東方天命録~The Final Shape Begins~   作:はならむ

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第十八話:管理者からの依頼

次の日の翌朝――。

 

博麗神社には、一昨日までの惨状が嘘だったかのような穏やかな朝が訪れていた。

朝日を受けた鳥居は再び境内の入口に真っ直ぐ立ち、昨日まで大きな穴が開いていた社殿の屋根も綺麗に塞がれている。崩れていた壁や折れた柱、戦闘の余波で吹き飛ばされていた縁側もほとんど元の姿を取り戻しており、よく見れば真新しい木材の色や補修された石畳などに戦いの痕跡が残っているものの、昨日の惨状を知る者からすれば驚くほどの復旧ぶりだった。

 

境内の一角では、人里から来ていた大工達が道具をまとめている。その少し先ではヤマメが腰に手を当てながら社殿を見上げ、屋根から柱、縁側へと順番に視線を巡らせていた。

 

「うん。これならもう大丈夫だね」

 

「本当に?」

 

霊夢が念を押すように尋ねると、ヤマメは振り返って人懐っこく笑った。

 

「大丈夫、大丈夫。細かいところは後から少し手を入れた方がいいかもしれないけど、住む分には何の問題もないよ。屋根も直したし、柱も補強したから」

 

「…………」

 

霊夢は改めて自分の神社を見上げた。

昨日まで、そこには大きな穴が開いていた。壁は崩れ、柱は傷つき、縁側も一部が吹き飛んでいた。それが今では、注意して見なければ一昨日、あれほどの戦闘があったとは思えないほどに修復されている。

 

「……やっぱり早すぎない?」

 

「土蜘蛛だからね」

 

「その一言で全部済ませるのね……」

 

「便利だろ?」

 

「そういう問題じゃないわよ」

 

霊夢が呆れたように息を吐く。その横で魔理沙が笑い、人里の大工達も苦笑していた。

 

もちろん、ヤマメ一人だけで全てを直したわけではない。大工達も昨日から休みを挟みながら作業を続け、霊夢と魔理沙も片付けや資材運びを手伝った。イコラとクロウも慣れない作業ながら大工達の指示に従い、ケイドも途中で何度か休もうとして霊夢やイコラから睨まれながら、それでも最後まで仕事を続けていた。

 

中でもガーディアンの働きぶりは、大工達を何度も驚かせた。

四、五人は必要だと言われた太い梁を一人で肩に担ぎ、そのまま何事もないように指定された場所まで運ぶ。大量の瓦礫も黙々と片付け、疲れた様子も見せず次の仕事を求めるものだから、最後の方には大工達も重い物を見るたびに無言で彼の方を向くようになっていた。

そんな皆の協力もあり、博麗神社は僅か一日と一晩で、ほとんど以前の姿を取り戻していた。

 

「霊夢!」

 

石段の方から大工の一人が声を掛ける。

 

「俺達はそろそろ帰るぞ!」

 

「ええ!」

 

霊夢が振り返り、少し声を張った。

 

「みんな、本当にありがとう!」

 

「いいってことよ!」

 

「困った時はお互い様だ!」

 

「今度はもう少し平和な仕事で呼んでくれよ!」

 

「私だってそうしたいわよ!」

 

境内に笑い声が上がる。

 

ヤマメも片手を上げた。

 

「じゃあ、あたしも行くね」

 

「うん」

 

霊夢は彼女へ向き直り、少しだけ表情を柔らかくした。

 

「本当に助かったわ。ありがと」

 

「どういたしまして。また何かあったら呼んでよ」

 

「できれば、もうこんな修理では呼びたくないわね」

 

「そりゃそうだ」

 

ヤマメはケラケラと笑うと、大工達と共に石段を下りていった。しばらくは賑やかな話し声が聞こえていたが、それも次第に遠ざかり、やがて朝の風が木々を揺らす音だけが境内に残った。

 

霊夢は、改めて神社を見渡した。

 

朝日に照らされた鳥居。綺麗に整えられた石畳。真新しい木材の色がまだ残る社殿。そして、再び腰を下ろせるようになった縁側。

 

