ルーデウス視点
ガルガウ遺跡で《ステップトリーダー》と遭遇してから、数日が過ぎた。
二つの依頼場所が、地下の崩落によって偶然つながっていた。
《ステップトリーダー》がイルブロン洞窟から追い立てていたスノードレイクの群れは、その通路を通って俺たちのいたガルガウ遺跡へ流れ込んだ。
冒険者ギルドの調査では、どちらのパーティーにも、相手の依頼を妨害する意図はなかったと認められた。
素材と報酬も、依頼内容と討伐への貢献に応じて分配された。
手続き上の問題は、それで解決した。
だからといって、ゾルダートとの関係まで穏便に収まったわけではない。
冒険者ギルドへ行けば顔を合わせる。
酒場へ入れば、かなりの確率で既に酒を飲んでいる。
向こうから避ける様子はない。
むしろ、俺を見つければ、わざわざ近くまで来て余計なことを言った。
「よお、泥沼。今日も白髪の侍女に守ってもらってんのか?」
「今日は二人で、街道の補修をしていただけです」
「お前が魔術を使って、横でこいつが全部整えてくれたんだろ」
「作業は分担しました」
「そういう返しが気に入らねえんだよ」
「事実を答えただけですが」
「だから気に入らねえ」
何を答えても気に入らないらしい。
最初の頃は、できるだけ刺激しないよう笑って受け流していた。
しかし、ゾルダートから、その笑い方が気持ち悪いと言われて以降、不快な時まで無理に笑うことはやめた。
納得できなければ否定する。
失礼だと思えば、そう伝える。
全ての感情を表へ出すわけではない。
言わなくてよいことまで口にして、相手を傷つける必要もない。
それでも、怒られないためだけに、自分の考えを消すことはやめようとした。
俺が言い返すようになっても、ゾルダートは絡んできた。
むしろ、その方が面白いらしい。
俺が嫌そうな顔をすれば笑い、反論すればさらに言葉を重ねる。
面倒な男だった。
そして、ある日の午後。
俺とレイネが冒険者ギルドの隅で、次に受ける依頼を確認していると、ゾルダートが杯を持ったまま近づいてきた。
「お前、少しはましになったな」
俺の前へ勝手に椅子を引き寄せ、当然のように座る。
「何の話ですか?」
「笑って誤魔化さなくなった」
「あなたが毎回指摘するからでしょう」
「俺に感謝しろ」
「嫌です」
即答すると、ゾルダートは満足そうに笑った。
酒は入っているようだが、視線は思いのほか鋭い。
酔って何も考えずに話しているようには見えなかった。
「だが、まだ半端だ」
「また始まるのですか?」
「人の輪へ入ってるくせに、いつでも一歩だけ引いてやがる」
ゾルダートは、ギルドの奥へ視線を向けた。
そこでは、カウンターアローの五人が、別の依頼について相談している。
「仲間みてえに戦う。仲間みてえに飯を食う。だが、自分だけは、いつでも離れられる場所に立ってる」
「僕には、母様を捜す目的があります。情報が入れば、ローゼンバーグを離れます」
「それは理由だ。答えじゃねえ」
ゾルダートが俺を指差した。
「別れた時に傷つきたくねえんだろ。だから最初から、完全には中へ入らねえ」
否定しようとした。
けれど、言葉がすぐには出てこなかった。
俺はカウンターアローを信用している。
一緒に依頼へ出れば、背中を任せられる。
無事に戻れば、同じ机で食事をする。
依頼を選ぶ時には意見を交わし、危険があれば互いに知らせる。
それでも、正式に仲間へ入ろうとは考えなかった。
母様を捜すため。
エリスからの連絡を待つため。
情報が得られれば、別の町へ移動するため。
どれも嘘ではない。
俺には俺の目的がある。
同じ町へ居続けることも、同じパーティーへ所属し続けることもできない。
ただ。
いつか別れると分かっているからこそ、必要以上に近づかないようにしていた部分が、本当に一つもないと言い切れるだろうか。
ルイジェルドと別れた。
エリスとも離れた。
どちらも、行き先と理由を知っている。
再会する約束もある。
それでも、痛かった。
一緒にいる時間が長くなるほど、別れは苦しくなる。
ならば、最初から完全には近づかなければいい。
自分でも気づかないうちに、そう考えていた可能性はあった。
「あるのかもしれません」
俺は答えた。
「別れた時に傷つきたくないという気持ちは」
「そうやって最初から言えばいいんだよ」
「ですが、今の関係を軽く考えているわけではありません」
「それも行動で見せろ」
簡単に言ってくれる。
何をすれば、完全に輪へ入ったことになるのか。
正式にカウンターアローへ加入すればよいという話でもないはずだ。
ゾルダートは、そこで俺から視線を外し、レイネを見た。
「それから、お前だ」
「私でございますか?」
レイネは、いつものように背筋を伸ばして座っていた。
表情にも声にも、目立った動揺はない。
「坊主より、お前の方がよっぽどひどい」
「どの点についてでしょうか」
「全部だ」
ゾルダートが杯を机へ置く。
「守る。助ける。仕事を引き受ける。話を聞く。必要なもんを先回りして用意する。だが、お前自身は何も渡さねえ」
「必要な働きを果たしております」
「ほら、それだ」
ゾルダートが、レイネの顔を指した。
「誰に何を言われても、侍女として必要だからやった。冒険者として当然だからやった。お前自身が何を思ったかは、何一つ口にしねえ」
「私の感情を、全て他者へお伝えする必要はございません」
「全部話せとは言ってねえよ」
ゾルダートの声から、普段のからかうような調子が消えた。
「坊主に対してだけは違うだろ」
レイネの赤い瞳が、僅かに動いた。
「こいつが倒れれば取り乱す。怪我をすれば、自分のことみてえに怒る。無茶をすれば止める。こいつの前なら、自分が何を嫌がって、何を望んでるか、少しは口にする」
ゾルダートは、ギルドの奥にいるカウンターアローの面々を顎で示した。
「だが、ほかの連中には、一歩どころか二歩も引いてる。何度も一緒に死線を越えた奴らにまで、ずっと客を相手にしてるみてえな顔をしてやがる」
「礼節を保っているだけでございます」
「便利な言葉だな、礼節ってのは」
