東方天命録~The Final Shape Begins~ 作:はならむ
「そういや、オシリスの過酷さを知ってる奴がもう一人ここにいるんだよなあ」
「……え?」
霊夢が怪訝そうに振り返ると、ケイドは口元に楽しげな笑みを浮かべながら、ゆっくりとその視線を横へ向けた。
「なあ、イコラ?」
「…………」
名前を呼ばれたイコラは何も答えなかった。ただ、先ほどまで庭園中央の決闘へ向けられていた目が僅かに細められ、その表情にはケイドがまた余計なことを言おうとしているのを察した時特有の、静かな警戒が浮かんでいた。
「……イコラが?」
魔理沙もつられるように彼女を見る。霊夢や美鈴、小悪魔、文まで一斉に視線を向けたが、イコラは腕を組んだまま黙っており、自分から説明する気はないらしい。
その反応を見たケイドは、むしろ面白そうに肩を揺らした。
「こいつ、今でこそお堅いウォーロックとして澄ました顔してるけどな。昔は相当ヤンチャだったんだぜ」
「ケイド」
低い声で名前を呼ばれたが、ケイドは聞かなかったことにして話を続ける。
「『インベクティブ』」
「なんだよそれ?」
「あいつの愛用していたショットガンだ。あれを持たせた時なんか、本当に手がつけられなかった。近距離でこいつと鉢合わせしたら、まあ諦めろってくらいにはな」
「……ケイド」
先ほどよりもさらに声が低くなった。
それでも止まらない。
「しかも相手は、今お前らが見てる相棒みたいな奴らだぞ?」
その一言に、霊夢達の視線が再び庭園中央へ向けられた。
ちょうどその時、ガーディアンが咲夜の投げたナイフをスライディングでかわし、そのまま跳躍してグライディングへ移りながらラスト・ワードを撃っていた。着地したと思えば次の瞬間にはまた横へ走り出し、咲夜が進路を塞ごうとすれば空中へ抜ける。先ほどから何度も見ているはずなのに、未だに目で追うだけでも疲れるほどの動きだった。
ケイドはそんなガーディアンを顎で示しながら、何でもないことのように言った。
「ああいう動きを平然とやって、こっちが一瞬でも隙を見せりゃ頭を撃ち抜いてくる連中を相手にして――十分間で百人斬り」
「…………」
すぐには誰も反応できなかった。
数字の意味が大きすぎて、言葉として耳に入ってきても、頭の中で現実のものとして結びつかなかったのだ。
霊夢がゆっくりとケイドを見る。
魔理沙も、チルノも、大妖精も、美鈴も、小悪魔も、そして手帳を持っていた文でさえ、完全に筆を止めていた。
「……百?」
最初に声を絞り出したのは魔理沙だった。
「百人」
ケイドが即答する。
「十分で?」
今度は霊夢が確認する。
「ああ」
「十人じゃなくて?」
「百」
再び沈黙が落ちた。そして数秒後。
「はああああああああ!?」
複数の声が庭園へ一斉に響いた。
「百人!?十分で!?」
「しかもガーディアンみたいな動きをする奴ら相手にか!?」
霊夢が叫び、魔理沙も信じられないという顔でイコラを見る。
「一分で十人じゃねえか!」
「計算すると余計おかしいわよ!」
チルノは指を折りながら何やら必死に数え始め、大妖精は目を丸くしたまま完全に固まっている。美鈴もさすがに驚きを隠せず、いつもの落ち着いた表情が崩れていた。
文に至っては慌てて手帳を持ち直すと、半ば確認するようにケイドへ詰め寄った。
「ちょ、ちょっと待ってください。それ、本当に百人ですか? 新聞に書いてから『実は十人でした』では私の信用問題になるんですが」
「百人だって」
ケイドは笑いながら答える。
「だってこいつは歴代クルーシブルでも最強クラスのチャンピオンだったんだよ。少なくとも、昔のイコラに真正面から喧嘩売りたい奴はそう多くなかった」
その説明が終わると、全員の視線がゆっくりとイコラへ集まった。
当の本人はしばらく黙っていたが、やがて深く息を吐き、仕方がないとでも言いたげに目を伏せた。
「……昔の話よ」
ぽつりと落とされた言葉は、それだけだった。
「否定しないの!?」
霊夢が思わず叫ぶ。イコラは落ち着いたまま答えた。
「事実を否定する必要はないでしょう。でも、今さら自慢するような話でもないわ」
「十分自慢できると思うけどな」
ケイドが横から口を挟む。
「十分どころか伝説級だろ」
「あなたは黙ってなさい」
「はい。すいませんでしたイコラさん」
「………………っ」
即座に口を閉じたケイドを見て、魔理沙が何とも言えない表情になる。
「……なんかもう、イコラを見る目が変わったぜ」
美鈴も苦笑しながら頷いた。
「普段はかなり落ち着いている方なので、余計に想像しにくいですね……」
「今も必要ならやるわよ」
イコラが何でもないことのように答えた。
美鈴の笑顔がそのまま固まる。
「……そうですか」
