ルーデウス視点
白い木々の間を、三人で南へ走った。
先頭はルイジェルド。その後ろをエリスが走り、俺は二人から遅れないよう、足元を確かめながら続いている。
石化したような木々が密集しているため、真っ直ぐ進むことはできない。視界も悪く、地面には折れた枝に似た石片が無数に転がっていた。
踏み外せば、簡単に足を取られる。
呼吸も少しずつ苦しくなっていたが、ここで遅れるわけにはいかなかった。
前方には、倒れて動かない冒険者がいる。
俺たちが数分早く到着できるかどうかで、その人間が助かる可能性が変わるかもしれない。
それでも、ルイジェルドは一度も迷わなかった。
額を覆う布の下で周囲を探りながら、俺たちが通れる範囲で最短の経路を選んでいる。
自分一人なら、さらに速く進めるのだろう。
それでも俺とエリスを置いていかず、二人が追いつける速さを保ってくれていた。
「あと、どのくらいですか?」
「近い」
「倒れた人は?」
「動いていない。ほかの五人は、まだ戦っている」
離れた場所からでは、生きているかどうかまでは断定できないらしい。
動いていない。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が僅かに冷えた。
すでに間に合わないのではないか。
そんな考えが頭をよぎる。
だが、ルイジェルドも死んでいるとは言っていない。
ならば、実際に状態を確かめる前から諦める理由はない。
「敵は一匹だけですか?」
「ああ。だが、先ほどより動きが激しくなっている」
「大きさは?」
「この森で見た蛇の中では、最も大きい」
先ほど倒したアーモンドアナコンダより、さらに大きいらしい。
スーパーブレイズが受けていたのは、白牙大蛇の討伐依頼だった。しかし、ルイジェルドの言い方からすると、相手はそれだけではない可能性もある。
知らない魔物。
詳しい能力も分からない。
負傷者が何人いるのかも、どれほどの傷なのかも分からない。
不安はあった。
それでも、今は進むしかない。
前方から、何かが地面へ叩きつけられる音が響いた。
続いて、魔族のものらしい怒鳴り声が聞こえる。
木々の隙間から、巨大な赤い鱗が見えた。
「いました!」
森の一部が、無理やり押し広げられたように開けている。
中央には、全長十五メートルを超える大蛇がいた。
暗い赤色の鱗。
人間の胴体ほどもある牙。
頭部の両側からは、湾曲した角に似た突起が伸びている。
実際に目にすると、想像していた以上に大きかった。
俺たち程度なら、身体を丸ごと呑み込めるのではないかと思えるほどの巨体だ。
その太い胴体には、白い鱗を持つ別の大蛇が引っかかっていた。
いや、絡みついているのではない。
白い大蛇はすでに動いていなかった。腹部を大きく食い破られ、死体の一部が赤い大蛇の身体へ引っかかっているだけだ。
スーパーブレイズの六人は、その周囲へ散らばっていた。
まともに戦える状態なのは四人。
一人は膝をつき、左腕を押さえている。
残る一人は、白い木の根元へ倒れていた。
本当に動いていない。
胸が強く締めつけられた。
間に合わなかったのかもしれない。
そんな考えが浮かんだ直後、巨大な蛇が尾を振る。
近くにいた半人半馬の冒険者が、盾を構えた。
だが、体格差がありすぎる。
盾ごと横へ弾き飛ばされ、白い木へ背中から衝突した。
鈍い音が聞こえた。
「また一人倒れる!」
エリスが叫ぶ。
これ以上、倒れる人間を増やしてはいけない。
敵を倒す方法を考えるより先に、負傷者を蛇から遠ざける必要がある。
「先に負傷者を蛇から離します!」
俺は走りながら杖を向けた。
大蛇とスーパーブレイズの間へ、斜めに傾けた土壁を作る。
完全に攻撃を防ぐための壁ではない。
蛇の視界を遮り、進路を僅かに変えるためのものだ。
あの巨体を土壁だけで止めようとすれば、時間も魔力も余計にかかる。
今必要なのは、負傷者を運ぶための数秒だった。
地面からせり上がった壁が、赤い大蛇の頭部を横から押した。
大蛇の牙は、寸前までスーパーブレイズのリーダーへ迫っていた。突然横から押されたことで狙いが外れ、巨大な頭部が地面へ突き刺さる。
「何だ!?」
大柄な男が振り返る。
「負傷者を動かしてください!」
俺は魔神語で叫んだ。
「デッドエンドか!?」
「話は後です!」
土壁は長く持たない。
赤い大蛇が頭を振っただけで、表面へ大きな亀裂が走っている。
次にまともな一撃を受ければ、簡単に崩れるだろう。
ルイジェルドは、白い木の根元へ倒れている冒険者のもとへ向かった。
蛇の尾が、その背中へ振り下ろされる。
「ルードさん!」
第三者がいるため、俺は偽名で呼びかけた。
一瞬、ルイジェルドが攻撃へ気づいていないように見え、心臓が跳ねる。
だが、ルイジェルドは振り返らず、槍を後方へ突き出した。
布で包んでいた穂先が、尾の側面へ触れる。
正面から受け止めたのではない。
槍の角度を僅かに変え、尾の軌道を地面へ逸らしたのだ。
大蛇の尾が地面を叩き、白い石片が周囲へ飛び散る。
あの一撃を真正面から受ければ、俺なら身体ごと押し潰されている。
それをルイジェルドは、進行方向を僅かに変えるだけで処理していた。
ルイジェルドはその間に、倒れていた翼のある冒険者を抱え上げた。
「まだ生きている!」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に僅かな安堵が生まれた。
まだ助けられる。
「こちらへ!」
俺は蛇から離れた位置へ、低い土壁を二重に作った。
治療と避難を行うための場所だ。
