白髪の侍女   作:MトK

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第二十六話 最初の依頼

ルーデウス視点

 

冒険者ギルドを出た頃には、リカリスの町へ夕暮れが訪れていた。

 

空にはまだ光が残っている。

 

だが、巨大なクレーターの底に作られた町には、周囲の崖が作る影が早くも落ち始めていた。代わりに、内壁へ埋め込まれた無数の石が、淡い光を帯びている。

 

青。

 

緑。

 

紫。

 

遠目には星空が大地へ落ちてきたようにも見えた。

 

「すごいわね!」

 

エリスが足を止め、クレーターの壁を見上げた。

 

町へ入ってからというもの、見慣れない物へ目を奪われてばかりいる。しかし、勝手に走り出すことはなく、俺たちの位置を確かめてから周囲を見ていた。

 

「魔照石だ」

 

ルイジェルドが説明する。

 

「昼の間に光を蓄え、暗くなると放つ」

 

「屋敷にも欲しいわ!」

 

エリスは本気で持ち帰る方法を考えているようだった。

 

「まずは屋敷へ帰ることを考えましょう」

 

「分かってるわよ。でも、帰った後のことを考えたっていいでしょう?」

 

「それはそうですね」

 

帰った後。

 

その言葉を口にできること自体が大切だった。

 

家族がどうなったのかは分からない。

 

フィットア領の状況も確認できていない。

 

それでも、帰った後の生活を想像することで、エリスは自分を前へ進ませようとしている。

 

「今日は宿を探します」

 

「町の外で寝てもいいんじゃない?」

 

「野宿には慣れ始めましたが、町の中で休める時には休むべきです。それに、宿では情報も集められます」

 

町の治安。

 

物価。

 

冒険者の評判。

 

次の町までの道。

 

掲示板や地図だけでは分からないことも、宿の食堂では自然に耳へ入る。

 

俺たちは三軒の宿を見て回った。

 

最初の宿は安かったが、部屋の扉に鍵がない。

 

二軒目は食事付きだったものの、宿泊料が高い。

 

三軒目は、冒険者向けの簡素な宿だった。

 

扉には内側から掛けられる閂があり、窓も小さい。食事は別料金だが、三人で泊まれる部屋が空いていた。

 

看板には、狼の足爪亭と書かれている。

 

「ここにしましょう」

 

「最初の宿の方が安かったわよ」

 

「荷物を盗まれれば、差額より大きな損になります」

 

「盗みに来た相手を捕まえればいいでしょう?」

 

「眠っている間にも警戒を続けるくらいなら、町の外で野宿するのと変わりません」

 

エリスは少し考え、納得したように頷いた。

 

「それもそうね」

 

部屋は狭かった。

 

硬い寝台が三つ。

 

小さな机が一つ。

 

壁には荷物を掛けるための金具がある。

 

贅沢とは程遠い。

 

それでも、数日ぶりに屋根と扉のある場所で眠れる。

 

エリスは寝台へ腰を下ろし、何度か身体を弾ませた。

 

「屋敷の寝台より硬いわ」

 

「眠れないほどではありません」

 

「ルーデウスの寝台と交換して」

 

「同じ物ですよ」

 

「座って確かめるわ」

 

エリスは俺の寝台へ移り、手で何度か叩いた。

 

「こっちの方が柔らかい気がする」

 

「気のせいです」

 

「なら、交換しても問題ないでしょう?」

 

言い返す言葉が見つからなかったため、交換することにした。

 

ルイジェルドは、部屋へ入ってから扉と窓を確認していた。

 

「町の中でも見張りは必要だ」

 

「一晩中起きている必要はありません。扉に簡単な仕掛けを作ります」

 

俺は扉の内側へ細い土の膜を張った。

 

扉が開けば膜が割れ、小さな石が床へ落ちる。

 

派手な警報ではないが、音で目を覚ますには十分だった。

 

