東方天命録~The Final Shape Begins~   作:はならむ

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第十九話:ハイヴ襲来

「……というわけで」

 

霊夢が振り返り、イコラ達を見る。

 

「これからしばらく、あんた達にも働いてもらうことになりそうね」

 

「ま、仕方ないな」

 

ケイドが肩を竦める。

 

「宿代代わりだと思えば安いもんだ」

 

「誰が宿を提供するって言ったのよ」

 

「え?」

 

「え?じゃない」

 

「相棒」

 

ケイドが隣のガーディアンを見る。

 

「野宿だってさ」

 

「…………」

 

ガーディアンは特に気にした様子もなく、力強く親指を立てた。

 

「お前は本当にどこでも生きていけそうだな……」

 

クロウが呆れたように呟く。その横でイコラは僅かに苦笑していたが、やがて表情を戻すと、紫が消えた空間へもう一度目を向けた。

 

「いずれにしても、私達にとって悪い条件ではないわ。目撃者の軍勢が幻想郷各地へ散っているなら、放置するわけにはいかない。それに各地を回れば、ザヴァラを見つけられる可能性も高くなる」

 

「そうだな」

 

クロウも頷いた。

 

「司令官がどこにいるのか分からない以上、動きながら探すしかないな」

 

幻想郷へ突入した後、未だ合流できていない最後の仲間、ザヴァラ。無事であると信じてはいる。それでも、一刻も早く居場所を突き止めたいという思いは全員同じだった。

 

「なら決まりね」

 

霊夢が腰へ手を当てる。

 

とりあえず、まだ修繕が必要な部分は後々やるとして――」

 

するとイコラがこう言う。

 

「とりあえず、今から私の船から使える物資を運ぶわ。霊夢、ここに持ってきても構わないかしら?」

 

「構わないけど、危険なものじゃないでしょうね?なんせあなた達の物はあたし達からすれば未知な部分が多すぎるから。爆発したりするのはごめんよ」

 

と、多少警戒気味の霊夢。

 

「心配いらないわ。扱い方には慣れているから」

 

「イコラがそういうなら心配ないか――いいわ」

 

「ありがとう。ガーディアン達も一緒にきて手伝って」

 

「ついでに霖之助君にも世話になったと挨拶しておかないとな――」

 

彼らは頷き、作業に取りかかろうとした。

 

――その時だった。

 

「――霊夢さぁぁぁん!!」

 

「…………?」

 

突然、遠くから少女の叫び声が聞こえた。

霊夢が顔を上げる。魔理沙も空を見る。

 

「今、誰か呼ばなかったか?」

 

「呼んだわね」

 

そしてもう一度。

 

「魔理沙さぁぁぁん!!」

 

今度は明確だった。

声は急速に近づいてくる。

 

「この声……」

 

霊夢が目を細めた。

やがて山の方角とは反対側、霧の湖方面から、一人の少女が猛烈な勢いで飛んでくる姿が見えてきた。

 

「霊夢さーん!魔理沙さーん!」

 

「……もしかして大妖精か?」

 

魔理沙が呟く。

 

間違いない。緑色の髪を揺らしながら、背中の羽を必死に動かして飛んでくるのは大妖精だった。しかし、普段の穏やかな彼女とは明らかに様子が違う。顔には焦りが浮かび、呼吸も乱れている。何度も後ろを振り返りながら飛んできた大妖精は、ほとんど飛び込むような勢いで境内へ降り立った。

 

「れ、霊夢さん……! 魔理沙さん……!」

 

「あんた、大妖精じゃないの」

 

霊夢が近づく。

 

「そんなに慌ててどうしたのよ」

 

「た、大変なんです……!」

 

大妖精は膝へ手をつき、肩を大きく上下させながら必死に呼吸を整える。それでも休んでいる余裕などないのか、すぐに顔を上げた。

 

「霧の湖が……今、変な妖怪に襲われていて……!」

 

「妖怪?」

 

霊夢が眉を寄せる。あの湖周辺に現れる妖怪……それだけなら、それほど珍しい話でもない。少し考えて、真っ先に思い浮かんだ名前を口にする。

 

「あの辺だと……ルーミアかしら?」

 

「違います!」

 

大妖精は勢いよく首を横へ振った。

 

「ルーミアちゃんじゃありません!ルーミアちゃんも襲われてるんです!」

 

「ルーミアも?」

 

魔理沙の表情が変わった。

 

「じゃあ何が暴れてるんだ?」

 

「分からないんです……! 今まで見たこともない奴らで……!」

 

大妖精は必死に記憶を辿りながら説明する。

 

「なんか……ニンゲンみたいなんですけど、ニンゲンじゃなくて……骨と皮だけみたいな、すごく気持ち悪いのがたくさんいて……!」

 