エリスが、負傷者のいる場所と大蛇の間へ入る。
剣を抜き、腰を落とした。
「私が止めるわ!」
「倒そうとしなくて構いません! こちらへ近づけないでください!」
「分かってる!」
エリスの役割は、蛇を倒すことではない。
負傷者を運ぶルイジェルドと、治療を行う俺へ攻撃を通さないことだ。
以前のエリスなら、巨大な敵を見た瞬間に倒そうとしていたかもしれない。
今は俺の言葉を聞き、自分が何を守るべきかを理解している。
赤い大蛇がエリスへ顔を向けた。
人間よりも大きな眼球が、細い少女を捉える。
口が開く。
あの牙が当たれば、ただでは済まない。
俺は治療場所を作りながらも、エリスから目を離せなかった。
飛びかかる直前、エリスは蛇へ向かって踏み込んだ。
逃げるのではない。
相手が首を伸ばし切るより早く斜め前へ入り、牙の横を通り抜ける。
剣が、蛇の頬を覆う鱗へ当たった。
硬い音が響く。
鱗の表面へ浅い傷がついただけだった。
「硬い!」
エリスは、無理に二撃目を入れなかった。
蛇が首を振る前に距離を取り、俺たちと敵の間へ戻る。
攻撃が通りにくいと判断した直後に、自分の役割へ戻ったのだ。
その動きを見て、僅かに肩の力が抜ける。
強くなっている。
剣の技だけではない。
攻撃を続けるべきか、戻るべきかを戦いの中で判断できている。
その間に、ルイジェルドが翼のある冒険者を土壁の内側へ運び込んだ。
俺は倒れている人物の状態を確認した。
胸部の防具が大きくへこんでいる。
呼吸は浅い。
口元には血が付着していた。
身体の中を直接見ることはできないが、胸へ非常に強い衝撃を受けたことは分かる。
本当に治せるのか。
治癒魔術は使える。
だが、俺は人間の身体を完全に理解しているわけではない。
見えない場所の損傷を、正確に判断できるわけでもなかった。
「治療できますか!?」
スーパーブレイズの仲間が駆け寄ってくる。
不安そうな顔だった。
俺ができないと言えば、この人物は助からないかもしれない。
「やります。ただし、蛇をこちらへ近づけないでください!」
できるとは断言できなかった。
だが、何もしなければ確実に悪化する。
まず、へこんだ防具を外す。
身体を無理に動かさないよう、留め具だけを切った。
胸へ治癒魔術を使う。
一度に大量の魔力を流し込まず、身体の反応を確かめながら、少しずつ損傷を修復していく。
浅かった呼吸が、僅かに深くなった。
意識は戻らない。
それでも、悪化は止められたようだった。
完全に安心することはできない。
それでも、呼吸が安定し始めたことで、少しだけ希望が持てた。
「次の方を!」
半人半馬の冒険者が、仲間に支えられながら運び込まれてくる。
背中を強く打っている。
脚は動いている。
意識も明瞭だ。
こちらも重傷ではあるが、今すぐ命が失われる状態ではなかった。
「最も痛む場所は?」
「背中と……右の脇腹だ」
「手足は動かせますか?」
「動く」
「今は横になっていてください。先に意識のない方を治療します」
すべてを同時に治すことはできない。
優先順位を決める必要がある。
目の前で苦しんでいる人間へ、待ってほしいと伝えるのはつらい。
だが、命を失う危険が高い者から治療しなければ、どちらも助けられなくなる可能性がある。
「俺たちが時間を稼ぐ!」
スーパーブレイズのリーダーが斧を握り直した。
まだ戦える三人が、エリスの横へ並ぶ。
「近づきすぎないでください!」
俺は治療を続けながら叫んだ。
「鱗は、エリスの剣でも浅くしか切れていません! 正面から攻撃しても通りません!」
「だったら、どうすんだ!」
「僕が弱点を探します!」
エリスと三人が、大蛇の注意を引く。
ルイジェルドは負傷者を運び終えると、槍を構えて彼らの前へ立った。
「ルードさん、正面をお願いします!」
「ああ」
ルイジェルドならば、あの大蛇を単独で倒せるかもしれない。
本気を出せば、俺たちが何かをするより先に終わらせることもできるだろう。
しかし、スーパーブレイズの前で、あまりにも異常な速さや力を見せれば正体を疑われる可能性がある。
それに、今の目的は全員が生きて帰ることだ。
誰か一人の力へ頼るより、それぞれの役割を合わせた方がいい。
治癒魔術を続けながら、大蛇の動きを観察する。
頭部。
首。
胴体。
腹。
鱗は全身を覆っている。
だが、すべてが同じ厚さではない。
蛇が身体を曲げるたび、腹側の鱗と鱗の隙間が僅かに広がっていた。
口の中にも鱗はない。
眼球も弱点だろう。
ただし、正面から狙えば牙の間合いへ入る。
「腹側です!」
俺は叫んだ。
「身体を曲げた時に、鱗の隙間が広がります!」
ルイジェルドが一度だけ頷く。
大蛇が、槍を持つルイジェルドへ噛みつく。
ルイジェルドは横へ避けた。
速すぎない。
スーパーブレイズの者たちにも、辛うじて目で追える範囲へ動きを抑えている。
それでも、危なげはなかった。
蛇の頭部が通過する。
その首へ、ルイジェルドが槍を振り下ろした。
表面の鱗が一枚だけ割れる。
大蛇が痛みに反応し、身体を大きく捻った。
腹側が露出する。
「エリス!」
「見えてる!」
エリスは、すでに走っていた。
剣を両手で握る。
蛇の腹が地面へ戻る寸前に踏み込み、鱗と鱗の間へ切っ先を入れた。
刃が肉へ届く。
赤い血が噴き出した。
しかし、傷はまだ浅い。
大蛇が激しく身体を振る。
「下がれ!」
スーパーブレイズのリーダーが叫んだ。
エリスは剣を引き抜き、その場から離れようとした。
蛇の胴体が横から迫る。
完全には避けられない。
心臓が大きく跳ねた。
