ルーデウス視点
リカリスの町を見下ろせる岩場で、そのまま一夜を過ごした。
町へ入るだけなら、日が暮れる前にも間に合っただろう。
しかし、門前でルイジェルドの正体を疑われれば、追い返されるだけでは済まない。兵士や冒険者と戦闘になれば、こちらが無事に逃げ切れたとしても、スペルド族に対する悪評が増える。
それだけは避けなければならなかった。
ルイジェルドは自分が町へ入れないことを、仕方のないこととして受け入れている。
だが、俺たちを中央大陸まで送るために同行してくれるというのに、町へ着くたび彼だけを外へ残すわけにはいかない。
何より、ルイジェルドは町へ入れてはならないような人物ではなかった。
恐れられているという事実と、実際に人へ危害を加える人物かどうかは別である。
翌朝。
俺とエリスは岩陰から、リカリスの門を出入りする者たちを観察した。
ルイジェルドには、少し離れた場所から周囲を警戒してもらっている。
門前には二人の兵士が立っていた。
行商人には荷物の中身を尋ね、冒険者らしい者には滞在目的を確認している。
ただし、すべての旅人へ兜や頭巾を外させているわけではない。
頭部を布で覆っている者。
顔全体を兜で隠した者。
角や耳を隠すような外套を着た者。
さまざまな姿の魔族が、そのまま町へ入っている。
「頭を隠すこと自体は、珍しくないみたいね」
エリスが声を抑えて言った。
「はい。ただ、三叉の槍まで持っていれば疑われます」
「なら、槍も隠せばいいでしょう」
「布を巻くだけで形は分かりにくくなると思います」
エリスは門番の動きをしばらく観察し、指を折りながら数えた。
「荷物を全部調べられたのは、五組のうち一組ね」
「よく見ていましたね」
「私だって、そのくらいできるわよ」
「どのような人たちが調べられていましたか?」
尋ねると、エリスは門前へ視線を戻した。
「大きな荷車を持っている人。あとは……門番の質問へすぐ答えなかった人ね」
俺も同じように見ていた。
荷物が多ければ、危険物や密輸品を疑われる。
返答が不自然であれば、身元を確認される。
反対に、滞在目的をすぐに答えられる少人数の旅人は、簡単な確認だけで通されていた。
「それなら、荷物を増やさず、聞かれることを先に決めておけばよさそうです」
「私も答えるの?」
「エリスへ聞かれる可能性もあります」
「魔神語なんて、まだほとんど話せないわよ」
「名前と、冒険者になるために来たという言葉だけ覚えてください」
俺は簡単な魔神語を教えた。
名前。
旅。
冒険者。
登録。
エリスは何度か発音を間違えたが、諦めずに繰り返した。
単に言葉を暗記するのではなく、実際に使う場面を想像させると覚えが早い。
「もう一度お願いします」
「冒険者として登録しに来たわ」
今度は通じる発音だった。
「十分です」
「これだけでいいの?」
「後は僕が説明します。ですが、自分の名前くらいは自分で言えた方が怪しまれません」
「分かったわ。門番が私に聞いてきたら、ちゃんと答える」
以前なら、言葉が分からないことへ苛立ち、俺にすべて任せていたかもしれない。
今のエリスは、自分にもできる役割があると分かれば、進んで覚えようとする。
「それと、ルイジェルドさんの種族については、こちらから説明しすぎない方がよいと思います」
「別の種族だって、嘘をつかないの?」
「詳しく聞かれない限り、単に魔族だと答えます」
嘘を細かく作り込むほど、後で食い違う可能性が高くなる。
髪の色を変え、額と槍を隠す。
それだけでスペルド族だと即座に判断されなくなるなら、架空の種族や故郷まで用意する必要はない。
「町へ入った後も、三人で離れないようにしましょう」
「迷子になんてならないわよ」
「エリスが迷うという話ではありません。何か起きた時、互いに状況を確認できる距離へいるという意味です」
「なら、ルーデウスが私から離れなければいいわ」
「お互いに、です」
「分かったわよ」
言いながらも、エリスは俺から一歩以上離れない位置へ移動した。
◇
門前の露店で、青黒い染料と幅の広い布を購入した。
最初に見つけた店では、すぐに金を払わなかった。
周囲の二軒でも同じような商品を探し、品質と値段を確認する。
最初の店が最も安かったため、そこへ戻った。
「さっきの子供じゃないか。結局買うのか?」
「はい。染料と布、それに武器用の油をまとめて購入したいのですが」
店主が値段を提示する。
手持ちの貨幣を考えれば、支払えない額ではない。
しかし、旅を始める前から浪費するわけにはいかなかった。
「こちらの素材を買い取っていただけますか?」
三日間の移動中に得た素材を見せる。
パクスコヨーテの毛皮。
アシッドウルフの牙。
ストーントゥレントの核。
店主は毛皮を広げ、傷のある部分を指でなぞった。
「切り方が悪い。これじゃ高く買えないな」
解体に慣れていない俺たちが傷つけた部分である。
言い返せない。
ただし、すべての素材の価値が低いわけではない。
「こちらの牙と核には、大きな傷がありません」
「毛皮とまとめてなら、この値段だ」
「では、牙と核だけを売ります。毛皮は別の店へ持っていきます」
袋を閉じようとすると、店主は眉を寄せた。
「待て。分かった。染料と布を付けて、鉄銭一枚だ」
「武器用の油もお願いします」
「子供のくせに細かいな」
「中央大陸まで帰る必要がありますので」
店主は俺をしばらく見た後、油の小瓶を卓へ置いた。
「それで終わりだ」
「ありがとうございます」
取引を終え、受け取った物と残った貨幣を確認する。
最初に提示された条件よりは、かなりよくなった。
適正価格かどうかまでは判断できない。
それでも、比較せずに買うよりはましだろう。
「ルーデウス」
店から離れたところで、エリスが俺の袖を引いた。
「私も店の人と話したいわ」
「魔神語を覚えたら、次はお願いします」
「今から教えなさい」
「では、買う、売る、高い、安い、から始めましょう」
歩きながら、簡単な単語を教える。
エリスは何度も発音を繰り返した。
覚えた言葉をすぐに使いたくなったらしく、別の露店で売られていた革袋を指差し、店主へ言った。
「高い!」
店主の顔が引きつる。
「エリス。それだけでは、値下げの交渉ではなく悪口になります」
「でも、言葉は合ってるんでしょう?」
「言葉だけは合っています」
「なら、次は何て言えばいいのよ」
「もう少し安くなりますか、です」
エリスは教えられた言葉を繰り返すと、改めて店主へ話しかけた。
発音は不完全だった。
それでも、意味は通じたらしい。
店主は苦笑し、先ほどより僅かに安い値段を提示した。
買う予定のない物なので、そのまま立ち去る。
「通じたわ!」
エリスが嬉しそうに笑う。
「今のところ、値下げさせただけで買っていませんが」
「次は本当に欲しい物で使うわ」
使う場面が正しいなら、よい練習になるだろう。
◇
人気の少ない岩陰で、ルイジェルドの変装を始めた。
緑色の髪へ、青黒い染料を塗る。
完全に均一にはならなかった。
光の当たり方によっては、元の緑色が僅かに透けて見える。
それでも、遠目から見れば暗い青髪の魔族にしか見えない。
額の赤い石は、幅の広い布で隠した。
怪我を隠しているように見えるよう、額だけではなく頭部全体へ巻く。
