東方天命録~The Final Shape Begins~ 作:はならむ
戦いが長引くにつれて、咲夜の呼吸にも少しずつ疲労の色が滲み始めていた。
「はあ……はあ……っ、くぅ……!」
まだ足取りが鈍るほどではなく、ナイフを投げる腕にも十分な力が残っている。ガーディアンを追う紅い瞳から鋭さが消えたわけでもない。それでも、試合開始直後にはほとんど乱れていなかった呼吸は明らかに深くなり、額には薄く汗が浮かび始めていた。
「お姉様、咲夜が……」
「…………………」
フランドールは分かりやすく心配そうな顔、レミリアは平然を装っているが、
(……まずいわね)
無理もなかった。ガーディアンは戦いが始まってからというもの、ほとんど同じ場所へ留まっていない。地上を全力で走ったかと思えば、その勢いのまま石畳の上を滑り、立ち上がるより早くラスト・ワードを撃つ。そこから跳躍してグライディングへ移れば、今度は空中で射線を変えながらフュージョンライフルをチャージし、追撃してきたナイフの一群をまとめて吹き飛ばす。逃げ道を潰せばイカロスダッシュで突然横方向へ軌道を変え、空へ追い込めばフェニックスダイブで一気に地上へ戻り、着地した時にはすでに次の移動へ入っている。
咲夜は、そのすべてを追い続けなければならなかった。
ただナイフを投げているだけではない。ガーディアンが次にどちらへ走るのか、どの遮蔽物へ飛び込むのか、空へ上がるのか、それとも急に距離を詰めてくるのか。イカロスダッシュを使うなら左右どちらへ逃げるのかまで読み、その先へ刃を置く必要がある。遠距離だけでは決定打を得られないと判断すれば自ら懐へ飛び込み、近接攻撃まで織り交ぜなければならない。
一方のガーディアンにも、確実に傷は増えていた。肩を掠めた刃、脇腹を切り裂いたナイフ、装甲の表面に残る細い傷。近接戦の中で咲夜が直接刻んだものもある。決して無傷ではないし、咲夜の攻撃が全く通用していないわけでもなかった。
それでも、彼の動きはほとんど鈍っていなかった。
「……まだ、まだやれますわ…………!」
咲夜は乱れかけた呼吸を押さえ込みながら、指の間へ新たなナイフを挟んだ。
視線の先では、ガーディアンが壊れた石柱の裏へ滑り込むように身を隠している。これまでなら、咲夜はすぐさまその周囲へ追撃のナイフを送り込み、相手がどちらから飛び出すかを見ながら次の攻撃へ繋げていた。
だが今回は動かなかった。
追えば、またあの男の機動力に付き合わされる。それならば自分から追い回す必要はない。遮蔽物へ入った以上、出てくる場所はいくらか限定される。そこで待ち構えればいい。
咲夜は一度だけ大きく息を吸い、石柱の左右へ注意を向けた。
右から来るか。
それとも左か。
これまでのガーディアンは同じ行動を素直に繰り返すことが少ない。ならば、こちらが右を警戒していると読んで左から出てくる可能性もあるし、その逆も考えられる。
どちらでも構わない。
出てきた瞬間を捉える。
咲夜は左右どちらへでも即座にナイフを放てるよう構えを整え、僅かに腰を落とした。
「こ、今度こそ……必ず捉える……!」
その様子を見ていた美鈴も、すぐに咲夜の意図へ気づいた。
「咲夜さん、追うのをやめましたね」
パチュリーは小さく頷きながら、石柱の左右を見比べる。
「正しい判断だと思うわ。あの男の移動に付き合い続ければ、体力を削られるのは咲夜の方よ。だったら遮蔽物から出る瞬間へ狙いを絞った方がいい」