アクアハーティアは寝台の横へ置く。

 

エリスも、横になった状態から手を伸ばせる位置へ剣を置いた。

 

「明日の依頼について、確認しておきましょう」

 

俺は二人を机の近くへ呼んだ。

 

初めての仕事。

 

単なる迷子の魔獣捜しである。

 

それでも、何が起きるか分からない。

 

「依頼人から話を聞く時には、僕が主に質問します。ただ、エリスにも一つか二つは聞いてもらいます」

 

「魔神語で?」

 

「はい」

 

「まだ、ほとんど話せないわよ」

 

「今日覚えた言葉と、簡単な質問だけで構いません」

 

自分で依頼人と話せれば、エリスも仕事の目的を理解できる。

 

俺が説明する内容だけを信じて動くより、依頼人の表情や反応を自分で見た方がいい。

 

「ルイジェルドさんには、足跡や気配を探してもらいます」

 

「ああ」

 

「ただし、町の中です。追跡先が危険な場所だった場合には、入る前に一度止まってください」

 

「なぜだ」

 

「逃げ道と、周囲にいる人数を確認するためです」

 

ルイジェルドならば、大抵の相手を倒せる。

 

しかし、俺とエリスまで同じように動けるわけではない。

 

路地裏や建物の中で不意に戦闘になれば、人数より位置関係の方が重要になる。

 

「もう一つ」

 

俺はルイジェルドを見る。

 

「町へ入る前に決めたことを、改めて確認します。相手が悪人であっても、こちらや周囲の人へ差し迫った危険がない限り、殺さないでください」

 

「覚えている」

 

「動けなくするだけにしてください」

 

「分かった」

 

ルイジェルドは不満そうではなかった。

 

完全に納得しているかは分からない。

 

それでも、仲間で決めたこととして受け入れている。

 

「エリスもお願いします」

 

「私は最初から殺すつもりなんてないわよ」

 

「相手が僕へ攻撃した場合もです」

 

「それは……」

 

エリスの眉が寄る。

 

「殺さない。動けなくする。まずはそう考えてください」

 

「腕や足なら斬ってもいいの?」

 

「命に関わらない範囲なら。ただし、剣を落とさせるだけで済むなら、その方がいいです」

 

「面倒ね」

 

「町の中で活動するには必要なことです」

 

エリスは渋々ながら頷いた。

 

「分かったわ」

 

全員の認識を合わせる。

 

その後、食堂で安い煮込み料理を食べた。

 

何の肉かは聞かなかった。

 

硬く、香辛料も強かったが、温かいだけで野営中の食事より随分と美味しく感じられた。

 

食事を終えると、翌朝に備えて早めに眠った。

 

 

翌朝。

 

俺たちは依頼書に記された住所へ向かった。

 

リカリス町二番地、キリブ長屋。

 

横に長い平屋へ、四つの扉が並んでいる。

 

豪華ではない。

 

かといって、今にも崩れそうな建物でもなかった。

 

魔大陸で普通に暮らす者たちの住居なのだろう。

 

三号室の扉を叩く。

 

「冒険者ギルドから来ました。デッドエンドです」

 

少し待つ。

 

扉が僅かに開き、その隙間から小さな顔が覗いた。

 

トカゲに似た鱗。

 

大きな瞳。

 

年齢は七歳か八歳ほどだろうか。

 

依頼人のメイセルだった。

 

少女は、俺とエリスを見た後、後ろに立つルイジェルドへ視線を上げた。

 

「デッドエンド……?」

 

名前を聞いて、僅かに怯えている。

 

やはり、この町では恐怖の代名詞として知られているらしい。

 

「パーティの名前です。迷子になった魔獣を捜す依頼を受けました」

 

俺は冒険者札と依頼書を見せた。

 

メイセルは何度も見比べ、ようやく扉を開いた。

 

「ミーを見つけてください」

 

「もちろんです。まず、詳しい特徴を教えてください」

 

