東方天命録~The Final Shape Begins~ 作:はならむ
「はあ……はあ……っ……!」
咲夜の呼吸は、もはや誰の目にも隠しようがないほど大きく乱れていた。
先ほどまでは、どれほど疲労が蓄積していても戦闘動作そのものには鋭さを残していた。ナイフを投げる腕にはまだ力があり、ガーディアンの移動先を追う紅い瞳にも集中力が宿っていたし、少なくとも外から見れば、まだ十分に戦える状態を保っているように見えていた。
(もう、なんなのこの人は……!?)
しかし、今はもう明らかに違う。
一歩踏み出しただけで足元が僅かに揺れ、咲夜は咄嗟にもう片方の足へ体重を移して姿勢を支えた。なんとかそのまま立っていようとしたものの、荒くなった呼吸は一向に収まらず、やがて耐え切れなくなったように両手を膝へ置くと、深く頭を垂れた。
「はあ……はあ……はあ……っ……」
胸が激しく上下し、空気を吸い込むたびに喉の奥が熱を持つ。額から流れた汗は頬を伝い、そのまま顎の先から石畳へと落ちていった。
戦いが始まった頃には、ここまで消耗するとは思っていなかった。
もちろん、ガーディアンがただ者ではないことは理解していたつもりだった。昨日の紅魔館を襲ったハイヴとの戦いでは、見たこともない銃器を次々と持ち替え、ボイドやステイシス、ソーラーと呼ばれる不可思議な力まで使っていた。その時点で、普通の外来人ではないことくらい分かっていた。
それでも、一対一なら――。
自分の得意とする距離や速度へ引き込めれば。
少なくとも簡単には遅れを取らないはずだと、どこかでそう考えていた。
だが、実際に向き合ってみれば、ガーディアンの戦い方は咲夜の想像を遥かに越えていた。
地上を全力で走ったかと思えば、その勢いのままスライディングで姿勢を落とし、立ち上がるより早く射撃へ移る。跳躍すればグライディングで長く空中へ留まり、そこへ追撃すればイカロスダッシュで予想外の方向へ軌道を変える。空へ追い込んだと思えばフェニックスダイブで急降下し、着地した瞬間にはすでに次の移動へ繋げている。
遠距離からナイフの数で押せばラスト・ワードで撃ち落とし、それでも処理し切れない量を浴びせればフュージョンライフルで一群ごと吹き飛ばす。そして、何度も攻撃を重ねてようやく少しずつ傷を積み上げたと思った矢先には、輝きの泉を展開し、その積み重ねすら大きく押し戻してしまった。
「…………っ」
咲夜は膝へ手をついたまま、ゆっくりと顔を上げた。
少し離れた場所では、ガーディアンが静かに立っている。
あれほど走り回った。
あれほど飛び回った。
何度もナイフを避け、撃ち落とし、能力を使い続けてきた。
それなのに、少なくとも外から見る限りでは、彼の立ち姿からほとんど疲労が感じられない。
肩で息をする様子もなければ、膝へ手をつくこともない。装甲に覆われているため表情までは分からないものの、その姿勢は試合開始時とほとんど変わらず、こちらが次に何を仕掛けてくるのかを、ただ静かに待っているようにさえ見えた。
その姿が、今の咲夜にはどうしようもなく不気味だった。
(あたし……)
正直、彼よりも純粋に強い相手なら幻想郷にもいる。
動きが速い相手もいる。
圧倒的な火力を持つ者もいれば、厄介な能力で常識そのものを崩してくる者だって珍しくない。
それでも、目の前の男には、それらとは違う種類の得体の知れなさがあった。
(あたし……一体、何と戦っているの……?)