エリスは剣を身体の前へ置き、足を踏ん張った。
あの巨体を受け止めれば、剣で防いでも大怪我をする。
衝撃が来る直前。
地面が斜めに盛り上がった。
俺が作った土の坂が、エリスの足元を押し上げる。
蛇の胴体が通過する高さよりも上へ、エリスの身体が持ち上がった。
「ルーデウス!」
「着地だけ気をつけてください!」
エリスは空中で身体を回し、白い木の幹を蹴った。
土の坂へ着地し、そのまま俺たちの前へ戻ってくる。
「助かったわ!」
無事に戻った姿を見て、強張っていた胸が僅かに緩む。
「まだ来ます!」
大蛇が怒り、口を大きく開いた。
喉の奥から、低い音が響く。
何かを吐き出す。
そう直感した。
直後、口内から大量の赤黒い液体が吐き出された。
「避けろ!」
ルイジェルドが叫ぶ。
エリスとスーパーブレイズの三人が左右へ散る。
俺は治療を中断できない。
負傷者を抱えて移動する時間もない。
逃げられないなら、防がなければならない。
前方へ厚い土壁を作る。
液体が壁へ直撃した。
表面から煙が上がる。
土が溶けていた。
強い酸らしい。
直接浴びれば、防具も身体も耐えられないだろう。
背筋が冷たくなる。
壁が数秒で崩れ始める。
「もう一枚!」
最初の壁の後ろへ、二枚目を作る。
さらに表面へ大量の水を流し、酸を薄めた。
二枚目も削られたが、負傷者へは届かなかった。
酸が地面へ流れ、白い石片を溶かしていく。
防げた。
だが、同じ攻撃を何度も受ければ、いつか守り切れなくなる。
「あれを何度も吐かせるわけにはいきません!」
俺は翼のある冒険者への治療を終えた。
呼吸は安定している。
意識は戻っていないが、移動させられる状態にはなった。
次に、背中を打った半人半馬の冒険者へ治癒魔術を使う。
完全に治す必要はない。
自力で歩き、森から脱出できる程度まで戻せばよい。
「動けますか?」
「……ああ。まだ痛むが、立てる」
「無理に戦わないでください。意識のない方を運ぶのを手伝ってください」
「分かった」
これで、負傷者の避難は任せられる。
俺は立ち上がり、杖を握った。
治療を続けている間、エリスたちは大蛇の攻撃を受け続けていた。
ここからは俺も、直接戦闘へ加わる必要がある。
「全員、蛇から距離を取ってください!」
「どうするの?」
エリスが尋ねる。
「地面へ沈めます!」
大蛇は重い。
全身を支えている地面を失えば、動きは鈍る。
問題は、蛇の下だけを崩すことだ。
範囲を広げすぎれば、仲間まで巻き込んでしまう。
失敗すれば、味方の足場を奪い、大蛇の前で動けなくしてしまう。
怖くないわけではない。
それでも、何もしなければ再び酸を吐かれる。
「ルードさん、蛇を中央へ誘導してください!」
「分かった」
ルイジェルドが大蛇の正面へ立つ。
槍の布は、戦闘の途中で一部が破れていた。
三叉の穂先が僅かに見えている。
これ以上破れれば、特徴的な形を隠し切れない。
早く終わらせる必要がある。
ルイジェルドは槍の石突きで地面を叩いた。
音へ反応し、大蛇が彼へ向かう。
牙が迫る。
ルイジェルドは紙一重で避け、後ろへ下がる。
一歩。
二歩。
大蛇が追う。
狙った位置へ、巨大な頭部と胴体が入った。
「今です!」
俺は地面へ杖を突いた。
大蛇の腹の下だけを、深い泥へ変える。
表面だけではない。
巨体が沈むだけの深さまで、一気に柔らかくした。
蛇の身体が沈んだ。
頭部と尾を動かし、抜け出そうとする。
だが、動くほど泥が鱗の間へ入り込み、抵抗が増えていった。
「頭を上げさせないでください!」
スーパーブレイズの三人が動いた。
一人が縄を投げ、蛇の角へ引っかける。
別の二人が、反対側から縄を引く。
大蛇を押さえ込めるほどの力はない。
それでも、頭部の向きを限定することはできた。
彼らが協力してくれなければ、狙いを固定できない。
大蛇が縄を切ろうと、首を捻る。
エリスが先ほど鱗の隙間へ刻んだ傷が、大きく開いた。
「エリス!」
エリスは俺が呼ぶ前から走っていた。
土の足場を駆け上がる。
開いている傷へ、同じ角度で剣を振り下ろす。
一撃目。
傷が深くなる。
二撃目。
鱗の一部が剥がれる。
三撃目を入れる前に、蛇の尾が泥の中から飛び出した。
エリスは攻撃へ固執しなかった。
すぐに剣を引き、横へ跳ぶ。
尾が空を切った。
追撃よりも回避を選んだ。
その判断に安堵する。
「今度は俺が行く!」
スーパーブレイズのリーダーが傷へ向かおうとする。
「待ってください!」
俺は止めた。
大蛇が、再び酸を吐こうとしている。
口が開く。
喉が膨らむ。
「ルードさん!」
ルイジェルドが動いた。
真正面から蛇の頭部へ駆ける。
大蛇が酸を吐く直前。
槍を口の中へ突き入れた。
狙ったのは喉ではない。
上顎だ。
槍の穂先が、口内から頭蓋へ向かって突き刺さる。
大蛇の身体が硬直した。
それでも死なない。
尾が暴れ、周囲の白い木を次々となぎ倒す。
あれほどの攻撃を受けても動いている。
生命力が強すぎる。
「全員、射線から離れてください!」
俺は圧縮した岩砲弾を作った。
通常より細く。
貫通だけを目的とした形にする。
狙うのは、エリスが鱗の隙間へ作り、二度目の攻撃でさらに広げた傷口だ。
ルイジェルドとスーパーブレイズの位置を確認する。
射線上に誰もいない。
それでも、放つ直前には喉が乾いた。
僅かに狙いを外せば、仲間へ当たる可能性がある。
呼吸を整える。
放つ。
岩砲弾が傷口へ入り込んだ。
表面の鱗には当たらない。
露出していた肉を貫き、体内へ深く潜る。
大蛇の身体が大きく跳ねた。
まだ動く。