一昨日、この場所は戦場だった。見たこともない異形の軍勢が押し寄せ、銃声と爆発音が響き、自分の家が目の前で壊れていった。戦いが終わり、煙が消え、朝になって改めて惨状を見た時には、さすがの霊夢もすぐ元へ戻せるとは思っていなかった。

 

それが今では、こうしてほとんど元通りになっている。

完全に以前と同じというわけではない。新しい木材はまだ周囲から浮いているし、石畳にも補修の跡が残っている。それでも――ここは間違いなく、いつもの博麗神社だった。

 

「……終わったな」

 

隣に立っていた魔理沙が、箒を肩に担ぎながら満足そうに呟いた。

 

「そうね」

 

霊夢も小さく頷く。

 

「……終わったわね」

 

「いやあ、こうして見るとなかなか達成感あるな」

 

少し離れたところでケイドが腰に手を当てながら社殿を見上げると、クロウが横から冷静に口を挟んだ。

 

「お前は途中で何度も休憩しようとしていたがな」

 

「またその話かよ。あれは戦略的休憩だって言ったろ?」

 

「作業開始三十分で?」

 

今度はイコラから淡々とした指摘が飛んできた。

 

「効率よく働くには適度な休息が必要なんだよ」

 

「三十分ごとに?」

 

「…………」

 

ケイドは一瞬だけ黙り、視線を逸らした。

 

「……まあ、その辺は臨機応変にだな」

 

「言い訳ね」

 

「厳しいなあ」

 

魔理沙が吹き出した。

 

「ハハハ! でも最後までちゃんと働いてたじゃないか」

 

「だろ?」

 

「途中でサボろうとはしてたけどな」

 

「どっちの味方なんだよ!」

 

「事実の味方だぜ」

 

「なんだそれ!」

 

そのやり取りに、境内へ小さな笑い声が広がった。昨日まで銃声と爆発が響いていた場所とは思えないほど、穏やかな朝だった。

 

霊夢はそんな皆を順番に見た。

 

魔理沙。イコラ。クロウ。ケイド。ガーディアン。そして、それぞれの傍らを漂うゴースト達。

神社が壊された時には当然腹が立った。迷惑だとも思ったし、何より自分達とは何の関係もなかった戦いに巻き込まれたことへの苛立ちもあった。

けれど彼らは、誰一人として見て見ぬふりをしなかった。

自分達の世界から来た敵によって神社が壊されたことを気にしていたのだろう。瓦礫を運び、木材を運び、大工達の指示に従い、慣れない仕事を最後まで手伝ってくれた。

 

「……あんた達も」

 

霊夢が口を開くと、魔理沙達の視線が自然と彼女へ集まった。

 

「お疲れ様」

 

少しだけ気恥ずかしそうに視線を逸らしながら、それでも霊夢は続ける。

 

「感謝するわ」

 

ほんの僅かな間が空き、最初に笑ったのは魔理沙だった。

 

「まあ、困った時はお互い様だぜ」

 

「そうそう」

 

ケイドも大きく頷く。

 

「やっぱ持つべき味方は友だな」

 

「あなたが言うと軽く聞こえるわね」

 

イコラが横目で見る。

 

「なんでだよ」

 

「昨日、何度休もうとした?」

 

「またそこに戻るのか!?」

 

「忘れていないわ」

 

「イコラってこういうところ妙にしつこいよな」

 

「聞こえてるわよ」

 

「はい」

 

素直に返事をするケイドに、霊夢と魔理沙がまた笑う。

その笑いが落ち着いた頃、イコラは改めて霊夢へ向き直った。

 

「でも、私達もここでは世話になったんだもの。当然のことをしたまでよ」

 

一度だけ修復された社殿へ視線を向け、穏やかにそう言う。

霊夢は少しだけ目を細めた。昨日、壊れた神社の前でイコラは謝った。自分達の世界の戦争へ幻想郷を巻き込んでしまったことを、彼女なりにずっと気にしていたのだろう。

 

「……そう」

 

それ以上は何も言わず、霊夢は小さく頷いた。

そして最後に、ガーディアンを見る。

 

「…………」

 

ガーディアンも霊夢を見返した。

数秒。何も言わない。

そして、ゆっくりと右手を上げて、いつものサムズアップ。

 

「……あんたは本当にそればっかりね」

 

「彼なりの感謝への返事です」

 

ゴーストが横から説明する。

 

