Fate/Grand Order ――反逆の堕天使と最後のマスター――   作:MIDNIGHT

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第四節 黒き槍兵

夜の闇の向こうから、硬いものを引きずる音が近づいてくる。

金属が土を削り、石を噛み、低く不快な音を立てていた。

それは獣の足音ではない。

規則正しく、迷いがなく、何より人間に近い。

だからこそ、飛竜の咆哮よりも不気味だった。

 

「全員、下がってください!」

 

ジャンヌの声が村に響く。

 

「戦える者も前へ出てはいけません。負傷者と子どもたちを、教会の地下へ!」

 

兵士たちは一瞬戸惑った。

村を守るために残った者たちである。敵が来たからといって、黙って背を向けることなどできない。

 

「ですが、ジャンヌ様!」

 

「相手は人ではありません!」

 

制する彼女の言葉に、兵士の顔色が変わった。

 

「サーヴァントです。皆さんの武器では、傷をつけることすら難しいでしょう」

 

拒絶ではなかった。

命を守るための、厳しい判断だった。

年老いた兵士が唇を噛み、やがて剣を収める。

 

「……分かりました」

 

「村人は我々が避難させます。どうか、ご武運を」

 

ジャンヌは深く頷いた。

 

「ありがとうございます」

 

教会の鐘が激しく鳴り続ける。

泣き出す子ども。

荷物を抱えて走る女たち。

負傷者へ肩を貸す男たち。

先ほどまで僅かな安息に包まれていた村は、瞬く間に恐怖と混乱へ飲み込まれていった。

立香はその光景を見つめながら、奥歯を噛み締める。

逃げ惑う人々の中に、先ほど助けた少女の姿があった。

少女は兵士に手を引かれながらも、何度も立香たちを振り返っている。

その目に浮かぶ感情を、立香は知っていた。

 

不安。

恐怖。

そして、自分たちなら助けてくれるかもしれないという期待。

 

その視線が、重かった。

 

「先輩」

 

隣に立ったマシュが、小さく呼びかける。

彼女もまた同じものを感じているのだろう。

立香は一度だけ深く息を吸った。

 

「大丈夫」

 

自分へ言い聞かせるように口にする。

 

「ここは守るよ」

 

「はい」

 

マシュは盾を構えた。

ジャンヌも白い旗を手に取り、村の門へ向き直る。

ルシファーだけは、まだ腕を組んだまま森の奥を見据えていた。

 

「どう思う?」

 

立香が尋ねる。

 

「一人だ」

 

「飛竜の群れは?」

 

「上空にはいる。だが、すぐには来ない」

 

ルシファーの瞳が細くなる。

 

「こちらの力を測るつもりらしい」

 

「敵のサーヴァントが?」

 

「違う――それを命じた者が、だ」

 

森の暗がりで、赤い光が二つ灯った。

人間の目ではない。

憎悪に濁った、獣のような眼光。

やがて月明かりの下へ、一人の男が姿を現す。

 

長身。

青黒い装束。

全身に刻まれた赤い紋様。

手には、血を固めたかのような禍々しい長槍が握られている。

男の顔立ちは整っていた。

しかし、その表情に理性の光はない。

 

歪んだ笑み。

抑えきれない殺意。

 

身体の周囲から立ち上る黒い魔力が、地面の草を腐らせていく。

 

「見つけたぜ」

 

男が呟く。

声は低く、掠れていた。

 

「聖女」

 

その視線は、真っ直ぐジャンヌへ向けられている。

ジャンヌは表情を引き締めた。

 

「あなたは……」

 

男は長槍を持ち上げ、その切っ先を彼女へ向ける。

 

「黒き聖女様からの命令だ――偽物の聖女を、殺せとな」

 

ジャンヌの肩が僅かに揺れた。

 

「黒き、聖女……」

 

「この国を竜で焼いている人のこと?」

 

立香が問うと、男は初めて彼女へ視線を向けた。

暗がりにあった、男の顔の輪郭が見えたとき、立香は息を呑んだ。

 

「そんな…キャスター、さん――?」

 

こちらに殺意を向ける男の顔は、先の冬木で力を貸してくれた『キャスター』とよく似ていた。

 

「落ち着け」

 

動揺する立香に、ルシファーの冷静な声が入り、我に返る。

 

「アレはあの男ではない――正確に言えば、同じサーヴァントの別側面だ」

 

