東方天命録~The Final Shape Begins~ 作:はならむ
その夜、博麗神社は普段とはまるで違う静けさに包まれていた。
幻想郷では、異変が一つ片付けば大体、宴会が始まる。それがどれほど大きな騒ぎだったとしても、昼間まで弾幕を撃ち合っていた者同士が、日が暮れる頃には同じ卓を囲んで酒を酌み交わしていることさえ珍しくない。勝ったのだから飲む。無事だったのだから騒ぐ。面倒なことは明日になってから考えればいい。それもまた、幻想郷における一つの「異変の終わり方」だった。
けれど、今夜ばかりは誰にもそんな気分にはなれなかった。
霧の湖は荒れ果て、湖面からは巨大なステイシス結晶が何本も突き出している。岸辺には焼け焦げた跡が残り、紅魔館の庭園は原形を失いかけていた。外壁には大穴が穿たれ、窓は砕け、屋根の一部さえ崩れ落ちている。妖精達も大勢が負傷し、辛うじて立っていられる者達が、動けない仲間を支えながら後始末に追われていた。
そのすべてをもたらしたのは、この世界には本来存在しない異形の軍勢――ハイヴ。
そして最後まで彼らの前に立ちはだかった巨大な騎士、アラークハル。
確かに倒した。生き残ったハイヴも撤退し、戦いそのものは終わった。それでも普段の異変解決後のような安堵感はなかった。むしろ戦いが終わり、落ち着く時間ができたからこそ、今日起きたことの異常さがじわじわと胸へ沈み込んできていた。
しかも、空を見上げれば、異変がまだ完全には終わっていないことを嫌でも思い知らされる。
幻想郷の夜空には、本来なら満天の星と月だけが浮かんでいるはずだった。人工の灯りが少ないこの世界では、夜になれば星々は驚くほど鮮明に見える。だが、その美しい星空の中央を無遠慮に切り裂くように、一つの巨大な亀裂が浮かんでいた。
――ベイルの扉。
幻想郷と、イコラ達が生きてきた世界。本来なら決して交わるはずのない二つの世界を繋いでしまった巨大な傷口は、夜になると昼間以上に異様な存在感を放っていた。
裂け目の縁では、白や紫、青、時には虹色にも見える幾何学的な光が不規則に走り、その奥を黒い靄が生き物のように這い回っている。光と暗黒。ベイルとトラベラー。その二つがぶつかり合った末に生じた歪みは、まるで幻想郷という世界そのものを覗き込む巨大な眼のようでもあった。
誰もあれを見慣れたわけではない。ただ、見上げたところで今はどうすることもできない。それだけだった。
夕食を簡単に済ませた霊夢は、珍しく境内の片付けさえ翌日に回し、早々に床へ入っていた。魔理沙も今夜は酒を要求することなく魔法の森へ戻っている。普段なら異変の後ほど何かと騒がしくなる神社だったが、今夜は虫の音と風に揺れる木々の音しか聞こえなかった。
「今日はもう最悪だったわ……………」
布団へ横になった霊夢は、しばらく薄暗い天井を見つめていた。
身体はとっくに限界だった。肩も腕も背中も重く、少し動かすだけで、今日受けた攻撃の名残が鈍い痛みとなって返ってくる。これほど疲れているのなら、布団へ入った瞬間に眠りへ落ちてもおかしくないはずだった。
それなのに、目を閉じるとあの戦場が蘇る。
アラークハルの咆哮。巨大な斧。湖上を乱反射して襲いかかってきた青白いアーク。地面へ叩きつけられた魔理沙。吹き飛ばされたチルノや大妖精。そして倒れていく妖精メイド達。
あの瞬間だけは、本当に誰かが死ぬのではないかと思った。
霊夢は小さく舌打ちし、寝返りを打った。
「……ったく、ほんと何なのよ……」
普段の異変なら、原因を見つけて叩きのめし、話を聞き、気に入らなければもう一度殴る。大抵はそれで済む。そして数日もすれば、その相手が宴会に混ざっていることさえある。
だが、今日の敵は違った。
殺すことそのものに迷いがない。対話を求める様子もない。ただ攻め込み、破壊し、戦い続ける。しかも、あれほど苦戦したハイヴの大軍ですら、イコラ達によれば全体から見ればほんの一部に過ぎないという。
その事実を思い出した時、霊夢の脳裏へ、夕方にガーディアンへ投げかけた問いが蘇った。
『あんた達、ずっと……こんなのと戦ってきたの?』
ガーディアンは何も答えなかった。ただ静かに一度だけ頷いた。
その頷きには誇張も自慢もなかった。悲観している様子さえなかった。ただ、「そうだ」と事実だけを認めるような重さがあった。
障子の向こうで、ベイルの扉が一度大きく明滅する。月明かりとは明らかに違う淡い紫色の光が、ほんの一瞬だけ室内へ差し込んだ。
霊夢は顔をしかめてそちらを見ると、布団を頭まで引き上げた。
「……ほんっと、目障りね」
今考えても仕方がない。明日になればまた動かなければならないのだ。なら、今は少しでも身体を休めるべきだ。
「……寝よ」
そう呟き、霊夢は今度こそ目を閉じた。
◇
その頃、霊夢から割り当てられた客間では、クロウとガーディアンがそれぞれ装備を外しながら身体を休めていた。
クロウは壁へ背を預け、右肩の装甲へ手をかける。外そうとした瞬間、アラークハルのアークをまともに浴びた箇所が疼き、思わず顔をしかめた。
「……っ」
戦っている最中は光と緊張で無理矢理身体を動かせていたが、こうして落ち着いてしまえば全身の傷が一斉に自己主張を始める。
「ひどい一日だったな……」
誰に言うでもなく呟いたクロウの向かいでは、ガーディアンが胡坐をかきながら、自分のアーマーを黙々と点検していた。
虹色の装甲には無数の傷が走り、アークで黒く焦げた部分や、ステイシスの冷気によって白く変色した箇所まである。その周囲をゴーストがゆっくりと飛び回り、青白い走査光で上から下まで確認していった。
「右肩装甲に亀裂があります。胸部プレートにも損傷。それと左脚の補助機構も少し不安定ですね」
ガーディアンは一度だけ頷いた。
「明日、ちゃんと確認しましょう」
もう一度、頷く。クロウはその様子を眺めていたが、やがて小さく笑った。
