東方天命録~The Final Shape Begins~   作:はならむ

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第二十二話:救済の囁き

――全員の猛攻により霧の湖を覆っていた戦闘の音は、いつの間にかほとんど聞こえなくなっていた。

 

「はあ!!」

 

つい先ほどまで湖畔には、スロールの甲高い咆哮やナイトの怒号、ウィザードの放つ異質な魔力の炸裂音が絶え間なく響き渡っていた。しかし今では、それらの大半が沈黙している。白い霧の向こうには倒れたハイヴの残骸があちらこちらに横たわり、チルノの冷気によって凍りついた地面には砕けた氷片が散乱していた。

 

 

「夢符――『二重結界』!!」

 

 

霊夢が鋭く札を放つ。次の瞬間、彼女を中心に赤と白の霊力が走り、二重の方形結界が一気に展開された。

迫っていたスロールの群れが結界へ触れた瞬間、弾かれるように吹き飛ぶ。さらに外側の結界が周囲を薙ぎ払い、後続のハイヴまでまとめて押し返した。

 

「邪魔よ!」

 

霊夢が腕を振り抜くと、霊夢が腕を振り抜く。二重の結界が一気に狭まり、内側に取り残されたスロール達を霊力の奔流が呑み込んだ。

 

「……………」

 

ところどころでは、ガーディアンのグラビトン・ランスが引き起こした重力異常の名残なのか、紫紺の粒子が淡い火の粉のように揺らめきながら、ゆっくりと空気へ溶けていく。

その静寂を破ったのは、一発の銃声だった。

 

「トドメ――!」

 

最後まで立っていた一体のスロールが霧の中からよろめくように姿を現した瞬間、クロウのホークムーンが火を噴く。放たれた弾丸は異形の頭部を正確に撃ち抜き、その身体は勢いを失ったまま数歩だけ前へ進むと、やがて地面へ重く崩れ落ちた。

クロウはすぐには銃口を下ろさなかった。倒れたスロールの動きを照準越しに見つめ、完全に沈黙したことを確認してから、ようやくホークムーンを僅かに下げる。

 

「……これで最後か」

 

その声を聞いても、イコラはすぐには警戒を解かなかった。

上空へ視線を向け、白い霧の動き、湖面、森の入口、木々の隙間、そのさらに奥までを慎重に見渡していく。長く戦場に身を置いてきた者らしく、その視線には僅かな異変も見落とすまいとする鋭さがあった。

 

霊夢もまた、御幣を構えたまま周囲を見ていた。しばらくの間、誰も言葉を発しない。耳に届くのは、湖面を撫でる風の音と、遠くで揺れる木々のざわめきだけだった。

やがて新たな気配がないことを確認すると、霊夢はようやく小さく息を吐いた。

 

「……やっと終わったみたいね」

 

その一言を合図にしたように、大妖精がその場へへたり込む。

 

「はぁぁぁ……よかったぁ……」

 

戦闘中ずっと張り詰めていた緊張が一気に抜けたのか、肩から力を落としながら大きく息を吐いている。

その一方で、隣にいたチルノはまだまだ元気だった。

自分が凍結させたハイヴ達の残骸をぐるりと見回し、腰へ両手を当てると、これでもかというほど胸を張る。

 

「へへーん!だから言ったでしょ!あたい最強!」

 

「さっきまで追い回されてたでしょうが」

 

霊夢が呆れたように返すと、チルノは勢いよく振り返った。

 

「追い回されてない!」

 

「追いかけられてたよ?」

 

大妖精が遠慮なく言う。

 

「大ちゃん!?」

 

「追いかけられてたのだー」

 

今度はルーミアまで頷いた。

 

「ルーミアまで!?」

 

そのやり取りを聞いていたケイドは、ついに堪えきれなくなったらしい。

 

「ハハハ、なんだよ、やっぱり結構ギリギリだったんじゃないか」

 

「うるさい!」

 

「あー悪い悪い」

 

笑いながらそう言うと、ケイドは切り札を腰のホルスターへ戻した。

 

ただし、次にチルノを見る時には、その表情から少しだけ冗談めいた色が薄れていた。

 

「でもまあ、大妖精が助けを呼びに行ってる間、お前とルーミアであの数を食い止めてたんだろ?」

 

「……うん」

 

チルノが頷く。

 

「だったら十分大したもんだ。ハイヴが相手なら何も知らない奴は普通はとっくに囲まれて終わってる」

 

思いがけず真面目に褒められたせいか、チルノは少しだけ目を丸くした。

褒め言葉を素直に受け取るのが照れ臭いのか、ほんの一瞬だけ視線を逸らす。それでも最後には、やはり得意げに胸を張った。

 

