翌朝、第三演習場へ着いたカゲマルを待っていたのは、木に背中を預けて座り込むレンだった。
「……おはよう」
「おはよう。どうしたの?」
「全身が痛い」
声にいつもの勢いがない。カゲマルが隣へしゃがむと、レンは恨めしそうに自分の腕を持ち上げた。
「波の国で戦って、橋の工事手伝って、何日も歩いて帰ってきた翌日に訓練っておかしくない?」
「八時半にしてもらったじゃん」
「三十分で俺の身体が回復すると思うか?」
「昨日は喜んでたけど」
「昨日の俺は馬鹿だった」
「そこは否定しない」
いつの間にか来ていたスズが会話へ加わり、レンは顔だけを彼女へ向ける。
「おはよう、スズ。今日も冷たいな」
「おはよう。今日も元気ないね」
「心配するか馬鹿にするか、どっちかにしてくれ」
「両方」
カゲマルが笑ったところで、演習場の入口からゲンマが歩いてきた。時刻は八時二十八分、相変わらず集合時間より僅かに早い。
「全員いるな」
「先生、質問です」
地面に座ったままレンが手を上げる。
「却下」
「まだ何も言ってない!」
「休みにしてくれ、だろ」
「なんで分かったんですか!?」
「顔」
カゲマルとスズが同時にレンを見る。
「顔だって」
「顔だね」
「お前らまで言うなよ!」
ゲンマは三人の前まで来ると、口元の千本を動かした。
「安心しろ。今日は軽めだ」
「本当ですか!?」
「ああ。まず里を二十周」
「軽めの基準がおかしい!」
「冗談だ」
数秒の沈黙のあと、レンが胸を押さえる。
「先生が冗談言うと分かりにくいんですよ……」
「知らん」
ゲンマはそのまま演習場の中央へ歩き、カゲマルとスズも後を追う。レンも渋々立ち上がった。
三人が並ぶと、ゲンマは珍しくすぐには訓練を始めなかった。
「波の国で初めて実戦を経験したわけだが、何か変わったか?」
レンとスズが顔を見合わせる。
「変わったって、何がです?」
「何でもいい」
最初に答えたのはスズだった。
「周りを見る回数が増えました」
「理由は?」
「見えてるものだけ見てると危ないからです。音も同じで、一つに集中すると他を聞き逃す」
波の国でスズは何度も周囲の音を拾っていたが、白や再不斬のような忍を相手にすれば、音が聞こえるだけでは足りないことも知った。
ゲンマは軽く頷く。
「朝倉は?」
「俺は……突っ込みすぎなくなった?」
スズが首を傾げる。
「なった?」
「多分」
「疑問形じゃん」
「前よりは止まれるようになっただろ!」
カゲマルは初めての実戦を思い返す。最初の敵を倒した直後、レンはそのまま次へ行こうとして反撃を受けかけたが、二度目からはきちんと戻っていた。
「前よりは」
「ほら!」
「まだ突っ込むけど」
「カゲマル!」
ゲンマは二人のやり取りを聞き流し、最後にカゲマルを見る。
「奈良」
「俺は……分からないことを、分からないままにしておけるようになった気がします」
レンが不思議そうな顔をした。
「それ、成長なの?」
「俺にとっては多分」
「悪くない」
ゲンマが僅かに口元を緩める。
カゲマルには未来の知識がある。そのせいで、目の前で起きていることにも先に答えを当てはめようとしてしまう。再不斬はこう動く、白はこうする、ナルトはこうなる――けれど実際には、知っている物語と目の前の現実は少しずつ違っていた。
父にもゲンマにも似たことを言われたが、現場で見たものより頭の中の答えを優先すれば、いつか致命的な間違いをする。波の国で一番変わったのは、そこなのかもしれない。
「じゃあ今日は、それを確認する」
ゲンマが三つの木札を取り出すと、レンが嫌そうな顔になった。
「絶対軽くないやつだ」
「走り回る訓練じゃない」
「じゃあ軽い!」
「頭を使う」
「重い!」
「どっちなんだよ」
カゲマルが笑う。
ゲンマは三人へ一枚ずつ木札を渡した。表には数字が書かれており、カゲマルが三、レンが七、スズが二だった。
「演習場の中に十個の札を隠してある。制限時間は一時間」
「探せばいいんですね?」
すぐに周囲を見たレンを、ゲンマが止める。