「お前、本当に平気そうな顔するよな」
ガーディアンが顔を上げる。
「……平気だ」
「それ、今日何回言った?」
今度はガーディアンが沈黙した。
するとゴーストが即座に答える。
「少なくとも私には三回です」
「だろ?」
クロウが笑うと、ガーディアンは二人を順番に見た後、何も言わず視線を逸らした。
「まったく……」
ゴーストは呆れたように言ったが、その声には安堵が滲んでいた。どれだけ無茶をしても、こうしてまだ自分の隣にいる。それだけで、今は十分だった。
その時、障子の向こうが一瞬だけ淡い虹色に染まった。
クロウは顔を上げると、障子を少し開いて外を見た。
満天の星。その中央に浮かぶ巨大なベイルの扉。
「……まだあるな」
「はい。今のところ、大きさに急激な変化はありません」
ゴーストもクロウの肩近くへ浮かび、裂け目を見上げる。
「閉じる気配は?」
「ありません」
クロウはしばらく黙ってそれを見ていたが、やがて小さく息を吐いた。
「今日のハイヴもアラークハルも、結局あれが原因か」
「可能性は極めて高いです。直接あの裂け目を通過したのか、あれによって生じた別の空間歪曲を利用したのかまでは分かりませんが」
「……嫌な感じだ」
クロウは眉を寄せる。
「だが、偶然じゃないのは確かだと思う」
その言葉にゴーストの中央眼が僅かに細くなる。
ガーディアンも同じ夜空を見上げると、何も言わず一度だけ頷いた。
◇
一方、その客間から少し離れた縁側では、イコラとケイドが並んで座っていた。
幻想郷の夜空は、驚くほど澄んでいる。高層建築も、航空機の航行灯も、シティの人工的な明かりもない。本来なら星と月だけが広がる、美しく静かな夜だった。
ただ一つ。
そこにあるはずのない巨大な異物を除けば。
イコラは頭上のベイルの扉を見上げたまま、しばらく何も言わなかった。隣のケイドも同じものを眺めている。
「幻想郷の夜空ってのは、綺麗なんだけどな」
ケイドがぽつりと言った。
「ええ」
「あれさえなけりゃ、観光には最高だ」
顎で巨大な裂け目を示す。イコラは呆れたように横目を向けたが、ケイドの表情が思いのほか真面目だったので、それ以上何も言わなかった。
「雰囲気ぶち壊しすぎだろ、アレ」
「……そうね」
普段なら今頃、この境内には誰かの笑い声が響いているのだろう。それが今夜は、虫の声と風に揺れる木々の音しか聞こえない。
しばらく沈黙した後、ケイドが小さく息を吐いた。
「にしても……とんでもない一日だったな」
「ええ」
「朝起きた時には、まさか夜までに黒剣とまた殴り合ってるとは思わなかった――いや、今は光の刃か」
「ええ」
「てことは、奴にもゴーストがいるってことか」
ケイドの声から、先ほどまでの軽さが消えた。イコラは夜空のベイルの扉を見上げたまま、静かに頷く。
「ええ。アラークハルは光を与えられて蘇った。今は『ルーセント・ハイヴ』の一員よ」
「……ハイヴが、光を?」
「そう」
ケイドはしばらく黙り込んだ。トラベラーは人類へ光を与え、ガーディアンを生み出した。 もちろん、かつてエリクスニーもトラベラーの恩恵を受けていたことは知っている。それでも。
「……俺達の仲間を散々殺してきた連中にも、か」
「ええ」
ケイドは自分の手を見つめた。
「俺さ。トラベラーが何考えてるか分からない奴だってのは、昔から知ってたつもりなんだけどな」
少しだけ間を置く。
「それでも、どっかでは人類の味方だと思ってたみたいだ」
イコラは否定しなかった。
「私達も同じよ。けれど、サバスン達が光を得てからは……トラベラーの意思を本当に理解していたのか、分からなくなった」
「…………」
ケイドは夜空を見上げる。巨大な裂け目が、星々の間で不気味に輝いていた。
「まったく……俺が死んでる間に、とんでもないことになってたんだな」
「ええ」
しばらく沈黙した後、ケイドは腰の切り札へ手を置いた。
「まあ、光を持ってようが何だろうが……今日みたいに襲ってくるなら話は別だ」
イコラが横目を向ける。
「また来たら?」
「また撃つ」
ケイドは肩を竦めた。
「それだけだ」
イコラは小さく息を吐き、再びベイルの扉を見上げた。戦いは終わった。
だが、それがすべての終わりではない。
そのことだけは、誰の目にも明らかだった。
「それに、この幻想郷とかいうおとぎ話みたいな世界、しかも紅い洋館でだ。吸血鬼に、魔女に、妖精に――」
「ケイド」
「分かってる。けど情報が次から次へと入ってきて、頭が追い付かないんだよ」
両手を軽く上げたケイドに、イコラは小さく息を吐いた。
しばらくして、ケイドがふと思い出したように口を開く。
「そういや……シティの連中は元気か?」
イコラが彼を見る。
「ええ。色々あったけれど、皆まだ戦っているわ」
「そうか」
短く答えたケイドの声には、僅かな安堵が混じっていた。
「ホーソーンのヤツも?シャックスも?バンシーも?」
「元気よ」
「そりゃよかった」
ケイドは少しだけ笑った。
「俺がいない間にシティごと吹っ飛んでました、なんて言われたらどうしようかと思ってたよ」
「縁起でもないこと言わないで」
「冗談だって」
そう言って笑ったものの、ケイドはしばらく夜空を見つめたままだった。
自分がいなくなった後も、シティの人々は生き続け、戦い続けていた。
その事実を確かめられただけでも、今の彼には十分だった。
だが次に口を開いた時、その声から笑みは消えていた。
「……なあイコラ。あと――」
「ザヴァラのこと?」
ケイドは少し驚いたように彼女を見ると、静かに頷いた。
「ああ」
クロウも、ガーディアンも、ケイドも、自分もいる。少しずつ仲間達は再び集まり始めている。それでも、ザヴァラだけがまだ見つからない。
「今日も手掛かりはなかったわ。ゴーストの広域走査にも、それらしい反応は出ていない」
「光の反応も?」
「ない」
ケイドの視線が僅かに落ちる。