「……当然よ! あたい最強だから!」

 

「やっぱ褒めるんじゃなかったかな」

 

「なんでよ!」

 

再び、小さな笑い声が湖畔へ広がる。

つい先ほどまで殺気と怒号に満ちていた場所へ、ほんの少しだけ、いつもの幻想郷らしい空気が戻ってきていた。ガーディアンも構えていたグラビトン・ランスを下ろす。

すると、その傍らへチルノが飛んできた。

 

「ねえあんた!」

 

「…………?」

 

ガーディアンが僅かに首を傾げる。

 

「さっきのもう一回やろうよ!」

 

今度は少しだけ首を深く傾げた。

その反応を見たゴーストが、代わりに尋ねる。

 

「さっきの、とは?」

 

「ほら! あたいがまとめて凍らせて、こいつがあの変な銃でドカーンってやるやつ!」

 

「ああ」

 

ゴーストの中央眼が、一度ガーディアンへ向く。

 

「確かに、あの組み合わせは効率が良かったですね」

 

「でしょ!?」

 

チルノの顔がぱっと明るくなる。

 

「だから次も――」

 

「こら、勝手に次を約束しない」

 

霊夢が即座に割って入った。

 

「なんでよ!」

 

「絶対あんた達、調子に乗るでしょうが」

 

「そんなことない!」

 

「ある」

 

魔理沙が即答した。チルノが口を尖らせる一方で、霊夢は今度は魔理沙へ半眼を向ける。

 

「というか、あんたも人のこと言えないでしょう」

 

「え?」

 

「さっき前に出すぎて、ケイドに助けられてたじゃない」

 

「それとこれとは別だぜ!」

 

「別じゃない」

 

横からケイドが口を挟む。

 

「お前まで言うのかよ」

 

「言うさ。戦場じゃ心配性なくらいで丁度いいって、さっき言っただろ?」

 

「……分かってるって」

 

魔理沙は帽子のつばを少し下げながら、やや気まずそうに答えた。

その様子を見て、ケイドは満足そうに小さく笑う。

そんな会話が続く中でも、イコラだけは完全には緊張を解いていなかった。

湖畔に横たわるハイヴ達を見渡しながら、先ほどの戦闘を頭の中で整理していく。

スロール、ナイト、ウィザード。

これほどの数が、偶然この湖へ迷い込んだとは考えにくい。

しかも、大妖精から聞いた話では、彼らは単に無秩序に暴れていたわけではない。互いにある程度連携しながら、まとまった部隊として動いていた。

 

ならば――本当に、ここだけなのか。

 

「ゴースト」

 

イコラが呼びかける。その声を聞いた瞬間、周囲の空気が僅かに引き締まった。

 

「イコラ?」

 

ガーディアンの傍らに浮かんでいたゴーストが振り向く。

 

「念のため、もう一度周囲を走査して」

 

「分かりました」

 

ゴーストはゆっくりと高度を上げ、シェルを展開した。中央眼から淡い光が伸び、湖畔、森、上空、湖面、そして霧の向こうへと走査が広がっていく。

数秒後。

 

「現在、霧の湖周辺に敵性生命反応はありません」

 

その報告を聞いた大妖精の顔に、ようやく少しだけ安堵が浮かんだ。

 

「じゃあ……もう大丈夫なんですね?」

 

「少なくとも、この周辺については――」

 

ゴーストがそこまで言ったところで、ふいに言葉が途切れた。

 

「…………」

 

ガーディアンがすぐに顔を向ける。

イコラも僅かな異変を見逃さなかった。

 

「どうしたの?」

 

「……少し待ってください」

 

そう答えると、ゴーストはゆっくりと湖の向こうへ向きを変えた。

 

「走査範囲を拡大します」

 

シェルがさらに大きく展開し、中央眼の光が強くなる。

先ほどまで湖周辺へ向けられていた走査が、対岸を越え、そのさらに先へと伸びていった。

 

白い霧の向こう。

湖の向こう側。

さらに奥。

 

数秒間、ゴーストは何も言わなかった。

その沈黙だけで、ケイドの顔から先ほどまでの笑みが消えていく。

 

「何か拾ったのか?」

 

「……はい」

 

短い返事だった。それだけで、緩んでいた空気が再び張り詰める。イコラが一歩前へ出る。

 

「どこ?」

 

「この先です」

 

ゴーストが湖の向こうを示す。

霊夢も同じ方角へ視線を向ける。

白い霧の向こうに何があるのか、彼女は知っていた。 

 

「この先は……紅魔館があるわね」

 

「紅魔館?」

 

ケイドが聞き返す。魔理沙が帽子のつばを押さえながら答えた。

 

