ルーデウス視点
屋敷の壁へ大穴を開けた日の夜、グレイラット家では、ルーデウスの今後について家族会議が開かれた。
三歳の息子が独学で中級魔術を発動したことに、ゼニスは興奮を隠しきれず、できるだけ早く専門の教師を雇うべきだと主張した。一方のパウロは、以前から息子へ剣術を教えると決めていたらしく、魔術ばかりを学ばせることには難色を示した。
どちらもルーデウスの将来を考えての意見ではあったが、話し合いは次第に、剣士と魔術師のどちらが優れているかという問題へ脱線していった。
最後には、パウロが昔の冒険者仲間について語り始め、ゼニスがその頃の失敗を持ち出したことで、議論の目的そのものが失われかけていた。
その口論を終わらせたのはリーリャである。
午前中は家庭教師から魔術を学び、午後にはパウロから剣術を教わればよい。どちらか一方だけを選ばせる必要はないという、極めて現実的な提案だった。
二人はしばらく顔を見合わせた後、気まずそうに頷いた。
ルーデウス本人にも異論はなかった。
剣と魔術が本当に存在する世界で、その両方を学べる機会があるのなら、片方を捨てる理由はない。前世であれば、二つも習い事を押しつけられたと不満を抱いたかもしれないが、今世ではできることを増やしたいと思っている。
もう二度と、何もせずに人生を終えたくなかった。
パウロは城塞都市ロアの魔術師ギルドと冒険者ギルドへ連絡し、住み込みで三歳児へ魔術を教えられる家庭教師を募集した。
ブエナ村には宿屋さえなく、都市からも離れている。腕の立つ魔術師が、わざわざ田舎まで来る可能性は高くないと考えられていたが、募集への返答は意外なほど早かった。
応募者が訪れる日、パウロは朝から落ち着かなかった。
「魔術師っていうのは、やっぱり長い髭を生やしているものなのか?」
「どうして私に尋ねるのですか」
朝食の片づけをしていたリーリャが、冷静に答えた。
「いや、俺が知っている魔術師は、そこまで年寄りじゃなかったからな。だが、人へ教えるほどの魔術師となれば、きっと経験を積んだ老人だろう」
「応募者の経歴には、年齢までは書かれていなかったの?」
ゼニスが尋ねると、パウロは視線を逸らした。
どうやら、詳しく確認していないらしい。
ルーデウスも、いかにも魔法使いらしい老人を想像していた。長い杖を持ち、白い髭を蓄え、難解な言葉で魔術の理論を語るような人物である。
レイネだけは、客室の最終確認をしながら、特に何かを想像している様子を見せなかった。
ルーデウスが三歳になった現在、レイネの実年齢は十七歳になっている。
初めて家を訪れた時よりも僅かに背が伸び、顔立ちにも多少の変化があったが、外見だけなら八歳か九歳ほどにしか見えない。二年が経過して、ようやく一歳分ほど成長したように見えるという、非常にゆっくりとした変化だった。
本人は幼い頃から成長が遅いと説明しており、家族もすでにその体質を受け入れている。仕事の技量や落ち着いた振る舞いを知っているため、今では見た目だけで子供扱いする者もいなかった。
昼前になると、家の門が叩かれた。
家族と使用人たちが出迎えるため玄関へ集まり、リーリャが扉を開ける。
そこに立っていたのは、全員の想像とは大きく異なる人物だった。
水色の髪を三つ編みにし、茶色い魔術師用のローブを身につけた、小柄な少女である。背丈よりも長い杖と一つの鞄を持っており、見た目だけなら十代前半にも見えた。
ローブや杖には長く使われてきた跡がある。旅に慣れていない子供が、魔術師の格好だけを真似ているわけではなさそうだった。
少女は門前に並んだグレイラット家の者たちを見渡した後、少し緊張した様子で頭を下げた。
「ロキシー・ミグルディアです。本日から、こちらで魔術の指導を担当させていただきます」
パウロとゼニスは、揃って返事を忘れていた。
想像していた老魔術師とあまりにも違ったため、すぐには家庭教師本人だと理解できなかったらしい。
