Fate/Grand Order ――反逆の堕天使と最後のマスター―― 作:MIDNIGHT
戦いが終わった。
誰もが、そう思った。
大空洞の奥に、拍手の音が響くまでは。
「見事だ」
緑色の帽子を被った男が、闇の中から現れた。
穏やかな笑み。
カルデアで何度も見かけた顔。
レフ・ライノール。
オルガマリーの表情が明るくなる。
「レフ!」
彼女は一歩踏み出した。
「無事だったのね! カルデアとの通信が不安定で、あなたの所在も――」
「無事?」
レフは笑みを深くした。
「もちろん無事だとも、オルガマリー。なぜなら私は、最初から巻き込まれていないからね」
オルガマリーの足が止まる。
キャスターが杖を構えた。
ルシファーの目が細くなる。
「こいつから離れろ」
低い声だった。
立香は反射的にオルガマリーの腕を掴む。
レフの視線がルシファーへ向いた。
その瞬間、余裕に満ちていた表情がわずかに崩れた。
「……何だ、君は」
初めて見せる驚き。
「アヴェンジャーではある。だが、この宇宙の英霊ではない」
レフの目が鋭くなる。
「神霊級に迫る霊格を持ちながら、人の英霊器へ押し込まれている。召喚記録も因果も存在しない。いったい誰が、そんな異物を人理の内側へ招いた?」
「私だよ」
立香が答えた。
レフは立香を見る。
「君が?」
「私が喚びました」
「意図せず、か」
レフはしばらく黙った後、愉快そうに笑った。
「それは面白い! 実に面白い誤算だ。計画から外れた唯一の異物が、最も価値のないはずの候補者によって喚び込まれたとは!」
「価値がないかどうかは、お前が決めることではない」
ルシファーが前へ出る。
黒い魔力が周囲へ満ちる。
「カルデアを破壊したのは、お前か」
「そうだ」
レフはあっさりと認めた。
「管制室へ爆弾を仕掛け、マスター候補とカルデアの中枢を破壊した。人理焼却を妨げる可能性がある者は、最初に排除する必要があったからね」
オルガマリーが震える。
「嘘よ」
「嘘ではない」
「あなたはカルデアを支えてきた! 父の代から、ずっと……!」
「だからこそ、最も簡単に壊せた」
レフの言葉は冷たかった。
オルガマリーの顔から、血の気が引いていく。
「それに君は、少し勘違いしている」
レフはオルガマリーへ手を向けた。
「オルガマリー、君は自分が生きていると思っているのかね?」
空間が歪んだ。
大空洞の奥に、巨大な球体が浮かび上がる。
『疑似地球環境モデル・カルデアス』。
本来ならカルデアの中央に存在するはずのものが、映像とも実体ともつかない姿で現れていた。
だが、本来は澄んだ蒼穹の表面を紅蓮の赤に染め上げていた。
「な、何よあれ――? あれが、カルデアスなの……?」
「そうだ、君が――アニムスフィアがそのすべてを捧げて創り上げたものだ」
呆然となるオルガマリーに、レフは慇懃な口調で告げた。
「教えてあげよう、オルガマリー。君の肉体は、管制室の爆発ですでに死亡している」
「何を……」
「君にはレイシフト適性がなかった。肉体を伴ってここへ来たのではない。死亡の直前、精神だけが偶然、この特異点へ転写された残照にすぎん」
オルガマリーは自分の手を見る。
「うそ――違う」
「触れられる。考えられる。苦痛も感じる。だから生きていると思ったのだろう」
「違う…私は……」
「君はもう、カルデアへ戻れない」
レフが指を鳴らす。
刹那、オルガマリーの身体が宙へ浮いた。
「所長!」
立香が腕を掴む。
だが、強い力に引かれ、指が滑る。
マシュもオルガマリーの身体を支える。
キャスターがルーンを放つ。
術式は空間の歪みに飲み込まれた。
ルシファーが翼を広げる。
黒い光輪がレフへ向く。
「離せ」
「撃つのかね?」
レフが笑う。
オルガマリーの身体が、ルシファーとレフの射線上へ引き寄せられた。
「君の出力なら、私ごと彼女を消し飛ばせるだろう」
ルシファーの光輪が揺れる。
攻撃は放たれない。
「卑劣な男だ」
「戦いとは、相手の弱点を使うものだよ」