「湖の向こうにある洋館だ。レミリアとフランって吸血鬼姉妹と、その使用人達が住んでる」

 

「…………」

 

ケイドが一瞬だけ真顔になる。

 

「は?吸血鬼だと?」

 

「今そこ気にしてる場合じゃないでしょうが」

 

霊夢がすぐに睨む。

 

「いや、かなり気になる単語だろ」

 

「説明は後!」

 

「分かった分かった!」

 

イコラは二人のやり取りを流すように、ゴーストへ視線を戻した。

 

「反応を照合して」

 

「はい」

 

再び数秒の沈黙。そして。

 

「やはり一致しました」

 

ゴーストの声が低くなる。

 

「ハイヴです」

 

大妖精の顔が再び青ざめる。

 

「まだ……いるんですか……?」

 

「はい」

 

「どのくらい?」

 

霊夢が尋ねる。

 

「正確な数は把握できません。建造物と地形が走査を妨害しています。ただし、こちらにいた部隊よりも多い可能性があります」

 

魔理沙からも笑みが消えた。イコラがすぐに問いを重ねる。

 

「内訳は?」

 

「小型生命反応多数。スロールと一致します。さら

これは――アコライトの反応も」

 

「アコライト?」

 

「ハイヴの下級兵ですがスロールより遥かに知的な行動ができ、武器も扱えるようになった個体です」

 

「げえ、まだ他の種類の奴がいるのかよ……!」

 

「さらに大型の生命反応が複数。ナイトと考えていいでしょう。さらに、空中にも複数の浮遊反応があります」

 

「ウィザードで間違いない?」

 

「はい」

 

そこまでは、先ほど湖で戦った部隊とほぼ同じだった。だが、ゴーストはそこで終わらなかった。

 

「さらに、ナイトを大きく上回る大型生命反応を複数検知」

 

その一言で、イコラの表情がさらに険しくなる。

 

「大きさは?」

 

「ナイトより遥かに大型です」

 

「……オーガの可能性が高いわね」

 

「オーガ?」

 

霊夢が聞き返す。

 

「ハイヴの大型兵よ。ナイトよりさらに巨大で、力も耐久力も高い。それに――」

 

イコラは一瞬だけ言葉を切った。

 

「目から強力なエネルギー弾を放つわ」

 

「目から!?」

 

魔理沙が思わず聞き返す。

 

「ええ」

 

「……そっちの世界も大概だな」

 

「こんな世界の住民に言われたくないわ」

 

「……それはそうだな

ケイドが小さく笑ったものの、その笑いは長く続かなかった。

 

「もう一種類あります」

 

ゴーストの声が続く。

 

クロウがすぐに反応した。

 

「生命反応か?」

 

「いえ。固定されたエネルギー反応です。複数存在します」

 

「固定?」

 

「はい。建造物周辺と思われる位置から動いていません」

 

イコラが低く呟いた。

 

「……シュリーカー」

 

「うげ」

 

ケイドが露骨に嫌そうな顔をする。

 

「そっちまでいるのかよ」

 

「シュリーカー?」

 

霊夢が聞き返すと、ケイドが肩を竦めながら答えた。

 

「ハイヴの固定砲台みたいなもんだ。普段は閉じてるが、近づくと開いて撃ちまくってくる」

 

「面倒ね」

 

「すげえ面倒だ」

 

しかし。

 

「でも、それだけじゃありません」

 

ゴーストがそう言った瞬間、今度こそ全員が黙った。

ガーディアンが無言でゴーストを見る。

クロウもホークムーンへ手を添えた。

イコラが静かに尋ねる。

 

「……まだあるの?」

 

「はい」

 

ゴーストの中央眼は、霧の向こうに固定されていた。

 

「さらに奥です。紅魔館と思われる建造物の内部、あるいはその周辺から――一つだけ、非常に強い生命反応があります」

 

「一つ?」

 

ケイドが聞き返す。

 

「識別できる?」

 

イコラが尋ねる。ゴーストは再度走査をかけた。

しかし、結果は変わらなかった。

 

「……できません」

 

「何?」

 

クロウが眉を寄せる。

 

「ハイヴの生命反応であることは間違いありません。ただし、周囲にいる通常個体とは明らかに反応強度が異なります」

 

「ナイトではない?」

 

「違います」

 

「オーガ?」

 

「それも断定できません」

 

イコラはしばらく黙った。ハイヴであることは識別できる。それなのに、個体までは判別できない。

少なくとも、ありふれた兵士ではない。

そのことだけは確かだった。

 

「何よ」

 

霊夢がイコラを見る。

 

「そんなに変なの?」

 

「ええ」

 

イコラは短く答えた。

 

「ただ、今ここで考えていても答えは出ないわ」

 

クロウも静かに頷く。

 

「現地で確認するしかないな」

 

「そうね」

 

霊夢は湖の向こうへ視線を向けた、白い霧の向こうにそびえる紅魔館。

そこにいる者達の顔が、自然と頭へ浮かんでくる。

 

レミリア。

咲夜。

美鈴。

パチュリー。

小悪魔。

フランドール。

 

簡単にやられるような連中ではない。

それは分かっている。

だがその時だった。

 

――ドォォォォォン……!