咲夜は、自分でも答えの出ない疑問を胸の中で繰り返した。
攻撃を当てても倒れない。
追い込んでも、こちらの予想とはまるで違う抜け方をする。
自分が攻撃方法を変えれば、相手も即座に対応を変える。
それだけでも十分に厄介なのに、さらに咲夜の心を重くしている事実が一つあった。
(も、もし本気で戦いにくるなら――)
ここまで戦って、自分はまだ一度もガーディアン本人から本格的な攻撃を受けていない。
ラスト・ワードも、フュージョンライフルも、焼却の指鳴らしも、その大半が向けられているのは咲夜自身ではなく、彼女が放ったナイフや攻撃そのものだった。
先ほどスナイパーライフルを向けられた時ですら、弾丸は意図的に頭のすぐ横を通過している。
つまり自分は全力で戦っている。
それなのに相手は、まだこちらを本気で倒しに来ていない。
その事実を意識するほど、胸の奥にあった自信が少しずつ削られていく。
(……もう、わけが分からない……)
咲夜の顔が曇った。普段なら、主人や紅魔館の者達の前でこれほど露骨に弱気な表情を見せることなど滅多にない。だが今は、それを取り繕うだけの余裕さえ失われ始めていた。
「咲夜様……………」
その変化は、観客達にもはっきりと伝わっていた。
試合開始直後には、咲夜が攻撃するたびに「咲夜さん頑張ってください!」「そこです!」と声を張り上げていた妖精メイド達も、今では嘘のように静かになっている。胸元で両手を握りしめ、不安そうに咲夜を見つめている者もいれば、隣の仲間と何度も顔を見合わせている者もいた。
小悪魔も落ち着かない様子でパチュリーの近くへ寄り、何度も咲夜とガーディアンを見比べている。
「咲夜さん……大丈夫でしょうか」
「今すぐ倒れるほどではないと思うけれど、あまりいい状態ではないわね」
パチュリーはそう答えながらも、その声音は普段より少し低かった。
霊夢も、咲夜の様子を見ながら困ったように眉を下げる。
「あちゃあ……完全に息上がっちゃってるわね。さっきまで意地でも平気な顔してたのに、今はもう顔が完全に沈んじゃってるじゃない」
魔理沙も腕を組みながら、いつになく真面目な顔で咲夜を見つめていた。
「あんだけ動いたんだ、そりゃしょうがないぜ。あいつを追っかけて、逃げ道読んで、ナイフ投げて、近づいて、また追いかけて……あれをずっと続けてたんだからな」
大妖精も心配そうに咲夜を見つめ、隣にいるチルノの袖を無意識に掴んでいた。
「咲夜さん、ほとんど休んでませんよね……」
チルノも珍しくふざけることなく、小さく頷いた。
「あたいでも、あんなにずっと動き続けたら疲れはしないけど絶対にイヤになりそう」
「そこは自信満々に言うところじゃないでしょ」
霊夢が思わず小さく突っ込んだものの、その声にも先ほどまでの軽さはなかった。
一方、美鈴は咲夜を心配そうに見ていたが、ふと視線をガーディアンへ移すと、別の意味で顔を引きつらせた。
「……それにしても、ガーディアンさんの方は本当に全然疲れてそうに見えませんね」
「そうなのよね」
霊夢も同意する。美鈴は腕を組み直しながら、半ば冗談、半ば本気で首を傾げた。
「一応、ガーディアンさんは人間なんですよね?下手したらあたし達妖怪以上の化け物なんじゃないかしら……」
魔理沙が少しだけ苦笑する。
「今さらそこ疑うのか?」
「だって見てくださいよ。咲夜さんは人間ですがお嬢様も言っていたように相当の実力者ですよ。そんな人があそこまで息を切らしてるのに、向こうは平然と立ってるんですよ?」
「……まあ、それは確かにおかしいな」
魔理沙も否定できず、改めてガーディアンへ視線を向けた。
文はそんな会話を聞きながら、手帳へ素早く文字を書き込んでいる。
「『外来の戦士、人間を超える驚異の持久力』……いえ、断定はまだ早いですね。そもそも、本当に私達の知っている人間と同じなのかも取材が必要ですし」
「そこで取材魂を出すのね、あんたは」