文は手帳へ何かを書き込みかけたが、ふとイコラを見てから筆を止めた。
「『紫の賢者、その正体は百人斬りの元王者』……」
「射命丸」
パチュリーが冷たく呼ぶ。文はぴたりと止まった。
「余計な煽り文句をつけると、後で本人から何が飛んでくるか分からないわよ」
文はイコラの方へ視線を移し、それから静かに手帳を閉じた。
「……表現は考えておきます」
「賢明ね」
そんなやり取りを聞きながら、霊夢はしばらく黙っていた。
しかし、次第にその表情へ別の疑問が浮かび始める。
「………………?」
先ほどから何かが引っかかっていた。
クルーシブル。
オシリスの試練。
ガーディアン同士が銃を向け合い、頭を撃ち抜き、ショットガンで至近距離から吹き飛ばし、場合によっては十分間で百人も倒す。
ケイド達はそれを、あまりにも普通のことのように話している。
霊夢は少し眉を寄せてから、やがて口を開いた。
「……あれ?」
ケイドが振り返る。
「おっ?」
「ちょっと待って。クルーシブルとかオシリスの試練とか、詳しいことはまだ全然分からないけど、要するにあんた達みたいなガーディアン同士が戦う競技なのよね?」
「ああ」
「それで、本当に相手を撃つのよね?」
「撃つな」
「頭も?」
「狙う」
「ショットガンってやつで?」
「近けりゃ普通に使う」
「殺すの?」
ケイドは僅かに眉を上げたが、やはり迷わず答えた。
「殺す」
「…………」
霊夢はそこで言葉を止め、先ほどガーディアンの狙撃によって粉々に砕けた石像へ視線を向けた。
もしあの弾丸がほんの少しだけずれていたら、咲夜も同じような状態になっていた。
ケイド自身も言っていた。
頭を撃ち抜く。
ショットガンで吹き飛ばす。
先に殺す。
それを聞けば聞くほど、一つの当たり前の疑問が頭から離れなくなる。
「やっぱりおかしいわよ!」
「どうおかしいんだ?」
「それって……ガーディアン達、生きて帰れなくない?」
「…………」
今度はケイド達が少しだけ黙った。
魔理沙も、その一言でようやく同じ疑問へ辿り着いたらしく、目を大きく見開いた。
「……あ」
そしてすぐにケイドを見る。
「た、確かに。お前らさっきから普通に『殺す』って言ってたもんな」
「ああ」
「頭ぶち抜くとか、ショットガンで吹き飛ばすとか」
「言ったな」
魔理沙の顔が徐々に引きつっていく。
「いやいやいや、競技にならないだろ、それ。何試合かやったら参加者いなくなるじゃねえか」
「そうよ!」
霊夢も勢いよく続ける。
「一試合やったら半分くらい死んで終わりじゃない!それを何度もやってるって、どういうことなのよ!」
文も珍しく記事のことを忘れたように真面目な顔をしていた。
「今の話だけ聞けば、勝った側だって無傷では済みませんよね。毎回参加者を補充していたら、それこそ人員がいくらいても足りないような……」
美鈴も腕を組みながら考える。
「そもそも、何度も開催できる競技ではないはずです。数回続けただけでも、戦える人がいなくなるでしょう」
「…………」
そんな霊夢達の反応を見て、ケイドは何故か少しだけ面白そうな顔をした。霊夢がすぐにそれへ気づく。
「何よ、その顔」
「いや」
「何?」
「まあ……」
ケイドは庭園中央へ視線を戻した。
咲夜とガーディアンの決闘は、今も激しく続いている。
「そのうち分かるんじゃね?」
「は?」
霊夢の眉がぴくりと動いた。
「今説明するより、実際に見た方が早いと思ってな」
「何よそれ!」
「いやいや。これは口で説明するより、実物見た方が絶対分かりやすいって」
「絶対わざと黙ってるでしょ!」
「まあまあ」
「その顔が腹立つのよ!」
魔理沙も納得していない顔でクロウへ向き直る。
「クロウ、お前から教えてくれてもいいんだぜ?」
「…………」
クロウは少し困ったように笑った。
「悪いが、今回はケイドに同意する」
「お前まで!?」
「見れば分かる」
「だから何をだよ!」
二人に揃ってはぐらかされ、霊夢達は不満そうな顔をした。
「……………………………………」
しかし、その中でただ一人、パチュリーだけは何も言わなかった。
彼女の視線はケイド達ではなく、庭園を駆け回っているガーディアンへ向けられている。
正確には、その少し近くを浮かんでいる小さな機械生命体、ゴースト。
昨日から何度も見ていて、パラコーザルとは何か、と質問もした。
(ゴースト、光、暗黒、目撃者、パラコーザル、因果を超越、宇宙法則そのものに干渉…………)
ガーディアン達は、あの小さな存在を単なる機械として扱ってはいない。
常に傍にいる。
会話する。
情報を集める。
傷を治す。
戦闘中も、決して完全には離れない。
しかも思い返せば、ケイド達はこれまでにも時折、死というものを自分達だけ別の意味で捉えているような言葉を口にしていた。