「本当に?」

 

「はい。多分」

 

「多分なの?」

 

「長い付き合いなので、大体は分かります」

 

「大体なのね……」

 

ガーディアンはもう一度、力強く親指を立てる。

 

「二回やっても意味同じでしょうが!」

 

「ハハハハ! いいじゃないか、分かりやすくて!」

 

魔理沙が腹を抱えて笑い、ケイドもガーディアンの肩を叩く。

 

「相棒、気持ちは伝わってるぞ!」

 

「あなたは余計なことしない!」

 

そんな穏やかな時間が、ほんの少しだけ続いた。

だが、やがてクロウが腕を組み直し、少しだけ真剣な表情になる。

 

「さて、これからどうする?」

 

その一言で、皆の空気も自然と切り替わった。

 

クロウはイコラを見る。

 

「一刻も早く、ザヴァラ司令官を探さないとな」

 

「ええ」

 

イコラもすぐに頷いた。

 

ザヴァラ。

 

彼もまた、自分達と共に目撃者を追ってベイルによって開かれた道へ突入し、この世界のどこかへ放り出されたはずだった。しかし、未だ所在は分かっていない。無事なのか、負傷しているのか、それすら確認できていなかった。

 

「まずは昨日までに分かっている情報を整理して――」

 

イコラがそう言いかけた、その時だった。

霊夢がふと顔を上げる。

 

「どうした?」

 

魔理沙が尋ねると、霊夢は境内の一角へ視線を向けた。

 

「……来たわね」

 

「何がだ?」

 

次の瞬間、何もなかったはずの空間に細い紫色の線が走った。それがゆっくりと左右へ開き、その向こう側に無数の目が浮かぶ奇妙な空間が姿を現す。

クロウ、ケイド、ガーディアンは僅かにそちらへ視線を向けただけで、武器へ手を伸ばすことはなかった。昨日すでに一度見ている。

一方、直接その現象を見るのが初めてのイコラは僅かに眉を寄せ、傍らのオフィウクスも中央の光をスキマへ向けた。

 

「……なるほど」

 

イコラが小さく呟く。

 

「これが例の『スキマ』ね」

 

「ええ、そうよ」

 

イコラは開かれた空間を観察しながら答える。

 

「八雲紫。幻想郷の境界を司る重要人物で、境界そのものへ干渉できる――そう聞いている」

 

「正確には『境界を操る程度の能力』ですね」

 

ゴーストが補足する。

 

「……あなた、凄い記憶力ね」

 

「必要な情報ですから」

 

その間にもスキマはさらに大きく開き、やがて中から一人の女性がゆっくりと姿を現した。

長い金色の髪。紫を基調とした華やかな衣装。手には扇子。そして、何を考えているのか一見しただけでは読み取れない、余裕のある笑み。

 

「あ」

 

霊夢が声を上げる。

 

「紫」

 

「ごきげんよう、霊夢、魔理沙、そして例の外来人達」

 

八雲紫はいつものように穏やかな笑みを浮かべながら境内へ降り立つと、まず修復された博麗神社を見渡した。

 

「随分綺麗になったじゃない」

 

「ヤマメ達のおかげよ」

 

「そう。ほとんど元通りね」

 

「一晩でね」

 

「土蜘蛛だもの」

 

「またそれかよ……」

 

ケイドが小さく呟く。

 

紫の視線が彼へ向き、僅かに笑みが深くなった。

 

「一昨日ぶりね」

 

「よう」

 

ケイドが軽く手を上げる。クロウも小さく頭を下げ、ガーディアンはいつものように片手を上げて親指を立てた。

 

「ふふ。あなたは相変わらずね」

 

「彼なりの挨拶です」

 

ゴーストが説明する。

 

「昨日見たから分かっているわ」

 

「理解が早くて助かります」

 

「そこで意気投合しないでよ」

 

霊夢が呆れたように言う。

紫はそんなやり取りを楽しそうに眺めた後、ゆっくりと視線を移した。

 

そして最後に、イコラで止まり、二人の視線が交わった。

 

「……………」

 