「……そうか」
ザヴァラ。バンガード司令官。タイタン。そして、長い年月を共に戦ってきた仲間。
「生きてると思うか?」
その問いに、イコラはすぐには答えなかった。
安易に「大丈夫」「生きている」と言うことはできない。彼女は希望と事実を混同しない。それは長い戦いの中で身についた習慣でもあった。
「……分からない」
だからこそ、正直に答える。
「でも、生きていると考えて動く」
ケイドが横目を向ける。
「彼が死んだという証拠はない。なら、探すわ。見つけるまで」
しばらく彼女を見ていたケイドは、やがて少しだけ笑った。
「相変わらずだな」
「何が?」
「一度決めたら岩より動かない」
「誰かさん達と長く一緒にいたせいでしょうね」
「俺?」
「主にザヴァラよ」
「あー……否定できねえな」
少しだけ空気が和らぐ。
しかしケイドはすぐに視線をベイルの扉へ戻した。
「たださ。ひとつ気になるんだ」
「何?」
「俺達がここに来たこと自体」
イコラの表情が僅かに引き締まる。
「続けて」
「俺とクロウは無縁塚。ガーディアンは神社。お前も別の場所。そしてザヴァラだけが見つからない」
指を折りながら一つずつ数えた後、ケイドは頭上の裂け目を指した。
「俺達全員、あれに巻き込まれてバラバラに落ちた。そう考えれば一応説明はつく。けど……今の俺には、何でも偶然だったって考える方が怖い」
イコラはすぐには答えなかった。今日、アラークハルについて考えた時、自分自身も同じことを感じていた。
「私も同じことを考えていたわ。私達が幻想郷へ散らされたこと。ハイヴが現れたこと。そして、その中にアラークハルまでいたこと」
ケイドの表情が険しくなる。
「……誰かが盤面を作ってる」
「可能性はある。でも、まだ断定はできない」
「分かってる。証拠がない」
「それに、今日の襲撃を一人の意思だけで説明しようとするのも危険よ」
「あの縦じまのパジャマみたいな服を着ていた娘が言ってた話か」
縦じまのパジャマみたいな服を着ていた娘……パチュリーのことだ。
イコラは頷いた。
侵攻する者。その状況を利用する者。そして、それを遠くから観察する者。複数の思惑が同じ盤上で重なっている可能性は十分にある。
その時、まるで二人の会話に反応したかのように、ベイルの扉がひときわ強く明滅した。
二人はほぼ同時に空を見上げる。
数秒後、光は元へ戻った。
「……嫌なゲームだな」
「ええ」
「俺達が駒か?」
イコラは即答した。
「駒で終わるつもりはないわ」
その言葉に、ケイドは一瞬彼女を見た後、口元を吊り上げた。
「そうこなくちゃな」
夜風が吹き、境内の木々がざわめく。
「明日、もう一度ザヴァラの捜索範囲を広げるわ」
「ゴーストに?」
「ええ。ただ、今日の戦闘でかなり消耗している。まずは休ませる必要があるわ」
「あの管理者さんにも聞くか?」
「そのつもりよ。もっとも、また会いにきてくれたらの話だけどね」
境界を操る妖怪。幻想郷の管理者の一人である八雲紫なら、自分達では察知できない何かを掴んでいる可能性がある。
「それと、霊夢達にも今後のことを説明しておかないと」
「今日より酷い奴が来るかもしれないって?」
「それも。これから警戒するべき相手はハイヴだけじゃない」
ケイドは数えるように指を折った。
「フォールン、カバル、ベックス、宿られた兵、スコーン、ドレッド……」
最後の名前だけは、彼も冗談を挟まなかった。
「あと……目撃者って野郎か」
イコラもベイルの扉を見上げる。
「あの存在が本格的に幻想郷を戦場へ組み込み始めているのなら、今日の戦いはまだ入口に過ぎないわ」
「……だろうな」
再び、二人の間に沈黙が落ちる。
やがてケイドが境内の奥へ視線を向けた。
「……でも、あいつら」
「霊夢達?」
「ああ。よく戦ったよな。ハイヴなんてほとんど初めて見たようなもんだろ?」
「そうね」
「それでも最後まで逃げなかった」
霊夢、魔理沙、レミリア姉妹、チルノ達妖精、ルーミア、そしてあの館の住民。誰もが傷だらけだった。それでも最後には全員が立ち上がった。
「あいつら、思ってたよりかなり強いな」
「――ええ」
イコラは頷いたものの、その表情は少し曇っていた。
「けど、やはり巻き込みたくなかった」
「……」
「これは本来、私達の世界の戦いだった」
光と暗黒。トラベラーと目撃者。そして何百年も続いてきた終わりの見えない戦争。そのすべてと、幻想郷は本来無関係だった。
「霊夢達には関係がなかった」
するとケイドが静かに答える。
「もうある」
イコラが彼を見る。
「あの館、紅魔館だったか。それだけでなく湖も、幻想郷の住民が傷ついた。今更『これは俺達の問題だから関わるな』って言って、霊夢達が聞くと思うか?」
イコラは少しだけ苦笑した。
「……思わないわね」
「だろ?」
「むしろ怒るでしょうね」
「絶対怒る」
「魔理沙も来るでしょうね」
「来るな」
「チルノも」
「あのおチビちゃんは間違いなく止めても来るな。『あたいは最強なんだからーー!』って言いながらな」
「ふふ、あの子ならそう言うわね」
今日、傷ついた身体で、それでも湖を守ろうと立ち上がった小さな妖精の姿を思い出し、二人はしばらく何も言わなかった。
「強いわね」
「ああ」
その静かな時間の中で、イコラは隣に座るケイドへゆっくりと視線を向けた。
「……ケイド」
「ん?」
「あなたについてなんだけど」
「俺?」
「ゴーストに何度か身体をスキャンしてもらったでしょう?」
ケイドの表情が僅かに変わる。
「ああ」
「結果を改めて確認したわ。スキャンの結果は明確よ」
イコラは一度言葉を区切ってから、彼の青い瞳を見た。
「あなたの身体は光でできている。あなたが光を武器として使えなくてもね」
ケイドは何も答えず、自分の手を見下ろした。
黒い金属の指。エクソの身体。見た目だけなら以前と何も変わらない。彼は一度手を握り、また開いた。