岩砲弾一発では、巨体の奥まで破壊し切れなかった。
「もう一度!」
同じ傷へ、二発目。
三発目。
一発ごとに角度を僅かに変える。
心臓がどこにあるかは分からない。
ならば、胴体の内部を横断するように破壊する。
撃ち続けながらも、反対側に誰かがいないかを何度も確認する。
四発目を撃とうとした時。
大蛇の力が抜けた。
頭部が泥の中へ落ちる。
尾が一度だけ地面を打ち、そのまま動かなくなった。
森に、急に静けさが戻った。
誰も、すぐには武器を下ろさなかった。
俺も杖を構えたまま、大蛇を見ていた。
死んだふりをしているのではないか。
最後の力で動き出すのではないか。
そんな不安が残っていた。
ルイジェルドが蛇の口から槍を引き抜く。
しばらく頭部と胴体の様子を確認した後、俺たちへ向き直った。
「死んでいる」
その言葉を聞き、スーパーブレイズの者たちがようやく息を吐いた。
俺も、無意識に止めていた呼吸を吐き出した。
終わった。
エリスもルイジェルドも無事だ。
新しく命を失った者もいない。
「終わった……のか」
リーダーが、その場へ膝をつく。
「まだです」
俺は大蛇へ近づかず、周囲を確認した。
ここで座り込みたい気持ちはあった。
だが、大蛇の血の臭いは森へ広がっている。
「ほかの魔物が、血の臭いに集まる可能性があります。負傷者を連れて、ここから離れましょう」
「素材はどうする」
「必要な部分だけ回収します。全部は運べません」
大蛇の巨体を解体している間に、別の魔物が来れば危険だ。
依頼の証拠に必要な鱗。
牙。
角の一部。
それだけを持ち帰る。
「それと、白い蛇の方も確認しましょう」
赤い大蛇の身体へ引っかかっていた白い大蛇。
スーパーブレイズが討伐を依頼されていた、白牙大蛇の可能性が高い。
リーダーが立ち上がり、死体へ近づいた。
「俺たちが追っていた奴だ」
「どこで見つけたのですか?」
「この少し南だ。依頼で指定されていた場所を調べていたら、木の間から出てきた」
「戦闘中に、赤い大蛇が現れたのですか?」
「ああ。白牙大蛇を追い詰めて、あと少しで仕留められると思ったところだった」
リーダーは赤い大蛇へ視線を向けた。
「いきなり横から現れて、白牙大蛇へ食いついた。それから俺たちまで襲ってきやがった」
白牙大蛇を餌として追ってきたのか。
それとも、偶然森で見つけて襲ったのか。
今の情報だけでは分からない。
ただ、依頼書に記されていた正体不明の魔物が、この赤い大蛇である可能性は高かった。
「この赤い蛇の名前を知っていますか?」
俺が尋ねると、リーダーは首を横へ振った。
代わりに、スーパーブレイズの年長らしい女性が答えた。
「赤喰大蛇だと思う」
「赤喰大蛇?」
「大蛇や大型魔獣を食う魔物だ。特定の土地に縄張りを持たず、獲物を追って移動する。滅多に目撃されない」
「危険度は?」
「少なくともA。場所や大きさによっては、それより上になる」
Cランク依頼の対象としては、明らかに危険すぎる。
依頼人も、遠くから姿を見ただけで、正体までは分からなかったのだろう。
「俺たちだけだったら、全滅していた」
スーパーブレイズのリーダーが低い声で言った。
俺は答えなかった。
俺たちが到着しなければ、そうなっていた可能性は高い。
あと少し遅ければ、最初に倒れていた冒険者は助からなかったかもしれない。
半人半馬の冒険者も、次の攻撃を受けていたかもしれない。
そう考えると、今も背筋が冷たくなる。
だが、今は全員が生きている。
それで十分だった。
◇
赤喰大蛇から必要な素材を回収した後、俺たちは森の入口へ向かった。
意識の戻らない翼のある冒険者は、仲間二人が担架で運んでいる。
半人半馬の冒険者は、自力で歩けるまで回復した。
それでも、無理に速度は上げない。
急いだことで傷が悪化すれば、助けた意味がなくなる。
森を出る前に日が暮れる可能性も考え、途中で安全な場所を探した。
ルイジェルドが選んだのは、背後を白い岩壁に守られた狭い空間だった。
入口は一方向。
周囲に大型魔物の足跡もない。
そこで夜を越すことにする。
スーパーブレイズの者たちは、最初こそ自分たちだけで見張りをすると主張した。
助けられたうえに、見張りまで任せることへ抵抗があるのだろう。
気持ちは分かる。
だが、負傷者が二人いる。
残る四人も、長時間の戦闘で疲労していた。
「見張りは交代で行いましょう」
俺は全員の状態を確認した。
「最初は僕とエリス。次にスーパーブレイズから二人。最後をルードさんにお願いします」
第三者がいるため、偽名を使う。
「俺は一晩中でも構わん」
ルイジェルドが答える。
「明日も移動します。休める時には休んでください」
「ああ」
ルイジェルドが素直に受け入れてくれたことへ、少し安心した。
以前なら、自分一人ですべての見張りを引き受けようとしたかもしれない。
焚き火は小さくした。
煙や光が遠くから見えないよう、土壁で周囲を囲う。
赤喰大蛇の血が付着した装備も、可能な範囲で水を使って洗い流した。
血の臭いを残せば、別の魔物を呼び寄せる。
食事を終える頃。
意識を失っていた翼のある冒険者が目を覚ました。
「ここは……」
「石化の森の中です」
俺は状態を確認する。
呼吸は安定している。
受け答えもできる。
実際に目を覚ました姿を見て、ようやく自分の治療が間違っていなかったのだと安心できた。
「胸へ強い衝撃を受けていました。痛みはありますか?」
「少し……誰が治した?」
「僕です」
冒険者は俺を見た。
次に、隣にいる仲間を見る。
「蛇は?」
「倒した」
リーダーが答える。