三叉の槍にも布と革紐を巻き、穂先の形を分かりにくくした。
「窮屈だな」
ルイジェルドが額の布へ触れる。
「町の外へ出たら外して構いません」
「槍もか」
「はい。捨てたり形を変えたりする必要はありません」
ルイジェルドにとって、この槍は単なる武器ではない。
スペルド族の戦士であることを示す、大切なものだ。
町へ入るためとはいえ、必要以上に扱いを変えさせるべきではない。
「名前はどうする」
「ルード、ではいかがでしょう」
「ルード?」
「ルイジェルドから一部を取っています。別の名前を用意しても、呼ばれた時に反応できなければ怪しまれます」
「分かった」
「僕とエリスは本名を使います。三人とも、冒険者登録のために来た旅人ということで統一しましょう」
「転移したことは言わないの?」
エリスが尋ねる。
「必要になるまでは伏せます」
「どうして?」
「信じてもらえるか分かりません。それに、僕たちが珍しい災害の生存者だと知られれば、利用しようとする人が現れる可能性もあります」
魔力災害について、俺たち自身も何も分かっていない。
人へ説明できる情報がない状態で広めても、混乱を招くだけだろう。
「嘘はつかない。ただ、聞かれていないことまで全部話さない。それでいきます」
エリスが頷く。
ルイジェルドも異論はないらしい。
最後に、町の中での決まりを確認する。
「挑発されても、すぐに攻撃しないでください」
「分かっている」
ルイジェルドが答える。
「本当に殺そうとしてきた相手は?」
エリスが尋ねた。
「まず相手の数と周囲を確認します。逃げられるなら逃げる。捕まえられるなら殺さず捕まえる。それが無理で、こちらや周囲の人が殺される状況なら戦います」
「順番が多いわね」
「町では、相手を倒した後にも問題が残ります」
正当防衛であっても、事情を説明する必要がある。
建物を壊せば弁償を求められる。
目撃者がいなければ、こちらが加害者だと思われるかもしれない。
単に勝てば終わりではない。
「ルイジェルドさんも、それでよろしいですか?」
「ああ」
「エリスは?」
「分かったわ。相手を斬る前に、ルーデウスを見る」
「僕が近くにいない場合には、自分で判断してください」
「離れないんでしょう?」
「そのつもりでも、何が起きるか分かりません」
フィットア領での転移が、その事実を証明している。
エリスは少し黙った後、真剣な表情で頷いた。
「なら、殺さずに動けなくする」
「はい。それを最初に考えてください」
剣神流は、最初の一撃で相手を倒すことを重視する。
だが、今のエリスは力任せに首を狙うだけではない。
腕。
足。
武器。
相手の動きを奪う箇所を狙う訓練も、ギレーヌや俺との模擬戦で身につけている。
簡単ではない。
それでも、以前より選べる手段は増えていた。
◇
三人で門へ向かった。
門番は俺とエリスを見た後、ルイジェルドへ視線を集中させた。
背が高く、大きな槍を持っている。
警戒されるのは当然だった。
「どこから来た」
門番が魔神語で尋ねる。
「北東の荒野です」
俺が答えた。
「町へ来た目的は?」
俺は答える前に、エリスを見た。
エリスは一歩前へ出る。
練習した魔神語を、一語ずつ確かめるように発音した。
「冒険者として、登録しに来たわ」
少し不自然だったが、意味は通じた。
門番がエリスを見てから、俺へ視線を戻す。
「子供二人でか?」
「こちらのルードさんに護衛してもらっています」
「そいつは何者だ」
「魔族の戦士です。荒野で魔物に襲われたところを助けてもらいました」
ルイジェルドは黙っている。
余計な説明を加えないことは、事前に決めていた。
門番は青く染めた髪を見る。
次に、額へ巻いた布。
最後に、布で包まれた槍へ視線を向けた。
「額は怪我か」
「古い傷がある。見せると騒がれる」
ルイジェルドが短く答えた。
完全な嘘ではない。
彼の顔には大きな傷がある。
額の石については、何も説明していない。
「槍の布は?」
「刃で人を傷つけないために巻いています」
俺が答える。
門番は少しだけ表情を緩めた。
武器を隠しているのではなく、町中で不用意に刃を見せないためだと受け取ったらしい。
「最近、この付近でデッドエンドが目撃された」
門番が声を落とした。
「緑髪のスペルド族だ。見かけても戦おうとせず、すぐに逃げろ」
俺は横目でルイジェルドを確認した。
表情は変わらない。
エリスも口を挟まなかった。
「デッドエンドというのは、魔物ですか?」
「スペルド族の戦士だ。出会えば死ぬ。それでデッドエンドだ」
出会えば死ぬ。
実際のルイジェルドは、俺たちを助けた。
噂と、目の前にいる人物があまりにも違う。
「分かりました。気をつけます」
「町の中で騒ぎを起こすなよ」
門番はそれ以上追及せず、俺たちを通した。
リカリスの町へ足を踏み入れる。
少し進んでから、エリスが小声で尋ねた。
「ルイジェルドが、デッドエンドなの?」
「そう呼ばれている」
ルイジェルドが答える。
「出会えば死ぬって言ってたわ」
「俺を見て逃げなかった者の多くは、襲ってきた」
「それで殺したの?」
「ああ」
エリスはしばらく黙った。
恐怖からルイジェルドを襲う。
ルイジェルドが反撃する。
生き残った者は、スペルド族に出会えば死ぬという話だけを広める。
その繰り返しだったのだろう。
「なら、その名前の意味を変えましょう」
俺は言った。
ルイジェルドが俺を見る。
「意味を変える?」
「デッドエンドと聞いた時に、恐怖ではなく、誰かを助ける冒険者を思い出してもらえるようにします」
「どのように」
「僕たちのパーティ名として使います」
エリスが目を丸くした。
「私たちがデッドエンドを名乗るの?」
「はい」
「本物だって気づかれない?」
「今の姿なら、すぐにルイジェルドさん本人だとは思われません。噂の名前を使っている新人冒険者だと思われるでしょう」
まず、名前だけを町へ広める。
デッドエンドというパーティが、人を助ける。
依頼を確実に果たす。
弱い者を守る。
その実績を積み重ねる。
後になってルイジェルドの正体が知られた時、最初から拒絶されないだけの余地を作る。
成功する保証はない。
かえって名前を恐れられる可能性もある。
だからこそ、本人へ確認しなければならない。
「嫌なら、別の名前を考えます」
ルイジェルドは、町を歩く者たちを見た。
誰も彼の正体には気づいていない。
青い髪の、額を布で覆った魔族として通り過ぎていく。
「その名で、スペルド族の汚名を晴らせるのか」
「必ず成功するとは言えません」
俺は正直に答えた。
「ですが、何もしなければ変わりません」
ルイジェルドはしばらく考え、頷いた。
「お前に任せる」
「僕一人ではなく、三人で決めます」
「私は賛成よ」
エリスは迷わず答えた。
「今度は、出会ったら助かるって意味にすればいいのよ」
単純な考えだった。
だが、目標としては分かりやすい。
「では、デッドエンドで登録しましょう」
◇
冒険者ギルドへ向かう途中、町の店を見て回った。
リカリスは巨大なクレーターの底に作られている。
建物には石や魔物の甲殻が使われ、道を行き交う者も人族より魔族の方が多い。
四本の腕を持つ者。
下半身が蛇の者。
