東方天命録~The Final Shape Begins~ 作:はならむ
互いに合流しイコラは、小さく安堵の息を吐いた。
「ところで――」
だが、その視線はすぐに二人の後ろへ移る。
そこには見慣れない少女が二人立っていた。
紅白の巫女服を身に纏う少女。
黒い魔女帽子を被った金髪の少女。
どちらも自分たちとはまるで違う装いをしている。
イコラは二人を静かに見つめた。
「……彼女たちは?」
その問いに、ガーディアンは隣を飛ぶゴーストへ目配せする。
ゴーストは小さく頷き、一歩前へ出た。
「二人は博麗霊夢と霧雨魔理沙」
「この『幻想郷』と呼ばれる世界の住民です」
「私たちがこの世界へ墜落した際、色々助けてもらい、ここまで案内してくださいました」
その言葉に、イコラの眉がわずかに動く。
「ちょっと待って……幻想郷、ですって?」
静かな驚きだった。
クロウが腕を組み、落ち着いた口調で続ける。
「おそらくだが、ここはトラベラーの内部じゃない」
「私達の知るどの惑星とも違う」
「……まるで異世界だ」
ゴーストも同意するように頷く。
「私もクロウの意見に賛成です」
「ここにはトラベラー特有の光を感じません」
「ゴースト同士の通信は可能ですが、トラベラーとの繋がりだけが完全に途絶えています」
イコラは何も答えない。
静かに目を閉じ、腕を組む。
森はしんと静まり返り、誰も口を開かなかった。
やがて彼女はゆっくりと目を開く。
「……なるほど」
「先ほどから何度もトラベラーとの交信を試みていたけれど、何も感じられなかった」
空を見上げ、小さく息を吐く。
「そういうことだったのね。」
彼女は改めて霊夢と魔理沙へ向き直る。
その瞳には先ほどまでの鋭さはなく、穏やかな光が宿っていた。
「私はイコラ・レイ」
「ガーディアンであり、ウォーロックよ」
そう名乗ると、彼女は二人へ静かに微笑んだ。
「よろしく」
突然話しかけられた霊夢は一瞬戸惑いながらも、慌てて頭を下げる。
「は、博麗霊夢。博麗神社の巫女よ」
魔理沙も帽子を軽く持ち上げた。
「霧雨魔理沙、普通の魔法使いだ」
「よろしく」
二人の表情がどこか強張っていることに気付いたイコラは、柔らかく微笑む。
「そんなに固くならなくていいわ」
「ガーディアンたちから話は聞いた」
「あなたたちのおかげで、ここまで無事に来られたそうね」
「本当にありがとう」
その真っ直ぐな感謝の言葉に、霊夢と魔理沙は思わず顔を見合わせた。
先ほどまで感じていた張り詰めた空気が、少しだけ和らぐ。
(……案外、優しい人だ)
二人は自然とそんなことを思っていた。
ケイドのように軽口を叩くわけでもない。
クロウのようにどこか影を感じさせるわけでもない。
目の前にいる女性は、静かな威厳と包み込むような優しさを併せ持つ人物だった。
その姿に、霊夢と魔理沙は知らず知らずのうちに肩の力を抜くのだった。
「…………」
霊夢と魔理沙への挨拶を終えると、イコラは一度周囲を見渡した。
ガーディアン。
クロウ。
そしてゴーストとグリント。
全員の無事を確認し、小さく安堵の息を吐く。
しかし、その表情はすぐに引き締まった。
「……ザヴァラ司令官は?」
その場の空気が少しだけ重くなる。イコラは静かに続けた。
「彼は一番先に、目撃者が作り出したベイルの歪みへ飛び込んだはずよ」
「所在は確認できた?」
ガーディアンはゆっくりと首を横に振る。
その隣でゴーストが前へ出た。
「……いいえ」
「私たちにも分かりません」
「ザヴァラ司令官がどこへ墜落したのかも、生体反応も確認できていません」
イコラの表情は変わらない。だが、その瞳にはわずかな緊張が宿っていた。
「理由は?」
ゴーストは静かに答える。
「この世界へ来てから、センサーに通常ではあり得ない誤差が発生しています」
「空間だけではありません」
「時間軸そのものにも異常が生じている可能性があります」
霊夢と魔理沙が首を傾げた。
「時間軸?」
「なんだそれ?」
ゴーストは頷く。
「はい、本来なら私たちは一定範囲内にいるガーディアンやゴーストの生体反応を探知できます。」
「ですが、この世界では反応が突然消えたり、届いたと思えば途切れたり……」