「デッドエンドに助けられた。お前も、こいつが治した」
翼のある冒険者は、しばらく俺を見ていた。
「ありがとう」
「動けるようになるまでは、横になっていてください」
礼を言われると、少し居心地が悪かった。
俺は、目の前で死にそうな人間へ治癒魔術を使っただけだ。
それでも、助かったのであれば、それでいい。
◇
最初の見張りは、俺とエリスだった。
エリスは焚き火の向こうに座り、剣を膝へ乗せている。
スーパーブレイズの者たちは眠っていた。
ルイジェルドも目を閉じている。
完全に眠っているのかは分からない。
周囲は静かだった。
戦闘中には押し込めていた感情が、少しずつ戻ってくる。
倒れていた冒険者。
エリスへ迫った大蛇の胴体。
土壁を溶かした酸。
一つでも判断を誤っていれば、誰かが死んでいたかもしれない。
「怖かったわ」
エリスが、人間語で小さく言った。
「赤い蛇がですか?」
「それも。でも、倒れてた人を見た時」
エリスは、眠っている翼のある冒険者へ視線を向けた。
「間に合わないかもしれないって思った」
「僕もです」
俺も同じだった。
治療を始めた時、本当に助けられるのか分からなかった。
自分の魔術が間違っていれば、逆に悪化させるのではないかという不安もあった。
「でも、間に合ったわね」
「はい」
今度は、誰も死ななかった。
ルイジェルドが危険を察知した時点で、すぐに動いた。
負傷者を優先した。
エリスも、敵を追わずに守る役目を続けた。
一つでも判断が違っていれば、結果は変わっていたかもしれない。
「ルーデウス」
「何ですか?」
「私、ちゃんと守れてた?」
エリスは俺を見なかった。
焚き火へ視線を向けたまま尋ねている。
戦闘中には迷っていないように見えた。
それでも、自分の行動が正しかったのか不安だったらしい。
「はい」
迷わず答えた。
「最初に蛇の前へ出た時も、負傷者を運ぶ間も、エリスは自分の役割を守っていました。攻撃が通らないと分かった時にも、無理に続けませんでした」
俺が治療へ集中できたのは、エリスが大蛇を近づけなかったからだ。
エリスがいなければ、俺は何度も治療を中断しなければならなかっただろう。
「最後はもっと斬りたかったわ」
「戻ってきて正解です。尾の攻撃を避けられたのも、その判断があったからです」
「そう」
エリスの口元が僅かに緩んだ。
「なら、次もそうするわ」
自分の強さを見せることより、誰かが生きて帰ることを優先する。
言葉で説明されただけではなく、実際の戦いの中で身につき始めている。
その成長が嬉しかった。
俺が一方的に守るだけの相手ではなくなっている。
「でも、もっと強くなるのもやめないわよ」
「もちろんです」
守るためにも、力は必要だ。
ただし、力だけでは守れない。
どちらか一方ではなく、両方を身につける。
エリスなら、できると思った。
◇
翌朝。
森の入口へ戻ると、トクラブ村愚連隊の三人と、ギルドから派遣された救援隊が待っていた。
三人は、俺たちと別れた後、事前に決めていた東側の退路を通って森を出た。そのまま近くの見張り所へ救援を要請し、派遣された者たちを森の入口まで案内したらしい。
「無事だった!」
トクラブ村愚連隊のリーダーが駆け寄ってくる。
その顔に浮かんだ安堵を見て、彼らも俺たちを心配していたのだと分かった。
「スーパーブレイズも全員いる!」
「一人は、まだ治療が必要です」
俺は救援隊へ負傷者の状態を説明した。
意識を失っていた時間。
治療した箇所。
まだ残っている痛み。
移動中に大きな変化がなかったこと。
治療術師が引き継ぎ、改めて状態を確認する。
俺の治療に問題がなかったか、僅かに不安になる。
だが、治療術師は状態を確認した後、すぐに危険な様子はないと判断したらしい。
「救援を呼んでくれて助かりました」
俺が言うと、少年は少し居心地が悪そうに視線を逸らした。
「俺たちは、森から逃げただけだ」
「逃げるべき時に逃げ、必要な相手へ知らせるのも仕事です」
彼らまで南へ同行していれば、守る人数が増えていた。
誰かがさらに負傷した可能性もある。
戦うことだけが、正しい選択ではない。
「ところで、皆さんの依頼はどうなりましたか?」
俺は尋ねた。
彼らが受けていたのは、卵の採取依頼だ。
俺たちが助けた時点で、卵を見つけていたかどうかは聞いていなかった。
少年は背負っていた大きな袋へ手を当てた。
「見つけた。あの鎧の魔物に追われる前に、西の方で巣を見つけたんだ」
「卵を持ったまま逃げていたのですか?」
「ああ。途中で捨てようかと思ったけど、袋を下ろしてる時間もなかった」
仲間の一人が口を挟む。
「こいつ、転びそうになっても袋だけは離さなかったんだぜ」
「うるさい!」
少年が怒鳴る。
エリスが袋を覗き込もうとする。
「どんな卵?」
「触るなよ。割れたら依頼失敗だからな」
「触らないわよ。見るだけ」
卵を持っていたことを知ったのは、これが初めてだった。
魔物から逃げながらも、依頼品を守っていた。
無謀ではある。
それでも、彼らなりに任された仕事を果たそうとしていたのだろう。
「何の魔物の卵かは分かりますか?」
「依頼人は白牙大蛇の卵だって言ってた。でも、俺たちには分からない」
「町へ戻ったら、回収した素材と一緒に確認してもらいましょう」
スーパーブレイズのリーダーが少年の袋を見る。
「白牙大蛇の巣を見つけたのか?」
「ああ。西の方にあった」
「俺たちが戦った白牙大蛇は、南にいたぞ」
白牙大蛇が巣を離れて移動していたのかもしれない。
だが、今ここで推測を重ねる必要はない。