沈黙が長くなるにつれ、ロキシーの表情が僅かに険しくなる。外見だけで能力を疑われることには、慣れているように見えた。
「あなたが、応募してくれた家庭教師なのか?」
ようやくパウロが口を開く。
ロキシーは鞄の中から一枚の証明書を取り出し、慣れた動作で差し出した。
「はい。攻撃魔術は水聖級で、治癒魔術も中級まで使用できます。ラノア魔法大学を卒業しており、家庭教師として必要な資格も取得しています」
証明書へ目を通したパウロは、慌てて態度を改めた。
ゼニスも失礼を詫び、ロキシーを屋敷の中へ招き入れる。
その間、レイネはロキシーの姿を静かに見つめていた。
表情そのものは普段と変わらない。
しかし、初めて会う相手を確認するにしては、視線がほんの僅かに長く留まっていたように、ルーデウスには感じられた。
もっとも、レイネの白髪と赤い瞳が珍しいように、水色の髪を持つロキシーも、この村では見かけない外見をしている。互いに相手を珍しく思っただけかもしれなかった。
レイネはすぐにいつもの穏やかな表情へ戻り、両手を身体の前で重ねた。
「グレイラット家で侍女を務めております、レイネと申します。ロキシー先生がお使いになるお部屋は準備しておりますので、お荷物をお預かりいたします」
「いえ、この程度なら自分で運べます」
「長い旅の後でございます。御屋敷の中では、どうぞお任せください」
断り方が弱かったこともあり、ロキシーはレイネへ鞄を預けることになった。
小柄な二人が並ぶと、外見だけなら同年代か、レイネの方が年下に見える。しかし、実際にはレイネの方が十七歳であり、ロキシーについては年齢も出身もまだ分かっていない。
ルーデウスにも、ロキシーが人族なのか、それ以外の種族なのかは判断できなかった。
この世界には人族以外にもさまざまな種族がいるらしいが、今のルーデウスが知っているのは、本で読んだ曖昧な知識だけである。少なくとも、外見だけを見て相手の種族を断定できるほど詳しくはなかった。
ただ、使い込まれた杖やローブから、旅を続けてきた本物の魔術師であることは分かった。
「それで、私が教える生徒はどちらですか?」
ロキシーが周囲を見回す。
ゼニスは誇らしげな笑顔を浮かべ、自分の隣に立っていたルーデウスの肩へ手を置いた。
「この子です。息子のルーデウスといいます」
ロキシーはルーデウスを見下ろしたまま、しばらく動かなかった。
募集の時点で年齢を正確に聞かされていなかったのだろう。
「本当に、この子ですか?」
「ええ。この子が中級の水魔術を使ったのよ」
「魔術教本を読み上げた結果、偶然発動したということではありませんか?」
「それでも、三歳で中級魔術を発動できたなら、才能があると思わない?」
ゼニスが自信満々に答えると、ロキシーは小さく息を吐いた。
親が自分の子供を天才だと思い込み、教師へ無理な期待を押しつけることは珍しくないのかもしれない。ロキシーの表情からは、期待よりも警戒に近いものが感じられた。
「理論を理解できる年齢には見えませんが、引き受けた以上は、できるところまで試してみます」
「よろしくお願いします、先生」
ルーデウスが丁寧に頭を下げると、今度はロキシーが僅かに目を見開いた。
三歳児が、年齢相応の拙さをほとんど見せずに挨拶したことへ驚いたらしい。
しかし、すぐに教師らしい表情を作り直した。
「はい。まずは、どの程度のことができるのか確認しましょう」
こうしてルーデウスは、午前中にロキシーから魔術を学び、午後にはパウロから剣術を教わる生活を始めることになった。
ロキシー視点
レイネに案内された客室は、想像していたより丁寧に整えられていた。
小さな机と寝台だけでなく、濡れたローブを掛けるための木枠や、杖を安定して立てられる場所まで用意されている。水を入れた桶と清潔な布も準備され、窓際の机には読み書きに十分な明るさが確保されていた。
