東方天命録~The Final Shape Begins~ 作:はならむ
紅魔館の庭園を埋め尽くしていた戦火は、なおも衰える気配を見せなかった。
「ホントしっつこいわねえ!!」
「神社で戦った奴らより多すぎだろ!」
霊夢の御札が押し寄せるスロールの群れを押し返し、その上空を魔理沙が箒で駆け抜けて星弾をばら撒く。
「せぇいっ!!」
美鈴は崩れた石畳を蹴って敵陣へ飛び込み、拳と蹴りを寸分違わず叩き込んではアコライトやスロールを次々と吹き飛ばしていた。その死角を狙う敵には咲夜のナイフが先回りし、甲高い金属音とともに異形の身体へ突き刺さる。
「なんなのこいつらは……っ」
「パチュリー様、左右からまた来ます!!」
少し後方では、パチュリーが魔導書を片手に複数の魔法陣を展開し、小悪魔がその援護に回っていた。
「チルノちゃん、前出すぎだよ!」
「分かってるってもお!!」
「ホントにわかってるのかー」
上空ではチルノを先頭に冷気を撒き散らして敵の進行を鈍らせ、大妖精とルーミアもその隙を狙って攻撃を重ねている。
「ガーディアン、まだまだ来ます」
「………………………」
そこへ、ガーディアン達の銃火が絶え間なく加わっていた。
「相変わらずハイヴの奴らには慣れねえぜ!」
二段ジャンプで空中からケイドの切り札が乾いた発砲音を数発、響かせ地上のハイヴの頭を貫通し、爆発――。
「――ふっ!」
クロウはハンター特有の華麗なステップでアコライトの背後に回り込み、ナイフを取り出して喉元に走らせると緑色の血液が噴水のように吹き出してドサッと倒れる。
再びホークムーンを取り出して前方の重なったスロールとアコライトを同時に撃ち抜いた。それをちょうど見た咲夜は彼に、
「…………あなたもナイフ使いなんですね」
「まあ、君ほど上手くないさ」
と、謙虚に、さらっと流して再び射撃するクロウ。イコラは前線の動きを見ながら射線を変え、近づきすぎたナイトへショットガンを叩き込んで押し返していた。
そして、そのどれよりも重い轟音が響く。
――ドンッ!!
ガーディアンが構えたゼノファジからパイロトキシン弾が撃ち出された。
着弾した瞬間、密集していたハイヴの一角が猛烈な爆炎へ包まれる。爆発の中心にいたスロールはそのまま吹き飛び、周囲のアコライト達も纏めて地面へ叩きつけられた。後方にいたナイトでさえ衝撃に押され、重い鎧を引きずりながら何歩も後退していく。
それはもはや、咲夜が知る「銃」の範疇に収まるような光景ではなかった。
一発撃つたびに爆発が起き、そのたびに敵の集団がまとめて吹き飛ぶ。先ほどゴーストはあれをマシンガンと説明していたが、どう考えても無理がある。
「……やっぱり、あれをマシンガンと呼ぶのはおかしいと思うわ」
咲夜が半ば独り言のように呟くと、近くを飛んでいたゴーストがすぐさま振り向いた。
「分類上は本当にマシンガンです!」
「……聞こえていたんですか?」
「はい!」
「そう」
咲夜はそれ以上追及することをやめた。今は武器の分類について議論している場合ではない。
直後、戦場の奥から低く腹の底へ響く咆哮が上がった。
『グオオオオオオオッ!!』
黒煙の向こうから一体のオーガが姿を現す。すでに何発か攻撃を受けているにもかかわらず、その巨体はまだ倒れていなかった。
巨大な単眼がガーディアンを捉え、内部へ紫色の光を収束させていく。
「ガーディアン!」
クロウが叫んだ。次の瞬間、怪光線が放たれる。
ガーディアンは即座に地面を蹴って跳躍し、そのままウォーロック特有のグライドへ移行した。身体を横へ滑らせるように射線から外したことで直撃は避けたものの、標的を失った光線はそのまま背後へ伸び、紅魔館の庭園へ突き刺さった。
――ドォォォォン!!