霊夢が呆れたように言うと、文は悪びれる様子もなく肩を竦めた。
「だって記者ですから」
そんな周囲のやり取りを聞きながらも、パチュリーは咲夜から視線を外していなかった。
(完全に相手のペースへ嵌まってしまったわね)
試合の序盤では、咲夜自身がガーディアンの動きを読み、追い詰めようとしていた。
しかし、いつの間にか逆になっている。
ガーディアンの速度へ咲夜が必死についていき、相手が動くたびに判断を迫られ、そのたびに自分の体力と集中力を削られている。
(このまま続けるのは危険ね。疲労そのものもそうだけど、判断が鈍り始めたらもっとまずい)
パチュリーの視線が僅かに細くなる。
二階のバルコニーでは、レミリアもまた複雑な表情で庭園を見下ろしていた。
手には紅茶のカップを持っているものの、先ほどからほとんど口をつけていない。
視線は咲夜へ向き、ときおりガーディアンへ移る。
(まさか……ここまでとはね)
ガーディアンが強いことは分かっていた。
昨日の戦いを見ている。
ボイド。
ステイシス。
ソーラー。
見たことのない銃。
異常な機動力。
普通の外来人ではないことくらい、最初から理解していたつもりだった。だが、それでも。
(咲夜が、ここまで翻弄されるなんて……)
そこまでは予想していなかった。
咲夜は、自分が最も信頼している従者だ。
その咲夜が、たった一人の男を相手にここまで追い詰められている。
しかも、その男はまだ咲夜本人へ本格的な攻撃すらしていない。
その事実が、どうしても胸へ引っかかった。
(……あたしの目も節穴だったわね)
レミリアは内心で、苦いものを飲み込むようにそう認めた。
そんな重苦しい空気が庭園全体を覆い始めた、その時だった。
ガーディアンが突然動きを止めた。
「…………?」
咲夜が僅かに顔を上げる。
ラスト・ワードを構えていた腕がゆっくり下がる。
何か攻撃を仕掛けるのか。
咲夜は疲れた身体を無理に起こしながら、反射的に身構えた。
霊夢達も自然とガーディアンの手元へ視線を集める。
すると、その片手に淡い白色の光が集まり始めた。
「……?」
イコラの眉が僅かに動く。
次の瞬間。
ガーディアンはその光の塊を、咲夜へ向かって実に気軽な動作で放り投げた。
「え……?」
咲夜の目が大きく見開かれる。
一瞬、攻撃かと思って身体へ力を入れたが、光の塊は咲夜そのものへ直撃することなく、その足元の石畳へころりと落ちた。そして。
ポゥン――。
柔らかな音とともに破裂した。
爆炎は上がらない。
衝撃波も起こらない。
代わりに、暖かな黄金色の光が咲夜の足元からふわりと広がり、その身体を優しく包み込んでいく。
輝きの泉ほど強烈ではない。
もっと穏やかで、包み込むようなソーラーの光。
咲夜は何が起こったのか分からず、呆然と自分の足元を見つめた。
もちろん、幻想郷の人間である咲夜に、ガーディアン達が使う回復グレネードがどこまで作用するのかは誰にも分からない。少なくともガーディアン自身も、絶対に効くと確信して投げたというよりは、疲れているように見えたから試しに使ってみた、という程度にしか見えなかった。
「…………なにこれ?」
霊夢がぽつりと呟く。
イコラが少しだけ額へ手を当てた。
「回復グレネード」
「回復?」
「ええ。本来はガーディアンの負傷を治療し、回復を促すために使うもの」
霊夢は咲夜を見てから、今度はガーディアンへ視線を移した。
「……試合相手に回復投げたの?」
「模擬戦だから厳密には敵ではないけれど……」
イコラは少しだけ言葉を選んだ。
「戦闘中に相手が疲れているからという理由で投げる人は、少なくとも私はあまり知らないわ」
魔理沙が何とも言えない表情でガーディアンを見る。
「やっぱりあいつ、どっかおかしくないか?」
「今さら?」
霊夢が即答する。美鈴も困ったように笑った。
「優しいと言えば優しいんでしょうけど……間が最悪ですね」