豪華な部屋ではない。
しかし、旅を終えた魔術師が最初に必要とするものを考えたうえで準備されていることは分かった。
「魔術師を迎えた経験があるのですか?」
鞄を机の傍らへ置いたレイネへ、ロキシーは何気なく尋ねた。
「いいえ。ただ、先生の募集を出した時点で、ローブと杖をお持ちになることは予想できましたので」
「それだけで、ここまで準備したのですか?」
「使われない物まで揃えてはおりません。必要になりそうな物だけをご用意いたしました」
レイネは穏やかに答えた。
見た目は八歳か九歳ほどにしか見えないが、実年齢は十七歳だと、先ほどゼニスから聞いている。ロキシー自身も年齢より幼く見られることが多いため、相手の外見と年齢が一致しないことへ口を挟むつもりはなかった。
それでも、レイネの所作には年齢以上の落ち着きがあった。
音を立てないよう慎重に歩いているというより、足を置くべき場所を最初から把握しているような動きである。狭い部屋の中でも机や杖へ一度も身体をぶつけず、周囲を確認するため視線を落とすこともない。
経験を積んだ使用人なら、この程度はできるものなのかもしれない。
そう考えながらも、ロキシーは一つだけ気になることがあった。
レイネは最初に名乗った時、ほんの一瞬だけ、懐かしいものを見るような目をしていた。
すぐにいつもの微笑へ戻ったため、見間違いだと思うことにしたが、初対面の相手へ向ける視線としては少し奇妙だった。
「すぐに授業を始めます。ルーデウスを庭へ連れてきてください」
「承知いたしました」
レイネは一礼した後、扉へ向かう途中で足を止めた。
「先日の事故で、ルーデウス様は屋敷の壁を一枚損傷しております。攻撃魔術をお使いになる場合は、射線の先を十分にご確認くださいませ」
事務的な報告だった。
しかし、三歳児が本当に壁を壊すほどの魔術を使ったのだと聞かされ、ロキシーは改めて、今回の仕事が単なる親馬鹿に付き合うだけではない可能性を考え始めた。
ルーデウス視点
最初の授業は、屋敷の裏庭で行われることになった。
ロキシーは魔術教本を使って基礎から教えるつもりだったらしいが、先にルーデウスがどの程度の術を扱えるのか確かめることにしたようだ。
レイネは授業を邪魔しないよう庭の端へ敷物を広げ、その上に水差しと布を置いた。
以前の秘密特訓で使っていた、疲労や魔術の使用回数を記録する帳面も準備されている。ただし、正式な教師がいる以上、自分から授業へ口を挟むつもりはないらしく、準備を終えると少し離れた場所で洗濯物を畳み始めた。
「まず、初級水魔術のお手本を見せます」
ロキシーは庭木へ身体を向け、杖を構えた。
正確な発音で詠唱を行うと、杖の先へ水球が形成される。ルーデウスが独学で作ってきたものと比べても形が安定しており、表面に無駄な揺らぎがない。
完成した水球は、杖が示した方向へ勢いよく射出された。
鈍い音とともに庭木の幹が折れ、水しぶきが周囲へ飛び散る。
ロキシーは少し得意そうな表情でルーデウスへ振り返った。
「これが初級水魔術のウォーターボールです。今の術を――」
「先生」
「何でしょう」
「その木は、母様が大事にしている木です」
ロキシーの表情が固まった。
少し離れた場所で洗濯物を畳んでいたレイネも顔を上げ、折れた木へ視線を向けている。
「大事な木なのですか?」
「以前、父様が枝を一本折った時は、しばらく口を利いてもらえませんでした」
その話を聞いたロキシーは、すぐに折れた幹へ駆け寄った。
どうにか元の位置へ戻そうとしたものの、細く見える木でも、一人で支えるには重い。顔を赤くしながら持ち上げようとしていると、レイネが静かに近づいてきた。
「私が支えます。先生は治癒魔術へ集中なさってください」
「持てるのですか?」
「根元から持ち上げるわけではございません。先端を地面につけたまま、角度を戻せば十分です」