土砂と石片が高く舞い上がる。そして、それを見たレミリアの頬がぴくりと引きつった。
綺麗に整えられていた花壇はすでに見る影もなく、庭木はいくつも折れ、石畳には無数の亀裂と穴が開いている。シュリーカーの砲撃によって外壁の一部も崩れ、館の窓も少なからず割られていた。
そこへ今の一撃である。
「……私の館で、随分と好き勝手やってくれるじゃない」
低い声。小さな身体から放たれる妖気が、一段と濃くなる。
隣に立つ咲夜も、その空気を感じてナイフを握り直した。
「お嬢様」
「止めないで、咲夜」
「止めません。私も少々、腹が立っておりますので」
レミリアはその返答に満足そうな笑みを浮かべた。
「そう。なら――」
そこまで言いかけた時だった。
――ドォォォォォン!!
今度は紅魔館の側面から、敵の砲撃とは明らかに異なる爆発音が響いた。
咲夜の表情が変わる。
「……まさか」
レミリアは一瞬だけ目を閉じ、額へ手を当てた。
「まさか来たの……フラン」
その名が口から零れた直後、爆煙の向こうから少女の楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
「あははははっ!」
紅魔館の屋根を越え、小さな影が勢いよく飛び出してくる。
「なんだあの子……?」
ケイド達はポカーンとなる一方で霊夢と魔理沙は「うわっ……!」と顔が強張った。
「フラン!?」
「……おい、まずくねえかこれ」
金色の髪に、赤を基調とした衣服。そして背中には、黒い枝のような骨格から七色の結晶が吊り下がった奇妙な翼。
――フランドール・スカーレット。
レミリアの妹であり、同じ吸血鬼。
普段は紅魔館の地下で長い時間を過ごしている少女だが、その幼い見た目とは裏腹に、内に秘めた力は紅魔館の住人達でさえ決して軽く扱わないほど強大だった。
「あれ?何これ!」
フランドールは眼下の戦場を見るなり、紅い瞳を輝かせた。
「すっごいことになってる!」
「フラン!」
レミリアの怒声が飛ぶ。
「何で出てきたのよ!」
「だって、さっきからずっとドンドンうるさいんだもん!」
フランドールはまるで悪びれた様子もなく、周囲を興味深そうに見回していた。やがて視線が荒れ果てた庭へ向く。
「……お姉様」
「何?」
「庭、すごいことになってるよ?」
「そうよ」
レミリアの声が低くなる。
「あいつらがやったの」
「…………ふーん」
その瞬間、一体のオーガが上空のフランドールへ標的を変えた。巨大な単眼へ紫色の光が集まり始める。
「フランドール様!」
咲夜が叫ぶ。
「避けてください!」
しかし、フランドールは動かなかった。むしろそのオーガを興味深そうに見下ろしてから、もう一度レミリアへ視線を向ける。
「あれも?」
「そうよ!」
「じゃあ」
フランドールの口元へ、無邪気な笑みが浮かんだ。しかし、その笑みはまるで誰でもいいから血祭りに上げたくてうずうずしていたような狂気的な雰囲気も感じさせられる。
「壊していいんだよね?」
右手へ紅い光が集まる。炎のような妖力は瞬く間に形を変え、巨大で歪な魔剣へと姿を変えた。その異様な武器を見て、クロウが目を見開く。
「……なんだあれは」
「レーヴァテインよ」
霊夢が短く答えた。
「レーヴァテイン……」
ケイドが嫌そうな顔をする。
「名前からして嫌な予感しかしないんだが」
「その勘は合ってるわ。離れてなさい」
「……イエッサー」
直後、オーガの怪光線が放たれた。だが、紫色の光が届くより先に、フランドールの姿が掻き消える。
「……速い」
クロウが呟く。少女はすでにオーガの頭上へ回り込んでいた。
「あはっ!」
レーヴァテインを振り上げる。
「それっ!」
次の瞬間、紅い閃光が戦場を斜めに切り裂いた。
――ズドォォォォォォン!!
オーガの巨体が爆炎へ呑み込まれる。
さらに余波が背後のナイトとアコライトを纏めて吹き飛ばし、上空で殻を開いていたシュリーカーへまで届いた。
――ドォォォン!!