身体を甲殻で覆われた者。
背中に翼を持つ者。
エリスは、見るものすべてが珍しいらしい。
何度も店へ近づこうとする。
それでも、勝手に通りの反対側へ走ってはいかなかった。
俺かルイジェルドの位置を確認し、すぐに戻れる距離から商品を覗いている。
「これ、何?」
エリスが紫色の果実を指差した。
俺が店主へ尋ねる。
「薬の材料だ。生で食えば二日ほど舌が動かなくなる」
「食べ物じゃないじゃない!」
エリスが人間語で叫ぶ。
店主には意味が分からなかったようだが、表情から反応を察して笑った。
別の店では、巨大な虫の脚が干されていた。
食料らしい。
エリスは嫌そうな顔をしたが、すぐに目を逸らさなかった。
「食べられるの?」
俺が訳して尋ねる。
「焼けばうまいぞ」
店主が一本差し出す。
値段を聞いたエリスは、先ほど覚えた魔神語を使った。
「もう少し、安くならない?」
発音はまだ不完全だった。
それでも、今度は悪口ではなく交渉になっていた。
店主が少し値段を下げる。
エリスは満足そうに頷いた。
「買うのですか?」
「買わないわよ。見た目が嫌だもの」
「それなら、値下げさせる必要はなかったのでは?」
「練習よ!」
悪びれる様子はない。
それでも、少しずつ現地の言葉を覚えている。
この調子なら、短い日常会話程度は早い段階で身につけられるかもしれない。
◇
冒険者ギルドは、周囲の建物より一回り大きかった。
入口へ着くと、俺は二人へ最後の確認をした。
「中で笑われたり、挑発されたりしても、すぐに手を出さないでください」
「分かってるわよ」
エリスが答える。
「殺さずに止める」
ルイジェルドも答えた。
「何か起きた時は、まず互いの位置を確認します。エリスは僕から離れすぎない。僕は周囲を見ながら、必要なら土壁を作ります」
「私が前で、ルーデウスが後ろね」
「はい。ルイジェルドさんは、出入口を塞がれないようにしてください」
「分かった」
実際に戦闘になるとは考えていない。
ただ、何も決めずに入るよりはよい。
扉を開く。
酒。
汗。
獣の皮。
油。
さまざまな臭いが一度に押し寄せた。
中には多くの冒険者がいる。
扉の音に反応し、いくつもの視線が俺たちへ集まった。
俺は足を止めなかった。
奥に受付らしき場所がある。
そこまで真っ直ぐ歩く。
エリスは俺の右後ろ。
ルイジェルドは左後ろ。
事前に決めた位置を崩さない。
誰かがエリスの剣を見て笑った。
「お嬢ちゃん、剣に振り回されるなよ!」
エリスの眉が動く。
それでも振り返らなかった。
剣の柄にも手を伸ばさない。
「聞こえていますか?」
俺が小声で尋ねる。
「聞こえてるわよ」
「大丈夫ですか?」
「依頼で結果を出せばいいんでしょう」
その答えに、俺は少し驚いた。
怒っていないわけではない。
声には、はっきりと苛立ちが混じっている。
それでも、その場で相手を殴るより、後で実力を示す方を選んだ。
「はい。そのとおりです」
受付には、大きな目を持つ女性が座っていた。
「冒険者登録をお願いします」
俺は魔神語で告げた。
「三人とも?」
「はい」
女性は俺とエリスを見る。
「年齢は?」
「僕が十歳。エリスが十二歳です」
「そちらの方は?」
ルイジェルドが答える。
「五百年以上だ」
受付の女性の手が止まった。
近くにいた冒険者も、何人かこちらを見る。
「ルードさん」
俺は小声で呼んだ。
「正確な年齢まで答える必要はありません」
「聞かれたから答えた」
嘘をつけないというより、嘘をつく必要性を感じていないらしい。
受付の女性は戸惑いながら、三枚の登録用紙を取り出した。
名前。
種族。
戦い方。
出身。
俺は人族の魔術師。
エリスは人族の剣士。
ルイジェルドは単に魔族の戦士と記した。
「文字は書ける?」
受付の女性が尋ねる。
「僕は書けます。エリスの分も記入して構いませんか?」
「本人が内容を確認できるなら」
俺は一項目ずつ人間語へ訳し、エリスへ確認しながら記入した。
勝手にすべてを書いてしまう方が早い。
しかし、今後も冒険者として活動するなら、自分の登録内容を本人が理解している必要がある。
「種族は人族。戦い方は剣士。得意なのは剣神流。これでいいですか?」
「上級って書きなさい」
「位階まで書く欄ではありません」
「なら、横に書けばいいでしょう」
受付の女性へ確認すると、好きにすればよいと言われた。
エリスの希望どおり、剣神流上級と追記する。
近くで用紙を覗いた冒険者が、鼻で笑った。
「十二歳で上級だとよ」
エリスはそちらを見た。
一瞬だけ目が鋭くなる。
しかし、何も言わずに受付へ向き直った。
「後で覚えてなさいよ」
人間語で小さく呟いた。
相手には通じていない。
少なくとも、その場で殴りかかるよりは遥かにましだった。
「パーティ名は?」
受付の女性が尋ねる。
俺たちは顔を見合わせた。
ルイジェルドが頷く。
エリスも頷いた。
「デッドエンドです」
ギルド内の話し声が、一瞬だけ止まった。
直後。
複数の場所から笑い声が上がる。
「子供がデッドエンドだってよ!」
「名前だけならSランクだな!」
「そこの青髪を、スペルド族のつもりにしてるのか?」
予想していた反応だった。
本物だとは思われていない。
恐怖されるのではなく、噂の怪物を真似た新人パーティだと思われている。
今はそれでいい。
エリスの拳が握られる。
俺は何も言わず、手を開いて見せた。
事前に決めた、停止の合図である。
エリスは俺の手を見る。
ゆっくりと拳を開いた。
ルイジェルドも動かなかった。
「笑わせておきましょう」
俺は二人にだけ聞こえる声で言った。
「最初から信じてもらう必要はありません」
「いつか、全員黙らせるわ」
エリスが答える。
「依頼の結果でお願いします」
受付の女性が三枚の札を用意した。
冒険者としての身分証明。
最初は全員、Fランクである。
受けられるのは、自分と同じランクか、一つ上の依頼まで。
失敗や違反行為を繰り返せば、処分や登録抹消もある。
「昇格の条件は何ですか?」
「依頼の達成数だけではなく、内容、依頼人からの評価、違反の有無で決まるわ。短期間に依頼を詰め込みすぎて失敗する新人も多いから、無理はしないことね」
「複数の依頼を同時に受けることは?」
「原則として一件ずつ。町中の雑用なら、受付の許可があれば二件まで」
「緊急依頼は?」
「ランクに関係なく募集される場合もあるけれど、危険度を理解して参加すること」
必要な情報を頭へ入れる。
最短でランクを上げれば、報酬の高い依頼を受けられる。
だが、ランクだけを目的に危険な仕事へ手を出し、負傷すれば帰還が遅れる。
実力を隠す必要はない。
ただし、周囲から与えられた評価と、自分たちが実際にできることを分けて考える必要がある。
「最初は、失敗しにくく、三人の能力を使える依頼を選びましょう」
俺は掲示板を見る。
荷物運び。
店の掃除。
下水路の点検。
薬草採取。
迷子になった小型魔獣の捜索。
エリスの表情が曇る。
「魔物退治はないの?」
「Fランクにはないようです」
「私は剣神流上級なのよ」
「依頼人は、登録用紙の一文だけで命を預けてはくれません」
「なら、ここで剣を見せればいいでしょう」
「ギルドの建物を壊したら、賠償金を請求されます」