「骨と皮?」

 

霊夢が首を傾げる。

 

「はい! それが『キシャー!』って叫びながら、ものすごい数と勢いで襲いかかってきたんです!」

 

「…………」

 

その瞬間、イコラの表情が僅かに変わった。クロウも大妖精を見る。

ガーディアンは何も言わなかったが、先ほどまでの気の抜けた雰囲気が消えていた。大妖精はその変化に気づかないまま続ける。

 

「それだけじゃありません! もっと大きくて……鎧みたいなのを着て、剣と盾を持ってる奴もいます! すごく力が強くて、チルノちゃんの攻撃を受けても全然怯まなくて……!」

 

「…………」

 

今度はケイドからも笑みが消えた。

 

「それから、空中に浮いてる奴もいるんです!」

 

大妖精は両手を広げる。

 

「なんか足のない魔法使いみたいな奴で……ずっと宙に浮きながら変なものを撃ってきて! そいつらがいっぱい現れて……!」

 

そこまで聞けば、もはや疑いようがなかった。

イコラが低く呟く。

 

「ニンゲンのようでニンゲンではない、骨と皮だけのような姿……剣と盾を持った大型の戦士。そして空中を浮遊する足のない魔術師……」

 

「まさか……」

 

ゴーストも反応する。ケイドはゆっくりと腰のホルスターへ手を伸ばし、クロウも同じように武器を確認する。

ガーディアンは既に戦闘へ向かう者の立ち姿へ変わっていた。

 

その様子を見て、霊夢が眉を寄せる。

 

「……え、まさか?」

 

大妖精もようやく気づいた。

 

「あなた達……知ってるんですか?」

 

「…………」

 

ケイドがイコラを見る。イコラが頷く。

そしてケイドは、普段の軽口を完全に消した声でその名を口にした。

 

「……ハイヴか」

 

「可能性は極めて高いな」

 

クロウも頷く。

 

「説明された特徴が一致しすぎている」

 

「ハイヴ……」

 

霊夢が聞き返す。

 

「あんた達そういえばそんなこと言ってたわね、ハイヴだかなんとか――」

 

ゴーストが大妖精へ向き直る。

 

「確認させてください。最初に言っていた個体は、痩せ細った体躯で腕が長く、身体を前屈みにして襲ってきませんでしたか?」

 

「え? あ、はい!そんな感じです!」

 

「剣を持った個体は、それより遥かに大きかった?」

 

「はい!」

 

「空を飛んでいた個体は、長い衣のようなものを纏っていましたか?」

 

「そうです!まさにそんな感じでした!」

 

「……間違いありません」

 

ゴーストがガーディアンを見る。

 

「スロール、クリーバータイプのナイト、ウィザードです」

 

ガーディアンが静かに頷いた。

 

「スロール?」

 

魔理沙が聞き返す。

 

「大妖精さんが最初に説明した個体です。ハイヴの中でも下級の兵士で、非常に凶暴で、単体ならそこまで強くはないですが基本的に群れで襲いかかってきます。剣と盾を持っているのがナイト。そして空中を浮遊している魔法使いみたいなのがウィザードです」

 

「………………」

 

魔理沙は腕を組む。

 

「つまり、そいつらが霧の湖に大量発生してるってわけか」

 

「はい……!」

 

大妖精が強く頷いた直後、その表情が再び曇った。

 

「それで……チルノちゃんとルーミアちゃんが、今も頑張って戦ってるんです」

 

「…………!」

 

霊夢の目つきが変わった。

 

「二人だけで?」

 

「私も一緒に戦ってたんですけど……どんどん増えてきて……。チルノちゃんが『あたいが食い止めるから霊夢を呼んできて!』って……ルーミアちゃんも残ってくれて……」

 

「チルノが……」

 

魔理沙が湖の方角を見る。イコラはすぐに口を開いた。

 

「直ちに向かうべきね」

 

その声には一切の迷いがなかった。

 

「もし本当にハイヴなら、一刻を争うわ」

 

霊夢がイコラを見る。

先ほどまでとはまるで違う。

ケイドもクロウも、ガーディアンも。

全員が大妖精の話を聞いた瞬間から、明確に警戒している。

昨日ドレッドを目の前にした時と同じ――いや、それ以上に「知っている敵」と対峙する者達の反応だった。

 

「……そんなに危険なの?」

 

霊夢が尋ねる。

イコラは即答した。

 

「危険どころの話じゃないわ」

 

「そ、そんなに?」

 

その言葉の強さに、霊夢も魔理沙も黙った。

イコラは湖の方角へ視線を向けながら続ける。

 

「ハイヴは単に人を襲う怪物じゃない。星々を渡り歩き、数え切れないほどの文明を滅ぼしてきた種族よ。私達人類とも、何百年にもわたって戦争を続けている」

 