「……そのためにはゴーストが必要だってことか」
「そうね。今のあなたが以前のように光を行使するには」
「サンダンスみたいな?」
その名に、一瞬だけ空気が止まった。
「……ええ」
イコラは静かに答えた。
サンダンス。ケイドのゴースト。相棒。そして、もうここにはいない存在。
イコラは少し間を置いてから続けた。
「でも、これは奇跡のような出来事よ。この……幻想郷という常識に囚われない場所でしか成せない奇跡なのかもしれない」
ケイドはじっと彼女の顔を見る。
「……なんか、ザヴァラみたいなこと言うんだな」
「そう?」
「ああ。で、次は何だ?トラベラーは俺が必要だったから蘇らせたとでも言いたいのか?」
イコラは一切迷わなかった。
「ええ、そうよ」
「お前なあ……」
「何?」
「そこはちょっと考えろよ」
「なぜ?」
「知らねえよ」
ケイドが額を押さえる。
「ほんとザヴァラと長く一緒にいすぎたんじゃないか?」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
「褒めてねえ」
「そう?」
「絶対分かってるだろ」
ほんの少しだけ、かつての二人らしい空気が戻る。
だが、イコラはすぐに真剣な表情へ戻った。
「それよりも、納得のいく説明をあなたはできる?」
ケイドの笑みが僅かに消える。
「完全な死を迎えたはずのあなたが、なぜ今ここにいるのか」
長い沈黙の後、ケイドは肩を竦めた。
「できないな。俺が持ってるのはこのハンドキャノンだけだ」
腰のホルスターに収まった切り札へ手を置く。
「ハンターとしての必要最低限の能力は残ってる。けど、ゴールデンガンは使えない。他の光も使えない。サンダンスもいない。だから説明しろって言われても、俺にも分からん」
イコラは黙ってその言葉を聞いていた。
そして、少しだけ躊躇った後に尋ねる。
「ケイド。すごく個人的な質問をしてもいいかしら?」
「……ああ。いいぜ」
イコラは彼の目を真っ直ぐ見た。
「あなたは、完全な死を遂げた後……何を見たの?」
夜風が二人の間を静かに通り抜ける。
ケイドはしばらく何も答えなかった。やがて、小さく笑う。
「……そいつは卑怯だぜ」
「いいえ。卑怯じゃないわ」
「死んだ奴に死後の感想を聞くのは十分卑怯だろ」
「答えたくないなら、答えなくてもいい。でも、私は知りたい」
ケイドはしばらく彼女を見ていたが、やがて夜空へ視線を戻した。
「……光だ」
イコラは何も挟まない。
「あまりにも明るい光だった。何も見えないくらいで、俺を焼き尽くすような……でも、熱くはなかった」
「熱くない?」
「ああ。というより、何も感じなかったんだ。身体はもう捨ててきたからな」
冗談めかして言ったが、その声音に笑いはなかった。
「痛みもない。重さもない。息をする必要もない。自分がどこにいるのかも、どこまでが俺で、どこからがそうじゃないのかも分からなかった」
イコラは静かに聞いている。
「タナトノートだったら、『トラベラーと一つになった』とでも言うんだろうな」
「ウォーロック全員を一括りにしないで」
「違う?」
「……完全には否定しないけど」
「ほらな」
僅かに笑った後、ケイドの表情が穏やかなものへ変わる。
「でも、あそこは俺からしてみれば『故郷』だ」
イコラが僅かに目を見開いた。
「故郷?」
「ああ。理由なんて分からない。そこに住んでた記憶もないし、人間だった頃の故郷だってほとんど覚えてない。でも、あそこにいた時……帰ってきたって思った」
少し遠くを見るような目だった。
「痛みもない。悲しみもない。借金もない。仕事もない。バンガードのデスクワークもない」
「最後のは必要だったでしょう」
ケイドが振り向く。
「今そこに突っ込むのか?」
「一応」
「ひでえな」
小さく笑ってから、ケイドはまた夜空を見る。
「まあ……天国みたいな場所だったよ」
イコラは少し迷った後、もう一つの名前を口にした。
「……サンダンスは?」
その瞬間、ケイドの表情が止まった。
けれど、それは苦痛でも悲しみでもなかった。どこか懐かしく、穏やかな表情。
「いたよ。もちろん」
イコラの瞳が僅かに揺れる。
「……本当に?」
「ああ。光ってたぜ。そりゃもう、すっげえ光ってた」
「そう……」
「相変わらず目立ちたがり屋だ」
「本人に言ったら怒られるわよ」
「もう言ったかもしれない」
「覚えてないの?」
「言葉って感じじゃなかったんだよな。あそこじゃ、俺とサンダンスの境目もよく分からなかった」
ケイドは自分の胸へ手を置く。
「隣にいるような気もするし、俺の中にいるような気もする。あそこ全体がサンダンスみたいな気もした」
「変だろ?」
イコラは首を横へ振った。
「いいえ。少なくとも私は笑わない」
ケイドは数秒だけ彼女を見た後、少しだけ笑った。
「……そりゃよかった」
再び二人の間に静寂が落ちる。
頭上のベイルの扉は、彼が語った純粋な光とはまるで違う。光と暗黒が絡み合い、世界そのものを傷つけている不安定な輝きだった。
しばらくして、ケイドがぽつりと口を開いた。
「なあ」
「何?」
「秘密を教えてやろうか」
「あなたの?」
「ああ」
「珍しいわね」
「だろ?」
「何かしら」
ケイドはすぐには答えなかった。片膝を立て、その上へ腕を置いたまま、まるで何でもない話をするような口調で言った。
「……あの場所が恋しくてたまらないんだ」
イコラの表情が止まる。ケイドは笑っていたが、その瞳には冗談の色はない。
「お前らとまた再会した気持ち以上にな」
「……ケイド」
「分かってる。変な意味じゃない。今すぐ戻りたいとか、そういう話じゃない」
クロウにも会えた。イコラにも。ガーディアンともまた戦えた。そして、まだ見つけていないザヴァラにも、もう一度会いたい。
それでも。
痛みも悲しみもなく、戦争も義務もなく、そしてサンダンスがいるあの場所を忘れることはできない。