レイネは折れた幹を両手で受け、先端を地面へ滑らせながら位置を整えた。
幼い外見に似合わない怪力を見せるのではなく、力を使わずに済む方法を選んだらしい。幹の重さを地面へ逃がし、ロキシーが術を使いやすい位置へ折れ目を合わせている。
ロキシーは治癒魔術の詠唱を始めた。
淡い光が幹を包み込み、裂けた部分が少しずつ閉じていく。完全に元どおりとはいかなかったが、遠目には折れたことが分からない程度まで修復された。
「先生は治癒魔術も使えるのですね」
ルーデウスが感心して声を上げると、ロキシーは額の汗を拭いながら立ち上がった。
「中級までなら使えます。専門の治癒術士ほどではありませんが、この程度であれば問題ありません」
少し誇らしそうだった。
自信をなくされても困るため、ルーデウスは素直に称賛した。実際、植物にまで治癒魔術が使えるとは知らなかったため、折れた木が繋がる光景は十分に驚くべきものだった。
「では、次はルーデウスの番です」
機嫌を直したロキシーは、別の木へ向けて術を使うよう指示した。
ルーデウスはいつもどおり右手を前へ伸ばしたところで、しばらく詠唱を使っていなかったことを思い出した。
ロキシーが先ほど口にした言葉を思い出そうとしたが、すべてを正確には覚えていない。
「先生、詠唱をもう一度教えていただけますか?」
ロキシーは、初めて魔術を学ぶ子供へ教えるように、ゆっくりと詠唱を繰り返した。
一度聞いただけで全文を暗記することは難しかったため、ルーデウスは覚えている部分だけを口にし、残りの工程をいつもの感覚で補った。
手のひらの先へ水球が生まれる。
ロキシーが作ったものより少し小さく、速度も僅かに抑えている。それでも、初級魔術としては十分な威力があった。
放たれた水球は、先ほどとは別の庭木へ直撃した。
太い枝が砕け、幹が大きく傾く。
今度はロキシーが、驚愕した表情でルーデウスを見ていた。
「今、詠唱を途中で省きましたね?」
「はい。全部は覚えられなかったので」
「普段から短縮しているのですか?」
「普段は、何も唱えていません」
ロキシーは何も言わなくなった。
教本には無詠唱について書かれていなかったため、珍しい技術なのだろうとは思っていた。しかし、教師がここまで驚くとは想像していなかった。
「詠唱をせずに、もう一度使えますか?」
「できます」
「では、射出せず、手元へ作るだけにしてください」
言われたとおり、ルーデウスは魔力の流れを意識し、拳ほどの水球を空中へ作った。その後もロキシーの指示に従い、大きさを変え、回転を加え、最後には桶の中へ静かに落とす。
ロキシーは、水球とルーデウスの手元を交互に見つめていた。
教師として平静を保とうとしているようだが、その表情には明らかな興奮が浮かんでいる。
「疲労はありますか?」
「この程度でしたら、ほとんどありません」
「これまで、一日に何度ほど魔術を使用していましたか?」
ルーデウスが答えようとしたところで、レイネが一冊の帳面を差し出した。
「安全管理のため、練習を始められた頃から回数と体調を記録しております。先生のご指導に必要でしたら、お使いください」
ロキシーは帳面を受け取り、最初の頁から順番に目を通した。
水球を三度使った後に意識を失った最初の日から、使用回数が少しずつ増えていく経過が記されている。術の理論や魔力についての推測はなく、顔色、発汗、ふらつき、睡眠時間といった、外から確認できる事実だけが記録されていた。
「これを、あなたが?」
「はい。私は魔術の指導ができませんので、異常が起きていないかを確認しただけでございます」
「この記録を見る限り、魔力量が短期間で増えています。普通は、ここまで明確に変化するものではありません」
「その判断も私にはできません。今後は、先生へお任せいたします」
ロキシーは帳面を閉じた。
到着した直後に見せていた、親の期待に付き合うだけの家庭教師という態度は消えていた。
