白髪の侍女   作:MトK

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第五十話 共同戦線

ルーデウス視点

 

翌朝。

 

俺とレイネが冒険者ギルドへ到着した時、カウンターアローの五人は、既に入口の前へ集まっていた。

 

空はまだ薄暗い。石畳の隙間には白い霜が張りつき、吐いた息はすぐに白く濁った。

 

ローゼンバーグへ到着したばかりの俺には、十分すぎるほど寒い朝だったが、通りを歩く人々にとっては普段どおりらしい。厚い外套へ身を包んだ商人が荷車を引き、店先では眠そうな顔をした店員が、凍りついた扉を力任せに開けている。

 

スザンヌは大盾と剣を背負い、パトリスは長剣の留め具を確認していた。

 

サラは弓弦を指先で弾き、張り具合を確かめている。ティモシーとミミルも、それぞれ杖と、薬品や保存食の入った荷物を持っていた。

 

俺たちの姿へ気づくと、ティモシーが軽く手を上げる。

 

「おはようございます。お二人とも、時間どおりですね」

 

「おはようございます」

 

「おはようございます、皆様」

 

レイネが一礼する。

 

今日は侍女服の上から、厚い外套と革製の胸当てを身につけていた。剣は腰へ下げ、薬や小型の道具は外套とスカートの内側へ分散して収めている。

 

冒険者として見れば、変わった格好だ。

 

けれど、昨日のうちにレイネがSランク冒険者であることは共有している。戦えない侍女を、俺が無理に依頼へ連れてきたと考える者はいない。

 

サラは、それでも服装が気になるらしい。

 

「Sランクになってからも、ずっとその格好で依頼を受けていたの?」

 

「形には多少の違いがございますが、基本的には同じでございます」

 

「目立つでしょう」

 

「はい。顔を覚えていただく必要がある依頼では、便利でございました」

 

「冒険者にとって、目立つことが危険になる場合もあるわよ」

 

「仰るとおりでございます。その場合には、外套などで隠しております」

 

レイネはサラの指摘を否定せず、必要な部分だけを答えた。

 

どうして侍女服へこだわるのか。

 

その核心へは触れていない。

 

俺へ仕える侍女として過ごすことを、レイネ自身が選んでいる。その理由のすべてを、俺でさえ知っているわけではない。

 

それでも、戦闘や移動へ支障がなく、危険な場面では目立たないよう対処していることは伝わったらしい。

 

サラはまだ納得し切れていないようだったが、それ以上は追及しなかった。

 

「中へ入りましょう」

 

ティモシーが言った。

 

「出発前に、隊列と戦闘時の役割を確認します」

 

俺たちは、冒険者ギルドの一角にある机を囲んだ。

 

早朝のため、建物の中にいる冒険者は少ない。

 

受付の職員から借りた地図を、ティモシーが机へ広げる。

 

目的地は、ローゼンバーグから南へ三日ほど進んだ先にあるククル湖。

 

湖に隣接する森林へ、ラスターグリズリーの群れが住み着いたらしい。

 

黒く光沢のある毛皮を持つ、熊型の魔物。

 

単体でもBランク相当の危険性を持ち、立ち上がれば三メートルを超える個体もいるという。

 

普段は単独、あるいは親子だけで行動することが多い。しかし、今回のように複数の個体が同じ場所へ集まった場合、互いに連携することもあり、群れ全体の危険度は大きく上がる。

 

「報告された数は、十頭から十二頭です」

 

ティモシーは、地図の湖畔へ小石を置いた。

 

「湖の北側にある洞穴を、巣として使っている可能性が高い。ただし、情報が得られたのは五日前です。既に数や位置が変化していることも考えられます」

 

「依頼の目的は、全個体の討伐ですか?」

 

俺が尋ねる。

 

「可能であれば」

 

ティモシーが頷いた。

 

「ですが、依頼書の内容と現地の状況が大きく異なっている場合は、一度撤退します。正確な個体数と巣の位置を確認して持ち帰るだけでも、追加の報酬は得られます」

 

「倒せるなら倒す。無理なら、情報を持ち帰るってことだね」

 

スザンヌが補足する。

 

「依頼を達成するために死んだら意味がないからね」

 

堅実な判断だった。

 

報酬のために、依頼書に書かれた内容へ無理やり合わせようとはしない。

 

現場の状況を確認し、続行が危険なら撤退する。

 

カウンターアローはBランクパーティーだが、危険を恐れず突き進むことで階級を上げてきた集団ではないらしい。

 

俺は、その方針に安心した。

 

俺一人なら、多少の想定外が起きても、魔術の威力で押し切ろうと考えてしまうかもしれない。

 

しかし、今回は七人で戦う。

 

俺が戦えるかどうかだけではなく、全員が無事に帰れるかどうかで判断しなければならない。

 

「まず、こちらの通常隊列を説明します」

 

ティモシーが地図の上へ小石を並べた。

 

前方にスザンヌとパトリス。

 

その後ろにサラ。

 

さらに後方へ、ティモシーとミミル。

 

「スザンヌが攻撃を盾で受け、パトリスが横から相手を崩します。サラは二人の間か側面から射撃。僕は攻撃魔術、ミミルは治癒と補助を担当します」

 

「分かりました」

 

それぞれの役割が明確だ。

 

長く組んでいるため、戦闘中の意思疎通にも慣れているのだろう。

 

「ルーデウスさんには、僕の隣から攻撃魔術をお願いしたいと思います」

 

「はい」

 

「使用できる魔術の範囲を、改めて確認させてください」

 

昨日は、俺がAランク冒険者であることしか伝えていない。

 

どの属性を扱えるのか。

 

どの程度の速度と威力で発動できるのか。

 

戦闘前に細かな能力を確認するのは当然だった。

 

「攻撃魔術は、水、土、火、風を使えます。特に扱いやすいのは土と水です」

 

「発動まで、どの程度の時間が必要ですか?」

 

「小規模なものなら、ほとんど待たせません。ただし、大きな範囲へ作用させる場合には、味方を巻き込まないための位置取りが必要です」

 

ティモシーは地図へ目を落とした。

 

「個体だけを狙うことも、複数の敵を足止めすることもできますか?」

 

「はい。一頭を攻撃するなら岩砲弾。群れの動きを止めるなら、泥沼や土壁を使います」

 

「さらに広い範囲へ攻撃することは?」

 

少し迷った。

 

どこからを広いと判断するかによって、答えが変わる。

 

俺が本気で地形を変えれば、森そのものへ大きな被害を与えられる。

 

だが、それができることと、使うべきであることは別だ。

 

「周囲の森を巻き込んでよいなら、かなり広い範囲を攻撃できます」

 

「今回は駄目ね」

 

サラがすぐに言った。

 

「森には採取できる植物もあるし、湖へ大量の土砂が流れ込んだら、周辺の村にも影響が出るわ」

 

「はい。森そのものを破壊するつもりはありません」

 

サラは、俺が反論すると思っていたのか、僅かに目を見開いた。

 

俺がAランクで。

 

レイネがSランク。

 

それだけ聞けば、自分たちより階級の高い二人が、力だけで依頼を進めようとしているように見えても不思議ではない。

 

けれど、俺たちはこの土地のことを知らない。

 

何を壊せば、誰の生活へ影響が出るのかも知らない。

 

その状態で、自分の魔術だけを基準に判断するつもりはなかった。

 

「戦闘では、敵の移動を制限することを優先します。ティモシーたちの射線を塞がず、前衛の足元を崩さないように使います」

 

「助かります」

 

ティモシーは、次にレイネへ顔を向けた。

 