「黒くて、大きくて、強くて、優しいの」

 

大きいという言葉だけでは、どの程度か分からない。

 

両手で抱けるのか。

 

人を乗せられるほど大きいのか。

 

魔大陸では、俺が猫と考える生き物が本当に猫の大きさとは限らない。

 

「メイセルさんと比べると、どのくらいですか?」

 

「これくらい」

 

メイセルは両腕を大きく広げた。

 

どうやら、かなり大きいらしい。

 

「首輪はしていますか?」

 

「してる。名前も書いてある」

 

「最後に見たのはいつですか?」

 

「三日前。朝にはいたけど、昼にはいなくなってた」

 

「普段、一人で外へ出ることは?」

 

「出るけど、呼んだら帰ってくる」

 

質問を続ける。

 

好きな餌。

 

嫌いな匂い。

 

怪我の有無。

 

知らない者へ近づくか。

 

よく行く場所。

 

話はあちこちへ飛んだ。

 

それでも、途中で遮らずに聞く。

 

子供の説明は整理されていなくても、必要な情報が混ざっている。

 

メイセルは、ミーが行方不明になる前日の夕方、見慣れない男が近所で動物を見ていたとも話した。

 

「エリス」

 

俺は隣へ目を向けた。

 

出発前に教えた質問がある。

 

エリスは一度息を整え、拙い魔神語で尋ねた。

 

「ミーは、何を食べるのが……一番、好き?」

 

発音はまだ不完全だった。

 

メイセルは少し驚いた後、答えた。

 

「乾燥させたホロ鳥の肉」

 

エリスは俺を見る。

 

「通じたわ」

 

「はい。次もお願いします」

 

「ミーは……知らない人を、噛む?」

 

「噛まないよ。怖い時は逃げる」

 

エリスは満足そうに頷いた。

 

自分で得た情報なら、忘れにくいだろう。

 

「見つけた時は、急に近づかず、餌を見せた方がよさそうですね」

 

「私がやるわ」

 

「お願いします」

 

メイセルから、ミーが普段食べている乾燥肉を少量預かる。

 

最後に、ルイジェルドが少女の前へしゃがんだ。

 

大きな身体を低くしても、顔の傷と額の布は子供にとって恐ろしく見えるかもしれない。

 

しかし、声は穏やかだった。

 

「必ず見つける。安心して待っていろ」

 

メイセルは一瞬目を見開き、それから小さく頷いた。

 

「お願いします」

 

ルイジェルドが立ち上がる。

 

俺たちは長屋を離れた。

 

「今のはよかったです」

 

「何がだ」

 

「依頼人を安心させられました」

 

「子供へ約束をしただけだ」

 

本人にとっては、特別な行動ではないらしい。

 

だが、スペルド族を恐れていたメイセルが、最後にはルイジェルドの言葉へ頷いた。

 

小さな変化ではある。

 

それでも、デッドエンドという名の印象を変えるための最初の一歩になり得る。

 

 

長屋の周囲を調べる。

 

ルイジェルドは地面へ視線を落とし、ゆっくり歩き始めた。

 

俺には、大勢の足跡が重なっているようにしか見えない。

 

「分かるのですか?」

 

「ああ。大きな四足獣の足跡がある」

 

「三日前のものですよね」

 

「上から新しい足跡が重なっている。だが、完全には消えていない」

 

エリスも地面を見ている。

 

「これ?」

 

指差したのは、小さな窪みだった。

 

「違う。それは二足で歩く者の踵だ」

 

「じゃあ、こっち?」

 

今度はルイジェルドが頷いた。

 

「そうだ」

 

「ルーデウス、見える?」

 

「言われれば、何となく」

 

エリスの方が、俺より早く足跡を見分け始めていた。

 

剣士として、相手の足運びや重心を見る訓練を続けてきたためかもしれない。

 

ルイジェルドが先頭。

 

その少し後ろを俺。

 