 

 

遠く霧の向こうから鈍い爆発音が響いた。

全員が同時に顔を上げる。一拍遅れて、湖面が僅かに震え、森から鳥の群れが一斉に飛び立った。

 

「……今の」

 

大妖精が小さく呟く。その直後。

 

――ドォン!!

 

二度目。今度はさらに明確だった。

紅魔館の方角、霊夢の表情から、完全に軽さが消えた。

 

「……もう始まってるみたいね」

 

お祓い棒を握り直す。

 

「行くわよ」

 

「ああ!」

 

魔理沙が即座に箒を呼び寄せる。

 

「チルノちゃん!」

 

大妖精が振り返る。

 

「行く!」

 

チルノは迷いなく答えた。

 

「私も行くのだー」

 

ルーミアもふわりと浮かぶ。

 

「ここから先は危険だ。君達はここに残ったほうがいい!」

 

クロウは三人に引き留めようとする。しかし、

 

「やだ!あたい達妖精の力をなめんなよ!」

 

「あたしも妖精なのかー」

 

「あんたは妖怪でしょ!」

 

「そーなのかー」

 

「…………………」

 

イコラは三人へ視線を向ける。

 

「クロウの言うとおりよ。ハイヴはあなた達が軽く考えているほど甘くないわ。今戦った連中はまだまだ先兵に過ぎない。チルノ達の力は先ほどの戦闘で分かった、けどあなた達まで巻き込む気はない。いかないほうがいい――」

 

「やだ!」

 

イコラが言い終えるや否や、チルノが即答した。

 

「……チルノ」

 

「あたいも行く!」

 

「話を聞いていた?」

 

「聞いてたよ!でも行く!」

 

腰に手を当て、チルノは霧の向こう――紅魔館の方角を指差す。

 

「あいつらはあたいの棲み家を襲ったから許せない、あと――」

「あそこには美鈴達がいるんでしょ!だったら助けに行く!」

 

「チルノちゃんが行くなら、私も行きます。紅魔館にはあたしの知り合いの妖精メイドがたくさんいます、助けないと……!」

 

大妖精も、不安そうな表情を浮かべながら頷いた。

 

「私も行くのだー」

 

ルーミアも当然のように続く。

 

「君達な……」

 

クロウが困ったように眉を寄せた。

 

「さっきより危険なんだぞ?」

 

「それでも行く!」

 

チルノは一歩も引かなかった。

大妖精もルーミアも、その場を離れようとはしない。

「…………」

 

イコラはしばらく三人を見つめる。

どうやら、何を言っても考えを変えるつもりはないらしい。その様子を見ていたケイドが、小さく肩を竦めた。

 

「こりゃ止めても勝手についてきそうだな」

 

「……そうね」

 

イコラは小さく息を吐く。

 

「分かったわ。ただし、絶対に私達から離れないこと。勝手に敵へ突っ込むのも禁止よ」

 

「分かった!」

 

チルノが元気よく答える。

 

「本当に分かってる?」

 

「分かってるって!」

 

「一番心配なのがあんたなのよ」

 

霊夢は一瞬だけ二人を見る。

 

「……無茶だけはしないこと、分かった?」

 

「分かってる!」

 

「本当に?」

 

「分かってるって!」

 

「さっきまで最強最強って突っ込んでたでしょうが」

 

「今度は一人じゃないもん!」

 

そう言って、チルノはガーディアンを指差した。

 

「こいつもいる!」

 

「…………」

 

突然指名されたガーディアンは、ほんの一拍だけ間を置いた後、何の迷いもなく力強く親指を立てた。

 

「そこで保証しない!」

 

霊夢の怒声が飛ぶ。

 

「ハハハッ!頼られてるな、相棒」

 

ケイドが笑う、けれども。

 

「さあ急ぎましょう」

 

イコラの声が響いた瞬間、全員の表情が再び引き締まった。

 

「湖にいた部隊はおそらく先遣隊よ。紅魔館周辺にこれ以上の戦力が集まっているなら、向こうは既に本格的な戦闘状態になっているわ」

 

「それに」

 

クロウが続ける。

 

「正体不明の反応もある」

 

ケイドは切り札へ手を添え、ガーディアンもグラビトン・ランスを握り直した。

 