ゾルダートは鼻で笑った。
「侍女だから。仕事だから。階級が違うから。指揮官が別だから。いくらでも壁を作れる」
俺は口を挟もうとした。
「レイネは――」
「お前は黙ってろ」
ゾルダートが俺を睨む。
「こいつの話をしてんだ。お前が代わりに答えたら、ますますこいつが自分で何も渡さなくなる」
言い返せなかった。
俺はレイネを守りたい。
ゾルダートの言葉が一方的だと思えば、そう言いたい。
けれど、レイネ自身が答えるべき問いまで俺が奪えば、それは守ることとは違う。
俺が前へ出て、レイネはこういう人間なのだと説明する。
それでは、ゾルダートの言うとおり、レイネ自身が何も渡さないままになる。
俺は口を閉じた。
レイネは、しばらくゾルダートを見ていた。
「私は、他者との適切な距離を保っております」
「適切かどうかを決めてるのは、お前だけだろ」
「私の距離でございますので」
「相手にも感情がある」
ゾルダートの言葉に、レイネの返答が止まった。
受付で依頼について話す声。
併設された酒場から運ばれてくる料理の匂い。
暖炉の中で薪が弾ける音。
それらだけが、しばらく俺たちの間へ流れていた。
「助けられて、守られて、飯まで用意されて、それでも一度も中へ入ってこねえ奴を見て、相手が何とも思わねえとでも考えてるのか?」
レイネはすぐには答えなかった。
俺も、カウンターアローの面々を見た。
スザンヌはレイネへ旅程を相談する。
パトリスは剣術を教わる。
サラは依頼中、レイネへ背中を預ける。
ミミルは、相変わらず余計な冗談を言う。
ティモシーはSランクであるレイネへ遠慮せず、必要な役割を頼むようになった。
彼らがレイネを単なる協力者より近い存在として見ていたとしても、不思議ではない。
それに対し、レイネは全員へ丁寧に接する。
助ける。
守る。
求められれば教える。
それでも、自分が相手をどう思っているかは、ほとんど言葉にしない。
「……否定はできません」
やがてレイネが答えた。
「私が自ら距離を保っていることは、事実でございます」
「なら、少しは自分から前へ出てみろ」
「努力いたします」
「仕事みてえに言うんじゃねえ」
「では、どのように答えるべきでしょうか」
「知らねえよ。自分で考えろ」
ゾルダートは杯を持ち上げた。
本当に、言いたいことだけを言って終わらせるらしい。
「何なのですか、あなたは」
俺が尋ねる。
「親切な先輩冒険者だ」
「どこがですか?」
「嫌われる役を買って出てやってる」
「誰も頼んでいません」
ゾルダートは声を上げて笑った。
レイネは笑わなかった。
ただ、ギルドの奥にいるカウンターアローの面々へ、ほんの一瞬だけ視線を向けていた。
◇
その日の夕方。
俺とレイネは、ローゼンバーグ北門付近に積もった雪を取り除く依頼を終え、冒険者ギルドへ戻った。
冒険者が受ける仕事としては地味だ。
それでも、雪で門が使えなくなれば、商人も救助隊も移動できない。
薬も。
食料も。
行方不明者を捜す人間も、町から出られなくなる。
俺は雪を水へ変えるのではなく、街道脇へまとめて固めた。
気温が低いため、水にすればすぐに凍り、かえって道が危険になるからだ。
雪を完全に消す必要もない。
荷車が通れる幅を確保し、歩行者が滑らないよう表面へ凹凸を残した。
レイネは作業範囲へ人や荷車が入らないよう誘導し、雪の下へ埋もれていた荷箱や壊れた道具を回収していた。
作業を終えてギルドの扉を開けると、暖炉の熱と酒の匂いが押し寄せてくる。
ゾルダートは、まだ残っていた。
今度は《ステップトリーダー》の仲間二人と、同じ机を囲んでいる。
俺たちを見ると、杯を持ち上げた。
「雪かき帰りか」
「見ていたのですか?」
「北門を通った商人が話してた。泥沼と白髪の侍女が、道を開けたってな」
「必要な依頼でしたので」
「相変わらず、地味に名前を売ってやがる」
「母様を捜すためです」
「分かってるよ」
ゾルダートは俺の返事を聞き、次にレイネを見た。
「お前は今日は、誰かと話したか?」
「門の利用者や作業員の方々と、必要な相談をいたしました」
「そういう意味じゃねえ」
「では、意味が分かりません」
「本当に面倒な女だな」
ゾルダートが呆れたように息を吐いた。
その直後だった。
冒険者ギルドの扉が、外側から激しく開かれた。
冷たい風と雪が、一気に室内へ吹き込む。
入口に立っていたのは、スザンヌだった。
いつも背負っている大盾はない。
外套は裂け、左腕を身体へ押しつけている。額から流れた血は頬の上で凍りつき、唇は紫色になっていた。
背後には、ティモシーとパトリスもいる。
ティモシーは一人では立てない。
パトリスは片脚を引きずり、長剣を杖代わりにしていた。
サラとミミルの姿がない。
「スザンヌ!」
俺は椅子を蹴るように立ち上がった。
レイネは俺より早く、倒れかけたティモシーの身体を受け止めていた。
「ティモシー様。聞こえますか?」
これまでのように、状態だけを確認する声ではなかった。
返事を求めている。
意識を、こちら側へつなぎ止めようとする声だった。
「……レイネ、さん」
「はい。私がおります。眠らないでくださいませ」
レイネはティモシーを床へ横向きに寝かせ、呼吸と脈を確認する。
胸元へ触れた後、僅かに眉を寄せた。
「右胸を強く打っておられます。呼吸が浅い。肋骨が折れている可能性がございます」
続いて、片脚を引きずるパトリスを見る。
「パトリス様。座らず、こちらへ横になってください」
「俺より、ティモシーを……」
「お二人とも治療いたします」
「だが――」
「あなたにも死なれては困ります」
レイネは明確に言った。
「私は、これ以上カウンターアローの方を失いたくありません。ですから、今は私の指示に従ってくださいませ」
パトリスが目を見開いた。
俺も、レイネを見た。
侍女だから。
怪我人を治療する必要があるから。
そうした理由だけではない。
レイネ自身が、失いたくないと口にした。
少し前にゾルダートから何を言われたとしても、すぐに言葉を変えられるものではないはずだ。