エリスは最後尾を歩き、時折後方を確認する。

 

途中から細い路地へ入った。

 

さらに通りを横切り、別の路地へ進む。

 

町の構造は複雑で、考えずについていけば帰り道を見失う。

 

俺は曲がり角の形。

 

目立つ看板。

 

壁の傷。

 

通り過ぎた店。

 

可能な範囲で覚えていく。

 

「ここを右へ曲がる前に、赤い扉がありました」

 

俺が言うと、エリスが後ろを振り返った。

 

「その前は、角が三本ある人の店ね」

 

「よく覚えていますね」

 

「帰れなくなったら困るもの」

 

三人とも、ルイジェルドだけへ任せてはいない。

 

案内役が突然動けなくなる可能性を考え、自分たちでも帰路を覚える。

 

やがて周囲の建物が、目に見えて粗末になった。

 

崩れた壁。

 

狭い路地。

 

地面で眠る者。

 

汚れた服を着た子供。

 

スラムへ入ったらしい。

 

エリスが俺の横へ近づいた。

 

剣を抜いてはいない。

 

だが、いつでも柄へ手を伸ばせる位置を保っている。

 

「周りから見られてるわ」

 

「財布と装備を見ている者もいます。正面だけでなく、後ろにも気をつけてください」

 

「分かってる」

 

声に怯えはない。

 

過剰に睨み返すこともしない。

 

強い態度を見せれば襲われないとは限らない。

 

相手を刺激せず、隙も見せない。

 

エリスはその間を、自分なりに探しているようだった。

 

ルイジェルドが袋小路で足を止めた。

 

「ここで争った跡がある」

 

「ミーが抵抗したのですか?」

 

「恐らくな。ここから先は、別の者に運ばれている」

 

地面には、俺でも分かるほどの爪痕が残っていた。

 

壁の低い位置には、黒い毛も付着している。

 

エリスが毛を取り、メイセルから預かった乾燥肉の袋へ近づけた。

 

「同じ匂い?」

 

「僕には分かりません」

 

ルイジェルドが確認する。

 

「間違いない」

 

そこから先は、足跡ではなく、運んだ者の臭いと気配を辿っているらしい。

 

何本もの路地を抜け、地下へ続く階段の前で止まった。

 

古びた扉。

 

周囲には強い獣の臭いが漂っている。

 

「中には?」

 

俺が尋ねる。

 

ルイジェルドは額の布へ軽く触れた。

 

「今は人はいない。生き物が多数いる」

 

「入口は、ここだけですか?」

 

「地下にいる範囲では一つだ」

 

すぐには扉へ手をかけなかった。

 

周囲を確認する。

 

近隣の建物。

 

見張っている者。

 

逃げ道。

 

人の出入り。

 

俺たちを観察している者はいないように見える。

 

「鍵が掛かっています」

 

「壊す?」

 

エリスが尋ねる。

 

「壊せば、戻ってきた者にすぐ気づかれます」

 

細い土の針を鍵穴へ入れ、内部の形を確かめる。

 

構造は複雑ではない。

 

音を立てずに解錠した。

 

「中へ入った後も、扉は閉めます。エリスは後方を警戒してください」

 

「分かったわ」

 

「ルイジェルドさんは先頭をお願いします。ただし、人が戻ってきても、まず捕らえるだけにしてください」

 

「覚えている」

 

三人で地下へ入る。

 

扉を閉じ、内側から鍵を掛け直した。

 

暗い廊下の奥から、動物の鳴き声が聞こえる。

 

さらに進み、二つ目の扉を開く。

 

そこには、大小さまざまな檻が並んでいた。

 

犬に似た魔獣。

 

六本脚の小動物。

 

羽の生えた蜥蜴。

 

見覚えのない生き物。

 

多くが首輪や足輪をつけている。

 

「何なのよ、これ……」

 

エリスの声が低くなる。

 

怒っている。

 

