再不斬と白との戦いから、数日が過ぎた。
ガトーを失ったことで波の国を縛っていたものは急速に崩れ始めていた。港には少しずつ人が戻り、止まっていた荷の行き来も再開し始めている。そして何より大きかったのは、人々の顔から以前のような諦めが消えつつあることだった。
橋の工事も再開された。
「そっち持ち上げろー!」
「持ってるって!」
「全然上がってない!」
「スズも手伝ってくれよ!」
「私はこっちを固定してるの。離したら倒れるけど?」
「じゃあそのままで!」
橋の上では、レンが木材を抱えて悪戦苦闘していた。
忍の任務なのかと聞かれれば微妙なところだが、護衛対象であるタズナが橋の建設を続ける以上、その周辺を守るのも仕事のうちだ。もっとも、敵襲の気配がなくなってからは警戒だけでは時間を持て余すため、いつの間にか第七班も第十一班も工事を手伝うようになっていた。
カゲマルはレンの横で木材を支えながら笑う。
「もうちょっと右」
「右って俺から見て!?」
「橋から見て」
「橋に右左あるのかよ!」
「あるんじゃない?」
「なんで疑問形なんだ!」
少し離れた場所で、タズナが豪快に笑った。
「忍者っちゅうのはもっと器用なもんかと思っとったわ!」
「俺は戦闘担当なんです!」
レンが言い返す。
「下忍が何言ってるの」
スズの一言で、近くにいた作業員たちまで笑い始めた。
「スズ! 最近俺に厳しくない!?」
「最初からだけど」
「そうだった!」
カゲマルも吹き出した。
こんな時間が妙に心地いい。
数日前、この場所では人が死んだ。血の匂いがして、霧の中からいつ刃が飛んでくるかも分からなかった同じ橋で、今は人々の笑い声が聞こえている。
その変化が、カゲマルには不思議だった。
「兄貴!」
聞き慣れない呼ばれ方に振り返る。
イナリが走ってきた。
もちろん自分を呼んだわけではない。そのままナルトのところへ駆けていく。
「ナルト兄ちゃん、こっちも手伝って!」
「任せろってばよ!」
ナルトは木材を持ち上げようとして、隣から同じ木材を掴んだサスケを見る。
「おい、それ俺が持つやつだぞ」
「遅いからだ」
「なんだと、サスケ!」
「聞こえなかったか、ウスラトンカチ」
「一人で持てるってばよ!」
「なら持て」
「言ったな!」
二人が同時に持ち上げる。
必要以上の勢いで木材が浮いた。
「うおっ!?」
「馬鹿、急に上げるな!」
「お前も上げただろ!」
「二人とも危ない!」
サクラの拳が二人の頭へ落ちた。
木材を固定していた作業員が腹を抱えて笑っている。
「元気だね」
カゲマルが言うと、隣のスズが頷いた。
「怪我人だったとは思えない」
サスケはまだ包帯を巻いている。完全に治ったわけではないため、カカシから無理な運動は禁止されていたはずだが、本人は聞く気がないらしい。
「カカシ先生、止めなくていいんですか?」
カゲマルが橋の端へ声をかける。
カカシは手すりにもたれながら本を読んでいた。
「若いうちは元気なのが一番だから」
「自分が手伝いたくないだけじゃないですか?」
「そんなことないよ」
一拍。
「多分」
「先生!」
サクラの声が飛ぶ。
カカシは本から顔を上げない。
その少し離れた場所では、ゲンマが欄干に腰掛けて海を見ていた。
こちらも手伝う気配はない。
カゲマルはしばらく眺めたあと、口を開く。
「ゲンマ先生も手伝わないんですか?」
「監督」
即答だった。
「カカシ先生と同じこと言ってますよ」
「俺の方が先に言った」
「そこ重要ですか?」
「重要だな」
どうやら動く気はない。
レンが木材を抱えたまま叫ぶ。
「先生! せめてこれだけ!」
「頑張れ」
「軽い!」
スズがぼそりと言う。
「昨日、持ってるもの磨けって言われたでしょ」
「筋力を磨けって意味だったの!?」
「違うと思う」
カゲマルは笑いながら、再び木材へ手を掛けた。
戦いが終わってから、第十一班の空気が少し変わった気がする。
劇的なものではない。
レンは相変わらず声が大きいし、スズは相変わらず容赦がない。自分も急に強くなったわけではなかった。