だから恋しい。
ただ、それだけだった。
イコラは否定しなかった。慰めも説教もしなかった。ただ静かに隣へ座っていた。
それで今は十分だった。
――その時。
イコラの瞳が僅かに動いた。
縁側の前。何もなかった空間が、わずかに歪んだ。
ケイドもすぐに気づき、反射的に腰の切り札へ手を伸ばす。
次の瞬間、空間に細い裂け目が走り、そこから無数の目が浮かぶ異様な空間が覗いた。
二人にとって、もう見覚えのあるものだった。
「……」
スキマ。その奥から、金色の長い髪を揺らしながら一人の女性が姿を現す。
――八雲紫。
ケイドは切り札から手を離し、片手を上げた。
「お、管理者さんじゃないか」
紫は扇子を口元へ添え、楽しげに微笑む。
「あら。こんばんは。仲良くお話し中だったかしら?」
ケイドが一瞬だけイコラを見る。
「まあな」
「それは失礼したわ」
「盗み聞きしてないならな」
「さて、どうかしら」
「おい」
紫がくすりと笑う。
「冗談よ」
イコラは僅かに目を細めた。
「八雲紫。こんな夜更けに何の用かしら」
「そうね」
紫の笑みが少しだけ薄れる。
彼女は一度、頭上のベイルの扉を見上げてから、二人へ視線を戻した。
「実は今日の様子を見ていたのだけれど、紅魔館を襲った者達について詳しく教えてくれないかしら?」
イコラとケイドが同時に黙る――紫はその反応を見逃さなかった。
「そんなに警戒しなくてもいいでしょう?」
「警戒しているわけではないわ。ただ、あなたが何を知りたいのか考えていただけ」
「全部」
紫は即答した。
「今日現れた者達が何者なのか。どこから来たのか。何を目的としているのか。どんな力を持ち、どれほどの数がいるのか。そして、あなた達とどういう関係なのか」
その視線が僅かに鋭くなる。
「今日の戦いを見ていれば分かるわ。あなた達は、あれを知っていた。特に、最後に現れた大きな者」
「アラークハル」
イコラが答える。
「そう。あなた達はあれを知っていたわね」
「ええ。過去に交戦している」
「一度?」
「いいえ」
紫の目が僅かに細くなった。
「……なるほど」
ケイドが腕を組む。
「随分質問が多いな」
「当然でしょう?」
紫の声音から、先ほどまでの軽い調子が消える。
「私も、この幻想郷を管理する者の一人なのは知っているでしょう?」
もちろん、イコラもケイドも多少は知っている。
八雲紫。境界を操り、『博麗大結界』にも深く関わる、幻想郷の管理者。
「私にもこの世界を守る責任がある。今日、紅魔館は甚大な被害を受けて、霧の湖は荒らされ、大勢が傷ついた。それも、この世界には本来存在しない者達によってね――」
紫は閉じた扇子を軽く握り直した。
「だから私も動きたいのよ。幻想郷を守るために。でも、何の情報もないままでは迂闊には動けない。敵が何者なのかも、何が弱点なのかも、今日来た者達が全部なのか、それともほんの一部なのかも分からない」
イコラの目が僅かに動く。紫はそれだけで察した。
「……やっぱり、今日のあれで全部ではないのね」
ケイドが頭を掻く。
「察しがいいな、管理者さん」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
ケイドが隣のイコラを見る。
「その台詞、さっき聞いたぞ」
イコラは無視した。紫は少しだけ笑ってから、再び真面目な表情へ戻る。
「だから、互いに情報交換した方がいいと思うの。あなた達はあなた達の世界から来た者について知っている。私は幻想郷を知っている」
彼女は頭上の裂け目へ視線を向けた。
「地理も、住人も、危険な場所も。そして、あれが現れてから幻想郷の境界に何が起きているのかも」
イコラの表情が変わり、ケイドもすぐに紫を見る。
「何か分かってるのか?」
「少しはね。完全に、ではないけれど」
「詳しく聞かせて」
イコラが即座に言う。紫は口元を扇子で隠し、少しだけ笑った。
「なら、取引成立ということでいいのかしら?」
その時だった。
「……イコラ?」
神社の奥から、聞き覚えのある声がした。
三人が振り返ると、客間の障子が静かに開き、クロウが顔を覗かせる。その後ろにはガーディアン。さらにその肩近くにはゴーストも浮いていた。
「クロウ。起こした?」
イコラが尋ねる。
「いや、まだ寝てなかった。話し声が聞こえたんだ。それに……聞き覚えのある声だったからな」
クロウの視線が紫へ向く。紫は楽しそうに目を細めた。
「あら。覚えていてくれたのね」
「いい意味とは限らないけどな」
「それは残念」
その後ろからガーディアンも縁側へ出てくる。
彼は紫、イコラ、ケイド、そして頭上のベイルの扉へ順番に視線を向けた。
「こんばんは八雲紫――」
ゴーストが先に挨拶する。
「あら、こんばんは。小さくて可愛いお方」
「なにか話し合いですか?」
「ええ。紫が今日のハイヴについて情報を求めている」
イコラが答える。ゴーストは紫へ中央眼を向けた。
「それなら僕もいた方がいいですね」
「私もそう思うわ。あなたは随分詳しいみたいだもの」
「少なくとも、幻想郷の誰よりは」
「頼もしいわ」
そのやり取りへ、ケイドが横から口を挟む。
「おいおい。俺達も結構詳しいぞ」
ゴーストは即座に返した。
「ケイドは説明の途中で余計な話を挟むでしょう」
「おい」
クロウが小さく笑う。
「否定できるのか?」
「お前までもかよ」
ケイドは最後の望みとでも言いたげにガーディアンを見る。
「相棒?」
ガーディアンは数秒だけケイドを見つめ、それから無言のまま親指を下へ向けた。
「あ、このヤロー!」
ゴーストが小さく笑い、紫も扇子の陰でくすくすと笑う。
それまで張り詰めていた夜の空気が、ほんの少しだけ和らいだ。
クロウはそのまま縁側へ腰を下ろし、ガーディアンも隣へ座る。ゴーストは彼の肩の傍らへ浮かんだ。