「まるで時間そのものが乱れているような状態です」
クロウも腕を組み、小さく頷いた。
「だから私達がここに到着したタイミングがおかしかったのはこの為か」
「ええ」
ゴーストは続ける。
「おそらく目撃者が開いたベイルの歪みを通過した際、空間だけでなく時間にも何らかの影響を受けたのでしょう」
森に静寂が訪れる。
イコラはしばらく考え込むと、小さく息を吐いた。
「……なるほど」
「つまり、ザヴァラが無事であっても」
「私たちとは別の場所、あるいは時間のずれた地点へ飛ばされている可能性があるということね」
「その可能性が最も高いと考えています」
ゴーストが静かに答えた。イコラはゆっくりと目を閉じる。
――ザヴァラ。
人類最後の砦であるシティを長年守り抜いた司令官であり、そして互いにヴァンガードを支えてきた戦友。
彼なら簡単に倒れる男ではない。
それでも、この未知の世界では何が起きても不思議ではない。
やがて彼女は静かに目を開いた。
その瞳には、司令官としての強い意志が宿っていた。
「……分かった」
「今は推測していても始まらない」
「まずは情報を集めましょう」
「ザヴァラなら必ず生きている。彼はここで死ぬような男ではないわ」
その言葉は、自分自身に言い聞かせるようでもあった。
クロウは小さく頷き、ガーディアンも静かに拳を握る。
ザヴァラの捜索。
それが、新たな目的の一つとなった。
「……それと」
静かな声が森に響く。
「現状を報告して」
その一言だけで、その場の空気が引き締まる。
ゴーストはすぐに前へ飛び出した。
「了解しました。まず、この世界についてです」
「事前に霊夢達から説明されましたがここは『幻想郷』と呼ばれる、私たちの世界とは完全に異なる世界です」
「人間だけでなく、妖怪、妖精、神々という存在が共存しています。例えるなら絵本やおとぎ話の世界です」
イコラは何も言わず、小さく頷く。ゴーストは続けた。
「ガーディアンはベイルの扉の寸前に際に船が墜落し、浮遊していた足場を駆使してなんとか扉を通ると博麗神社へ墜落し、そこで二人と出会いました」
「しかし同時に目撃者の軍勢……ドレッドが博麗神社を襲撃を受けました――ベイルの扉を通る前に私達を妨害してきた奴らです」
イコラの表情は微動だにしない。
「敵の規模は?」
「先遣隊と思われます。」
「指揮官を含む部隊で苦戦を強いられましたが全員の力をあわせて撃退しました」
「今のところ、幻想郷の住民の死者は確認されていません」
「ただ、彼女の神社は損壊しましたが――」
「そう……霊夢、ごめんなさい。本当に申し訳ないことをしてしまった。私から謝らせてほしい」
霊夢は慌てて手を横に振る。
「いやいや、あなた達のせいじゃないしあの目撃者って奴のせいなんでしょ!だから気にしないでっ!」
「……………」
イコラは深いため息をつく。
(目撃者……私の考えうる最悪の予感が的中するかもしれないわね……)
次はクロウが口を開く。
「その後、『八雲紫』という人物と接触した」
「幻想郷全体を管理している存在らしい」
ゴーストが補足する。
「当初、私たちは招かざる外来人として排除対象でした」
「ですが事情を説明した結果、例外として幻想郷への滞在を許可されています」
「ただし」
少し間を置く。
「現在、私たちは監視対象です」
「幻想郷の各地へ自由に立ち入ることは認められていません」
イコラは腕を組み、静かに目を閉じた。
――数秒。
誰も口を開かない。
そして彼女はゆっくりと目を開いた。
「……妥当ね」
「立場が逆なら、私も同じ判断を下すでしょう」
その言葉に、霊夢は思わず目を見開いた。
(……この人、凄い)
次から次へと信じ難い話が飛び込んでくる。
別世界。
妖怪。
神。
目撃者の軍勢。
幻想郷の管理者。
どれ一つとして常識では考えられないことばかりだ。
それなのに。
イコラは眉一つ動かさない。
驚くより先に情報を整理し、状況を分析している。
その落ち着きは、霊夢が今まで出会った誰とも違っていた。
魔理沙も腕を組みながら小さく苦笑する。
(……ケイドとは本当に大違いだな。あいつだったら『妖怪!?会ってみてぇ!』とか言い出して、真っ先に突っ込んでいくだろうな)