空中でシュリーカーが爆発する。その破片が炎を引きながら庭園へ降り注いだ。
「…………」
クロウが完全に言葉を失っている。ゴーストが慌てて周囲を走査した。
「オーガ一体、ナイト二体、アコライト複数、シュリーカー一体――敵性反応消失!」
「……一撃で?」
「はい!」
クロウの横で、ケイドが乾いた笑いを漏らす。
「幻想郷ってのは、どいつもこいつも人外だな」
「その感想には同意するわ」
イコラでさえ今回は否定しなかった。だがフランドールは、そんな会話など聞いていない。
「キャハハハハっっ!!!」
楽しそうな笑い声を上げながら敵陣へ飛び込み、レーヴァテインを横薙ぎに振るう。
「ホラホラホラァ!!!」
紅い閃光が走るたびにスロールの群れが消し飛び、アコライト達が銃口を向けても、少女はその隙間を軽やかに縫いながら接近していく。反撃の一撃が放たれるたび、戦場の一角が紅い爆炎へ塗り替えられた。
ナイトが巨大な剣を振り下ろす。
フランドールは身体を僅かに傾けてそれを避けると、至近距離からレーヴァテインを振るった。
爆発とともにナイトが吹き飛び、その背後へいたスロール達まで纏めて巻き込まれる。
「フラン!」
ついにレミリアが叫んだ。
「庭まで一緒に壊すんじゃないわよ!」
「壊してないよ!」
「今、地面ごと吹っ飛ばしたでしょうが!」
「敵がそこにいたんだもん!」
「地面は敵じゃない!」
「細かいなあ」
「細かくない!」
その姉妹のやり取りを聞きながら、ケイドがぽつりと呟いた。
「……なんか親近感湧いてきたな」
「あなたと一緒にしないで」
イコラが即座に切り捨てる。
「おいおい、まだ何も言ってないだろ」
「言わなくても分かるわ」
そんな軽口を交わせるほど、戦況は一気に傾いていた。フランドールが加わったことで、これまで物量で押し続けていたハイヴの前線は完全に崩れ始めていた。
一方からガーディアンのゼノファジ。
パイロトキシン弾が着弾するたび、ハイヴの集団が爆炎へ呑み込まれる。
反対側からはフランドールのレーヴァテイン。
その一振りはナイトもオーガも関係なく薙ぎ払っていく。
そこへ霊夢と魔理沙、レミリア、咲夜、美鈴、パチュリー達の攻撃が重なり、ケイド達も逃げ場を失った敵を確実に仕留めていった。
「敵性反応、急速に減少しています!」
ゴーストが叫ぶ。
「残存戦力、三割以下!」
さらにフランドールが最後まで抵抗していた一体のオーガへ接近し、レーヴァテインを振り抜く。
轟音とともに巨体が紅い光へ呑まれた。
周囲にいたアコライト達も纏めて消し飛び、爆煙だけが大きく広がる。
その煙の中からフランドールが飛び出してきた。
少女はレーヴァテインを肩へ担ぎながら、残った敵を探すように辺りを見回す。
しかしもう、ほとんど残っていない。
つい先ほどまで庭園を埋め尽くしていたハイヴの群れは、見る影もなく数を減らしていた。
フランドールは少しだけ頬を膨らませる。
「なんだ、つまんないの」
「いやいやいや」
ケイドが即座に口を挟んだ。
「こっちはそれくらいでちょうどいいんだよお嬢ちゃん!」
「もう終わり?」
「終わってくれるなら最高だ」
「ふーん」
いかにも不満そうな顔をするフランドール。
「…………えっ?」
だが、その直後だった。
「……待って」
イコラが低く呟く。
戦場の空気が変わった。残っていたハイヴ達が、突然攻撃を止めていた。
アコライトも、ナイトも、上空のウィザードも、こちらへ武器を向けることなく静かに立っている。
「……降参?」
チルノが首を傾げる。ケイドの顔から笑みが消えた。
「ハイヴがそんな聞き分けのいい連中だったら、俺達も苦労してない」
やがて、残っていたハイヴ達がゆっくりと左右へ分かれ始める。逃げるのではない。
まるで、誰かを迎え入れるために道を開けている。
霊夢がお祓い棒を握り直した。
「……何よ、あれ」