「サーヴァントは、召喚される時代や特性が変わる場合があります。ですから、アレは冬木であったキャスターさんの別の時代の方が召喚されたと思われます」

 

マシュが補足する。

サーヴァントは主にその者の全盛期が選ばれることが多い。だが、極まれに全盛期以外の姿や、別側面の特性を得て現界する場合もある。

そして、契約したマスターによって、敵になる場合も当然ある。

改めて、サーヴァントの契約を理解し、立香は緊張に身を強張らせる。

 

「人間? 魔術師か、随分と脆そうな主じゃねえか」

 

鼻で笑い、侮る。

 

「口数の多い犬だな」

 

ルシファーの声が割り込む。

黒き槍兵の笑みが止まった。

ゆっくりと、その目がルシファーへ向けられる。

 

「……てめえ」

 

彼は初めて警戒を見せた。

槍を握る指に力が入り、黒い魔力が大きく揺らぐ。

 

「何者だ?」

 

「名乗る必要があるのか、犬?」

 

「その霊基……サーヴァントではある。だが、おかしい」

 

男の赤い瞳がルシファーの全身を探る。

 

「英霊の匂いがしない――てめえ、何者だ」

 

「安心しろ。貴様に理解できる存在ではない」

 

鼻を鳴らす。

 

「言うじゃねえか」

 

槍兵の口元が吊り上がる。

警戒は消えていない。

だが、それ以上に強者と戦えることへの歓喜が浮かんでいた。

 

「なら――聖女を殺す前に、てめえから血祭りに上げてやるぜ」

 

槍を構え、穂先をルシファーへと突きつけ、誘う。

 

「ルシファー!」

 

立香が呼び止める。

 

「挑発に乗らないで」

 

「乗ってはいない」

 

彼女は腕を解いた。

黒い翼が静かに広がる。

 

「目障りだから黙らせるだけだ」

 

「それを乗っていると言うのでは……」

 

マシュの小さな呟きは、誰にも拾われなかった。

ジャンヌが一歩前へ出る。

 

「待ってください」

 

ルシファーが横目で彼女を見る。

 

「何だ」

 

「彼は正常ではありません」

 

「見れば分かる」

 

「そうではなく……聖杯による強制だけではありません。霊基そのものが、別の何かによって黒く染められています」

 

ジャンヌは槍兵を見つめる。

 

「本来の彼とは、違うはずです」

 

「だから救うと?」

 

「可能であれば」

 

ルシファーの瞳が冷たくなる。

 

「甘いな」

 

「そうかもしれません」

 

ジャンヌは否定しなかった。

 

「ですが、奪われた心を持つ者を、最初から敵として切り捨てることはできません」

 

「その甘さで、後ろの人間どもが死んでもか?」

 

短い問いだった。

ジャンヌは答えに詰まる。

ルシファーは彼女から視線を外し、教会へ逃げ込む村人たちを見た。

 

「戦場では、迷いが一人を殺す」

 

「一人の死が、十人を殺す」

 

「救いたいと願うことと、救えることは違う」

 

その言葉には、経験からくる重さがあった。

ジャンヌは唇を結ぶ。

だが、やがて旗を強く握り直した。

 

「それでも私は、救うことを諦めません」

 

「そうか」

 

「ですが、守るべき人々を危険に晒すつもりもありません」

 

ジャンヌは立香へ向き直る。

 

「マスター。どうか、指示を」

 

突然判断を委ねられ、立香は息を呑んだ。

敵は強力なサーヴァント。

ジャンヌは可能なら救いたいと考えている。

ルシファーは、村人を守るためなら即座に倒すべきだと考えている。

どちらも間違ってはいない。

だからこそ、選ばなければならない。

立香は黒い靄を纏う槍兵を見る。

その周囲に渦巻く魔力は不安定だった。

理性を失っているように見えるが、完全な狂戦士ではない。言葉を理解し、自らの意志で戦いを楽しんでいる。

説得が通じる状態ではない。

しかし、倒すことだけが目的でもない。

 

「まず、村から引き離す」

 

立香は告げた。

 

「マシュが正面で攻撃を受ける。ジャンヌは村への攻撃を防いで」

 

「ルシファーは敵の動きを封じる。ただし、霊核は狙わないで」

 

ルシファーが眉を上げる。

 

