東方天命録~The Final Shape Begins~ 作:はならむ
謁見の間での騒動からしばらくして、一行は紅魔館の中央に広がる庭園へと場所を移していた。
もっとも、昨日までならば美しい庭園と呼べたその場所も、今となっては見る影もない。
整然と並んでいた花壇は無残に踏み荒らされ、色鮮やかな花々の代わりに黒く焼け焦げた土が露出している。庭を横切る石畳もあちらこちらで砕け、大きく陥没した場所には昨夜の戦闘の激しさを物語る亀裂が幾重にも走っていた。
折れた庭木。
崩れ落ちた外壁の一部。
爆発によって抉られた地面。
所々には、ステイシスの影響で生じた青白い霜がまだ僅かに残っている。
ハイヴの大群に加え、ガーディアン達や紅魔館の面々が総力で暴れ回ったのだ。まして最後には、あの巨体を誇るアラークハルまで現れた。
無傷で済むはずもなかった。
それでも庭園の中央付近だけは、どうにか人が動き回れる程度には片付けられている。
妖精メイド達が朝から瓦礫を運び、折れた枝や砕けた石材を端へ寄せ、そこへガーディアン達も加わって最低限の整地を行った結果だった。
完全に元通りとは程遠い。
しかし、模擬戦を行うための空間としてならば何とか使える。
そんな庭を二階の大きなバルコニーから眺めながら、パチュリーは何とも言えない顔をしていた。
「……ねえ、レミィ」
隣にいる友人へ、呆れ半分の声を向ける。
「庭がこんな状態なのに、本当にここで決闘させるの?」
その問いを向けられた当のレミリアは、まるで自分には関係のない話であるかのように、日傘の下でゆったりと椅子へ腰を下ろしていた。
赤を基調とした豪奢な椅子。
その傍らには小さな丸テーブルが置かれ、淹れたての紅茶まで用意されている。
これから自宅の庭で決闘が始まるというのに、その姿だけを見れば観劇を楽しむ貴族そのものだった。
レミリアはカップを持ち上げ、一口だけ紅茶を含んでから庭へ視線を落とした。
「ここまで壊されたのなら、決闘で多少壊れても同じでしょう?むしろ障害物が増えて平面よりも見応えありそうじゃない」
「…………」
「どうせ私は直さないし――」
その瞬間、パチュリーは何も言わなくなった。
ただ、じっとレミリアの横顔を見る。
「……何よ」
「いえ」
パチュリーは小さく息を吐いた。
「その台詞、妖精メイド達には聞かせない方がいいと思っただけよ」
「ちゃんと働いた分のお給料は出してるわ」
「そういう問題じゃないと思うけれど」
パチュリーはそれ以上追及する気力を失ったように、再び庭へ目を向ける。
レミリアのすぐ隣では、フランドールがバルコニーの手すりに両手を置き、今にも身を乗り出しそうな勢いで下を覗き込んでいた。
「ねえねえ、お姉様」
「何?」
「どっちが勝つと思う?」
子供らしく純粋な期待を込めた問いに、レミリアは僅かに目を細める。
「さあね」
「えー?」
「分からないからこそ、こうやって確かめるんじゃない」
レミリアの視線の先には、庭園中央へ向かう二人の姿があった。
一人は十六夜咲夜。
いつもと変わらぬメイド服に身を包み、その歩みに迷いはない。
もう一人はガーディアン。
謁見の間で雪だるまを作り、ソリに乗り、最後には床の上で駄々をこねていた男である。
今のところ、その姿から緊張している様子はまるで見られない。
だからこそレミリアは、余計に興味を惹かれていた。
昨日の戦場で見た姿と、普段のこの態度。
その落差があまりにも大きすぎるのだ。
「楽しみね」
レミリアは小さく笑い、もう一度カップを口元へ運んだ。
その間にも、庭園の周囲には次々と人が集まっていた。
パチュリー、小悪魔、美鈴は自然と咲夜側に近い場所へ。
霊夢、魔理沙、チルノ、大妖精、ルーミア。
そしてイコラ、クロウ、ケイドは反対側、ガーディアンに近い位置へ集まっている。
明確に応援席を決めたわけではなかったが、気づけばそうした形に分かれていた。
さらに――。
「咲夜様、頑張ってくださーい!」
「メイド長ー!」
「負けないでくださーい!」
館の窓。
バルコニー。
庭の端。
気がつけば、妖精メイド達まで大勢集まっていた。
中には仕事用の箒を持ったままの者もいれば、わざわざ椅子まで持ってきて座っている者までいる。
つい昨日まで死闘の舞台だった庭園が、いつの間にか即席の闘技場のような様相を呈し始めていた。
魔理沙は周囲を見渡しながら、半ば呆れたように口笛を吹く。
「ずいぶん集まったな」
「そりゃそうでしょ」
霊夢は腕を組みながら答える。
「咲夜が昨日あれだけ暴れたガーディアンと決闘するなんてなったら、そりゃあ見に来るわよ」
「まあ、それもそうか」
そんな会話をしていると。
「いやあ、これは実に面白そうですねえ」
突然、霊夢のすぐ横から、聞き覚えのある声がした。
「…………」
霊夢の眉がぴくりと動く。
ゆっくりと横を見る。
そこにはいつの間にか。
赤い頭襟。
黒い翼。
手には筆記用具と手帳。
――射命丸文だった。
「……いつからいたよ、文?」
「さきほどからです」
文は満面の笑みを浮かべた。
「見学ですよ」
「その手帳は何よ」
「念のためです」
「何の念よ」
「新聞記者としての」