その時、ゴーストの中央眼が大きく開く。
「例の反応です!」
「さっき言ってた正体不明の?」
イコラがすぐに問い返した。
「はい! 先ほど紅魔館周辺で感知した非常に強力なハイヴ反応――こちらへ向かっています!」
次の瞬間。地面が揺れた。
――ズン。
一度。
そして、もう一度。
――ズン。
今度は誰にでもはっきり分かるほど、庭園の石畳が震えた。
美鈴は反射的に構えを深くし、咲夜も新たなナイフを指の間へ挟む。
やがて、左右へ分かれたハイヴ達の奥から低く不気味な詠唱が聞こえ始めた。
緑色の炎が地面から立ち上り、黒い靄と混ざりながら渦を巻いていく。
「召喚……?」
小悪魔が不安そうに呟く。
「少し違うわね」
パチュリーが魔導書越しに現象を睨む。
「転移に近い……けれど、それだけでもない」
炎が大きく膨れ上がった。その中心から、巨大な足が一歩踏み出す。
次いで現れたのは、通常のナイトとは比較にならないほど分厚い装甲。さらに、その手には巨大な斧。
一歩。
また一歩。
緑色の炎を押し退けるように、その巨躯が完全に姿を現した瞬間。誰もが直感した。
――今までの敵とは違う。
単純に大きいからではない。
漂わせる威圧感。
隙のない立ち姿。
周囲のハイヴ達が、当然のように道を譲っている。
美鈴が小さく息を吐いた。
「……あれ、今までのとは明らかに違いますね」
「ええ」
咲夜も目を細める。
そして彼女は、すぐにもう一つの異変へ気づいた。
異世界から来た戦士達の反応だ。
「え、ウソでしょ……っ」
イコラの顔から余裕が消えている。
クロウはホークムーンを握り直し、ガーディアンもゼノファジの銃口を巨躯へ向けていた。
あの冷静なゴーストも動揺していた。
「あ………アラークハル!?」
困惑。
驚愕。
そして、信じられないものを見たような顔のケイドは。
「……おい待て!」
霊夢が横目で彼を見る。
「あんた達、あいつを知ってるの?」
ケイドは改めてその姿を凝視する。
「なんでこいつがこんな所にいるんだ!?」
「知り合いなのか?」
魔理沙が聞くとゴーストが魔理沙の横に移動した。
「アラークハル……かつてオリックスに反旗を翻して謀反を起こしたハイヴ・ナイトの猛将です!」
「また知らない名前が出たわよ。オリックスって誰?」
魔理沙も眉を寄せた。
「サバスンとシヴなんとかって奴なら神社で聞いたけど、そいつは初耳だぜ」
「その話は後にして」
イコラが会話を遮る。その声は落ち着いていたが、いつもの彼女より明らかに硬かった。
「今は目の前のアラークハルに集中して。詳しい説明をしている余裕はないわ」
霊夢は少し不満そうに眉を寄せたが、すぐに御札を構え直す。
「……分かったわよ」
その直後、アラークハルが巨大な斧をゆっくりと持ち上げた。そしてその刃へ、眩い黄金色の光が集まり始める。
「…………!」
ケイドが目を見開いた。
「……なあ?」
自分達ガーディアンと同じ光の輝き。それが何なのかはケイドにも一目で分かった。
「なんであいつが光を持っているんだ!?」
驚くケイドとは対照的に、イコラ達の反応は違っていた。
警戒はしている。
だが、それ自体は初めて見るものではない。
クロウが短く答える。
「今のアラークハルは光を宿してる」
ケイドが振り向く。
「今の?」
その言葉へ違和感を覚えたらしい。
「何だよ、『今の』って!」
「ケイド」
イコラが制する。
「あとで説明する」
「いや、待て待て待て」
ケイドはもう一度アラークハルを見る。
光を纏う巨大な斧。自分が知っている姿とはまるで違う。
「――あいつ、黒剣じゃなかったのか!?」
クロウが僅かに表情を変えた。
「そうか……ケイドが知ってるのは昔のアラークハルか」
「昔も何も、俺が知ってるのはそっちだけだ!」
ケイドの認識は、かつてオリックスへ反逆し、暗黒の領域へ幽閉されていた頃のアラークハル――黒剣で止まっている。