小悪魔も思わず頷いた。
「しかも今まであれだけ咲夜さんを追い込んだ本人ですからね……」
文だけはすでに手帳へ何かを書き始めていた。
「『激闘の最中、対戦相手へ突然の治療行為』……うん、なかなか読者の興味を引きそうです」
「まだ記事にする気なのね」
パチュリーが呆れたように言った。
そんな一同の反応を知ってか知らずか、ガーディアンはさらに理解不能な行動へ出た。
――何故か、その場に椅子を出したのだ。
透明な光が集まり、光輝く半透明の一脚の椅子が形を作る。
そしてガーディアンは普通に腰掛けるのではなく、背もたれを正面へ向けて跨ぐように座ると、その上へ両腕をだらりと乗せた。
その場にいた全員が、しばらく何も言えなかった。
霊夢の眉がゆっくり寄っていく。
「…………は?」
魔理沙も同じような顔をする。
「何してんだ、あいつ」
美鈴も理解できない様子で首を傾げた。
「休憩……でしょうか?」
妖精メイド達もざわつき始める。
「試合終わったの?」
「まだじゃない?」
「咲夜さん、まだ立ってるし降参もしてないよ?」
「じゃあ、なんで座ってるの?」
そんな疑問が飛び交う中、ゴーストがゆっくりとガーディアンの横へ姿を現した。
「え……?」
彼自身も何となく嫌な予感を覚えているのか、ガーディアンを一度見たあと、困ったように咲夜へ向き直る。
「えっと……『疲れたなら休む?ボクは構わないから、気にしないでいいよ』……と申しています」
その瞬間、庭園へ奇妙な沈黙が落ちた。
咲夜も、霊夢も、魔理沙も、美鈴も、パチュリーも、小悪魔も、文も、妖精メイド達も、そしてバルコニーのレミリアとフランドールまで、全員がほぼ同じ表情でガーディアンを見ていた。
誰も口には出さなかった。
だが、ほとんど全員の頭へ同じ疑問が浮かんでいた。
――『これ、もしかして煽ってる?』
霊夢が疑わしそうに目を細める。
「……あいつ、マジでそんなこと言ってるの?」
クロウはガーディアンの様子を観察したあと、僅かに口元を引きつらせた。
「おそらく、本気だ」
「だから余計にタチ悪いんだよ。相棒良いヤツなんだけど、気遣いの方向性がズレてるとこがあるよなあ」
ケイドが笑いを堪えながら言う。
イコラは何も言わず、ただ深く長い溜息をついた。
(また周りを困惑させるようなことをして…………っ)
咲夜本人も、どう反応すればいいのか分からなかった。
こちらは疲労で膝へ手をつくほど消耗している。
そこへ突然回復を投げられ、今度は「疲れたなら休め」と言われている。
しかも、その相手は椅子へ逆向きに座り、こちらが返事をするのを待っている。
「…………」
咲夜の眉が僅かに引きつる。
だが、その困惑が言葉になるより早く、ガーディアンは椅子から立ち上がった。
「……?」
咲夜が嫌な予感とともに顔を上げる。
すると今度は、ガーディアンの足元へ何故か雪が現れた。
霊夢と魔理沙がほぼ同時に顔を引きつらせる。
「……まさか」
ガーディアンは何の迷いもなくしゃがみ込み、小さな雪玉を作り始めた。
――ころころ、ころころ。
それを地面へ置き、ころころと転がしていく。
雪玉は少しずつ大きくなっていった。
さらに転がす。
また大きくなる。
魔理沙が呆然とした声を漏らした。
「おい……また雪だるま?」
「今、この状況で?」
霊夢も信じられないという顔をする。
チルノだけは一瞬だけ目を輝かせた。
「おお、また雪だ!」
しかし隣の大妖精がすぐに袖を引く。
「チルノちゃん、今は喜ぶところじゃないよ……」
「……あ、そっか」
「雪だるま好きなのかー」
チルノは素直に少しだけしょんぼりした。
ガーディアンは周囲の反応など気にも留めず、一つ目の大きな雪玉を完成させると、今度は少し小さな雪玉を作り、それを上へ載せた。
あっという間に雪だるまが完成する。
「…………」
咲夜は完全に固まっていた。