「帰りなさい」
「嫌です」
あまりにも即答だった。
霊夢のこめかみが僅かに引きつる。
文はそんなことなど気にした様子もなく、庭園中央に立つ咲夜とガーディアンを交互に眺めた。
「だって、紅魔館のメイド長と数日前に出会った謎の外来人さんの決闘ですよ?こんな面白そうなもの、見逃すわけにはいかないじゃないですか」
「異変が片付くまでは取材を後にしろって言ったでしょうが」
「ですから今日は本格的な取材ではありません」
文はにこりと笑う。
「ただの見学です」
「手帳持ってる時点で説得力ないのよ」
魔理沙が横から笑う。
「あきらめろ霊夢。こいつに何言っても無駄だぜ」
「分かってるから余計腹立つのよ」
そのやり取りを眺めていたケイドが、クロウへ少しだけ身を寄せる。
「なあ」
「何だ?」
「確か数日前に会った空飛ぶお嬢ちゃんだよな、いつもあんな感じなのか?」
クロウが答えるより早く。
「大体あんな感じよ」
霊夢がぶっきらぼうに言った。
「聞こえてたのか」
「聞こえる距離で話してるでしょうが」
そんな中、文はふとイコラ達の方へ顔を向けた。
昨日の戦いの際、ケイドやクロウ、それにガーディアンとは顔を合わせている。
だが異変の最中ということもあり、詳しい話を聞く時間まではなかった。
まして。
「――そういえば」
文が手帳を開く。
「まだ皆さんのお名前をちゃんと聞いていませんでしたね」
イコラが彼女を見る。
「私はイコラ・レイよ」
「イコラ・レイさん、と」
文の筆がさらさらと動く。
続いてクロウ。
「私はクロウ」
「クロウさん」
最後にケイドが親指で自分を指差した。
「ケイド6。誰よりもイカシた伝説のハンター。ケイドって呼んでくれ」
イコラの眉はピクッと動く。
「ケイド、一言多いわよ」
「本当のことだろ?」
そして庭園中央にいる男を顎で示す。
「で、あっちがガーディアンだ」
「なるほど」
文はそこまで書き込んでふと手が止まった。
「…………あや?」
不意に、文の声が止まった。
「ん?」
呼びかけられたケイドが、何気なく振り返る。
文は返事をしなかった。
手帳を片手に、もう一方の手には筆を持ったまま、じっとケイドの顔を見つめている。
最初は単なる好奇心のようだったその視線が、数秒もしないうちに徐々に訝しげなものへ変わっていった。
ケイドのフードの奥。
影に隠れて見えにくかった顔。
そこにある輪郭を確かめるように、文が少しだけ身体を傾ける。
右から。
左から。
そしてもう一度正面から。
「……なんだ?」
さすがのケイドも居心地が悪くなったのか、わずかに身を引いた。
「いや、その……」
文は筆の先でケイドの顔を指す。
「あなた」
「俺?」
「よく見たら……人間じゃない?」
「…………」
…………沈黙。
ケイドの白く輝く眼が、ゆっくりと細められた。
そのまま数秒ほど固まった後。
「……はあぁぁ……」
やけに深いため息が漏れた。
肩まで大きく落ちる。
「やっぱり俺は、どこへ行ってもそう言われる運命なんだな……」
「?」
文が首を傾げる。
「いや。いいさ。どうせこうなると思ってた」
どこか諦めきった口調で呟くと、ケイドは突然フードへ手を掛けた。
「なら――!」
「え?」
ばさっ。
次の瞬間、ケイドは勢いよくフードを後ろへ払った。
これまで布と影に覆われていた頭部全体が、幻想郷の陽光の下へ露わになる。
「うわっ!?」
文が思わず後ろへ飛び退いた。
青と白を基調とした硬質な外装。
頬から顎にかけて走る金属製の装甲。
人間の頭部を模した輪郭を持ちながら、それが生身の人間とは根本から異なることは一目瞭然だった。
額には、まるで鬼の角を思わせる一本の突起。
眼球の代わりに白く輝く光。
口を開けば、その内部にも同じ白い光が灯っている。
皮膚もなければ、髪もない。
血肉の気配さえない。
そこにあるのは――紛れもない機械の顔だった。
そしてケイドは。
「ガオー!!」
両手を頭上へ広げた。
指までわざわざ鉤爪のように曲げている。
「……ってか」
「…………」
文の筆が止まった。
完全に止まった。
その横にいた大妖精も。
「…………」
チルノも。
「…………」
ルーミアも。
「そーなの……かー?」
少し離れた場所で後片付けをしていた美鈴まで振り返り。
「…………え?」
小悪魔は抱えていた本を胸元へ抱き締めたまま固まり。妖精メイド達も。
「えっ」
「なにあれ」
「顔……?」
「えっ?」
ざわざわざわ。
瞬く間に周囲へ動揺が広がっていった。
そして。
「顔だったの、それ!?」
チルノが真っ先に叫んだ。
「そこかよ!?」
ケイドが即座に突っ込む。
大妖精も目を丸くしている。
「わ、私も……てっきり仮面なのかと……」
「私もなのかー」
ルーミアまで頷いた。
妖精メイド達も顔を見合わせる。
「私も仮面だと思ってた」
「あたしも」
「変わったお面だなって……」
「お前ら揃いも揃って……」
ケイドの肩が再び落ちた。
どうやら、この場にいる多くの者達は、これまでケイドが奇妙な仮面か兜を身につけているだけだと思っていたらしい。
事実、その認識も無理はない。
幻想郷には面を身につけた妖怪もいれば、奇妙な装束を好む者もいる。
