白銀さんちの超高校級 作:るるトゥ
「先ほどからなにを描いているのですか、父様。」
とある休日。
白銀家の大黒柱にして職業不定の男が、珍しく机と向かい合っていた。
普段なら昼過ぎまで寝ているか、どこから持ってきたのかも分からない工具を弄っているか、あるいは家族の誰にも相談せずに妙なことを始めている父親である。
そんな彼が、今日は朝からずっと机に向かっている。
しかも、ふざけている様子は一切ない。
紙を何枚も机の上に広げ、鉛筆を片手に黙々と何かを描いている。
時折、描いたものを少し離れたところから眺めては眉間に皺を寄せ、また紙に向かう。
あまりにも真剣である。
真剣すぎる。
その異様な光景に興味を引かれた廻は、とうとう我慢できずに声をかけた。
彼は机から視線を外して、ゆっくりと廻のほうへ顔を向ける。
そして、なんということもないように。
平然とこう告げた。
「父さんな、VTuberになろうと思うんだ。」
「…………。」
静寂が訪れた。
廻の脳内では、今現在父親が放った言葉が何度も反芻されている。
VTuber。
父親。
なる。
この三つの単語が、どうしても一つの文章として繋がらない。
「えっと……なにを言っているんですか? とりあえず日本語で喋ってもらっても?」
「だからVTuber。」
「いや、そこは聞こえてます。」
「バーチャルYouTuber。」
「それも知ってます。」
「じゃあ話は早いな。」
「いや、話は全然早くないですよ!?」
日頃から父親にイカれた発言を聞かされているため、ある程度の受け流し能力を身につけている廻である。
多少の無茶苦茶なら「また始まった」と笑って済ませることもできる。
だが、今回ばかりは無理だった。
何しろ、父親が人生の進路を突然変更しようとしている。
しかも、よりによってVTuberである。
「VTuberになって食っていこうと思ったから、とりあえずバーチャルの俺を描いてるわけだ。分かったか?」
「いや分かりませんよ。なにがどうしてそうなったんですか?」
「朝起きたら思いついた。」
「…………。」
「天啓というやつだな。」
「寝起きの思いつきを天啓って呼ぶのやめてもらえます?」
廻は頭を抱えた。
思いつきでVTuberになろうと思うこと自体、理解できないわけではない。
世の中には何をきっかけに始めるか分からない人間もいる。
しかし、それで「食っていこう」とまで考える人間はそう多くない。
普通なら、まず調べる。
必要な機材を調べ、配信環境を整え、キャラクターを作り、動画の方向性を考え、場合によっては事務所への所属やら何やらを検討する。
そして何より。
自分にできるのかを考える。
だが、目の前の父親は違った。
「で、これが俺のアバター。」
「……見せてください。」
机の上に置かれた紙を覗き込む。
そこには、一人の男性が描かれていた。
長い髪。
鋭い目つき。
黒を基調とした衣装。
妙に整った顔立ち。
「…………父様。」
「なんだ。」
「これ、父様ですよね?」
「そうだ。」
「なんで三十代くらい若返ってるんですか?」
「バーチャルだからな。」
「バーチャルってそういう意味でしたっけ?」
「現実の俺をそのまま出す必要はないだろう?」
「それはそうですけど……。」
廻は改めて絵を見る。
確かに父親の面影はある。
あるのだが、本人とは似ても似つかないほど美化されている。
現実の父親を知っているからこそ分かる。
これは詐欺である。
「それにしても、やたら格好よく描いてますね。」
「当然だろう。」
「自分で言います?」
「人気商売だからな。見た目は重要だ。」
「急にまともなこと言うのやめてください。怖いです。」
「失礼だな。」
父親は不満そうに鼻を鳴らすと、紙を指で叩いた。
「名前も決めてある。」
「名前まで?」
「ああ。」
「まさか……。」
「白銀──。」
「本名はやめてください。」
「まだ最後まで言ってないだろ。」
「どうせろくでもない名前でしょう。」
「……『白銀・ノクターン』。」
「思ったより普通ですね。」
「なんだと?」
「いや、もっと『漆黒の銀狼』とか『終焉を司りし白銀の覇者』みたいなのを出してくるかと。」
「……。」
「父様?」
「その案もいいな。」
「やめてください。」
廻は即座に却下した。
しかし父親は真剣そのものだった。
紙の端には、候補と思われる名前がいくつも書かれている。
『白銀ノクターン』
『銀狼シロガネ』
『白銀・ゼロ』
『終焉のシロ』
『シルバー・ダディ』
「最後のなんですか。」
「親しみやすさを意識した。」
「それだけは絶対にやめてください。」
「海外受けしそうだぞ。」
「それ以前の問題です。」
廻が深いため息を吐く。
すると父親は、ふと何かを思い出したように顔を上げた。
「そういえば廻もユーチューブで配信してただろ?」
「……まあ。」
「この界隈の先輩として、いろいろと教えてほしいんだが。」
「たしかに配信はしてますけど、VTuberじゃないですからね?」
「似たようなものだろう。」
「全然違います。」
「動画を配信する。」
「はい。」
「視聴者が見る。」
「はい。」
「コメントが来る。」
「はい。」
「金になる。」
「……まあ、条件が揃えば。」
「ほら、同じだ。」
「その三段論法で同じ扱いにしないでください。」
廻は頭痛を覚えた。
そもそも父親は、配信というものをあまり理解していない。
動画を撮って、編集して、投稿して、時には生配信をする。
そこまでは理解できているらしい。
だが、その先が問題だ。
「というか、父様。VTuberって、キャラクターを作って喋れば終わりじゃないですよ?」