「殺すなと?」

 

「今は」

 

「面倒な命令だ」

 

「面倒なマスターだから」

 

立香が苦く答えると、ルシファーは僅かに口元を緩めた。

 

「……いいだろう。ただし、あれが村人へ槍を向けた時は命令を無視する」

 

「その時は止めない」

 

ジャンヌも頷く。

 

「ありがとうございます」

 

「礼はマスターに言え。来る!」

 

ルシファーが叫んだ。

黒き槍兵の姿が消える。

次の瞬間、マシュの盾に凄まじい衝撃が走った。

 

「くっ……!」

 

赤い槍の穂先が盾の中心へ突き刺さっている。

マシュの両足が土を抉り、身体ごと数メートル押し戻された。

 

「ほう」

 

槍兵が笑う。

 

「受けたか、小娘!」

 

「まだ……です!」

 

マシュは盾を傾け、槍を横へ逸らす。

敵の体勢が僅かに崩れた。

 

「ジャンヌ!」

 

「はい!」

 

白旗が翻る。

ジャンヌは槍兵の側面から踏み込み、旗の柄を振るった。

槍兵は身を沈めて回避する。

そのまま足を軸に回転し、槍の石突きでジャンヌの脇腹を狙った。

鈍い音が響く。

ジャンヌは腕で受けたが、衝撃を殺しきれず吹き飛ばされた。

 

「ジャンヌ!」

 

「大丈夫です!」

 

空中で体勢を整え、地面へ着地する。

しかし鎧の一部は砕け、腕には赤い痕が残っていた。

槍兵は追撃へ移ろうとする。

その頭上から、黒い羽根が降り注いだ。

 

「ちっ!」

 

槍を高速で回転させ、羽根を弾く。

一枚ごとに火花が散り、甲高い音が夜の村へ響き渡った。

 

「器用な真似を!」

 

槍兵は羽根の雨を突破し、宙に浮かぶルシファーへ槍を投擲する。

赤い閃光が夜空を裂いた。

ルシファーは首を僅かに傾ける。

槍は頬を掠め、背後の大木を貫通した。

直後。

手元を離れたはずの槍が黒い魔力となって消え、再び槍兵の手の中へ現れる。

 

「面白い」

 

ルシファーの頬に細い傷が走る。

流れた血を指で拭い、彼女は静かに見つめた。

 

「今のは少し速かった」

 

「余裕ぶっていられるのも今のうちだぜ!」

 

槍兵が地面を蹴る。

一瞬で跳躍し、ルシファーへ迫った。

 

槍の連撃。

突き。

薙ぎ払い。

切り上げ。

 

人間の目では捉えられない速度で、赤い軌跡が空を埋める。

ルシファーは黒い翼を盾のように動かし、攻撃を受け流していく。

槍と羽根が衝突するたび、衝撃波が周囲の木々を揺らした。

 

「どうした!」

 

槍兵が吠える。

 

「逃げるだけか!」

 

「村に落ちる瓦礫を気にしている」

 

「何?」

 

「貴様との戦いより、そちらの方が面倒だ」

 

ルシファーの翼が大きく羽ばたいた。

爆発的な風圧が槍兵を地上へ叩き落とす。

地面が大きく陥没し、土煙が立ち上った。

だが、槍兵はすぐに跳ね起きる。

 

「ははっ!」

 

口元から血を流しながら、楽しそうに笑っていた。

 

「いいぞ。もっとやろうぜ!」

 

怯むどころか、さらに闘志を滾らせ、気迫が満ちる

 

「敵の魔力反応が上昇しています!」

 

マシュが叫ぶ。

槍兵の身体から、赤黒い光が溢れ始めていた。

周囲の空気が震える。

その変化を見たジャンヌの顔色が変わった。

 

「いけません!」

 

「宝具を使うつもりです!」

 

槍兵は腰を落とし、槍を低く構えた。

切っ先へ膨大な魔力が収束する。

赤い光は脈打ち、まるで生きた心臓のように鼓動していた。

立香の背筋に冷たいものが走る。

槍が狙っているのは、ルシファーではない。

マシュでも、ジャンヌでもない。

その直線上にあるもの。

 

村。

 

「まさか……!」

 

「避けてみろ!」

 

槍兵が狂ったように笑う。

 

「避ければ、その後ろの人間どもが死ぬぞ!」

 