「ようやくあいつの土俵から少し降りたってところかしらね」
霊夢も腕を組みながら石柱を睨み、隣の魔理沙も右と左へ交互に視線を動かした。
「さて……どっちから来る?」
咲夜も、霊夢達も、全員が石柱の左右を見ていた。
だからこそ、次にガーディアンが選んだ行動は誰にも予想できなかった。
「…………?」
咲夜の眉が僅かに動く。
石柱の陰からガーディアンが姿を現した。
しかし、右でも左でもない。
遮蔽物の真正面側から身体を大きく乗り出したかと思うと、そのまま何の躊躇もなく、咲夜へ向かって一直線に走り始めたのだ。
「……え?」
咲夜の思考が一瞬だけ止まる。
「なに……?」
理解できなかった。
今までのガーディアンなら、遮蔽物から出た後も射線を切るように横へ動くか、そのまま空中へ抜けるはずだった。ところが今は、周囲に大量のナイフが残っているにもかかわらず、それらを無視するように真正面から自分へ向かってくる。
「ちょっ――何してんのよ、あいつ!」
霊夢が思わず身を乗り出す。
魔理沙も目を見開いた。
「おいおいおい! 今まで散々避けてたのに、何で急に真正面から突っ込むんだよ!」
「死ぬ気!?」
二人の叫びを聞くより早く、咲夜の身体は反射的に動いていた。
両腕を鋭く振り抜く。
左右へ待機させていた大量のナイフが、真正面から走り込んでくるガーディアンへ一斉に殺到する。正面だけではなく左右と上方からも刃が迫り、これまでなら確実に回避行動へ入るほどの密度で進路を埋め尽くした。
それでもガーディアンは止まらなかった。
むしろ速度を上げ、一本目を身体を傾けてかわし、続く刃が肩を掠めても構わず前へ進む。さらに数本が真正面から迫ったところで身体を一気に低く沈め、そのまま石畳の上を滑った。
ザァッ――!
スライディング。だが、今度のそれは攻撃から逃れるためではない。
咲夜との距離を一気に縮めるためのスライディングだった。
その姿勢を見た瞬間、クロウの表情が変わった。
「ん!」
隣のイコラも、ガーディアンの右手へ集まり始めた濃密なソーラーの光を見て、すぐに何が起きるのかを察した。
「ついに来るわ」
「え?」
霊夢が振り返ると、その横ではケイドがこれまで以上に楽しそうな笑みを浮かべていた。
「さあお前ら、刮目しろ!」
ケイドは観客達へ見せつけるように片腕を広げ、庭園中央を指差す。
「相棒の――切り札だ!」
その瞬間、ガーディアンの右手へ集まっていたソーラーの光が一気に密度を増した。
咲夜は思わず目を細める。
焼却の指鳴らしで見た炎とは違う。熱上昇で全身を包んでいた力とも異なる。もっと濃く、もっと眩しく、これまでガーディアンが使ってきたソーラー能力とは比べものにならないほど巨大な力が一か所へ集束していた。
やがて、その光が一つの形を作り始める。
長い柄。
巨大な刃。
そして、その全体を黄金色の炎に包まれた一振りの大剣。
「……!」
二階のバルコニーで見ていたフランドールが勢いよく身を乗り出した。
彼女には、その姿があまりにも見覚えのあるものに映ったらしい。
「あれ――レーヴァテイン!?」
「違うわよ!」
レミリアとパチュリーがほとんど同時に否定する。
そのやり取りが終わるより早く、ガーディアンは炎の剣を両手で握り直し、スライディングの勢いを殺さないまま立ち上がると、そのまま巨大な剣を地面へ深く突き立てた。
――ウォーロック、ソーラーSC【輝きの泉】!!
ズドォォォン――!!