しかし、イコラとクロウ、ガーディアン、そしてゴーストはその後を知っていた。
一度死に、そして光を得て戻った姿。
――光の刃、アラークハル。
だが異変はそれだけではなかった。ゴーストの中央眼が僅かに揺れる。
「……待ってください」
「どうした?」
クロウが問い返した。
「別の反応があります。光だけではありません」
次の瞬間。アラークハルの足元から、白い霜が一気に広がった。
「なあ、あれって確か神社に現れた敵が使ってた――」
急激な冷気、しかし、それはチルノの生み出す氷とは明らかに違う、生きた冷気ではない。
むしろ。空間そのものを停止させ、固定し、動きを奪っていくような、不自然で重苦しい冷たさ。
青白い結晶が地面から次々とせり上がり、アラークハルの脚部を取り巻いていく。
その光景を見た瞬間、イコラの目が鋭く細められた。
「……ステイシス」
クロウも思わず息を呑む。
「おい、光だけじゃないのか?」
「間違いありません」
ゴーストが走査結果を告げる。
「アラークハルからステイシス反応を検知しています」
「こいつも使うの!?」
神社でドレッドと戦った際に霊夢はあの杖を持った『前兆』のステイシスによって身動きをとれなくされたことに未だに身体が覚えていたため、すぐさま警戒する。
(フィンチ曰く、サバスンの命令でオリックスの神殿を守っていたはず。ここにいるということは――!)
だが。イコラはすぐには説明しなかった。
彼女の視線はアラークハルへ固定されたままだった。
光、そして暗黒の力であるステイシス。
その二つを一体のハイヴが同時に宿している。
イコラの思考の中で、これまで散らばっていた幾つもの情報が静かに繋がり始めていた。
死んだはずのアラークハルが光を持って戻っている。
その事実だけを見れば、サバスンの影を疑いたくなる。
一方、幻想郷という異世界へこれほどの兵力を送り込み、組織的な侵攻を続けているという状況は、戦争そのものを糧とするシヴ・アラスを連想させるには十分だった。
そして何より。
今、アラークハルが纏っているステイシス。
これは偶然では片付けられない。
(まさか、目撃者が……?)
ステイシスを持っている。
それは即ち、アラークハルが目撃者側の暗黒へ接続された可能性がある。
どのような取引があったのか。
誰が彼を蘇らせ、誰が光を与え、誰がステイシスまで与えたのか。
そこまでは分からない。
だが少なくとも。
目の前のアラークハルが、目撃者と無関係な存在ではないことだけは確かだった。
そしてもしサバスン、シヴ・アラスの思惑が、同じ侵攻の中で絡み合っているのだとすれば――。
(――想像していたより、ずっと厄介ね)
イコラは内心で。
しかし、その推測を今ここで口にすることはしなかった。
霊夢達へハイヴの歴史やそれぞれの思惑を説明する時間はない。
何より。
今にも目の前のアラークハルが動き出そうとしている。
「詳しい話は全て終わらせてからにしましょう」
イコラが静かに告げた。霊夢も右手にお祓い棒、左手に御札を構え、短く頷く。
「ええ。それでいいわ」
そんな緊張の中、フランドールだけは、少し違った反応を見せていた。
「ふーん」
レーヴァテインを肩へ担いだまま、アラークハルを興味深そうに見上げている。
先ほどまで「つまんない」と不満そうにしていた少女の瞳へ、再び好奇心の光が戻っていた。
「こいつ、強いの?」
「強い」
ケイドが即答する。
「少なくとも、今までの奴らより遥かにな」
イコラが付け加えた。
「今はもっと危険よ」
その一言でフランドールの口には吸血鬼特有の牙がチラリと見え、楽しそうな笑みが浮かぶ。
「じゃあ、今度は楽しめるかな?」
手の中のレーヴァテインが、再び紅い炎を上げる。
「待ちなさい、フラン」
レミリアが妹の横へ並んだ。
「お姉様?」
「私もやるわ」
レミリアの視線が荒れ果てた庭園を一度だけ横切る。