エリスは口を閉じた。
少し考え、掲示板へ向き直る。
「どれが一番、早く終わるの?」
「迷子の魔獣捜しでしょう」
「どうして?」
「ルイジェルドさんが、気配を探せるからです」
ルイジェルドが依頼書を見る。
「探すのは得意だ」
「それに、町の中を歩けば道を覚えられます。食料や宿の値段も確認できる。エリスの魔神語の練習にもなります」
一つの依頼で、複数の目的を達成できる。
危険は低い。
失敗する可能性も少ない。
最初の仕事としては適している。
「私は何をするの?」
エリスが尋ねる。
「依頼人から、魔獣の特徴を聞いてください」
「魔神語で?」
「僕が隣で補助します。ただし、最初の質問はエリスがしてください」
「分かったわ」
不満は残っているようだが、雑用だからと拒否はしなかった。
剣を振るうだけが、旅に必要な仕事ではないと理解し始めている。
俺は迷子の魔獣を捜す依頼書を受付へ持っていった。
冒険者パーティ、デッドエンド。
最初の仕事が決まった。
◇
レイネ視点
ミリシオンの冒険者ギルドへ入ったレイネが最初に案内されたのは、酒場から少し離れた登録窓口だった。
通常の依頼を扱う受付と違い、冒険者としての登録、札の再発行、犯罪歴や身分の照会を行う場所らしい。
窓口に座っていた女性職員は、白い侍女服を着た少女を見て、露骨に困惑した。
「冒険者登録……で間違いないの?」
「はい。よろしくお願いいたします」
「付き添いは?」
「おりません」
「保護者も?」
「こちらにはおりません」
女性職員は、レイネの顔と背負っている剣を交互に見た。
レイネの実年齢は二十四歳。
しかし、成長を抑えている外見は十二歳前後にしか見えない。
事情を知らない者が、一人で冒険者登録へ来た幼児と受け取るのは当然だった。
「一応確認するけれど、冒険者は遊びじゃないわ。最初は町の中の仕事が中心だけれど、それでも怪我をすることはある。町の外へ出るようになれば、死ぬ人だっているのよ」
「承知しております」
「剣を持っているようだけど、扱えるの?」
「護身用程度には」
「魔術は?」
「多少であれば」
レイネは嘘をついてはいない。
どの程度を「多少」と呼ぶかを説明していないだけである。
女性職員はしばらく悩んだ後、登録用の紙を取り出した。
「年齢は?」
「二十四歳です」
書きかけていた職員の手が止まった。
「……二十四?」
「はい」
「見えないわよ」
「よく言われます」
「証明できるものは?」
「転移によって、所持品の大半を失いました」
「転移?」
レイネは、フィットア領で起きた異常について必要最低限だけ説明した。
中央大陸のフィットア領にいたこと。
大規模な魔力災害と思われる現象へ巻き込まれたこと。
気づいた時には、ミリシオン近郊にいたこと。
女性職員は半信半疑だったが、レイネの身元を証明する人物がいない以上、完全な確認はできない。
登録を拒絶する根拠もなかった。
冒険者には、戦争や災害で身分証を失った者も少なくない。
「ひとまず、申告年齢は二十四歳として登録するわ。ただし、身元は未確認。問題が起きた場合は、通常より厳しく調査されるから覚えておいて」
「承知いたしました」
「文字は書ける?」
「はい」
「計算は?」
「問題ございません」
登録用紙が渡される。
氏名。
年齢。
種族。
得意な武器。
使用できる魔術。
緊急連絡先。
レイネは必要な項目だけを記入した。
得意武器は剣。
魔術については、治癒、土、水、風と書く。
それ以上を詳細に記す必要はない。
職員は紙を読み、再びレイネを見た。
「随分きれいな字を書くのね」
「侍女として必要でしたので」
「侍女?」
「はい。私は侍女でございます」
「その服が趣味というわけじゃないのね……」
女性職員は小さく息を吐き、Fの文字が刻まれた札を取り出した。
「最初は全員Fランク。受けられるのは、基本的にFランクの依頼だけよ。実績を積めばE、Dと上がっていく。でも、依頼の数だけをこなせば上がれるわけじゃない」
「信用や、依頼人からの評価も必要ということでしょうか」
「そう。失敗や苦情が多ければ、何十件終えても上がれない。それから、一度に受けられる依頼の数にも限度があるわ」
「何件まででしょうか」
「普通は三件。町の中で完了する単純作業なら、受付の判断で増やせることもある。でも、初日の新人には多く任せないわ」
「承知いたしました」
レイネはFランク札を受け取り、依頼掲示板へ向かった。
◇
掲示板には、長期間残されている依頼がいくつもあった。
荷物運び。
薬草採取。
逃げた家畜の捜索。
壊れた水路の修理。
老朽化した屋根の応急修理。
倉庫の整理。
商店街の排水溝清掃。
危険な仕事ではない。
ただし、報酬が低い。
依頼場所が遠い。
作業量が多い。
依頼人が細かい。
そのような理由で、ほかの冒険者から敬遠されている依頼だった。
レイネは依頼書を場所ごとに分け、最初に三枚を受付へ持っていった。
「こちらをお願いいたします」
登録を担当した女性職員が依頼書を見る。
「薬草採取と、荷物運びと、水路修理?」
「はい。荷物の届け先が町の西側にございます。水路も同じ区画にあり、薬草の採取地は西門の外です。順番に行えば、大きな遠回りにはなりません」
「地図を見ただけで組んだの?」
「はい」
職員は少し驚いた様子だったが、三件とも危険性は低い。
依頼を受理した。
「水路の修理は、勝手に構造を変えないこと。薬草も、似た毒草と間違えないように」
「承知いたしました」
レイネはギルドを出た。
最初に荷物を受け取る。
中身と数量を確認する。
配達先へ運ぶ途中、水路の状態を調べた。
石組みの一部が崩れ、泥と木片で流れが塞がれている。
原因を把握した後、依頼人へ修理方法を説明する。
勝手に作業を始めず、同意を得てから崩れた石を組み直した。
魔術で一瞬にして直すこともできた。
だが、必要以上の力は使わない。
石を固定する箇所だけ土魔術で補強し、残る作業は手で行う。
荷物を届け、受取証を得る。
水路の依頼人から完了証明を受ける。
そのまま西門を出て、指定された薬草を採取する。
必要な量。
状態。
根を傷つけず、翌年も生えるよう一部だけを刈る。
昼前には三件すべてが終わっていた。
ギルドへ戻る。
女性職員は、三枚の完了証明と薬草を一つずつ確認した。
「早いわね」
「同じ方角でしたので」
「水路の依頼人から、追加の確認が書かれてる。流れを直しただけじゃなく、また詰まりにくいよう石を組み直したって」
「勝手な改造にならないよう、事前に許可をいただきました」
「薬草も問題なし。傷みも少ない」
職員は記録簿へ三件の完了を書き込んだ。
「もう少し受ける?」
「はい」
次も三件。
今度は北側。
屋根の応急修理。
逃げた家畜の捜索。
食堂への薪運び。
二度目に戻った時も、すべて完了していた。
三度目。
四度目。
レイネは依頼場所をまとめ、移動中に次の作業を確認しながら、無駄なく処理していった。
午後になった頃。
受付の女性職員だけではなく、周囲の職員もレイネの帰還を気にするようになった。
「また終わったの?」
「はい。こちらが完了証明でございます」
「さっき受けたばかりでしょう」
「依頼先が隣接しておりましたので」
