東方天命録~The Final Shape Begins~ 作:はならむ
イコラが目撃者についての仮説を語り終えると、魔法の森にはしばし重苦しい沈黙が降りた。
トラベラーの内部へ侵入した目撃者。
光と暗黒。
宇宙そのものを己が望む形へ固定する『最終形態』。
そして、ガーディアンたちを遠ざける囮であると同時に、目撃者自身の目的のために開かれた可能性がある幻想郷への扉。
あまりにも規模の大きな話に、霊夢も魔理沙もすぐには言葉を返せなかった。
そんな中――。
「…………」
ふと、イコラが辺りを見渡し始めた。
右へ。
左へ。
そして、自分たちが通ってきた森の奥へ。
何かを探すように視線を巡らせている。
その様子に気づいたゴーストが、ふわりと彼女のそばへ寄った。
「どうしました、イコラ?」
「……さっきから感じているんだけど」
イコラは周囲を警戒するように目を細めた。
「もしかして、他に誰かいるの?ザヴァラではないのは確かだけど」
「…………」
クロウの表情が変わった。
視線を僅かに逸らす。
どう説明すべきか迷っている――そんな顔だった。
「そのことなんだが、実はケイ――」
――その時だった。
「ここにいるよ」
イコラが思わず息を呑んだ。
彼女の背後から聞こえてきた声。
その声を――。
イコラが聞き間違えるはずがなかった。
「…………」
ゆっくりと。
恐る恐る。
イコラが振り返る。
木々の隙間から差し込む僅かな光の中に、一人の男が立っていた。
肩から垂れる、見覚えのあるハンタークローク。
使い込まれた装備。
そしてフードの奥から覗く、人間とは異なる機械仕掛けの顔。
青白く輝く瞳。
その姿を。
その顔を。
イコラは知っている。
知らないはずがない。
だが――。
そこにいるはずがなかった。
もう二度と。
会えるはずがなかった。
死んだはずの男。
ケイド6が――。
今、彼女の目の前に立っていた。
「酷いな、俺を忘れるなんて」
ケイドはいつもの調子で肩をすくめた。
「…………」
「まあ状況が状況だけに理解できないのは当たり前だ」
軽口を叩きながら、両手を軽く広げる。
「青司令官も許してくれるさ」
そして――。
「なあ、イコラ?」
「…………」
返事はなかった。
イコラは目を見開いたまま、ただケイドを見つめていた。
その異変は、事情を知らない霊夢と魔理沙にすら分かった。
先ほどまでの彼女とは、まるで違う。
幻想郷という未知の世界へ迷い込んだと知っても。
妖怪や神といった存在について聞かされても。
ザヴァラの行方が分からないと知っても。
目撃者がトラベラーを侵食している可能性を突きつけられても。
イコラは冷静だった。
常に状況を分析し、必要な情報を整理し、次に何をすべきかを考えていた。
その彼女が――今は明らかに動揺していた。
「……ありえない……」
掠れた声が漏れる。
「…………」
「こんなの……」
イコラが僅かに後ずさった。
「ありえない……!!」
「…………」
ケイドから笑みが消えた。
「目撃者が私達の精神を覗き込み……」
イコラの声が震える。
「記憶を呼び起こすのは……まだ耐えられる……」
目撃者は心を覗く。
忘れたい過去を。
失った者を。
後悔を。
罪を。
最も触れられたくない記憶を掘り起こし、本人へ突きつける。
それなら理解できる。
どれほど辛くとも、それが過去の幻影だと分かっているのなら耐えられる。
だが――。
これは違う。
目の前の存在は、あまりにも鮮明だった。
声も。
姿も。
仕草も。
くだらない軽口まで。
何もかもが――ケイドそのものだった。
「けどこれはぁ…………!!!」
言葉にならない。
イコラは拳を握り締めた。
今にも泣き出しそうなほど顔を歪めながら、それでも必死に感情を抑え込もうとしている。
そんな彼女を前に、ケイドは静かに口を開いた。
「なあイコラ、俺を見てくれ」
「……見えてるわ!」
鋭い声が森に響いた。
霊夢が僅かに肩を震わせる。
魔理沙も驚いたように目を見開いた。
「見えてる……!」
イコラの声が震える。
ケイドは何も言わず、その言葉を受け止める。
「お前が辛いのはよく分かる、俺だって――!」
「辛い!?」