「何百年……?」

 

魔理沙が思わず聞き返す。

 

「ええ。そして、スロールだけならまだしも、ナイトとウィザードまでいるのなら、偶然数体が迷い込んだとは考えにくい」

 

クロウも同意する。

 

「ある程度統率された部隊が侵入している可能性が高いな」

 

「……部隊」

 

霊夢が呟く。

 

「つまり」

 

魔理沙の表情からも完全に笑みが消えた。

 

「軍隊ってことか?」

 

「その可能性は高い」

 

「…………」

 

大妖精は不安そうにイコラ達を見つめていた。

先ほど紫が話していた、幻想郷各地へ現れ始めている目撃者の配下。その話が終わった直後に、今度は霧の湖へ正体不明の軍勢が出現した。するとクロウが、

 

「ただ、ハイヴは目撃者が送り込んだとは考えにくい。奴らは直属の配下ではないはずだ」

 

偶然と考えるには、あまりにも出来すぎている。だが。

 

「もちろん、目撃者の軍勢とは限らないわ」

 

イコラが静かに言った。

 

「え?」

 

霊夢が振り返る。

 

「ハイヴは目撃者と深い関わりを持つ種族だけれど、すべてのハイヴが目撃者へ直接従っているわけではない」

 

「じゃあ、別の奴が送り込んだ可能性もあるってこと?」

 

「ええ。おそらく裏で手引き、関与している者がいる。考えられるのは二人しかいない――」

 

イコラの脳裏に、いくつかの存在が浮かぶ。

 

ハイヴを率いる者達。

 

狡猾と欺瞞を司る漆黒の女王。

 

戦争そのものを体現する破壊の女神。

 

 

「サバスン、あるいは――」

 

「シヴ・アラス」

 

 

霊夢は「ん?」と首を傾げる。

 

「シヴ……なんとかは知らないけどサバスン……一昨日、クロウがそんな名前言ってたような気がするけど」

 

「ああ、あいつらとは幾度となく対峙してきたと確かに言った」

 

「なんなんだそいつら?」

 

「ハイヴを統べる神々、いや邪神ね」

 

イコラは短く答える。

 

「神…:……?」

 

「ただ、今はまだ何も分からない。目撃者の指示なのか、彼女達のどちらかが関与しているのか、それとも別の理由なのか――ここで推測していても仕方がないわ」

 

「だな」

 

ケイドが切り札を確認する。

 

「現物を見りゃ少しは分かる」

 

「それに」

 

クロウが大妖精を見る。

 

「今は原因を考えるより、残っている君の友達二人を助ける方が先だ」

 

「…………!」

 

大妖精が何度も頷いた。

 

「はい!」

 

「なら決まりね」

 

霊夢はそれ以上迷わなかった。

ふわりと身体を浮かせる。

 

「みんな、行くわよ!」

 

「ああ!」

 

魔理沙も箒を手に取る。

 

「チルノとルーミアがまだ戦ってるんだろ? だったら急がないとな」

 

イコラもオフィウクスへ視線を向ける。

 

「行くわよ」

 

淡い光が集まり、彼女の前にスパローが実体化した。続いてクロウも自らのスパローを呼び出し、ガーディアンの傍らにも見慣れた機体が姿を現す。

 

そして。

 

「よし」

 

当然のようにケイドがガーディアンの後ろへ跨った。

 

「今日もよろしくな、相棒」

 

「…………」

 

ガーディアンが振り返り、勢いよくサムズアップ。

 

「だから今それやってる場合じゃないでしょうが!」

 

霊夢の怒声が飛んだ。

 

「大丈夫だ! こいつにとっては準備完了の合図みたいなもんだから!」

 

「そんなこと説明してる暇があるなら早く行くわよ!」

 

そのやり取りを呆然と見ていた大妖精が、ふと首を傾げた。

 

「そういえば……」

 

「?」

 

「あなた達って、一体……?」

 

大妖精からすれば当然の疑問だった。

昨日の戦いに居合わせていなかった彼女は、目の前にいる異様な四人組が何者なのか知らない。

 

「外から来た人間だ、今はそれだけにしておけ」

 

霊夢は一瞬だけ彼女を見ると――すぐに空へ飛び上がった。

 

「さあ、説明は後!今はチルノとルーミアを助けるのが先よ!」

 

大妖精の表情が引き締まる。

 

「……はい!」

 

魔理沙も箒へ跨り、地面を蹴る。

 

「行くぜ!」

 

――直後。

 

――ギュオォォォォォン!!