重い轟音が庭園全体へ響き渡り、砕けた石畳が大きく震える。
「うわっ!?」
「まぶしいのかー!」
チルノとルーミアが声を上げた次の瞬間、爆発するようなソーラーの光がガーディアンを中心として円形へ広がった。
「――っ!?」
霊夢達は眩しさに思わず腕で目元を覆った。
黄金色と橙色が混ざり合った光が地面を走り、その中心には炎を纏った大剣が深々と突き立っている。激しく燃えているように見えるにもかかわらず、周囲の石畳は焦げていない。確かな熱は感じるが、それ以上に強いのは、そこに立つ者を包み込み、守り、癒し、さらに力まで与えているような異質な感覚だった。
誰もすぐには言葉を出せなかった。
そんな中、最初に具体的な変化へ気づいたのは美鈴だった。
「……あれ?」
彼女の視線はガーディアンの肩へ向いている。
先ほど咲夜のナイフによって裂け、装甲の隙間から覗いていた傷が、ソーラーの光へ包まれたそばから目に見えて塞がり始めていた。
「傷が……治ってる?」
大妖精も気づき、信じられないような顔になる。
パチュリーも表情を変えた。
彼女が感じ取ったのは、単なる治癒だけではない。あの円の内側だけが異常なほど濃密な力で満たされており、傷を癒すだけでなく、内部にいる者そのものを守り、戦う力まで底上げしているように感じられる。
「何よ……あれ」
霊夢が呆然と呟いた。
「結界みたいなもの?」
「似てはいますけど、少なくとも私が知っている結界とは全然違いますね……」
美鈴も困惑したように答える。
文も数秒間完全に固まっていたが、やがて記者としての本能が戻ってきたのか、慌てて手帳を開いた。
「ちょ、ちょっと待ってください。これはさすがに記事にしないと……剣を地面に刺したら光の領域が出て、その中にいるだけで傷まで治るって何なんですか、これ!?」
「落ち着け、文。私達だって何なのか分かってないんだから」
魔理沙がそう言う横で、フランドールだけは未だに炎の剣をじっと見ていた。
「……やっぱりレーヴァテインに似てない?」
「だから違うって言ってるでしょう」
レミリアが呆れたように返す。
「でも燃えてるよ?」
「あなたの剣以外にも燃える剣くらいあるわよ」
「そうなの?」
どこか納得していないフランドールをよそに、イコラが静かに口を開いた。
「――輝きの泉」
「輝きの泉?」
霊夢が聞き返す。イコラは黄金色の光の中心に立つガーディアンを見ながら、落ち着いた口調で説明を続けた。
「私達ウォーロックが使うソーラーの強力な能力。光で形成した炎の剣、ドーンブレードを地面へ突き立て、その周囲に強力なソーラーの加護を展開する。あの範囲内にいる限り負傷は急速に回復し、それだけでなく身体能力も大きく引き上げられるわ」
その説明を聞くにつれて、霊夢の顔がゆっくりと引きつっていった。
「待って。つまり、今まで散々走り回って、ナイフかわして、銃撃って、空飛んで、炎まで出してたあいつが……今度はあの中にいる間、傷まで治るの?」
「そうよ」
「しかも強くなる?」
今度は魔理沙が尋ねる。
「ええ」
二人はしばらく何も言わず、ただ黄金色の光に包まれたガーディアンを見つめた。
当の本人は、泉の中心でゆっくりとラスト・ワードを構え直している。
咲夜もまた、その姿を無言で見つめていた。
ここまで何度も攻撃を当てている。完全な直撃ばかりではないし、掠めただけのものも多い。それでも、一つひとつの傷を確実に積み重ねてきたはずだった。
その積み重ねが、今まさに目の前で消えていく。
「……冗談でしょう?」
思わず漏れた言葉には、疲労だけではなく、僅かな呆れまで混じっていた。
ケイドは楽しそうに笑う。
「いやあ、やっと出したな」
クロウも泉を見ながら小さく頷いた。
「ここまで使わなかったのが意外なくらいだ」
「相棒、割と意地悪だな」
「お前が言うのか?」
「それはそう」
そんな二人の会話を聞いていた霊夢は、とうとう額を押さえた。
「……何なのよ、もう」
「何が?」
魔理沙が横を見ると、霊夢は勢いよく顔を上げた。
「全部よ!滑ったり飛ぶならまだしも、急に横や後ろに吹っ飛ぶわ、火を出すわ、傷が勝手に治るわ、銃は何種類も持ち替えるわ、その上今度は剣を地面に刺したら更に回復したり強くなる!?あんた達ガーディアンは一体なんなのよ!」
「しかもたくさんの属性を使える。いくらあたし達でもこんなことできねえよ!」
「てか相棒の能力、全部見せたわけじゃ――」
「言うな!!」
霊夢の怒声が響き、ケイドは素直に口を閉じた。
一方の咲夜には、そんなやり取りへ耳を傾ける余裕などなかった。
荒くなり始めた呼吸を整えながら、黄金色の泉へ立つガーディアンを睨むように見つめる。
自分は少しずつ疲れている。
それに対して、相手は回復している。
その事実は認めざるを得なかった。
だが、それでも咲夜はナイフを握り直した。
「……なら、もっと当てればいいだけでしょう」
右手を振る。
十数本のナイフが飛ぶ。
続いて左手を払えば、別方向からさらに銀色の刃がガーディアンへ押し寄せる。
しかし今のガーディアンは、先ほどまでのように大きく逃げようとはしなかった。
泉の中心でラスト・ワードを構え、正面から迫ってきたナイフを一枚ずつ正確に撃ち落としていく。
ドンッ!