「ま、行ってみりゃ分かるさ」

 

一行は、スパローを呼び出すため湖畔の開けた場所へ向かって歩き始める。ガーディアンもその後へ続いた。

 

一歩。

二歩。

三歩。

 

そして、次の一歩を踏み出そうとした。その瞬間だった。

 

「があ――――ッ!!」

 

ガーディアンの身体が、突然硬直した。

足が止まり、握っていたグラビトン・ランスが手から滑り落ちる。

 

――ガシャン。

 

重い音を立てて、武器が地面へ転がった。

 

「?」

 

すぐ近くにいたケイドが振り返る。

 

「相棒?」

 

返事はなかった。

ガーディアンは俯いたまま、その場に立ち尽くしていた。

ゆっくりと片手が上がり、ヘルメットの側頭部へ添えられる。

 

「……どうした?」

 

ケイドが眉を寄せる。

 

「忘れ物か?」

 

しかし、ガーディアンは答えない。

代わりに、その身体が大きく揺れた。

 

「おい――」

 

次の瞬間。片膝が地面へ落ちた。

 

「ガーディアン!?」

 

クロウが真っ先に声を上げる。

先を進んでいた霊夢達も一斉に振り返った。

 

「何!?」

 

「どうしたんだ!?」

 

魔理沙が箒から飛び降りる。

ケイドはすぐさまガーディアンへ駆け寄り、その肩を掴んだ。

 

「ガーディアン!おい、しっかりしろ!」

 

「ぐ…………ッ……!」

 

ガーディアンは答えない。

いや答えられない。

両手で頭を押さえながら、身体を丸める。

 

「頭が……ッ……!」

 

苦痛に押し出されたような呻き声。

その声を聞いた瞬間、ケイドの表情から冗談めいた色が完全に消えた。

普段のガーディアンなら、撃たれても、吹き飛ばされても、何事もなかったように立ち上がる。

死んで蘇生した直後でさえ、平然と『感情表現』を始めるような男だ。

そんな彼が今。

頭を抱え、地面へ膝をつき、明らかな苦痛に耐えている。

 

「相棒!」

 

ケイドの声が響く。

だが、ガーディアンにはほとんど聞こえていなかった。

遠い、あまりにも遠い。

視界が歪む。

 

湖も。

霧も。

空も。

仲間達も。

 

すべてが引き伸ばされ、捻じ曲がり、互いに重なっていく。

 

「引き……割かれ………!」

 

頭痛……そんな言葉では足りなかった。

頭蓋の内側を何か巨大なものに押し広げられ、脳そのものを握り潰されているような感覚。

外からではない。

もっと深い。

意識そのものへ。何かが、無理矢理入り込んでくる。

 

「ガーディアン!?」

 

イコラが駆け寄る。

 

「聞こえる!?私を見て!」

 

だが、反応はない。イコラはすぐにガーディアンの身体へ目を走らせた。

目立った外傷はない。

銃創も、魔術による損傷も見当たらない。

それなのに、彼は苦しんでいる。

 

「ゴースト!」

 

「はい!」

 

傍らに浮かんでいたゴーストが、すぐさまガーディアンへ接近する。

 

「生体状態を確認します!」

 

中央眼から淡い光が伸び、ガーディアンの身体を走査していく。

 

「外傷はありません! 生命維持機能も――」

 

そこでゴーストの声が止まった。

 

「…………」

 

クロウが顔を上げる。

 

「ゴースト?」

 

中央眼の光が、僅かに明滅した。

 

「……何……ですか……これは……」

 

「何か分かったの?」

 

イコラが問いかける。しかし、その問いに答えるより早く。ゴーストの高度が突然落ちた。

 

「ゴースト!」

 

クロウが咄嗟に手を伸ばし、地面へ落下する寸前で両手に受け止める。

 

「おい!?」

 

「ぐ……あ……!」

 

ゴーストのシェルが激しく震え、中央眼の光が不規則に明滅する。

 

「何だ!?」

 

ケイドが叫ぶ。

 

「どうしたお前ら!?」

 

「何かが……!」

 

ゴーストの声に、僅かなノイズが混じる。

 

「私達の……意識に……!」

 

「意識?」

 

霊夢が眉を寄せる。

 

「ど、どういうことよ!」

 

「外部から……何かが……入り込んで……!」

 

「遮断して!」

 

イコラが叫ぶ。

 

「やっています!」

 

ゴーストのシェルが大きく展開する。

 

「でも……駄目です……!」

 

「何で!?」

 

「強すぎる……!」

 