ましてケイドは普段フードを深く被っている。
遠目から見ただけなら、金属製の仮面と言われても納得できる姿だった。
そんな周囲の反応を見て。
「まあ、最初はそう思うよな」
魔理沙が苦笑しながら頭の後ろを掻いた。
「私も似たようなもんだったし」
「私なんて最初、変な仮面つけた外来人だと思ってたわよ」
ケイド自身が頬を指先で軽く叩く。
明らかに生身の人間から鳴るはずのない金属音。
文の目がさらに見開かれた。
「俺はエクソだ」
「……エクソ?」
聞き慣れない言葉。
文だけではない。
チルノも。
大妖精も。
美鈴も。
小悪魔も。
ほとんど同時に首を傾げた。
「えくそ?」
チルノが復唱する。
「なんか強そう!」
「判断基準どうなってんだ、お前」
魔理沙が呆れる。
ケイドは顎へ手を当てた。
さて。
どう説明したものか。
科学技術そのものを知らないわけではないにせよ、幻想郷の住人へ自分達の成り立ちを正確に説明するのは少々難しい。
数秒考え。
結局、最も簡単な言い方を選んだ。
「まあ簡単に言えば――」
自分の胸を親指で指す。
「元は人間だ」
「……元?」
「人間の意識を、そのまま機械の身体へ移した。それがエクソだ」
「…………」
今度こそ。文が絶句した。
「…………え?」
もう一度、ケイドの顔を見る。
機械。
次に身体を見る。
やはり機械。
そして再び顔を見る。
「人間の……意識を……?」
「ああ」
「機械の身体に?」
「そう」
「……入れた?」
「まあ、雑に言えばな」
文の翼がぴくりと動いた。
「そんなことが可能なんですか!?」
「俺が目の前にいるだろ?」
「それはそうですけど!」
もっともな返答だった。
文は慌てて手帳へ筆を走らせ始める。
さらさらさらさらさら。
凄まじい速度だった。
「元人間……意識を機械へ……自我継続……人格……記憶……」
「おいおい、新聞に載せるなら格好良く書いてくれよ?」
「もちろんです!」
文が顔を上げる。
「『衝撃!異世界より現れた機械人間!その正体は人間の魂を封じ込めた謎の兵士!』」
「なんかホラーテイストになってんじゃねぇか!」
「売れそうですね!」
「やめろ!」
そんな二人のやり取りをよそに、大妖精がおずおずと手を上げる。
「あ、あの……ケイドさん」
「ん?」
「機械の身体ってことは……その……眠ったりとかは……?」
「するぞ」
「えっ」
「普通に寝る」
ケイドは指を一本立てた。
「飯も食う」
二本目。
「疲れる」
三本目。
「痛みも感じる」
四本目。
「なんなら――」
そこでなぜか得意げに胸を張った。
「臭い息だって出来るぞ」
「なんでそこ誇らしげなんだよ」
クロウが即座に突っ込んだ。
「大事だぞ?」
「何がだ」
「人間らしさ」
「絶対それじゃない」
クロウが額を押さえる。
ケイドは気にしない。
むしろ文達へ顔を向け。
「つまり、見た目が機械ってだけでほとんど人間と変わらない」
「…………」
文はしばらくケイドを見つめていた。
やがて。
「……え、えええ!?」
今さらのように大声を上げた。
「つまり、ほとんど生き物同然ってことですか?」
ケイドが肩を竦めた。
「信じられないかもしれないが、それがエクソだ」
文は言葉を失った。
単純に、人形が動く。
そういう話ではない。
命令された通りに動く絡繰でもない。
目の前の男は笑う。
冗談を言う。
怒る。
疲れる。
食べる。
眠る。
仲間を心配し。
時には危険を承知で敵へ飛び込む。
そして何より。
自分自身を、確かにひとりの人間として認識している。
機械の身体でありながら。
そこには疑いようのない人格が存在していた。
少し離れたバルコニー。
「…………」
そこから一部始終を見ていたパチュリーの表情が変わった。
手にしていた本から視線が完全に離れている。
紫色の瞳は今、ただ一点。
ケイドへ向けられていた。
(人間の意識を……機械へ……?)
その言葉が頭の中で繰り返される。
魂を別の器へ移す。
その概念そのものなら、幻想郷にも全く存在しないわけではない。
魂。
幽霊。
憑依。
転生。
肉体と精神を分離して考える術式や思想は、決して珍しいものではない。
だが。
これは違う。
彼らの言葉を聞く限り。
エクソを生み出したものは――魔術ではない。
妖術でもない。
神の奇跡でもない。
――科学。
彼らの世界で発達した、人間自身の技術によって実現されたものなのだ。
(しかも――)
眠れる。
食事が出来る。
疲労する。
痛覚まで存在する。
単純に人間の脳や意識を機械へ押し込めただけではない。
機械の肉体そのものへ、人間として生きるために必要な感覚すら再現している。
(人間とほとんど同じ生活を送れる機械の身体……)
パチュリーの指が本の表紙を僅かに強く掴んだ。
昨日目にした銃器。
光を放つ装備。
宙へ浮く小型機械。
空間から瞬時に武器を取り出す技術。
それだけでも、彼らが幻想郷とは全く異なる文明から来たことは理解していた。
だが、これは次元が違う。
生命そのものの在り方へ手を伸ばしている。
(どこまで進んでいるの……)
パチュリーは無意識のうちに呟きそうになった。
(彼らの科学は……?)