思わず肩を震わせる魔理沙とは対照的に、イコラはなおも冷静だった。
「他には?」
「目撃者について、新たに分かったことはある?」
ゴーストは静かに頷く。
「目撃者はこの世界、幻想郷を既に認識している可能性が高いです」
森を吹き抜ける風が、木々を静かに揺らした。
そして――。
「……実はそれに関連することについて、私からも報告しておくことがあるわ」
一同の視線が集まる。
「ベイルによって生じた歪みを通過した時のことよ」
イコラの声から、僅かに柔らかさが消えた。
「私はあの中で――トラベラーの悲鳴を感じた」
「……!」
ゴーストが反応する。
「悲鳴?」
霊夢が聞き返した。
「言葉ではなかった」
「声だったのかすら分からない」
イコラは目を閉じる。
「でも、苦しんでいた」
「それだけは分かった」
そして。
「同時に、いくつもの映像が脳裏をよぎった」
「見覚えのある建造物」
「シティを思わせる風景」
「かつて見たことがあるようで、どこか違う景色……」
眉を僅かに寄せる。
「現実の場所を見ているというより――」
「誰かの記憶を覗いているような感覚だった。」
「記憶……」
クロウが呟く。
「それが何なのかは分からない」
「トラベラー内部の性質なのか、目撃者によるものなのか……今の情報では判断できないわ」
イコラは目を開く。
「ただ――」
「その全てが、暗黒に侵食されていた」
森の空気が重くなる。すると。
「……実は」
ゴーストが静かに前へ出た。
「私も感じました」
「あなたも?」
「はい」
普段より低い声だった。
「ポータルを通過した瞬間……私にもトラベラーの悲鳴が届きました」
「遠くから助けを求めているような……」
「直接、意識へ流れ込んできたような感覚でした」
「…………」
イコラは黙った。
一人だけなら錯覚の可能性もある。
だが、ゴーストまで同じものを感じている。
そしてゴーストが何かに気付いた。
「……待ってください」
「どうしたの?」
「博麗神社で目撃者の軍勢、ドレッドと交戦した際――私は彼らから光と暗黒、その双方を検知しました」
イコラの表情が僅かに険しくなる。
「それは間違いない?」
「はい」
「それはつまり……」
ゴーストは一瞬躊躇した。
「まさか目撃者は、光と暗黒の両方を掌握したということですか?」
「…………」
沈黙。
やがてイコラは静かに首を横へ振った。
「完全に――とは断定できない」
「もしトラベラーが完全に掌握されているなら、私たちがあの悲鳴を感じ取れたことと矛盾する」
「トラベラーはまだ抵抗している」
「少なくとも、私はそう考えているわ」
ゴーストが小さく頷く。
「ただし――」
イコラの眼差しが鋭くなる。
「目撃者がすでに、光と暗黒の双方を自らの目的のために利用できる段階へ到達している」
「それは、ほぼ間違いないでしょうね」
「ドレッドが何よりの証拠よ」
魔理沙が顔をしかめた。
「なあ、あたし達あまりその、光や暗黒やら知らないけど……それって、相当まずいんじゃないのか?」
「ええ」
即答だった。
「かなりね」
「…………やっぱりか」
魔理沙の頬が引きつる。イコラは再び考え込んだ。
「……ここにオシリスがいれば」
そう、ぽつりと呟いた。
「もっといい仮説を立てられたでしょうけど」
ガーディアンが僅かに顔を傾ける。
「ベイルについて彼以上に詳しい人物は、今の私たちにはいない」
そして、一同を見渡す。
「――私の考えでは」
空気が変わった。
「ここからはあくまで私の仮説よ。確証はないから心の中だけに留めておいて――」
クロウもゴーストも、黙って耳を傾ける。
「まず、目撃者の目的そのものは変わっていない」
「奴が求めているのはトラベラー」
「そして――『最終形態』の完成」
霊夢が眉を寄せた。
「その最終形態って、結局何なの?」
イコラは少し考えた。
「……宇宙から、あらゆる可能性を奪うこと」
「可能性?」
「変化」
「選択」
「生と死」
「喜びも苦痛も」
「生きている限り生まれ続ける、あらゆる不確定なものを終わらせる」
そして静かに続けた。
「目撃者が『正しい』と考える、一つの永遠の状態へ――宇宙そのものを固定すること」
