東方天命録~The Final Shape Begins~ 作:はならむ
咲夜の猛攻を掻い潜りながら、ガーディアンは再び大きく地面を蹴った。
身体がふわりと浮き上がり、ウォーロック特有のグライディングによって高度を上げていく。それだけならば、これまでにも何度となく見せてきた動きだった。
しかし今回は、その途中で左手を開いた。
掌の中へ橙色の光が集まり、ソーラーの熱が陽炎となって揺らめく。
ガーディアンはそれを自らの身体へ取り込んだ。
ボウッ――。
全身を淡い炎が包み、緩やかに落下していた身体が再び空中へ留まる。
――熱上昇。
試合が始まってから何度も使っていた能力だ。
だからこそ、霊夢達も最初はそれほど驚かなかった。
問題は、その直後だった。空高く滞空したガーディアンがフュージョンライフルを下げ、背中へ右手を回した。
「…………おっ?」
魔理沙がいち早くその動きに気づいた。
次の瞬間、これまで使っていたものとは全く異なる長大な銃器が、ガーディアンの両手へ収まった。
細長い銃身。
大きな照準器。
明らかに近距離で振り回すことを想定していない形状。
「また武器を変えた!?」
霊夢が思わず声を上げる。文もすぐさま手帳から顔を上げた。
「今度は……随分と長い銃ですが」
パチュリーも僅かに目を細める。
「形状からして、先ほどのものとは用途そのものが違いそうね」
魔理沙はふと、ハッとなった。
「あれ、もしかしてさっきクロウの言ってた――」
「ああ。スナイパーライフルだな」
ガーディアンは空中に留まったまま銃床を肩へ押し当て、長い銃身をゆっくりと持ち上げた。
そして――光る右目を照準スコープに持っていき、大口径の銃口の向こう側へ咲夜を捉えた。
「――――!」
咲夜の表情が変わった。
理由を説明できるより先に、身体が警鐘を鳴らした。
「え…………ガーディアン?」
霊夢達の表情も変わる。これまでとは違う。ラスト・ワードを向けられた時とも、フュージョンライフルを構えられた時とも違う。その銃口が自分へ向いた瞬間。
ぞくり、と背筋を冷たいものが走った。
(……何?)
ガーディアンは何も言わない。
ヘルメットの奥にある表情さえ見えない。
それなのに今だけは照準器の向こう側から、自分の頭部だけを真っ直ぐ見据えていることがはっきりと分かった。
(…………まさか!)
先ほどまで咲夜本人へ一発も撃とうとしなかった男が、初めて明確に自分へ銃口を向けている。
――殺気のような威圧感。
その事実だけで、周囲の空気まで変わったように感じられた。
(来る――!)
咲夜が反射的に身構えた。
次の瞬間。
ドシュッ――!!
耳元で、空気そのものが引き裂かれた。
「――――!!」
咲夜の銀髪が激しく揺れる。
何かが頭のすぐ横を通過した。
目で追えるような速さではなかった。
銃声を認識した時には、すでに弾丸は咲夜の横を抜け、その遥か後方へ到達している。
そして。
ドゴォンーーッ!!
