと。
難しい。
「何笑ってんだ、兄貴みたいな顔して」
ナルトがいつの間にか近くにいた。
「どんな顔だよ、それ」
「シカマルがたまにするやつ」
「それ多分、面倒くさそうな顔じゃない?」
「そうとも言う!」
「褒めてないじゃん」
ナルトが笑う。
カゲマルも笑った。
そして。
ナルトの目が白へ向く。
笑顔が消える。
「なあ、カゲマル」
「ん?」
「忍って……道具なのかな」
突然だった。
カゲマルはすぐには答えなかった。
少し離れた場所にゲンマがいる。
カカシも。
でも。
ナルトが聞いたのは自分だった。
「分からない」
ナルトが意外そうに見る。
「分かんねぇの?」
「うん」
「お前、いつも何か知ってそうなのに」
「それ悪口?」
「違ぇよ!」
カゲマルは白を見る。
「忍は任務をする。命令もある。誰かを傷つけることだってある」
今日。
自分も初めて。
人に向けて苦無を構えた。
影で止めた。
殴った。
もし相手が忍だったら。
もしもっと強かったら。
殺すしかない場面も。
いつか来る。
「だから、道具みたいに扱われることはあると思う」
ナルトは黙って聞いている。
「でも」
カゲマルは続けた。
「自分まで、自分のことを道具だと思わなくてもいいんじゃないかな」
白は。
最後まで。
自分を道具だと言った。
再不斬も。
そう扱っているように見せた。
でも。
本当に。
それだけだったなら。
あんな涙は流れない。
「……そっか」
ナルトが白を見る。
「俺は嫌だな」
「何が?」
「道具になるの」
即答だった。
「俺は俺だし。仲間は仲間だ」
カゲマルは少し笑う。
「うん」
「それに!」
ナルトが急に声を上げる。
「俺は火影になる男だからな!」
「最後それ?」
「一番大事だってばよ!」
少し離れた場所から。
「うるせぇぞ、ウスラトンカチ」
サスケの声。
横になったまま。
「起きてたのかよ!」
「お前がうるさくて寝られねぇ」
「怪我人は寝てろ!」
「誰のせいでこうなったと思ってんだ」
「白だろ!」
「お前を庇ったんだよ!」
「頼んでねぇってばよ!」
「だからウスラトンカチなんだ」
「なんでだよ!」
サクラが額を押さえる。
「元気ね……」
スズがぼそりと言った。
「怪我人とは思えない」
レンが笑う。
「仲良いんじゃない?」
「誰が!」
「誰がだ!」
ナルトとサスケの声が重なった。
一瞬。
沈黙。
「真似すんな!」
また重なった。
レンが吹き出す。
サクラも。
スズまで少し笑った。
カゲマルも。
今度は。
普通に笑った。
ゲンマが少し離れた場所でその様子を見ている。
「元気なもんだな」
隣のカカシが言う。
「子供だからね」
「お前も大概ボロボロだろ」
「聞こえないなぁ」
「耳までやられたか」
いつもの調子。
だが。
ゲンマの目が。
一瞬だけ。
白と再不斬へ向いた。
カカシが気づく。
「どうした?」
「別に」
「そう?」
「ああ」
ゲンマは口元の千本を動かす。
「昔を思い出しただけだ」
カカシはそれ以上聞かなかった。
ゲンマも話さなかった。
⸻
その日の夕方。
白と再不斬は、橋から少し離れた静かな場所へ葬られた。
二つの墓。
再不斬の墓には首斬り包丁。
白の墓には。
ナルトが一輪の花を置いた。
「……じゃあな」
それだけだった。
長い言葉はない。
カゲマルたちも少し離れた場所から見ていた。
レンはいつもより静かだった。
スズも。
帰り道。
誰もすぐには話さなかった。
最初に口を開いたのはレンだった。
「俺さ」
カゲマルとスズが見る。
「今日、人に刀向けられた時」
少し考える。
「めちゃくちゃ怖かった」
スズが答える。
「私も」
「……だよな」
レンが笑う。
いつもの明るい笑い方とは少し違う。
「でもさ。怖いって思ってる暇なかった」
「うん」
スズが自分の服を見る。
鉈が掠めた場所。
「終わってからの方が怖い」
「分かる」
カゲマルも言う。
二人が見る。
「俺も怖かった」
レンが少し驚いた。
「カゲマルも?」
「そりゃ怖いよ」
「なんか冷静だったから」
「冷静に見せてただけ」
半分は本当。
半分は。
未来を知っていたから。
それでも怖かった。
いや。
知っていたからこそ。
怖いこともあった。
「先生は?」
レンが前を歩くゲンマへ聞く。
「何が」
「怖くないんですか?」
ゲンマは振り返らない。
少しだけ間を置いた。
「怖いぞ」
三人が意外そうに見る。
「え?」
「怖くなくなったら忍辞める」
ゲンマはそれだけ言った。
レンが首を傾げる。
「なんでです?」
「怖いから考える。怖いから確認する。怖いから、生きて帰ろうとする」
歩きながら。
淡々と。
「恐怖が邪魔になる時もある。だが、なくていいもんでもない」
三人は黙って聞く。
「今日怖かったなら覚えとけ」
ゲンマが続ける。
「忘れなくていい」
カゲマルはその背中を見る。
特別上忍。
経験豊富な忍。
自分たちより。
ずっと強い。
それでも。
怖い。
その言葉が。
妙に。
安心した。
「ただし」
ゲンマが続ける。
「怖かったからって明日の訓練休めると思うなよ」
レンの顔が固まる。
「明日もやるんですか!?」
「任務終わってないだろ」
「そうだった!」
スズがため息をつく。
「忘れてたの?」
「ちょっとだけ!」
カゲマルは笑った。
まだ。
木ノ葉へ帰るわけではない。
橋も完成していない。
任務は。
終わっていない。
でも。
大きな戦いは終わった。
そして。
第十一班の三人は。
里を出た時とは。
ほんの少しだけ。
違う忍になっていた。