ジャンヌの表情が凍りつく。

マシュは迷わず村の前へ走った。

 

「私が受けます!」

 

「駄目だ!」

 

立香が叫ぶ。

先ほどの通常攻撃ですら、マシュは大きく押し戻された。

宝具級の一撃を真正面から受ければ、盾だけでは済まない。

それでもマシュは止まらない。

 

「先輩の後ろには、誰も行かせません!」

 

盾を地面へ突き立てる。

ジャンヌも彼女の隣へ立ち、旗を掲げた。

 

「私も支えます!」

 

二人の前方に、重なるように魔力障壁が展開される。

槍兵が嘲笑う。

 

「二人纏めて貫けるか、試してやる!」

 

赤い魔力が極限まで膨れ上がる。

立香は令呪の宿る右手を握り締めた。

命令を下すべきか。

マシュの防御を強化するか。

ルシファーへ全力を使わせるか。

迷っている時間はない。

 

「ルシファー!」

 

立香が叫ぶ。

 

「止めて!」

 

令呪の一画が光り、右手の甲から消失する。

 

「ああ」

 

返事は、すぐ耳元から聞こえた。

いつの間にかルシファーは、立香の隣へ降り立っている。

彼女は槍兵を見つめながら、右手を持ち上げた。

 

「最初から、そのつもりだ。先ほど言ったはずだ、面倒なマスター」

 

黒い光が掌へ集まる。

空気が軋んだ。

村全体を覆うほどの圧力が生まれ、立香は呼吸することさえ難しくなる。

令呪の力でブーストしたとはいえ、それでも、ルシファーの力は本来のものには遠く及ばない。

霊基へ無理やり押し込められた彼女は、その大半を封じている。

今、解放されているのはほんの一部。

だが、その一部だけで、周囲の魔力は彼女を恐れるように震えていた。

 

「村人へ槍を向けた時点で――」

 

ルシファーの瞳が金色に輝く。

 

「貴様を生かしておく理由はなくなった」

 

「待ってください!」

 

ジャンヌが叫ぶ。

 

ルシファーの掌に集まった光が一瞬揺れる。

 

「まだ、彼を――」

 

「ジャンヌ!」

 

立香が彼女を制した。

ジャンヌが振り返る。

立香は苦しかった。

彼女の願いを否定したくはない。

救える命なら、救いたい。

だが今は、迷えば村が消える。

 

「今は、守ることを優先する」

 

「……!」

 

「救うために、守るんだ!」

 

ジャンヌは目を見開いた。

その言葉を聞いたルシファーが、僅かに笑う。

 

「ようやくマスターらしくなったな」

 

「貴様ら!」

 

槍兵が激昂する。

 

「俺を無視するな!」

 

赤い槍が放たれる。

世界から音が消えた。

槍は一直線に空間を食い破り、触れるもの全てを死へ導く赤い閃光となって迫る。

 

マシュが盾を構える。

ジャンヌが旗を掲げる。

だが、その二人より前へ、黒い影が進み出た。

 

ルシファー。

 

彼女は片手を伸ばし、飛来する槍を正面から受け止めた。

 

激突。

 

赤と黒の光が激突し、夜が白く染まった。

轟音とともに地面が裂ける。

周囲の家々が激しく揺れ、窓が砕け散った。

 

「ルシファー!」

 

立香の声は爆音に掻き消される。

赤い槍は、ルシファーの掌を少しずつ押し込んでいた。

その腕から血が流れ、黒い衣装が裂けていく。

彼女の霊基が軋む音が、立香との契約を通じて伝わってきた。

 

痛み。

負荷。

 

抑え込まれた力を無理に引き出した反動。

それでも、ルシファーは一歩も退かなかった。

 

「この程度か」

 

静かな声が、光の中から響く。

槍兵の笑みが消える。

 

「何……?」

 

「人の命を盾にしなければ、撃つこともできない一撃」

 

ルシファーの指が、赤い槍を掴む。

 

「反逆者を名乗るには、あまりに醜い」

 

「俺は反逆者ではない!」

 

「そうか」

 

黒い光が槍へ侵食していく。

 

「ならば、ただの犬だ」

 

ルシファーは槍を握り潰した。

赤い閃光が砕け、無数の光の破片となって夜空へ飛び散る。

 

「馬鹿な……!」

 

