東方天命録~The Final Shape Begins~ 作:はならむ
「…………」
先ほどまで笑い声に包まれていた謁見の間で、ただ一人、咲夜だけは完全に笑みを失っていた。
右手には銀色のナイフ。
しかも、それを隠そうとする気配すらない。
一歩。
また一歩。
靴音をほとんど立てることなく、咲夜はゆっくりとガーディアンとの距離を詰めていく。
その顔にはメイド長らしい完璧な微笑みが戻っていた。だからこそ、余計に怖かった。
「…………」
対するガーディアンは、まだ巨大なゴミバケツの中に収まっていた。
僅かに開いた蓋の隙間から、咲夜が近づいてくる様子をじっと窺っている。
そして彼女との距離が十分に近くなった、その瞬間だった。
ガタンッ!
勢いよく蓋が跳ね上がった。
「!」
咲夜が反応するより早く、ガーディアンはバケツの中から飛び出す。そのまま謁見の間を横切ると、近くに立っていた太い大柱の裏側へ身体を滑り込ませた。
「…………」
咲夜が止まる。
柱からは何も見えない。
数秒後。
ⅡⅡⅡω・)チラッ
緑色のヘルメットが、柱の端からほんの僅かに覗いた。
「…………」
咲夜がそちらを見る。すぐ引っ込む。
「…………」
ⅡⅡⅡω・`)チラッ
また覗く。
目が合う。
また引っ込む。
「…………」
ⅡⅡⅡω・)チラッ
もう一度、今度は少し長めに覗く。
その様子を見ていた魔理沙が、小声で呟いた。
「……何やってんだ、あいつ」
「隠れてるつもりなんじゃない?」
霊夢も呆れたように答える。
「ププッ、身体ほとんど見えてますけど……っ」
美鈴が口元を押さえながら肩を震わせた。
咲夜の額に、再び青筋が浮かぶ。
「出、て、き、な、さ、い」
一語ずつ噛み締めるように言った。
「あなた、男でしょう?」
柱の陰から、ガーディアンのヘルメットだけが少し覗く。しかし出てくる気配はない。
代わりにゴーストが、何とも言えない様子で彼と咲夜の間へ浮かんだ。
「…………ゴーストさん」
「……はい?」
「彼はなんと?」
「…………『君、怖いからイヤ』……」
「…………」
謁見の間全体が静まり返った。そして誰もがこう思ったに違いない。
『ハイヴ相手にあれだけ勇敢だった奴がメイド長に怖がるのか……』
イコラは目を閉じる。
クロウは天井を見る。
霊夢は額へ手を当てた。
ケイドだけは今にも吹き出しそうに口元を震わせている。
そして咲夜は――。
「~~~~~~~~~っ!!!」
言葉にならなかった。
怒りなのか、呆れなのか、それともその両方なのか。
ナイフを握る指へ力が入り、銀色の刃が僅かに震える。
今度こそ柱の向こうへ踏み込もうとした、その時。
「待ちなさい、咲夜」
レミリアの声が飛んだ。
咲夜の動きがぴたりと止まる。
「お嬢様?」
「面白い余興を考えたわ」
椅子へ腰掛けていたレミリアは、先ほどまでの笑いをまだ少し残しながらも、今度は別の興味を宿した瞳で柱の陰にいるガーディアンを眺めていた。
「せっかくだもの。あなたとそのガーディアンに実力試しでもしてもらおうかしら」
咲夜が僅かに目を見開く。
「実力試し……ですか?」
「ええ。つまり、決闘よ」
その一言で、部屋の空気が少し変わった。
「け、決闘……?」
魔理沙が「おっ」と顔を上げ、美鈴も興味深そうに振り返る。
フランドールに至っては、早くも楽しそうに身を乗り出していた。
レミリアは肘掛けへ頬杖をつきながら、ガーディアンへ視線を向ける。
「私に対して、あれだけ平然とふざけられるような肝の据わった者は滅多にいないわ。それに――」
その瞳から、ほんの僅かに笑いが消えた。
「昨日の戦いぶりにも興味があるの」
咲夜も無言でガーディアンを見る。
紅魔館の庭園で見せた戦闘。
奇妙な銃器を使い、炎を操り、空中を自在に飛び回り、青白い結晶を生み出してハイヴを凍らせる。
それだけではない。
戦場のあらゆる場所を滑るように移動し、常に敵から狙いを外させながら攻撃を叩き込んでいた。
少なくとも、ただふざけているだけの人物ではない。
それは咲夜自身も理解していた。
「とはいっても」
レミリアは再び少し笑う。