狭い檻へ押し込まれた動物たちを見て、剣の柄を握りしめていた。

 

「すべて、誰かの飼っていた動物かもしれません」

 

部屋の隅には捕獲用らしい網や縄が積まれている。

 

餌は最低限。

 

檻の中には汚れが溜まっていた。

 

正当な保護施設には見えない。

 

「ミーはいますか?」

 

「いる」

 

ルイジェルドが指差す。

 

大きな檻の中に、黒豹に似た魔獣がいた。

 

メイセルが腕を広げて説明した以上に大きい。

 

立ち上がれば、エリスの肩ほどまで届きそうだ。

 

首輪には、魔神語でミーと記されている。

 

「本当に大きいわね」

 

エリスが乾燥肉を取り出した。

 

檻へ近づく前に、ミーへ見えるよう掲げる。

 

「ミー」

 

覚えたばかりの名前を、ゆっくり呼んだ。

 

黒豹の耳が動く。

 

最初は警戒していたが、肉の匂いへ鼻を動かし、少しずつ檻の手前へ近づいてきた。

 

エリスは急いで触ろうとしなかった。

 

肉を小さく千切り、格子の隙間から差し出す。

 

ミーが舌で肉を取る。

 

「噛まないわ」

 

「メイセルさんが言っていたとおりですね」

 

依頼の対象は見つかった。

 

しかし、ミーだけを連れ出して終わるわけにはいかない。

 

ほかの動物にも、名前の書かれた首輪がある。

 

この場所の所有者が、動物を盗んでいる可能性は高かった。

 

「誰か戻ってくる」

 

ルイジェルドが入口へ顔を向けた。

 

ほぼ同時に、エリスも剣の柄へ手を置く。

 

「人数は?」

 

「三人。こちらへ向かっている」

 

「武器は?」

 

「持っている」

 

逃げ道は一つ。

 

出れば、狭い階段で鉢合わせになる。

 

こちらが不法に侵入しているという問題もあるが、動物を残して逃げれば証拠を処分されるかもしれない。

 

「捕らえます」

 

俺は部屋の形を確認した。

 

入口は狭い。

 

一度に入れるのは一人か二人。

 

「エリスは扉の横へ。入ってきた者の武器だけを狙ってください。ルイジェルドさんは、奥へ入った者を気絶させる。僕が足元を止めます」

 

「殺さないのね」

 

「はい」

 

「分かったわ」

 

俺は扉の手前へ薄い泥を作った。

 

見た目では分からない程度の深さ。

 

踏み込んだ足だけを取られ、体勢を崩す。

 

さらに、扉が開いた時に相手の視界を遮る位置へ、低い土壁を作る準備をする。

 

廊下から鍵を開ける音。

 

扉が開いた。

 

最初に入ってきた複眼の男が、俺たちを見て口を開く。

 

「何だ、てめ――」

 

言葉が終わる前に、足が泥へ沈んだ。

 

前のめりになる。

 

腰の剣を抜こうとした腕へ、エリスの剣の腹が叩き込まれた。

 

剣が床へ落ちる。

 

「動かないで!」

 

エリスは魔神語ではなく人間語で叫んだ。

 

相手には意味が分からない。

 

それでも、首元へ寸前で止められた刃を見れば、動くなという意思は伝わった。

 

後ろから二人目が入ってくる。

 

仲間へ押され、体勢が崩れる。

 

ルイジェルドの槍の石突きが腹へ入った。

 

息を詰まらせ、その場へ倒れる。

 

三人目は女だった。

 

状況を見て逃げようとする。

 

俺は廊下の床から低い壁を作り、退路を塞いだ。

 

女が振り返った時には、ルイジェルドが背後へ立っていた。

 

戦闘は、ほとんど一瞬で終わった。

 

誰も死んでいない。

 

誰も重傷を負っていない。

 

複眼の男だけは腕を押さえて呻いていたが、骨は折れていないようだった。

 