壊された花壇。
抉れた石畳。
崩れた外壁。
砕けた窓。
それらを見た後、紅い瞳が再びアラークハルへ向けられる。
「奴が、私の館をここまで好き勝手に荒らした連中の大将みたいなものでしょう?」
ゴーストが一応訂正しようとする。
「厳密には――」
「今はそれでいいわ」
「……はい」
レミリアの右手へ、濃密な妖力が集まり始めた。
紅い光が次第に長大な槍へ形を変える。
それを見た咲夜がすぐに察し、周囲へ声を飛ばした。
「皆様、お二人の正面から離れてください!」
大妖精が不安そうに振り返る。
「そんなに危ないんですか?」
「できるだけ遠くへ!」
その言葉だけで十分だった。
霊夢と魔理沙は左右へ飛び、チルノ達も慌てて距離を取る。美鈴と小悪魔も後退し、パチュリーは念のため防御魔法まで展開した。
ケイドもすぐに下がろうとしたが、ふと横を見る。
ガーディアンはすでにかなり後ろへ移動している。
「……相棒」
「…………」
「お前こういう時だけ判断が異常に早いな」
ガーディアンは無言のまま親指を立てた。
「褒めてねえよ」
戦場の中央。
吸血鬼の姉妹が並ぶ。
レミリアの手には紅い神槍。
フランドールの手には燃え盛る魔剣。
グングニル。
レーヴァテイン。
二つの巨大な力が、同時にアラークハルへ向けられた。
「フラン」
「なあに?」
「合わせなさい」
「うん!」
レミリアが槍を大きく引く。
周囲の空気が震え、圧縮された妖力に足元の小石が浮き上がる。
「神槍――」
アラークハルも巨大な斧を構える。
「スピア・ザ・グングニル!!」
レミリアの腕が振り抜かれ、紅い槍が一直線に戦場を貫く。
――ズドォォォォォン!!
胸部へ直撃。アラークハルの巨体が大きく揺れ、地面を削りながら何歩も後ろへ押し込まれる。
装甲が砕ける。
だが、倒れない。
「今よ、フラン!」
「うん!」
すでにフランドールは上空へ回り込んでいた。
レーヴァテインを両手で振り上げる。
つい先ほど、オーガを一撃で消し飛ばし。
シュリーカーさえ余波で破壊し。
数え切れないほどのハイヴを薙ぎ払った魔剣。
それを今度は、真正面から叩き込む。
「これで――」
フランドールが笑う。
「おしまいっ!!」
レーヴァテインが振り下ろされた。
――――ドォォォォォォォン!!
視界が紅く染まる、巨大な爆炎が庭園中央で膨れ上がり、石畳が円形に捲れ上がった。土砂と瓦礫が空高く舞い、衝撃波が紅魔館そのものへ叩きつけられる。
――ガシャァァァァン!!
残っていた窓硝子が一斉に砕けた。
「フラン!!」
レミリアが思わず叫ぶ。
「館まで壊してどうするのよ!」
「お姉様も撃ったじゃん!」
「私は加減したわよ!」
「私もしたよ?」
「どこがよ!」
そこへ、静かな声が割って入る。
「お嬢様。フランドール様」
姉妹が同時に止まった。咲夜が笑顔で立っている。
「館を守る戦いで、お二人が館を壊してどうするのですか?」
「…………」
「…………」
レミリアが僅かに目を逸らす。
「……後にしましょう」
「ええ。後で必ずお話があります」
フランドールが姉を見て笑う。
「お姉様、怒られてる」
「あなたもよ!」
ほんの一瞬、戦場へ緩んだ空気が戻った。
だが。
「……待って」
イコラの声が低く落ちる。
その一言で全員の表情が変わった。
視線が爆煙の向こうへ集まる。
レミリアのグングニル。
そしてフランドールのレーヴァテイン。
二つの大技を真正面から受けた。
普通なら既に終わっている。
少なくとも、これまで相手にしたハイヴならば。
フランドールも当然そう思っていた。
「……今度こそ終わった?」
少し残念そうに呟く。
その直後。
――ズン。
「…………え?」
煙の中から、足音。
――ズン。
もう一歩、今度は誰にでもはっきり聞こえた。
フランドールの笑みが少しずつ消えていく。
レミリアも目を細めた、そして。
――ブォン!!