直接顔を合わせるのは、これが初めてだった。

紫は目の前の女性を興味深そうに観察する。幻想郷ではまず見ない、坊主頭のエキゾチックな雰囲気の黒人女性。紫色の装束、落ち着いた立ち姿、そして静かでありながら一切の隙を見せない目。昨日霊夢達から多少話は聞いていたが、実際に目の前にすると、相応の修羅場を潜り抜けてきた人物であることは容易に察せられた。

 

一方のイコラも、紫を静かに見つめていた。

名前は知っている。立場も聞いている。

だが、ゴーストからの報告と、実際に本人を目の前にするのとではまるで違った。

 

先ほど目の前で見せた空間への干渉。そして、霊夢や魔理沙が彼女を当然のように受け入れていること。それだけでも、この女性が幻想郷において極めて重要な立場にいることが分かる。

 

「あなたが、例のお仲間ね?」

 

紫が先に口を開いた。

イコラは僅かに目を細める。

 

「……あなたが八雲紫ね」

 

「あら」

 

紫が扇子を口元へ寄せる。

 

「私をご存じなの?」

 

「名前と、どんな立場の人物なのかだけは聞いているわ。一昨日、皆と再会した時に状況報告を受けたの」

 

イコラは一歩前へ出る。

 

「直接会うのは初めてね。私はイコラ・レイ」

 

「ええ。あなたのことも多少は聞いているわ」

 

「そう」

 

イコラは小さく頷いた後、少しだけ姿勢を正した。

 

「それと、幻想郷の人達には随分と世話になったわ。この場を借りて礼を言わせてもらう」

 

「ふふ。随分と礼儀正しい方なのね」

 

「当然のことよ。突然現れた私達を受け入れてもらった。それに――」

 

イコラは一度、修復された博麗神社へ視線を向ける。

 

「私達の世界の戦いに巻き込んでしまった」

 

紫は何も言わず、その言葉を聞いていた。

 

「だから、感謝しているわ」

 

「そう」

 

紫は扇子を閉じると、ほんの僅かに笑みを柔らかくした。

 

「なら、その言葉はちゃんとこの子達にも伝えたのかしら?」

 

「もう何回も聞いたわよ」

 

霊夢が横から答える。

 

「ちょっと気にしすぎなくらいね」

 

「霊夢」

 

イコラが少し困ったような顔をする。

 

「だって事実でしょう? 昨日も言ったじゃない。謝るくらいなら元凶をどうにかしなさいって」

 

イコラは少しだけ黙り、やがて静かに頷いた。

 

「ええ。必ず」

 

「ならいいわ」

 

紫はそんな二人のやり取りを、しばらく何も言わずに眺めていた。

昨日初めてガーディアン達を見た時と比べ、霊夢や魔理沙との間にある空気が僅かに変わっている。まだ出会って間もない。それでも、単なる侵入者と幻想郷の住人という関係ではなくなりつつあることを、紫は静かに見定めていた。

 

「それで?」

 

霊夢が腰へ手を当てる。

 

「今日は何しに来たの?」

 

「まあ、そう急かさないの」

 

「朝からわざわざ来たんでしょう?」

 

「用がなければ来てはいけないの?」

 

「暇つぶしなら帰っていいわよ」

 

「冷たいわねえ」

 

「いつものことだぜ」

 

魔理沙が笑う。だが、紫はそれ以上軽口を続けなかった。その視線がイコラ、クロウ、ケイド、ガーディアンへと順番に向けられ、先ほどまでの柔らかな笑みが僅かに薄くなる。

 

「実は最近、あなた達の言っていた例の……目撃者、だったかしら」

 

その名が出た瞬間、ケイドの表情から笑みが消えた。クロウも僅かに目を細め、ガーディアンは無言のまま紫へ身体を向ける。イコラも、その続きを促すように真っ直ぐ彼女を見た。

 

「最近、妖怪とも妖精とも言えない謎の者達が、幻想郷のあちこちに現れ始めているの」

 

しばらく、誰も口を開かなかった。

 

「少なくとも、これまでの幻想郷では見たことがないわ」

 

つい先ほどまで、修復された神社を見ながら笑っていた。しかし、その一言で全員の意識が昨日の戦いへ引き戻される。

 

ドレッド。

目撃者。

はたまた別の敵勢力か。

 

「……どの程度?」

 

最初に口を開いたのはイコラだった。

 

「まだ散発的よ」

 