「拘束します」

 

土魔術で、三人の両手首と両足首へ輪を作る。

 

手だけではない。

 

足も床へ固定する。

 

身体を起こせないよう、腰の位置にも低い土の枠を作った。

 

三人は互いに手が届かない距離へ離す。

 

武器。

 

隠し持っていた刃物。

 

貨幣。

 

鍵。

 

すべて手の届かない場所へ置く。

 

「随分と厳重だな」

 

ルイジェルドが言った。

 

「捕らえた相手が、手を使わずに攻撃してくる可能性もあります」

 

蹴る。

 

噛む。

 

毒を吐く。

 

魔術を使う。

 

種族ごとの能力まで考えれば、手首だけを縛って安心するべきではない。

 

複眼の男には、唾液へ毒がある可能性も考え、口元へ厚い布を巻いた。

 

ほかの二人にも猿轡をつける。

 

「一人ずつ話を聞きます」

 

「私が見張るわ」

 

エリスは、剣を抜いたまま三人の前に立った。

 

興奮してはいない。

 

剣先も不用意に相手へ触れさせない。

 

誰かが動けば対応できる距離を保ちつつ、俺とルイジェルドの位置も確認している。

 

「最初は、あの男からにします」

 

複眼の男を選ぶ。

 

怒鳴り声が最も大きく、こちらへ敵意を露わにしている。

 

冷静な者から尋ねれば、仲間に都合のよい説明を作る時間を与える可能性がある。

 

俺は男の正面へ座らなかった。

 

足が届かない距離を保ち、斜め前へ立つ。

 

エリスとルイジェルドも視界へ入る位置である。

 

口元の布を外す。

 

「ここは何をする場所ですか?」

 

「知るか! 勝手に入ってきやがって!」

 

男は身体を起こそうとした。

 

腰と足を固定され、ほとんど動けない。

 

それでも俺へ向かって脚を振ろうとする。

 

土の輪が動きを止めた。

 

ルイジェルドの手が槍へ伸びる。

 

エリスが、すぐにその前へ片手を出した。

 

「止まって。ルーデウスには当たってないわ。もう動けないようにもしてある」

 

ルイジェルドは倒れた男とルーデウスを順番に確認した。

 

男にはまだ意識があり、呼吸も乱れていない。ただ、足元を固められ、武器へ手を伸ばすこともできなくなっている。

 

しばらくして、ルイジェルドは槍から手を離した。

 

「殺さないと決めた」

 

短い言葉だった。

 

「はい」

 

事前に話し合っていなければ。

 

足まで拘束していなければ。

 

エリスが周囲を見ていなければ。

 

今の一瞬で、誰かが命を落としていたかもしれない。

 

危険を避けられたのは、単に運がよかったからではない。

 

起こり得ることを考え、準備していたからだ。

 

「もう一度聞きます」

 

俺は男へ視線を戻した。

 

「ここは何をする場所ですか?」

 

「言うわけねえだろ!」

 

「では、別の方へ聞きます」

 

それ以上、脅さなかった。

 

男の口へ布を戻す。

 

次に、蜥蜴に似た顔の男を選ぶ。

 

落ち着いて周囲を観察していた人物だ。

 

口元の布を外す。

 

「ここは何をする場所ですか?」

 

「動物を保護している」

 

「誰から依頼されて?」

 

「依頼じゃない。町で野良になった動物を捕まえてるだけだ」

 

「首輪へ名前のある個体が多数います」

 

「捨てられたんだ」

 

「ミーは三日前まで、飼い主の家にいました」

 

男の瞳が僅かに動いた。

 

嘘をつく時の反応かもしれない。

 

断定はできない。

 

「ミーを捕らえたのは誰ですか?」

 

「知らない」

 

「鍵を持っていたのに?」

 

男は黙った。

 

次に女から話を聞く。

 

質問の順番は変えた。

 

ここへ来た時刻。

 