こうして小さな縁側に、イコラ、ケイド、クロウ、ガーディアン、ゴースト、そして八雲紫が集まることになった。
紫はその面々を一通り見渡した後、ふと何かを思い出したように首を傾げた。
「そういえば」
「ん、どうした?」
ケイドが尋ねる。
「あなた達の名前、イコラ以外は聞いていなかったわね」
「そうだっけか」
「会話の中では耳にしたわ。でも、本人から名乗ってもらうのとは別でしょう?」
ケイドは少し考え、肩を竦めた。
「まあ、それもそうか」
「これから恐らく、互いに随分お世話になるでしょうし」
紫は頭上のベイルの扉へ一瞬だけ視線を向けた。
「改めて自己紹介しておきましょうか」
そう言うと、扇子を胸元へ添えて微笑む。
「私は八雲紫。境界を操る妖怪にして、この幻想郷を管理する者の一人ですわ」
ケイドが小声で言う。
「ほら、やっぱり管理者さん」
「あら。その呼び方、好きなの?」
「分かりやすいからな」
「好きになさい」
紫の視線がイコラへ向く。イコラも僅かに姿勢を正した。
「イコラ・レイ。ガーディアンでウォーロックよ。それから――」
彼女が自分の肩近くへ視線を向けると、淡い光とともに一体のゴーストが姿を現した。
「彼はオフィウクス。私のゴーストよ」
オフィウクスは静かに紫へ中央眼を向ける。
「今後ともよろしくお願いいたします」
紫は少しだけ目を丸くした後、微笑んだ。
「こちらこそ」
次にケイドが自分の胸を親指で示す。
「俺はケイド6」
そこまで言ってから、少しだけ言葉を止めた。
ゴーストはいない。光も使えない。それでも今、自分は光によって存在している。
「今は……まあ、一応ガーディアンかな。ケイドでいい」
イコラが横目で見る。
「何だよ」
「別に」
「絶対何か言いたそうだな」
「言ってないでしょう?」
紫が二人を交互に見て、小さく笑う。
「随分仲がいいのね」
「まあ、腐れ縁だ」
「長い付き合いよ」
ほぼ同時に答えた二人を見て、紫の笑みが深くなる。
「なるほど」
「何が分かった?」
「色々と」
「その言い方やめない?」
次にクロウが静かに名乗った。
「私はクロウ。ハンターだ。そして彼はグリント」
クロウの肩近くにも淡い光が集まり、もう一体のゴーストが姿を現す。
「どうもグリントです。よろしくお願いします」
紫が目を瞬いた。
「あなた達ゴーストってやたら礼儀正しいのね。好感が持てるわ」
「まあ、個体差はありますが」
すると紫は、今度はクロウへ視線を向けた。
ただ見る、というよりも――何かを確かめるような目だった。
「……ん?」
クロウが僅かに眉を寄せる。
「私の顔に何かついているのか?」
紫は答えない。その紫色の瞳が、ほんの僅かな間だけ細められた。
彼の姿ではない。
そのもっと奥――存在そのものを見透かそうとしているように。
やがて紫は扇子を開き、口元を隠した。
「……あなた」
「どうした?」
「いえ。なんでもないわ」
「……そうか?」
「ええ」
紫はいつもの微笑みを浮かべる。
けれど、その目だけはしばらくクロウから離れなかった。
そして最後に、自然と全員の視線がガーディアンへ向けられた。
「…………」
本人は何も言わない。
数秒。
「…………」
紫の眉が僅かに上がった。
ケイドが横から言う。
「ほら相棒。自己紹介」
ガーディアンは一度ゴーストを見る。
ゴーストも彼を見る。
そして、ゴーストが少し前へ出た。
「彼はガーディアンです」
紫が首を傾げる。
「ガーディアン?」
「はい」
「それが名前?」
「私達は普段、そう呼んでいます」
「本名は?」
「彼の本名は本人含めて誰にも分かりません――あと何者だったのかも」
「え………?」
紫が少し驚いたようにガーディアンを見る。するとイコラが口を開く。
「ガーディアンになった者は名前含めて全ての記憶を失うの。私達の今の名前も本名なのかどうかも定かじゃないわ」
「………………………」
さすがの紫も沈黙する。するとガーディアンは特に気にした様子もなく、ただ一度だけ頷いた。
「……よろしく頼む」
短い言葉だった。紫は一瞬目を丸くした後、柔らかく笑う。
「え、ええ、よろしく」
続いてガーディアンの傍らのゴーストが前へ出る。
「そして私はゴーストです」
「あなたも?」
紫が聞き返す。
「はい」
「名前が?」
「ゴーストです」
「種族も?」
「ゴーストです」
紫は数秒黙った。ケイドの肩が震え、クロウも口元を押さえる。イコラは平静を保っていたが、わずかに視線を逸らしていた。
「……紛らわしくない?」
「たまに言われます」
「でしょうね」
「でも、ずっとこれなので」
ケイドが笑いながら口を挟む。
「相棒の相棒は、ゴーストって名前のゴーストなんだ」
「ケイド」
ゴーストの中央眼が細くなる。
「何だよ」
「余計に分かりにくくなっています」
「俺は分かりやすくしたつもりなんだが」
「全然です」
紫も思わず小さく笑った。そして改めて、一人ずつ名前を確認するように視線を向けていく。
「イコラ・レイ。ケイド6。クロウ。ガーディアン。そして、オフィウクス、グリント、ゴースト」
一人ずつ頷く。
「今後ともよろしく」
イコラも静かに頷く。
「ええ」
クロウも。
「ああ」
ケイドは片手を上げる。
「よろしくな、管理者さん」
ガーディアンも何も言わず、一度だけ頷いた。
これで、ようやく互いに正式に名を知った。
けれど紫は、先ほどから何度も三体のゴーストへ視線を向けていた。
オフィウクス。
グリント。
そしてガーディアンのゴースト。
外殻の形状や色合いには違いがあるが、基本的な姿はよく似ている。宙へ浮き、一つの眼を持ち、意思を持って言葉を話す。
そして何より。
今日の戦場で紫は見ていた。
彼らが単なる案内役でも、便利な道具でもないことを。
敵を走査する。
周囲の情報を集める。
ガーディアン達を支援する。
そして――。
紫の瞳に、妖怪としての好奇心と、幻想郷の管理者としての警戒。その両方が静かに浮かぶ。