紫は扇子を弄びながら答える。

 

「一昨日のような軍勢が一箇所に集まっているわけではない。ただ、幻想郷の各地で見慣れない者達を見たという報告が増えている。それも、昨日より確実にね」

 

「例の目撃者が送り込んでいるのか……」

 

クロウが険しい表情で呟く。

 

「その可能性は高いわ」

 

イコラも頷く。

 

「目的は分からない。でも、少なくとも昨日だけで終わるとは思わない方がいいでしょうね」

 

「ドレッドだけとは限りません」

 

ゴーストも続ける。

 

「目撃者がこちら側へ十分な戦力を送り込める状態なら、他の勢力が混ざっている可能性もあります」

 

紫はその言葉を聞きながら、扇子をゆっくりと開いた。

 

「そこで――あなた達に頼みがあるの」

 

その言い方を聞いた瞬間、イコラ達は何となくその先を察した。

最初に口を開いたのはクロウだった。

 

「……つまり、私達に対処してほしいと?」

 

紫の目が扇子の上からクロウを見る。

 

「ご名答」

 

霊夢が小さく息を吐き、魔理沙は「やっぱりか」とでも言いたげに帽子のつばへ触れた。

 

「生憎、私は幻想郷の管理者だから、どうしても手を離せないの。境界の監視も必要だし、各地で何が起きているのか把握する必要もある。今回のように外から来た存在が幻想郷のあちこちへ入り込んでいる以上、私が一箇所に付きっきりというわけにもいかないのよ」

 

紫はそう説明すると、霊夢と魔理沙へ視線を流した。

 

「だから、そこの霊夢、魔理沙と共に、各地に現れている敵の対処をしてもらいたい」

 

イコラはすぐには答えなかった。

目の前の女性が提示した言葉を、頭の中で一つ一つ整理する。

形としては「頼み」。

 

「あなた達の方が私達より相手の手札、知っているのでしょう?」

 

「そりゃあ、何百年も相手にしてりゃあな」

 

「では、利用しない手はないわ」

 

しかし紫の立場を考えれば、単なる善意の依頼ではない。幻想郷にいることを特例として許されている自分達が、幻想郷へ被害を及ぼしている自分達の世界の敵を放置する。それを、この管理者が許すとは思えなかった。

 

だからこそ、イコラは条件を明確にするために尋ねた。

 

「もし断れば?」

 

ケイドが僅かにイコラを見る。クロウも、ガーディアンも、そして霊夢と魔理沙も紫へ視線を向けた。

 

――紫は小さく笑った。

 

そして、扇子をゆっくりと広げて口元を隠す。その上から、細められた目だけが覗いた。

 

「嫌なら、即刻この世界からあなた方には消えてもらうわ」

 

境内の空気が、一瞬で張り詰めた。

ケイドから完全に軽口が消え、クロウも僅かに目を細める。ガーディアンも一切ふざけることなく、無言で紫を見返していた。

イコラだけは大きく表情を変えなかった。

だが、ゴーストから聞いていた「幻想郷の管理者」という言葉の意味を、今この瞬間に改めて理解した。

この女性は、単なる案内役でも相談役でもない。

幻想郷にとって異物である自分達を、必要とあれば排除する立場にある。

 

「けれど――」

 

紫は同じ穏やかな声音のまま続けた。

 

「あなた方が幻想郷のために協力してくれるというのなら、私はあなた達がこの世界に留まることを全面的に認めましょう」

 

「正式に?」

 

イコラが確認する。

 

「ええ。霊夢達と協力し、幻想郷各地に現れている者達を対処する限り、あなた達を外来人として特別にこの世界へ留まることを認める。それが私から提示する条件よ」

 

そして、僅かに笑う。

 

「多少派手な行動をしても、目を瞑ってあげるわ」

 

その瞬間、ガーディアンの肩が僅かに動いた。

 

「多少、ですよ」

 

ゴーストが即座に釘を刺す。

ガーディアンがゆっくりと親指を立てかける。

 

「そこで喜ばない」

 

霊夢が即座に睨んだ。

 

ガーディアンの手が途中で止まる。

ケイドが小さく吹き出した。

 

「相棒、もう少し隠せよ」

 

「あなたも煽らないで」

 