その瞬間。イコラの中で張り詰めていた何かが、弾けた。
「あなたに一体何が分かるっていうの!?」
「…………」
「あなたはいつだってザヴァラや私に責任を全て押し付けて、無法者気取りで走り回っていた……!」
怒り。
悲しみ。
後悔。
ずっと言えなかった言葉が、次々と溢れ出していく。
ケイドは言い返さなかった。
「…………」
ただ黙って、イコラの言葉を受け止めている。
「私達は……」
イコラの声が掠れた。
「私達は……!」
その瞳が潤む。
「チームだったのに……!!」
「…………」
静寂。
森の木々が風に揺れる音だけが聞こえる。
霊夢と魔理沙は何も言えなかった。
二人の間に何があったのか。
どれほど長い時間を共に過ごしたのか。
何が原因で別れることになったのか。
何も知らない。
それでも。
イコラの表情を見れば、一つだけ分かる。
――大切だったのだ。
目の前にいる男が。
ケイドという仲間が。
失ったことを今も受け入れきれないほどに。
「…………」
ケイドが歩き出した。
一歩。
また一歩。
イコラを刺激しないように。
今にも泣き出しそうな彼女を宥めるように、ゆっくりと近づいていく。
イコラは逃げなかった。
やがて――。
二人の距離がなくなった。
「…………」
しばらく、互いに見つめ合う。
そして。
「そうだな」
ケイドが静かに言った。
冗談ではない。
いつもの軽口でもない。
ただ真っ直ぐに。
「だから――その」
イコラの瞳を見つめる。
「埋め合わせはするさ」
「…………」
イコラの瞳が揺れた。
すぐには答えなかった。
ケイドの言葉を確かめるように、その顔をじっと見つめる。
やがて。
「…………」
こくっ。
小さく頷いた。
荒れていた呼吸が、少しずつ落ち着いていく。
「分かった」
まだ声には僅かな震えが残っていた。
「ならちゃんと――」
イコラはケイドから目を逸らさない。
「埋め合わせしてもらうから――」
「…………」
次の瞬間。
どちらからともなく。
二人は互いへ腕を伸ばした。
そして――。
強く抱き合った。
「…………」
イコラの両腕がケイドの背中へ回る。
触れる。
硬いエクソの装甲。
使い込まれた装備。
腕から返ってくる、確かな感触。
幻ではない。
目撃者が見せた記憶でもない。
今。確かにここにいる。
もう二度と会えないと思っていた仲間が自分の腕の中にいる。
「…………」
イコラの腕に力が入った。
ケイドもまた、彼女を強く抱き締め返す。
いつもの軽口はなかった。
茶化すこともなかった。
ただ、互いの存在を確かめるように抱き合っていた。
その時――。
「…………」
イコラの瞳から。
一筋の涙が、静かにこぼれた。
頬を伝う。 声を上げて泣くことはない。
嗚咽を漏らすこともない。
ただ一筋。
ずっと押し込めてきた感情が溢れ出したように。
静かに涙が流れた。
霊夢は何も言わなかった。
魔理沙も。
クロウも。
ガーディアンも。
ゴーストも。
今だけは。
誰も二人の間に入ろうとはしなかった。
どれほど、そうしていただろう。
やがて。
ケイドが小さく口を開いた。
「よかったな」
「…………」
イコラはケイドを抱き締めたまま。
涙の跡を頬に残しながら答えた。
「寝ぼけたことをいうのは、埋め合わせをしてからにして」
「…………」
ケイドは一瞬だけ黙り。
やがて、どこか嬉しそうに答えた。
「はいよ」
「…………」
それを少し離れたところから見ていた魔理沙が、そっとゴーストへ顔を寄せた。
「……なあ」
「はい?」
魔理沙は二人へ視線を向けたまま、小声で尋ねる。
「……あの二人に何かあったのか?」
「…………」
ゴーストはすぐには答えなかった。
イコラとケイドを見つめ。
少しだけシェルを傾ける。
「まあ……」
ほんの僅かに間を置いて。
「色々と――」
「…………」
魔理沙も二人を見る。
そして。
「……そっか」
それ以上は聞かなかった。
今は、それだけで十分だった。
一度は永遠に失われたはずの仲間。
別れの言葉すら満足に交わせなかった二人。
イコラ・レイとケイド6は――。
故郷から遠く離れた幻想郷の地で。
び、互いの存在を確かめ合った。
それは誰一人として予想していなかった――。
運命の再会だった。