 

 

三台のスパローが一斉に唸りを上げた。

 

「ひゃっ!?」

 

初めて聞く轟音に大妖精が空中で飛び上がる。

 

「な、何ですかそれ!?」

 

「説明は後だって言ったでしょう!」

 

「これもなんですか!?」

 

「私に聞かないで!」

 

「ハハハ!そのうち慣れるって!」

 

ガーディアンの後ろからケイドの楽しそうな声が飛ぶ。

 

「お前は少し黙っていろ!」

 

クロウの怒声が続いた。

先ほどまで穏やかだった博麗神社の境内が、一瞬にして慌ただしくなる。霊夢と魔理沙、大妖精が空へ舞い上がり、その下をイコラ、クロウ、そしてケイドを乗せたガーディアンのスパローが猛烈な速度で走り出した。

 

目指すは霧の湖。

 

そこでチルノとルーミアが、自分達の知らない異世界の怪物を相手に戦っている。そして――イコラ達だけは知っていた。

 

スロール。

ナイト。

ウィザード。

 

それらはハイヴという途方もなく巨大な脅威の、ほんの一端に過ぎない。

 

霊夢と魔理沙、大妖精が空を、その下では三台のスパローが一斉に走り出し、木々の間を猛烈な速度で駆け抜けていった。

 

「大妖精!」

 

先頭を飛ぶ霊夢が振り返る。

 

「敵の数は?」

 

「とにかくいっぱいいます!」

 

その時だった。ガーディアンの傍らを飛んでいたゴーストが、不意に高度を上げた。

 

「これは」

 

「…………」

 

ガーディアンが僅かに速度を落とす。

 

「どうした?」

 

ケイドが尋ねる。

 

ゴーストの中央眼から淡い光が伸び、進行方向――霧の湖がある方角へ向けられた。

 

「前方に複数の生命反応を検知」

 

イコラがゴーストを見る。

 

「数は?」

 

「待ってください。走査範囲を拡大します」

 

ゴーストのシェルが僅かに開き、中央の光が強くなる。

数秒。そして。

 

「…………!」

 

ゴーストの声が変わった。

 

「……………」

 

「どうしたの?」

 

霊夢が飛びながら振り返る。ゴーストは生命反応の特徴を照合する。一つや二つではない。

 

多数。しかも、その生体反応には明確な特徴があった。

ガーディアン達にとって、あまりにも見慣れたもの。

 

「生命信号を照合――一致しました」

 

ゴーストが告げる。

 

「間違いありません、ハイヴです!」

 

「やはり…………!」

 

イコラの表情が一気に険しくなる。

クロウが即座に武器を確認し、ケイドもガーディアンの後ろで身体を起こした。

 

「やはりあいつらか!」

 

「数は?」

 

イコラがもう一度尋ねる。

 

「多数。正確な数はまだ把握できません。ただし、複数の異なる反応があります」

 

「異なる?」

 

魔理沙が聞き返す。

 

「はい。小型反応が多数。それより大型の個体が複数。そして――空中にも生命反応があります」

 

その言葉だけで。イコラ達には十分だった。

 

「スロール、ナイト、ウィザード……」

 

クロウが低く呟く。

 

「彼女の証言と一致するな」

 

「ええ」

 

イコラは前方を見る。

 

既に遠くには、朝日に照らされた霧の湖が見え始めていた。

 

「偶然迷い込んだ程度の数ではなさそうね、やはりこれはハイヴの一部隊よ」

 

大妖精の顔も青ざめた。

 

「じゃ、じゃあ……チルノちゃんとルーミアちゃんは……!」

 

「だから急いでいるの」

 

イコラが答える。

 

「二人がまだ持ち堪えているうちに合流する」

 

ガーディアンがスロットルへ手をかけた。

 

「…………」

 

そして一気に開く。

 

――ギュオォォォォォン!!

 

スパローが急加速した。

 

「うおっ!? 相棒、いきなり飛ばすな!」

 

「ケイド!」

 

「分かってる、落ちねえよ!」

 

その横をクロウとイコラも加速していく。

 

「みなさん!」

 

大妖精が叫ぶ。

 

「もうすこしです!」

 

霧の湖が見える。そして。

その遥か向こうから――。

微かに。何かが爆発する音が響いた。

 

「…………!」

 

大妖精の表情が変わる。

 

「チルノちゃん……!」

 

「全力で行くわよ!」

 

霊夢と魔理沙も一気に速度を上げた。

その瞬間から、もはや誰一人として会話を続けようとはしなかった。

 

ゴーストが捉えた多数の生命信号。

 

……ハイヴ。

 

ガーディアン達が何世紀にもわたって戦い続けてきた敵が、今――幻想郷の霧の湖にいる。

 

 

霧の湖。

 

朝の陽光は、白く漂う霧に遮られ、湖面へ届く頃には淡くぼやけていた。

普段ならば、妖精達の笑い声や、水面を跳ねる音がどこからともなく響いている場所だ。騒がしいと言えば騒がしいが、それもこの湖にとってはいつものことだった。

だが今。

その霧の中に響いているのは、笑い声ではない。

 