「知っている。」
「本当に?」
「もちろん。」
「じゃあ、まず何が必要か言ってみてください。」
「……気合い。」
「違います。」
「根性。」
「違います。」
「才能。」
「違います。」
「顔。」
「いりませんよ!」
「そうなのか?」
「そこからですか!?」
廻は思わず声を荒らげた。
父親は腕を組み、難しい顔で考え込んでいる。
「では何が必要なんだ?」
「最低限、配信機材とか、キャラクターのモデルとか、配信ソフトとか……。」
「なるほど。」
「それに、何を配信するかも重要です。」
「雑談。」
「まあ、そうですね。」
「ゲーム。」
「はい。」
「歌。」
「はい。」
「料理。」
「……できます?」
「できる。」
「本当に?」
「食材を焼けば料理だろう。」
「そういう雑な料理の話じゃないです。」
廻は嫌な予感がした。
父親のことだ。
このまま話をしていると、最終的には本当に始めかねない。
「そもそも、父様が配信して何をするんですか?」
「雑談だな。」
「話すことあります?」
「人生経験なら豊富だぞ。」
「それはまあ……。」
否定しようとして、廻は言葉を止めた。
父親の人生経験。
確かに、それだけなら異常なほど豊富だ。
本人の口から聞いた話だけでも、到底一人の人間が経験していい量ではない。
問題は。
「……それ、配信で話せる内容なんですか?」
「半分くらいは。」
「残り半分は?」
「国家機密だ。」
「じゃあ話さないでください。」
即答だった。
父親は「そうか」と素直に頷く。
その素直さが逆に怖い。
「じゃあゲーム配信は?」
「ゲーム、やるんですか?」
「最近のゲームは詳しくないが、覚えればいいだろう。」
「何やるんです?」
「格闘ゲーム。」
「父様、ゲーム機持ってましたっけ?」
「ない。」
「まず買うところからですね……。」
「FPSもやってみたい。」
「それはやめたほうがいいと思います。」
「なぜだ?」
「父様、絶対に敵を倒すことよりリアルの動きに興味持つでしょう。」
「……。」
「図星なんですね。」
父親は黙った。
図星らしい。
廻はますます頭が痛くなった。
「というか、そもそもVTuberになろうと思わないでください。」
「なぜだ?」
「兄様と圭が確実に発狂しますので。」
「ああ。」
父親は納得したように頷いた。
「確かにあの二人は面白い反応をしそうだ。」
「面白がらないでください。」
「御行のほうは『父さん、何してんの?』ってなるだろうな。」
「絶対なります。」
「圭は……。」
「たぶん一番怖いですよ。」
「そうか?」
「父様がVTuberデビューした瞬間、家族会議が開かれると思います。」
「家族会議か。」
「議題は『父様を止めるにはどうすればいいか』です。」
「俺の意思は?」
「尊重されないでしょうね。」
「悲しいな。」
そう言いながらも、父親はまったく悲しそうではなかった。
むしろ楽しそうだった。
そして突然、机の横に置いてあったノートパソコンを開く。
「ちなみに、もう配信環境については調べてある。」
「…………。」
「モデルも作れるように勉強を始めた。」
「…………。」
「マイクも注文した。」
「………………。」
「なんなら初配信の台本も書いた。」
「ちょっと待ってください。」
廻の顔から血の気が引いていく。
「それ、いつから準備してたんですか?」
「三日前。」
「三日前!?」
「思いついたのは三日前だからな。」
「思いついてからの行動が早すぎるんですよ!」
父親はノートパソコンの画面を廻に見せる。
そこには、すでに配信スケジュールまで書かれていた。
『月曜日:雑談』
『水曜日:ゲーム』
『金曜日:歌』
『土曜日:家族について語る』
「最後のやつ消してください。」
「なぜだ?」
「絶対に余計なこと喋るでしょう!?」
「家族愛を語るだけだ。」
「父様の場合、その『家族愛』が危険なんですよ!」
廻は必死だった。
しかし、父親は止まらない。
「それで、初配信なんだが。」
「まだやる気なんですか?」
「当然だ。」
「……何をするんです?」
父親は少しだけ考える。
そして、妙に真剣な顔で言った。
「まず自己紹介だな。」
「はい。」
「次に、俺がVTuberになった理由を話す。」
「まあ、そこまでは普通ですね。」
「そして最後に───。」
父親はそこで一度言葉を切った。
口元に、わずかな笑みを浮かべる。
「家族をゲストとして呼ぶ。」
「絶対にやめてください。」
廻は即座に答えた。
「なぜだ?」
「絶対に収拾がつかなくなるからです。」
「そうか?」
「そうです。」
「でも廻は来てくれるだろう?」
「……。」
「先輩として。」
「…………。」
廻は父親を見る。
机の上には、妙に気合の入ったキャラクターデザイン。
ノートパソコンには既に組まれた配信予定。
そして、本人は至って真剣。
どうやら。
本当にやるつもりらしい。
「……一つだけ言っておきます。」
「なんだ?」
「僕は先輩として最低限のことは教えます。」
「おお。」
「でも。」
廻は父親を指差した。
「変なことをしたら即座に止めますからね。」
「分かった。」
「本当に分かってます?」
「ああ。」
「……。」
「では早速、相談なんだが。」
「なんです?」
「ファンネームは何がいいと思う?」
「気が早いんですよ!!」
休日の白銀家に、廻の悲鳴が響き渡った。
そしてその日から。
白銀家では、誰も予想していなかった一つの計画が静かに動き始めることとなった。
───父、VTuberデビュー計画。
それが家族にどれほどの災難をもたらすのか。
この時の廻には、まだ知る由もなかった。