それでも、三人で動く時に確認することが減った。
レンが前へ出れば、スズは自然に周囲を見る。スズが何かに気づけば、以前より早くレンが反応する。カゲマル自身も、何でも自分で指示しようとすることが少なくなっていた。
訓練で覚えたのではない。
怖い思いをして、失敗して、それでも三人で帰ってきたから身についたものだった。
「奈良」
不意に呼ばれる。
「はい?」
ゲンマが顎で示す。
「ちょっと来い」
カゲマルは木材をレンへ預ける。
「お願い」
「え、ちょ、重っ!」
「頑張って」
「お前まで!?」
スズが無言で少し支えた。
「スズ……!」
「うるさい」
カゲマルは二人を残し、ゲンマのところへ向かった。
橋の端まで来ると、海風が頬を撫でる。ゲンマは欄干から降りることなく、前を向いていた。
「何ですか?」
「手」
「手?」
言われて自分の手を見る。
「影が勝手に動いた時の話だ」
カゲマルの表情が変わる。
初めての実戦。
背後から刀を振り下ろされた瞬間、自分が印を結ぶより早く影が相手の足へ伸びた。
ほんの一瞬。
あれ以来、同じことは起きていない。
「……やっぱり気になります?」
「そりゃな」
ゲンマは千本を口元で動かす。
「自分でやった感覚は?」
「ほとんどありません。ただ、危ないって思った瞬間に影が伸びて……」
「チャクラは使ったか」
「多分」
「多分か」
「すみません」
「謝ることじゃねぇよ」
ゲンマは少し考える。
「奈良の影真似は陰遁だったな」
「はい」
「俺はそっちの専門じゃない。だから、分からんもんを適当に説明する気もない」
カゲマルは頷いた。
それがゲンマらしかった。
分からないものを、教師だからという理由で分かったふりはしない。
「里に戻ったら親父さんに聞け」
「父さんに?」
「奈良の術なら奈良に聞くのが早いだろ」
当たり前の話だった。
それでもカゲマルの胸が少し高鳴る。
父なら。
シカクなら。
何か分かるかもしれない。
幼い頃から、父は自分の影を気にしていた。
――こいつの影は妙だ。
昔聞いた言葉が頭をよぎる。
「ただし」
ゲンマの声で思考が戻る。
「面白がって一人で試すなよ」
「……そんな顔してました?」
「してた」
「最近、本当に顔で全部バレますね」
「直した方がいいな」
「ですよね」
カゲマルは苦笑する。
ゲンマは海を見たまま続けた。
「自分で制御できない術は、敵より先に味方を傷つけることもある」
少しだけ。
声が低くなる。
「力があることと、使えることは別だ」
カゲマルは返事をせず、その言葉を飲み込んだ。
才能。
陰遁適性。
未来の知識。
自分には、普通なら持っていないものがいくつもある。
でも、それだけでは忍として強いとは言えない。
木登り一つでもそうだった。
理屈を知っていても、できるとは限らない。
「……はい」
「ならいい」
ゲンマは欄干から降りた。
話は終わりらしい。
「あの、先生」
「なんだ」
カゲマルは少し迷った。
聞くなら。
今かもしれない。
「白が死んだ時」
ゲンマの足が止まる。
「先生、何か思い出してました?」
風が吹いた。
少し離れた場所から、レンとナルトの声が聞こえる。
ゲンマはすぐには答えなかった。
やがて、口元の千本を僅かに動かす。
「よく見てんな」
「すみません」
「だから謝るな」
ゲンマは橋の先を見る。
「昔な」
それだけ言って、少し間を置く。
「自分の命と引き換えに、誰かを守った奴がいた」
カゲマルは黙る。
知っている。
誰なのか。
マイト・ダイ。
第三次忍界大戦。
忍刀七人衆を相手に、八門遁甲の死門を開き、ゲンマたちを逃がした男。
でも。
カゲマルは知らない顔をした。
ここで自分が知っていていい話ではない。
「その人は……」
「死んだ」
短い返事だった。
「俺たちは生きた」
ゲンマの声に感情はほとんどない。
だからこそ、カゲマルはそれ以上聞けなかった。
「白を見て、そいつを思い出しただけだ」
ゲンマはカゲマルを見る。