「キィィィィィィッ!!」

 

耳障りな甲高い咆哮。続いて、地面を掻きむしるような無数の足音。

湖畔を覆う白い霧の向こうから、いくつもの黒い影が飛び出した。

人のようで、人ではない。

痩せ細った身体にはほとんど肉がなく、骨と皮だけになった死体が無理矢理動いているようにも見える。異様に長い腕を前へ垂らし、背中を丸め、時には四つん這いになりながら地面を蹴る。

一体。

二体。

十体。

その後ろからも。

 

そして、怪物達の前にここは通さないと言わんばかりに、宙に浮きながら立ち塞がる二人の小柄な少女

 

一人は、空色の短い髪に大きな青いリボンを結び、白いブラウスの上から青いワンピースをまとっている。何より特徴的なのは、その背中から伸びた六枚の翼だった。透き通った氷の結晶のような翼が陽光を反射して青白く輝き、少女の周囲にはひんやりとした冷気が漂っている。

 

それとは対照的に、隣を飛んでいる少女は金色の髪に赤いリボンを結び、白い長袖のブラウスと黒い服を身につけていた。赤い瞳をどこかぼんやりとさせながら、なぜか両腕を左右いっぱいに広げたまま、ふわふわと宙を漂っている。

 

氷の翼を持つ妖精――チルノ。

 

そして、闇を操る妖怪――ルーミア。

 

 

「まだ来るの!?」

 

湖面すれすれを飛んでいたチルノが叫んだ。

 

振り返る余裕すらない。

 

両手を前へ突き出す。

 

「このぉぉぉっ!!」

 

冷気が一気に集まった。

 

次の瞬間。

 

無数の氷弾が霧を引き裂き、迫ってきた異形の群れへ降り注ぐ。

強烈な音と共に地面が抉れた。

数体の怪物が真正面から氷弾を受け、勢いよく吹き飛ばされる。

一体は胸から凍りつき、そのまま地面へ倒れ込んだ。

もう一体は頭部を氷塊で打ち抜かれ、湖畔を転がっていく。だが。

 

「キシャァァァァッ!!」

 

だが奴は止まらない。

後続が倒れた個体を踏み越える。

仲間が死んだことなど、まるで気にも留めていない。

ただ目の前にいる獲物へ襲いかかる。

それだけ。

 

「しつこいな!」

 

チルノが舌打ちした。普段の彼女ならば。

敵が何十体いようと、「あたいは最強!」と笑って突っ込んでいただろう。

 

実際、最初はそうだった。

湖に突然現れた奇妙な怪物達。

最初に見つけた時、チルノはいつもの調子で喧嘩を売った。

数体程度ならば、本当に大した相手ではなかった。

凍らせれば止まる。

氷弾を直撃させれば吹き飛ぶ。

だから最初は。

 

「なんだ、弱いじゃん!」

 

そう笑っていた。

だが。

一体倒せば二体。

二体倒せば五体。

霧の向こうから、怒涛に押し寄せる。

そして――。

 

「チルノ!」

 

横から声が飛ぶ。

 

「!」

 

チルノが反射的に身体を伏せた。

その頭上を黒い塊が通過する。

闇。ルーミアが生み出した暗闇が、突進してきた数体の怪物をまとめて飲み込んだ。

 

「これをくらうのかーっ!」

 

暗闇の中から鈍い衝撃音が響く。

直後。

怪物達が次々と弾き飛ばされた。

一体が水面へ落ち、大きな水柱を上げる。

 

「助かった!」

 

「まだいるよ!」

 

「分かってる!」

 

二人は背中合わせになる。チルノは肩で息をしていた。

ルーミアも、普段のどこか気の抜けた表情ではない。

周囲を見る。

霧。

湖。

森。

そして。

そのすべての方向から。

 

「キシャァァァ……」

 

「グギィィィィ……」

 

聞いたことのない唸り声が響いている。

 

「なんか……多すぎない?」

 

ルーミアがぽつりと言った。

 

「分かってるよ!」

 

チルノが叫ぶ。

 

「さっきより絶対増えてる!」

 

「そーなのかー……」

 

「そうなのよ!」

 

言い返した直後。チルノは唇を噛んだ。

大妖精は既にここにはいない。

つい先ほど。

三人では押し切られる。

そう判断したチルノが、無理矢理送り出した。

 

『大ちゃん!』

 

『えっ!?』

 

『霊夢、あと魔理沙を呼んできて!』

 

『でも、チルノちゃん達は!?』

 

『あたいがここで止める!』

 

『そんな……!』

 

『いいから早く!』

 