「…………」
魔理沙がなんとも言えない顔をした。魔理沙が難しい顔をする。
「……ごめん」
「何?」
「話がでかすぎて、いまいちピンとこないんだ」
魔理沙は頭を掻いた。
「宇宙を固定するとか可能性を消すとか言われてもなあ」
「もうちょっと分かりやすい例え、ないか?」
「そうね……」
イコラは少し考えた。そして霊夢と魔理沙を見る。
「例えば――あなたたちにも家があるでしょう?」
「そりゃあるぜ」
「ええ。家の中には家具がある」
「机、椅子、棚。壁には絵を飾るかもしれない。自分の好きな場所へ、自分の好きな物を置くでしょう?」
「ああ」
「なら――」
イコラは人差し指を立てた。
「その家そのものが宇宙だと考えてみて」
「家が宇宙……」
「そして、その中にある家具や飾り物が私たち」
「人間も、妖怪も、星も、文明も……宇宙に存在するあらゆるものが、その家に置かれた家具や装飾品」
霊夢も黙って聞いている。
「そして――目撃者は、その家の住人」
「…………」
魔理沙が眉を上げた。
「ただし、その住人は部屋の現状を気に入っていない」
「椅子の位置が気に入らない」
「机の向きも気に入らない」
「壁に掛けられた絵も気に入らない」
「家具が壊れることも、新しい物が増えることも、勝手に場所を変えることも気に入らない」
「だから目撃者は考える」
イコラの声が僅かに低くなった。
「『ならば、私が全てを正しい場所へ置き直せばいい』」
「…………」
「この椅子はここ」
「この机はここ」
「この絵はここ」
「そして――」
イコラは静かに告げた。
「一度完成した部屋は、二度と変えない」
魔理沙の表情が変わった。
「……なるほど」
「それが最終形態か?」
「かなり単純化しているけれどね」
イコラは頷く。
「目撃者にとって、今の宇宙は完成していない」
「生命は生まれ、変化し、争い、失い、死んでいく」
「だから自分が全てをあるべき場所へ配置し、最も正しいと考える瞬間で固定する」
「そうすれば――」
「誰も失わない」
「誰も間違えない」
「誰も苦しまない」
「なぜなら、もう何も変わらないから」
「…………」
霊夢の顔が露骨に険しくなる。
「それって、生きてるって言えるの?」
「私たちからすれば、そう思うでしょうね」
イコラは静かに答えた。
「でも、目撃者の考えは違う」
「目撃者にとって、変化は苦痛を生む」
「選択は間違いを生む」
「愛情は喪失を生む」
「ならば、その原因そのものを取り除けばいい」
「それを――」
「奴は『救済』と呼んでいる」
「…………」
魔理沙が顔をしかめる。
「いや、待てよ」
「それじゃ家具にされた私たちの意思はどうなる?」
「ないわ」
――即答だった。
「……は?」
「少なくとも、目撃者にとって重要ではない」
イコラは魔理沙を見る。
「あなたは自分の家の椅子を動かす時、その椅子に『ここへ移動してもいい?』と尋ねる?」
「…………聞かないな」
「目撃者から見た私たちも、それと同じ」
「私たちがどこにいたいのか」
「どう生きたいのか」
「明日何をしたいのか」
「そんなことは関係ない」
「目撃者自身が最も正しいと判断した場所へ配置する」
「そして、永遠にそこへ固定する」
霊夢が吐き捨てるように呟いた。
「……とんでもなく傲慢ね」
「ええ、その通りよ」
イコラは否定しなかった。
「でも――その傲慢さにも理由がある」
クロウがイコラを見る。
「目撃者の種族の話か?」
「そう」
――イコラは頷いた。
「かつて、目撃者を構成する者たちは宇宙に意味を求めた」
「自分たちはなぜ存在するのか」
「なぜ生命は苦しむのか」
「なぜ生まれ、失い、死ぬのか」
「この宇宙には何の目的があるのか」
「…………」
「彼らは、その答えを与えてくれる存在を求めた」
「宇宙に意味を与え、何が正しいのかを示してくれる絶対的な存在」
「いわば――神を」
幻想郷で暮らす霊夢と魔理沙には、少し奇妙に聞こえる話だった。
神ならば、幻想郷にもいる。
だがイコラが言っているものは、それとは意味が違うらしい。
「でも――」
イコラは静かに続ける。
「宇宙には、目撃者が求める神はいなかった」