そして――その瞬間。

ガーディアンの世界から、音が消えた。

ケイドの声も。

イコラの声も。

霧の湖を渡る風も。

すべて暗闇へ沈む。

何もない。

上下も、左右も、距離も分からない。

ただ一つだけ。

分かる。

何かがいる。

闇の奥。

白い靄の向こう。

細長い輪郭。

幾重にも重なる腕。

頭部から立ち昇る白い煙。

ガーディアンは、その存在を知っている。

忘れるはずがなかった。

 

『――ガーディアン』

 

声ではない、耳から聞こえたわけではない。

言葉そのものが、頭蓋の内側へ直接叩き込まれた。

 

「…………ッ」

 

――目撃者。

 

『急いでいるようだ』

 

ガーディアンは歯を食いしばる。

 

『あの館へ』

 

「…………」

 

『彼らを救うために』

 

頭の奥で、何かが軋む。

 

『また』

 

「……ッ!」

 

『救うために』

 

次の瞬間、記憶が引きずり出された。

戦場。

銃声。

死。

蘇生。

そして。

また戦場。

 

『お前は戦う』

 

火花。

 

『殺す』

 

倒れる敵。

 

『死ぬ』

 

暗転。

 

『蘇る』

 

光。

 

『そして』

 

また銃声。

 

『繰り返す』

 

「…………ッ」

 

『いつまで?』

 

同じ頃、ゴーストにも声が届いていた。

 

『――小さき光よ』

 

「…………!」

 

『何度、彼を蘇らせた?』

 

「………………」

 

『何度、彼を死へ送り出した?』

 

「違う……!」

 

『そして』

『あと何度』

『繰り返す?』

 

「――黙れ!!」

 

現実ではクロウの掌の中で、ゴーストの中央眼から強い光が迸る。

 

「ゴースト!?」

 

その間にも目撃者の声はガーディアンへ流れ込んでくる。

 

『お前達は疲れている』

『終わりを望んでいる』

 

「…………」

 

『我々なら』

 

景色が変わる。

博麗神社。

魔法の森。

霧の湖。

そして。

紅魔館。

 

『この世界も』

「…………!」

『苦しみから解放できる』

『争いも』

『喪失も』

『死も』

『すべて』

『終わらせられる』

 

ガーディアンの拳が震える。

 

『それこそが――』

 

目撃者が僅かに近づいたように見えた。

 

『救済だ』

 

「…………」

 

『受け入れろ』

 

ガーディアンの拳が地面を強く握る。

現実では彼は片膝をついたまま。

指先で土を掴んでいた。

震えていた手が。

止まる。そして。

 

「……断る」

 

『ほう…………』

 

ガーディアンがゆっくりと顔を上げた。

 

「余計なお世話だ」

 

同時にゴーストの意識にも声が響く。

 

『お前には救えない』

『彼も』

『あの者達も』

 

「……黙れ」

 

『いずれ失う』

 

「黙れ……」

 

『すべてを』

 

「――黙れ!!」

 

二人の意思が重なったその瞬間。

意識の奥で何かが弾ける。

 

「ッ!!」

 

ガーディアンの身体が大きく仰け反った。

同時にゴーストの中央眼からも強烈な光が迸る。

そして唐突にすべてが消えた。

圧力。

暗闇。

目撃者。

全部が。

 

「…………ッ!」

 

ガーディアンが大きく息を吸う。

冷たい霧の空気が肺へ流れ込む。

風。

湖。

仲間達。

すべてが戻ってくる。

 

「相棒!」

 

ケイドが彼の肩を掴む。

 

「聞こえるか!?」

 

「…………」

 

ガーディアンは数秒かけて呼吸を整えた。

そして、ゆっくりと頷く。

 

「……ああ」

 

「ゴースト!」

 

クロウが呼びかける。

 

「……大丈夫です」

 

ふらつきながらもゴーストもクロウの掌から浮かび上がった。

 

「機能に異常はありません。ただ……少し処理系に負荷が残っています」

 

「少しって顔じゃねえぞ」

 

ケイドが言う。

 

「私に顔はありません」

 

「そういうこと言えるなら平気そうだな」

 

「ケイド」

 

イコラが睨む。

 

「……すまん」

 

ケイドが素直に黙る。

ガーディアンもゆっくりと立ち上がった。

 

「おい」

 

ケイドが肩を支える。

 

「無理すんなよ」

 

「…………」

 

脚には、まだ僅かに力が入りきらない。

それでも立てる。

ガーディアンは地面へ落ちていたグラビトン・ランスを拾い上げた。

 

「……大丈夫だ」

 

「…………」

 

イコラはしばらくガーディアンを見つめていた。

だが、その時。

 

「……ねえ」

 

緊張して顔が強ばる霊夢が口を開いた。

 

「……今の、何だったの?」

 