大妖精は最後まで渋っていた。

それでも、最後には何度も後ろを振り返りながら、博麗神社の方角へ飛んでいった。

だから。

 

「……大ちゃんが戻ってくるまで」

 

チルノが小さく呟く。

両手を握る。

冷気が指先へ集まっていく。

 

「ここから先には行かせないんだから」

 

その言葉を聞いて。

 

隣のルーミアが首を傾げた。

 

「紅魔館があるから?」

 

「それもある!」

 

チルノが答える。

 

湖の向こう。霧のさらに奥には幻想郷には珍しい洋館、そしてとある吸血鬼姉妹が住む紅魔館がある。

怪物達の進行方向がそこへ向かっているのか、それともただ無差別に暴れているだけなのか。

それすら分からない。

けれどここを抜かせるわけにはいかなかった。

 

「それに!」

 

チルノが胸を張る。

 

「ここはあたいの棲み家なんだから!」

 

「そーなのかー」

 

「そうなのよ!」

 

「キシャァァァァッ!!」

 

会話を切り裂くように。一体の怪物が飛びかかってきた。

 

「!」

 

チルノが腕を振る。

足元から氷柱が突き上がった。

怪物の腹部へ突き刺さる。

 

「ギッ――!」

 

その身体が宙へ持ち上がった。続けて。

 

「やあっ!」

 

ルーミアが横から蹴り飛ばす。氷柱から外れた怪物は数メートル先まで吹き飛び、地面へ転がった。

 

「よし!」

 

チルノが拳を握る。

 

――ズン。

 

その時だった。

 

「……?」

 

二人が止まる。

 

――ズン。

 

地面が揺れた。

 

スロール達の動きが変わった。先ほどまで無秩序に突っ込んできていた群れが、左右へと分かれていく。

 

まるで。

 

何かへ道を譲るように。

 

「……なに?」

 

チルノが目を細める。

 

霧の奥。巨大な影。

 

――ズン。

 

一歩。

 

――ズン。

 

さらに一歩。

 

やがて。そいつが白い霧を押し退けるように姿を現した。

 

「……また、あいつ」

 

チルノの顔から笑みが消えた。

 

巨大。

 

周囲の痩せ細った怪物達とは明らかに違う。

人間より遥かに大きな身体。

全身を覆う、黒ずんだ分厚い装甲。

片手には、禍々しい形をした巨大な剣。

もう片方には盾。

兜の奥。

暗闇の中に浮かぶ三つの眼が、チルノ達を睨んでいる。

 

ハイヴ・ナイト。

 

もちろん。

 

二人はその名を知らない。

 

「グルルルルル……」

 

低い唸り声。ナイトが剣を引きずる。

刃が地面を削り、不快な音を立てた。

チルノが僅かに後退する。

 

「こいつ……」

 

すでに何度も戦っている。

氷弾を当てた。

凍らせようともした。

正面から巨大な氷塊も叩き込んだ。

それでも倒れなかった。

 

「硬すぎるよ!」

 

チルノが叫ぶ。

ナイトが走り出した。

 

「!」

 

巨大な身体からは想像できない速度だった。

一気に距離が縮まる。

剣が振り上げられる。

 

「チルノ!」

 

「分かってる!」

 

二人が左右へ飛ぶ。

 

直後。

 

――ドゴォォォン!!

 

巨大な剣が地面へ叩きつけられた。

土砂が弾け飛ぶ。衝撃波が湖面へ伝わり、水面が大きく波打った。

 

「うわっ!」

 

チルノの小さな身体が吹き飛ばされる。

空中で何とか姿勢を立て直す。

 

「このぉ!」

 

振り返りざま。

氷の槍。

一本。

二本。

五本。

十本。

ナイトへ一斉に射出する。

氷槍が装甲へ直撃。

数本が砕け散り、ナイトの身体が止まった。

 

「効いた!?」

 

だが。

 

「グォォォォォッ!!」

 

――吼える。盾を構え、そのまま前進する。

 

「うそでしょ!?」

 

チルノが目を剥く。

さらに。上空。

 

「……チルノ」

 

ルーミアの声が変わった。

 

「なに?」

 

「上見て!」

 

「?」

 

見上げると霧の中に何かが浮いている。

長い衣、細い腕、地面へ足をつけることなく、音もなく宙を漂う異形。

一体。

そのさらに後ろ。

二体。

三体。

 

「また増えてる!」

 

チルノが叫んだ。

 

ウィザード。

そのうちの一体が両手を広げると青白い光。

不気味なエネルギーが掌の間へ集まった。

 

「なんか来る!」

 

ルーミアが叫んだ次の瞬間、光弾が降り注いだ。

 

「うわぁぁぁっ!?」

 