巨大な斧が横薙ぎに振るわれた、その一撃だけで爆煙が吹き飛ぶ。
現れた姿を見て全員が息を呑んだ。
「な、なんで……………っ」
アラークハルはまだ立っていた。
無傷ではない胸部の装甲はグングニルの直撃で大きく砕け、その奥には深い傷が刻まれている。
レーヴァテインを受けた肩口も大きく抉れ、焦げた鎧の破片が足元へ落ちていた。
全身から黒煙が立ち上っている。
二人の攻撃は確実に効いている。
むしろ普通の相手なら、それだけで何度死んでいてもおかしくないほどの損傷だった。
それでもアラークハルは倒れていない。
巨大な斧を握り両脚で大地を踏み、こちらを見ている。
砕けた鎧の隙間から、黄金色の光が漏れ出す。
さらに足元からは、青白いステイシスの結晶が伸び始めた。
光。
暗黒。
二つの異質な力を同時に纏いながら。
アラークハルが咆哮する。
『――――――――!!』
空気が震えた。
庭園へ散らばった瓦礫が小さく跳ねる。
レミリアから笑みが消えた。
そしてその隣。
フランドールは完全に動きを止めていた。
紅い瞳を大きく見開き、ただ目の前の巨体を見つめている。
「…………うそ」
小さな声だった。
「フラン?」
レミリアが妹を見る。
だがフランドールはアラークハルから目を離さない。
「……うそ……」
今度は少しだけはっきりと。
「まだ……立ってる」
そこにあったのは恐怖ではない。
純粋な驚き、そして自分の理解から外れたものを、初めて目の前へ突きつけられたような困惑だった。
フランドールは、自分の手にあるレーヴァテインを一度見てそれから姉を見る。
「私のレーヴァテイン……当たったよね?」
「ええ」
レミリアが静かに答える。
「間違いなく」
「お姉様の槍も?」
「直撃したわ」
「…………」
フランドールは再びアラークハルを見た。
オーガは壊れた。ナイトもシュリーカーも。
自分が壊そうとしたものは大抵壊れた。
だが目の前の敵は姉のグングニルと自分のレーヴァテインを真正面から受けてまだ立っている。
数秒、フランドールは本当に言葉を失っていた。
やがて、その表情が少しずつ変わり始める。
驚きが。
好奇心へ。
困惑が。
興奮へ。
「……ふふ」
口元がゆっくりと吊り上がる。
「あはっ」
レーヴァテインを握り直した。
「あんなに頑丈なの、初めてかも」
「フラン」
レミリアの声は、先ほどよりも明らかに真剣だった。
「油断しないで」
「分かってる」
今度はフランドールも素直に答える。
そして先ほどまでのように。
勢いだけで飛び込もうとはしなかった。
レーヴァテインを両手で構え、アラークハルの動きをじっと見ている。
ケイドも切り札を構え直した。
「……黒剣だったはずなんだけどな」
白色の光。
青白いステイシス。
目の前のアラークハルを見ながら、複雑そうに呟く。
「俺の知ってる奴とは、完全に別物になってやがる」
イコラはその言葉へ答えず、静かにアラークハルを見据えていた。
胸中には先ほどの推測がまだ残っている。
光と暗黒。
復活したハイヴ。
大規模な侵攻。
サバスン。
シヴ・アラス。
そして。
目撃者。
目の前のアラークハルは目撃者の力を受け取っている可能性がある。
ならばその傘下。
あるいはその意志の及ぶ勢力として動いている。
それだけはほぼ間違いない。
だが問題はそれだけではない。
サバスンとシヴ・アラス。
二人まで関わっているとすれば。
今回の侵攻は単純な一勢力の攻撃ではない。
複数の意図が複雑に幻想郷へ入り込んでいる。
(彼女達は…………何を企んでいるの?)