正直、知りたい。
どうやって意識を読み取ったのか。
記憶はどのように保持されるのか。
魂との関係は。
機械の肉体と自我の結びつきは。
魔法的観測を行えば何が見えるのか。
魂は存在しているのか。
それとも――。
そこまで考えてパチュリーは、はっとした。
いつの間にか自分が身体を乗り出すほどケイドを凝視している。
「…………」
隣にいた小悪魔が、そっと見上げた。
「パチュリー様?」
「いや……何でもないわ」
平静を装って本へ視線を戻す。
もっとも同じページを数分眺め続けることになるのだが。
一方、ケイドはそんな魔法使いの猛烈な知識欲に気づくこともなく。
「ちなみに――」
今度は仲間達へ指を向け始めた。
「イコラとガーディアンは人間。クロウはアウォークンだ」
文の顔が今度はクロウへ向く。
「アウォークン?」
「ああ」
クロウが静かに頷く。
「元々は人間だったが色々あって変異した種族だ」
改めて見れば、確かに人間とは異なる。
肌の色。
瞳の光。
雰囲気そのものにも、どこか超自然的なものを感じさせる。
「エクソに、アウォークン……」
文が楽しそうに手帳へ書き込んでいく。
「幻想郷には存在しない種族ばかりですねえ」
「詳しく話すと長くなるわ。しかしエクソもアウォークンも元々は人間を起源とした種族であることには間違いないわ」
イコラがやんわりと割って入った。
「詳しい話はまた後にしましょう。今は決闘が始まる」
「あやや、確かに」
文は渋々といった様子ながら手帳を閉じる。
「では詳細はまた後日の取材で」
「受けるとは言ってないけどね」
霊夢が呆れたように付け加えた。
その時庭園中央から、妖精メイド達の歓声が上がる。
皆の視線がそちらへ向いた。
咲夜が準備を終えたのだ。
いつものメイド服。
その両手には数本の銀色のナイフ。
背筋を真っ直ぐに伸ばし、静かにガーディアンを見つめている。
その姿を見たケイドが、しばらく黙った後。
ぽつりと口にした。
「……なあ」
「何よ」
霊夢が横目を向ける。
ケイドは咲夜を指差した。
「あの咲夜ってお嬢ちゃん、あの格好のまま戦うのか?」
「そうだけど」
「本当に?」
「本当に」
「いや、だって」
ケイドが自分の身体を見下ろす。
厚い装甲。
戦闘用の防具。
次にイコラ、クロウ、ガーディアンを見る。
誰もが程度の差こそあれ、戦場を想定した装備に身を包んでいる。
改めて咲夜へ目を戻す。
……布。
どう見ても布。
「俺達の世界じゃ、女でも普通にこういうアーマー着て戦うぞ」
「だから」
霊夢がため息を吐く。
「ここはあんた達の世界じゃないのよ」
「だからってあんなメイド服で戦うのが当然になるのか?」
「なるわよ」
「なんでだよ?」
イコラが小さくため息をつく。
「ケイド」
「何だよ」
「気持ちは分かるけれど、外見で実力を判断しない方がいいわ」
「それは昨日でもう理解したよ」
ケイドは両手を上げる。
「分かった上で意味が分からんって言ってるんだ」
「そのうち慣れるわよ」
霊夢が適当に返す。
「慣れる気がしねえ」
そんな会話を聞きながら、文が再び手帳を開いた。
「ところで」
周囲の顔を見渡す。
「皆さんは、どちらが勝つと思います?」
その問いに霊夢はほとんど迷わなかった。
「咲夜」
「私も咲夜だと思うぜ」
魔理沙も続く。
美鈴も頷く。
「私もメイド長ですね」
「咲夜でしょうね」
パチュリーもバルコニーから静かに答える。
「私も咲夜さんだと思います」
小悪魔も同意する。
大妖精も少し申し訳なさそうに。
「わ、私も……咲夜さんかな」
「じゃああたいはあいつ!」
チルノが勢いよく手を挙げる。
「チルノちゃん、今適当に決めたでしょう?」
「そんなことない!」
「ルーミアは?」
「うーん」
ルーミアは首を傾げる。
「わかんないのかー」
文はその意見をまとめるように手帳へ書き込んだ。
「ざっと見る限り……八対二くらいで咲夜さん有利、というところでしょうか」
「まあ、そんなものじゃない?」
霊夢が答える。
実際、幻想郷側にとっては自然な評価だった。
昨日、ガーディアンが強力な武器を操り、ハイヴを次々と吹き飛ばしていたことは知っている。
しかし、それは多数を相手にした戦場での話。
一対一となれば。
しかも相手は十六夜咲夜。
その機動力と無数のナイフを自在に操る紅魔館のメイド長、単純な火力だけで勝てる相手ではない。
「八対二か」
ケイドが面白そうに笑った。
そして庭中央へ声を張る。
「おーい、相棒!」
ガーディアンがこちらを見る。
「八対二だってよ!相当舐められてるぞ!」
「…………」
ガーディアンは数秒黙った後、力強く親指を立てた。
「何で嬉しそうなんだよ」
クロウが呆れる。
ケイドは肩を揺らして笑った。
「まあ、こういうの好きだろ、あいつ」
クロウは苦笑しながらも、咲夜へ視線を向け直した。
「だが――」
その声には少し真剣な色が混じっていた。
「我々は彼女の実力をまだ正確には知らない。周囲の者がここまで彼女を評価するということは、レミリア嬢の言う通り相当な手練れなのだろう」
「だろうな」
ケイドもそこは否定しない。
咲夜の実力は、昨日の戦闘でも十分に見た。
大量に展開できるナイフ。
高い機動力。
判断力。
どれを取っても並の戦士ではない。
だからこそケイドは面白そうに口元を歪める。
「でもまあ」
「?」
霊夢が彼を見る。
「逆に言えば」
ケイドは庭中央の相棒を見たまま続ける。
「お前達も、あいつのことをほとんど知らない」
「何よ」
霊夢が眉を上げる。
「昨日散々戦ってるところ見たわよ」
「あれは戦争だ」
ケイドは即答した。