証拠を持ち帰り、ギルドで調べてもらえばよい。
「町へ戻ったら、見つけた場所と逃げた経路も含めて報告しましょう」
俺は三組が持ち帰るものを確認した。
スーパーブレイズは、白牙大蛇の死体から牙と鱗を回収している。
トクラブ村愚連隊は、巣で発見した卵を持っている。
俺たちは、正体不明の魔物と思われる赤喰大蛇の素材を回収した。
「赤喰大蛇については、誰が倒したことにする?」
スーパーブレイズの女性が尋ねた。
「デッドエンドとスーパーブレイズが協力して討伐したと報告します。トクラブ村愚連隊は、卵の採取と救援要請を行ったと伝えましょう」
「最後に倒したのは、お前らだろ」
スーパーブレイズのリーダーが言う。
「皆さんが赤喰大蛇と戦い続けていなければ、僕たちが到着する前に被害が広がっていました。それに、拘束にも協力してもらっています」
実際の功績を、無理に一つのパーティへ集める必要はない。
俺たちだけで倒したことにすれば、報酬は増えるかもしれない。
だが、それでは実際に戦った者たちの働きを無視することになる。
「報酬についても、ギルドに判断してもらいましょう。僕たちだけで決めれば、後から問題になります」
「随分と慎重だな」
「初めての町で、いくつか学びましたので」
依頼は、魔物を倒した時点で終わるのではない。
証拠を持ち帰る。
関係者と情報を合わせる。
ギルドへ正しく報告する。
そこまで終えて、ようやく完了となる。
◇
リカリスへ戻った時。
冒険者ギルドの中は、いつもより騒がしかった。
石化の森へ救援隊が向かったことは、すでに広まっていたらしい。
扉を開けた瞬間、多くの視線が俺たちへ集まる。
最初に入ったのは、トクラブ村愚連隊。
その後ろにスーパーブレイズ。
最後に、俺たちデッドエンドが続く。
「全員いるぞ」
誰かが言った。
「スーパーブレイズも生きてる」
「救援が必要だって話じゃなかったのか?」
好き勝手な声が飛ぶ。
以前なら、これだけ注目されると、ルイジェルドの正体を疑われるのではないかと不安になっていた。
今も、その警戒がなくなったわけではない。
それでも、全員で帰ってきたことを少し誇らしく感じていた。
俺たちは受付へ向かった。
依頼書。
卵。
白牙大蛇の牙と鱗。
赤喰大蛇の鱗と角。
持ち帰ったものを、一つずつ机へ置く。
受付の女性だけでは判断できず、ギルド長が呼ばれた。
奥の部屋へ、三つのパーティの代表者が集められる。
俺。
トクラブ村愚連隊のリーダー。
スーパーブレイズのリーダー。
ルイジェルドとエリスは、部屋の外で待っている。
「順番に話せ」
ギルド長は、三枚の依頼書を机へ並べた。
まず、スーパーブレイズのリーダーが白牙大蛇を発見した経緯を説明する。
次に、トクラブ村愚連隊のリーダーが、西側で巣と卵を発見し、その後エクスキューショナーに追われたことを話した。
デッドエンドに助けられたことも。
その後、東側の退路を通って森を出て、救援を要請したことも隠さなかった。
最後に、俺が赤喰大蛇との戦闘と、スーパーブレイズの救助について説明した。
自分たちの功績を大きく見せない。
ほかの二組が行ったことも省かない。
戦闘中の状況を、可能な限り順番どおりに話す。
ギルドの鑑定担当者が、卵と白牙大蛇の鱗を確認する。
殻の模様。
残された魔力。
大きさ。
表面の質感。
しばらく調べた後、卵は白牙大蛇のもので間違いないと判断された。
トクラブ村愚連隊のリーダーの表情が、目に見えて明るくなる。
必死に守った卵が依頼の対象で、本当によかった。
「つまり」
すべてを聞いたギルド長が言った。
「白牙大蛇は森の西側へ巣を作り、その後、南側へ移動していた。そこへ、白牙大蛇を狙っていた赤喰大蛇が現れた可能性が高い」
「はい」
「三件は別の依頼だったが、同じ魔物たちの動きから発生していたわけだな」
「そう考えています」
「赤喰大蛇を倒したのは?」
「デッドエンドとスーパーブレイズです」
「実際には、ほとんどデッドエンドだ」
スーパーブレイズのリーダーが、不機嫌そうに口を挟んだ。
「俺たちは、食われないようにするだけで精いっぱいだった」
「ですが、戦闘へ参加していたことに変わりはありません」
「変に遠慮するな。借りを作ったままにされる方が気持ち悪い」
男は腕を組んだ。
「赤喰大蛇の討伐報酬は、デッドエンドへ多く渡せ。俺たちは白牙大蛇の報酬と、赤喰大蛇の討伐へ協力した分だけでいい」
必要以上の功績を受け取りたくないのだろう。
俺が無理に平等を求めれば、かえって相手の気持ちを無視することになる。
「負傷者の治療費は?」
「俺たちが払う」
「でしたら、異論はありません」
必要な金を確保できるなら、無理に均等な分配を求める理由はない。
ギルド長が、トクラブ村愚連隊のリーダーを見る。
「お前たちの卵は、依頼対象と一致している。依頼は完了だ」
少年の表情が明るくなる。
「ただし、危険度を理解せず森へ入ったことについては、後で担当職員から指導を受けろ」
「はい……」
今度は素直に頷いた。
次に、ギルド長の視線が俺へ向く。
「デッドエンド」
「はい」
「DランクとしてCランク依頼を受け、対象を特定。Aランク相当の魔物を討伐し、二つのパーティを救助した」
「トクラブ村愚連隊は、全員で助けました。スーパーブレイズの方々も、自分たちで戦っています」
「報告書には、それぞれの役割を正確に記録する」
ギルド長は少し考えた。
注意されるのか。
それとも、ランクを越えた依頼を続けたことを問題にされるのか。
僅かに緊張する。