「殺し合いをさせるつもりはないから安心なさい。あくまで彼の実力を確かめるための模擬戦よ」
そこで咲夜を見る。
「それに、咲夜に万が一のことがあったら私が困るもの」
ほんの一瞬、咲夜の表情が柔らかくなった。
「お嬢様……」
「咲夜、直ちに準備なさい」
「承知しました」
咲夜は胸へ片手を添え、深々と頭を下げる。
「レミリアお嬢様のご命令であれば」
「ちょっと待ちなさいよ」
そこへ割って入ったのは霊夢だった。
「何よ、霊夢」
「何よ、じゃないでしょう」
霊夢は呆れたように腰へ手を当てる。
「私達がある程度、決闘できるのはスペルカードルールに則った『弾幕ごっこ』があるからでしょう?」
「そうね」
「でも、連中はスペルカードどころか、そのルール自体知らないわよ」
そう言われて、魔理沙達幻想郷側の面々が揃って一瞬固まった。
「あ」
魔理沙が声を漏らす。
「確かに」
美鈴も頷く。
「そういえばそうですね」
「スペルカード?」
「なんだそりゃ?」
クロウとケイドが聞き返した。
「ほら」
霊夢が指差す。
「やっぱり知らないじゃない。どうすんのよ?ガーディアンに銃使わせるつもり?」
レミリアは少し考えるように黙り込んだ。
確かに、いきなり幻想郷独自の決闘法を押し付けたところで、まともな勝負になるはずがない。
咲夜もまた、主人の判断を待つように静かにその場へ立っている。
――その間。
ガーディアンは柱の陰で何をしていたのか。
誰も特に気にしていなかった。
最初に異変へ気づいたのは大妖精だった。
「……あれ?」
小さく声を漏らす。
見ると、柱の陰に隠れていたはずのガーディアンが、いつの間にかそこから姿を消している。
代わりに何故か一台の半透明で光輝くソリがゆっくりと姿を現した。
その上には当然のようにガーディアンが座っている。
両手でしっかりと手綱を握り、背筋を伸ばし、真っ直ぐ前だけを向いていた。
「…………」
大妖精が瞬きをする。
――スゥゥゥゥゥゥ…………
ソリは床の上を音もなく滑っていた。
誰も引いていない。
雪もない。
にもかかわらず、実に滑らかに進んでいる。
そしてガーディアンは、何故か一切左右を見ない。
ただただ真顔で前だけを向きながら、レミリアと霊夢がルールについて話している背後を、ゆっくりと横切っていく。
「……………は?」
魔理沙も気づいた。
「…………」
その隣にいたケイドも気づく。
(……何やってるんだ、あいつ?)
クロウは心の中に呟いた。
ガーディアンのソリは、そのまま咲夜の方へ向かって進んでいく。
当の咲夜はレミリアへ意識を向けているため、全く気づいていない。
あと三メートル。
二メートル。
一メートル。
そして。
すうっ――ピタッ。
咲夜の真横へ到達すると、ガーディアンはまるで熟練の御者のような慎重さで手綱を僅かに引いた。
ソリがぴたりと止まる。
距離にして、ほんの一歩。
ガーディアンは前を向いたまま微動だにしない。
咲夜も気づかない。
「…………」
霊夢が口元を押さえる。
魔理沙も肩を震わせ始めた。
美鈴はとうとう後ろを向き、小悪魔もパチュリーの陰へ隠れて笑いを堪えている。
(全く……くだらないわ)
そう思うパチュリーもなんだかんだ口元がつり上がりかけている
レミリアも途中で気づいたらしく、何事もなかったように話を続けながら、口元だけを必死に引き締めていた。
その隣ではフランドールが両手で口を押さえ、肩を震わせている。
ケイドは小声でクロウへ囁いた。
「なあ」
「何だ?」
「あいつの隠密ぶり、ユルドレンとタメ張りそうだよな」
クロウの表情が一瞬で消えた。
「…………」
ケイドが固まる。
「あ」
……数秒。
「……悪い、坊や」
「お前、今それを言う必要あったか?」
「なかった」
「そうか」
「本当に悪かった」
二人がそんなやり取りをしている間にも、咲夜は自分の真横にいるガーディアンへ全く気づいていなかった。
レミリアは笑いを堪えるために一度咳払いをしてから、ようやく結論を出した。
「なら、こうしましょう」
霊夢が彼女を見る。
「いきなり彼にスペルカードルールへ従えと言うのは無理がある。だから今回は特例よ」
レミリアはまず咲夜を見る。