「レイネさんには、後衛の護衛をお願いしたいと考えています」

 

「はい」

 

レイネは即座に答えた。

 

「スザンヌとパトリスの間へ入っていただくことも考えました。しかし、二人は互いの動きへ慣れています。初めて組む剣士を前衛へ加えるより、遊撃として後方と側面を守っていただく方がよいでしょう」

 

「私も同意見でございます」

 

レイネは地図の左右を指した。

 

「前衛を抜けた個体、森を利用して側面へ回り込む個体、あるいは依頼対象とは異なる魔物が現れた場合に対処いたします」

 

「ラスターグリズリーを、一人で抑えることはできますか?」

 

「問題ございません」

 

レイネの返事には、誇張も迷いもなかった。

 

自分にできることだけを、事実として答えている。

 

ティモシーも、その言葉を疑うことなく受け入れた。

 

「魔術については、昨日伺ったとおり、大規模なものは使用できないと考えてよいですか?」

 

「はい。小規模な補助であれば、詠唱を挟まず使用できます。しかし、現在の魔力量を考慮し、剣術を主として動きます」

 

「分かりました。剣術、索敵、後衛の護衛をお願いします」

 

「承知いたしました」

 

ティモシーは、全員を見渡した。

 

「階級だけなら、レイネさんが最も上です。それでも、今回の指揮を僕が執ってよいのでしょうか」

 

確認するように、レイネを見る。

 

「もちろんでございます」

 

レイネは迷わなかった。

 

「今回の依頼は、カウンターアローの皆様が先に検討しておられたものです。また、私は北方大地での実戦経験を持っておりません」

 

「Sランクでも?」

 

サラが尋ねる。

 

「階級が高ければ、初めて訪れた土地の気候や地形まで理解できるわけではございません」

 

「まあ、それはそうだけど」

 

「現地での経験をお持ちの方が指揮を執る方が、安全でございます」

 

俺も頷いた。

 

「僕もティモシーの指示に従います。何か気づいた場合には意見を伝えますが、勝手に隊列を変えることはしません」

 

「ありがとうございます」

 

ティモシーの表情が少し和らいだ。

 

AランクとSランクの冒険者が、途中からパーティーへ加わる。

 

それだけでも、指揮を執る側には相当な重圧があるのだろう。

 

俺たちが階級を理由に勝手な行動をすれば、カウンターアローがこれまで積み重ねてきた連携を崩してしまう。

 

強い者を増やせば、必ず強いパーティーになるわけではない。

 

互いの動きを知らない者同士が、それぞれ自分の最善だけを選べば、かえって危険になる。

 

そのことは、エリスやルイジェルドと旅をしてきた中で学んでいる。

 

「決まりだね」

 

スザンヌが立ち上がった。

 

「それじゃ、出発しようか」

 

 

ローゼンバーグの南門を出てから、三日間。

 

ククル湖までの移動中に、俺はカウンターアローの特徴を少しずつ知った。

 

リーダーはティモシーだ。

 

依頼を受けるかどうか。

 

現場で続行するか。

 

撤退するか。

 

戦闘中の最終的な指示は、ティモシーが出す。

 

ただし、日常の細かな管理はスザンヌが行っていた。

 

保存食の残量。

 

野営場所。

 

見張りの順番。

 

全員の疲労。

 

ティモシーが全体の方向を決め、スザンヌが現実的な形へ整えている。

 

二人のどちらかだけではなく、互いの役割を補い合っているのだろう。

 

パトリスは寡黙だった。

 

必要なこと以外は、ほとんど話さない。

 

その代わり、誰かの荷物が緩んでいればすぐに教え、野営地へ到着すれば最初に周囲の足跡を調べる。

 

身体が大きく、顔つきも厳しい。

 

それでも、ミミルが薬草を採取している時には荷物を持ち、サラの弓弦が切れた時には、何も言わず予備を差し出していた。

 

ミミルは治癒術師だ。

 

治癒魔術だけでなく、薬草や毒についても一定の知識を持っている。

 

ただ、性格は軽い。

 

休憩中にはよく話し、誰かが黙り込めば大げさな冗談を言う。

 

戦闘以外では、パーティーの空気を軽くする役目を担っているらしい。

 

サラは警戒心が強い。

 

俺とレイネが階級を明かした後も、急に態度を変えて媚びることはなかった。

 

ただ、自分が疑問に思ったことを、そのまま口にする。

 

二日目の昼。

 

街道の脇で休憩を取っていると、サラがレイネの隣へ座った。

 

俺は少し離れた場所で、水筒へ水を補充していた。

 

「ねえ」

 

「はい」

 

「Sランクって、どんな依頼を達成したらなれるの?」

 

「ギルドごとの判断にもよりますが、高難度の依頼を継続して達成し、実力と信用を認められる必要がございます」

 

「あなたの場合は?」

 

「討伐、救助、護衛、迷宮攻略などでございます」

 

「具体的には?」

 

「関係者の事情が含まれるものもございますので、すべてをお話しすることはできません」

 

「一つぐらい教えてもいいでしょう」

 

レイネは少し考えた。

 

「魔物の群れに包囲された都市から、住民を避難させたことがございます」

 

「何頭いたの?」

 

「複数種であったため、正確な数は記憶しておりません」

 

「嘘。絶対に覚えているでしょう」

 

「正確な資料を確認せずにお伝えし、誤った数字が残ることは避けたいと考えております」

 

「全然教える気がないじゃない」

 

「可能な範囲では、お答えしております」

 

レイネは嘘をついていない。

 

だが、質問の答えとなる最低限の情報しか出していなかった。

 

実績を詳しく語れば、外見から推測される年齢と、活動期間の食い違いを疑われる可能性がある。

 

レイネの過去へ関わる以上、簡単に明かせないことも多いのだろう。

 

「Sランクなら、貴族や国からも仕事を頼まれるんでしょう?」

 

「はい」

 

「それだけの立場なのに、どうして侍女をしているの?」

 

「私が望んでいるためでございます」

 

「冒険者を続けた方が、お金も名声も得られるじゃない」

 

「私にとって、それらは最優先ではございません」

 

「じゃあ、何が大切なの?」

 

レイネは、すぐには答えなかった。

 

俺の方を見ることもない。

 

ただ、自分の言葉を選ぶように、僅かに間を置いた。

 

「自分が大切にしたい方々と、納得できる道を歩くことでございます」

 

「ルーデウスも、その一人?」

 

「はい」

 

それ以上の意味を含ませない返事だった。

 

エリスとレイネが、二人でどのような話をしたのか、俺は知らない。

 

聞かないと決めている。

 

レイネも、サラへ自分の気持ちを推測させるような言葉は加えなかった。

 

「変わっているわね」

 

「よく申し上げられます」

 

「褒めてないわよ」

 

「承知しております」

 

サラは呆れたように息を吐いた。

 

今度は俺を見る。

 

「ルーデウスも、よく平気ね」

 

「何がですか?」

 

「自分より階級の高い侍女がいること」

 

「階級は、上下関係を決めるものではありません」

 

「でも、Sランクよ」

 

「レイネがSランクなのは、僕へ仕える前から積み重ねてきた結果です。僕が偉いからレイネがいるわけではありません」

 

レイネが僅かにこちらを見る。

 

「それに、旅の最中は侍女である前に仲間です。僕が守られることもありますし、僕がレイネを守ることもあります」

 

「Sランクを守るの?」

 

「必要なら」

 

オルステッドとの戦いでは、守ることができなかった。

 

レイネ一人へ、すべてを背負わせた。

 