「ああ、そういえば」
扇子の先を三体のゴーストへ向けた。
「あなた達ゴーストって式神みたいね」
「……式神?」
グリントが首を傾げるように外殻を動かす。
ガーディアンのゴーストも中央眼を紫へ向けた。
「霊夢と初めて会った時にもいきなり「式神か」と言われましたが」
ケイドが小声で聞く。
「式神って何だ?」
紫は少し考えてから答えた。
「簡単に言えば、主に付き従い、その命を受けて働く使い魔のようなものかしら」
その言葉に、三体のゴーストが揃って微妙な反応を見せた。最初にオフィウクスが静かに言う。
「厳密には違いますね」
グリントも頷く。
「そうですね」
そしてガーディアンのゴーストが続けた。
「僕達とガーディアンは主従関係ではありません」
紫の興味がさらに強くなる。
「あら。そうなの?」
「はい」
ゴーストは隣にいるガーディアンを一度見てから答える。
「僕達はパートナーです」
紫はその言葉を確かめるように小さく繰り返した。
「パートナー……」
それから、三体を順番に見つめる。
「なら、あなた達のことも教えてくれないかしら?」
「僕達について?」
「ええ。あなた達が何者なのか。どこから来たのか。なぜガーディアン達と一緒にいるのか」
そして紫の声音が少しだけ低くなる。
「あと、あなた達の能力や特性、目的諸々も――」
その問いに、夜の空気が僅かに変わった。
ケイドの笑みが消える。
クロウも自分の傍らに浮かぶグリントを見る。
イコラもオフィウクスへ視線を向けた。
ガーディアンもまた、何も言わず自分のゴーストを見ている。
頭上では、ベイルの扉が淡い虹色の光を放ちながら静かに脈打っていた。
ゴーストはしばらく紫を見つめた後、中央眼を一度瞬かせる。
「……分かりました」
紫が微笑む。
「お願いするわ」
ゴーストは少しだけ言葉を選んだ。
「ただ、最初に一つだけ」
「何かしら?」
「僕達自身にも、自分達のすべてが分かっているわけではありません」
紫は僅かに目を細める。
「まあ……」
面白そうに扇子を開いた。
「それはそれで、興味深いお話になりそうね」
――その夜、本来なら異変解決を祝う宴会が開かれていたはずの博麗神社には、酒も料理も笑い声もなかった。
代わりに、小さな縁側へ幻想郷の管理者と、異なる世界から来た戦士達が集まっている。
そして彼らの頭上では、世界と世界を繋ぐ巨大なベイルの扉が、まるでこれから語られる話のすべてを見届けようとするかのように、静かに、不気味に脈打ち続けていた。
◇
――翌朝。
博麗神社には、穏やかな朝日が差し込んでいた。
昨夜遅くまで縁側で続いていた紫とイコラ達の話し合いも、日付が変わってしばらくした頃にはようやく終わっていた。
何が話されたのか。
ハイヴについて。 ガーディアンやゴーストについて。 幻想郷の境界について。 そして、頭上に浮かび続けるベイルの扉について。
互いに何をどこまで明かしたのかは、今はまだ彼らだけが知っている。
ただ一つ確かなのは、八雲紫とイコラ達が、今後は必要に応じて互いに情報を共有することで一致したということだった。
そして一夜明けても、空に浮かぶ巨大な裂け目は消えていなかった。
「…………」
霊夢は縁側に立ち、湯呑みを片手に青く晴れ渡った空を見上げていた。
昼間になれば、ベイルの扉は昨夜ほど目立たない。
それでも、巨大であることに変わりはなかった。
「まだあるのね、あれ」
「残念ながら」
隣で浮いているゴーストが答える。
「大きな変化はありません」
「そう」
霊夢は気のない返事をすると、湯呑みへ口をつけた。
朝の博麗神社には、霊夢、イコラ、ケイド、クロウ、ガーディアン。そしてオフィウクス、グリント、ゴーストが集まっていた。
魔理沙も少し前にやって来ている。
「で」
魔理沙が縁側へ腰掛けながら言った。
「今日はどうするんだ?」
その一言に、全員が少しだけ黙った。
昨日までは、とにかく目の前に現れた敵へ対処するだけで精一杯だった。
だが、今日からは違う。
ザヴァラを探す。 ハイヴがどこから来ているのか調べる。 幻想郷で何が起きているのか確認する。
やるべきことはいくつもあった。
「まずは」
イコラが口を開く。
「私はとりあえず、ゴースト達と共にザヴァラの捜索を続けたい。この世界へ飛ばされた時、彼も一緒だった可能性が高い。でも、まだ何の痕跡も見つかっていない」
「ゴーストの力でも駄目?」
霊夢が尋ねる。
「昨日の範囲では――」
ゴーストが答えた。
「ただ、今日はもう少し広範囲を調べられます」
「昨日あれだけ無茶したのに大丈夫なの?」
「はい。ある程度は回復しました」
その隣で、ガーディアンも小さく頷く。
「なら」
霊夢は湯呑みを置いた。
「今日はそのザヴァラって人を探しながら、何か変な反応がないか見て回る感じかしら」
「私は賛成だ」
クロウが答える。ケイドも頷いた。
「異議なし」
それから少し考えるように顎へ手を当てる。
「とはいえ、幻想郷の地理を知らない俺達だけで動くのは効率悪そうだな」
「だから私達がいるんでしょ」
霊夢が言う。
「特にガーディアン」
「?」
霊夢の鋭い視線にガーディアンは自分に指を指した。
「あんたみたいなそんな奇抜な格好で人里や他のとこを歩かれたりでもしたら間違いなく住民達は警戒するに決まってるわ」
「…………確かに」
「あんたさ、着替えとかある?マトモな服ないの?」
「…………………」
彼は首を横に振る。するとゴーストは補足する。
「アーマー自体はいくつも持っていますが、本人の趣味で全部似たような配色になっています」
「………………は?」
霊夢の目が点になる。
「彼のこだわりが強すぎてこれしか受け付けないそうです」
「いやいや、じゃあずっとこんな格好で過ごしてきたってこと!?」
ガーディアンは当然のように親指を立てた。
「褒めてない!」
ケイドが吹き出し、魔理沙も改めてガーディアンの姿を眺める。