「今からやるのは一対一の決闘だろ?」
「それがどうしたのよ」
「全然違う」
その声音からいつもの軽薄さが、ほんの少しだけ薄れる。
霊夢達もそれを感じ取ったのか、自然とケイドの言葉へ耳を傾ける。
「俺達はガーディアンだ」
ケイドが言う。
「人類を守って、敵と戦って、世界が滅びないように走り回ってる」
そこで一拍置いた。
「だが、俺達ガーディアンは戦争しかしてないわけじゃない」
「?」
魔理沙が首を傾げる。
「俺達の世界には『クルーシブル』っていう競技がある」
「クルーシブル?」
聞き慣れない言葉を、魔理沙が復唱する。
イコラが説明を引き継いだ。
「元々は、シャックス卿というガーディアンが取り仕切る戦闘訓練の場や組織を指す意味合いが強かったのだけれど」
少し考えながら続ける。
「長い年月の中で、今ではガーディアン同士が戦う競技そのものをそう呼ぶことも多いわ」
「ガーディアン同士で戦うの?」
大妖精が目を丸くする。
「ええ」
「仲間同士なのに?」
「訓練でもあるからな」
クロウが補足する。
ケイドも頷いた。
「簡単に言えば、ガーディアン同士で戦う競技の総称だ」
霊夢が少し考える。
「じゃあ、あたし達の弾幕ごっこみたいなもの?」
「俺達はその弾幕ごっこをまだちゃんと見たことがないから、何とも言えないけどな」
ケイドは肩を竦める。
「まあ、似たようなものなんじゃないか?」
魔理沙の目が少し輝く。
「じゃあ、あいつもそれをやってるのか?」
「ああ」
ケイドは即答する。
そしてにやりと笑った。
「しかも、かなりやってる」
霊夢達が再びガーディアンを見る。
本人はそんな話をされているとは知らず。
いや、聞こえている可能性は高いが。
特に気にした様子もなく、装備を確認している。
ケイドは楽しそうに腕を組む。
「クルーシブル、とりわけ――」
彼はニヤリと笑う。
「『オシリスの試練』に脳を焼かれたガーディアンの恐ろしさを、お前らはまだ知らない――」
「オシリスの試練……?」
「ケイド」
イコラの声が静かに飛ぶ。
「余計に煽らない」
「へいへい」
ケイドはすぐに口を閉じた。
代わりに霊夢がイコラを見る。
「で、あなたはどう思ってるの?」
「何を?」
「どっちが勝つと思う?」
イコラは少しだけ考えた。
それから庭中央のガーディアンへ目を向ける。
「私は勝敗自体をそれほど気にしていないわ」
「そうなの?」
「ええ」
イコラの声は落ち着いていた。
「これは殺し合いではない。互いの実力を確かめるための模擬戦でしょう?」
「まあ、そうね」
「なら、勝っても負けても構わない」
そこでイコラの目が僅かに細くなった。
「私が心配しているのは――」
ガーディアン、その次に咲夜に視線を向けた。
「ガーディアンが、彼女を必要以上に傷つけないか」
「…………」
霊夢が黙る。
少し妙だった。
普通ならば未知の能力を持つ咲夜と戦う仲間を心配する場面ではないのか。
しかしイコラが気にしているのは、ガーディアンの身ではない。
……咲夜の方だ。
「ずいぶん信頼してるのね」
霊夢が言う。
「信頼というより」
イコラは僅かに息を吐く。
「彼がどういう戦士なのか知っているだけよ」
その言葉を聞き、ケイドが小さく笑った。
「それにな」
魔理沙が彼を見る。
「まだ一つ、大事なこと忘れてるぜ」
「何だよ?」
ケイドはすぐには答えなかった。
ただ庭の中央にいるガーディアンを眺める。
先ほどまで雪だるまを作って、床で駄々をこねて、イコラへ超高速土下座までしていた男。
どこをどう見ても大英雄には見えない。
それでもケイドの口から出た言葉は妙に静かだった。
「あいつはなんたって――」
一陣の風が壊れた庭園を吹き抜け土埃が舞う。
妖精メイド達のざわめきが、一瞬だけ遠くなったように感じられた。
「神殺しだからな」
「…………」
霊夢。
魔理沙。
チルノ。
大妖精。
美鈴。
小悪魔。
そして。
バルコニーにいるパチュリーまで。
一斉にケイドを見る。
「……神殺し?」
霊夢が聞き返す。
声には。
僅かな疑念が混じっていた。
ケイドは笑わない。
冗談を言った時の声でもない。
「比喩でもない」
そして再び、ガーディアンへ視線を戻す。
「本当の話だ」
……神殺し。そんな物騒な情報に対する周囲のざわめきをよそに、決闘場では二人の準備が進んでいた。
最初に注目を集めたのは咲夜だった。
彼女は両手に数本のナイフを取り出すと、指の間へ挟み込む。
そのまま手首を軽く返した。
シャリ……。
銀の刃同士が触れ、澄んだ金属音が鳴る。
もう一度。
シャリン。
手首を捻り、ナイフを入れ替える。
一本を空中へ軽く放り、回転しながら落ちてきたそれを逆手で受け止める。
今度は右足を半歩引いた。
体重を落とし、足首を確かめるように身体を左右へ揺らす。
そして、ふわりと身を翻した。
一歩。
二歩。
舞台の上で踊るような軽いステップ。
しかし、その全てが実戦へ直結している。
一歩踏み込めば投擲。
身体を捻れば回避。
そこから手首を返せば即座に反撃。
無駄がない。
――幻想郷の弾幕ごっこ。
それはただ勝敗を決めるためだけの戦いではない。
己の能力。
己の技。
そして己の美学を、弾幕という形で相手へ叩きつける決闘である。
ある意味では幻想郷に生きる者達にとっての、とりわけ女子の嗜みですらあった。
その中で、十六夜咲夜は生身の人間でありながら、並み居る妖怪達を相手に一歩も退かない。
高速移動。
死角からの投擲。
空間を埋め尽くす無数の銀のナイフ。
敵から見れば、一瞬前まで正面にいたはずの彼女が次の瞬間には背後へいる。
一撃を凌いだと思えば、さらに別方向から刃が飛んでくる。