「分かりました。まず、無詠唱で何ができ、何ができないのかを確認します。その後、魔術の理論と各系統の基礎を最初から学び直しましょう」
ロキシーの口元が、僅かに持ち上がる。
「教えることは、かなり多くなりそうです」
その声には、教師としての明確な意欲が含まれていた。
ルーデウスも、自分一人では知ることのできなかった魔術を学べることに期待を覚えた。
その時、屋敷の方から陶器が割れる音と、ゼニスの叫び声が響いた。
振り返ると、庭へ飲み物を運んできたゼニスが、再び折れた木を見て立ち尽くしている。
最初にロキシーが折った木は治っているものの、ルーデウスが撃った別の木は、太い枝を失ったまま大きく傾いていた。
驚きは、すぐに怒りへ変わった。
「ロキシーさん!」
「は、はい!」
「うちの木を魔術の的にしないでください!」
「ですが、今のはルーデウスが――」
「三歳の子供へ撃たせたのは先生でしょう!」
反射的にルーデウスへ責任を移しかけたロキシーは、ゼニスの言葉を受けて肩を落とした。
「申し訳ありません。以後、標的は別に用意します」
ゼニスは自分で木へ治癒魔術を使い、折れた部分を修復すると、まだ怒りを残したまま屋敷へ戻っていった。
庭には、ひどく落ち込んだロキシーが残された。
到着したその日に雇い主から叱られたことで、明日には解雇されるのではないかと、本気で考えているようだった。
ルーデウスは慰めようとしたものの、前世では長年まともな人間関係を築いていなかったため、落ち込んだ相手へ何を言えばよいのか分からなかった。
それでも、今世では何もしないまま諦めたくない。
「先生は、失敗したのではありません」
ロキシーが顔を上げる。
「今日は、この家で魔術を教える時に、木を的にしてはいけないと分かりました。次から同じことをしなければ、今日のことは経験になります」
三歳児らしい慰めではなかったかもしれない。
しかし、ロキシーはしばらくルーデウスを見つめた後、少しだけ表情を和らげた。
「そうですね。ありがとうございます」
「それに、奥様は先生のお夕食も準備するよう、先ほど私へ申しつけておられました」
レイネが静かに付け加える。
「本当に解雇なさるおつもりでしたら、食事の好みまで確認なさらないかと存じます」
「……そうなのですか?」
「はい。ですから、授業の続きをお願いいたします」
レイネは倉庫へ向かうと、使わなくなった木板を運び出し、庭の端へ固定した。背後に人がいないことを確かめ、周囲の植物へ水が当たりにくい角度まで調整する。
「こちらでしたら、奥様が育てておられる物へ当たる心配はございません」
「最初から、これを使えばよかったですね……」
「次回からは、お使いくださいませ」
ロキシーは一度深く息を吐くと、杖を握り直した。
こうして初日の授業は、多少の騒動を起こしながらも再開された。
ルーデウスはロキシーから、魔術を発動する方法だけでなく、安全に使うための基本も学び始めた。
ルーデウス視点
午後になると、教師はロキシーからパウロへ交代した。
三歳の身体に合う木剣はまだ用意されておらず、最初の修行は走り込みや屈伸、身体を支えるための基礎運動が中心だった。
パウロは剣術について理論的に説明することが得意ではないらしく、自分の動きを見せた後には、「ここで力を溜めて、一気に踏み込む」「足からグッと出て、腰をドンと入れる」といった感覚的な言葉を多く使った。
実演そのものは見事だった。
地面を蹴った瞬間、パウロの身体が前へ飛び、木剣が鋭い音を立てて振り抜かれる。
しかし、同じ動きをしろと言われても、どの筋肉をどの順番で使えばよいのか、ルーデウスには理解できなかった。
何度か真似をしてみたものの、腕へ力を入れすぎて上半身が先に動き、踏み込むたびに足元が乱れた。
「違う、ルディ。もっとこう、足からグッと出て、腰をドンと入れるんだ」
「グッと出て、ドンですか?」