最後に捕らえた動物。

 

誰が餌を与えているか。

 

首輪のある動物をどうするのか。

 

仲間の人数。

 

三人の答えを別々に聞く。

 

細かな部分が食い違った。

 

その中で、共通している事実だけを拾う。

 

動物は町中から捕らえてきた。

 

飼い主が捜索依頼を出した場合、自分たちがその依頼を受ける。

 

発見したふりをして返し、報酬を得る。

 

裕福な飼い主なら、追加の謝礼も要求する。

 

依頼が出なければ、しばらく保管した後、町の別の場所へ放す。

 

怪しまれないよう、同じ地区では繰り返さない。

 

「盗んだ動物を、自分で見つけたことにしていたのですね」

 

女が俯く。

 

蜥蜴顔の男は何も言わない。

 

複眼の男だけが、猿轡の奥で声を上げている。

 

「どうするの?」

 

エリスが人間語で尋ねた。

 

「冒険者ギルドへ報告します」

 

俺が答える。

 

「全員連れていく?」

 

「その前に、証拠を残します」

 

動物をすべて檻から出せば、持ち主を確認できなくなる。

 

犯人の言葉だけでは、後になって否定される可能性もある。

 

俺は檻の数。

 

首輪の名前。

 

部屋の配置。

 

捕獲道具。

 

三人が持っていた鍵。

 

確認できるものを順番に記録する。

 

紙はない。

 

代わりに薄い石板を作り、土魔術で文字を刻んだ。

 

エリスにも、首輪の名前を読み上げてもらう。

 

魔神語を読む練習になる。

 

「これは……リ、リュ?」

 

「リューです」

 

「こっちは、バグル」

 

「はい」

 

一つずつ確認する。

 

ルイジェルドは、三人から目を離さない。

 

「こいつらは悪人だ」

 

低い声だった。

 

「はい」

 

「殺さなくていいのか」

 

「殺せば、動物の持ち主や、ほかの仲間について聞けなくなります」

 

俺は三人へ視線を向けた。

 

「生かして引き渡せば、罪を証明することもできます。処罰を決めるのは、僕たちではありません」

 

「逃げれば、また同じことをする」

 

「逃げられないように引き渡します」

 

ルイジェルドは、まだ完全には納得していないようだった。

 

それでも、槍を向けることはなかった。

 

「それに」

 

俺は続ける。

 

「デッドエンドという名前を、出会えば死ぬという意味から変えるのでしょう?」

 

エリスが胸を張る。

 

「出会ったら助かる、にするのよ」

 

「相手が悪人でもか」

 

ルイジェルドが尋ねた。

 

エリスは少し考えた。

 

「悪人を助けるわけじゃないわ。殺さずに捕まえて、悪いことをやめさせるの」

 

言葉は単純だった。

 

だが、俺が長く説明するより、ルイジェルドには伝わったようだった。

 

ルイジェルドは捕らえた三人を見下ろし、やがて小さく頷いた。

 

「分かった」

 

最初の依頼は、迷子になった魔獣を見つければ終わるはずだった。

 

実際には、盗まれた動物が並ぶ地下室と、三人の犯罪者を発見した。

 

これから、依頼人へミーを返す。

 

ギルドへ状況を説明する。

 

衛兵にも証拠を確認してもらう。

 

俺たちが無断で建物へ入ったことについても、説明しなければならない。

 

仕事は、まだ半分も終わっていない。

 

それでも、一つだけ確かなことがあった。

 

捕らえた三人は、生きている。

 

俺も。

 

エリスも。

 

ルイジェルドも。

 

誰一人、取り返しのつかない一線を越えていない。

 

「ここからが大切です」

 

俺は二人へ言った。

 

「最後まで、失敗せずに終わらせましょう」

 

「当然よ」

 

「分かった」

 

俺たちは、最初の仕事を本当の意味で完了させるため、次の手順を話し合い始めた。

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