俺は心臓を潰され、エリスもルイジェルドも動けず、レイネだけが立ち続けた。

 

その結果、レイネは長い間目を覚まさず、今も魔力の大部分を失ったままだ。

 

だからこそ、次も守れないと最初から諦めるつもりはない。

 

レイネが俺より強い部分を持っていることと、俺が彼女を守ろうとすることは、矛盾しない。

 

「本当に守れるの?」

 

「そのために強くなります」

 

サラは、俺の顔をしばらく見た。

 

冗談や、男としての見栄で答えたわけではないと分かったらしい。

 

「そう」

 

それだけ言い、立ち上がった。

 

「休憩が終わるわよ」

 

俺とレイネも立ち上がり、再び南へ向かった。

 

 

三日目の夕方。

 

森を抜けた先に、凍りかけた湖が見えた。

 

ククル湖だ。

 

湖面の端には薄い氷が張り、周囲を背の高い針葉樹が囲んでいる。

 

湖岸の北側には岩場があった。

 

その奥には、人間が立ったまま入れるほどの大きな洞穴が口を開けている。

 

ティモシーは片膝をつき、雪と泥へ残った足跡を確認した。

 

スザンヌとパトリスも、周囲へ視線を走らせている。

 

俺には、大きな熊の足跡にしか見えない。

 

だが、カウンターアローの表情は険しかった。

 

「多いね」

 

スザンヌが言った。

 

「依頼書では、十頭前後だったはずだ」

 

パトリスが低い声で続ける。

 

「この跡だけでも、それ以上いる」

 

レイネも足跡の前へしゃがんだ。

 

直接触れず、雪の崩れ方と、周囲へ落ちた葉を確認している。

 

「古い足跡と、新しい足跡が重なっております」

 

「分かるかい?」

 

スザンヌが尋ねる。

 

「はい」

 

レイネは二つの足跡を指した。

 

「こちらは、ついた後に一度雪が降っております。こちらは雪の上についたものですので、本日か昨日のものでございましょう」

 

スザンヌも確認し、頷いた。

 

「合ってる。新しい跡だけでも、十五頭以上はいるね」

 

依頼の情報より多い。

 

「どうする?」

 

ミミルが尋ねる。

 

ティモシーは洞穴を見る。

 

次に、森と湖岸へ残った足跡を順番に確認した。

 

すぐには答えない。

 

ここまで来た時間や、得られる報酬ではなく、目の前の危険を基準に考えているのだろう。

 

「このまま洞穴へ近づくのは危険です」

 

ティモシーは言った。

 

「今夜は距離を取り、明日の朝に周辺を調べます。二十頭を超えているようなら、一度ローゼンバーグへ戻り、増援を求めましょう」

 

「賛成です」

 

俺は答えた。

 

ここまで三日掛けて来た。

 

何もせずに戻るのは惜しい。

 

だが、依頼書と現地の状況が違うなら、無理に続ける理由はなかった。

 

討伐できる可能性と、安全に討伐できる可能性は違う。

 

ティモシーはレイネを見る。

 

「レイネさんは、どう思われますか?」

 

Sランクとしての経験を求めているのだろう。

 

「私も、ティモシー様の判断に賛成いたします」

 

レイネは答えた。

 

「現時点では個体数も、群れの移動経路も分かりません。正確な情報を得てから、続行か撤退を決めるべきでございます」

 

階級を理由に、自分なら何頭でも倒せるとは言わない。

 

ティモシーの指揮を奪うこともない。

 

「分かりました」

 

ティモシーが頷く。

 

「湖から離れましょう」

 

俺たちは湖から十分な距離を取り、風を避けられる岩場へ野営地を作った。

 

焚き火は最小限。

 

食事は保存食だけで済ませる。

 

油や肉の匂いで、ラスターグリズリーを引き寄せないためだ。

 

見張りは二人一組。

 

俺とレイネは、夜明け前の最後の時間帯を担当することになった。

 

 

交代の時間を迎えた。

 

俺とレイネは、火の消えかけた焚き火の前へ座る。

 

周囲は暗い。

 

月明かりは枝と葉に遮られ、森の奥までは届いていない。

 

聞こえるのは、枝が風に擦れる音。

 

遠くで湖の氷が割れる音。

 

時折、眠っている者が寝返りを打つ気配だけだった。

 

「寒くありませんか?」

 

俺が尋ねる。

 

「問題ございません」

 

「本当に?」

 

「はい」

 

レイネは厚い外套を着ている。

 

それでも、白い髪の表面へ細かな霜が付いていた。

 

俺は小さな火球を作り、消えかけた焚き火へ落とす。

 

薪が音を立て、炎が少しだけ強くなった。

 

「ありがとうございます」

 

「どういたしまして」

 

二人で火を見る。

 

静かになると、エリスのことを考えてしまう。

 

今頃は、どこにいるのだろう。

 

ギレーヌと交代で見張りをしているのか。

 

俺たち以上に寒い場所へ向かっている。

 

防寒具は足りているだろうか。

 

馬は問題なく進んでいるだろうか。

 

食事を忘れずに取っているだろうか。

 

何も言わずに旅立ったわけではない。

 

どこへ行くのかも。

 

なぜ行くのかも。

 

戻ってくるつもりであることも、知っている。

 

それでも、心配が消えるわけではなかった。

 

「エリス様のことを、お考えでございますか?」

 

レイネが尋ねた。

 

「顔に出ていましたか?」

 

「はい」

 

隠すつもりはない。

 

エリスを大切に思っていることを、レイネの前で誤魔化す必要もなかった。

 

「まだ、最初の伝言は届かないでしょうね」

 

「距離を考えれば、もうしばらく掛かると存じます」

 

「分かっています」

 

分かっていても、冒険者ギルドへ入るたびに期待してしまう。

 

エリスから伝言が届いている。

 

そう言われることを。

 

「きちんと書くでしょうか」

 

「お約束なさいましたので」

 

「面倒になって、ギレーヌに任せそうです」

 

「ギレーヌ様がお書きになった場合でも、ご無事は確認できます」

 

「それはそうですが」

 

できれば、エリス自身の言葉を読みたい。

 

どこまで進んだのか。

 

何を見たのか。

 

元気にしているのか。

 

文句でも。

 

自慢でも。

 

エリスが自分で書いた言葉を読みたかった。

 

「いずれ届きます」

 

レイネが言った。

 

「はい」

 

俺は頷いた。

 

その直後。

 

レイネの視線が、焚き火から森の奥へ移った。

 

表情が変わる。

 

身体はまだ動いていない。

 

けれど、意識のすべてが森へ向けられたのが分かった。

 

「何かいますか?」

 

声を落として尋ねる。

 

「はい」

 

レイネが立ち上がった。

 

「複数の大型の気配がございます」

 

俺も杖へ手を伸ばす。

 

暗闇へ目を凝らす。

 

まだ、俺には何も見えない。

 

少し遅れて、地面を踏む音が聞こえた。

 

重い。

 

一つではない。

 

「方角は?」

 

「北東と東。それから、南側にもおります」

 

囲まれている。

 

レイネがティモシーのところへ移動し、肩へ触れた。

 

「ティモシー様」

 

ティモシーは、すぐに目を開いた。

 

「魔物が接近しております。複数方向から、こちらを囲むように移動しております」

 

その一言で、眠気が消える。

 

「全員、起きろ」

 

大声ではない。

 

それでも、カウンターアローの面々は即座に身体を起こした。

 

スザンヌとパトリスは武器を取る。

 

サラは弓へ矢を番えた。

 

ミミルも、杖と薬品袋を持って立ち上がる。

 

