白銀さんちの超高校級 作:るるトゥ
「……怪しい。」
私はスマホの画面を睨みつけながら、ぽつりと呟いた。
画面に映っているのは、クラスメイトから送られてきた一枚の写真。
そこには、私のもう一人の兄――メグ兄こと白銀廻が、見知らぬ女子生徒に向かって優しく微笑んでいる姿が写っていた。
いや、見知らぬ女子生徒というのは正確じゃない。
一人は同じクラスの子。もう一人は別のクラスの子。そして三人目に至っては、なんと中等部の生徒だった。
しかも全員、頬を染めてなんだかうっとりとした顔をしている。
……何これ?
いや、メグ兄が優しいのは知っている。
家事全般を完璧にこなしてくれるし、私が勉強で行き詰まっていたらさりげなく助言してくれる。髪型が変わればすぐに気づいて褒めてくれるし、ちょっとした変化も見逃さない。
そこまではいい。
問題は、最近のメグ兄が私以外の女子に対しても、妙に褒め上手になっていることだ。
『今日の髪型、よく似合っていますね。いつもと雰囲気が違って素敵です』
『その問題を解けたのですか? すごいですね、努力した成果が出ています』
『重そうですね。半分持ちましょうか? 無理をして怪我をしたら大変ですから』
……いや、最後のは褒めてないけど。
でも、こういうキザなセリフを完全な無自覚&ナチュラルに連発しているらしい。
しかも、相手が女子に酷く偏っている。
もちろんメグ兄はもともと面倒見がいい人だ。人の長所を見つけるのが得意だし、困っている人を放っておけない性格でもある。
だから誰かを褒めたり助けたりすること自体はおかしくない。
おかしいのは、その頻度と影響範囲だ。
高等部の女子たちの間では、すでにメグ兄の噂が爆発的に広がっているらしい。
曰く――白銀御行の弟には、信じられないほど顔がよくて、料理もできて、気遣いもできて、しかも褒め上手な『男の娘』がいる。
曰く――その男の娘は誰にでも優しいのに、ときどき不意打ちみたいな殺し文句を言ってくる。
曰く――笑顔がかわいすぎて尊い。
……最後のは余計。
そしてその噂は、とうとう中等部にまで流れてきたのだ。
私は思わず額を押さえた。
「なんでよ……。」
「圭ちゃん、どうしたの?」
「なんでもない。」
友達にそう返し、私はスマホを伏せた。
いや、なんでもなくない!
だっておかしいでしょう。
メグ兄はたしかに美人だ。兄というより『お姉ちゃん』と言われたほうが納得できるくらいには整った顔をしているし、本人も自分の容容姿については理解しているはずだ。
なのに最近はそれをまったく気にしていないかのように、女子に対して無防備すぎる。
……いや、無防備というか。
本人だけが、自分のやっていることの『殺傷能力』を理解していない。
これが最大の問題だ。
「……よし。」
私は意を決してスマホを手に取り、メグ兄とのトーク画面を開いた。
『今日、帰ったら話がある』
送信。
数秒後――。
『わかりました。何か困ったことでもありましたか?』
……この返事。
この返事がもう、ずるい。なんでそんなに自然に優しいのよ。
私がお兄ぃからメッセージが来たときには、基本的に短文スタンプ一つで返す。父からの連絡なんて必要最低限以下の返答しかしない。
だってあの二人は放っておくとすぐに余計なことを言うから。
お兄ぃは努力家だけど妙なところで鈍くさいし、父は父で人生を面白おかしく眺めている節がある。
その点、メグ兄は違う。
こちらが不機嫌なときには無理に聞き出そうとせず、話したいと思ったときにちゃんと寄り添って聞いてくれる。
だからメグ兄に対してだけは、私だって素直になれるのだ。
……だからこそ。
「絶対、裏で何かあった。」