答えたのはゴーストだった。

 

「目撃者です」

 

「……………………」

 

ゴーストの中央眼が僅かに細くなる。

 

「間違いありません」

 

魔理沙が顔をしかめる。

 

「お前らの頭の中に例の奴が……」

 

「はい」

 

ゴーストは即答した。

 

「奴は、私とガーディアンの精神へ直接干渉することができます」

 

「精神……」

 

大妖精が不安そうに呟く。

 

ゴーストはそこでふと、霊夢達へ視線を向けた。

霊夢。

魔理沙。

チルノ。

大妖精。

ルーミア。

一人ずつ中央眼を向けていく。

 

「……皆さん」

 

霊夢がゴーストを見る。

 

「……何?」

 

「一つ、覚えておいてください」

 

ゴーストの声が先ほどまでよりも僅かに強くなる。

「これから先、目撃者が精神干渉を仕掛けてくるのは、私達ガーディアンだけとは限りません」

 

「え…………」

 

霊夢の表情から僅かに軽さが消える。

 

「ど、どういう意味?」

 

「今回は私とガーディアンが狙われました」

 

ゴーストは静かに答える。

 

「ですが、また私達だという保証はありません」

 

魔理沙がすぐに意味を理解した。

 

「つまり」

 

帽子のつばを押さえる。

 

「次は私達かもしれないってことか?」

 

「はい」

 

はっきりとゴーストは答えた。

 

「その可能性が十分あります」

 

「…………」

 

チルノも今度ばかりは黙った。

大妖精が僅かに身を寄せる。

ルーミアが首を傾げた。

 

「……その、精神攻撃ってどうやって分かるのだー?」

 

「……分かります」

 

ゴーストの返答は重かった。

 

「嫌でも」

 

「…………」

 

「頭が引き裂かれるような頭痛、そして突然、周囲の音が遠くなる。視界がおかしくなる。自分のものではない思考が入り込んでくる」

 

ゴースト自身つい先ほど経験したばかりの感覚だった。

 

「見覚えのない光景が見えることもあります。そして――」

 

一拍。

 

「声が聞こえます」

 

「声?」

 

霊夢が聞き返す。

 

「はい」

 

ゴーストの中央眼が霊夢へ向く。

 

「耳から聞こえる声ではありません」

 

「頭の中へ直接、言葉が入ってきます」

 

「……気色悪い攻撃だな」

 

魔理沙が顔をしかめる。

 

「ええ」

 

ゴーストは否定しなかった。

 

「それに」

 

イコラが静かに続ける。

 

「目撃者は、ただ苦痛を与えるだけじゃないわ」

 

霊夢が彼女を見る。

 

「記憶や感情を利用するの」

 

「記憶?」

 

「恐怖。怒り。後悔。喪失」

「そして――嘘で騙そうとしない、真実を突きつけてくる」

 

「真実?」

 

「目撃者が厄介なのは、全部が嘘じゃないことよ。あなた自身が知っている事実や、認めたくない記憶を拾い上げて――最後の結論だけを、自分の望む方向へ導いてくる」

 

イコラの声が少し低くなる。

 

「その人間が抱えているものを利用して、自分の言葉を信じ込ませようとする。そして本人の抱えている罪悪感を刺激して心を揺らぎかけようとする」

 

「幻覚も?」

 

「ええ」

 

イコラは頷く。

 

「自分が最も見たくないものを見せることもある」

 

そして――僅かに間を置く。

 

「逆に」

 

「最も見たいものを見せることも」

 

「…………」

 

霊夢が黙った。

ただ怖がらせるだけではない。

欲しいもの。

会いたい者。

取り戻したいもの。

そうした心の隙間まで利用する。

 

「……悪趣味ね」

 

「同感です」

 

ゴーストが答える。

 

「だから」

 

声が少しだけ強くなる。

 

「もし、奴の声が聞こえたら」

 

霊夢達を真っ直ぐ見る。

 

「まず、自分が見ているものを疑ってください」

 

「自分の見てるものを?」

 

「はい」

 

「周囲にいる仲間を確認してください。できるなら声を掛け合うんです」

 

「今見えているものが、本当に全員に見えているのか」

 

霊夢が小さく頷く。

 

「一人で判断するなってことね」

 

「その通りです」

 

「それから」

 

ゴーストははっきりと言った。

 

「奴と会話しようとしないでください」

 

「…………」

 

「問いかけられても、答える必要はありません。必ず強い心を持って拒絶するのです」

 

先ほど自分の中へ入り込んできたあの声。

 

『小さき光よ』

 

ゴーストのシェルが僅かに震える。

 

「何を言われても」

「何を見せられても」

「目撃者の言葉を信じないでください」

 