「咲夜は普段通り、スペルカードを使用して構わない」
次にガーディアンを見る――正確には、咲夜の真横でソリへ乗ったままのガーディアンを見る。咲夜本人が全く気づいていない事実にまた笑いそうになったが、どうにか堪えた。
「そしてガーディアン。あなたは、あなた本来の戦い方をして構わないわ」
イコラの表情が僅かに引き締まる。
霊夢も念を押すように尋ねた。
「武器も?」
「使用を認めるわ。ただし条件付き」
レミリアは椅子へ深く腰掛け直した。
「互いに身体への直接攻撃は認める。でも殺害は厳禁。意図的に命を奪うような攻撃をした時点で、その者は即座に敗北とするわ」
先ほどまでとは違う、館の主としての声音だった。
「それに、私が危険だと判断した場合も試合を止める。その時は直ちに攻撃を中止すること。異論は?」
誰もすぐには答えなかった。
条件自体は明快だった。
レミリアはそこで、ガーディアンへ鋭い視線を向けた。
「それから、あなたには先に警告しておくわ」
ガーディアンがソリの上で僅かに顔を動かす。
「咲夜に万が一のことをした場合――」
レミリアの瞳が、鮮血のような紅色を帯びる。
先ほどまで笑っていた少女とは思えないほどの圧が、謁見の間へ静かに広がった。
「私は全力をもってあなたを排除する」
空気が僅かに重くなる。
「その時は覚悟なさい」
ガーディアンは、今度ばかりはふざけなかった。
レミリアの紅い瞳を正面から見返し、一度だけ深く頷く。
「…………………」
そしてその直後、いつものように力強く親指を立てた。
(……最後のそれは必要だったのかしら)
内心そう思ったが、あえて口にはしない。
そして今度は咲夜へ向き直る。
「それから咲夜」
「はい」
「あなたも例外ではないわ」
「…………え?」
咲夜が少しだけ間の抜けた声を出した。
「ガーディアンを殺してしまった場合、あなたにもそれ相応の処罰を受けてもらう」
「わ、私もですか?」
「当然でしょう?」
レミリアは何を今更、とでも言いたげに肩を竦めた。
「彼にだけ咲夜を殺すなと言っておいて、咲夜には好きにしろでは決闘として公平じゃないわ」
「……確かに」
霊夢が頷く。レミリアはさらに続けた。
「もちろん、事故まで問答無用で処罰するつもりはない。でも意図的に一線を越えれば話は別。いいわね?」
咲夜は一瞬驚いていたものの、すぐにいつもの表情へ戻った。
「承知いたしました」
そして深々と頭を下げる。
「レミリアお嬢様のご命令、必ずお守りいたします」
「ならいいわ」
霊夢も少し考えた後、腕を組み直した。
「まあ……本当に殺し合いをさせないっていうなら、私はそれでいいけど」
「決まりね」
レミリアが満足そうに頷いた。
「…………え?」
そこで。咲夜が、ようやく違和感を覚えた。
視界の端。
自分のすぐ横、妙に低い位置に何かがいる。
「……?」
ゆっくり顔を向ける。
そして、二度見した。
「…………」
ソリには手綱を握り背筋を伸ばしたガーディアンが座っていた。
「…………」
ガーディアンはゆっくり片手を上げた。そして何事もなかったように、「やあ」と言わんばかりに小さく手を振った。
「…………」
咲夜の顔が引き攣る。
「……って」
一拍。
「あなた、一体何をしてるんですか!?」
「ブフォッ!!」
その場のほとんどがとうとう堪え切れなかった。魔理沙が吹き出し、ケイドが大声で笑い、美鈴もその場で腹を押さえる。
フランドールも声を上げた。
「ずっと隣にいたー!」
「いつからそこにいたんですか!?」
咲夜が思わず一歩退く。
ゴーストが淡々と答えた。
「レミリア嬢がルールを考え始めたあたりからです」
「そんなに前から!?」
「気づかなかったのかー?」
ルーミアの純粋な一言が追い打ちをかける。
「~~~~~~~~~~~~っ!」
咲夜の顔が僅かに赤くなる。
怒っているのか、気づかなかったことが恥ずかしいのか、それとも両方なのか。
その様子を楽しそうに眺めていたレミリアは、ようやくガーディアンへ改めて問いかけた。
「さて」
頬杖をつき、挑発するように笑う。
「ルールは聞いたでしょう?」
ガーディアンもレミリアを見る。