小悪魔も何とも言えない顔で呟く。
「……本当に作っちゃいましたね」
パチュリーも額へ手を当てる。
「何故、今なのかしら」
文だけは楽しそうに手帳へ筆を走らせていた。
「『決闘中、突如として雪像製作を開始する外来人』……これはなかなか強い見出しですね」
「そこを記事にするのね」
霊夢が呆れたように言ったその時だった。
ガーディアンが、ふと咲夜へ視線を向けた。
ほんの少しだけ首を傾げ、そのまま雪だるまを指差す。
ゴーストの身体がぴたりと止まった。
「……え?」
彼は一度ガーディアンを見た。
次に雪だるまを見る。
それから咲夜へ視線を移し、もう一度ガーディアンを見る。
そして、明らかに嫌そうな声を出した。
「……ガーディアン、それ本気ですか?」
(●^ω^●)ニッコリ
ガーディアンはグッと親指を立てた。
その返事を見たゴーストは、しばらく完全に黙り込んだ。
その様子だけで、霊夢達の間には猛烈に嫌な予感が広がっていく。
霊夢が身構えるように眉を寄せる。
「ちょっと……何言おうとしてんの?」
魔理沙も頬を引きつらせた。
「絶対ろくなことじゃねえぞ」
ゴーストは、どうして自分がこれを通訳しなければならないのかと言いたげな雰囲気を全身から漂わせながら、それでも諦めたように咲夜へ向き直った。
「あの、ガーディアンがあなたに伝えたいことが……」
咲夜が怪訝そうに顔を上げる。
「……はい?」
ゴーストは一度だけ深く息を吐いた。
「『君、咲夜君だっけ?』」
「…………そうですが?」
その一言だけで、何故かその場にいた全員の背筋へ嫌な予感が走った。
レミリアは紅茶のカップを口元へ運びかけたまま動きを止め、フランドールは何を言うのか楽しみにするように身を乗り出す。
美鈴はすでに顔を引きつらせ、小悪魔も嫌な予感を覚えたように目を細めた。
文だけは妙に嬉しそうに筆を構えている。
そしてゴーストは、本気で言いたくなさそうな顔をしながら続きを口にした。
「『休憩がてら――』」
「………………」
「『ボクと雪だるま作らない?』……と」
その瞬間。
庭園全体の時間が止まったかのような沈黙が落ちた。
……………………。
咲夜の視線が、ゆっくり雪だるまへ向かう。
次にガーディアン。
その次にゴースト。
もう一度ガーディアン。
霊夢達も全く同じように視線を彷徨わせた。数秒後――。
「なに考えてんだお前はああああああああああああああああっっっっ!!!!!!??????」
庭園全体が揺れるほどの大絶叫が響き渡った。
霊夢、魔理沙、美鈴、文、妖精メイド達、さらにはバルコニーの面々まで、ほとんど全員が一斉に声を上げる。
「今試合中でしょうがああああ!!」
「なんで雪だるまなんだよ!!」
「そこまでして雪遊びしたいんですか!?」
妖精メイド達まで一気に騒ぎ始めた。
「咲夜さんが雪だるまに誘われた!」
「なんで!?」
ゴーストもたまらず声を上げる。
「わ、私に言わないでください!通訳してるだけですから!」
そんな阿鼻叫喚の中心で、咲夜だけは別の意味で完全に思考が止まっていた。
先ほどまで苦しかった。
疲れていた。
何をしても通じない。
どうすればいいのか分からない。
目の前の男が怖いとすら思い始めていた。
それなのにその得体の知れない男が。
今、自分へ雪遊びを提案している。
「な……」
咲夜の唇が震える。
「な、な……」
ガーディアンは、まるで普通の誘いでもしたかのように雪だるまの横で返事を待っている。
「な、な、な……!」
咲夜の顔がどんどん引きつっていく。
そして、とうとう堪え切れなくなった。
「なんなんですかあなたはあああああああああああああああああ!!!!???」
その叫びは、怒声というよりも、もはや悲鳴に近かった。
疲労。
困惑。
苛立ち。
理解不能。
それら全部が一度に噴き出し、本人ですら何に対して一番怒っているのか分からなくなっている。
その瞬間だった。