庭園の奥で爆ぜるような音が響いた。
全員が一斉にそちらを見る。
そこには、戦闘前から庭園の端に残されていた石像があった。
――いや。
あったはずだった石像は今はもうない。
胴体だけが砕けたのではない。
頭部だけが欠けたのでもない。
高速で撃ち込まれた弾丸の衝撃によって、石像は原形を留めないほど粉々に砕け散り、大量の石片となって地面へ降り注いでいた。
「…………」
庭園がほんの一瞬完全に静まり返った。
咲夜は動かなかった――いや、動けなかった。
頬のすぐ横、ほんの僅かな距離を今の弾丸が通過した。
それだけは理解でき、ゆっくりと咲夜は空中のガーディアンを見る。
「…………」
ガーディアンは何も言わなかった。スナイパーライフルを構えたまま、ただ静かに銃口を下げた。
咲夜はすぐには次のナイフを取り出さなかった。
頬のすぐ横には、まだ先ほどの弾丸が通り抜けた時の空気の感触が残っているような気がした。銀色の髪が数本、遅れて肩へ落ちてくる。それを視界の端に捉えながら、彼女は無意識のうちに小さく息を吐いた。
ほんの僅か数センチ。
それだけ照準がずれていれば、今頃自分の頭部は背後の石像と同じことになっていただろう。
(……外したんじゃない)
咲夜にも、それは分かっていた。
今までの攻防を思い返せば、なおさらだった。目の前の男は射撃が不得手なのではない。むしろ逆だ。こちらが空中から投げたナイフを一発ずつ撃ち落とし、走りながらでも、滑りながらでも銃口を正確に向けてくる。それほどの腕を持つ者が、この距離で偶然自分の頭だけを外したなどとは考えにくい。
(最初から……当てるつもりがなかった)
そこへ考えが至った瞬間、胸の奥に小さな苛立ちが生まれた。
命拾いをしたことへの安堵ではない。
自分がまだ、この男から「倒すべき相手」として扱われていない。その事実の方が、咲夜には気に入らなかった。
これまでにも何度か感じていた。
ラスト・ワードを構えた時も、フュージョンライフルを撃った時も、彼は自分へ直接致命傷を与えようとはしていない。攻撃そのものは激しく、少し判断を誤ればこちらが負傷しかねないものばかりだというのに、最後の一線だけは頑なに越えてこなかった。
そして今、そのことをわざわざ見せつけるように、頭のすぐ横へ一発を通した。
(……随分と余裕なのね)
咲夜は静かに右手を持ち上げ、新たなナイフを指の間へ挟んだ。
先ほどまでよりも、その握り方が僅かに強い。
ならば。
いつまでそんな余裕を保っていられるのか。
自分の攻撃をどこまで受け流せるのか。
それを確かめてやればいい。
咲夜はもう一度、空中にいるガーディアンを真っ直ぐ見据えた。
今度は先ほどまでのような探る視線ではなかった。
その様子を見ながら、霊夢が掠れた声を漏らした。
「……外れた?」
「いいえ」
即座に否定したのはイコラだった。
「外したのよ」
「……え?」
霊夢が振り向く。イコラは驚く様子もなく、空中のガーディアンを見ていた。
「あれは警告射撃。最初から咲夜に当てるつもりはなかったわ」
「最初から……?」
「ええ」
イコラは淡々と答える。
「そもそも、彼なら試合開始直後から当てているチャンスはいくらでもあった。けど彼はそれらをあえて放棄している」
「…………」
霊夢達が黙った。イコラはもう一度、粉々になった石像へ視線を向ける。
「これはクルーシブルではなく模擬戦でしょう?だからわざと外した。それだけよ」
あまりにも平然とした説明だった。
しかしその言葉の意味を理解した霊夢達の表情は、むしろさらに硬くなった。
文が珍しく手帳へ書き込むことすら忘れ、咲夜の頭部と砕けた石像を交互に見比べる。
「つまり……今のは失敗した射撃ではなく、最初から頭のすぐ横を通すつもりで撃った、と?」
「そういうことになるわね」
イコラが頷いた。
「彼は狙撃手としても一流よ。落ち着いて構える時間があれば当てられる、という程度ではない」
そこでイコラは、ほんの僅かに目を細めた。
「照準器を覗いた直後でも撃ち抜く。空中でも走りながらでも撃つ。そして――」
一度言葉を切る。
「スライディングしながらすぐに構えて相手の急所を撃ち抜いてくる」
「…………は?」
魔理沙の声が漏れた。
霊夢も聞き間違いかと思ったようにイコラを見る。
「ちょっと待って。今なんて?」
「スライディング、つまり地面を滑りながら狙撃するのよ」
「いやいや、そんなことできんのかよ?」
霊夢が反射的に叫んだ。その横でケイドが愉快そうに笑った。
「確かに普通は狙撃用の銃でそんな使い方しないだろうが、俺達ガーディアンにとってそんな驚くことでもねえよ」
「十分驚くことよ!」
「まあスナイパーライフルに限らずスライディング射撃はオシリスの試練に入り浸ってる連中なら、割とよく見る技術だ」
「よく見るの!?」
今度は魔理沙まで声を上げる。
ケイドは「そうそう」と軽く頷いた後、何か思いついたように霊夢へ顔を向けた。
「そうだ。霊夢」
「……何よ」
「そこから絶対動くなよ?」
「は?」
突然の指示に、霊夢が眉を寄せる。
「何するつもり?」
「いいから。説明するだけだから動くな」
「……変なことしたらあんたを退治するわよ」
「物騒だなお前!」
霊夢は渋々その場へ立った。ケイドは彼女から数歩ほど離れた位置まで移動すると、庭園に残された壁の一角を指差した。
「例えばだ。お前があの壁の向こうへ続く狭い通路を走ってると思え」
「……うん」
「敵がいるかどうかも分からない。銃を構えてるわけでもない。ホントに何も考えず、普通に曲がり角へ向かって走っていく」
霊夢は怪訝そうな顔をしながらも頷いた。
「それで?」
「お前がそろそろ角を曲がろうとした――その時!」
突然、ケイドがそこから駆け出す。
「え?」
数歩分の距離を一気に詰める。そして霊夢の目の前で身体を低く沈めた。
ザァッ――!