それでも今は、パトリスへ伝える必要があると判断し、自分の気持ちを言葉にしたのだろう。
パトリスは、それ以上反論せず、床へ身体を横たえた。
「布と清潔な湯を。ギルドの治癒術師を呼んでください」
レイネの声で、周囲の冒険者が動き始める。
ゾルダートも既に立ち上がり、暖炉の周囲にあった机を退かしていた。
先ほどまで酒を飲んでいた男と、同じ人間には見えない。
俺はスザンヌのところへ向かった。
毛布を掛けられた身体は、激しく震えている。
「何があったのですか?」
「トーリアの森で……スノウバッファローの間引き依頼を受けた」
声が掠れていた。
「二十頭程度だと聞いてた。でも、森にいたのは、その何倍もいた」
「サラとミミルは?」
スザンヌの顔が歪んだ。
その変化を見た瞬間。
答えを聞く前から、胸の奥が冷たくなった。
「ミミルは、死んだ」
周囲の音が遠くなった。
いつも軽口を叩いていた男。
ラスターグリズリーの解体方法をレイネへ教え、自分が教える必要はなかったのではないかと本気で落ち込んでいた男。
治癒術師が後ろに控えているだけで、前衛は安心して戦えるのだとレイネに言われ、得意そうに胸を張っていた男。
つい数日前まで、一緒に食事をしていた。
「遺体は?」
「持って帰れなかった」
スザンヌが拳を握る。
「群れに囲まれて、ミミルが私たちを逃がすために残った。戻ろうとした時には、もう……」
最後まで言えなかった。
言葉にすれば。
ミミルが死んだことを、もう一度認めなければならない。
「サラは?」
「崖の近くで群れに追われた。雪が崩れて、姿が見えなくなった」
「落ちた場所は確認しましたか?」
「探したよ。でも、吹雪が強くなって……パトリスが動けなくなった。ティモシーまで倒れて、戻るしかなかった」
スザンヌの声が震える。
「置いてきた。サラを……ミミルを置いて、私たちだけ戻ってきた」
「戻らなければ、全員が死んでいました」
慰めのために言ったのではない。
三人の負傷を見れば、撤退するしかなかったことは分かる。
無理に捜索を続ければ、ティモシーも。
パトリスも。
スザンヌも戻れなかった。
正しい判断だった。
それでも、スザンヌ自身が納得できるかどうかは別だ。
「場所を教えてください」
俺は壁へ掛けられていた地図を外し、床へ広げた。
スザンヌが震える指で、トーリアの森の北側を示す。
「この街道から入って、凍った川を越えた先。大きな岩壁があって、その東側に崖がある」
「最後にサラを見たのは?」
「ここだ」
地図へ印をつける。
吹雪の中で、どれほど痕跡が残っているかは分からない。
サラが崖から落ちたのなら、既に大怪我をしている可能性が高い。
雪へ埋もれているなら、一刻を争う。
「僕が先に行きます」
俺は立ち上がった。
レイネが顔を上げる。
俺を止めるのではない。
ティモシーの治療を続けながら、俺の目を真っすぐに見ている。
「私は、こちらに残ります」
「はい」
「ティモシー様とパトリス様の状態を安定させ、専門の治癒術師へ引き継ぎます。その後、捜索隊を率いて追います」
「僕一人の方が速いです」
「はい。ですが、単独で全てを終わらせる必要はございません」
レイネは腰の収納から、発煙用の魔道具を取り出した。
「サラ様を発見し、安全に移動できる場合は赤。救助できたものの、敵との交戦や重傷によって移動が困難な場合は、黒い煙を上げてください」
「分かりました」
「合図が確認できない場合にも、私どもは捜索を続けます」
「はい」
受け取ろうと手を伸ばす。
その手首を、レイネがつかんだ。
ほかの者がいる前で、このように俺を引き止めることは珍しい。
指へ、僅かに力が入っている。
「ルーデウス様」
「はい」
「必ず戻ってください」
命令でも。
侍女としての義務でもなかった。
「私は、またあなたを失いかけるのは嫌です」
周囲にいた者たちにも、その言葉は聞こえている。
それでも、レイネは取り消さなかった。
言い直して、仕事や義務の話へ変えることもしなかった。
俺が死んだ時。
レイネは、身体を壊しながら戦った。
生き返った後も、一か月以上目を覚まさなかった。
もう一度同じ思いをしたくない。
その意味を、俺は理解している。
「約束します」
俺は答えた。
「サラを捜します。危険なら必ず合図を出します。そして、生きて戻ります」
レイネの指から、僅かに力が抜けた。
「お願いいたします」
ゾルダートが、壁へ立てかけていた剣を取った。
「俺たちも行く」
「ゾルダート?」
「ステップトリーダーを集める。お前は先に行け」
「ありがとうございます」
「礼はサラを連れて帰ってからにしろ」
ゾルダートはギルドの職員へ声を張り上げた。
「トーリアの森の地図と、冬山用の装備を全部出せ! 動ける冒険者も集めろ! 準備に時間を掛けるな!」
指示を出し始めたゾルダートを見ている時間はない。
俺は必要最低限の荷物だけを持ち、吹雪の中へ飛び出した。
◇
トーリアの森へ続く街道は、既に雪へ埋もれていた。
風は正面から吹きつけ、目を開けているだけでも痛い。
このままでは、スザンヌが示した場所へ到着する前に、足跡が全て消える。
俺は上空へ風を送り、進行方向へ吹きつけていた雪の流れを変えた。
森全体の天候を変える必要はない。
俺が進む、細い範囲だけでいい。
風の流れを横へ逸らす。
正面から叩きつけていた雪が僅かに弱まり、前方が見えるようになる。
足元の雪を固め、身体が沈まない道を作りながら走った。
広い道を作る必要もない。
俺一人が走れる幅だけ固める。
街道を外れ。
凍った川を越え。
木々の間へ入る。
森の中は風が弱い代わりに、積もった雪が腰近くまで達していた。
雪の表面だけではなく、その下にある地面へ意識を向ける。
折れた枝。
踏み荒らされた土。
スノウバッファローの蹄によって削られた木の根。
新しい雪が積もっても、大きな群れの痕跡まで完全には消えていない。
進むほど、血の跡が増えた。
最初に見つけたのは、折れた矢だった。
サラが使っているものと同じ羽根がついている。