「ぶっ――!!」
バルコニーから別の音が響く。レミリアが口に含んでいた紅茶を盛大に吹き出した。
「お、お姉様!?」
フランドールが驚いて振り返る。
レミリアは慌てて口元を押さえ、激しく咳き込んだ。
「げほっ! げほっ……!」
しかし、目の前の光景があまりにもひどかった。
先ほどまで、自分はガーディアンの実力を見誤っていたのではないかと真剣に考えていた。
咲夜がこれほどまで追い詰められていることにも心を痛めていた。
その化け物じみた男が、今は雪だるまの横に立ち、自分の従者を雪遊びへ誘っている。
そう思った瞬間、レミリアの肩が小刻みに震え始めた。
「っ……ふ、ふふ……!」
堪えようとした。だが無理だった。
「あはははははははははははっ!!」
ついに大爆笑が弾けた。
「だ、駄目……何なのよ、あいつ……!あはははははっ!」
腹を押さえながら笑うレミリアの隣では、フランドールもすでに限界を迎えていた。
「お、お腹痛い……!あははははは! 咲夜、誘われてる!一緒に雪だるま作ろうって!」
「笑わないでください、フラン様!!」
「作ってあげなよ咲夜!!キャハハハハハハッ!!」
咲夜が顔を真っ赤にして怒鳴る。
その反応がさらに面白かったのか、フランドールは余計に笑い出した。
小悪魔も口元を手で押さえ、必死に耐えようとしている。
「ご、ごめんなさい咲夜さん……でも、これはちょっと……」
美鈴も顔を逸らしているが、肩が明らかに震えていた。霊夢がすぐに気づく。
「美鈴、あんた笑ってるでしょ」
「わ、笑ってませんよ!」
「肩震えてるじゃない」
「これは武者震いです!」
「何と戦ってんのよ」
霊夢の即座のツッコミに、魔理沙まで吹き出した。
その少し離れた場所では、ケイドも完全に崩壊していた。
「だあっはははははははははははっっ!!」
腹を抱えながら、何度も膝を叩いている。
「ダメだ相棒! お前やっぱ最高だわ! 試合中に対戦相手を雪遊びへ誘う奴なんて、俺でも初めて見たぞ!」
クロウはその横で、口元を引きつらせながらガーディアンを見ていた。
「……こ、こんな自由な奴……初めて見たぞ…………っ」
「だろ!?」
「褒めてない」
「でも面白いだろ?」
クロウは少しだけ黙ったあと、とうとう小さく笑った。
「……否定はしない」
一方、イコラは全く別の意味で限界を迎えていた。
何も言わず、ゆっくりその場へしゃがみ込むと、両手で頭を抱えたまま深く項垂れる。
「…………」
小さく何かをブツブツ呟いている。
霊夢が何となく耳を澄ませると、断片的な言葉が聞こえてきた。
「ガーディアンとしての品性……ウォーロックの威厳……バンガードの威厳……どうして私は毎回彼の後始末を……始末書千枚、二千、三千……いや、これ始末書でどうにかなるのかしら……」
魔理沙が少しだけ距離を取った。
「おい、イコラが壊れたぞ!」
霊夢も妙に同情した顔になる。
「そっとしときましょ」
そんな大騒ぎの中心で、当のガーディアンだけが、何故ここまで怒られているのか本気で理解できていなかった。
周囲を見回したあと、不思議そうに頭をこてんと傾げる。
「?」
霊夢の頬が大きく引きつった。
「こいつ……本当に分かってないわよ」
パチュリーも呆れたように小さく息を吐く。
「ある意味、大物ね」
文だけは相変わらず楽しそうだった。
「これは記事になりますよ。『紅魔館の決闘、突如として雪遊びへ発展か』――」
「発展してない!」
霊夢が即座に突っ込む。
そんな中、ガーディアンが何かを思いついたように僅かに顔を上げた。
それを見た咲夜が、今度こそ本能的に嫌な予感を覚える。
「……?」
ガーディアンはその場で両手を胸の前へ持ち上げると、指先を寄せるようにして小さなハートを形作った。
すると、それに呼応するように橙色の光が腕の間から走り出し、火花を散らしながら大きな弧を描いていく。左右へ伸びた光は頭上で滑らかに重なり、やがて彼の全身を囲む巨大なハートへと変わる――レミリアとの謁見にてケイドの悪ノリで見せたあのハートだ。