「そうだ。腕だけで振るんじゃない。身体全部で斬るんだ」
言いたいことは分からなくもない。
だが、その説明だけで正しく再現できるほど、ルーデウスには剣術の経験がなかった。
パウロは息子の飲み込みが悪いと苛立つことはなく、何度も同じ動きを見せてくれた。それでも、ルーデウスの足運びは最後まで安定しなかった。
日が傾き始めたところで修行は終わり、疲れ切ったルーデウスは、レイネに身体を拭かれながら小さく息を吐いた。
「剣術は、魔術より難しいかもしれません」
「初日でございますから、難しくて当然かと存じます」
「父様の動きは見えるのですが、どうやっているのか分かりません。足からグッと出て、腰をドンと入れるそうです」
ルーデウスがパウロの説明をそのまま伝えると、レイネは僅かに目を伏せた。
「旦那様らしいご説明でございますね」
「レイネには分かるのですか?」
「護身術を教わった際に、似た動きを習ったことがございます」
レイネは濡らした布を桶へ戻した後、ルーデウスを立たせた。
「剣を振る必要はございません。足だけを動かしてみてください」
言われるまま構える。
「ルーデウス様は、前へ進もうとして、最初から前足を持ち上げておられます。それでは上半身だけが先に倒れますので、まず後ろ足で地面を押してください。その力で腰を前へ運び、その後を前足と肩が追うように動きます」
「腕はどうするのですか?」
「最後です。旦那様が身体全体で斬ると仰ったのは、腕だけで剣を振らないという意味でしょう」
説明を聞きながら動いてみると、先ほどより自然に身体が前へ進んだ。
まだぎこちないものの、上半身と下半身が別々に動く感覚は薄れている。
「父様の説明より分かりやすいです」
「それは、旦那様が正しい動きをお見せになった後だからでございます。私は、ルーデウス様に伝わる言葉へ置き換えただけです」
レイネはそう答えた後、少しだけ声を落とした。
「ただし、私から教わったとは、旦那様へお話しにならないでくださいませ」
「どうしてですか?」
「私は剣術について、護身程度しか知らないと申し上げております。余計な誤解を与えれば、説明することが増えてしまいます」
理由としては理解できた。
それに、パウロが自分の教え方よりも侍女の補足の方が分かりやすかったと知れば、少なからず落ち込むだろう。
「分かりました。秘密にします」
「ありがとうございます。ただし、私の説明が旦那様の教えと異なる場合は、必ず旦那様を優先してください」
レイネはあくまでも、自分が剣術の教師になるつもりはないらしい。
翌日の午後、ルーデウスは前日に教えられたことを意識し、後ろ足で地面を押してから身体を前へ運んだ。
初日に比べれば、踏み込みは見違えるほど安定していた。
パウロは驚いた後、すぐに満面の笑みを浮かべる。
「そうだ、ルディ! 昨日教えた、グッと出てドンという感覚が分かったんだな!」
「はい、父様」
嘘ではない。
パウロが見せた正しい動きを、レイネが理解できる言葉へ直したことで、ようやく意味が分かったのだから。
少し離れた場所では、レイネが洗濯物を取り込みながら、こちらへ一度だけ目を向けていた。
ルーデウスと視線が合うと、何も言わず、ほんの僅かに頷いてから仕事へ戻る。
午前はロキシーから魔術を学び、午後はパウロから剣術を学ぶ。授業以外の時間には、レイネが生活を整え、分からないことを理解するための手がかりを示してくれる。
そうした日々を重ねるうちに、ルーデウスの新しい生活には、はっきりとした形が生まれ始めていた。
ロキシーもまた、最初に抱いていた疑いをすぐに捨て、三歳児へ教えるための簡単な授業ではなく、一人の魔術師を育てるつもりで教材を組み直していった。
募集の終わった家へやって来た白髪の侍女と、田舎の幼児を教えるために訪れた水色の髪の魔術師。
二人に見守られながら、ルーデウスは魔術と剣術の両方へ、本格的に足を踏み入れた。