その先には、スノウバッファローの死体があった。
喉へ矢が刺さっている。
さらに奥には二頭。
三頭。
カウンターアローは、ただ逃げたのではない。
包囲されながらも戦った。
仲間を連れて帰るための道を、最後まで作ろうとした。
それでも、全員では戻れなかった。
やがて、大量の足跡が一か所へ集まっている場所へ着いた。
雪が赤黒く染まっている。
大きな骨が幾つも転がっていた。
スノウバッファローが、倒れた獲物を食べた跡だった。
見たくはない。
この先へ何が残っているのか、想像したくもなかった。
それでも、探さなければならない。
布。
壊れた杖。
血に汚れた薬品袋。
どれも見覚えがあった。
その少し先で、俺は足を止めた。
雪の中に、人間の頭部があった。
顔の一部は大きく傷つき、髪も血で固まっている。
それでも、誰なのかは分かった。
「ミミル……」
返事はない。
当然だ。
ミミルはもう死んでいる。
いつものように冗談を言うことも。
自分が治癒術師としてどれほど重要か、得意そうに語ることもない。
俺は、その場へ膝をついた。
一緒に依頼へ行っていれば。
俺かレイネが同行していれば。
俺が魔物の足を止めていれば。
レイネが側面を守っていれば。
ミミルは死なずに済んだのではないか。
そんな考えが、胸の内側へ突き刺さった。
けれど、俺たちは別の依頼を受けていた。
カウンターアローも、自分たちだけで達成できると判断して出発した。
依頼書に記載された数が正しければ、問題なく帰還できた可能性も高い。
今ここで、誰が悪かったのかを考えても、ミミルは戻らない。
そして。
俺がここで動けなくなれば、サラまで失う。
救えなかった一人を前にして。
まだ救えるかもしれない一人を諦めることはできない。
俺は目を閉じ、短く息を整えた。
「必ず、仲間のところへ帰します」
ミミルの頭部を布で包み、袋へ入れる。
せめて、墓へ埋葬できるものだけでも持ち帰る。
その時、雪の中で小さなものが光った。
羽根飾りのついた耳飾り。
サラが身につけていたものだ。
周囲を探す。
足跡は崖へ続いている。
そこから先は、崩れた大量の雪によって埋もれていた。
血も残っている。
「サラ!」
声を上げる。
返事はない。
魔力を地面へ流し、積もった雪を薄く分けていく。
一度に吹き飛ばせば、雪の下にサラがいた場合、さらに傷つける。
表面から少しずつ。
雪を横へ押し分ける。
深さを確かめながら。
慎重に。
しかし、人影は見つからなかった。
その瞬間。
頭上から、巨大な氷塊が落ちてきた。
空気の動きと影を見て、落下するより先に横へ跳ぶ。
氷塊が地面へ衝突し、雪と土を吹き飛ばした。
細かな氷片が飛んできたが、顔の前へ薄い土壁を作って防ぐ。
一片だけが壁の端を抜け、頬を浅く切った。
熱を持った痛みが走る。
指で触れる。
血は出ているが、傷は表面だけだ。
俺は杖を構え、周囲を見渡す。
木々の中に、一際巨大な影があった。
最初は、ただの大木に見えた。
けれど、太い枝がゆっくりと動いている。
幹は分厚い氷に覆われ、根元からは無数の蔓が伸びていた。
アイスフォールトレント。
氷雪地帯へ適応し、氷の魔術まで使用するトレントの上位種だ。
枝が横薙ぎに振るわれる。
俺は枝が動き始めた時点で射程を測り、数歩だけ後方へ下がった。
枝の先が、目の前の雪を薙ぎ払う。
届かない。
圧縮した岩砲弾を、幹を覆う氷へ放つ。
氷の表面が砕ける。
しかし、奥の本体までは届いていない。
次の氷塊が落ちる。
今度は一つではない。
俺の立っている場所。
左右の退路。
さらに後方。
無造作に落としているのではない。
回避先を限定しようとしている。
俺は最初の一つが落ちる前に地面を隆起させ、斜めの壁を作った。
氷塊が壁へ当たり、軌道を変えて横へ落ちる。
二つ目は避ける。
三つ目も、落下地点へ着く前に走り抜けた。
強い。
一度攻撃を受ければ、大怪我をするだろう。
それでも、オルステッドのような、何をされているのかさえ理解できない相手ではない。
枝を振る。
氷塊を落とす。
こちらが近づけば、根元の蔓を伸ばす。
攻撃の種類は限られている。
何度か動きを見れば、発動の前兆も分かる。
その時。
アイスフォールトレントの根元で、何かが動いた。
無数の蔓に囲まれた人影。
金色の髪。
雪と血で汚れた外套。
「サラ……!」
僅かだが、身体が動いている。
生きている。
胸の奥が大きく脈打った。
見つけた。
まだ間に合う。
幹へ大きな魔術を撃てば、サラまで巻き込む。
火で燃やすこともできない。
根元ごと岩砲弾で吹き飛ばすこともできない。
なら、攻撃手段を一つずつ奪う。
俺は地面へ魔力を流した。
トレントの根がある範囲だけを、深く柔らかな泥へ変える。
地面そのものが崩れ、根の踏ん張りが利かなくなる。
巨体が僅かに傾いた。
枝が振り下ろされる。
だが、先ほどより軌道がずれている。
俺は横へかわし、枝の根元へ細く熱を集中させた。
全体を燃やすのではない。
枝と幹の接続部分だけを炭化させる。
そこへ岩砲弾を撃ち込む。
一本目の枝が落ちた。
アイスフォールトレントが幹を震わせる。
氷塊が三つ、続けて生まれた。
一つ目は右。
二つ目は左。
三つ目は俺の真上。
退路を塞いだつもりなのだろう。
俺は自分の足元だけを、一段低く沈めた。
三つの氷塊が、元の地面の高さを狙って衝突する。
互いにぶつかり、砕けた。
細かな破片が降ってくる。
腕で顔を覆う。
氷の一片が袖を裂き、右腕へ浅い傷をつけた。
血は滲んだが、動きには支障がない。
二本目の枝を、同じ手順で落とす。
三本目。
四本目。
地面近くまで届く枝が、一本ずつ失われていく。
アイスフォールトレントは氷塊を落とし続ける。
だが、発生する直前には、枝の一部へ魔力が集まる。
落下する位置も、こちらへ向けられる枝の角度で判断できた。
一つを避け。
一つを土壁で逸らし。
一つは空中へ撃ち込んだ岩砲弾で砕く。
敵の攻撃へ合わせて、無理に動くのではない。
先に選択肢を減らし、自分が動きやすい場所へ戦場を作る。