優雅で。
華麗で。
それでいて容赦がない。
更にはもう一つ、常識を覆す彼女特有の能力をも持ち合わせる。
今こうして準備運動をしている姿ですら、一種の舞踏に見える。
まさしく――銀色のソードダンサー。
「咲夜様ー!」
妖精メイドの一人が声を上げた。
それを皮切りに。
「頑張ってくださーい!」
「咲夜様なら絶対勝てるよー!」
「そんな変な人に負けないでー!」
「咲夜様かっこいいー!」
一斉に黄色い歓声が飛ぶ。
咲夜はそれに振り返らない。
ただ、手元のナイフをもう一度確かめる。
顔には笑みがなかった。
いつもの完璧なメイド長らしい穏やかな微笑は消えている。
そして視線の先には、例のガーディアン。
先ほど主人であるレミリアへ無礼な態度を取り、さらには奇妙な行動を連発した変人。
そのことを咲夜はまだ根に持っていた。
もちろん、これは殺し合いではない。
それは理解している。しかし。
――多少痛い目を見てもらう程度なら問題ないでしょう。
――むしろ皆の前で一度くらい、無様に地面を転がっていただいた方がよろしいのではなくて?
そんな考えが、かなり本気で頭の中を占めていた。
霊夢がその様子を見て苦笑する。
「咲夜、完全にやる気ね」
魔理沙は楽しそうだ。
「咲夜のあのトリッキーな猛攻を、あいつがどう処理するか見物だな」
小悪魔は少し同情したような表情をする。
「咲夜さんを完全に怒らせるなんて……あの人も災難ですね」
「いやぁ……」
美鈴の頬を冷や汗が流れた。
「咲夜さん、あれ本気で機嫌悪いですよ。あの人大丈夫ですかね……」
パチュリーも冷静に咲夜の動きを眺めていた。
「少なくとも咲夜の調子は良さそうね」
そして自然と全員の視線が、反対側へ向かう。
そこにいたガーディアンを見て。
今度は別の意味で、誰もが黙り込んだ。
「…………」
「………………」
「……………………」
最初に口を開いたのは霊夢だった。
「……何よ、あれ」
ガーディアンは完全武装していた。
右腰の大型ホルスターには、一丁の古風なハンドキャノン。
黄金色と黒を基調とした長い銃身。
黒いグリップ。
未来的な火器が多い彼らの装備の中では異質なほど古めかしく、装飾が美しい古き良き回転式拳銃を思わせる形状をしている。
だが、単なるハンドキャノンではない。
幾多の逸話と伝説に彩られたテックス・メカニカ製ハンドキャノン。
その名も――『ラスト・ワード』。
その反対側には、咲夜達にとってさらに正体不明な銃が固定されていた。
『フュージョンライフル』。
普通の小銃と比べると、全体的にずんぐりとしている。
銃身は短めだが太く、銃口周辺には幾層もの金属板が重なり合うような複雑な構造が施されていた。
側面には細長い放熱孔。
銃本体の中央部は大きく膨らみ、内部にはエネルギーを蓄えるためのコイルやコンデンサらしき機構が組み込まれている。
ところどころに設けられた隙間からは、淡い光が脈打つように漏れていた。
引き金を引けば、その場で火薬が爆発して弾丸を飛ばす。
そういう種類の武器ではないことだけは、一目で分かる。
だが何を撃ち出すのかは、東方側にはさっぱり分からない。
さらに背中には巨大なマシンガン。両手で抱えなければ扱えないような重量級の火器だ。
「あいつ、まさか彼女にフュージョンライフルとマシンガンを使う気か?」
と、クロウが懸念するとケイドは肩をすくめた。
「使わないだろ。相棒も使っていいことと悪いことの区別は分かるはずだ」
「じゃあ、なんで装備してる?」
「ハンディキャップじゃね?」
――腰と胸には弾薬用のベルト。
左右へ交差するように巻き付けられ、ハンドキャノン用の弾薬、特殊弾薬、フュージョンライフル用のエネルギーセル、さらに大型火器用の予備弾薬まで収納されている。
どう見ても模擬戦へ出る人間の装備ではない。
完全な戦争装備だった。
そして足元。クロウが何かに気づいた。
「……あいつ」
「何だ?」
ケイドが見る。
「ブーツが変わっている」
「お」
先ほどまで履いていた脚部装備とは違う。
いつ交換したのか、ガーディアンの足にはウォーロック用防具のひとつ――『横断のブーツ』が装着されていた。
ガーディアン本人はそんな周囲の反応など気にも留めず、ウォームアップを続けている。
まず首を右へ。
ゴキ、と小さな音。
反対。
次に手首を回す。
足首。
肩。
肘。
その場で何度か深く屈伸し、一方の脚を伸ばして体重を落とす。
反対側も同じ。
続いて腰を捻る。
背筋を伸ばし。
最後に軽くその場で跳ねる。
装備の確認。
ホルスターの位置。
弾帯。
フュージョンライフル。
すべてを一つ一つ手で確かめていく。
遊び半分のような態度は、今だけ見れば一切ない。
完全に試合前の選手だった。
しかし、そんな事情を知らない幻想郷側からすれば――。
「……は?」
霊夢がようやく声を出す。
「あいつ、あんなの全部担いで咲夜と戦う気なの!?」
魔理沙も目を丸くする。
「いやいやいや、重すぎるだろ!あれで本当に動けるのか?」
小悪魔は呆然としていた。
「何ですか、あの重装備……」
美鈴も困惑気味に頬を掻く。
「ええ……模擬戦ですよね、これ……?」
パチュリーは露骨に眉を寄せる。
「咲夜相手にあれだけの重装備……ふざけているとしか思えないわ」
二階でもレミリアも紅茶を飲む手を止めた。
その紅い瞳が、ガーディアンの装備を上から下までなぞっていく。
(あの男……)
咲夜との実力比べ。
ただそれだけのはずだ。
殺し合いではない。
にもかかわらず、相手はまるで戦争にでも出るような姿をしている。
(あれだけ担いで、一体何をするつもりなの?)