「数は?」

 

ティモシーが尋ねる。

 

「正確には確認できません。少なくとも十五。森の奥にも、さらに気配がございます」

 

「距離は?」

 

「最も近い個体で、およそ八十歩です。こちらへ走り始めました」

 

俺にも見えた。

 

木々の間に、幾つもの目が浮かんでいる。

 

月明かりを反射する光。

 

一対。

 

二対。

 

さらに奥にも続いている。

 

やがて森から、黒い巨体が現れた。

 

ラスターグリズリー。

 

一頭だけでも、スザンヌよりはるかに大きい。

 

それが次々に姿を見せる。

 

「巣にいた群れが来たの?」

 

サラが小声で言う。

 

「風向きが変わった」

 

スザンヌが答えた。

 

「こっちの匂いを拾われたんだ」

 

火も。

 

食べ物の匂いも抑えていた。

 

それでも、完全には隠せなかったらしい。

 

心臓が速くなる。

 

怖くないわけではない。

 

だが、魔大陸で危険へ遭遇した時とは違う。

 

今は、事前に役割を決めている。

 

俺一人で、すべてを判断する必要はない。

 

「隊列を組め!」

 

ティモシーの指示が飛ぶ。

 

スザンヌとパトリスが前へ出る。

 

サラは二人の間から射撃できる位置へ。

 

ティモシーとミミルは後方。

 

俺はティモシーの左へ入る。

 

レイネは予定どおり、後衛と側面を見渡せる位置へ移動した。

 

誰もレイネを守ろうとして、動きを乱さない。

 

レイネがSランクであること。

 

剣でラスターグリズリーを抑えられること。

 

全員が、事前に理解しているからだ。

 

「レイネさん!」

 

ティモシーが呼ぶ。

 

「後方と側面を任せます!」

 

「承知いたしました」

 

最初の一頭が吠えた。

 

大気が震える。

 

次の瞬間、黒い巨体が一斉に走り出した。

 

「サラ!」

 

「分かってる!」

 

矢が飛ぶ。

 

先頭のラスターグリズリーの片目へ突き刺さった。

 

巨体が僅かによろめく。

 

だが、止まらない。

 

スザンヌが大盾を構えた。

 

「来い!」

 

熊の腕が振り下ろされる。

 

爪と盾が衝突し、金属を削る音が響いた。

 

スザンヌの足が雪の中へ沈む。

 

それでも、押し倒されない。

 

パトリスが横から踏み込み、熊の腕へ剣を振り下ろした。

 

毛皮を裂き、血が飛ぶ。

 

その間にティモシーが詠唱を進める。

 

別の二頭が、正面から迫ってきた。

 

俺は杖を向ける。

 

広い範囲へ攻撃すれば、スザンヌたちを巻き込む。

 

まずは足を止める。

 

前衛の数歩先。

 

熊たちが走る場所だけを、深い泥へ変えた。

 

先頭の二頭が足を取られる。

 

巨体が前のめりに倒れ、後ろから来た熊がぶつかった。

 

「そのまま止めて!」

 

スザンヌが叫ぶ。

 

俺は泥の深さと粘りを増す。

 

ラスターグリズリーは、もがくほど深く沈んでいく。

 

ティモシーの詠唱が完成した。

 

杖の先から放たれた火球が、泥へ沈んだ一頭の胸へ直撃する。

 

弾けた炎が黒い毛皮へ燃え移り、焦げた臭いが森へ広がった。

 

サラの次の矢が、別の一頭の喉へ入る。

 

連携はできている。

 

だが、数が多い。

 

泥沼を避けるように、三頭が左右へ分かれた。

 

一頭はパトリスへ。

 

二頭が木々を利用し、後衛の側面へ回り込もうとする。

 

「右から二頭!」

 

ミミルが叫ぶ。

 

レイネは、既に動いていた。

 

一頭目が後衛へ到達する前に、その進路へ入る。

 

ラスターグリズリーの腕が、横薙ぎに振るわれた。

 

まともに受ければ、剣ごと身体を吹き飛ばされる。

 

レイネは剣で受けなかった。

 

半歩だけ後ろへ下がる。

 

爪の先が、外套の表面を掠めた。

 

心臓が強く跳ねる。

 

けれど、声を掛けてレイネの集中を乱すことはできない。

 

熊の腕が伸び切った瞬間。

 

レイネの剣が動く。

 

脇の下。

 

毛皮の薄い場所へ刃が入り、深く切り裂いた。

 

血が噴き出す。

 

熊が吠え、反対の腕を持ち上げた。

 

レイネは、既に正面から消えている。

 

熊の側面へ回り込み、後ろ脚の腱を断った。

 

巨体が傾く。

 

「ルーデウス様」

 

呼ばれる前から、俺は杖を向けていた。

 

圧縮した岩砲弾を撃ち出す。

 

空気を裂いた岩の弾丸が、倒れた熊の頭部を貫いた。

 

レイネが一人で仕留めることもできただろう。

 

それでも、俺が安全に攻撃できる位置にいることを確認し、仕留めを任せた。

 

必要以上の力を見せないためだけではない。

 

二人で動く方が速いと判断したのだ。

 

俺も、レイネが攻撃の機会を作ることを信じて動けた。

 

もう一頭は、ミミルへ向かっていた。

 

レイネが地面を蹴る。

 

白い髪が、夜の森を横切った。

 

熊の爪が振り下ろされる。

 

レイネの剣が、手首へ斜めに当たった。

 

力で止めるのではない。

 

軌道だけを変えた。

 

爪がミミルの横へ逸れ、地面を深く抉る。

 

レイネは剣の柄を、熊の顎へ打ち込んだ。

 

巨体の頭部が跳ね上がる。

 

「サラ様!」

 

「任せて!」

 

矢が飛び、開いた喉へ突き刺さった。

 

熊が暴れようとする。

 

レイネが前脚を払い、体勢を崩した。

 

そこへスザンヌが駆けつけ、盾の縁を頭部へ叩き込む。

 

巨体が地面へ沈んだ。

 

「助かった!」

 

ミミルが叫ぶ。

 

「まだ終わっておりません!」

 

レイネは、既に次の気配へ顔を向けている。

 

正面では、さらに多くの熊が押し寄せていた。

 

「数が多すぎる!」

 

パトリスが叫ぶ。

 

一頭の爪を剣で逸らした直後、別の熊へ肩からぶつかられる。

 

スザンヌが盾で押し返す。

 

だが、足元の雪が滑り、前線が僅かに後退した。

 

このままでは押し切られる。

 

「ティモシー!」

 

俺は指示を求めた。

 

「前方に十以上! 後方にもまだいる!」

 

ティモシーも全体を確認している。

 

「レイネさん! 後ろの数は!」

 

「現在確認できるものは四頭。さらに森の奥にも気配がございます!」

 

「抑えられますか!」

 

「可能でございます! しかし、このままでは前衛が持ちません!」

 

後方をレイネへ任せても、正面が崩れれば意味がない。

 

一度、敵の進路を絞る必要がある。

 

思いついた方法を、勝手に実行することはしなかった。

 

俺は隊列の全体を把握していない。

 

ティモシーへ伝え、全員を動かしてもらう必要がある。

 

「ティモシー!」

 

「何ですか!」

 

「スザンヌとパトリスを三歩下げてください! 敵の進路を狭めます!」

 

ティモシーは一瞬だけ地面を見た。

 

すぐに判断する。

 

「スザンヌ! パトリス! 三歩下がれ!」

 

「聞こえた!」

 