「それでも、デッドエンドの功績が大きいことに変わりはない」
机の引き出しから、三枚の札を取り出す。
Cの文字。
「デッドエンドを、Cランクへ昇格させる」
「三人ともですか?」
驚いて聞き返した。
「パーティとして受けた依頼だ。戦闘だけでなく、救助、治療、判断、報告まで含めて評価する」
俺は三枚の札を受け取った。
登録から、それほど長い時間は経っていない。
しかし、不正をしたわけではない。
一つずつ依頼を終え、実績を積み上げた結果だった。
最初に依頼交換へ手を出そうとした時とは違う。
今度は、正しく行動した結果として認められた。
そのことが、素直に嬉しかった。
「ありがとうございます」
「礼を言うのは、これからだ」
ギルド長は厳しい顔を崩さなかった。
「Cランクになれば、他者の命を預かる依頼が増える。護衛も、集団の指揮も、低位冒険者の同行もある。今回うまくいったからといって、次も同じとは限らん」
「承知しています」
今回も、すべてが予定どおりだったわけではない。
敵の硬さ。
酸。
負傷者の状態。
現場で確認し、何度も方法を変えた。
それでも全員を助けられたのは、三人だけではなく、スーパーブレイズの者たちも役割を果たし、トクラブ村愚連隊が救援を呼んだからだ。
次も同じように成功する保証はない。
そのことは、忘れないようにしたかった。
「それと、赤喰大蛇が現れた地域には、しばらく注意情報を出す。ほかにも大型魔獣が移動している可能性がある」
「お願いします」
一匹を倒しただけで、すべてが解決したとは限らない。
必要な情報を残し、次の被害を防ぐ。
それも依頼を完了するために必要なことだった。
◇
部屋を出る。
エリスが、俺の手にある札を見つけた。
「C?」
「はい」
「上がったのね!」
エリスが札を一枚取る。
何度も表裏を確認し、胸を張った。
「次はBね!」
嬉しそうな姿を見ると、俺まで頬が緩みそうになった。
「僕たちは、そろそろ町を出ます」
「……そうだったわ」
ランクを上げることが目的ではない。
旅費を稼ぐ。
装備を整える。
帰るための道を作る。
そのために冒険者になった。
それでも、この札は無駄にはならない。
次の町でも、以前より受けられる依頼が増える。
ルイジェルドも、自分のCランク札を見た。
「出発できるのか」
第三者が近くにいるため、俺は偽名で答える。
「はい、ルードさん。今回の報酬があれば、次の町までの食料と装備を揃えられます」
「そうか」
ルイジェルドは、それ以上何も言わなかった。
だが、僅かに安心したように見えた。
俺も同じ気持ちだった。
金も信用もなかった状態から、ようやく次の町へ進めるだけのものを得た。
ギルドの出口へ向かおうとすると、スーパーブレイズのリーダーに呼び止められた。
「おい、デッドエンド」
振り返る。
スーパーブレイズの六人が立っていた。
翼のある冒険者も、仲間に支えられながら歩いている。
「今回は助かった」
リーダーが言った。
「礼は言ったぞ。これで借りを返したとは思ってねえがな」
「無事でよかったです」
本当に、それ以上のことは思いつかなかった。
「それだけか?」
「ほかに何を言えばよいのでしょう」
男は、面倒そうに頭を掻いた。
「お前らのことを笑ってた奴らには、俺から話しておく」
「何をですか?」
「デッドエンドは、子供の遊びじゃねえってことだ」
ギルド内の冒険者たちが、こちらを見ている。
男は聞こえるように声を上げた。
「こいつらが来なきゃ、スーパーブレイズは全滅してた! 赤喰大蛇を倒したのも、こいつらが中心だ!」
一瞬。
ギルド内が静かになった。
エリスが胸を張る。
ルイジェルドは何も言わない。
俺は、できればそこまで大声で言わないでほしかった。
目立ちすぎれば、ルイジェルドの正体を疑う者が出る可能性もある。
しかし、ここで完全に否定するのも不自然だ。
助けられた側が、俺たちを認めるために言ってくれている。
「スーパーブレイズの皆さんと協力して倒しました」
それだけを告げる。
ギルド内から、誰かが声をかけた。
「やるじゃねえか、デッドエンド」
別の場所からも声が飛ぶ。
「赤喰大蛇って、本当にあのでかい奴か?」
「Cランクになったってよ」
「もう子供扱いできねえな」
以前のような、単なる嘲笑ではない。
驚き。
疑い。
警戒。
そして、僅かな敬意。
デッドエンドという名前の意味が、少しずつ変わっている。
出会えば死ぬ。
そう恐れられていた名前が。
危険な時に現れ、人を助ける冒険者たちの名前として、町へ残り始めていた。
まだルイジェルドの本名を明かしているわけではない。
それでも、この評判がいつか彼の名へつながるかもしれない。
そう考えると、注目される不安の中へ、僅かな喜びが混じった。
◇
その日のうちに、旅立ちの準備を始めた。
保存食。
水袋。
薬草。
解毒薬。
予備の布。
武器の手入れ道具。
野営用の縄。
地図。
必要な物を一覧にし、店を回って価格を比べる。
エリスも、今では商品の値段を簡単な魔神語で尋ねられる。
以前のように「高い」とだけ叫ぶこともない。
「もう少し安くできない?」
店主へ尋ねる。
「無理だ。質を見ろ」
「三つ買うわ。安くして」
交渉らしい形になっていた。
店主も、子供の言葉だからと無視はしない。
最終的には、保存食を一日分多く付けてもらうことができた。
「私の勝ちね」
「買い物に勝敗はありません」
「安くできたんだから勝ちでしょう」
楽しそうなので、否定する必要もないだろう。
それに、一人で店主と交渉できるようになったことが嬉しかった。