レイネ。
ルイジェルド。
エリス。
これまで一緒に戦った人たちから学んだことを、俺なりに使う。
レイネからは、相手の力を正面から受けず、必要な場所だけを崩すことを。
ルイジェルドからは、敵ではなく戦場全体を見ることを。
エリスからは、迷ったまま立ち止まらず、一度決めたら前へ出ることを。
残る問題は、サラを拘束している蔓だ。
俺は地面へ、低い土壁を連続して作った。
一枚で氷塊を受けるのではない。
斜めに並べ、落下した氷が次の壁へ流れるようにする。
氷塊が壁を砕いても、全ての勢いが一度に俺へ届くことはない。
その陰を走る。
根元へ近づくと、泥へ沈んだ根が動き、複数の蔓が伸びてきた。
一本目を岩の刃で断つ。
二本目を短い炎で焼き切る。
三本目は、足元から伸ばした土柱で受け止める。
蔓が土柱へ巻きつき、その動きが止まった。
俺はサラのところへ滑り込む。
首。
腕。
腰。
脚。
身体へ絡みついた蔓を、サラへ傷をつけないよう一本ずつ切断する。
最後の蔓が外れた。
サラの身体が前へ倒れる。
俺は両腕で受け止めた。
「サラ。聞こえますか?」
瞼が僅かに動く。
「……ルー、デウス?」
「はい」
声が出た。
生きている。
胸の奥から、大きく息が漏れた。
「助けに来ました」
しかし、安心するにはまだ早い。
俺たちは、アイスフォールトレントの攻撃範囲内にいる。
サラを背負う。
呼吸は浅い。
身体も冷え切っていた。
このまま長く戦うべきではない。
アイスフォールトレントを完全に倒すことはできる。
根を全て破壊し、幹へ集中的に魔術を撃ち込めばよい。
時間を掛ければ倒せる。
だが、今の目的はサラの救出だ。
強い敵を倒すことでも。
自分の実力を証明することでもない。
サラを安全な場所まで運び、生きてローゼンバーグへ帰す。
それだけだ。
俺は自分たちの後方へ、厚い土壁を何枚も作った。
アイスフォールトレントと、俺たちを隔てる。
氷塊が落ち、最初の壁を砕く。
次の壁が受け止める。
その間に距離を取る。
二枚目。
三枚目。
壁は次々に砕かれたが、俺たちへ攻撃は届かなかった。
木々の間を抜け、十分な距離を取る。
アイスフォールトレントの攻撃範囲から、完全に外れた。
風を遮れる岩陰を見つけ、サラを外套の上へ寝かせる。
状態を確認する。
右脚が、不自然な角度へ曲がっていた。
腕と顔にも傷がある。
唇と指先は青い。
凍傷。
打撲。
骨折。
蔓に締めつけられた跡も残っている。
俺は治癒魔術の詠唱を始めた。
攻撃魔術とは違い、治癒魔術はまだ無詠唱で使えない。
早く治さなければならない。
焦る。
それでも、焦って順番を誤れば、サラの身体へ余計な負担を掛ける。
必要な順番を考える。
まず、命に関わる傷。
次に骨折。
最後に凍傷。
一度に全てを治そうとはしない。
サラの身体が治療へ耐えられるよう、順番に処置していく。
曲がっていた脚が、少しずつ元へ戻る。
呼吸も深くなっていった。
毛布で身体を包み、温めた水を少量ずつ飲ませる。
急に大量の熱を与えることはしない。
身体の内側から、ゆっくり温める。
サラの呼吸が安定したことを確認してから、自分の傷を見る。
頬の浅い切り傷。
右腕の裂傷。
脇腹には、枝が巻き上げた雪と小石を受けた時についた、軽い打撲がある。
どれも、治癒魔術を急いで使うほどではない。
腕の傷へ清潔な布を巻き、頬の血を拭う。
戦闘へ支障はない。
街まで歩くことも。
サラを運ぶことも問題ない。
俺は岩陰の外へ出て、赤い煙を上げた。
救出成功。
自力で移動可能。
今回の状態なら、迷う必要はない。
以前の俺なら。
自分が歩ける以上、どれほど怪我をしていても赤を選んだかもしれない。
だが、今回は本当に軽傷だ。
黒い煙を上げて、後続を急がせる必要はない。
岩陰へ戻ると、サラが目を開いていた。
「ここは……」
「トーリアの森です。アイスフォールトレントに捕まっていました」
サラは、記憶を探すように目を動かした。
「スノウバッファローに追われて……崖から落ちて……」
「はい」
「その後、木の根が……」
言葉が止まる。
「みんなは?」
「スザンヌ、ティモシー、パトリスは、ローゼンバーグへ戻っています」
「ミミルは?」
答えなければならない。
生きていると嘘をつくことはできない。
後で伝えればよいとも思わなかった。
サラは、今すぐ仲間の安否を知く権利がある。
「亡くなりました」
サラの顔から、僅かに戻っていた血の気が消えた。
「……嘘」
「遺体の一部を見つけました。持ち帰ります」
「嘘よ」
サラは身体を起こそうとした。
まだ力が入らず、前へ倒れかける。
俺は肩を支えた。
「無理に動かないでください」
「ミミルは逃げ足が一番速かったのよ。いつも自分で言ってた。危なくなったら、真っ先に逃げるって……」
「はい」
「なのに、どうして……」
答えは分かっている。
仲間を逃がすために、残ったからだ。
サラも理解しているのだろう。
理解しているからこそ、認められない。
顔を伏せ、声を殺して泣き始めた。
俺は、何も言えなかった。
大丈夫だとも。
仕方がなかったとも言えない。
ミミルは死んだ。
カウンターアローが正しい判断をしたとしても。
全滅を避けるために撤退したとしても。
その事実は変わらない。
悲しまなくてよい理由にはならない。
俺は、サラが泣き止むまで隣へ座っていた。
背中を撫でることもしなかった。
今、触れてよいのか分からなかったからだ。
それでも、一人にはしなかった。
しばらくして、サラが顔を上げる。
そこで初めて、俺の頬と腕の傷へ気づいたらしい。
「その傷……」
「浅いものです」
「アイスフォールトレントに?」
「氷の破片が掠めました」
「私を助けるために?」
「戦えば、これぐらいの傷を負うことはあります」
「それでも、私がいなければ怪我をしなかったでしょう」
否定はできない。
サラが捕まっていなければ、俺はアイスフォールトレントと戦っていない。
「後悔してる?」
サラが尋ねる。
「助けに来たことは、後悔していません」
「本当に?」