スザンヌが盾を大きく振り、熊の顔を打つ。

 

パトリスも剣へ風をまとわせ、正面の一頭を押し返した。

 

二人が同時に後退する。

 

サラも矢を放ちながら下がった。

 

味方が範囲から外れたことを確認する。

 

俺は前方の地面へ魔力を流した。

 

複数の土壁が、一斉に地面からせり上がる。

 

一枚の大きな壁ではない。

 

熊たちが横へ広がれないよう、斜めに並べていく。

 

森と土壁の間へ、狭い通路を作った。

 

正面の熊たちが、一か所へ集中する。

 

続いて、通路の地面を深い泥沼へ変える。

 

先頭の熊が沈んだ。

 

後ろの個体は止まり切れず、その背へ乗り上げる。

 

巨体同士がぶつかり、動きが詰まった。

 

「今です!」

 

ティモシーの火球。

 

サラの矢。

 

パトリスの剣。

 

攻撃が一か所へ集中する。

 

俺も岩砲弾を続けて撃った。

 

頭。

 

喉。

 

胸。

 

一発ごとに狙いを変え、確実に数を減らしていく。

 

「左から三頭!」

 

レイネの声が飛ぶ。

 

土壁を迂回し、森の中から三頭が迫っていた。

 

「私が対処いたします!」

 

レイネが走る。

 

三頭は、それぞれ僅かに距離を空けている。

 

一頭ずつ相手にすれば、後続が隊列へ届く。

 

レイネは剣を一度鞘へ戻した。

 

地面へ向けて手を伸ばす。

 

詠唱はない。

 

三頭の進路へ、低く鋭い石の突起が幾つも生えた。

 

熊を貫くほどの大きさではない。

 

走る足の置き場だけを崩すためのものだ。

 

先頭の一頭が足を取られ、前のめりに倒れた。

 

二頭目は石を避けるために速度を落とす。

 

三頭目との間隔が狭まった。

 

レイネが三頭の間へ入る。

 

剣を抜く。

 

最初の一頭の首筋を斬る。

 

返す刃で、二頭目の前脚の腱を断つ。

 

三頭目が爪を振るった。

 

レイネは身体を沈め、その下を抜ける。

 

すれ違いざまに腹部を切り裂いた。

 

三頭目が吠え、身体を反転させる。

 

レイネへ覆いかぶさるように倒れ込もうとした。

 

「レイネ!」

 

俺が杖を向ける。

 

だが、撃つ必要はなかった。

 

レイネは既に、その場から離れている。

 

倒れた一頭目の身体を踏み台にし、三頭目の背へ飛び乗った。

 

後頭部から剣を突き入れる。

 

巨体が地面へ崩れた。

 

二頭目は前脚を引きずりながら、なお立ち上がろうとしている。

 

サラの矢が片目へ入った。

 

俺は射線を確認し、岩砲弾を放つ。

 

弾丸が頭部を貫いた。

 

一頭目も、首から血を流して動きを止めている。

 

「左側面、制圧いたしました!」

 

レイネが告げる。

 

その声を聞き、ティモシーが周囲を見た。

 

正面の熊は、泥沼と土壁の間へ詰まっている。

 

だが、森の奥にはまだ影がある。

 

このまま一頭ずつ倒せば、こちらの体力が先に尽きる。

 

「全員、ルーデウスさんの後ろへ集まれ!」

 

ティモシーが叫んだ。

 

「ルーデウスさん、まとめて止められますか!」

 

「できます!」

 

「全員、十歩後退! 正面へ出るな!」

 

スザンヌとパトリスが牽制しながら下がる。

 

サラも矢を放ち、最後に後退した。

 

ミミルとティモシーが俺の後ろへ入る。

 

レイネは、側面と後方を確認していた。

 

「レイネ!」

 

「全員、範囲外でございます!」

 

その言葉を聞き、両手を前へ向ける。

 

地面の形を頭へ描く。

 

広く。

 

深く。

 

だが、森全体を破壊しない範囲で。

 

前方一帯の地面を、一気に泥へ変えた。

 

雪。

 

土。

 

枯れ葉。

 

それらが混ざり合い、巨大な泥沼となる。

 

熊たちの足が沈む。

 

膝まで。

 

腹まで。

 

胸まで。

 

もがくほど深くなり、巨体が次々に動きを失っていく。

 

背後で、誰かが息を呑んだ。

 

それでも、まだ終わっていない。

 

泥へ沈めただけでは、時間が経てば這い出してくる。

 

俺は地面へ魔力を流し続ける。

 

泥の中から水分を抜き。

 

土を押し固める。

 

熊たちの身体を、地面へ固定した。

 

「攻撃を集中してください!」

 

「全員、狙え!」

 

ティモシーの火球。

 

サラの矢。

 

パトリスの剣。

 

俺の岩砲弾。

 

レイネも前へ出る。

 

動けなくなった熊の急所だけを、短い動作で切り裂いていく。

 

一頭。

 

また一頭。

 

抵抗できなくなった個体を、確実に仕留める。

 

最後のラスターグリズリーが動かなくなるまで、それほど時間は掛からなかった。

 

森へ静けさが戻る。

 

荒い呼吸。

 

燃えた毛皮の臭い。

 

血と泥の臭い。

 

誰も、すぐには武器を下ろさなかった。

 

俺も周囲を見回す。

 

もう終わったと、勝手に決めることはできない。

 

レイネが剣についた血を払い、周囲へ目を向けた。

 

しばらく耳を澄ませた後、ようやく剣を下ろす。

 

「周辺に、動く大型の気配はございません」

 

ティモシーが杖を下ろした。

 

「終わった……」

 

スザンヌも、大盾を地面へ置いた。

 

パトリスは剣を持ったまま、その場へ片膝をつく。

 

サラは弓を構え、泥の中へ埋まった熊たちを数えていた。

 

「何頭?」

 

ミミルが尋ねる。

 

「二十四頭でございます」

 

レイネが答えた。

 

「分かるのか?」

 

スザンヌが周囲を見る。

 

「最初に正面から接近した個体が十七頭。側面と後方へ回った個体が七頭でございます」

 

依頼書に記されていた数の倍以上だ。

 

ティモシーが俺を見る。

 

「ルーデウスさん」

 

「はい」

 

「最後の規模の泥沼を、最初から使うことはできたのでしょうか」

 

責めているわけではない。

 

今後の判断へ生かすため、理由を確認しようとしているのだろう。

 

「できます」

 

「では、なぜ最初から使用しなかったのですか?」

 

「皆さんの位置が近すぎたからです」

 

俺は答えた。

 

「前衛まで泥沼へ巻き込めば、動けないところを熊に狙われます。森の中で大きな土壁を作れば、こちらの退路を塞ぐ可能性もありました」

 

俺一人だけなら、最初から広い範囲を使う方法もあった。

 

自分の周囲を石で固め、敵だけを沈める。

 

あるいは森の一部ごと吹き飛ばす。

 

しかし、今回は七人で戦っている。

 

俺が最も強い魔術を使えるかどうかではなく、仲間が安全に動けるかどうかを考える必要があった。

 

「全員が後ろへ下がり、レイネが側面と後方の安全を確認してくれたから、最後の範囲まで広げられました」

 

ティモシーは、巨大な泥沼を見る。

 

次に、レイネへ顔を向けた。

 

「お二人がいなければ、撤退することさえ難しかったでしょう」

 

「ですが、私ども二人だけでも、同じ結果にはなりませんでした」

 

レイネが答える。

 

「スザンヌ様とパトリス様が正面を維持し、サラ様が敵の動きを止め、ティモシー様が全体へ指示を出してくださったからこそ、ルーデウス様が広範囲の魔術を安全に使用できました」