一枚。
続けて二枚目。
さらに三枚目。
左手で撃鉄を叩き起こす動作と射撃が滑らかに繋がり、銀の刃と弾丸がぶつかるたびに甲高い金属音が庭園へ響いた。
咲夜がさらに数を増やすと、今度はガーディアンの武器がラスト・ワードからフュージョンライフルへ切り替わる。
ギュイイイイン――。
低いチャージ音。
次の瞬間。
バシュンッ!!
束になったエネルギー弾が真正面から銀色の群れへ突き刺さり、ガーディアンが銃口を横へ振るのに合わせて大量のナイフが一気に弾き飛ばされた。
咲夜の眉が僅かに動く。
これまでなら、ガーディアンは攻撃そのものを避けることへ重点を置いていた。だが今は違う。多少の刃が肩や腕を掠めても構わず、泉の中へ踏み留まりながら真正面から迎撃している。
実際、一本のナイフがガーディアンの肩を掠め、続けて別の刃が左腕へ浅く突き刺さった。
それでも姿勢は崩れない。
傷を負ったそばから黄金色の光が集まり、血が流れ続けるより早く損傷を塞いでしまう。
「……っ」
咲夜が歯を食いしばる。
この程度では足りない。
ならば、もっと多く。
相手が撃ち落とせる限界を越えるほど、一度に叩き込めばいい。
咲夜は右手へ一枚のスペルカードを取り出した。
「なら……これなら!」
荒い呼吸の中でも、その声には明確な意志があった。
「銀符――『シルバーバウンド』!!」
宣言と同時に、庭園の景色が一変した。
「なっ……!」
霊夢が思わず息を呑む。
咲夜の周囲だけではない。ガーディアンの頭上、左右、背後、さらに輝きの泉そのものを囲み込むように、おびただしい数のナイフが一斉に現れた。
十や二十で数えられる量ではない。
視界そのものを埋め尽くす銀色の刃が、それぞれ異なる角度からガーディアンへ向けられている。
文もさすがに手帳を書く手を止めた。
「これは……さっきまでとは数が違いすぎませんか?」
美鈴も険しい表情で咲夜を見る。
「咲夜さん、かなり無理しています。さっきより呼吸も乱れてる……」
その言葉通りだった。
咲夜の肩は大きく上下し、額には先ほどよりも多くの汗が浮かんでいる。それでも彼女は両腕を大きく広げ、大量のナイフを維持しながら、黄金色の泉の中心に立つガーディアンだけを見据えていた。
「いけええええええええええええ!!!!!!」
鬼気迫る叫びとともに、銀色の奔流が一斉に動いた。
正面、左右、上空、そして背後から、おびただしい数のナイフが輝きの泉へ殺到する。
一瞬にしてガーディアンの姿が銀の嵐へ飲み込まれた。
「ガーディアンさん……!」
大妖精が思わず声を上げる。
しかし、その直後。
銀色の中から銃声が響いた。
ドンッ!
続けざまに二発目。
さらに、フュージョンライフル特有の低いチャージ音が重なる。
ギュイイィィン――。
バシュンッ!!
銀の嵐の中へ大きな穴が開いた。
黄金色の光の中心で、ガーディアンはまだ立っている。
ラスト・ワードで真正面から迫るナイフを撃ち落とし、密集した一群にはフュージョンライフルを撃ち込み、数で押し切ろうとする咲夜の弾幕を真正面から削っていた。
もちろん、すべてを完全に防げているわけではない。
「…………………………っ」
数本がガーディアンの肩や腕、脇腹へ届き、新たな傷を作る。
だが。
そのたびに輝きの泉の光が傷口へ集まり、損傷を押し戻すように塞いでいく。
「まだまだ!」
咲夜がさらに腕を振り、今度は左側から大きく回り込むようにナイフを追加する。
ガーディアンもその動きを見逃さなかった。
全身へソーラーの炎が走る。
ボウッ――!
次の瞬間、イカロスダッシュによって横方向へ急加速し、集中していたナイフの射線から一気に外れた。
「な――!」
咲夜はすぐに視線を追い、逃げた先へ新たな刃を向かわせる。
だが、ガーディアンはそのまま地面を蹴り、グライディングで空中へ抜けると、追ってきたナイフへフュージョンライフルを向けた。
短いチャージの後、エネルギー弾が放たれ、空中を追尾していた銀色の一群がまとめて吹き飛ぶ。
さらに別方向からナイフが迫ると、ガーディアンは空中で身体を反転させた。
今度は逃げるのではない。
一気に地上へ向かって落ちる。
ドンッ!!