十五件を超えたところで、女性職員は新しい依頼書を渡す前に手を止めた。
「少し待って」
「何か問題がございましたか」
「問題があるかを確認するの。あなたの完了報告が多すぎる」
受付が奥の職員へ声をかけた。
完了済みの依頼書と証明が回収される。
職員が数人、依頼人のもとへ確認に向かった。
レイネは急かさず、ギルドの隅で待った。
一時間ほどして、確認へ向かった職員たちが戻ってくる。
「全部終わってた」
「苦情は?」
「一件もない。それどころか、倉庫の依頼人は追加報酬を出したいと言ってる」
「水路のところも、前よりよくなったと」
受付の女性はレイネを見た。
「どうやったの?」
「依頼書に記された内容を確認し、依頼人の希望を聞いた上で作業いたしました」
「そういう意味じゃ……まあ、いいわ」
職員同士で短い相談が行われる。
その後、レイネは残っていた単純作業を追加で受けることを認められた。
日が暮れる頃。
完了した依頼は、二十三件に達していた。
期限超過なし。
依頼放棄なし。
依頼人からの苦情なし。
作業不備もない。
受付の女性は最後の証明を受け取ると、すぐには記録簿へ書き込まなかった。
「レイネ。二階へ来て」
「承知いたしました」
「緊張しないのね」
「不正はしておりませんので」
「それを確認するために呼ばれるのよ」
◇
二階の部屋には、登録窓口の女性職員と、体格の大きな中年の男が待っていた。
左目の上に古い傷がある。
机の上には、レイネが今日完了した二十三件の依頼書が並べられていた。
「座れ」
男が言った。
レイネは勧められた椅子へ腰掛ける。
「俺は、この支部のギルド長だ」
「レイネと申します。本日、冒険者登録をさせていただきました」
「知っている。登録して一日も経っていない新人が、二十三件の依頼を終えたと聞かされてな」
ギルド長は、机の上の依頼書を一枚取った。
「普通なら、まず不正を疑う」
「当然かと存じます」
「ほかの冒険者へ仕事をさせた。依頼人と示し合わせた。証明へ金を払った。考えられる手口はいくつもある」
「はい」
「だが、職員が依頼人へ直接確認した。お前が一人で来て、一人で作業したと全員が証言している」
ギルド長は別の紙を手に取る。
依頼人からの評価だった。
「荷物の数量確認。修理前の説明。作業後の確認。追加料金を勝手に要求した事実もない。低ランクの新人にありがちな、雑な仕事もなかった」
「依頼でございますので、当然のことを行いました」
「その当然ができない奴は多い」
ギルド長は腕を組んだ。
「聞きたい。なぜ、これほど多くの依頼を受けた」
「信用を得る必要があるためです」
「金ではないのか」
「資金も必要でございます。しかし、現在の私には、身分と信用がございません。遠方へ向かい、人を捜すためには、冒険者としての実績が必要だと判断いたしました」
「捜しているのは誰だ」
「私の主人と、そのご友人でございます」
「どこにいる」
「魔大陸です」
登録を担当した女性職員が息を呑んだ。
ギルド長は表情を変えない。
「お前一人で、魔大陸まで行くつもりか」
「最終的には、その予定でございます」
「急いでランクを上げたい理由は分かった。だが、ランクは目的地へ向かうための通行証ではない」
「承知しております」
「高いランクになれば、受ける依頼の危険度が上がる。お前の判断一つで、同行者や依頼人が死ぬこともある。作業が速いというだけで、上へ上げるわけにはいかない」
「ごもっともでございます」
ギルド長は、レイネの反応を注意深く見ていた。
自分の功績を誇るでもない。
早く昇格させろと要求するでもない。
反論も言い訳もせず、必要な指摘として聞いている。
「通常、FからEへ上がるにも、数日から数週間は様子を見る」
「はい」
「だが、二十三件を終え、すべての依頼人から高評価を受けている新人を、荷物運びだけへ留めるのも合理的ではない」
ギルド長は机の引き出しから、Eの札を取り出した。
「まず、Eランクへ上げる」
女性職員が記録用紙を開く。
しかし、ギルド長は話を終えなかった。
「その上で、簡単な審査を行う」
「どのような内容でしょうか」
「町の外で活動できるか。魔物と遭遇した時、最低限自分を守れるか。依頼内容を理解し、危険を判断できるか。それを確認する」
「承知いたしました」
「審査官は、うちのDランク職員が務める。模擬戦だけではない。薬草の判別、野営地の選び方、負傷者を見つけた場合の行動も見る」
「いつ行われますか」
「今からだ」
女性職員が驚いた顔をした。
「ギルド長、もう日が暮れます」
「だからだ。安全な昼間だけ動けるかを見る審査ではない。町のすぐ外で行う。危険があれば、俺も同行する」
ギルド長は立ち上がった。
「異論はあるか」
「ございません」
◇
審査は、ミリシオンの西門から離れすぎない草地で行われた。
同行したのは、ギルド長、登録を担当した女性職員、Dランク冒険者でもある審査官の三人。
最初は薬草と毒草の判別。
レイネは指定された植物を見分け、使用部位と注意点まで答えた。
次に野営地の選定。
水場へ近すぎない。
獣道を避ける。
雨が降った時に水が集まらない。
風向き。
地面の状態。
周囲の足跡。
レイネは複数の候補を比較し、最も安全な場所を選んだ。
最後は模擬戦だった。
審査官が木剣を構える。
「武器は剣でいいんだな」
「はい」
レイネも借りた木剣を持つ。
「先に言っておく。子供だから手加減はする。だが、昇格させられないと思えば、そう報告する」
「お願いいたします」
開始の合図。
審査官が間合いを詰める。
レイネは、相手を倒さなかった。
最初の打ち込みを避ける。
二撃目を木剣の腹で流す。
三撃目。
相手の手首へ触れる寸前で止める。
審査官が距離を取った。
再び踏み込む。
今度は速度を上げる。
レイネは半歩だけ位置を変え、木剣の先端を審査官の喉元へ止めた。
「……参った」
審査官が木剣を下ろす。
「剣の技量は、少なくともDランクじゃない。俺では測れない」
ギルド長はレイネへ尋ねた。
「なぜ一撃目で終わらせなかった」
「審査官の方が、私の反応だけではなく、複数の攻撃に対する判断を確認されていると考えました」
「相手の目的を見ていたわけか」
「はい」
ギルド長はしばらく黙った。
その後、女性職員へ言う。
「Dランクへ上げろ」
「本日中に、ですか?」
「二十三件の依頼記録。依頼人の評価。職員の現地確認。今の実地審査。必要な材料は揃っている」
女性職員はなおも慎重だった。
「前例になります」
「前例にする必要はない。今回の判断理由をすべて記録へ残せ。依頼数だけを理由にした昇格ではないことも明記する」
ギルド長はレイネを見る。
「ただし、条件付きだ」
「条件をお聞かせください」
「次の五件は、受付が内容を選ぶ。町の外で行う依頼を一人で勝手に受けることは禁止。緊急時を除き、Dランク以上の冒険者か、ギルド職員の監督をつける」
「承知いたしました」
「依頼中に独断で危険を広げた場合、即座に降格させる」
「異存はございません」
こうしてレイネは、登録初日のうちにDランクへ昇格した。
二十三件を終えたからではない。
すべての依頼が確認され。
依頼人からの評価が集まり。