石畳の上を勢いよく滑りながら飛び出し、そのまま右手を拳銃の形にして霊夢の額へ向ける。
「バン!!」
「っ!?」
霊夢が思わず肩を跳ねさせた。ケイドはそのままスライディングを終えると立ち上がり、何事もなかったかのように指鉄砲を下ろした。
「――これ」
「これ、じゃないわよ!」
霊夢が顔を真っ赤にして怒鳴る。
「びっくりするでしょうが!」
「だからびっくりするって話なんだよ」
ケイドは悪びれない。
「こっちは何も見えてない。敵もいないと思ってる。そうやって角を曲がろうとした瞬間に、相手が死角から俺みたいにスライディングしながら飛び出してくる」
今度は少し真面目な口調になる。
「で、ハンドキャノンで一発。近けりゃショットガン。酷い奴になると――今みたいにスナイパーライフルを構えたまま低い姿勢で滑ってきて、その一瞬で頭を抜く」
霊夢の顔から少しずつ怒りが消えた。
代わりに嫌そうな表情が浮かぶ。
「……そんなの、見てから避けられるの?」
「相手によっちゃ無理」
あっさりした返答だった。
「だから先に予測するんだ」
「予測?」
「この角から来るかもしれない。向こうにスナイパーがいるかもしれない。今見えてないだけで、もうこっちへ照準を合わせてるかもしれない。そういうのを常に考えながら動く」
ケイドは空中にいるガーディアンを指差す。
「相棒もそれを何万試合と繰り返してる」
「…………」
魔理沙が言葉を失う。
「ちなみに」
ケイドは何でもないことのように付け加えた。
「俺もやってた」
「お前も?」
「私もな」
「クロウまで!?」
クロウまでさらりと加わる。霊夢が二人を交互に見る。
「……あんた達、本当に何なのよ」
「まあ、相棒ほど上手くはない。けどそこまでしないとクルーシブル、特に試練や少人数戦で勝てないからな」
ケイドが肩を竦めた。クロウも苦笑する。
「少なくとも私は、あいつほど滑りながらの狙撃を好んではいない」
「できないとは言わないのね……」
霊夢が引きつった顔で呟いた。
「残念ながらな」
ケイドの声音が少し落ち着く。
「でも、ここからが本題だ。オシリスの試練で上にいる連中ってのは、単に銃を撃つのが上手いだけじゃねえ」
「……まだあるのかよ」
魔理沙が露骨に嫌そうな顔をする。
「あるある」
クロウが代わりに口を開いた。
「例えば、まだ敵が視界に入っていないのに、コンマ単位のタイミングで『ここから出てくる』と予測して先に撃つ者がいる」
「先に……?」
大妖精が不安そうに聞く。
「敵が見える前に?」
「ああ。見えてから撃つのでは遅い状況もある」
クロウは静かに続ける。
「イカロスダッシュにしたってフェニックスダイブにしたってあいつだけの特別な技ではないんだ」
「つまり、あんな動きができるガーディアンがたくさんいるってこと?」
「そうだ。だから狙い始めていては間に合わないことが多い。あと別の武器をわざと撃って相手の注意や移動を誘い、出てきた場所を狙撃する者もいる。こちらが逃げたと思わせて射線へ誘い込む――そういう誘導も普通に使う」
文が少し青ざめた顔で呟いた。
「相手がどう動くかを、攻撃する前から操作しているということですか」
「そういうことだ」
さらにクロウは続ける。
「二人の敵が一瞬だけ重なる瞬間を狙って、一発で両方を撃ち抜いたり、曲がり角で遭遇した瞬間、互いの顔が見えた時にはもう照準が頭に合っている者もいる」
そして、空中でスナイパーライフルを下ろしたガーディアンを見る。
「あいつは、その類の技術を一通りやってのける奴だ――」
「…………」
霊夢達の間を冷たい沈黙が通り抜けた。
チルノでさえ、今度ばかりは「すごい」と声を上げなかった。
魔理沙がぼそりと呟く。
「……さっきまでバケツに入って転がったりソファー出して変な光る菓子食ってた奴だよな?」
「ああ」
「屈伸しながら撃って咲夜を怒らせてた奴だよな?」