フェニックスダイブ。ガーディアンは輝きの泉の中心へ戻るように着地し、そこへ足が触れた瞬間から、全身へ再び濃密なソーラーの光が絡みついていく。
空中で受けた小さな傷も、みるみる塞がっていった。
「…………」
霊夢達の表情が次第に変わっていく。
咲夜の攻撃は明らかに先ほどまでより激しい。
ナイフの数も、密度も、速度も上がっている。
それなのにガーディアンへ与えられる有効打は、むしろ少なくなっているようにさえ見えた。
当てても瞬時に回復される。
包囲してもイカロスダッシュで射線を外される。
追いかければ空中で迎撃され、さらに追い込めばフェニックスダイブで泉へ戻る。
そして一度泉へ戻れば、また回復しながら真正面から迎撃を続ける。
魔理沙が引きつった顔で呟いた。
「咲夜、あんだけ撃ち込んでるのに……全然崩れねえぞ」
霊夢も黙ったまま攻防を見つめていた。
輝きの泉を展開する前なら、ガーディアンが攻撃を避けるたびに「また逃げた」と思えた。
だが今は、ガーディアンが逃げているようにすら見えなかった。
「ヒュー、相棒、めっちゃ必死だぜ」
と、ケイドが口笛を鳴らす。
「え?余裕そうに立ち回って見えるけど違うのか?」
魔理沙がそう聞くと彼は肩をすくめる。
「あいつ、というか俺達ガーディアンだって無敵じゃない。ナイフで斬られて、腹殴られて蹴り飛ばされたらそりゃあ痛いぞ。だからいくら輝きの泉みたいな安全圏にいたとしても被弾はできるだけ少なくしたいに越したことはない」
「けど、痛みなんか屁とも思ってなさそうなくらい動き回ってるけどな」
するとクロウは、
「私達は……痛みそのものに慣れすぎてしまっているからな」
「……慣れすぎてる?」
――彼は静かに頷いた。
輝きの泉という強固な拠点を中心に、必要な時だけ外へ動き、攻撃をかわし、迎撃し、危険になればまた戻る。
「……なるほど」
その一連の動きをじっと追っていたパチュリーが、何か腑に落ちたように小さく頷いた。
隣に立っていた小悪魔が、その横顔を見上げる。
「何か分かったんですか、パチュリー様?」
「ええ。さっきから彼の行動をずっと見ていたんだけど……迷いが一切ないのよ」
「迷い、ですか?」
小悪魔は首を傾げた。
パチュリーは答えながらも、庭園中央から視線を外さない。
ちょうどその時、咲夜が右手を振り抜き、十数本のナイフをガーディアンの正面へ殺到させた。
ガーディアンはすぐには動かなかった。
真正面から迫る数本をラスト・ワードで撃ち落とす。そこへ左側から別の一群が回り込んだ瞬間、全身にソーラーの炎が走った。
――イカロスダッシュ。横方向へ一気に射線を外し、着地すると同時にフュージョンライフルへ持ち替える。
ギュイイィン――。
バシュンッ!!
密集していたナイフだけをまとめて吹き飛ばす。
しかし、深追いはしない。
さらに追撃が来ると見るや、ガーディアンはすぐさま数歩後退し、再び輝きの泉の内側へ身体を戻した。
黄金色の光が装甲を包み、先ほど肩を掠めていた傷がたちまち塞がっていく。
パチュリーはその一連の流れを指でなぞるように示した。
「今のもそう。正面から来たものは撃ち落とす。横から数が増えれば避ける。密集したところだけまとめて破壊する。そして、それ以上追えば危険だと判断した瞬間には、もう光の結界へ戻っている」
「……確かに」
美鈴も会話へ加わり、腕を組んだ。
「一つ一つの動きがすごく速いですよね」
「速いだけじゃないわ」
パチュリーは静かに首を振る。
「判断そのものが早いのよ」
「判断……」
「普通なら、あれだけ色々な方向から攻撃されたら一瞬くらい考えるでしょう。避けるべきか、迎撃するべきか、それとも前へ出るべきか」
そこで一度言葉を切り、パチュリーは目を細めた。
「でも、彼にはその一瞬がほとんどない」
再び咲夜のナイフが飛ぶ。
今度は頭上から。
ガーディアンは見上げるより早く地面を蹴った。グライディングで斜め前方へ抜け、空中で身体を捻りながら銃口を上へ向ける。
銀色の刃が弾かれる。
そのまま反撃へ転じるかと思われたが、咲夜が新たなナイフを展開した瞬間にはすでに高度を落とし始めていた。
ドンッ!