イコラからの一言で、ケイドも「はいはい」と口を閉じる。

 

ほんの一瞬だけ緩んだ空気の中で、紫はまだ話を終えていなかった。

 

「それに――」

 

再び全員の意識が彼女へ戻る。紫は扇子をほんの少し下げた。

 

「あなた方は、まだもう一人のお仲間を探しているのでしょう?」

イコラの表情が僅かに変わった。

 

クロウも、ケイドも、ガーディアンも、今度は誰一人として冗談めいた反応を見せない。

 

「幻想郷の各地を回り、目撃者の配下を対処していけばそのお仲間に辿り着ける可能性も高くなるはずよ。敵の手掛かりを探しながら仲間も探せる。悪い話ではないでしょう?」

 

紫は彼らを順番に見渡し、最後にイコラへ視線を戻した。

 

「どうかしら?」

 

静かな沈黙が落ちた。

イコラはすぐには答えなかった。

まず、ガーディアンを見る。

ガーディアンはイコラの視線を真っ直ぐ受け止めた後、一度しっかりと頷いた。次にクロウ。

 

「私は異論ない」

 

彼も迷うことなく頷く。最後にケイド。

普段の軽い調子は消えていた。

 

「俺達の世界から来た連中が、こっちで暴れてるっていうなら放っとくわけにはいかないな」

 

ケイドは一度、修復された博麗神社を見た。

昨日、目撃者の軍勢によって壊された場所。

それを見てから、霊夢と魔理沙へ視線を移す。

 

「それに、ここにいられるならその方が都合もいい。俺も賛成だ」

 

イコラは三人を見た。

誰一人、反対していない。

なら、答えは決まっている。

 

「分かったわ」

 

イコラは紫へ向き直った。

 

「引き受ける」

 

紫の目が僅かに細くなる。

 

「幻想郷各地に現れている目撃者の配下を、私達が霊夢達と共に対処する。その代わり、私達がこの世界に留まることをあなたは認める。そういう条件でいいのね?」

 

「ええ」

 

紫は扇子をゆっくりと閉じた。

そして、その顔に妖美な笑みを浮かべる。

 

「ふふ。話が分かる人達でよかったわ」

 

紫はイコラ、クロウ、ケイド、ガーディアンを順番に見渡した。

 

「では、この瞬間から、あなた達が幻想郷に留まることを正式に許可します」

 

昨日まで、彼らはこの世界にとってあくまで突然現れた外来人だった。霊夢達の協力と、紫の一時的な判断によって滞在していただけの存在――だが今、条件付きとはいえ、正式にこの世界へ留まることを認められた。

 

「霊夢」

 

「何?」

 

「魔理沙」

 

「なんだよ?」

 

「この人達と協力して頂戴」

 

「言われなくてもそうするわよ」

 

霊夢は当然のように答える。

魔理沙もニッと笑った。

 

「任せとけ。幻想郷の案内なら私達の方がずっと詳しいからな」

 

紫はそんな二人を見て満足そうに目を細めた後、再びイコラ達へ向き直った。

 

「多少派手な行動をしても許しましょう」

 

ケイドがゆっくりガーディアンを見る。

ガーディアンも、ゆっくりケイドを見る。

数秒、無言。

 

「……お前、今何考えた?」

 

「…………」

 

ガーディアンは答えない。

 

その横でゴーストが、何とも言えない様子で高度を下げる。

 

「嫌な予感しかしませんね」

 

「私もよ」

 

霊夢が即答した。だが紫は最後に、もう一度扇子をゆっくりと開いた。

口元が隠れ、その上から覗く目だけがガーディアン達を見据える。

 

「ただし――」

 

その一言だけで、先ほどまで僅かに緩んでいた空気が再び静まった。

 

「くれぐれも、私の期待を裏切ることのないように――」

 

誰もすぐには答えなかった。紫は笑っている。声音も穏やかだった。

それでも、その言葉が単なる冗談ではないことだけは、この場にいる全員が理解した。イコラは紫の目を真っ直ぐに見返す。

 

「そのつもりはないわ」

 

「そう」

 

紫は僅かに笑みを深くする。

 

「なら安心ね」

 

その瞬間、紫の背後に再びスキマが開いた。無数の目が浮かぶ奇妙な空間が姿を現し、紫はそこへゆっくりと一歩足を踏み入れる。

 