「はい」
迷う理由はなかった。
ミミルを助けることはできなかった。
それでも、サラには間に合った。
サラを見つけたことを。
戦って助け出したことを。
俺は後悔していない。
「……馬鹿」
「軽傷で済ませたので、あまり馬鹿ではないと思います」
「そういう問題じゃないわよ」
サラは俺の頬へ手を伸ばしかけた。
けれど、途中で何かを思ったように、その手を引いた。
「アイスフォールトレントは?」
「攻撃に使う低い枝を落とし、地面を泥にして動きを鈍らせました。まだ生きていますが、ここまでは追ってこられません」
「倒さなかったの?」
「あなたを連れて離脱する方を優先しました」
「倒せた?」
「時間を掛ければ」
サラは、俺をじっと見た。
「昔のあなたなら、倒そうとした?」
「どうでしょう」
少し考える。
以前の俺なら。
救出した後も、敵を残せば再び襲われると考えたかもしれない。
ここで倒せるなら倒しておくべきだと。
自分が一人で終わらせなければならないと。
サラを安全な場所へ置き、戻って戦おうとした可能性はある。
「少なくとも、今は必要のない戦いを続ける理由はないと思いました」
サラの救出は終わった。
負傷も治療した。
ならば、残る魔物の討伐は後続へ任せてもよい。
一人で全てを終わらせる必要はない。
「少しは、自分を大事にしてるのね」
「レイネやエリスに、何度も言われましたから」
「エリス?」
「大切な人です」
今は、それだけを答えた。
エリスとの関係を隠すつもりはない。
だが、サラが重傷から目を覚ました直後に、詳しく説明するような話でもないだろう。
サラは僅かに首を傾げたが、体力が尽きかけているのか、それ以上は尋ねなかった。
「歩けますか?」
「たぶん」
サラは立ち上がろうとした。
けれど、足へ力が入らず、すぐに膝が折れる。
俺は身体を支えた。
「背負います」
「歩けるわよ」
「今、倒れました」
「少し力が入らなかっただけ」
「森の外まで、かなりあります」
「重いわよ」
「スノウバッファローよりは軽いでしょう」
「比べる相手がおかしいわ」
文句を言いながらも、サラは俺の背へ腕を回した。
俺は問題なく立ち上がる。
身体を動かしても、脇腹の打撲が少し痛むだけだ。
「しっかりつかまっていてください」
「落とさないでよ」
「落としません」
「絶対に?」
「絶対に落としません」
それで満足したのか、サラは俺の肩へ額を預けた。
俺は足元の雪を固めながら、ローゼンバーグの方向へ進んだ。
◇
森を半分ほど戻ったところで、前方から複数の明かりが見えた。
風の中でも消えない、魔道具の光だ。
「ルーデウス様!」
レイネの声が、森へ響く。
白い髪が木々の間から現れた。
その後ろには、ゾルダートと《ステップトリーダー》の冒険者たち。
さらに、ギルドから集められた捜索隊も続いている。
レイネは俺たちのところまで走り、まずサラへ向かった。
「サラ様。意識はございますか?」
「あるわ」
「負傷の状態は?」
俺が答える。
「右脚の骨折、打撲、凍傷、蔓に締めつけられた傷がありました。治療済みですが、体力がかなり落ちています」
「承知いたしました」
レイネはサラの脈と体温を確認する。
持ってきた防寒布を、サラの身体へ重ねて掛けた。
その後で、俺を見る。
赤い瞳が。
頬の傷。
右腕へ巻いた布。
外套についた汚れへ、順番に向く。
「ルーデウス様のお怪我は?」
「頬と腕の浅い裂傷。それから、脇腹を少し打ちました」
「ほかにはございませんか?」
「ありません」
「眩暈や吐き気は?」
「ありません」
「腕の動きは?」
右腕を上げる。
問題なく動く。
「歩行にも支障はありません」
レイネは俺の様子を見た後、僅かに肩の力を抜いた。
「赤い煙で、正しい状態だったのですね」
「はい」
「お約束を守ってくださり、ありがとうございます」
「当然です」
「以前のルーデウス様でしたら、重傷であっても歩けるという理由で、赤を選ばれた可能性がございました」
否定しにくい。
以前なら。
自分が歩ける。
魔術も使える。
だから問題ない。
そう判断していたかもしれない。
「今回は、本当に軽傷です」
「確認できました」
レイネは、そこで初めて、サラが俺の背にいることへ目を向けた。
「サラ様を、こちらでお運びいたしましょうか」
「僕が運べます」
「無理をなさっている様子はございませんね」
「はい」
レイネは、俺から無理にサラを引き取ろうとはしなかった。
状態を確かめ。
俺へ任せても問題ないと判断し。
そのうえで、俺の選択を尊重した。
ゾルダートが近づいてくる。
「見つけたか」
「はい」
「ほかには?」
俺は、肩から下げた袋へ目を向けた。
ゾルダートは、何が入っているのか察したらしい。
表情から、普段の軽薄さが消えた。
「ミミルか」
「頭部だけです」
「そうか」
それ以上は何も言わなかった。
からかうことも。
余計な慰めを口にすることもない。
「アイスフォールトレントがいました」
俺は森の奥を指した。
「地面近くまで届く枝は全て落としました。根元の地面も泥へ変えています。氷塊を落とす攻撃は残っていますが、発動の前兆は分かりやすいです」
「随分と余裕だったみてえだな」
「サラを巻き込めないため、慎重に動いただけです」
「怪我は?」
「軽い傷だけです」
ゾルダートは、俺の頬と腕を見る。
「原形を保って戻ってきたか」
「失礼ですね」
「前に突っ込む奴は、自分が強くなった分だけ無茶も増やしやがる。お前もそっちかと思ってた」
「倒す必要のない敵と、長く戦う理由はありません」
「へえ」
ゾルダートが僅かに笑った。
「成長したじゃねえか、泥沼」
「褒めているのですか?」
「珍しくな」
「明日は雪でも降りますか?」
「もう降ってるだろうが」
ゾルダートは俺の頭を軽く小突こうと手を伸ばした。
俺が避けると、不満そうに舌打ちする。
今度はレイネへ視線を向けた。
「で、お前はどうだった?」
「何のことでございましょうか」
「捜索隊だよ」
ゾルダートは、後ろにいる冒険者たちを見る。