「ええ……………っ」
咲夜本人、さっきまで胸を締め付けていた得体の知れない恐怖は、いつの間にか別の何かへ変わっていた。
怖い。
いや、違う。
もう怖いというより――もはや意味が分からない。
「…………………………は?」
今度こそ、全員の動きが止まった。
レミリアの笑いも一瞬止まり、フランドールも口を開けたまま固まる。小悪魔は目を瞬かせ、文の筆まで止まり、美鈴はゆっくりと眉を上げた。
「…………ガーディアン、流石にやめませんか?絶対に勘違いされますから……………」
(●^ω^●)ニッコリ
彼は自信げにサムズアップをゴーストに見せつける。その光景に再び全員に悪寒が走る。
「…………………………………」
ゴーストはしばらく無言でガーディアンを見つめたあと、次に咲夜へ視線を移し、心底疲れたような深い溜息を吐いた。
「……『まあまあ、これでも見て癒されなよ、咲夜君』と……」
再び、庭園へ沈黙が落ちた。
霊夢がゆっくり魔理沙を見る。
魔理沙も全く同じ顔で霊夢を見る。
大妖精が恐る恐る口を開いた。
「あの……」
チルノも首を傾げる。
「これってさ……」
美鈴も何とも言えない表情を浮かべる。
文の目だけが妙に輝いた。
「これはまさか、恋愛記事の匂いが――」
「やめなさい」
パチュリーが間髪入れずに止めた。
そして霊夢と魔理沙は、ハートを作ったままのガーディアンを見たあと、次に咲夜へ視線を移し、ほとんど同時に同じ結論へ辿り着いた。
「……もしかして」
「咲夜を口説いてる……?」
「えっ!?」
咲夜の顔が一瞬で『カァ……』と真っ赤になる。
「ち、違います!!」
先ほどまで膝へ手をつき、完全に弱気になり、何をしても通じないと沈み込んでいた人物とは思えないほどの勢いで顔を上げる。
「何をどう見たらそういう結論になるんですか!!」
霊夢は至って真面目な顔でガーディアンを指差した。
「だって、一緒に雪だるま作ろうって誘って」
魔理沙も続ける。
「その後にハートだぞ?」
「…………」
咲夜はゆっくりガーディアンを見る。ガーディアンはまだハートを作ったままだった。
「…………」
咲夜の頬だけではなく、耳までみるみる赤くなっていく。
「ち、違いますからあああああああああ!!」
庭園へ再び絶叫が響き渡った。
その瞬間、レミリアがまた吹き出す。
「ぶっ……あはははははははは!!あらあらなんて情熱的な殿方じゃないの!」
フランドールも腹を抱えて笑い出した。
「咲夜、真っ赤ー!あはははは!」
妖精メイド達も、先ほどまでの重苦しい沈黙が嘘だったかのように一気にざわつき始める。
「咲夜さん口説かれてる!」
「違うって言ってるよ!」
「でもハートだよ!」
「雪だるまデート!?」
「誰ですか今デートって言ったのは!!」
咲夜が即座に振り返って怒鳴ると、妖精メイド達は一斉に縮こまったものの、その何人かはまだ笑いを堪えきれていなかった。
美鈴もとうとう壁へ手をつきながら肩を震わせ、小悪魔も隠すのを諦めたように笑っている。
ケイドは再び腹を抱え、クロウも片手で顔を覆いながら肩を揺らしていた。
イコラだけは、まだしゃがみ込んだまま顔を上げない。
「……決闘中に求愛行動……ガーディアンへの制裁……始末書、それともノヴァボムで物理的に………」
そして、そのすべての騒動の中心で。
何故咲夜が真っ赤になっているのか。
何故周囲が爆笑しているのか。
何故自分が怒鳴られているのか。
最後まで何一つ理解できていない男が、一人だけ取り残されていた。
ガーディアンはしばらく周囲を見回したあと、ようやくハートを解き、もう一度だけ不思議そうに頭をこてんと傾げた。
「?」
その姿を見た霊夢は、もう何度目か分からない深い溜息を吐いた。
「……駄目だわ。こいつ、本当に何も分かってない」