自分からは既に念を押してある。
絶対に殺すな、と。
それでも。
(……嫌な予感がするわね)
レミリアは静かにカップを置いた。
一方、東方組とは正反対に、D組はそれほど驚いていなかった。
むしろ、クロウが少し感心したように呟く。
「あいつ……完全にクルーシブル用の装備だな」
「ああ」
ケイドは満足そうに頷いた。
「やっぱやる気じゃねえか、相棒」
霊夢達が一斉に二人を見る。ケイドは構わず続けた。
「昔からそうだったんだよ。バンガードの任務が終わるだろ?そしたらすぐクルーシブル直行だ」
そしてクロウを見る。
「なあクロウ」
「何だ」
「俺がいなくなった後も、ガーディアンはずっと試練に籠もってたのか?」
「まあ知る限りではな」
クロウは何でもないことのように頷く。
「試練だけじゃない。シャックス卿の三対三方式のマッチにも参加していたし、サラディン卿が主催する『アイアンバナー』にもかなり出ていたはずだ」
「やっぱりな」
「それと、仲のいいガーディアン同士で行うプライベートマッチも頻繁にやっていたな」
ケイドの笑みが深くなる。
「上出来だ」
そして咲夜へ目を移す。
「あのお嬢ちゃん、途中から相棒の相手するのが過酷すぎてゲロ吐くかもな」
「ゲロ言うな!」
霊夢が即座に怒鳴った。妖精メイド達からも不満そうな視線が飛ぶ。
「たとえだって!」
クロウは咲夜を見ながら、ほんの少し不安げな表情を浮かべる。
「もしそこまでやるつもりなら……彼女、本当に大丈夫か?」
ケイドは肩を竦めた。
「まあ、あいつならその辺の加減はするだろ」
「その根拠は?」
「相棒だから」
「根拠になってない」
その会話を聞いていた霊夢が、腕を組み直した。
「そういえば」
「ん?」
「あんた達も幻想郷で戦うなら、スペルカードルール……つまり弾幕ごっこについては覚えておいた方がいいわね」
ケイドが即座に首を傾げる。
「なんで?」
「なんでって……」
魔理沙が呆れたように言う。
「ここじゃこういう形で戦うんだってことを知っといた方がいいだろ」
「それは分かるけどよお」
ケイドは一本指を立てた。
「じゃあ昨日みたいにハイヴがまた攻めてきた時、お前らどうすんだ?」
「どうするって?」
ケイドは妙に丁寧な口調を作る。
「『すみませーん、幻想郷ではスペルカードルールってのがあります。これがこっちの戦い方なんで、皆さんも覚えて守ってくださいね!』」
「…………」
「って、あいつらに表立って言うのか?」
「………………」
霊夢達が黙った。
チルノまで黙った。
ルーミアがぽつりと言う。
「聞いてくれなさそうなのだー」
「だろ?」
「だからって納得するんじゃないわよ」
霊夢が頭を抱える。クロウが苦笑しながら仲裁した。
「まあ、敵に守らせるためではなく、この世界の文化を我々が理解するためだ。知っておいて損はない」
「まあ、その通りだな」
ケイドはあっさり頷いた。
「郷に入っては郷に従え、だな」
魔理沙が目を瞬く。
「そんな言葉、お前らの世界にもあるのか?」
「今思いついた」
「こっちには本当にあるぞ、それ」
「マジで?」
そんなやり取りの中、準備を終えたガーディアンが、いよいよ決闘場へ向かおうとした。
その肩をガシッと背後から手が掴む。
ガーディアンの身体が止まった。
振り向くとそこにはイコラがいた。
「ガーディアン」
イコラの顔は真剣そのものだった。
「あなたなら分かっていると思うけれど、念のためもう一度言うわ」
彼女は向こう側にいる咲夜へ視線を送る。
「彼女、十六夜咲夜はこの幻想郷の住人よ」
ガーディアンは黙って聞いている。
「これは敵との戦闘ではない」
肩を掴む手に、ほんの少し力がこもる。
「勝敗も重要ではない。あなたはただ、彼女達に自分がどの程度戦えるのかを見せればいい」
一拍置く。
「だから――」
イコラははっきりと言った。
「間違えても殺生だけは避けて」
「…………」
「分かったわね?」
数秒、ガーディアンは微動だにしなかった。
「………?」
そして突然、その場で猛烈な勢いで回転し始めた。
くるくるくるくるくる、と、異常な速度で身体を回す。
「…………」
イコラの表情が固まる。
ケイドが口元を押さえる。
クロウは視線を逸らした。
東方組は完全に理解不能だった。
やがて回転が止まる。
イコラは低い声で呼ぶ。
「……ガーディアン?」
ガーディアンは何も言わない。
代わりにゴーストがふわりと現れた。
「ええっと……」
ちらりとガーディアンを見る。
それからイコラへ。
「『大丈夫。心配しないで、イコラ』とのことです」
イコラはしばらく無言だった。
そして静かに言う。
「ガーディアン」
「…………」
「あなた、後でゆっくり説教ね」
ぴたり、ガーディアンの身体が止まる。
次の瞬間、また先ほどの光輝くゴミバケツが現れた。
その蓋を開けガーディアンは無言で中へ入る。
(´・ω・`)シュン……
頭部がバケツからはみ出ていて、あからさまに落ち込んでいる。
イコラは冷たい目を向けた。
「……始末書、千二百枚追加」
ガタンッ!