風が木々を揺らした。
「…………」
「誰も答えてくれない」
「誰も宇宙に目的を与えてくれない」
「誰も『これが正しい』と決めてくれない」
――そして。
「それならば――」
イコラの眼差しが鋭くなる。
『我々の望んだ神がいないのなら、自身が求める神そのものになればいい――』
霊夢と魔理沙が黙り込む。
「誰も宇宙に意味を与えないなら、自分たちが与える」
「誰も正しい形を決めないなら、自分たちが決める」
「誰も苦痛を終わらせないなら、自分たちが終わらせる」
「そのために無数の意識を一つへ統合し――」
「今の目撃者になった」
魔理沙がぽつりと呟く。
「……神様が見つからなかったから」
「自分が神様になることにしたって?」
「そういうことよ」
「…………」
霊夢が腕を組んだ。
「神様っていうより、ただのとんでもなく傲慢な奴じゃない」
「幻想郷には神様なんて普通にいるけどな」
魔理沙も苦笑する。
「宇宙全部を家具扱いする奴は初めてだぜ」
だがイコラは笑わなかった。
「問題は――」
二人を見る。
「目撃者が、ただ自分を神だと思い込んでいるだけの存在ではないこと」
「…………どういうこと?」
「奴はすでにトラベラーの内部へ侵入した」
「私とゴーストはトラベラーの悲鳴を感じた」
「そして目撃者の軍勢であるドレッドから、光と暗黒の双方が検出されている」
「つまり――」
イコラの声が低くなる。
「目撃者は本当に、その理想を実現できるだけの力を手に入れかけている」
魔理沙の表情から、完全に軽さが消えた。
「……冗談じゃないんだな」
「ええ」
「宇宙全部を家具にするっていう話を、本当にやろうとしてる?」
「違うわ」
「?」
「もう、やろうとしている段階ではない」
イコラははっきり告げた。
「実行している最中よ」
「…………」
森に沈黙が落ちた。やがてクロウが口を開く。
「でも、完全には成功していない」
「そう」
イコラは頷く。
「トラベラーはまだ抵抗している」
「だから私たちは悲鳴を感じ取ることができた」
「そして――ここからが私の仮説の本題よ」
イコラは周囲を見渡した。
「もし目撃者が、すでに必要なものを全て手に入れていたのなら」
一拍。
「なぜ私たちを幻想郷へ誘導する必要があるの?」
クロウの目が細くなる。
「目撃者は知っている」
「私たちが必ず自分を追うことを」
「ガーディアンも、ザヴァラも、クロウも、私も」
「トラベラーの内部へ侵入する方法があるなら、どんな危険を冒してでも追跡する」
「だから目撃者は――」
イコラは地面へ視線を落とす。
「別の道を用意した」
霊夢が気づく。
「まさか……幻想郷へ繋がってた扉」
「ええ」
「ベイルによって生じた、もう一つの歪み」
「私たちは目撃者を追跡しているつもりで、その中へ飛び込んだ」
「でも、到着したのはトラベラーの内部ではなかった」
イコラは周囲の森を見渡す。
「この幻想郷だった」
クロウが低く呟く。
「……最初から誘導された」
「その可能性が高い」
「つまり、あの扉は――」
イコラは静かに告げた。
「私たちをトラベラーから引き離すための囮」
「…………」
魔理沙の表情が険しくなる。
「じゃあ、幻想郷は……」
「お前らを足止めするために巻き込まれただけなのか?」
「…………」
イコラは答えかけ――止まった。
「……いいえ」
「?」
「それだけでは説明できない」
ゴーストがすぐに反応した。
「ドレッド……ですね」
「そう」
イコラが頷く。
「私たちを隔離するだけなら、幻想郷へ送り込んでしまえば十分」
「なのに目撃者は、この世界へドレッドを送り込み霊夢、あなたの神社を襲撃した」
霊夢の顔が険しくなる。
「つまり――」
クロウが言う。
「奴は幻想郷そのものにも目的がある、ということか」
「そう考えるべきね」
イコラは霊夢と魔理沙を見る。
「あなたたちから聞いた話では、この世界には私たちの常識では測れないほど多様な存在がいる」
「妖怪」
「妖精」
「神」
「魔法使い」
「さらには、幻想郷そのものの境界へ干渉できる存在まで」
霊夢には誰のことかすぐ分かった。
「……紫」
「八雲紫ね」
イコラは頷いた。