「…………」

 

「奴の目的は、あなた達を理解することではありません」

 

静かながらも確かな言葉。

 

「あなた達に、自分の答えを受け入れさせることです」

 

白い霧が湖畔を流れていく。

誰もすぐには言葉を発しなかった。

やがて――霊夢が御札を握り直した。

 

「……分かったわ」

 

ゴーストを見る。

 

「要するに」

「頭の中に例の目撃者が出てきても、まともに相手するなってことでしょ?」

 

「かなり大雑把ですが……」

 

一拍。

 

「はい」

 

「なら簡単ね」

 

霊夢は向こうを見る。

 

「そんな奴の話なんか更々聞く気ないし」

 

「霊夢らしいぜ」

 

魔理沙が小さく笑う。

だがゴーストは笑わなかった。

 

「油断はしないでください」

 

「分かってるわよ」

 

「本当にです」

 

いつになく強い口調。

霊夢が少しだけ目を丸くする。

 

「奴は――」

 

ゴーストは一度、ガーディアンを見る。

 

「強いです」

 

「…………」

 

何の誇張もない。ただの事実。

 

「私達は何度も奴と対峙してきました」

 

そして地面へ。

一瞬だけ中央眼を向ける。

先ほどガーディアンが膝をついていた場所。

 

「それでも完全には防げなかった」

 

「…………」

 

「……奴の落ち着き様は、まるで全て計算通りだとさえ感じられます」

 

誰も何も言わなかった。

目の前で見ていた。

あのガーディアンが膝をついた。

ゴーストまで苦しんだ。

それだけで十分だった。

 

「……分かった」

 

霊夢が今度は真剣に頷く。

 

「覚えておく」

 

「私もだ」

 

魔理沙も続く。

 

「大ちゃん!」

 

チルノが振り返る。

 

「変な声聞こえたら、すぐあたいに言って!」

 

「チルノちゃんもだよ?」

 

「もちろん!」

 

「私も言うのだー」

 

ルーミアも元気よく手を上げる。

 

「……お願いします」

 

ゴーストがほんの少しだけ。

安堵したように見えた。その時。

 

 

――ドォォォォォン!!

 

 

再び遠くから爆発音。

全員が同時に紅魔館の方角を見る。

 

「…………」

 

霊夢の目が鋭くなる。

 

「早く行かないと!」

 

「ええ」

 

イコラも頷く。

 

「急ぎましょう」

 

今度こそ一行が動き出した。

ガーディアンも歩き出す。

先ほどまでの痛みが完全に消えたわけではない。

それでも止まらない。

 

開けた湖畔へそしてガーディアンが。

手を上げると淡い光粒子が集まる。

 

一台。

二台。

三台。

 

スパローが次々と実体化した。

 

「よし!」

 

当然のようにケイドがガーディアンのスパローの後ろへ飛び乗った。

 

「今度こそ途中で飛び降りんなよ、相棒!」

 

「…………」

 

ガーディアンが振り返る。そしていつものサムズアップ。

 

「だからその親指が一番信用ならねえんだよ!」

 

「ほら、ふざけてる場合じゃないわよ!」

 

既に上空へ飛び上がった霊夢が怒鳴る。

 

「分かってるって!」

 

魔理沙が箒へ跨る。

 

チルノ。

大妖精。

ルーミアは空へ。

 

クロウとイコラもそれぞれのスパローへ。

ガーディアンが前を見る。

白い霧のその向こうには紅魔館。

 

――ギュオォォォォォン!!

 

三台のスパローが一斉に唸りを上げた。

 

空には霊夢。

魔理沙。

チルノ。

大妖精。

ルーミア。

 

地上にはガーディアン。

ケイド。

クロウ。

イコラ。

 

一行は霧の湖の向こうにある紅魔館を目指して一斉に駆け出した。

その傍らでゴーストはほんの一度だけ後ろを振り返った。

 

誰もいない。

霧。

湖。

倒れたハイヴ。

それだけ。

「…………」

だが分かっている。

どこかに目撃者が自分達を見ている。

自分達だけでもない。

 

霊夢。

魔理沙。

チルノ。

大妖精。

ルーミア。

 

そしてこの先で出会う幻想郷の者達。

 

次に誰があの声を聞くのか分からない。

だからこそ警戒しなければならない。

そして前方には紅魔館。そこには。

 

スロール。

アコライト。

ナイト。

ウィザード。

オーガと思われる大型反応。

複数のシュリーカー。

そして一つだけ異常なほど強い正体不明のハイヴ反応。

 

ゴーストは前へ向き直った。

戦いはまだ終わっていない。

むしろ、本当の戦いはこれから始まろうとしていた。

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