「そう」
「なんか余計に怖くなってきたんだが」
「それは俺も分かる」
ケイドが笑った。だがすぐに彼はもう一つ、悪い知らせでも思い出したように人差し指を立てた。
「ついでにもう一つ教えてやろうか?」
霊夢が眉をひそめる。
「……もう聞きたくないんだけど」
「まあそう言うなって」
ケイドは楽しそうだった。
「相棒は確かに強い。試練でも十分上位へ食い込めるだけの腕があるし試練で勝ち続けた奴だけが辿り着ける『ライトハウス』ってのにも何度も行ってる。だがあいつより上手い奴――」
一拍置き、ケイドはこう言った。
「俺達の世界には普通にいるぞ」
「…………は?」
霊夢の口から間の抜けた声が出た。
魔理沙も目を瞬く。
「ちょっと待て」
「何だよ」
「これより上がいるのか?」
「ああ」
「結構?」
「いるな」
「……嘘だろ」
「残念ながらマジだ」
ケイドは肩を竦める。
「上には上がいる。こっちが『今のは完璧だった』って思っても、そのさらに上から意味分からねえ撃ち方してくる奴がいる。それがクルーシブルだ」
「…………」
幻想郷側の顔色がまた一段悪くなる。
ケイドはその反応を見ながらも話を続けた。
「逆に言えば、そういう技術も経験もないペーペーが『ちょっと試してみようかな』くらいの感覚でオシリスへ入ったらどうなると思う?」
誰も答えない。そしてケイド自身が答えた。
「酷い時は何もできずに終わる」
軽い口調だったが、その内容は笑えなかった。
「敵にボコボコにされるだけならまだいい。味方まで荒れてりゃ、『もう俺達のチームに来るな』、『エリアコントロールで一生籠ってろカス』だの何だの、好き放題言われて門前払いだ」
「……殺伐としすぎでしょう」
文が引きつった顔になる。
「新聞の読者投稿欄でも、もう少し優しいですよ」
「競技でムキになってる連中なんて大体そんなもんだ」
ケイドは苦笑した。
「もちろん、全員がそんな奴ってわけじゃないけどな」
イコラはため息をつく。
「本当に嘆かわしいけど、確かにそんなことをする質の悪いガーディアンが一定数いるのは紛れもない事実なのが頭が痛いわ」
「まあ――試練は勝つためならなんでもするような頭のおかしい奴らがひしめく魔境だからな」
それから空中のガーディアンへ視線を戻す。
「まあ、あいつはそんな場所で何千、何万って試合を繰り返してきた」
「…………」
その一言だけは先ほどまでよりも静かだった。
だからこそ余計に重かった。
ガーディアンは生まれつきあのような動きをしていたわけではない。
様々な銃を幾度も試し、自身の動き、相手の仕草を覚え、自分より速い相手と撃ち合い、そして撃ち抜く。
それを途方もない回数を、繰り返してきた。
そう考えれば先ほど霊夢達が感じていた「気味の悪いほど途切れない動き」も、突然方向を変える異様な反応も、空中で平然と射撃できる理由も全て、少しだけ違って見えてくる。
「まあ、あんた達のクルーシブルってのを実際に見たことはないから何とも言えないけど……」
霊夢が何とも言えない顔をしている横で、魔理沙がぼそりと続ける。
「まともな競技じゃないのは分かったぜ……」
「失礼だな。ちゃんとシャックスが仕切ってるぞ」
すると、それまで軽口を叩いていたケイドが、不意に少し真面目な顔をして霊夢へ向き直った。
「あと、さっき俺はこう言ったな」
「……何をよ」
「本当のクルーシブルなら、相棒は咲夜ちゃんをもう何度も仕留められてるって」
「…………」
霊夢が黙る。ケイドはそれ以上すぐには続けず、庭園を飛び回るガーディアンへ視線を向けた。
咲夜のナイフが銀色の軌跡を引いて飛ぶ。その間をガーディアンは地面すれすれのスライディングで潜り抜け、石柱を盾に射線を切ると、今度は跳躍と同時にグライディングへ移行して空中へ舞い上がった。
その忙しない動きを目で追いながら、ケイドは小さく笑う。