 

俺も頷いた。

 

「二人だけで戦っていたら、別の方法を取っていたと思います。ですが、二十四頭を一頭も逃さず、周囲の森も必要以上に壊さず、こちらに負傷者も出さずに終わらせられたのは、全員で役割を分けたからです」

 

ミミルが自分を指す。

 

「俺は?」

 

「周辺の警戒と、負傷者が出た場合への備えをしてくださいました」

 

レイネが答えた。

 

「一人も治してないけど」

 

「治癒術師が後方に控えているからこそ、前衛は負傷した後のことを恐れすぎず、目の前の敵へ集中できます」

 

「なるほど。俺も役に立ってた」

 

ミミルは満足そうに頷いた。

 

サラが呆れた顔をする。

 

それでも、張り詰めていた空気が少しだけ解けた。

 

「レイネさんとルーデウスさんの言うとおりです」

 

ティモシーが言った。

 

「誰か一人の力だけで勝った戦いではありません」

 

一度、全員を見渡す。

 

「ただし、依頼の想定を大きく超えています。今夜はこの場所を離れ、負傷と消耗を確認しましょう。巣の調査は、休息を取った後に行います」

 

「賛成だね」

 

スザンヌが盾を背負い直した。

 

「血の臭いで、別の魔物が来るかもしれない」

 

戦いが終わったからといって、安心してその場へ留まらない。

 

俺たちは討伐証明として必要な部位だけを急いで回収し、野営地を別の場所へ移すことにした。

 

 

新しい野営地へ着いた頃には、空が僅かに明るくなり始めていた。

 

全員が疲れている。

 

それでも、まず負傷者がいないことを確認し、交代で休息を取ることになった。

 

スザンヌの盾には、大きな爪痕が残っている。

 

パトリスの胸当てにも、熊の爪が掠めた跡があった。

 

幸い、身体までは届いていない。

 

サラも。

 

ティモシーも。

 

ミミルも無傷だ。

 

レイネの外套には、爪で裂かれたような跡がある。

 

戦闘中にも見えた傷だ。

 

掠めただけだと分かっている。

 

それでも、改めて近くで見ると、胸の奥が冷たくなった。

 

「レイネ。外套を見せてください」

 

「表面を掠めただけでございます」

 

「身体は?」

 

「無傷でございます」

 

「確認します」

 

「ルーデウス様」

 

「駄目です」

 

少し強く言うと、レイネは反論せず外套を開いた。

 

下の胸当てにも傷はない。

 

身体にも出血は見当たらない。

 

本当に、爪の先が外套だけを掠めたらしい。

 

「大丈夫でしょう?」

 

「はい」

 

自分の目で確認できて、ようやく安心した。

 

レイネなら、外套を裂かれた程度で負傷するはずがない。

 

そう考えることもできる。

 

だが、強いから無事だと決めつけることは、オルステッドとの戦い以前と変わらない。

 

レイネも傷つく。

 

倒れる。

 

失う。

 

俺は、それを知っている。

 

「ルーデウス様も、お怪我はございませんか?」

 

「ありません」

 

「確認させてくださいませ」

 

「僕は本当に――」

 

「先ほど、私へ確認なさいました」

 

同じことを返された。

 

俺は諦めて両腕を広げる。

 

レイネは外套や服へ傷がないか確認し、最後に頷いた。

 

「問題ございません」

 

「お互いに無傷ですね」

 

「はい」

 

「何だか、新婚みたいだな」

 

ミミルの声がした。

 

振り返る。

 

少し離れた場所で、焚き火へ薪を入れながらこちらを見ていた。

 

「違います」

 

俺は、すぐに否定した。

 

「レイネは僕の侍女で、旅の仲間です」

 

「そうなのか?」

 

「はい」

 

「でも、ずいぶん大切にしてるように見えるけど」

 

大切なのは間違いない。

 

俺はレイネを愛している。

 

その気持ちは、自分で認めている。

 

けれど、俺はエリスへ好きだと伝え、戻ってくるのを待つと約束した。

 

レイネへは、まだ自分の気持ちを伝えていない。

 

レイネが俺をどう思っているのかも知らない。

 

俺の一方的な感情だけで、二人の関係を恋人や夫婦のように扱うことはできなかった。

 

冗談だからと曖昧に笑えば、レイネの立場まで俺が勝手に決めることになる。

 

「大切な仲間です」

 

それだけ答える。

 

レイネも、俺の言葉へ何かを付け加えることはしなかった。

 

「ミミル」

 

サラが低い声で呼ぶ。

 

「余計なことを聞かないの」

 

「少し気になっただけだよ」

 

「気になっても黙ってなさい」

 

「はいはい」

 

ミミルは肩をすくめた。

 

レイネが俺へ小さく頭を下げる。

 

「ご配慮、ありがとうございます」

 

「何のことですか?」

 

「いいえ」

 

それ以上は言わなかった。

 

俺も尋ねなかった。

 

 

昼近くまで休み、俺たちはククル湖へ戻った。

 

昨夜倒したラスターグリズリー以外に、動いている個体は見つからない。

 

洞穴の中にも、生きた魔物はいなかった。

 

残されていたのは、骨。

 

食べ残された獲物。

 

大量の毛。

 

そして、まだ歩けないほど幼い個体の死体だった。

 

群れの中には、子を守ろうとしていた親もいたのだろう。

 

依頼を達成したことに、後悔はない。

 

放置すれば、周辺の人間や家畜が襲われる。

 

昨夜の群れは、こちらを包囲して襲ってきた。

 

それでも、魔物だから何も考えずに殺せるわけではない。

 

俺たちが守った人々がいる一方で、ここには死んだ獣の子がいる。

 

その両方が事実だった。

 

「繁殖期に、複数の群れがここへ集まったみたいだね」

 

スザンヌが洞穴の奥を調べながら言う。

 

「餌が不足して、人のいる方まで下りてきたんだろう」

 

「森の奥で、何か環境の変化があった可能性もあります」

 

ティモシーが答えた。

 

「ギルドへ報告しましょう。ほかの魔物が縄張りを広げているなら、同じことがまた起こります」

 

二十四頭を倒して終わりではない。

 

原因が別にあるなら、次の被害へ備える必要がある。

 

俺たちは、討伐したラスターグリズリーの解体を始めた。

 

すべての素材を持ち帰ることはできない。

 

毛皮。

 

爪。

 

牙。

 

討伐証明に必要な部位を優先する。

 

レイネは作業へ入る前に、ミミルへ尋ねた。

 

「北方での一般的な解体方法を、ご教示いただけますか?」

 

「Sランクでも知らないのか?」

 

「ラスターグリズリーを解体した経験はございません」

 

知らないことを、知っているふりはしない。

 

ミミルは少し驚きながらも、刃を入れる場所と、毛皮を傷つけない剥ぎ方を説明した。

 

レイネは、一度聞いただけで理解した。

 

二頭目からは、ミミルよりも速く、正確に作業を進める。

 

「初めてなんだよな?」

 

「はい」

 

「俺が教える必要、あったか?」

 

「最初に正確な方法をご説明いただいたからこそ、作業できております」

 

「そう言われると、教えた意味があった気がするな」

 

ミミルは満足そうだった。

 

サラは隣で毛皮を剥ぎながら、時折レイネの手元を見ている。

 

「本当に何でもできるのね」

 

「すべてではございません」

 

「苦手なことは?」

 

「新しいものを、一から作り出すことは得意ではございません」

 