「目撃者が、この世界に存在する力へ興味を持った可能性は高い」
「じゃあ、奪うつもりか?」
魔理沙が尋ねる。
「それも考えられる」
「でも――」
イコラは少し間を置いた。
「最初から全てを破壊するとは思えない」
「むしろ目撃者なら――」
その声が静かに響く。
「幻想郷にも、自らの『救済』を差し出すでしょうね」
「…………」
霊夢の目が細くなる。
「さっきの家具の話?」
「そう」
「争う必要はない」
「失う必要もない」
「忘れられることもない」
「人間も妖怪も、未来に怯える必要はない」
「自分が全てを永遠の形へしてやる――」
「そう持ちかける」
「…………」
魔理沙が顔をしかめた。
「いや、そんなもん誰が受け入れるんだよ?」
「受け入れる者がいるかもしれない」
イコラは冷静だった。
「喪失を経験した者」
「今の世界に絶望している者」
「二度と大切なものを失いたくない者」
「目撃者は、そういう心の傷を最大限に利用する」
霊夢の表情がさらに険しくなる。
「……それで」
「断ったら?」
イコラは霊夢を真っ直ぐ見た。
「迷わず排除する」
「…………」
「目撃者にとっては矛盾していない」
「救済を受け入れるなら、自分の望む形へ固定する」
「拒絶するなら――完成を妨げる存在として消す」
魔理沙が吐き捨てた。
「……本当にとち狂ったクソ野郎だな」
「ええ」
短く答える。
「だから私たちは奴を止めようとしている」
だが――クロウが眉を寄せた。
「待ってくれ。それなら目撃者は、トラベラーを侵食しながら幻想郷にも戦力を割いてることになる。なら」
「当然、力は分散する」
「……ええ」
「それって、目撃者自身も最終形態の完成を遅らせてるんじゃないのか?」
「…………」
イコラは沈黙した。
幻想郷へ扉を開く。
ドレッドを投入する。
幻想郷の住民へ干渉する。
それだけのことをすれば、当然リソースは割かれる。
「そうね」
イコラは静かに答えた。
「だから――まだ間に合う可能性がある」
「トラベラーはまだ抵抗している」
「目撃者も完全には掌握できていない」
「幻想郷へ戦力を割いているなら、その分だけ時間も必要になる」
僅かに。その場の空気が軽くなった。
だが――。
「…………」
イコラの表情だけは、晴れなかった。霊夢がそれに気づく。
「……何よ」
「まだ何かあるの?」
「…………」
イコラはしばらく答えなかった。やがて。
「普通なら――」
ぽつりと呟く。
「そう考えるでしょうね」
「普通なら?」
イコラの眼差しが鋭くなる。
「目撃者が、それを計算していないとは思えない」
全員が黙った。
「幻想郷が抵抗する可能性」
「私たちがあなたたちと協力する可能性」
「戦力を二つの世界へ割けば、トラベラーの掌握が遅れること」
「そんなことすら予測できない相手なら――」
イコラは静かに告げる。
「私たちは、ここまで追い詰められていない」
「…………」
風が吹いた。
木々の葉がざわめく。
霊夢が腕を組む。
「じゃあ……」
「私たちがこうやって抵抗することまで、あいつの予定通りってこと?」
「そこまでは分からない」
イコラは即答した。
「そこから先は、今の情報では判断できない」
「だから――これはあくまで仮説」
そして一同を見渡す。
「でも、一つだけ確かなことがある」
ガーディアン。
ゴースト。
クロウ。
霊夢。
魔理沙。
全員の視線がイコラへ集まる。
「目撃者が幻想郷への扉を開いた理由は、一つではない」
自分たちをトラベラーから遠ざけるため。
幻想郷そのものへ干渉するため。
この世界の力を利用するため。
自らの救済を押し付けるため。
そして――。
まだ、自分たちには見えていない何か。
「…………」
イコラは再び考え込む。
ここにオシリスがいたなら。
ベイルについて自分より遥かに深い知識を持つ彼なら、この空白に何を見るのだろう。
だが――今はいない。
自分たちだけで考えるしかない。
そして何より。
時間は無限ではなかった。
この幻想郷で自分たちが立ち止まっている間にも。
遠く離れたトラベラーの内部では――目撃者が、少しずつ。
確実に。
宇宙を永遠に止めるための準備を進めているのだから。