「それを踏まえたうえで、この決闘を受けるかしら?」
少しだけ間を置く。
「言っておくけれど、咲夜はかなりの実力者よ。そんじょそこらの妖怪や妖精なんて相手にならないほどにね」
咲夜は何も言わない。だが、その立ち姿には確かな自信があった。しかしチルノはそれを聞きムッとなる。
「なにさ、あたいが弱いって言いたいの!?」
「チルノちゃん、今は黙っておこうね……」
宥める大妖精と怒るチルノに目もくれないレミリア。
「今から怖じ気づいて辞退したって、別に笑ったりはしないわよ?」
レミリアの笑みが深くなる。
明らかに煽っている。
霊夢が横から睨んだ。
「……相変わらず嫌味ったらしい言い方ね」
「何よ。事実でしょう?」
「言い方ってものがあるのよ」
ガーディアンは何も答えない。
……数秒。
レミリアも咲夜も、返答を待っていた。
やがて彼は静かにソリから降りた。
そして何故か床へしゃがみ込んだ。
「……?」
咲夜が眉を寄せる。ガーディアンは床の上で両手を動かし始めた。
……ころころ。
……ころころ。
ドレッド戦の後、神社でも披露していた謎の光輝く雪の塊を丁寧に丸めている。
一つ。
もう一つ。
少し大きさの違う二つの雪玉を作ると、それらを重ね合わせた。
さらに小さな飾りまで取り付ける。
「………………………」
――数十秒後。
謁見の間の中央に、小さな雪だるまが完成していた。
ガーディアンは立ち上がり、レミリアに向けてサムズアップと胸を張ってその完成品を見せる。
「…………」
全員が固まった。レミリアですら、何を見せられているのか理解するまで数秒かかった。
「…………は?」
咲夜が素の声を漏らす。ゴーストが困惑した様子でガーディアンを見る。
「ええっと……」
「ゴーストさん、彼が何を言いたいのかはっきりとお答えください」
「…………………………………」
数秒ほど何かを読み取るように沈黙した後、皆へ向き直った。
「『もちろんいいよ。受けて立つ』と言っています」
「おお」
ケイドが頷く。しかしゴーストは続けた。
「それと……『あとね、雪だるまをもう一個作ってからでいい?』と――」
「…………」
沈黙。そして。
「バカかお前はあああああぁぁぁぁぁ!!!!!」
見事なまでに全員の声が重なった。
「?」
ガーディアンは少しだけ首を傾げる。
「今から決闘するんでしょうが!」
霊夢が怒鳴る。
「なんで雪だるまなんだよ!」
魔理沙も続く。
「しかも何で二個目が必要なんだ!?」
ガーディアンは出来上がった雪だるまを見た。
次に、もう一個分の雪を見た。
そしてレミリアを見る。
その一連の仕草が妙に真剣だったせいで、レミリアはまた笑いそうになる。
「……ぷっ」
口元を押さえる。
「もし駄目だって言ったら?」
その問いにガーディアンは静かに立ち上がった。
「…………」
そのまま突然、床へ仰向けに寝転んだ。
「え?」
両腕をばたばた。
両脚もばたばた。
大の大人が全身装甲のまま、床の上で盛大に駄々をこね始めた。
じたばた、じたばた、じたばた――。
全身装甲の大男が、無言で床の上で手足を振り回している。身体を左右へ転がしながら、時折床を軽く叩いてまで拒否を示す。
あまりにも幼児そのものの動きだった。
「…………は?」
一同、絶句。
「ゴースト」
霊夢が呆れながらぶっきらぼうに言う
「あんた、こいつの通訳でしょ。なにを言ってんの?」
「………………」
ゴーストが中央眼を細める。
「…………『作ってからじゃないと、やーよやーよ!』」
そこまで代弁してぴたりと止まった。
「……って」
今度はゴースト自身が怒った。
「私に何を言わせてるんですかっ!?」
ケイドの肩が震える。
クロウは既に顔を覆っている。
美鈴が呆然と呟いた。
「こ、子供ですか、この人は……」
「大人よ。一応」
霊夢が疲れた声で答えた。
「一応なんだな」
魔理沙が返す。
「………………」
その時床で手足をばたつかせ続けるガーディアンを、チルノがじっと見下ろした。
昨日から何度も彼の奇妙な動きを見てきた彼女は、何かを思い出したように目を輝かせる。
「……あ」
「まさかチルノちゃん……」