二人が飛んだ瞬間に着弾、湖畔が連続して爆発する。

木が吹き飛び、地面が抉れる。

霧の一部が爆風で消し飛び、一瞬だけ湖の景色が開ける。そこにいたのは無数の怪物。

 

「……」

 

チルノが言葉を失った。

 

今まで霧に隠れて分からなかった。

湖畔。

森の入口。

岩陰。

あちらこちらに、あの痩せた怪物達がいる。

そして。

その間を歩く大型の戦士。

上空を漂う魔術師。

十や二十ではない。

 

「チルノ……」

 

ルーミアが僅かに近づく。

 

「……なによ」

 

「これ、やばくない?」

 

「……」

 

一瞬。

 

チルノは答えなかった。

 

「……やばくない」

 

「ほんと?」

 

「ほんとなの!」

 

声を張る。

 

「だ、だって、あたい最強だし!」

 

「そーなのかー!」

 

「そうなのよ!」

 

自分自身へ言い聞かせるように再び両手を構える、けれど、指先が僅かに震えていた。

怖くない……そう言えば嘘になる。

こんな奴らは見たことがない。

 

妖怪とも違う。

妖精とも違う。

獣とも違う。

 

何より、こいつらは妙だった。

怒っているわけではない。

腹を空かせているようにも見えない。

縄張り争いをしているわけでもない。

ただ殺すために襲ってくる、それだけ。

チルノにも何となく分かった。

こいつらとは話が通じない。

いつもの幻想郷の喧嘩とは違う。

スペルカードルールも。

弾幕ごっこもそんなものは何一つ知らない。

 

「キィィィィィッ!!」

 

スロールの群れが一斉に走り出す。

前、左右、さらに後方。

包囲するように。

 

「ルーミア!」

 

「うん!」

 

二人が身構える。

 

チルノの周囲へ冷気が渦巻く。

 

「まとめて凍らせてやる!」

 

その時。

 

 

 

――ギュオォォォォォォン!!

 

 

「……え?」

 

チルノの動きが止まった。

遠く森の向こう。

聞いたこともない音。

低い、獣の咆哮にも似ている。

けれど生き物ではない。

 

 

――ギュオォォォォン!!

 

 

今度は、さらに近い。

 

一つではない。

二つ。

三つ。

 

「なに、あれ?」

 

ルーミアも振り返る。

ハイヴ達も音の方向へ顔を向けた。

そして上空には。

 

「チルノちゃん、ルーミアちゃん!!」

 

「あ!」

 

聞き覚えのある声。

チルノが勢いよく顔を上げる。

霧を切り裂くように。

緑色の髪、透明な羽。

 

「大ちゃん!」

 

大妖精。

その前方には。

 

「霊夢!」

 

「魔理沙!」

 

チルノの顔が一気に明るくなった。

 

「来た!」

 

ルーミアも笑う。

 

「霊夢と魔理沙なのだー!」

 

「チルノ!ルーミア!」

 

霊夢が叫ぶ。

 

「無事!?」

 

「余裕!」

 

「どこがよ!」

 

チルノの周囲を埋め尽くす怪物達を見て、霊夢が即座に怒鳴り返した。

 

「霊夢さん! あれです!」

 

大妖精が下を指す。

 

「私が言ってた奴ら!」

 

「見れば分かるわよ!」

 

魔理沙も箒の上から目を細める。

 

「……確かに、妖怪じゃなさそうだな」

 

しかし、その三人より。

さらに速く森の中から。木々の隙間を縫うように、一台の異様な乗り物が飛び出した。

 

「!?」

 

チルノが目を丸くする。

 

地面へ接していない。浮いている謎の流線型の乗り物がそのまま猛烈な勢いで湖畔へ突っ込んでくる。

一台、その左右から二台、三台。

先頭の一台には、蛍光色の派手な装甲を纏った男。

後ろには青白い機械の男がしがみついている。

右に黒い装備を纏った男。

左に褐色の肌を持つ女性。

 

「な、なにあれ!?」

 

チルノが叫ぶ。

 

「知らないのだー!」

 

「大ちゃん、あれ誰!?」

 

大妖精まで叫ぶ。

 

「外の世界の人達……らしいです!」

 

「外!?」

 

その瞬間、先頭の機体。

ガーディアンの傍らを飛んでいた小さな機械が、湖上へ一気に高度を上げた。

中央の一つ目が淡く光る。

 

「生命信号多数!」

 

ゴーストの声。

 

「スロール――二十以上! ナイト複数!」

 

シェルが回転させ、上空へ視線を向けた。

 

「ウィザード三――いえ、四!」

 

「結構いるな!」

 

ケイドが叫んだ。

 

「楽しそうに言わないで!」

 

イコラが返す。

クロウはすでにスパローの上でホークムーンを抜いている。

 

「あの子達の周囲が一番密集している!」

 