「だから奈良」
「はい」
「仲間を守るのはいい」
その目が。
少しだけ鋭くなる。
「勝手に死ぬな」
カゲマルの胸に、その言葉が落ちた。
ミズキの時。
自分は一人で飛び出した。
初めての実戦でも、危険を自分で引き受けようとした。
ゲンマは。
最初から気づいていた。
「……はい」
「返事だけなら誰でもできる」
「努力します」
「それも怪しいな」
「じゃあ、どう答えればいいんですか」
「自分で考えろ」
カゲマルは少し笑った。
「先生、それ便利ですね」
「便利だから使ってる」
ゲンマも僅かに笑う。
その時。
「カゲマルー!」
レンの声が飛んできた。
振り返る。
「助けろ! ナルトまで乗ってきた!」
見ると、レンが巨大な木材を支え、その上へナルトがなぜか跨がっていた。
「何してるの!?」
「違う! こいつが勝手に!」
「修行だってばよ!」
「降りろ!」
サスケが少し離れた場所から呆れた顔で見ている。
「ウスラトンカチ」
「なんだと!」
「ナルト! 動いたら危ないでしょ!」
サクラまで走ってくる。
スズはもう諦めたように額へ手を当てていた。
カゲマルはゲンマを見る。
「行ってきます」
「頑張れ」
「先生も来てくださいよ」
「監督だからな」
「それ、便利ですね」
「便利だから使ってる」
二回目だった。
カゲマルは笑いながら皆のところへ戻った。
その背中を、ゲンマがしばらく見ていた。
やがて千本を口元へ戻し、小さく呟く。
「……死ぬなよ」
その声は。
海風に消えた。
数日後。
橋は完成した。
長い橋の上に、波の国の人々が集まっている。
木ノ葉へ帰る日。
タズナ、ツナミ、イナリ。そして工事に携わった人々が、第七班と第十一班を見送りに来ていた。
「もう帰っちゃうの?」
イナリが寂しそうに聞く。
ナルトは笑う。
「何言ってんだ! 俺たちは木ノ葉の忍者だからな!」
「また来る?」
「おう!」
迷いのない返事だった。
イナリが笑う。
タズナは完成した橋を見上げる。
「この橋には名前をつけんとな」
ナルトが首を傾げた。
「名前?」
「ああ」
タズナは少し考え。
そして、笑った。
「ナルト大橋」
「……え?」
ナルトが固まる。
「この国に勇気を取り戻した、ある大馬鹿者の名前じゃ」
「大馬鹿者は余計だってばよ!」
そう言いながら。
ナルトの顔は
どうしようもなく嬉しそうだった。
「すげぇじゃん!」
レンが素直に驚く。
スズも橋とナルトを見比べる。
「十二歳で橋に名前がつく人、初めて見た」
「俺も橋欲しい!」
「何に使うの」
「分かんないけど!」
「じゃあいらないでしょ」
「夢がない!」
カゲマルは笑った。
そして。
橋を見る。
ナルト大橋。
前世で知っていた名前。
同じ名前になった。
でも。
そこへ至る道は。
少しだけ違っている。
それでいい。
未来を知っている自分がいる。
第十一班がいる。
レンとスズがいる。
ゲンマがいる。
なら。
全てが同じになる方がおかしい。
それでも。
変わらないものもある。
ナルトは。
やっぱりナルトだった。
「行くぞ」
ゲンマの声。
「はい」
カゲマルは橋を渡り始める。
隣にレン。
反対側にスズ。
少し前には第七班。
ナルトとサスケは、もう何かで言い争っている。
木ノ葉を出た時。
カゲマルは未来を知っていた。
だから。
どこかで安心していたのかもしれない。
何が起きるか分かる。
誰が勝つか分かる。
誰が生き残るか分かる。
でも。
もう。
そうは思わない。
物語は
少しずつ変わっている。
そして
自分もその中にいる。
カゲマルは一度だけ振り返った。
完成した橋。
手を振る人々。
その向こうにある
二つの墓。
「……じゃあね」
小さく呟く。
そして
前を向いた。
次に待っているものを
カゲマルは知っている。
――中忍試験。
だが今度は、
知っているからといって
知っている通りになるとは限らない。
そのことを
波の国で嫌というほど学んだ。
カゲマルは少しだけ笑った
それでも
不思議と怖くはなかった。