槍兵が愕然とする。

その隙を、立香は逃さなかった。

 

「マシュ、今!」

 

「はい!」

 

マシュが地面を蹴る。

盾を前面に構えたまま、槍兵へ突進した。

宝具を破られた反動で、敵の動きは止まっている。

巨大な盾が腹部へ激突した。

 

「がっ……!」

 

槍兵の身体が宙へ浮く。

そこへジャンヌが踏み込んだ。

 

「許してください!」

 

旗の柄が槍兵の胸を打つ。

殺すためではない。

霊核を避け、魔力の流れを断つための一撃。

槍兵は地面へ叩きつけられた。

さらに黒い羽根が四方から飛来し、両腕と両足を地面へ縫い止める。

 

「ぐっ……!」

 

男は身を捩る。

だが、羽根はびくともしない。

ルシファーがゆっくりと歩み寄る。

掌の傷からは、まだ血が流れていた。

 

「殺せ……」

 

槍兵が吐き捨てる。

 

「敗者を生かすつもりか」

 

「決めるのは私ではない」

 

ルシファーは立香を見る。

判断を委ねている。

立香は倒れた槍兵の前へ進んだ。

恐怖がないわけではない。

拘束されていても、サーヴァントであることに変わりはない。僅かに隙を見せれば、命を奪われるかもしれない。

それでも目を逸らさなかった。

 

「名前を教えて」

 

「……何?」

 

「あなたの本当の名前」

 

槍兵は黙り込む。

 

「黒い聖女の命令で動く敵じゃない」

 

「あなた自身の名前を知りたい」

 

「くだらん」

 

「そうかもしれない」

 

立香は屈み、男と同じ高さまで視線を下げる。

 

「でも、名前も知らずに殺したくない」

 

槍兵の赤い瞳が揺れた。

 

一瞬だけ。

 

憎悪の奥に、別の色が見えた。

 

遠い記憶。

誇り。

 

かつて彼が彼自身であった頃の、僅かな光。

 

「……クー・フーリン」

 

掠れた声だった。

 

「アルスターの戦士、クー・フーリンだ」

 

マシュが息を呑む。

 

「ケルト神話の大英雄……」

 

立香もカルデアで聞いた名を思い出す。

冬木で出会ったキャスター。

外見は異なるが、間違いなく、彼と同一の英霊だ。

 

「どうして、黒い聖女に従っているの?」

 

「召喚されたからだ」

 

クー・フーリンは自嘲するように笑う。

 

「聖杯の泥で汚され、殺せと命じられた」

 

「それだけだ」

 

「嫌ではないのですか」

 

ジャンヌが尋ねる。

クー・フーリンは彼女を睨んだ。

 

「戦場で敵を殺すことに、嫌も何もあるか」

 

「ですが、あなたは今、御自身の名を名乗りました」

 

ジャンヌは静かに続ける。

 

「完全に心を奪われてはいません」

 

「……黙れ」

 

「帰ることはできませんか」

 

「黙れ!」

 

クー・フーリンの身体から魔力が噴き出す。

黒い羽根が軋み、地面に亀裂が走った。

 

「俺に哀れみを向けるな!」

 

赤い瞳が再び憎悪に染まる。

 

「次に会えば殺す!」

 

「聖女も、マスターも、盾の小娘も!」

 

そして最後に、ルシファーを睨みつける。

 

「貴様もだ、堕天使!」

 

その言葉と同時に、男の身体が赤黒い霧へ変わった。

 

「逃げる!」

 

マシュが盾を振るう。

だが手応えはない。

クー・フーリンの霊体は羽根の拘束をすり抜け、森の方向へ高速で飛び去っていった。

ルシファーは追わなかった。

 

「いいの?」

 

立香が問う。

 

「追えば倒せた」

 

「じゃあ、どうして」

 

「貴様が名前を聞いたからだ」

 

彼女は傷ついた掌を見下ろす。

 

「今殺せば、貴様は後悔する」

 

「……ありがとう」

 

「礼を言うな」

 

ルシファーは僅かに顔をしかめた。

 

「次は容赦しない」

 

「分かってる」

 

「本当に分かっているのか、面倒なマスター」

 

「多分」

 

「最も信用できない答えだな」

 

マシュが安堵したように息を吐く。

ジャンヌはクー・フーリンが消えた森を、長い間見つめていた。

 