フェニックスダイブ。
再び泉の中心へ。
「ほら」
パチュリーが呟く。
「避けた直後にはもう次の判断を終えている」
小悪魔はしばらく言葉を失ったままガーディアンを見ていた。
「でも……それって、そんなにすごいことなんでしょうか?」
「少なくとも、簡単にできることじゃないわ」
パチュリーは即答した。
「魔法でも同じよ。どれだけ強力な術を知っていたとしても、使うタイミングを間違えれば意味がない。逆に、それほど大した術でなくても状況に合った瞬間に使えば、十分に決定打になり得る」
その視線が、輝きの泉へ向けられる。
「彼はそれを、移動にも武器にも能力にも全部当てはめている」
走る。
滑る。
跳ぶ。
飛ぶ。
急加速する。
急降下する。
撃つ。
持ち替える。
回復する。
どれも単体で見れば、すでに何度も目にしてきたものだった。
だが、それらすべてが一つの流れとして繋がっている。
「だから、やたらと動き回っているように見えて……実際には無駄な動きがほとんどない」
「無駄が……」
小悪魔が目を丸くする。
パチュリーは頷いた。
「少なくとも戦闘中に関してはね」
「戦闘中に関しては?」
「普段の奇行まで擁護するつもりはないわ」
「ああ……」
小悪魔は妙に納得した顔になった。
その会話を聞いていた魔理沙が思わず吹き出す。
「確かにな。戦ってない時は意味分からん動きばっかしてるしな、あいつ」
「ソファ出したりソリを乗り回したり、バケツに入ったりね」
霊夢が呆れたように付け加えた。
「変な踊りしたり」
「そこは今どうでもいいでしょう」
パチュリーが冷たく切り捨てる。
そして、もう一度ガーディアンへ視線を戻した。
「問題は、どうしてあそこまで判断が速いのかということよ」
今度は誰も茶化さなかった。
パチュリーの声色が僅かに変わったからだ。
「頭がいいとか、反射神経が優れているとか……もちろん、それもあるでしょうけど。それだけじゃない」
美鈴が眉を寄せる。
「じゃあ、何が?」
「経験よ」
短い答えだった。しかし、その言葉だけでイコラとクロウが僅かに反応した。パチュリーはそれに気づかないまま続ける。
「同じような状況を、何度も経験している。正面から撃たれた時。包囲された時。逃げ道を塞がれた時。傷を負った時。複数の敵に追われた時――」
咲夜のナイフがまた飛ぶ。
ガーディアンは半歩だけ身体をずらし、一枚を避けた。もう一枚はラスト・ワードで撃ち落とす。
三枚目が死角へ回り込んだ瞬間だけイカロスダッシュを使った。
「恐らく彼の中では、今ここで起きていることの大半が……初めてじゃないのよ」
パチュリーのその言葉に、霊夢がゆっくりと振り返る。
「初めてじゃないって……」
「似たような戦いを何度も繰り返してきたということ」
「でも、咲夜みたいに時間を止めたりナイフをばら撒く奴なんて、あいつの世界にもいるのか?」
魔理沙が尋ねると、パチュリーは少し考えてから首を振った。
「能力そのものが同じである必要はないわ。大切なのは状況よ」
包囲。
狙撃。
近接戦。
空中からの攻撃。
数で押し切ろうとする攻撃。
死角から飛んでくる攻撃。
そして、少しでも判断を誤れば命を落とす状況。
「そういうものを何度も経験していれば、細かい違いがあっても応用は利く」
パチュリーの視線が、静かにイコラ達へ移った。
「あなた達、一体どれくらい戦ってきたの?」
その問いに、イコラはすぐには答えなかった。
ほんの僅かな沈黙――代わりにケイドが、珍しく笑みを少しだけ薄くした。
「まあ、かなりな」
「どのくらい?」
霊夢が尋ねる。ケイドは一度ガーディアンを見た。
銀色のナイフの雨を前に、それでも迷うことなく動き続けている男を。
「相棒に関して言えば――」
ケイドは肩を竦めた。
「毎日だ」
霊夢達から表情が消える。
「……毎日ですか!?」
大妖精が小さく聞く。クロウが静かに答えた。
「ああ」
その声には、冗談らしさなど欠片もなかった。
「昨日や今日の話じゃない」
パチュリーはもう一度ガーディアンを見る。
その瞬間。ラスト・ワードが鳴った。
ドンッ!