「最後まで聞け。札には一から十まで数字が振ってある。ただし、持って帰っていいのは一人一枚。三人の合計を十五にしろ」
カゲマルは手元の札を見る。現在の合計は十二だ。
「交換ありですか?」
「あり。誰が何を持つかも自由だ」
「札は全部、本当に演習場の中にありますか?」
スズの質問に、ゲンマの眉が僅かに動く。
「ある」
「偽物は?」
「ある」
レンが頭を抱えた。
「もう嫌な予感しかしない」
「罠もある。取った時点で失格になる札も一つある」
「聞くたびに条件増えてません!?」
「今説明してるからな」
「最初に全部言ってくださいよ!」
「今が最初だ」
正論だった。レンが黙ると、ゲンマはさらに続けた。
「三人で固まって探してもいいし、別れてもいい。やり方は任せる」
カゲマルは札を見ながら条件を整理する。十枚の札に偽物と失格札が混ざり、一人一枚で合計十五。制限時間は一時間となれば、まず効率を考えるなら――。
「カゲマル」
スズに呼ばれて顔を上げる。
「また一人で考えてる」
レンもこちらを見ていた。
「あ、ごめん。三人で分担した方が早いかなって。ただ、罠があるなら見つけてもすぐ取らず、場所だけ共有した方がいいと思う」
「私もそれがいいと思う。最初は三方向に分かれて、見つけた場所だけ覚える」
レンが手を上げる。
「で、最後に必要な数字を取りに行く!」
「うん。それでやろう」
以前ならカゲマルが全体の手順まで決めていたかもしれないが、今は二人も自分で考えている。
三人が別方向へ走り出そうとした時、ゲンマの声が飛んだ。
「待て」
「何ですか?」
「制限時間、もう始まってるぞ」
「早く言ってくださいよ!」
今度こそ三方向へ散った。
カゲマルは木々の間を走りながら、札だけに集中せず地面や枝、木の幹にある小さな違和感を順番に拾っていく。ほどなく一本の木の根元に九の札を見つけたが、手を伸ばしかけて止まった。
周囲の土が不自然に柔らかい。しゃがんで確認すると細い糸が土の中へ続いており、取れば何かが作動する仕掛けらしい。
「……罠か」
位置だけ覚えて離れ、次に見つけたのは四。目立った仕掛けはないものの、数字の書き方が手元の札と僅かに違う。偽物の可能性が高いと判断し、こちらも触らず先へ進んだ。
十五分ほど経った頃、遠くからレンの悲鳴が響いた。
「うわぁぁぁ!」
直後、何かが連続して木へ当たる音がする。
カゲマルは反射的に足を止めたものの、すぐには向かわなかった。悲鳴のあとにも走る足音が続いているし、本当に危険ならゲンマが動く。それに、レン自身が対処できるかもしれない。
数秒後。
「危なかったぁぁ!」
元気な声が聞こえてきた。
カゲマルは小さく笑い、探索を再開する。
以前なら、すぐに確認へ向かっていたかもしれない。仲間を信じるというのは助けることだけではなく、任せることも含まれるのだろう。
三十分後、三人は最初の場所へ戻った。
「死ぬかと思った」
レンの髪に葉っぱが刺さっている。スズが無言でそれを取った。
「何したの?」
「五の札見つけて取ろうとしたら、丸太が飛んできた」
「取った?」
「取ってない!」
「なら失格札ではないかも」
「俺の心配は!?」
「元気そうだから」
カゲマルは笑いながら、自分が見つけた札の位置を地面へ簡単に描く。
「俺は九と四。九は罠あり、四は多分偽物」
「私は一、六、八。八は木の上で、六は糸がついてた」
「俺は五と十。あと多分七もあった」
「多分?」
「取ろうとしたら先生の千本飛んできた」
三人が揃ってゲンマを見る。
「見つけたからって考えずに触るな」
「札じゃなくて先生が罠じゃないですか!」
ゲンマは答えない。
カゲマルは地面に並んだ数字を見る。一、四、五、六、七、八、九、十。まだ二と三が見つかっていないが、そもそも最初に渡された札が三、七、二で合計十二ある。
「先生」
「何だ」
「最初にもらった札も、最後の三枚に使えますか?」
「使える」
レンが固まった。
「じゃあ俺たち、最初から十二持ってたの?」
「そうだな」
「三の札一枚探せば終わりじゃん!」
「三人で一枚ずつだぞ」