「最初は全員へ馬鹿丁寧に頭を下げて、役目だけ振って、自分は後ろへ下がろうとしやがった」
レイネの表情が僅かに硬くなる。
「必要な指揮を行いました」
「途中からはな」
ゾルダートが言う。
「道を知らねえ奴には、自分で横へ並んで説明した。遅れた奴へ直接声を掛けた。怖がってた若い冒険者には、絶対に置いていかねえと言った」
レイネは答えない。
「ティモシーたちを失いたくねえ。サラも連れ帰りてえ。だから力を貸してくれって、自分の口で頼んだ」
俺はレイネを見た。
そのような言葉を、ほかの冒険者たちへ伝えたのか。
レイネは俺の視線へ気づいたようだが、すぐには顔を向けなかった。
ゾルダートは鼻で笑う。
「やればできるじゃねえか」
「緊急時でございましたので」
「また仕事に逃げるのか?」
「……いいえ」
レイネは少し間を置いた。
「私は、サラ様を見つけたかったのです。ミミル様も、可能であれば連れ帰りたかった。私一人では時間が掛かるため、皆様に力を貸していただきたいと思いました」
「それでいい」
ゾルダートが言った。
「侍女だから頼んだんじゃねえ。お前が助けたかったから頼んだ。それで十分だろ」
「はい」
レイネが素直に頷いた。
ゾルダートは、俺とレイネを順番に見る。
「お前ら、面倒なところまで似てやがるな」
「どこがですか?」
「自分の本音だけは、最後まで説明しねえところだ」
「あなたにだけは説明したくないのです」
俺が言う。
ゾルダートは笑った。
「その返事ができるなら上等だ」
そして剣を抜き、肩へ担ぐ。
「アイスフォールトレントの場所を教えろ」
「まだ倒すのですか?」
「救助隊が通る可能性のある場所に、上位種を残しておけるか」
「低い枝は失っています。接近しすぎなければ、攻撃は氷塊だけです」
「十分だ。残りは俺たちがやる」
ゾルダートが仲間へ振り返る。
「五人、俺と来い! 残りはサラとミミルを街まで運べ! 周辺にスノウバッファローが残ってる可能性もある。気を抜くな!」
指示を受けた冒険者たちが、即座に二組へ分かれた。
「僕も残りましょうか?」
「必要ねえ」
ゾルダートは即答した。
「場所と攻撃方法は聞いた。お前の仕事は終わってる」
「僕はまだ戦えます」
「戦えるかどうかじゃねえよ」
ゾルダートが、俺の背にいるサラを見る。
「助けた奴を街まで連れて帰るところまでが、お前の仕事だろ」
それも正しい。
救出しただけで終わりではない。
サラを治療院へ送り届けるまでが、俺の役割だ。
「分かりました」
「素直すぎると、それはそれで気味が悪いな」
「では、残ります」
「帰れ」
「どちらですか?」
「面倒なガキだな!」
ゾルダートが怒鳴る。
その横で、《ステップトリーダー》の冒険者が笑いを堪えていた。
俺はアイスフォールトレントの位置と、残された攻撃方法を説明した。
ゾルダートたちは森の奥へ向かう。
俺はサラを背負ったまま、レイネや救助隊の者たちとともに、ローゼンバーグへ戻った。
◇
街へ到着した頃には、空が白み始めていた。
サラは、冒険者ギルド近くの治療院へ運ばれた。
専門の治癒術師による診察では、俺が処置した傷に大きな問題はなく、数日間休めば身体を動かせるようになるとのことだった。
俺も、腕と頬の傷を洗浄してもらった。
治癒魔術を使うほどではない。
傷薬と包帯だけで十分だと言われた。
脇腹の打撲も、二、三日で痛みは消えるらしい。
レイネは、治療を終えた俺の右腕を確認する。
「本当に軽傷でございましたね」
「疑っていたのですか?」
「ルーデウス様は、ご自身の傷を軽く表現なさる傾向がございますので」
「今回は正確に申告しました」
「今後もお願いいたします」
「はい」
「サラ様の救出方法についても、お聞きしました」
「誰からですか?」
「サラ様からでございます」
いつの間に話したのだろう。
俺が診察を受けている間だろうか。
「敵を無理に討伐せず、攻撃手段だけを奪って離脱されたそうですね」
「救出が目的でしたから」
「よい判断であったと存じます」
レイネから素直に褒められると、少し照れる。
「以前なら、倒してから帰ろうとしたと思いますか?」
「可能性はございました」
「レイネまで、ゾルダートと同じことを言うのですね」
「ゾルダート様と同じであることは不本意ですが、事実でございます」
「本人に聞かれたら、また絡まれますよ」
「その際には、ルーデウス様にお任せいたします」
「そこは自分で対応してください」
レイネの口元が、僅かに緩んだ。
◇
翌日。
ローゼンバーグの共同墓地で、ミミルの埋葬が行われた。
サラは椅子へ座り、厚い毛布を掛けられている。
ティモシーとパトリスも、まだ立って参列できる状態ではなかった。
スザンヌが二人の代わりに、カウンターアローを代表して墓の前へ立った。
俺とレイネも、その後ろに並ぶ。
ゾルダートも、少し離れた場所にいた。
《ステップトリーダー》の仲間は連れていない。
一人で参列していた。
スザンヌが、ミミルについて話した。
治癒術師として優秀だったこと。
口が軽かったこと。
危険になれば真っ先に逃げると、いつも冗談を言っていたこと。
それなのに最後には、自分が逃げるのではなく、仲間を逃がすために残ったこと。
誰も笑わなかった。
けれど、ミミルの軽口を思い出し、泣きながら僅かに笑う者はいた。
俺も、ラスターグリズリーの依頼を思い出していた。
治癒魔術を一度も使わなかったと言いながら、自分も役に立っていたのだと何度も確認してきた。
レイネに肯定されると、途端に得意そうな顔をした。
あの時。
俺たちは全員、無傷で帰ることができた。
次も同じように帰れると、どこかで思っていたのかもしれない。
冒険者の仕事に、絶対はない。
何度成功しても。
一度の想定外で、誰かが戻らなくなる。
レイネは、墓を見つめていた。
これまでなら。
祈りを終えた後、少し離れた場所で俺たちを待っていただろう。
だが今日は、スザンヌの隣へ歩いていった。
「スザンヌ様」
「何だい?」
「ミミル様には、ラスターグリズリーの解体方法を教えていただきました」