一本。
ドンッ!
二本。
ガーディアンは撃ちながら横へ滑り、そこへ飛び込んできた別方向のナイフをかわす。
立ち上がり、フュージョンライフルへ持ち替え迎撃。
「あいつが休息していたのを見たことがあったのかと思うぐらいにはな」
追撃が来るとイカロスダッシュ。
泉へ戻る。
回復。
また構える。
それまでパチュリーには、一つ一つが異常なほど洗練された動きにしか見えていなかった。
だが今は、それとは少し違って見えた。
考えて動いているのではない。
考えなくても動けるほど、同じことを繰り返してきたのだ。
「……なるほどね」
パチュリーが小さく息を吐く。
「強いわけだわ」
その言葉に小悪魔が振り返る。
パチュリーはそれ以上何も言わなかった。
そして、いつの間にか咲夜の方がその周囲を延々と攻め続けさせられている。
その様子を見ていたケイドから、先ほどまで浮かんでいた楽しげな笑みが少しだけ消えた。
「……ありゃ、咲夜ちゃん、ドツボにはまっちまったかもな」
「ドツボ?」
霊夢が聞き返す。
ケイドは咲夜から目を離さずに答えた。
「今の咲夜ちゃん、完全に『もっと攻撃すれば突破できる』って考えになってる。考え方そのものが間違ってるわけじゃねえけど、輝きの泉を張ってる相手に真正面から火力勝負を挑み続けるのは、あんまり賢いやり方じゃない」
霊夢がもう一度咲夜を見る。確かに彼女は疲れている。
先ほどより呼吸も荒くなっている。それでも攻撃の手を止めるどころか、さらにナイフを増やそうとしている。
ケイドは少しだけ表情を曇らせた。
「相棒は泉の中にいる限り傷を治せるし、戦う力も上がってる。そこへ咲夜ちゃんが正面から攻撃を浴びせ続ければ、どっちが先に削れるかは分かるだろ?」
霊夢は返事をしなかった。
言われなくても分かる。
先に消耗するのは咲夜だ。
「……………………………」
二階のバルコニーでは、レミリアも何も言わずにその攻防を見つめていた。
表情だけを見れば、いつも通りだった。
優雅に椅子へ腰掛け、紅茶のカップを手にし、まるで最初からすべて分かっていたかのような顔で庭園を見下ろしている。
しかし、その指先だけはカップの取っ手を、ほんの僅かに強く握っていた。
(……予想以上ね)
昨日、ガーディアンが紅魔館へ現れた時から、弱いとは思っていなかった。
ハイヴとの戦闘。
アラークハルとの交戦。
ステイシス。
ソーラー。
そして見たこともない銃器。
普通の人間の尺度で測れる存在ではないことくらい、最初から理解していたつもりだった。
それでも、心のどこかでは思っていた。
咲夜なら十分に戦える。
いや、もっと正直に言えば咲夜なら勝てる可能性の方が高いのではないか、と。
咲夜は自分が最も信頼している従者だ。
時間を操り、無数のナイフを自在に扱い、遠距離だけでなく近接戦にも対応できる。幻想郷の中でも並の相手では到底太刀打ちできない。
ガーディアンがどれほど異質な戦い方をするとしても、幻想郷の弾幕戦を知らない外来人なら、咲夜の方が一枚上手く立ち回れる。
そんな考えが、自分の中になかったとは言えない。
だが今見ているものはその予想を明らかに越えていた。
(時間操作やナイフの技量、幻想郷での戦い方なら咲夜に分がある。少なくとも、そう思っていた。だけど――)
――咲夜は何度も攻撃を当てている。それでもガーディアンは、まだ咲夜本人へ本格的な反撃を一度も行っていない。
しかも今はその制限を自分から課したまま、咲夜の本気に近い猛攻を輝きの泉の中で真正面から受け止め、それを崩れることなく捌き続けている。
レミリアはカップを口元へ運ぶふりをしながら、僅かに目を細めた。
(……あたしも、正直あの男を舐めていた)
認めるのは少々癪だった。しかし、今さら否定しても意味はない。