私は確信した。
今日こそメグ兄の最近の言動の謎を暴いてみせる。
そして、もしもくだらない理由だったとしたら――。
「お兄ぃを問い詰める。」
原因がお兄ぃだった場合、容赦するつもりは一切なかった。
もっとも、この時点での私はまだ知らなかったのだ。
その推理が驚くほど真実に近かったことを。
そして黒幕が、私の想像をはるかに超えるおバカさんだったということを。
───*───
「ただいまー。」
「おかえりなさい、圭。ちょうどお茶を淹れたところですよ。」
帰宅すると、エプロン姿のメグ兄が出迎えてくれた。
……うん、可愛い。
いや違う! 今はそういう癒ややしを求めている場合じゃない。
「メグ兄。」
「はい?」
「最近、学校で何してるの?」
「学校ですか? もちろん真面目に授業を受けていますよ。」
「そういうことじゃなくて。」
「ふむ……ご友人と話したり、困っている方を少し手伝ったり、ですね。」
「女子と?」
「ええ、まあ。もちろん男子とも話しますよ?」
その涼し気な返答に、私は目を細めた。
「……女子にやたら優しいって、噂になってるんだけど。」
「そうなのですか?」
本気で心当たりがないといった風に、首を傾げるメグ兄。
この人、本当に1ミリも自覚がない。
「メグ兄、最近いろんな女子を褒めちぎってるでしょ。」
「褒める……あぁ、そうですね。素敵なところがあれば、素直に伝えたほうがいいと思いましたので。」
「それ、なんで急に始めたの?」
「急に……?」
メグ兄は顎に手を当てて考え込んだ。
そして、ぽんと手を打つ。
「ああ。そういえば、御行兄様に教えていただいたのです。」
…………はい?
今、なんて?
「……お兄ぃに?」
「ええ。以前、兄様がとても誇らしげにしていたので何かあったのか尋ねたのです。そうしたら、こう教えてくれまして。」
メグ兄は記憶を辿るように、少し目を細めた。
『周囲から信頼されるイイ男ってのはな、女子のことをよく気遣えて、小さな変化でもちゃんと褒められるヤツなんだよ。』
…………。
………………。
「……は?」
「ですから、僕も実践してみようと思いまして。人の美点を見つけて言葉にするのは、決して悪いことではありませんからね。」
「ちょっと待って。」
私はぐっと額を押さえた。
お兄ぃ。
あんた、純真無垢な弟に何を吹き込んでんの……!?
「それで実際に試してみると、皆さん本当に嬉しそうにしてくださるんです。相手が笑顔になると、僕まで心が温かくなりますね」
「……メグ兄。」
「はい?」
「それ、お兄ぃが言ってたのって……。」
「はい?」
「……ううん、いい。」
ダメだ。
ここで真実(お兄ぃが言っていた『信頼される』とは、単に『モテたい・格好つけたい』という邪心100%の意味だということ)を告げたところで、メグ兄は悪くない。
この人は言われた言葉を純粋に受け取り、純粋に実行しているだけなのだから。
問題は、助言をした人間の『下心』と、助言を実行している人間の『スペック』が、致命的なまでに噛み合っていないことだ!
お兄ぃはきっと、自分が女子(というか四宮さん)に気遣いができる男だと思われたくて言ったのだろう。
その結果、超絶美形なメグ兄がそれを本気でストイックに実行し――高等部に『男の娘旋風』を巻き起こしてしまったのだ。
「…………。」
「圭? どうしました? お茶、冷めてしまいますよ」
「……メグ兄は、悪くないからね。」
「え?」
「なんでもない!」
私は出されたお茶を勢いよく受け取った。
メグ兄は不思議そうにパチパチと目を瞬かせている。
その天使のような姿を見ていると、毒気を抜かれそうになるけれど――。
(お兄ぃ……!!)