「じゃあ、後はよろしくね」

 

「ちょっと」

 

霊夢が眉を寄せる。

 

「丸投げじゃないでしょうね?」

 

「管理者は忙しいのよ」

 

「管理者さんってのは仕事大変なのかい?」

 

ケイドが何気なく尋ねると、紫は扇子を口元へ寄せた。

 

「大変よ。まあ、普段はほとんど寝て――――」

 

「寝て……?」

 

「…………なんでもございませんわ」

 

紫がそっと視線を逸らす。霊夢の目が細くなった。

 

「…………あんたまさか、こいつらを見張るとか言っておきながら、実は寝てたってオチじゃないでしょうね?」

 

「…………」

 

「紫?」

 

「では、後はよろしくね」

 

「逃げるな!ホント都合いいわね!」

 

「ふふ」

 

紫は楽しそうに笑った。

 

そして、最後にもう一度だけイコラ達へ視線を向ける。

 

「まあ、あなた方には多少は期待しているわ。せいぜい頑張ってください」

 

その言葉を残し、八雲紫の姿はスキマの中へ消えていった。

 

空間の裂け目もゆっくりと閉じ、やがて最初から何もなかったかのように消える。

 

……境内に静けさが戻った。

 

しばらく、誰も口を開かなかった。

そして。

 

「……なあ」

 

ケイドがぽつりと呟く。

 

「なんだ」

 

クロウが横を見る。

ケイドは紫が消えた場所を指差した。

 

「やっぱりあの女、笑顔なのに滅茶苦茶怖くないか?」

クロウは数秒考えるように黙り。

 

「今更だ」

 

「またそれかよ!」

 

魔理沙が吹き出した。

 

「ハハハハ!紫なんて昔からあんな感じだぜ!」

 

霊夢も呆れたように息を吐く。

 

「怒らせない方が身のためよ」

 

「先に言えよ!」

 

「言わなくても分かるでしょうが!」

 

「いやいや!」

 

ケイドは紫が消えた場所を両手で指差す。

 

「扇で顔隠して笑いながら『この世界から消えてもらうわ』だぞ!?俺の知ってる交渉とだいぶ違うぞ!」

 

「十分分かりやすいじゃない」

 

「幻想郷の基準どうなってんだよ!」

 

「慣れなさい」

 

「無理だ!」

 

境内に再び笑い声が広がった。

その中で、イコラだけはしばらく紫が消えた場所を静かに見つめていた。

 

「八雲紫……」

 

ゴーストから聞いていた。

幻想郷の境界を司る存在。

この世界の管理者。

だが、実際に会ってみて分かった。

報告で聞くより、遥かに食えない人物だ。

 

「どうだった?」

 

霊夢が横から聞く。イコラは少し考えた。

 

「あなた達とゴーストから聞いていた人物像より、随分と……」

 

言葉を選ぶ。

 

「油断ならない人ね」

 

「正解」

 

霊夢が即答した。

 

「でしょうね」

 

イコラは僅かに笑った。

そして、修復された博麗神社を見る。

昨日ここへ来た時、自分達はこの世界にとって異物だった。

突然現れた、外の世界の者達。

それが今、条件付きとはいえ、正式にこの世界へ留まることを認められた。ただし、その代わりに果たすべき役目ができた。

 

目撃者。

その配下。

 

幻想郷各地に現れ始めた、自分達の世界の敵。

 

そして、まだ見つかっていない仲間、ザヴァラ。

イコラは小さく息を吐くと、霊夢と魔理沙へ向き直った。

 

「霊夢。魔理沙」

 

「何?」

 

「どうした?」

 

二人が振り返る。

 

イコラは二人を見て、ほんの僅かに表情を緩めた。

 

「改めて、よろしく」

 

霊夢は一瞬だけ目を丸くした。

 

だが、すぐに肩を竦める。

 

「まあ、こうなった以上は仕方ないわね」

 

そう言いながら、その口元には小さな笑みが浮かんでいた。

魔理沙もニッと笑う。

 

「任せとけ。幻想郷を回るなら、私達以上の案内役はいないぜ」

 

「よし!」

 

ケイドが手を叩く。

 