ガーディアンは単に奇妙な動きをする外来人でもなければ、珍しい武器をいくつも持っているだけの兵士でもない。
あの男の戦い方は。
生き残ること。
そして相手を倒すこと。
その二つへ徹底的に最適化されている。
攻撃が来れば避ける。
避けられないなら迎撃する。
それでも受ければ回復する。
相手が距離を詰めるなら離れ、遠距離から押してくるなら銃で撃ち落とし、必要なら自分に有利な領域そのものを作り出す。
何より厄介なのは、それらの選択をほとんど迷わず行っていることだった。
(敵に回したら……厄介、どころじゃないかも――)
レミリアの目が僅かに細くなる。
ガーディアンは泉の中でラスト・ワードを撃ち、咲夜のナイフをまた一枚弾き落とす。
その横から押し寄せた一群へフュージョンライフルを撃ち込み、銀色の壁をまとめて吹き飛ばす。
咲夜がさらに追撃を重ねる。
それでも崩れない。
(この男……戦闘に対する経験値が桁違いすぎるわ)
その光景を眺めながら、レミリアの胸中へ一つの考えが浮かんだ。
(……もしかしたら、敵に回してはいけない類の男なのかもしれないわね)
もちろん、その評価を本人へ聞かせるつもりなどなかった。
少なくとも今は。
しかし、ガーディアンに対する彼女の認識が、試合開始前とは比べものにならないほど変わっていたのは確かだった。
一方の咲夜は、主人がそんなことを考えているとは知る由もない。
「はあ……はあ……っ」
呼吸はさらに荒くなっていた。
それでも攻撃の手を止めない。
ナイフを放つ。
ラスト・ワードが撃ち落とす。
別方向から追加する。
今度はフュージョンライフルがまとめて吹き飛ばす。
ほんの僅かな隙を突いて数本をガーディアンへ届かせても、傷は輝きの泉によってすぐに塞がってしまう。
それでも咲夜は攻撃を繰り返した。
だが、同じ攻防が何度も続くうちに胸の奥へ少しずつ、これまでになかった感情が入り込み始める。
(……どうして)
咲夜はナイフを投げながら、無意識に唇を噛んだ。
自分は手を抜いていない。
むしろ、試合開始直後より遥かに本気で攻撃している。
数も。
速度も。
軌道も。
近接戦もすべて。
最初とは比較にならないほど激しくなっている。
それなのに目の前の男は未だに倒れない。
それどころか先ほどより安定している。
ラスト・ワードがまた一枚のナイフを撃ち抜き、続いてフュージョンライフルのエネルギー弾が複数の刃をまとめて消し飛ばした。
その光景を見た瞬間。
咲夜の指先がほんの僅かに震えた。
(あたしの攻撃が……)
一度だけ考えてしまう。
(何をしても……あの人を追い込められない)
今までにも強い相手はいた。
速い者もいた。
厄介な能力を持つ相手もいた。
それでもこれほど全力で攻撃しているにもかかわらず状況が一向に前へ進まない。
そんな感覚は初めてだった。
(一体、どうすればいいの……?)
その疑問が咲夜の胸の奥へ重く沈んでいく。
そしてその僅かな変化をケイドだけは見逃さなかった。
先ほどまで戦いを楽しそうに眺めていた彼の表情が少しだけ真剣なものへ変わる。
「……まずいな」
クロウが横目で見る。
「何が?」
ケイドは咲夜から視線を離さないまま、低い声で答えた。
「焦り始めてる」
クロウも改めて咲夜を見る。
確かにナイフを投げる動作そのものはまだ鋭い。
だがそれまであった冷静さとは僅かに違う。
「今の咲夜ちゃんは、どうやって崩すかじゃなくて、どうすればもっと攻撃を当てられるかばっかり考え始めてる」
ケイドは顎へ手を添えながら、僅かに目を細めた。
「このまま焦りが強くなれば、今までみたいに一手ずつ考えて動かなくなる。そうなった時、次に何をするかは――俺にも分からねえな」