(まるで何度も死に戻りしているような感じだわ……)
パチュリーの瞳が僅かに細くなる。
一つの仮説が頭の中へ浮かぶ。
もしもあのゴーストという存在が、単に治療を行うだけではなく――そこまで考えたところで、パチュリーは自分の思考を止めた。
(……まさかと思うけど)
あまりにも突飛だ。
判断材料が少なすぎる。
単にガーディアン達の肉体が普通の人間より遥かに頑丈なだけかもしれないし、致命傷に見える攻撃でも実際には生き延びられる何らかの技術があるのかもしれない。
あるいは。
彼らが「死ぬ」と呼んでいる状態そのものが、自分達の考える死とは少し違っている可能性もある。
(いや……決めつけるにはまだ早いわね)
パチュリーは腕を組んだまま、ガーディアンとゴーストを静かに見つめ続けた。
少なくともあの小さな機械が、彼らにとって単なる補助装置ではないことだけは間違いない。
しかし。
その役割が何なのか。
それを確かめるには。
まだ材料が足りなかった。
(もう少し見れば分かるかもしれない)
そう考えた。
「はあ……はあ……っ……!」
咲夜の口から、これまでよりもはっきりとした呼吸音が漏れた。
本人はすぐに息を整えようとしたが、もう完全に隠し切れる段階ではなかった。
額に浮かんだ汗がこめかみを伝い、銀色の髪が数本頬へ張りついている。ナイフを構える右腕こそまだ下がってはいないものの、その肩は呼吸に合わせて僅かに上下し、先ほどまで寸分の乱れもなかった立ち姿にも、ごく小さな疲労の色が現れ始めていた。
「……咲夜?」
美鈴が真っ先に気づいた。
長く同じ館で暮らし、彼女の戦い方をよく知っているからこそ分かる。
咲夜は普段、自分の疲れを表へ出すことを極端に嫌う。
どれだけ忙しく館内を駆け回っていても、どれだけ激しい弾幕戦を終えた後でも、レミリアの前へ戻る時には何事もなかったかのような顔をして紅茶を淹れる。それが十六夜咲夜というメイドだった。
その彼女が、今は明らかに息を乱している。
「……相当消耗してますね」
小悪魔も心配そうに呟いた。
パチュリーは答えず、静かに咲夜の動きを観察していた。
原因は単純な運動量だけではない。
相手の動きを読み続けなければならない。
銃口がどこへ向いているか。 次にどの遮蔽物を使うのか。 地上へ降りるのか、空中へ逃げるのか。 こちらが一歩踏み込んだ瞬間に、どの武器を取り出すのか。
その一つ一つへ、ほとんど休みなく判断を迫られ続けている。
肉体だけではない。
集中力そのものを削られているのだ。
咲夜自身、それを誰よりもよく分かっていた。
(……厄介ね)
呼吸を整えながら、視線だけはガーディアンから外さない。
……腕が重い。ほんの僅かではあるが、ナイフを取り出してから投げるまでの感覚も、開始直後より鈍くなっている。
今までなら考える前に身体が動いていた場面で、一瞬だけ判断が挟まる。
その僅かな遅れさえ、目の前の男を相手にすれば致命的になり得る。
それなのに――ガーディアンの動きには、まだ目立った乱れがない。
石柱を蹴り、着地と同時に身体を低く沈め、そのまま横へ滑る。立ち上がるより先に次の方向へ身体を向け、咲夜が放ったナイフを紙一重でかわすと、今度は跳躍してグライディングへ移った。
戦闘開始から、ほとんど止まっていない。
にもかかわらず。
(まだ、動けるの……?)
その事実に、咲夜は僅かに眉を寄せた。
もちろんガーディアンも無尽蔵ではないはずだ。
だが少なくとも、今のところ相手にはこちらほど明確な疲労が見えない。
長時間の戦闘へ身体が慣れているのか。 それとも、あの光という力が肉体そのものを補助しているのか。
どちらにせよ、このまま同じ攻防を繰り返すのは得策ではない。
咲夜はゆっくりと息を吐いた。
そして、呼吸を整えるために下げていた左手を、静かに持ち上げる。
(なら――)
これまでよりも鋭い光が、その瞳へ宿った。
(こちらも、いつまでも同じ戦い方を続ける必要はないわね)
指の間へ、新たなナイフが現れる。
一本。 二本。 四本。
そして、さらにその数が増えていく。
周囲の空気が僅かに変わった。
美鈴がそれを感じ取り、表情を引き締める。
「……咲夜さん、まだ頑張れますよね」
その言葉が終わるより先に、咲夜は地面を蹴った。
疲労は確かにある。
腕も重くなっている。
呼吸も完全には戻っていない。
だからこそ。
このまま相手の得意な速度と距離で付き合い続けるつもりはなかった。
戦いの流れそのものを、一度こちら側へ引き戻す。
そのための手段を――十六夜咲夜は持っている。
そしてガーディアンの傍らでは、ゴーストが相変わらず何も知らないかのように静かに浮かんでいた。