「じゃあ正式にファイアチーム結成だな!」

 

「勝手にチームを付けるな、彼女達はガーディアンじゃない!」

 

クロウが即座に言う。

 

「まだ結成決定とは言ってないだろ!」

 

「言いそうだった」

 

「信用なさすぎだろ!」

 

その横で、ガーディアンがいつものように右手でサムズアップ。

 

「だから何でもそれで済ませるのやめなさいって」

 

霊夢が半眼になる。

 

「彼なりに『よろしく霊夢、魔理沙』と言っています」

 

ゴーストが説明する。霊夢はガーディアンを見る。

ガーディアンも、黙って霊夢を見る。その兜の妖しく光る三ツ目は最初は不気味であったが見慣れてくると、

 

 

『無口で謎のジェスチャーで会話しようとする変人』

 

 

にしか見えなくなる。

 

……数秒後。そして。霊夢は小さく息を吐いた。

 

「……はいはい」

 

僅かに笑う。霊夢がふと思い出したように口を開いた。

 

「……そういえば」

 

「何?」

 

イコラが振り返る。

 

「前に言ったでしょう。神社を直してくれたら、あんた達を居候させてあげるって」

 

「ああ……」

 

イコラも思い出したように、修復された社殿へ視線を向けた。

霊夢もつられるように振り返る。

昨日まで大きな穴が開いていた屋根も、崩れていた壁も、今でほとんど直っている。

 

「神社もほとんど直ったし、紫からここにいる許可も出た。だから約束通り――」

 

霊夢はイコラ、クロウ、ケイド、そしてガーディアンを順番に見渡した。

 

「あんた達、ここにいる間は博麗神社に泊まっていいわよ」

 

「助かるわ」

 

イコラが素直に礼を言う。クロウも小さく頷いた。

 

「ありがとう、霊夢」

 

「ただし」

 

霊夢が人差し指を立てる。

その一言に、ケイドが嫌な予感を覚えたように眉を上げた。

 

「……まさかと思うが?」

 

「一昨日言った通り、居候させる代わりに、家事とか掃除とか、その他諸々はちゃんとやってもらうからね」

 

「やっぱりタダじゃないのか」

 

「当たり前でしょうが」

 

霊夢が即答する。

 

「掃除、薪割り、水汲み、買い出し。人手が必要な時は手伝ってもらうわよ。働かざる者なんとやらってね」

 

「宿泊費が労働か……」

 

ケイドが腕を組んで唸る。

 

「嫌なら野宿でいいのよ?」

 

「分かった分かった、喜んで働かせてもらうとも!」

 

「切り替え早いな」

 

魔理沙が笑う。その横で、ガーディアンが無言で力強く親指を立てた。

霊夢はそんな彼を見て、少しだけ目を細める。

 

「……あんたは昨日の働きっぷりを見る限り、大丈夫そうね」

 

「おい、なんで相棒だけ信用されてるんだよ?」

 

「普段の行い」

 

「まだ知り合ってまだ数日だぞ!?」

 

「数日で十分分かったわ」

 

「ひどくないか!?」

 

境内に笑い声が広がる。

イコラはそんなやり取りを眺めながら、ほんの僅かに表情を緩めた。

こうして――。

幻想郷に滞在する正式な許可を得た彼女達は、ザヴァラを見つけるまでの間、博麗神社に居候することになったのだった。

 

「とまあ、これからよろしく――」

 

朝の風が、博麗神社の境内を吹き抜けていく。

修復されたばかりの軒先が小さく音を立て、木々の葉が穏やかに揺れる。

昨日まで戦場だった場所には、確かに日常が戻り始めていた。

だが同時に、幻想郷の各地では別の何かが静かに動き始めている。

 

 

目撃者。

ドレッド。

そして、別の敵勢力。

 

 

幻想郷のどこかで、彼らの世界から流れ込んだ戦火が少しずつその範囲を広げ始めていた。

それを止めるため。

 

そして、未だ行方の分からない仲間を探すため。

 

博麗霊夢。

霧雨魔理沙。

 

そして、異なる世界からやって来たガーディアン達。

昨日まで偶然共に戦っていただけだった彼らは、この日、八雲紫の許可の下、正式に同じ目的を持って幻想郷を巡ることになった。

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