「ルシファー、私に構わず――」
オルガマリーが言いかける。
「黙れ」
ルシファーが遮った。
「お前を救う」
「できないわよ!」
オルガマリーの声が震える。
恐怖が露わになっていた。
それまで必死に隠してきた、死への恐怖。
「私は死んでいるんでしょう!? 身体もない! 帰る場所もない! どうやって助けるのよ!」
「方法がないなら探す」
ルシファーが答える。
「世界が不可能だと言うなら、覆す」
「何よ、それ……」
オルガマリーの目から涙が流れた。
「そんな無茶苦茶なこと……」
「私のマスターも似たようなことを言う」
ルシファーは立香を見る。
立香は、オルガマリーの腕を離さない。
「所長、戻りましょう」
「戻れないって言われたでしょう!」
「それでもです!」
「私はあなたを追い出した! 何も期待していなかった! 役に立たない素人だと思っていた!」
「知ってます!」
「なら、どうして!」
立香は必死に手を伸ばす。
「助けたいからです!」
単純な答えだった。
オルガマリーの瞳が揺れる。
「私は……」
初めて、立香へ助けを求める顔をした。
「私は、まだ何も認めてもらっていない」
父にも。
魔術師たちにも。
カルデアの職員にも。
所長としての結果を残せないまま、すべてを失った。
「誰にも褒めてもらっていない。何もできていない。こんなところで終わりたくない……!」
「終わらせません!」
「助けて……藤丸!」
オルガマリーが手を伸ばす。
立香も手を伸ばす。
指先が触れた。
だが、その瞬間、レフが腕を振り下ろした。
空間の引力が増す。
立香の手から、オルガマリーの指が離れた。
「所長!」
マシュが飛び出す。
ルシファーも翼を広げた。
しかし、レフが作り出した境界が行く手を阻む。
オルガマリーの身体がカルデアスへ引かれていく。
「嫌……!」
彼女の声が響く。
「嫌よ! こんなの、嫌! まだ私は――!」
オルガマリーの身体は、カルデアスへと接触し――その炎のように燃える表層の中に、彼女の身体は溶けていった。
悲痛な慟哭を残して―――――
立香は叫んだ。
マシュも手を伸ばした。
だが、止められなかった。
ルシファーが光輪を放つ。
だが、その一撃は空間の歪みに阻まれ、レフの身体をわずかにかすめただけだった。
レフの頬に細い傷が走る。
彼は驚いたように血へ触れた。
「制限された状態で、この空間へ干渉するか」
ルシファーの瞳には、明確な怒りが宿っていた。
「次は外さない」
「恐ろしいな」
レフは笑った。
だが、その笑みには先ほどまでなかった警戒が含まれている。
「君は確かに予定外だ。人理焼却に何をもたらすのか、観察する必要がある」
「逃げるのか」
「今はね。君とまともに争う必要はない」
レフの身体が闇へ溶け始める。
「また会おう、最後のマスター。そして異世界の反逆者」
「待て!」
立香が叫ぶ。
レフの姿は消えた。
カルデアスの幻影も消える。
大空洞に残ったのは、静寂だけだった。
オルガマリーの姿は、どこにもない。
立香はその場に膝をついた。
「届かなかった……」
マシュも言葉を失っている。
キャスターはフードを深くかぶり、顔を隠した。
ルシファーは拳を握っていた。
爪が掌へ食い込み、血が流れる。
「私が……止められなかった」
立香が呟く。
ルシファーが振り返る。
「違う」
「でも、手を離した」
「離したのではない。奪われた」
「同じだよ」
「同じではない」
ルシファーは立香の前へ立った。
「敗北を忘れるな。だが、自分を責めることに逃げるな」
立香が顔を上げる。
「逃げる?」
「自分が悪いと思えば、すべてを自分の中だけで終わらせられる。だが、本当に責めるべき相手は別にいる」
ルシファーは、レフが消えた空間を見る。
「怒りを向ける先を間違えるな」
立香は唇を噛んだ。
悲しみは消えない。
悔しさも。
それでも、立ち上がらなければならない。
「次は……」
立香は立ち上がった。
「次は、絶対に止めます」
ルシファーは小さく頷いた。
「それでいい」