帰ってきたら、絶対にタダじゃおかない。
私は心の中で、もう一人の兄に対する怒りの炎を静かに、そして激しく燃やし続けた。
───*───
翌日。
私は秀知院学園の高等部校舎を訪れていた。
表向きは、兄たちに頼まれた忘れ物を届けるため。
しかし真の目的は別にある。
――メグ兄の学校での無自覚たらしっぷりを、この目で確かめること。
中等部にまで被害(噂)が及んでいるのだ。本人に自覚がない以上、周囲の状況を把握しておく必要がある。
廊下を歩いていると、曲がり角の向こうに見覚えのある姿を見つけた。
白銀廻。
そして彼を取り囲む、3人の女子生徒たち。
「白銀くん! 昨日教えてもらった数学の課題、ちゃんと解けたよ!」
「それは素晴らしいです。努力が実を結びましたね、おめでとうございます。」
「えへへ……ありがとう!」
「白銀くんって、本当に人のことよく見てくれてるよねぇ。」
「そうでしょうか? 皆さんが毎日頑張っていらっしゃるからこそ、気づけるのですよ。」
……うわぁ。
何あれ。
息を吸うように褒めてる。しかも相手が赤面するような殺し文句を、完全に無色透明な善意で放っている。
女子たちが余韻に浸りながら去ったあと、私は物陰からぬっと姿を現した。
「メグ兄。」
「おや、圭。どうしたのですか?」
「……ちょっと、話がある。」
「わかりました。あちらのベンチに移動しましょうか。」
何の疑いもなく頷くメグ兄。
その素直さに、なんだか少しだけ胸が痛む。本当に何もわかっていないんだ、この人は。
「メグ兄。」
「はい。」
「お兄ぃの言うこと、真に受けちゃダメだからね。」
「……?」
「あと! 女子に優しくするのはいいけど、勘違いさせるような言い方はしないで!」
「勘違い……ですか?」
「そう!」
思わず声が大きくなった。
メグ兄はパチパチと目を丸くしたあと、ふむと顎に手を当てた。
「なるほど……僕の配慮に欠けた言動で、誰かに不要な誤解や期待を与えてしまっていたのですね。」
「そう! そういうこと!」
「それは気をつけなければいけませんね。圭、教えてくれてありがとうございます。」
……あぁもう! どうしてこの人はこんなに素直で賢いの!?
私は深いため息をついた。
「それと、原因を作ったのはお兄ぃだからね。」
「ふふ、ええ。そうでしょうね。」
「……え?」
「兄様は、少々言葉が足りないところがありますから。」
メグ兄は穏やかに微笑んだ。
「ですが、兄様の言葉にも学ぶべき点はあります。人の長所を見つけるという姿勢自体は間違っていません。ただ、僕の伝え方や距離感については、もう少し配慮が必要だったということですね。」
……あ。
そうか。
メグ兄は、お兄ぃをただ見下したり否定したりしているわけじゃないんだ。
お兄ぃの不器用なところも、良いところも全部理解した上で、兄として受け止めている。
だからこそアドバイスを信じたし、間違いに気づけば自分で考えて修正しようとする。
私には、そんな風にお兄ぃを見る余裕はない。
だってあいつはすぐ余計なことを言うし、私を子供扱いするし、たまに本当に腹が立つから。
「……メグ兄って、やっぱりすごいね。」
「え?」
「なんでもない。」
私はフイッとそっぽを向いた。
理由は分かった。メグ兄が女子に褒め言葉を振りまいていた原因も、噂の元凶もお兄ぃだと分かった。
でも――。
「帰ったら、お兄ぃには絶対文句言ってくる。」
「ふふっ。ほどほどにしてあげてくださいね?」
「やだ。」
即答。
だってどう考えてもお兄ぃが悪い。メグ兄の規格外なスペックと純粋さを甘く見ていた罪は重いのだ。
……まったく、どうせあいつは「俺が良いアドバイスをしてやった」とでも思っているのだろう。
帰宅後の説教コースを確定させ、私はメグ兄と並んで廊下を歩き出した。
その途中、すれ違った女子生徒が恥ずかしそうに手を振る。
「あ、白銀くん! また明日ね!」
「ええ。気をつけて帰ってくださいね。」
にこり。
女子生徒が顔を真っ赤にして爆発しそうな勢いで走り去っていく。
私は無言でメグ兄を見上げた。
「……メグ兄。」
「はい?」
「やっぱり、自分の顔の破壊力をもうちょっと自覚して。」
「……?? 僕の顔ですか?」
「……もういい。」
私は頭を抱えた。
この問題、根が深すぎる。
そして――私の知らないところで、もう一つの思惑が動き出していることなど、この時の私は知る由もなかったのだ。