装備を揃えた後。
俺は冒険者ギルドへ戻り、長距離の伝言について尋ねた。
「中央大陸か、ミリス神聖国へ手紙を送ることはできますか?」
受付の女性は、少し困った顔をした。
「確実には無理ね」
「確実ではなくても構いません」
「魔大陸の各町へ向かう商隊へ預けて、港町まで運ぶことはできる。その先は、海を渡る船が引き受けるかどうかによるわ」
「ミリシオンの冒険者ギルドまでなら?」
「届くまで何か月かかるか分からないし、途中で失われる可能性もある。それでもいいなら、ギルドの伝言札へ登録できる」
通常の手紙より短い。
名前。
現在地。
向かう先。
必要最低限の情報だけを、複数のギルドへ転記してもらう仕組みらしい。
料金は安くない。
せっかく得た報酬が減る。
それでも、誰かが俺たちを捜しているなら、情報を残す意味はある。
俺は伝言を書いた。
ルーデウス・グレイラット。
エリス・ボレアス・グレイラット。
二名とも生存。
魔大陸リカリスにて冒険者登録。
護衛のルードとともに、港町ウェンポートを目指して移動中。
負傷なし。
中央大陸への帰還を目指している。
確認のため、何度も読み返す。
間違った情報を残せば、それを信じた誰かが別の場所へ向かってしまう。
現在地だけでなく、次の目的地も記す。
リカリスへ情報が届いた時、俺たちがすでに出発している可能性が高いからだ。
「こちらでお願いします」
料金を支払う。
手持ちの金が減る。
だが、旅の途中で家族や知人とすれ違う可能性を減らせるなら、必要な出費だった。
受付の女性が、伝言札を受け取る。
「届く保証はないわよ」
「分かっています。それでも、お願いします」
「もし返事が届いたら?」
「ウェンポートまで転送してください。僕たちが通過した後なら、ミリシオンへ送ってください」
レイネがどこにいるかは分からない。
ギレーヌも。
父さんたちも。
それでも、情報を残し続ければ、どこかで届く可能性がある。
何もしなければ、誰にも届かない。
誰か一人にでも、俺たちが生きていると伝わってほしかった。
◇
翌朝。
リカリスの門を出た。
初めて見た時には、入るだけでも緊張した町だった。
今では、門番の一人が俺たちの名前を知っている。
「もう行くのか、デッドエンド」
「はい」
「赤喰大蛇を倒したそうだな」
「スーパーブレイズの方々と協力しました」
門番はルイジェルドを見る。
青く染めた髪。
額を覆う布。
穂先を隠した槍。
「そこのルードが、かなり強いらしいな」
「仲間ですから」
エリスが魔神語で答えた。
文法は少し不自然だったが、迷いはない。
「ルードは、私たちを守る。私たちも、ルードを守る」
ルイジェルドが、僅かにエリスを見る。
俺も少し驚いた。
最初は、ルイジェルドが俺たちを守るだけの関係だった。
エリスは今、自分たちもルイジェルドを守るのだと言った。
門番は笑った。
「変わった連中だ。生きて戻ってこいよ」
「戻るかは分かりませんが、生きて旅を続けます」
町を出る。
道が見えなくなるまで歩いたところで、エリスが振り返った。
リカリスは、クレーターの底へ小さく見えている。
「やっと、帰るための旅が始まるのね」
「すでに始まっていたと思いますが」
「今までは、町にいたでしょう」
エリスにとっては、町を離れて初めて旅が動き出した感覚なのだろう。
俺にとっても、少し似た気持ちはあった。
リカリスでは、旅を続けるための金と信用を作っていた。
ここから、ようやく目的地へ向かって進み始める。
「レイネは、迎えに来るって言ったわ」
「はい」
その名前を聞くと、胸の奥が少し痛んだ。
レイネがどこにいるのかは分からない。
生きていると信じている。
それでも、直接確かめられない不安が消えたわけではない。
「でも、私たちも進むのよね」
「待っているだけにはしません」
レイネなら、約束を守る。
それでも、俺たちが何もせずに待ち続ける理由はない。
俺たちは俺たちで、生きて帰るために進む。
互いに動いていれば、いつか必ず出会える。
そう信じたかった。
三人だけになったところで、俺はルイジェルドへ向き直った。
「ルイジェルドさん。これからも、よろしくお願いします」
「ああ」
「私も頼りにしてるわ!」
エリスが言う。
ルイジェルドは二人を見た。
「俺も、お前たちを頼りにしている」
その言葉を聞き、胸の奥が温かくなった。
以前なら、ルイジェルドは自分が俺たちを守るとだけ言ったかもしれない。
今は、俺とエリスも仲間として数えている。
守る者と、守られる子供。
それだけではない。
互いにできることを持ち寄り、全員で生きて帰るための仲間だった。
石化の森でも、俺一人では誰も助けられなかった。
ルイジェルドが負傷者を運んだ。
エリスが敵を止めた。
スーパーブレイズが大蛇を拘束した。
俺は、自分にできることをしただけだ。
一人で何でもできる必要はない。
仲間を頼ってもいい。
少しずつ、そう思えるようになっていた。
ルイジェルドが先頭へ立つ。
エリスがその後ろを歩く。
俺は地図を開き、最初の目的地を確認した。
港町ウェンポートまでは遠い。
越えなければならない土地も。
倒さなければならない魔物も。
解決しなければならない問題も多いだろう。
今回のように、すべてがうまくいくとは限らない。
判断を間違えることもあるかもしれない。
誰かを助けられず、後悔することもあるかもしれない。
考えれば、不安はいくらでもあった。
それでも、進むべき方向は決まっている。
俺たちはリカリスを離れ、魔大陸を横断する旅へ踏み出した。