実地審査によって町の外でも活動できると判断され。
さらに監督条件を受け入れた結果だった。
◇
二日目。
レイネは朝から、ギルドが指定したDランク依頼へ同行する予定だった。
しかし、出発準備をしている最中。
街道を走ってきた騎手が、ギルドへ飛び込んできた。
「商隊が襲われた!」
酒場の声が止まる。
騎手は息を切らしながら続けた。
「西の街道だ! 盗賊が二十人以上いる! 護衛が持ちこたえてるが、負傷者が出てる!」
受付がすぐに動いた。
現地の位置。
商隊の規模。
盗賊の数。
最後に確認した時刻。
救援隊の編成が始まる。
ギルド長も二階から下りてきた。
「Aランク一組、Cランク二組を集めろ。治療術師もだ」
レイネは騎手へ尋ねた。
「現場まで、馬でどの程度でしょうか」
「一時間はかかる!」
普通の馬ならば。
レイネが単独で移動すれば、それほど必要ない。
「私が先行いたします」
受付の女性が即座に反対した。
「駄目よ。昨日決めたばかりでしょう。町の外では監督を――」
「緊急時は例外だ」
ギルド長が遮った。
「だが、レイネ。先行して何をするつもりだ」
「商隊の防衛を補助し、救援隊が到着するまで被害を抑えます」
「盗賊を一人で討伐するつもりではないのか」
「商隊の安全を最優先いたします。追撃は行いません。拘束が難しい場合は、救援隊の到着まで退けるだけに留めます」
ギルド長は短く考えた。
「行け」
「ギルド長!」
「昨日の審査で、少なくとも自分の身を守れることは確認した。今は一分でも早い方がいい」
ギルド長はレイネへ鋭い視線を向ける。
「ただし、目的は盗賊を倒すことではない。商隊を生かすことだ」
「承知しております」
レイネはギルドを出た。
◇
街道へ到着した時。
商人たちは荷車を円形に並べ、その内側で抵抗を続けていた。
護衛の一人は倒れている。
別の一人は肩から大量の血を流していた。
盗賊は二十六人。
レイネは盗賊と商隊の間へ降り立った。
突然現れた白い侍女服の少女を見て、男たちが動きを止める。
一人が笑った。
「今度はどこの迷子だ?」
レイネは剣を抜いた。
救援隊が到着するまで守る。
当初はそのつもりだった。
だが、盗賊たちは逃げず、一斉に襲いかかってきた。
ならば、動けなくする。
殺す必要はない。
最初の男が剣を振り下ろす。
半歩だけ横へ動く。
手首を打つ。
剣が落ちる。
顎へ柄を当てる。
男が崩れ落ちる前に、二人目の槍が伸びた。
穂先を避ける。
柄を掴む。
相手の勢いを利用して地面へ投げる。
三人目。
四人目。
背後から矢が飛ぶ。
身体を僅かに傾ける。
矢が白髪を掠め、地面へ突き刺さる。
弓を持つ男の指へ小石を撃ち込む。
弓が落ちた。
逃走しようとした者の足元を、薄い氷で覆う。
レイネは商隊から離れすぎなかった。
追いかければ、別の盗賊が荷車へ近づく可能性がある。
常に商隊と敵の間へ立つ。
前へ出るのは、確実に戻れる範囲だけ。
数分後。
二十六人全員が地面へ倒れ、あるいは動けない状態で拘束されていた。
商隊側に死者はいなかった。
レイネはすぐに倒れている護衛へ向かった。
呼吸。
脈。
胸部の損傷。
治癒魔術で呼吸を安定させる。
肩から出血している者の傷を塞ぐ。
ほかの負傷者も確認する。
そこへ、ギルドの救援隊が到着した。
先頭にいたAランク冒険者は、拘束された盗賊たちとレイネを見て足を止めた。
「何があった」
「盗賊二十六名を拘束いたしました。商隊側の重傷者は二名。応急治療は終えております」
「一人でやったのか?」
「はい」
同行していたギルド職員が、現場を確認する。
商隊の責任者。
護衛。
騎手。
それぞれから話を聞く。
レイネが盗賊を追い回さず、荷車の防衛を優先したこと。
降伏した者へ攻撃していないこと。
負傷者の治療を先に行ったこと。
証言は一致していた。
◇
町へ戻ったその日の夕方。
レイネは再びギルド長の部屋へ呼ばれた。
今回は、ギルド長と受付職員だけではない。
救援隊を率いたAランク冒険者。
商隊の責任者。
現地確認を行った職員。
衛兵の担当者もいた。
机の上には、盗賊二十六人の拘束記録と、商隊側の被害報告が置かれている。
「昨日、Dランクへ上げたばかりだ」
ギルド長が言った。
「今日、Cランクへ上げれば、当然また問題になる」
レイネは黙って聞いた。
「だから、先に全員の意見を聞く」
商隊の責任者が立ち上がった。
「この方が来なければ、うちの護衛は持たなかった。荷も奪われていた。何より、死者が出ていたはずだ」
衛兵の担当者は、拘束記録を見る。
「盗賊は全員生存。尋問できる状態だ。周辺の盗賊組織についても情報を得られる」
Aランク冒険者が腕を組んだ。
「戦闘力だけなら、Cどころじゃない。だが、それより評価すべきなのは、商隊を離れなかったことだ。強い新人は、逃げる敵を追って護衛対象を空にすることがある」
現地確認を行った職員も続ける。
「ギルド長から与えられた指示を守っています。盗賊討伐を目的にせず、商隊の安全を優先しています」
ギルド長はレイネへ尋ねた。
「お前自身はどう考える」
「昇格の要否は、ギルドの判断に従います」
「自分はCランクに相応しいとは言わないのか」
「私が決めることではございません」
「では、Cランクになった場合、何が変わると思う」
「護衛や救助に関して、より多くの依頼を任されるようになります。その分、私の判断によって危険へ晒される方の人数も増えます」
「分かっているならいい」
ギルド長はCランクの札を机へ置いた。
「今回の緊急依頼を、Cランク相当の実績として認定する。レイネをCランクへ昇格させる」
受付職員が記録する。
「ただし、監督条件は継続する。少なくとも次の三件は、ギルドが選んだ依頼を受けろ」
「承知いたしました」
「それと、今回の昇格理由を支部内へ公開する。二十六人を倒したからではない。緊急時の先行を認められ、指示を守り、護衛対象を一人も死なせず、盗賊を尋問可能な状態で拘束したからだ」
ギルド長は周囲を見た。
「依頼数や戦闘力だけで、同じ昇格ができると思わせるな」
こうして、レイネは登録二日目にCランクとなった。
◇
三日目。
本来なら、ギルド指定の護衛依頼へ参加する予定だった。
しかし、今度は山間部から緊急報告が届いた。
街道で大規模な崩落が発生。
複数の荷車。
商人。
旅人。
近隣の村人。
多くの者が土砂へ巻き込まれている。
さらに、二次崩落の危険が残っているという。
ギルド長は、レイネを勝手に先行させなかった。
Cランク二組。
治療術師。
土木作業の経験がある職員。
神殿騎士から派遣された数名。
その救助隊へ、レイネを正式に加えた。
「今回は単独行動をするな」
出発前。
ギルド長は、レイネへ念を押した。
「現場の責任者は、神殿騎士の副隊長だ。命令系統に従え」
「承知しております」
「お前の魔術が必要なら、責任者と相談して使え。周囲を確認せずに土砂を動かすな」
「はい」
現場へ到着した時。
山肌の一部が街道ごと崩れ落ちていた。
荷車の車輪。
折れた木材。
土砂から突き出した腕。
助けを求める声。
救助隊の責任者が指示を出す。
「二次崩落を確認! 治療術師は安全地帯を作れ! 冒険者は生存者の声を探せ!」