「十分、新しい作業を覚えているじゃない」

 

「既に確立された方法を再現することと、存在しない方法を作ることは異なります」

 

「よく分からないわ」

 

サラは首を傾げた。

 

俺にも、レイネが何を指しているのかは完全には分からない。

 

ただ、既に存在する技術を学び、正確に再現することは得意なのだろう。

 

一方で、自分のための新しい生き方を選ぶことには、長い間不慣れだった。

 

それでも今は、母様を捜すために同行すると、自分の意思で答えた。

 

以前と比べれば、レイネも少しずつ、自分の道を選ぼうとしている。

 

その日の夕方。

 

必要な素材の回収を終えた俺たちは、ローゼンバーグへ戻るため湖を離れた。

 

 

帰り道。

 

来た時より、カウンターアローとの距離は明らかに近くなっていた。

 

スザンヌは、俺とレイネへ積極的に声を掛ける。

 

ティモシーも、魔術の使い方や戦闘中の判断について尋ねてきた。

 

パトリスは口数こそ変わらないが、レイネの剣術へ強い興味を持ったらしい。

 

休憩中、剣を手入れしていたレイネのところへ近づいた。

 

「昨夜の動き」

 

「はい」

 

「剣神流だけではないな」

 

「はい」

 

「水神流か?」

 

「受け流しには、水神流の技術を用いております」

 

「熊の足を払った動きは?」

 

「北神流でございます」

 

「三流派を、その場で使い分けたのか」

 

「状況に適していると判断いたしましたので」

 

パトリスは長い間黙っていた。

 

最後に、一度だけ深く頷く。

 

「Sランクなのも納得した」

 

それだけ言い、自分の場所へ戻った。

 

サラは、俺へ向ける態度が少し変わった。

 

急に親しげになったわけではない。

 

だが、侍女を連れて北方へ遊びに来た、世間知らずな貴族の子供だとは思わなくなったらしい。

 

二日目の休憩中。

 

俺が水筒へ水を補充していると、隣へやってきた。

 

「ねえ」

 

「はい」

 

「昨日、最後に作った泥沼」

 

「はい」

 

「あんな広い範囲を、一度に変えられるの?」

 

「できます」

 

「Aランクって、みんなあれぐらいできるの?」

 

「分かりません」

 

「自分の階級なのに?」

 

「冒険者の階級は、戦闘能力だけで決まるわけではありません。護衛や探索を中心にAランクになった人もいると思います」

 

「じゃあ、あなたはAランクの中でも強い方?」

 

答えにくい質問だ。

 

魔力量だけなら、かなり多い。

 

攻撃魔術の威力も高いと思う。

 

けれど、オルステッドの前では何もできなかった。

 

レイネにも。

 

ルイジェルドにも。

 

俺より強い部分は、いくらでもある。

 

強いか弱いかは、誰と、どのような状況で戦うかによって変わる。

 

「相手と状況によります」

 

「曖昧ね」

 

「本当にそうなのです」

 

広い場所で、敵が一か所へ集まっているなら、俺は強い。

 

接近戦へ持ち込まれれば、剣士には敵わない。

 

魔術を無効化する相手なら、さらに不利になる。

 

「少なくとも、ラスターグリズリーの群れを止められるぐらいには強いです」

 

俺が付け加えると、サラは僅かに笑った。

 

「それは見れば分かるわよ」

 

初めて、警戒ではない笑顔を向けられた気がした。

 

「それから」

 

サラが続ける。

 

「昨日は、ありがとう」

 

「何がですか?」

 

「私たちのことを巻き込まないように、最後まで待ったんでしょう」

 

「はい」

 

「一人なら、もっと早く終わらせられた?」

 

「別の方法を使ったと思います」

 

「それでも、私たちの動きに合わせたのね」

 

「共同依頼ですから」

 

当たり前のことだ。

 

だが、サラにとっては、当たり前ではなかったらしい。

 

「高ランクの冒険者って、自分のやり方を押しつける人も多いから」

 

「そうなのですか?」

 

「いるわよ。私たちより階級が高いってだけで、こっちの話を聞かない人」

 

「それで失敗したことが?」

 

サラの表情が僅かに硬くなる。

 

「あるわ」

 

詳しく聞くべきではないと思った。

 

サラが話すつもりのない過去を、好奇心だけで聞き出す必要はない。

 

「今回は、ティモシーの判断が正しかったと思います」

 

「そうね」

 

サラは、前を歩くティモシーを見る。

 

「少し頼りなく見える時もあるけど、ちゃんと全員のことを考えてる」

 

「よいリーダーですね」

 

「ええ」

 

声には、はっきりとした信頼があった。

 

サラは俺から離れ、前へ戻っていく。

 

俺も荷物を背負い直し、歩き始めた。

 

 

ローゼンバーグへ戻ると、冒険者ギルドの受付前には、持ち帰った素材と討伐証明が並べられた。

 

受付の職員は、一つずつ確認しながら記録へ書き込んでいく。

 

「二十四頭。依頼書に記載されていた数の、ほぼ倍ですね」

 

「はい」

 

ティモシーが代表して報告する。

 

「ククル湖周辺に残っている個体についても確認しましたが、生存しているラスターグリズリーは発見できませんでした」

 

職員は記録を確認した後、レイネへ目を向けた。

 

「Sランク冒険者が同行していたのであれば、この討伐数にも納得できます」

 

その言葉に、レイネの表情が僅かに変わった。

 

怒ったわけではない。

 

ただ、訂正すべき事実を見つけた時の顔だった。

 

「いいえ」

 

レイネは静かに言った。

 

「私一人の力による結果ではございません」

 

職員が手を止める。

 

「ですが、側面へ回った個体を複数、一人で倒されたと報告書には――」

 

「その間、正面の個体を引き受けてくださった方々がおられます」

 

レイネは、カウンターアローの五人へ視線を向けた。

 

「スザンヌ様とパトリス様が前線を維持し、サラ様が矢によって敵の動きを制限し、ティモシー様が全体を指揮してくださいました。ミミル様も周辺の警戒と、負傷者が出た場合の備えを担っておられます」

 

「しかし、最後に群れを止めた広範囲の魔術は、ルーデウスさんが使ったものなのでしょう?」

 

今度は俺へ視線が向いた。

 

「はい。ですが、僕一人で使えたわけではありません」

 

「一人で発動した魔術では?」

 

「魔術を発動したのは僕です。でも、味方を巻き込まない位置まで全員が下がり、側面と後方の安全が確認されなければ、あの範囲まで泥沼を広げることはできませんでした」

 

スザンヌたちが前線を保った。

 

サラが敵の動きを止めた。

 

ティモシーが退く時機を判断した。

 

レイネが周囲を確認した。

 

だから、俺は正面だけへ集中できた。

 

「Sランクのレイネや、僕だけがいたから成功した依頼ではありません」

 

俺は続ける。

 

「全員で役割を分けたから、二十四頭を倒し、こちらは一人も負傷せずに戻れました。報告には、カウンターアローを含めた七人全員の共同成果として記録してください」

 

職員は、俺とレイネを交互に見た。

 

次に、ティモシーたちへ視線を向ける。

 

「失礼いたしました」

 

小さく頭を下げた。

 

「共同依頼として、参加者全員の功績を記録いたします」

 

「お願いいたします」

 

レイネも一礼した。

 

スザンヌが、俺の肩を軽く叩く。

 

「そこまで言わなくても、私たちは分かってるよ」

 

「僕たちだけの功績だと思われるのは違います」

 

「そうだね」

 

スザンヌは少し笑った。

 

サラは何も言わなかった。

 