「確かに、明るいところで見るとすごいな。色に統一感が全然ないぜ」
「本人は気に入っています」
ゴーストが補足する。
「前に落ち着いた色にしてはどうかと提案したこともありますが」
「それで?」
「もっと派手になりました」
「なんでよ!」
霊夢の声が境内に響く。
クロウは苦笑しながら肩を竦めた。
「私達はもう慣れた」
「慣れちゃ駄目でしょ……」
「戦闘能力には問題ないもの」
イコラまで淡々と言うものだから、霊夢は深いため息を吐いた。結局、代わりになる服もない。
「……もういいわ。その格好で行きなさい」
ガーディアンは嬉しそうに頷いた。
「ただし、人里では勝手に武器を出さない。私達から離れない。それと――」
霊夢は一度言葉を切り、念を押す。
「変なことしない」
「…………」
ガーディアンが僅かに視線を逸らした。
「なんでそこで黙るのよ」
「たぶん大丈夫だ」
クロウが言う。
「たぶん?」
霊夢が睨む。その直後、ガーディアンは突然腰を落とすと、境内を勢いよく滑っていった。
ズザァッ、と砂埃が舞う。
「早速やってるじゃない!」
霊夢の怒鳴り声が朝の神社に響き渡った。
立ち上がったガーディアンは何事もなかったように親指を立てる。
魔理沙とケイドが笑い、クロウは顔を覆った。
昨日の惨状を思えば、こんな会話ができているだけでも少しは日常が戻ってきているのかもしれない。
すると境内の階段の方から、複数の足音と賑やかな声が聞こえてきた。
「こっちで合ってるって!」
「チルノちゃん、そんなに急がなくても……!」
「朝から元気なのかー」
「……?」
聞き覚えのある声に、霊夢が眉を上げる。
やがて鳥居の向こうから姿を現したのは、一人の妖精メイド。そしてその後ろには――。
「おーい、霊夢ー!」
「お、おはようございます!」
「遊びに来たのかー」
チルノ、大妖精、そしてルーミアの姿があった。
「……何であんた達までいるのよ」
霊夢が呆れたように尋ねる。
「呼ばれたから!」
チルノが胸を張って答えた。
「紅魔館のメイドが、昨日戦ったみんなを呼んでるって!」
「私達のところにも来てくださったんです」
大妖精が補足する。
「レミリアさんから、お話があるそうで……」
「だからついてきたのかー」
ルーミアも楽しそうに続けた。
その前へ妖精メイドが進み出る。
昨日の戦いに参加していた者とは別の妖精らしい。
紅魔館の制服。 小さな翼。
その手には、丁寧に封をされた一通の手紙が握られていた。
「あの!」
妖精メイドは霊夢達の姿を確認すると、ほっとしたように胸を撫で下ろした。
そして姿勢を正し、丁寧に頭を下げる。
「博麗霊夢様。それから、昨日紅魔館を助けてくださった皆様へ」
霊夢と魔理沙が顔を見合わせる。
「レミリアお嬢様からのお使いで参りました」
「レミリアから?」
「はい」
妖精メイドは頷くと、手にしていた手紙を両手で差し出した。
「お嬢様が、昨日の件について改めて皆様へお礼を申し上げたいとのことです」
そこで一度、チルノ達にも視線を向ける。
「昨日、紅魔館を守るために戦ってくださった方々には、できる限り直接お越しいただきたいと」
「なるほどね」
だからチルノ、大妖精、ルーミアまで一緒に来たのか。
霊夢は納得したように息を吐いた。だが妖精メイドは、そこで表情を少し改める。
「それと……お話ししたいことがある、と」
「話?」
「はい」
「内容は?」
「私は聞いておりません」
妖精メイドは素直に首を横へ振った。
「ただ恐らく、昨日現れた謎の奴らのことと戦いのこと――」
そして頭上。遥か空に浮かぶ巨大なベイルの扉へ、一瞬だけ不安そうな視線を向ける。
「これからのことについて、お話ししたいのかと」
「…………」
霊夢はその言葉を聞き、小さく息を吐いた。
隣の魔理沙を見る。
「……どうする?」
「どうするも何も」
魔理沙が帽子を被り直す。
「行くしかないだろ」
「まあね」
「当然あたいも行く!」
チルノが勢いよく手を上げた。
「あれだけ戦ったんだからな!」
「私も行きます」
大妖精も頷く。
「ルーミアは?」
霊夢が尋ねる。
「あたしも行くのかー」
即答だった。
「……あんたは本当に何でもいいのね」
続いて霊夢は、イコラ達へ視線を向ける。
「そっちは?」
「行くわ」
イコラは即答した。クロウも頷く。
「私も」
ケイドは立ち上がりながら大きく伸びをする。
「昨日あれだけ世話になった館の主から呼び出しだ。無視する理由はないな」
霊夢が眉を寄せる。
「世話になったの、どっちかっていうと向こうでしょう」
「細かいことはいいじゃないか」
最後にガーディアン。
「…………」
一度だけ、力強く頷きゴーストも続ける。
「私達も同行します」
妖精メイドの表情が明るくなる。
「ありがとうございます!」
「じゃ」
霊夢は置いていた湯呑みを持ち上げ、残っていた茶を飲み干した。
「今日の予定は決まりね」
魔理沙がにやりと笑う。
「また紅魔館か」
「昨日の今日でまた行くことになるとは思わなかったわ」
「今度はあいつらが出てこないといいな!」
チルノが笑う。
「そういうこと言うと出てくるからやめなさい」
「えー?」
霊夢はため息を吐きながら、頭上のベイルの扉へ一瞬だけ視線を向けた。
昨日。
あの館では、あまりにも多くのことが起きた。
そしてレミリアが、わざわざ昨日戦った者達全員を呼び集めたということは、単なる礼だけでは終わらないのだろう。
「……まあ」
霊夢は鳥居の向こうへ歩き出す。
「聞くだけ聞いてみましょうか」
その後ろを、魔理沙。
チルノ、大妖精、ルーミア。
そしてイコラ、ケイド、クロウ、ガーディアンとゴースト達が続く。
先頭には、紅魔館から迎えに来た妖精メイド。
こうして――昨日、死闘の舞台となった紅魔館へ。
昨日その館を守るため共に戦った者達は、再び揃って向かうことになった。