イコラの胸中に浮かぶ疑問。
しかし。
今は答えを探している場合ではない。
次の瞬間、アラークハルが腰を落とした。
「来る!」
クロウが叫ぶ。
――ドンッ!!
巨体が地面を蹴る。
「速っ!?」
霊夢が目を見開いた。あれほど巨大な身体からは想像もできない速度で、一気に間合いが潰される。
「全員、散開!!」
イコラの怒声が飛ぶ。
霊夢と魔理沙が左右へ飛び、美鈴は咲夜を庇うように大きく跳んだ。小悪魔はパチュリーの腕を引き、チルノ達も慌てて上空へ逃れる。
ケイドとクロウは左右へ転がり、ガーディアンは地面を滑るようにスライディングして射線から外れた。
その直後、白色の光と青白い暗黒を纏った巨大な斧が、庭園へ叩きつけられた。
――――ズドォォォォォォォン!!
大地が爆ぜる。石畳が一斉に宙へ跳ね上がり、地面へ巨大な亀裂が走った。
しかもそれで終わらない。
斧が叩きつけられた地点から、青白い結晶が凄まじい勢いで地面を走り始める。
「離れて!」
イコラが叫んだ。ステイシスの結晶はまるで生き物のように地面を這い、触れた石や土、瓦礫を次々と凍結させていく。霊夢が上空からその光景を見下ろした。
「また私達を凍らせるつもり?」
魔理沙も箒を急上昇させながら下を見る。
「やっぱりチルノの氷とは全然違うな!」
「一緒にすんなー!」
チルノが怒鳴るが、その声にもいつもの余裕は少なかった。少し離れた場所へ着地した咲夜は、アラークハルから目を離さない。
グングニルとレーヴァテインを受けても倒れない耐久力。
その巨体からは想像もできない速度。
光、そして未知の暗黒。
ただ頑丈なだけの敵ではない。戦い方そのものを理解している。
「……厄介ですね」
咲夜が小さく呟く。隣でパチュリーも魔導書を開いたまま、青白い結晶を観察していた。
「あの冷気……魔法とは原理が違う」
「分かるの?」
「違うことだけは分かるわ」
「十分よ」
煙の中心でアラークハルがゆっくりと斧を地面から引き抜いた。白色の光が刃から零れ。
その足元では青白いステイシスの結晶が静かに広がっていく。
今度はフランドールも、ただ楽しそうに笑ってはいなかった。
笑みはある、だが先ほどまでのような、壊せる玩具を見つけた子供のそれではない。
自分の一撃を耐えた相手。
その動き、間合い、攻撃の癖。
それを確かめるようにレーヴァテインを構えている。
レミリアもその横で妖力を集め直し。
霊夢はお祓い棒を握り締め。
魔理沙は八卦炉を構え。
美鈴は拳を上げ。
咲夜はナイフを握る。
ケイド。
クロウ。
イコラ。
そしてガーディアン。
全員の視線が一体の敵へ集まっていた。
つい先ほどまで庭園を埋め尽くしていた大軍を相手にしていた。
だが今はたった一体。
それだけなのに戦場を支配する圧力は先ほどまでとは比較にならない。
ケイドが低く呟く。
「ヤツは黒剣でもなけりゃあ」
斧を包む光を見る。さらにその巨体を覆う青白い暗黒を見る。
「光の刃だけでもねえな」
イコラは答えなかった。
ただ静かに構える。
自分達が知っていた奴とはどの姿とも違う。
光を持ち、暗黒を持ち。
そして目撃者の影を背負った。
新たなアラークハル。
その姿を前にイコラは一度だけ静かに息を吐いた。
「来るわよ、集中して!」
その声に全員が身構えるとアラークハルが再び斧を持ち上げた。
刃を光が包み周囲には青白い結晶が浮かび上がる。
紅魔館を巡る戦いはまだ終わってなどいなかった。
むしろこれまでの戦いは、この一体を迎えるための前哨戦だったのではないか。
そう思わせるほどの存在感を放ちながら。
アラークハルは再び、彼らへ向けて歩き始めた。