「そうだったね」
「私が一度で覚えたため、ご自分が教える必要はなかったのではないかと、少し落ち込んでおられました」
スザンヌが僅かに笑った。
「ミミルらしいよ」
「ですが、私はミミル様に教えていただいたからこそ、正確に作業できました」
レイネは墓へ視線を戻す。
「私は、それをきちんとお伝えできておりませんでした」
「聞いてたと思うよ」
「そうでしょうか」
「あいつは、自分への褒め言葉だけは聞き逃さなかったからね」
スザンヌの目から、涙が流れた。
レイネは慰めの言葉を探さなかった。
大丈夫だとも。
ミミルは満足していたはずだとも言わない。
ただ、スザンヌの隣へ立ち続けた。
一歩も二歩も離れた場所ではなく。
触れようと思えば、手が届く場所に。
墓へ土が掛けられ。
全てが終わった後。
サラが俺を呼んだ。
「ルーデウス」
「はい」
サラの椅子の近くへ移動する。
サラは、俺の頬へ残った小さな傷と、腕へ巻かれた布を見た。
「本当に、それだけだったの?」
「はい」
「もっと大怪我してるのを隠してるんじゃないでしょうね」
「治療院でも診察を受けました。軽傷です」
「なら、よかった」
安堵が、そのまま声へ出ていた。
「助けてくれて、ありがとう」
「間に合ってよかったです」
「それだけ?」
「ほかに何かありますか?」
サラは、少しだけ眉を寄せた。
「普通は、もっと格好いいことを言うところでしょう」
「例えば?」
「二度と危険な目には遭わせない、とか」
「冒険者を続けるなら、また危険な目には遭うと思います」
「そういうところよ」
呆れたように言いながら、サラは小さく笑った。
その笑顔には、以前俺へ向けていた警戒も敵意もなかった。
「でも」
サラは続ける。
「次に私を助ける時も、そのぐらいの傷で戻りなさい」
「できれば無傷で戻ります」
「そう。それでいいのよ」
絶対に傷つかないとは約束できない。
危険な依頼へ出れば、怪我をする可能性はある。
けれど、助けるためだからといって、自分の命まで捨てる必要はない。
サラも、今回の俺が無謀に傷ついたわけではないと理解しているのだろう。
「また見舞いに来なさいよ」
「同じ治療院ではありませんが、場所は分かっています」
「来るの?」
「はい」
「ならいいわ」
満足したように頷く。
レイネが、サラの椅子へ手を掛ける。
「サラ様。冷えてまいりましたので、治療院へ戻りましょう」
「分かってるわ」
レイネは椅子を押す前に、サラの正面へ回った。
「サラ様」
「何?」
「生きて戻ってくださって、ありがとうございます」
サラが目を見開く。
レイネが、そのような言い方をするとは思っていなかったのだろう。
俺も少し驚いた。
「私が礼を言われることじゃないでしょう」
「私が申し上げたいのです」
「……そう」
サラは少し顔を伏せた。
「レイネも、捜しに来てくれてありがとう」
「はい」
今度のレイネは。
捜索は冒険者として当然の仕事だったとは言わなかった。
カウンターアローとの協力関係を維持するためだったとも言わない。
「見つけることができて、うれしく思います」
サラが小さく笑う。
レイネも、ごく僅かに笑った。
二人のやり取りを、少し離れた場所からゾルダートが見ていた。
俺と目が合うと、顎を上げる。
「少しは前へ出たみてえだな」
「あなたのおかげだとは言いませんよ」
「言われても気色悪い」
「なら、ちょうどよかったです」
ゾルダートは、俺の頬の傷を見る。
「お前も今回は、まともに帰ってきたな」
「まともとは?」
「仲間を助けるために、自分の命まで投げ出す馬鹿じゃなかったってことだ」
「最初から、死ぬつもりはありません」
「口じゃ何とでも言える。だが、今回は倒す必要のねえ敵を残して帰ってきた」
ゾルダートが、森の方角を見る。
「強い奴ほど、目の前の敵を全部倒せると思う。だから、倒さなくていい時まで戦いやがる」
「サラを連れて帰ることが目的でしたから」
「それを忘れなかったなら十分だ」
珍しく、皮肉のない言葉だった。
「素直に褒めてくれるのですね」
「一度だけだ。次からはねえ」
「では、今の言葉を覚えておきます」
「忘れろ」
ゾルダートは背を向ける。
「それから、白髪の侍女」
レイネが椅子を押す手を止めた。
「はい」
「急に全員と仲良くしろとは言わねえ」
「承知しております」
「だが、助けてえ時は助けてえと言え。失いたくねえ時は、失いたくねえと言え」
ゾルダートは振り返らない。
「仕事だとか義務だとかを先に出されるより、その方が手を貸す側も気分がいい」
「……はい」
レイネが答える。
「覚えておきます」
「仕事みてえに言うなって言っただろ」
「では」
レイネは僅かに考えた。
「今後も、そのようにしたいと存じます」
「まだ固いが、前よりはましだ」
ゾルダートは片手を上げ、そのまま墓地を出ていった。
ミミルは戻らなかった。
墓へ埋めることができたのも、身体の一部だけだった。
それでも、サラは戻った。
俺はサラを助けるために戦った。
必要な攻撃だけを防ぎ。
必要な傷だけを負い。
目的を果たした時点で、敵を倒すことへ固執せず離脱した。
レイネは、治療と指揮だけをこなしたのではない。
自分が仲間を失いたくないと口にし、人の輪へ自分から一歩踏み込んだ。
失ったものを、なかったことにはできない。
救えなかった人間がいるからといって、救えた命まで否定するべきでもない。
俺たちはまだ。
正しい距離で他人と関わる方法を、知り尽くしているわけではなかった。
俺は傷つかないために一歩引く。
レイネは、自分を渡さないために、さらに一歩引く。
ゾルダートの言葉は腹立たしかったが、全てが間違っていたわけではない。
だから、少しずつ変わればいい。
誰かへ近づくことも。
誰かを信じることも。
一人で倒せる敵を、誰かへ任せることも。
全てを一度にできる必要はない。
次に同じような夜が訪れた時。
今日より少しだけ、うまく選べればよい。
そう思いながら。
俺はレイネと並び、サラの椅子を押して治療院へ戻った。