レイネは、最初から前へ出なかった。
山肌。
岩の重なり。
水分を含んだ土。
次に崩れる可能性がある箇所。
全体を確認する。
責任者へ進言した。
「上部の岩を先に固定する必要がございます。このまま下側を掘れば、残った土砂が流れ込みます」
「できるのか」
「可能です。ただし、完全に固めれば内部の空気を塞ぐ可能性があります。支えとなる箇所だけを固定いたします」
「やってくれ」
許可を得る。
地中へ太い石柱を作る。
土砂全体を動かさない。
崩れかけている岩だけを支える。
その後、生存者の位置を確認した。
呼吸。
物音。
土の中に残る僅かな空洞。
一人ずつ場所を特定する。
「こちらに三名。うち一名は呼吸が弱くなっております」
冒険者たちが掘り始める。
レイネは空気の通り道を作る。
大きな岩は持ち上げない。
周囲を支えた上で細かく割る。
救出。
治療術師へ引き渡す。
次の生存者。
救助は日が沈むまで続いた。
レイネ一人で三十九人を掘り出したわけではない。
救助隊全体で動いた。
レイネは土砂の状態を確認し。
二次崩落を抑え。
生存者の位置を示し。
危険な岩を処理した。
冒険者と騎士が掘削と搬送を行い。
治療術師が救出者を受け入れた。
最終的に救出された生存者は三十九人。
死者は出なかった。
そのうち十一人が、フィットア領転移事件によってこの地域へ飛ばされていた人々だった。
十一人は転移直後に近隣の村へ保護され、より大きな町へ移動する途中で崩落に巻き込まれていた。
レイネは救助が終わった後、彼らの名前と出身地を記録した。
◇
翌朝。
町へ戻ったレイネは、三日連続でギルド長の部屋へ呼び出された。
部屋には、救助隊の責任者だった神殿騎士の副隊長。
土木経験のあるギルド職員。
治療術師。
同行したCランクパーティの代表者もいた。
「また昇格の話だ」
ギルド長が、疲れたように額を押さえた。
「正直に言えば、三日でBランクなど認めたくはない」
レイネは何も言わなかった。
「Bランクは、一人で強ければいい立場ではない。複数のパーティや依頼人と動き、時には現場で判断を求められる」
神殿騎士の副隊長が口を開いた。
「彼女は命令系統に従った。勝手に土砂を動かすこともなかった。必要な意見は出したが、最終判断はこちらへ委ねた」
ギルド職員も頷く。
「二次崩落を防げたのは、レイネの魔術と判断によるものです。しかし、本人は功績を独占していません。救助隊全体の配置を見て動いていました」
治療術師は救助者の記録を示した。
「三十九人全員を生存状態で受け入れました。救出順も適切です。呼吸の弱い者、圧迫の強い者から先に運ばれています」
Cランク冒険者の代表者が腕を組んだ。
「俺たちへ無理な指示を出すこともなかった。むしろ、危険な場所は自分で引き受けてた。それでも、俺たちを置いて一人で全部やろうとはしなかった」
ギルド長はレイネを見る。
「お前に一つ聞く」
「はい」
「なぜ、自分一人で救助しなかった。お前なら、もっと速く掘れたのではないか」
「可能であったかもしれません」
「なら、なぜだ」
「私一人だけが内部へ入り続ければ、地上で状況を共有できる方がいなくなります。また、私が誤った判断をした際、止められる方も必要でございます」
レイネは続ける。
「救助隊には、掘削、搬送、治療、周辺警戒、それぞれに経験を持つ方がいらっしゃいました。私がすべてを行うより、役割を分けた方が安全であると判断いたしました」
ギルド長は目を細めた。
「自分が一番強いから、自分だけでやるという発想ではないわけか」
「私一人で完結する必要はございません。依頼の目的は、救助者全員を生きて帰すことでございます」
部屋が静かになる。
ギルド長は机の上へ、Bランクの札を置いた。
「三日間の実績を個別に見れば、急すぎる。だが、判断材料は揃っている」
初日に完了した二十三件。
依頼人全員からの評価。
実地審査。
盗賊事件における護衛判断。
二十六人を生存状態で拘束した記録。
商隊側の死者ゼロ。
崩落現場での二次災害防止。
救助隊との連携。
三十九人の生還。
複数の責任者による推薦。
「支部長権限による特例昇格を申請する」
ギルド長は説明した。
「この場だけで決定はしない。ミリシオン本部の審査官へ記録を提出する。審査官が現場関係者へ聞き取りを行い、問題がなければBランクへ昇格だ」
「承知いたしました」
「結果が出るまではCランクのまま。勝手にBランク依頼を受けるな」
「はい」
審査はその日の午後まで続いた。
依頼人への再確認。
商隊関係者への聴取。
救助隊全員の報告書。
魔術の使用方法。
指示違反の有無。
負傷者や建物への余計な被害。
審査官は、レイネ本人にも繰り返し質問した。
夕方。
レイネは再び会議室へ呼ばれた。
本部から派遣された審査官が、書類を閉じる。
「異例ではあるが、異例であること自体は却下理由にならない」
審査官はBランク札を机へ置いた。
「実績が事実であり、判断力と協調性も確認できるのであれば、低ランクへ留める方が危険だ。能力に合わない仕事しか受けられず、緊急時の権限も与えられないからな」
ギルド長が頷く。
「白髪の侍女レイネ。お前をBランクへ昇格させる」
レイネは札を受け取った。
「ありがとうございます」
「ただし、覚えておけ」
審査官が言った。
「これは、お前が三日で一人前の冒険者になったという意味ではない。戦闘、救助、判断の能力がBランク相当だと確認されたというだけだ」
「承知しております」
「土地の慣習。依頼人との関係。ほかの冒険者との付き合い。知らないことはまだ多い。自分が知らない可能性を常に考えろ」
「肝に銘じます」
こうしてレイネは、登録三日目にBランクへ昇格した。
速さだけを見れば異常だった。
だが、一日ごとに自動的に札が変わったわけではない。
記録が確認され。
関係者が呼ばれ。
現場での判断が審査され。
支部長と本部審査官が責任を負った上で認定された結果だった。
◇
四日目。
レイネは新しい依頼へ向かう前に、これまでの情報を整理した。
完了した依頼は二十六件。
初日の二十三件。
二日目の商隊救援。
三日目の崩落救助。
さらに、それぞれの現場から帰還する途中で受けた二件の小規模救助を含む。
直接救助した者は五十六人。
盗賊に襲われた商人と護衛。
崩落へ巻き込まれた旅人や住民。
街道で動けなくなっていた者。
五十六人全員がフィットア領転移事件の被災者ではない。
フィットア領出身であると確認できたのは十四人だった。
この十四人については、ほかの救助者とは別の名簿へ記録する。
氏名。
年齢。
出身地。
家族構成。
転移直前の場所。
転移後の足取り。
現在の体調。
今後向かいたい場所。
同じ村の出身者がいれば、互いの証言を照合する。
転移前に一緒にいた者が、別の場所で保護されている可能性もある。
レイネは十四人を同じ宿へ集めた。
食事と寝床を与えるだけでは足りない。
いつまで滞在するのか。
誰が身元を保証するのか。
家族をどのように捜すのか。
何も決まっていなかった。
宿の食堂へ十四人を集め、レイネは机の上へ紙を広げた。
「まず、皆様が生きておられることを、記録として残します」
不安そうな顔が並ぶ。