「相棒は普段無口で、何考えてるのか俺ですら分からねえ時がある。でもまあ、かなりノリのいい奴だ。俺の馬鹿騒ぎにも大体付き合ってくれるしな」
「……それはレミリアと挨拶した辺りから、嫌というほどよーく分かったわ」
霊夢が半眼になる。ケイドは「だろ?」と軽く笑った。
だが、その笑みは長く続かなかった。
「まあ――ただな」
声の調子が変わった。ほんの少しだけ。
それでも、長く彼と行動してきたクロウやイコラには、その変化がはっきりと分かった。
「あいつは、ひとたび本当の戦闘になれば――正直、俺でさえ寒気がするくらい情け容赦がなくなる」
「…………」
霊夢の表情から僅かに笑みが消えた。
ケイドは庭園から目を離さない。
「あいつにとって敵を倒すってのは、見栄えのいい勝ち方をするとか、相手の技を全部見てから決着をつけるとか、そういう話じゃない」
その先では、咲夜が新たなナイフを両手へ構えている。
対するガーディアンも、遮蔽物の影から静かに彼女の動きを見ていた。
「倒せる瞬間が来たら、速攻で倒す」
ケイドは短く言った。
「それだけだ」
霊夢は何も言わない。
「だから、これが模擬戦じゃなく本当のクルーシブルだったら――相棒は今みたいに咲夜ちゃんの攻撃を眺めたり、わざと付き合ったりしねえよ」
そこでケイドの視線が、ガーディアンから咲夜へ移った。
「始まった瞬間から仕留めにいく」
「……始まった瞬間?」
「ああ」
ケイドが頷く。
「試合開始の合図が鳴った、その瞬間だ」
その言葉を聞いた途端、霊夢達の脳裏へ、少し前の光景が自然と蘇った。
庭園の中央。
向かい合う咲夜とガーディアン。
そして、バルコニーから二人を見下ろしていたレミリアが片手を上げ――。
『始め!』
そう宣言した、あの瞬間。
ケイドは静かに続ける。
「もし相棒が、あの時点でさっきのスナイパーライフルを持ってたら――」
指を一本立てる。そして。
パチン。
軽く指を鳴らした。
「咲夜ちゃんが最初のナイフを投げる前か――」
一拍。
「投げた、その直後には終わってる」
と、無慈悲にそう答えるケイドだった。
◇
その頃、当の咲夜には観客席で交わされている会話など聞こえていなかった。
聞いている余裕がなくなり始めていた、と言った方が正しい。
「はっ……!」
右手から放ったナイフをガーディアンが身を沈めてかわす。そこへ間髪を入れず左手の刃を投げ、逃げ道を塞ぐようにさらに三本を重ねた。
だが、ガーディアンは止まらない。
一発目をスライディングで潜り、二発目が届くより先に石柱の陰へ入り込む。咲夜がその出口を読む頃には、すでに反対側から飛び出している。追えば空中へ逃げ、上を塞げば急降下し、着地を狙えば今度は地面すれすれを滑って射線から消える。
何度繰り返しても、ほんの僅かに先を行かれる。
(また……)
咲夜は奥歯を僅かに噛んだ。
先ほどまでは、相手が次にどこへ動くのかを少しずつ読めるようになってきたつもりだった。
だが、読めるようになったと思った直後には別の動きを混ぜてくる。空中戦へ慣れれば地上へ降り、スライディングへの対処を考えればグライディングへ移る。こちらが一つ覚えるたび、相手はまるで別の引き出しを開けるように戦い方を変えてくる。
そのうえ。
(まだ私を撃っていない……)
それが何より腹立たしかった。
正確には、銃そのものは何度も撃っている。
ナイフを落とすために。 進路を制限するために。 こちらを動かすために。
だが、自分自身を仕留めるための一発はまだない。
先ほどの狙撃さえ、明らかに外していた。
つまり今までの攻防の大半は、ガーディアンにとって自分を倒すためのものですらない。
こちらの攻撃を見ている。
試している。
あるいは――付き合っている。
その可能性に気づいた瞬間、咲夜の胸に鋭いものが走った。
(……私を、相手にしているつもりなの?)