「彼は、まだ戻れます」

 

誰へ向けるでもなく呟く。

 

「完全には失われていません」

 

「救いたいのか」

 

ルシファーが問う。

 

「はい」

 

「また村を襲うぞ」

 

「それでもです」

 

ジャンヌは振り返る。

瞳に迷いはなかった。

 

「次は、村を危険に晒さない形で止めます」

 

「随分と都合のいい話だ」

 

「あなたなら可能でしょう?」

 

思いがけない返答に、ルシファーは目を瞬かせた。

 

「私を当てにするのか」

 

「はい」

 

ジャンヌは微笑んだ。

 

「あなたは、救うことを否定しながら、マスターの願いを聞いて彼を殺しませんでした」

 

「契約上の命令だ」

 

「命令に従うだけの方は、あのように命を懸けて村を守りません」

 

「……」

 

「あなたはやはり、優しい方です」

 

ルシファーの表情が露骨に不機嫌になる。

 

「訂正しろ」

 

「できません」

 

「聖女というのは、皆これほど頑固なのか?」

 

「よく言われます」

 

二人のやり取りに、立香は思わず笑った。

緊張が解けた途端、膝から力が抜けそうになる。

マシュがすぐに支えた。

 

「先輩、大丈夫ですか?」

 

「うん。ちょっと安心しただけ」

 

教会の地下から、恐る恐る村人たちが姿を現し始める。

家々には損傷がある。

地面も大きく抉られている。

だが、死者はいない。

村は守られた。

先ほどの少女が人々の間から飛び出し、立香たちのもとへ駆けてくる。

 

「お姉ちゃん!」

 

少女は立香へ抱きついた。

 

「ありがとう!」

 

「怖くなかった?」

 

「怖かった」

 

少女は正直に答えた。

 

「でも、ジャンヌ様たちがいたから」

 

立香は少女の頭を撫でる。

その後ろで、村人たちが一人、また一人と頭を下げていく。

 

兵士も。

老人も。

子どもを抱いた母親も。

 

誰もが言葉を失いながら、ただ感謝を示していた。

ジャンヌは困ったように笑う。

 

「顔を上げてください、私たちは、当然のことをしただけです」

 

ルシファーは人々の視線を避けるように背を向けた。

その足元へ、小さな少年が近づく。

 

「お姉ちゃん」

 

「何だ」

 

「手、痛い?」

 

少年は、ルシファーの傷ついた掌を見ていた。

 

「この程度は傷とは呼ばない」

 

「でも、血が出てる」

 

「すぐに治る」

 

少年は自分の首に巻いていた古い布を外す。

母親が慌てて止めようとしたが、少年はそれをルシファーへ差し出した。

 

「これ、使って」

 

ルシファーは布を見つめる。

 

汚れている。

端はほつれ、決して上等なものではない。

それでも少年にとっては、自分を寒さから守る大切なものだったはずだ。

 

「必要ない」

 

「でも」

 

「私は――」

 

断ろうとした言葉が止まる。

少年の目には、純粋な心配しかなかった。

恐れも、打算もない。

ルシファーは小さく息を吐き、片膝をついた。

 

「巻けるか?」

 

「うん!」

 

少年は懸命に布を掌へ巻きつける。

不格好で、緩く、治療としてはほとんど意味がない。

それでもルシファーは外さなかった。

 

「ありがとう」

 

その言葉は小さく、少年にしか聞こえないほどだった。

立香は何も言わず、その光景を見守った。

空を覆っていた黒煙の一部が風に流される。

僅かな隙間から月の光が差し込み、荒れ果てた村を照らした。

 

戦いは終わっていない。

 

黒き聖女。

竜の軍勢。

聖杯に汚染された英霊たち。

 

これから待つ敵は、今夜の槍兵だけではない。

それでも、この小さな村だけは守ることができた。

絶望に覆われたフランスで灯った、あまりにも小さな勝利。

だが、その光は確かに、人々の心へ残った。

 

 

 

そして同じ夜。

遠く離れた城の玉座で、黒き聖女は静かに目を開く。

 

「クー・フーリンが敗れましたか」

 

その前に跪く男が、恭しく頭を垂れる。

痩せ細った身体。

狂気に濁った目。

かつて救国の聖女へ忠誠を誓った騎士、ジル・ド・レェ。

 

「はい、我が聖女よ。しかし、興味深い者たちが現れたようでございます」

 