蓋が勢いよく開いた。
ガーディアンが飛び出す。
その場で膝をつく。
両手を地面へ頭を深々と下げる。
そのまま一度立ち上がる。
また土下座。
立つ。
また土下座。
それを何度も高速で繰り返す。
声は一言も発していない。
だが全身で「申し訳ございません」と訴えているのだけは、嫌でも分かった。
「…………」
霊夢。
「…………」
魔理沙。
「…………」
チルノ。
「…………」
美鈴。
「…………」
小悪魔。
「…………」
パチュリー。
「…………」
咲夜。
そして二階では、レミリアまでもが紅茶のカップを持ったまま固まっていた。
射命丸文だけが、無言でカメラを構える。
カシャ。
「撮るな!」
霊夢の声が飛んだ。ケイドは腕を組みながらしみじみ頷く。
「いつもの相棒で安心した」
クロウが信じられないものを見るような目を向ける。
「これが『いつも』なのか?」
「まあな」
やがてイコラは額へ指を当て、疲れ切ったように息を吐いた。
「……もういいわ」
土下座中のガーディアンが顔を上げる。
「行きなさい」
その言葉を聞いた瞬間。
ガーディアンはすっと立ち上がった。
それまでのふざけた空気が嘘のように消える。
姿勢を正す。
装備を最後に一度確かめる。
そして、何も言わず決闘場へ歩き始めた。
一歩、また一歩。
重装備。
背中には巨大なマシンガン。
腰にはフュージョンライフル。
右手側にはラスト・ワード。
弾薬も大量に積んでいる。
それなのに。
歩き方は驚くほど軽い。
身体の軸もほとんど揺れない。
先ほど「本当に動けるのか」と疑っていた魔理沙の目が僅かに細くなる。
「……あれ?」
「何?」
霊夢が聞く。
「いや」
魔理沙はガーディアンの足運びを見る。
「思ったより……全然重そうじゃないな」
美鈴もそこで気づいた。
「あ」
武術家として、彼女は別のものを見ていた。
「重心がぶれてない……」
「何?」
「いえ」
美鈴はガーディアンを見つめる。
「見た目はあんなに重装備なのに、歩く時に余計な力がほとんど入ってないんです」
今まで軽く見ていた表情から、少しだけ笑みが消える。
「……あの人、かなり身体の使い方に慣れてますね」
パチュリーもその言葉を聞いて、改めてガーディアンを見る。やがて彼は即席の決闘場の端で足を止めた。
その向こう、十数メートルほど離れた場所には咲夜。
青と白のメイド服。
銀のナイフ。
こちら側にはガーディアン。
遥か未来の戦争を生き抜いてきたアーマー。
ラスト・ワード。
フュージョンライフル。
マシンガン。
横断のブーツ。
あまりにも対照的だった。
咲夜は一本のナイフを指先で回し、静かにガーディアンを見つめる。
ガーディアンも何も言わず彼女を見る。
風が吹いた。
咲夜の銀色の髪とスカートが揺れる。
ガーディアンのローブが後ろへ流れる。
妖精メイド達のざわめきが、次第に小さくなっていく。
二階のベランダでは、レミリアが椅子へ深く腰掛けた。
「さて、どこまでやれるか見せてもらいましょうか?」
その横でフランドールが手すりへ身を乗り出している。
パチュリーは咲夜を見る。
小悪魔は固唾を呑む。
美鈴は先ほど気づいたガーディアンの立ち姿を、もう一度注意深く観察していた。
霊夢は腕を組む。
魔理沙は少し楽しそうに笑う。
射命丸文はカメラを構える。
ケイドは余裕の笑み。
クロウは静かに両者を見比べている。
そしてイコラだけはガーディアンの立ち方を見た瞬間、僅かに目を細めた。
彼女には分かる。
先ほどまでふざけていた男は、もういない。
今そこにいるのは、幾度となくクルーシブルへ身を投じ、対人戦で磨かれ、敵の視線、足運び、間合い、武器を抜く予備動作まで読むことを身体に染み込ませた一人のガーディアンだった。
下馬評は八対二。
咲夜圧倒的有利。
幻想郷の者達は、ほとんど誰もその数字を疑っていない。
だがイコラ。
ケイド。
クロウ。
この三人だけはその予想を、一度たりとも信用していなかった。
そして咲夜もまだ知らない。
自分の正面で静かに立つ男が、敵との戦争だけではなく自分と同じガーディアン相手に、何度も何度も殺し合いを繰り返してきた生粋の対人戦闘者であることを。