ただ、先ほどまでより僅かに胸を張っている。

 

ティモシーも、安心したように息を吐いていた。

 

彼が指揮を執った結果、全員が無傷で帰ってきた。

 

その事実が、俺やレイネの階級だけで消されるべきではない。

 

職員は、改めて巣の状況を尋ねた。

 

「複数の群れが、繁殖期のため同じ洞穴へ集まったものと思われます」

 

ティモシーが答える。

 

「ただし、森の奥で餌が不足していた可能性もあります。周辺の魔物の生息域を、改めて調査した方がよいでしょう」

 

ティモシーは、戦闘の結果だけではなく、現地で確認した内容も報告する。

 

レイネも、足跡から判断した個体数と移動方向を補足した。

 

受付の職員は内容を書き留め、ギルドの責任者へ報告するため奥へ向かう。

 

依頼の報酬には、想定を超えた討伐数の追加分が上乗せされた。

 

素材の売却益もある。

 

七人で分けても、十分な金額だった。

 

手続きが終わると、スザンヌが大きく手を叩いた。

 

「よし。今夜は祝いだ」

 

「祝い?」

 

俺が尋ねる。

 

「最初の共同依頼が成功したんだ。酒場へ行こう」

 

「僕はお酒を飲めません」

 

「食事でいいさ。レイネさんも来るだろう?」

 

「お招きいただけるのであれば」

 

「もちろん」

 

断る理由はなかった。

 

俺たちは、ギルド近くの酒場へ移動した。

 

大きな机を囲む。

 

温かいスープ。

 

焼いた肉。

 

芋。

 

黒パン。

 

次々に料理が運ばれてくる。

 

レイネは、最初に料理を運ぶ店員を手伝おうとした。

 

俺は、その外套の袖をつかむ。

 

「今日は客です」

 

「お忙しそうでしたので」

 

「店員の仕事を奪わないでください」

 

「奪うつもりはございません」

 

「なら、座って一緒に食べましょう」

 

レイネは一度、店員を見る。

 

店員の女性は、笑いながら手を振った。

 

「大丈夫だよ。あんたも座ってな」

 

「……承知いたしました」

 

レイネは俺の隣へ腰を下ろした。

 

サラが、その様子を見ている。

 

「主人と一緒の席で食べるのね」

 

「旅の間は、いつも一緒です」

 

俺が答えた。

 

「侍女なんでしょう?」

 

「侍女である前に、旅の仲間でもあります」

 

レイネが僅かに俺を見る。

 

「何ですか?」

 

「いいえ」

 

それだけ答え、スープへ口をつけた。

 

ティモシーが杯を持ち上げる。

 

「依頼の成功と、二人の新しい協力者に」

 

「乾杯!」

 

全員が杯を上げた。

 

俺とレイネは、果実水の入った器を軽く合わせる。

 

食事が進むにつれ、戦闘後の緊張も薄れていった。

 

ミミルは、自分が一度も治癒魔術を使わなかったことを気にしているらしく、何度も自分の存在意義を主張していた。

 

「俺がいたから、みんな安心して戦えたんだ」

 

「さっきレイネが言ったこと、そのままじゃない」

 

サラが呆れる。

 

「本人が言ったなら間違いないだろう。Sランクの評価だぞ」

 

「そういう使い方をするために申し上げたのではございません」

 

レイネが静かに訂正する。

 

「でも、役に立ったのは本当なんだろう?」

 

「はい」

 

「なら問題ない」

 

ミミルは満足そうに肉を食べ始めた。

 

スザンヌが笑う。

 

パトリスも、僅かに口元を緩めていた。

 

俺も笑った。

 

その瞬間、エリスの顔が浮かぶ。

 

エリスなら、ミミルの言い訳を聞いて、大声で笑っただろう。

 

ルイジェルドなら、治癒術師が待機していることの重要性を、真剣な顔で説明したかもしれない。

 

胸が少し痛む。

 

二人がいない。

 

その事実は、楽しい時間の中でも消えなかった。

 

それでも、笑ったことを後悔はしなかった。

 

離れた人を大切に思うことと。

 

今、目の前にいる人たちと笑うことは、両立してよい。

 

エリスを忘れたから笑ったのではない。

 

ルイジェルドとの旅を過去へ追いやったから、新しい仲間と食卓を囲んでいるわけでもない。

 

大切な人が増えても、以前の誰かが軽くなるわけではない。

 

「ルーデウス」

 

サラが俺を呼んだ。

 

敬称が消えている。

 

「何ですか?」

 

「改めて、ありがとう」

 

「先ほども聞きました」

 

「みんながいるところでも言っておこうと思ったのよ」

 

少し恥ずかしそうに、器を見つめている。

 

「あなたがいなかったら、全員無事では戻れなかったと思う」

 

「僕一人では、あの状況を作れませんでした」

 

「それでもよ」

 

サラは、次にレイネを見る。

 

「レイネも、ありがとう」

 

「私は、与えられた役割を果たしただけでございます」

 

「そうやって、すぐに大したことじゃないみたいに言うのをやめなさいよ」

 

レイネが僅かに目を見開く。

 

「私とミミルを守ったでしょう。側面へ回った熊も、一人で止めた」

 

「ルーデウス様や皆様の援護がございました」

 

「それも分かってる。でも、あなたがいなかったら危なかったのも本当でしょう」

 

サラは正面からレイネを見る。

 

「だから、ありがとう」

 

レイネは少しだけ間を置いた。

 

以前なら。

 

自分は当然の役目を果たしただけだと、最後まで礼を受け取らなかったかもしれない。

 

誰かを助けても。

 

身体を削っても。

 

それを自分の価値とは考えず、必要だったからしただけだと答えていた。

 

けれど今は、サラの言葉を否定しなかった。

 

「どういたしまして」

 

短く答える。

 

それだけの変化が、俺には嬉しかった。

 

「サラが素直になった」

 

スザンヌが横から言う。

 

「うるさい!」

 

「今日は珍しいものが見られたねえ」

 

「スザンヌ!」

 

サラが立ち上がり、机が揺れた。

 

ミミルの器が倒れそうになる。

 

パトリスが無言で器を押さえた。

 

再び笑いが起こる。

 

その夜。

 

俺たちは、ローゼンバーグに滞在している間、都合が合えばカウンターアローの依頼へ臨時参加することを決めた。

 

正式に加入するわけではない。

 

俺たちには、母様を捜す目的がある。

 

情報が得られれば、すぐに別の地域へ移ることもある。

 

それでも、北方大地で信頼できる仲間を得られたことは大きい。

 

カウンターアローにとっても、高ランクの依頼を受ける際に、AランクとSランクの協力を得られる利点がある。

 

互いの目的と立場を理解したうえでの協力関係だった。

 

最初の依頼は終わった。

 

母様の手掛かりは、まだ何もない。

 

エリスからの伝言も届いていない。

 

けれど、俺たちは北方大地で動き始めた。

 

翌日には、冒険者ギルドで今回の依頼についての噂を耳にした。

 

カウンターアローを中心とする七人の冒険者が、ククル湖へ集まった二十四頭のラスターグリズリーを討伐した。

 

前衛が群れを食い止め。

 

弓使いと魔術師が数を減らし。

 

Sランクの白髪の侍女が側面を守り。

 

最後には、若い土魔術師が作った巨大な泥沼へ群れを沈めた。

 

まだ、俺の名前まで知っている者は少ない。

 

それでも。

 

ルーデウス・グレイラットという冒険者が北方大地へ来たという事実は、少しずつ人々の間へ広がり始めていた。

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