 

「カルデアのマスター」

 

「盾を持つ少女」

 

「そして、白い旗を掲げる偽物」

 

ジルの声に、抑えきれない憎悪が混じる。

黒き聖女は退屈そうに頬杖をついた。

 

「偽物のことなど、どうでもいいのです。ですが、もう一人――」

 

彼女はゆっくりと立ち上がる。

 

「神にも、人にも属さない翼を持つ者」

 

黒い旗が玉座の傍らで揺れた。

 

「堕天使、ですか」

 

その口元に、冷たい笑みが浮かぶ。

 

「神へ背いた者が、神の聖女を守る。随分と悪趣味な物語ですね」

 

「お怒りですか?」

 

ジルが問う。

 

「いいえ」

 

黒き聖女は窓の外を見る。

夜空を飛竜の群れが埋め尽くしている。

 

「少し、興味が湧いただけです」

 

「次は誰を向かわせますか?」

 

「そうですね」

 

彼女はしばらく考え、やがて楽しそうに告げた。

 

「王妃を狩らせましょう」

 

ジルの目が大きく見開かれる。

 

「フランスに愛され、何も知らずに笑い続ける愚かな女。彼女が絶望する顔を、見てみたくなりました」

 

黒き聖女が旗を掲げる。

その命令に呼応し、城の外で無数の竜が咆哮した。

 

「マリー・アントワネットを殺しなさい」

 

新たな狩りが、始まろうとしていた。

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8000歳の『豚の帽子亭』のマスター(作者:三日坊主の三太郎)(原作:超かぐや姫!)

ヤチヨに至るまでの8000年…なんか見覚えあるなぁ…あ!メリオダスやん!▼ほな二人を混ぜ混ぜしましょうねぇ〜▼こういうやつです。▼ただし主人公はメリオダスに憑依したばかやろうとする


総合評価:1222/評価:8.45/連載:4話/更新日時:2026年04月02日(木) 18:55 小説情報

神代から弾かれたアマゾネス女王は、間桐桜を攫って聖杯戦争を壊す(作者:あかちゅきぼちゃん)(原作:Fate/)

神代の果て、アマゾネスの女王ヒッポリュテは妹ペンテシレイアの手を握ったまま、世界から弾かれた。▼次に目覚めたのは、第四次聖杯戦争前夜の冬木市。▼現代人としての原作知識を持つ彼女は、間桐へ渡される直前の少女――遠坂桜を救うため、ただ一つの選択をする。▼「なら、奪うしかない」▼だが、その選択は聖杯戦争を大きく歪ませる。▼桜に刻まれる令呪。▼狂戦士として召喚される…


総合評価:218/評価:6.29/連載:44話/更新日時:2026年05月09日(土) 20:52 小説情報

一般ファデュイはただ帰りたかっただけ。(作者:モラがない)(原作:原神)

もしも私が私ではなかったなら。平凡という名の幸福を喪失する痛みにさえ、人生における代償として受け入れられたのだろうか。


総合評価:280/評価:8.38/連載:6話/更新日時:2026年07月17日(金) 00:28 小説情報

強欲の旅人は神の恩恵を受けない(作者:ルクエリシオン)(原作:ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか)

キャスとの戦いの最中、混沌の裂け目に呑まれたバンは、神々と迷宮の世界へ辿り着く。▼そこは、神の恩恵によって人が強くなり、ファミリアに属する冒険者たちが魔石を求めて戦う世界だった。▼だが、バンは神の恩恵を受けない。▼ステイタスもない。▼ファミリアにも属さない。▼それでも彼は、飯を食い、酒を飲み、気に入らないものをどかしながら旅をする。▼魔石より肉。▼名誉より酒…


総合評価:1223/評価:7.67/連載:97話/更新日時:2026年07月25日(土) 16:56 小説情報

グロキシニア転生者が行くHUNTER×HUNTER(作者:霊槍って、良いよね)(原作:HUNTER×HUNTER)

 七つの大罪の世界でグロキシニアとして転生し、チャンドラーと相打ちになるという大金星を上げた主人公が気付けばHUNTER×HUNTER世界の暗黒大陸の世界樹の元にいた……というところから始まる話。▼ 


総合評価:5295/評価:8.41/連載:9話/更新日時:2026年07月27日(月) 19:33 小説情報


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