「……あ」
スズが地面を見る。
「今の札を残すなら三、七、二で三人分使ってる。だから誰かの札を交換しないと十五にはできない」
カゲマルも数字を追い、すぐに答えへ辿り着いた。
「スズの二を五に変えればいい」
三、七、五で十五。
レンが顔を上げる。
「五なら場所分かる!」
「でも丸太の罠がある」
「もう見たから次は避けられる!」
「本当に?」
「多分!」
スズが即座に答えた。
「不安」
カゲマルは少し考え、レンを見る。
「じゃあ任せる」
「俺一人で?」
「場所知ってるのレンだし、罠も一回見てるんでしょ? 俺たちが行くより早いよ」
レンの口元が上がった。
「任せろ!」
勢いよく森へ駆けていく。
スズがその背中を見る。
「大丈夫かな」
「多分」
「カゲマルまで疑問形」
「でも任せたから」
二人はその場で待つ。以前ならカゲマルも追いかけ、罠の位置を聞いて安全な取り方まで考えていたかもしれない。
数分後、森の奥から何かが激突する音が響いた。
スズとカゲマルが同時に顔を見合わせる。
「……大丈夫かな」
「さっきより不安になった」
さらに少し待つと、枝を掻き分けてレンが現れた。服は土まみれで額には葉っぱまでついているが、右手にはしっかり五の札が握られている。
「取ったぞー!」
カゲマルとスズが笑った。
「遅い」
「頑張ったんだぞ!」
三人はゲンマの前へ三、七、五の札を並べる。
「十五です」
ゲンマは裏や縁、印まで確認したあと、ようやく口を開いた。
「合格」
「よっしゃ!」
「ただし、朝倉は罠に二回引っかかった」
拳を上げたレンの動きが止まる。
「二回目は避けました!」
「半分な」
「半分?」
「丸太避けて落とし穴落ちただろ」
カゲマルとスズがレンを見る。
「なんで知ってるんですか!?」
「見てたからな」
「助けてくださいよ!」
「自分で出てきただろ」
ゲンマは次にスズを見る。
「水無瀬。慎重なのはいいが、確認に時間かけすぎだ。実戦じゃ待ってくれない」
「はい」
最後にカゲマルへ視線を移す。
「奈良。朝倉が悲鳴上げた時、行かなかったな」
「聞こえてたんですか?」
「聞こえるだろ、あれだけ叫べば。どうして行かなかった」
「走る音が続いてたし、先生も動いてなかったから。それに、レンなら大丈夫だと思いました」
ゲンマは少しだけ黙った。
「そうか」
評価らしい評価はそれだけだったが、カゲマルには十分だった。
訓練が終わり、三人で演習場を出る。
「腹減った!」
レンが大きく伸びをする。
「まだ昼前だけど」
「頭使ったから!」
「罠に引っかかってただけじゃない?」
「身体も使った!」
スズが呆れたように息を吐く。
二人の間を歩きながら、カゲマルはふとアカデミーの頃を思い出していた。あの頃はシカマルやナルトがいて、卒業すれば自分の知っている原作の物語が始まるのだと思っていた。
実際には自分にも班ができ、知らなかった二人と出会い、知らなかった先生に教わり、知らなかった任務を経験した。
自分が覚えている物語より、この世界はずっと広い。
「カゲマル」
レンに呼ばれ、思考を切る。
「何?」
「ラーメン食いに行こうぜ」
「いいよ」
「スズも!」
「私は――」
「行こうよ」
カゲマルが誘うと、スズは少し考えてから頷いた。
「……じゃあ行く」
「よし!」
三人は並んで演習場を後にした。
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その頃、火影邸では一枚の書類がヒルゼンの机へ置かれていた。
「今年も、この時期か」
ヒルゼンは煙管を手に取りながら書類へ目を落とす。そこに記されているのは、これから木ノ葉だけでなく他里の下忍たちをも巻き込む一つの試験についてだった。
**中忍選抜試験**
その知らせがカゲマルたちのもとへ届くまで、あと数日。
文章の読みやすさ
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以前より読みやすい
-
以前より読みづらい
-
変わらない