「今後、別の地域でご家族や知人が保護された際、こちらの記録と照合できるようにいたします」
「本当に見つかるのか」
農夫の男が尋ねた。
レイネは無責任に頷かなかった。
「必ずとは申し上げられません。世界のどこへ飛ばされたのか、現時点では分からない方が多くいらっしゃいます」
男の表情が沈む。
「ですが、記録がなければ、ご家族が同じ町へ来ない限り、互いの生存を知ることもできません」
名前を残す。
村を残す。
家族の特徴を残す。
別のギルドや教会へ写しを送る。
それだけでも、何もない状態よりは可能性が生まれる。
「私は、いずれミリシオンを離れます」
十四人の視線が集まった。
「ですが、私がいなくなった後も、記録と保護が続くようにいたします」
レイネ一人へ依存する仕組みでは意味がない。
レイネが魔大陸へ向かえば、長期間ミリシオンへ戻ることはできない。
その間にも、フィットア領出身者が新たに保護される可能性がある。
「文字を書ける方はいらっしゃいますか」
数人が手を上げた。
「商売や物資管理を経験された方は」
二人。
「子供の世話をお願いできる方は」
女性が三人、手を上げる。
レイネは、保護された者たちにも役割を頼んだ。
宿代を働いて返させるためではない。
何もせず、自分だけが救助されるのを待ち続ければ、不安と無力感だけが増える。
自分たちで名簿を作り。
新たに保護された者を迎え。
互いの家族を捜す。
その形なら、レイネがいなくなった後も続けられる。
午後。
レイネは冒険者ギルドへ、名簿の写しを持ち込んだ。
登録窓口の女性職員は、十四人分の記録を読み、表情を引き締めた。
「これ、全員が同じ地域から?」
「はい。フィットア領内の村や町から転移させられた方々でございます」
「ギルド長にも見せましょう」
四日連続で、レイネは二階へ呼ばれることになった。
◇
ギルド長は名簿を一枚ずつ読んだ。
「同じ日に、別々の場所へ現れた」
「はい」
「お前自身も、その一人」
「その認識で間違いございません」
「フィットア領という地域について、こちらではまだ正式な災害報告が届いていない」
「距離を考えれば、情報が到着するまで時間がかかるものと存じます」
ギルド長は地図を広げさせた。
レイネがフィットア領の位置を示す。
中央大陸。
アスラ王国北東部。
ミリス大陸からは遠い。
「それで、この名簿をどうするつもりだ」
「ミリシオン内のギルド、教会、衛兵、商人組合へ写しを預けます。また、可能であれば周辺支部へ、フィットア領出身者と身元不明者について照会を出していただきたく存じます」
「Bランクへ上がった直後に、もうギルドを使うつもりか」
責める口調ではない。
意図を確認している。
「お願いできる立場を得るために、実績を必要としておりました」
「最初から、これが目的だったわけか」
「目的の一つでございます」
「もう一つは、魔大陸にいる主人を迎えに行くこと」
「はい」
ギルド長は椅子へ背を預けた。
「Bランク冒険者一人の要請で、大陸中の支部を動かすことはできない」
「承知しております」
「だが、ミリシオン周辺の支部へ情報を回す程度なら可能だ。教会や衛兵への照会も、今回の十四人について証言が揃えば協力を求められる」
レイネは頭を下げた。
「ありがとうございます」
「礼はまだ早い。照会を出すなら、記録の形式を統一しろ。名前だけでは同姓同名を区別できない。年齢、出身地、家族、外見、転移前後の状況。今お前が書いている内容を、誰でも記入できる用紙にまとめろ」
「すでに案を作成しております」
レイネは別の紙を差し出した。
ギルド長は沈黙した。
登録窓口の女性職員が、横から用紙を覗き込む。
「本当に、準備が早いわね……」
「必要になると考えておりましたので」
ギルド長は用紙を読み終えた。
「いいだろう。この支部の正式な照会用紙として試験運用する。ただし、管理はお前個人ではなく、ギルドと教会の共同にする」
「異存はございません」
「保護した者の金も、お前一人に持たせない。帳簿を作れ。寄付と支出を分けろ。後から横領を疑われれば、救護そのものが止まる」
「承知いたしました」
「宿も、今の場所だけではすぐ足りなくなる。新たに来た者を受け入れるなら、管理者が必要だ」
ギルド長は、受付職員へ視線を向けた。
「教会と宿屋組合へ話を通せ。空いている建物がないか調べろ」
「分かりました」
レイネが自分一人で作ろうとしていた救護の仕組みへ、ギルドが正式に関わり始める。
Bランクへ上がったことだけが理由ではない。
四日間。
依頼を雑に扱わず。
報告を隠さず。
指示に従い。
救助者を生かして帰した。
その積み重ねによって、ギルド長はレイネの計画を、支部の信用を使って支援してもよいと判断したのだった。
「レイネ」
「はい」
「お前の昇格は異常に早い」
「存じております」
「だからこそ、今後は普通の冒険者以上に見られる。失敗すれば、子供を勢いで昇格させた俺の責任になる」
「ご迷惑をおかけしないよう努めます」
「違う」
ギルド長は低い声で言った。
「失敗するなとは言わない。危険な仕事をしていれば、判断を誤ることはある。失敗した時に隠すな。報告しろ。自分一人で取り戻そうとして、被害を広げるな」
レイネは僅かに目を見開いた。
「承知いたしました」
「ならいい」
ギルド長は十四人分の名簿を机へ置いた。
「明日から、周辺支部への照会を始める。お前は救助依頼を続けろ。ただし、救護所の準備も同時に進める」
「ありがとうございます」
部屋を出る。
一階では、受付職員たちが普段どおり依頼を処理している。
昨日まで。
レイネは、異常な速さで昇格する正体不明の少女だった。
今も、警戒が完全に消えたわけではない。
だが、少なくとも。
依頼数だけで札を得たわけではなかった。
依頼人。
商人。
冒険者。
騎士。
治療術師。
ギルド職員。
多くの者がレイネの行動を確認し、証言し、その結果へ責任を持った。
その信用を、これからフィットア領出身者の保護へ使う。
夜。
宿へ戻る。
十四人は、すでに名簿の作成を始めていた。
村名の綴りを相談する者。
別の村へ嫁いだ娘の情報を書く老人。
転移直前に隣へいた兄の名前を、何度も確かめる少年。
レイネは食堂の入口で、その様子を見守った。
全員を今すぐ故郷へ帰すことはできない。
家族を発見できる保証もない。
それでも、記録が残っている限り、どこかで別の情報とつながる可能性がある。
自室へ戻った後。
レイネは、必要な時にだけお守りの状態を確かめた。
異常はない。
ルーデウスとエリスは生きている。
ルイジェルドも一緒にいる。
細かな行動までは分からない。
だが、二人が魔大陸にいることは変わらなかった。
「もう少々、お待ちくださいませ」
今すぐ向かいたいという気持ちは、消えるどころか日ごとに強くなっている。
それでも。
今日、ギルド長との間で決めた照会制度は、明日保護される誰かを助ける。
残した名簿は、遠い町にいる家族を見つけるかもしれない。
レイネがミリシオンを去った後にも、この仕組みは残る。
翌日。
レイネは再び、遠方の救助依頼へ向かう。
フィットア領出身者がいるかどうかは分からない。
だが、助けを求めている者がいる以上。
向かわない理由はなかった。