「分かった!」

 

イコラがスロットルを開く。

 

「霊夢!」

 

「何!?」

 

「二人を上へ退避させて!」

 

「言われなくても!」

 

霊夢が加速する。

 

「チルノ! ルーミア! こっち!」

 

「でも!」

 

チルノが地上を見る。

 

ハイヴ。

 

自分達が逃げればこいつらがどこへ行くか分からない。

 

「いいから!」

 

霊夢が叫ぶ。

 

「ここからは私達もいる!」

 

その横でイコラが言った。

 

「いいえ」

 

霊夢が振り返るとイコラはスパローを走らせたまま、ハイヴの群れを見ていた。

その表情は先ほどまで神社にいた時とはまるで違う。

 

冷静で鋭い。

何よりこの怪物達を恐れていない。

 

「ここからは――」

 

瞬間に彼女の掌へ紫色の光が走る。

 

「私達の領分よ」

 

「…………!」

 

チルノが目を見開いた。

 

同時にガーディアンがスパローから立ち上がった。

 

「おい相棒」

 

後ろのケイドが嫌な予感を覚える。

 

「まさか――」

 

ガーディアンが跳んだ。

 

「うおおおおっ!?」

 

当然。後ろに乗っていたケイドも放り出される。

 

「相棒ぉぉぉぉぉ!!」

 

ガーディアンは空中で身体を捻る。ケイドは何とか飛び降りるように着地。

その横を無人になったスパローだけが突進していく。

真正面のスロールの群れへ。

 

「キシャァァァァッ!!」

 

そして。

 

――ドガァァァン!!

 

数体をまとめて跳ね飛ばした。

 

「…………………………」

 

チルノ、ルーミア、大妖精は揃って固まる。

地面へ降り立ったガーディアンは、何事もなかったかのように腰からハンドキャノンを抜き、ゴーストがその隣へ飛ぶ。

 

「戦闘開始です。派手に行きましょう!」

 

その一言と同時に、スロールが飛びかかった。ガーディアンの銃口が上がる。

 

――ズドンッ!

 

 

すかさず一発。頭部へ怪物の身体が後方へ吹き飛んだ。

 

――ドンッ!

 

さらに一体。

 

――ドォン!

 

三体目、一切の迷いがない。

 

「………………………」

 

チルノがあれほど苦戦していた怪物達を。

まるで何度も何度も数え切れないほど相手にしてきたように。

 

「……なに、あいつ」

 

チルノが呟く。

 

ケイドも切り札を抜く。

 

「まったく!」

 

――ズドンッ!

 

「後ろに俺がいる時に!」

 

――ドンッ!

 

「勝手に飛び降りんなって!」

 

二体のスロールが倒れる。

 

「聞いてんのか相棒!」

 

ガーディアンは無言でそのまま親指を立てる。

 

「そうじゃねえ!」

 

「何やってるのよあんた達!」

 

霊夢の怒声が湖へ響いた。

その横では、クロウがナイトへ銃撃を浴びせる。

 

「ナイトは俺が引きつける!」

 

「無理に正面から盾を抜こうとするな!」

 

イコラが地面を蹴った。

紫色の光、宇宙の虚無ボイド。

身体が宙へ舞い上がる。

 

「チルノ!」

 

霊夢が叫ぶ。

 

「えっ!?」

 

「今のうちにこっち来なさい!」

 

「でも――」

 

「大丈夫よ」

 

今度はイコラだった。

チルノが彼女を見る。

イコラは上空へ手を掲げている。

その掌に。

小さな紫色の光。

それが。

瞬く間に膨れ上がっていく。

 

「奴らは私達が引き受ける。あなた達は下がって!」

 

「…………」

 

チルノには。

何故か。その言葉が嘘には聞こえなかった。

 

次の瞬間。

 

「ボイドに呑まれて消えなさい!」

 

イコラが腕を振り抜いた。

紫色の奔流――。

 

【ボルテックス・グレネード】

 

ハイヴの群れへ飛ぶ。

――轟音。

湖畔が紫の光で染まる。

複数のスロールがまとめて消し飛んだ。

 

「…………」

 

チルノが口を開けたまま固まる。

ルーミアも同じだった。

大妖精も。

そして。

魔理沙が。

思わず笑った。

 

「……なるほどな」

 

帽子を押さえる。 

 

「ハイヴって化け物を知り尽くしているってのは伊達じゃないってことか」

 

「感心してないで手伝いなさい!」

 

霊夢が叫ぶ。

 

「分かってるぜ!」

 

魔理沙が八卦炉を構える。

その眼下。

幻想郷の妖怪達が初めて目にする異形の軍勢、ハイヴ。

その異形を知り尽くした異世界の戦士、ガーディアン達。

遂に真正面から激突した。

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