大妖精が嫌な予感とともに尋ねた。
チルノは自信満々に言った。
「ひっくり返ったゴキブリじゃん!」
「ブハッ!!」
今度こそ、その場にいた半数以上が耐えられなかった。
ケイドは腹を抱え、魔理沙も膝へ手をつく。美鈴は完全に後ろを向き、小悪魔もパチュリーの肩へしがみつきながら笑いを堪えている。
クロウでさえ、口元を覆いながら俯いた。
そしてレミリアも。
「……ぷっ!」
一度は館の主として耐えようとした。
しかし無理だった。
「ふ、ふふ……ひっくり返った……!」
肩を震わせる。その隣で咲夜だけが、またしても全く笑っていない。
そんな中、さらに別方向から、冷たい声が落ちた。
「……ガーディアン」
床の上で駄々をこねていたガーディアンが、ぴたりと止まった。
――イコラだった。
腕を組み、無表情で彼を見下ろしている。
「…………」
ガーディアンがゆっくり彼女を見る。
イコラは静かに告げた。
「選ばせてあげるわ」
嫌な予感。
「始末書を千枚」
少し間を置く。すると右手にボイドエネルギーが集束していく。
「それとも、私のノヴァボム十連発直撃コース」
「…………」
ガーディアンが固まった。
謁見の間も静まり返る。
そして次の瞬間。
先ほどまで駄々をこねていた男とは思えない速度で飛び起きた。
床へ両膝をつき、両手を揃え、勢いよく頭を下げる。
あまりにも速い。
見事というほかない超高速土下座だった。
「……速っ」
魔理沙が呟く。
「ゴースト」
また霊夢からの圧に彼はまたしても何かを代弁しなければならないことを察した。
「…………」
明らかに嫌そうだった。
それでも仕事は仕事。
「『いやあ、イコラパイセン』」
イコラの眉が僅かに動く。
「『今日もお美しいですなあ』……と言っています」
数秒。
完全な静寂。
そして。
「……ブフォッ!」
ケイドが盛大に吹き出した。
「笑うなケイド!」
「いやいや、いきなり『イコラパイセン』は卑怯すぎるだろ!!」
イコラの額に、はっきりと青筋が浮かぶ。
「ガーディアン」
土下座したままの身体が僅かに震えた。
「選択肢を変更するわ」
ゆっくりと右手を持ち上げる。掌の上で更に紫色のボイドエネルギーがぱちぱちと弾け始めた。
「両方」
ガーディアンが勢いよく顔を上げた。
「…………!」
「始末書千枚を書いた後、ノヴァボム十発よ」
ゴーストの中央眼がガーディアンへ向く。
「自業自得です」
クロウも頷いた。
「今回は擁護できない」
「相棒、達者でな」
ケイドだけが笑いながら片手を上げる。
ガーディアンはそんな仲間達を順番に見た。
誰も助ける気はない。
最後に。
まだ隣へ置かれている、小さな雪だるまを見る。
「…………」
そして何を思ったのか。そっと雪だるまの頭をポンポンと撫でて愛でているガーディアン。
霊夢がその光景を見ながら、深くため息を吐いた。
「……本当にこれから決闘するのよね?」
魔理沙もまだ笑いを堪えながら答える。
「たぶんな」
一方、咲夜は静かにナイフを一本持ち直した。
その目は、もう笑っていない。
先ほどまで散々ふざけられた。
ならば。
このあと中庭で――。
その実力を、きっちり確かめてやる。
そんな意思が、その紫色の瞳にはっきりと宿っていた。
しかし――彼女達は、まだ知らない。
目の前でソリに乗り、雪だるまを作り、床の上で子供のように駄々をこねていたこの男が、本当はどれほど異常な戦士なのかを。
そして彼が生きてきた世界が、どれほど長く、残酷で、過酷な戦いに満ちていたのかを。
人類が滅亡の瀬戸際へ追い詰められ、それでもなお生き残るために戦い続けてきた世界。
神にも等しい存在や怪物達と戦い続けてきた者。
――ガーディアン。
幻想郷の者達にとって、今の彼はただの「妙にふざけた外来人」にしか見えていない。
だが、この決闘で。
咲夜も。
レミリアも。
そして、その場にいる幻想郷の者達も。
否応なく思い知らされることになる。
この男が、なぜあの地獄のような世界で今日まで生き残ってこられたのか。
そして――普段のおどけた姿の奥に隠されているものが、決して笑って済ませられるものではないということを。