僅かに呼吸が乱れた。
戦闘が始まってからずっと動き続けている。走り、跳び、ナイフを投げ、空中へ舞い、相手の射線から逃れながら次の攻撃を組み立て続けてきた。
額には薄く汗が浮かび始めていた。
呼吸も開始直後ほど静かではない。
肩が僅かに上下するたび、肺の奥へ熱い空気が入ってくる。
それでも咲夜は姿勢を崩さなかった。
疲れていると悟られること自体が癪だった。
何より、紅魔館の主と妹、仲間達が見ている前で、この程度で音を上げるなどあり得ない。
咲夜は一度だけ深く息を吸い込むと、ナイフを持ち直した。
(いいでしょう)
紫色の瞳が鋭く細められる。
(そこまで余裕があるというのなら――)
今度はこちらが、その余裕を消してやる。
咲夜は石畳を強く蹴った――。
◇
霊夢の目が僅かに見開かれた。
ケイドはゆっくりと庭園の端へ視線を移す。
そこには先ほどまで、古びた石像が立っていたが今はもうない。
ガーディアンが放ったスナイパーライフルの弾によって、胴体も頭部も判別できないほど粉々に砕け、無数の石片となって地面へ散らばっている。
「あれが――」
ケイドが呟く。
「咲夜ちゃんだったかもしれねえ」
「…………」
庭園の空気が凍った。
チルノも。
大妖精も。
小悪魔も。
美鈴も。
文でさえ言葉が出なかった。
咲夜の頭の横を通った、あの一発。
ほんの僅かに照準をずらしただけ。
それだけで生と死の結果が入れ替わる。
「……あのさ」
しばらく黙っていた霊夢が、ようやく口を開いた。
その視線は庭園の中央――咲夜と激しい攻防を繰り広げているガーディアンへ向けられていたが、表情には先ほどまでとは違う戸惑いが浮かんでいる。
「そんな一瞬で決着がつくような戦いの……何が楽しいのよ」
それは皮肉でも批判でもなく、純粋な疑問だった。
幻想郷で行われるスペルカード戦とは、あまりにも勝手が違う。
互いに美しい弾幕を展開し、それぞれが持つ技や個性をぶつけ合い、弾を避け、追い込み、時には何枚ものスペルカードを切りながら長い攻防を繰り広げる。勝敗だけではなく、その過程そのものを楽しむことも幻想郷の決闘では大きな意味を持っている。
それに比べれば、ケイド達の話すクルーシブルは極端だった。
遮蔽物から顔を出した瞬間に狙撃され、角を曲がった先でショットガンを撃ち込まれ、場合によっては相手の姿をまともに確認するより先に決着がつく。
そんな戦い方が、霊夢にはどうにも味気なく思えたのだ。
その問いを聞いたケイドは、最初こそいつものように軽口で返そうとしたようだった。しかし霊夢の表情を見ると、わずかに笑みを引っ込める。
「俺達は――」
そう言って肩をすくめると、ごく当たり前のことを説明するような口調で続けた。
「長引かせようとして楽しんでるわけじゃねえよ」
「……え?」
思わず霊夢が振り返る。ケイドは人差し指を一本立てた。
「クルーシブルで勝ちたいなら、基本は単純明確だ」
そこで一拍置き、彼は言った。
「殺られる前に殺る」
先ほどまでの冗談めいた調子は消えていた。
その言葉に、霊夢だけでなく魔理沙や美鈴もわずかに表情を変える。
「こっちが撃たなきゃ、向こうが撃つ。こっちが迷った一瞬で向こうの弾が頭に入る。だったら、隙を見つけた瞬間に撃つ。相手が角から出てくるなら、その瞬間を狙う。撃たれる場所にいるなら、撃たれる前に移動する」
ケイドはそう説明しながら、再び庭園へ視線を戻した。
ちょうどその瞬間、咲夜の投げ放った数本のナイフをガーディアンが横滑りするようなスライディングで回避し、そのまま石柱の陰へ身体を滑り込ませる。
ほんの一秒前まで彼が立っていた場所へ、遅れて銀の刃が突き刺さった。
「相手より早く撃つ。相手より早く隠れる。相手より早く次の場所へ移る――それがクルーシブルの基本だ」
「…………」
霊夢は何も返せなかった。
理屈そのものは理解できる。
だが、やはり自分達が普段行っている戦いとは根本から考え方が違う。
そんな霊夢の横顔をちらりと見たケイドは、少しだけ表情を緩めた。
「ただ、勘違いするなよ?」
「何よ」
「俺達は、お前らのその……『弾幕ごっこ』ってやつを否定する気も、馬鹿にするつもりも更々ない。寧ろあとでルールを教えてくれよ」
その一言に、霊夢がわずかに目を丸くする。
ケイドは両手を軽く広げた。
「ようは咲夜ちゃんみたいにああやって表立って名乗りながら戦うんだろ?むしろ見てる分には派手だし綺麗だし、俺は結構好きだぜ。あんな風に名前まで叫んで必殺技を撃てるんだろ?最高じゃねえか」
「……そこなの?」
霊夢が呆れたように眉を下げる。
「そりゃそうだろ。俺だって出来るなら――」
ケイドは突然片足を後ろへ引き、右手を大げさに腰の横へ構えた。
そして誰に求められたわけでもないのに、やたら芝居がかった声を庭園中へ響かせる。
「――『ゴォールデンガァァン!!』って叫んでから撃ちたいさ!」
「絶対やるな、それ」
すぐ隣からクロウの冷静な声が飛んできた。
ケイドが振り返る。
「何だよ、クロウ。男なら一度くらい必殺技の名前を叫びたいだろ?」
「少なくとも私は、敵の前でわざわざ自分が何を撃つのか教える趣味はない」
「坊や、そういうところが若いんだよ。見栄ってのは大事だぞ?」
「戦場では必要ない」
クロウは呆れたように返したものの、口元には僅かな笑みが浮かんでいた。
そのやり取りを聞いていた魔理沙も堪え切れなくなったのか、小さく吹き出す。
「でもケイドなら本当にやりそうだな」
「だろ?」
「褒めてないぜ」
「おーヒデぇっ」
軽口が戻ったことで、それまで張りつめていた空気も少しだけ和らいだ。
だが霊夢は、もう一度庭園中央へ目を向ける。
弾幕のように展開される咲夜のナイフ。その間をガーディアンは飛び、滑り、時には遮蔽物へ身を隠しながら、最短の軌道で射線を通していく。
幻想郷の戦いとは違う。
美しく見せるための動きではない。
相手よりほんの僅かでも先に優位な位置へ入り、撃たれる時間を一瞬でも短くし、自分が撃てる時間を増やす。そのためだけに、あらゆる動作が組み上げられている。
先ほどまで霊夢には奇妙にしか見えなかったスライディングも、空中を滑るようなグライドも、突然横へ弾けるイカロスダッシュも――今なら少しだけ、その意味が分かる気がした。
「……遊び方が違うのね」
ぽつりと霊夢が呟いた。ケイドはその言葉を聞き取ったらしく、僅かに頷いた。
「ああ。たぶん、それが一番近い」
そして彼は、再び咲夜とガーディアンの戦いへ目を向ける。
「お前らは、相手と技を競うために戦う」
その隣でクロウも静かに続けた。
「私達は、相手に何もさせないために戦う」
似ているようで、決定的に違う。その違いを理解した瞬間、霊夢達が見ていたガーディアンの動きは、それまでとは少し違ったものに見え始めていた。