東方天命録~The Final Shape Begins~ 作:はならむ
そんな中、ゴーストはもはや自分でもどう収拾をつければいいのか分からなくなっているらしく、ガーディアンと咲夜の間を何度も見比べながら、その場でおろおろと身体を揺らしていた。
「こ、ここは私が何とかしなければ…………!」
目の前では、巨大なハートを出して咲夜をさらに混乱させた張本人が、相変わらず何が問題なのか理解していない様子で立っている。咲夜は耳まで真っ赤に染めたまま肩を震わせ、霊夢と魔理沙は呆れ果て、美鈴や小悪魔は笑うべきなのか心配するべきなのか判断しかねた表情を浮かべていた。バルコニーではレミリアとフランドールがいまだ笑いを堪え切れておらず、妖精メイド達に至っては決闘を観戦していた時とはまるで違う種類の興奮に包まれている。
このままでは、本気で「咲夜を口説いている」という認識が定着してしまう。
少なくとも、それだけは何としてでも否定しなければならない。
「み、皆さん聞いてください!」
そう判断したらしいゴーストは、意を決したように咲夜の前へ進み出ると、必死の声で弁明を始めた。
「か、彼はこれでも煽りたくてやってるわけじゃなくて、彼なりの気遣いなんです!本当なんです!」
「…………」
咲夜は返事をしなかった。頬を赤くしたまま、半眼でガーディアンを睨んでいる。
その視線を真正面から受けても、本人は気まずそうにするどころか、ゴーストの説明へ同意するように何度か大きく頷いていた。その仕草がまた腹立たしいのか、咲夜のこめかみが僅かに引きつる。
「咲夜さんがすごく疲れているように見えたから回復グレネードを投げましたし、休憩を勧めたのだって本当に心配しただけなんです。雪だるまだって……その……」
そこまで勢いよく喋っていたゴーストの声が、不自然に小さくなった。
周囲も何も言わない。
ゴーストは雪だるまを見る。
次にガーディアンを見る。
もう一度、雪だるまを見る。
「……雪だるまは?」
魔理沙が追及するように尋ねると、ゴーストはしばらく黙り込んだ末、とうとう諦めたように答えた。
「……そこは私にも分かりません」
「でしょうね」
霊夢が深々と溜息を吐く。
ガーディアンだけは不思議そうに二人を見比べていたが、何か問題でもあるのかとでも言いたげに、完成した雪だるまへ視線を向けた。本人の中では、疲れている相手と休憩中に雪だるまを作ることの何が問題なのか、本当に理解できていないらしい。
ゴーストの焦りはいよいよ深まった。
せめて、ガーディアンが悪意のない人物であることだけでも理解してもらわなければならない。何かないかと必死に考え、そして完全に混乱していたゴーストの思考に、ある一つの事実が浮かんだ。
そうだ。
彼は子供ではない。
見た目こそ全身を鎧で覆われ、普段の奇行も相まって年齢がまったく分からないかもしれないが、少なくとも分別のない子供が遊び半分でこんなことをしているわけではない。
それを伝えれば、少しは印象が改善されるのではないか。
――その考えが致命的に間違っていることに、焦り切ったゴーストは気づかなかった。
「あと――!」
突然大きな声を上げたゴーストに、庭園中の視線が一斉に集まる。
「ちなみにガーディアンはこれでも――!」
ガーディアン自身も何を言われるのか気になったのか、僅かに胸を張った。
「ゴースト、一回落ち着け――!」
嫌な予感がよぎったクロウの制止を聞かず、そしてゴーストは、何故かこれ以上ないほど力強く言い切った。
「れっきとした『成 人 男 性』ですっ!!」
その瞬間、紅魔館の庭園から音という音が消えた。
咲夜は固まり、霊夢も魔理沙も言葉を失い、美鈴は口を半開きにしたまま動きを止めた。パチュリーは本から顔を上げた姿勢のまま瞬きを忘れ、小悪魔は何か言いかけた口をそのまま閉じることができない。チルノと大妖精、ルーミアまで揃ってガーディアンを見つめ、バルコニーのレミリアとフランドールも、先ほどまでの笑いを一瞬だけ忘れていた。
そんな全員の視線を受けながら、当のガーディアンは何故か誇らしそうに胸を張り、
(●^ω^●)エッヘン
雰囲気で満足そうに立っている。
それがさらに沈黙を深くした。
ヒュュュゥ…………。
どこからともなく、冷たい風が吹いた。
庭園を抜けた風が咲夜の銀髪を揺らし、妖精メイド達のスカートを靡かせ、そのまま先ほど作られた雪だるまの横を通り過ぎていく。
雪だるまが僅かに揺れた。
その直後、頭の部分だけがころりと胴体から転がり落ち、ぽすっ、と妙に間の抜けた音を立てて石畳へ落ちた。そのまま少しだけ転がり、全員の視線の先で寂しそうに止まる。
誰も喋らなかった。
あまりにも完璧な間だった。
その侘しい光景を見つめていた霊夢が、やがて信じ難いものを見るような顔でゆっくりガーディアンへ視線を戻した。
「…………あ、あれが成人男性……?」
その一言が引き金になった。
「ギャハハハハハハハハハハハハハッ!!!!!」
ケイドが盛大に吹き出した。堪えようとする素振りすらなく腹を抱え、その場で身体を折り曲げながら何度も膝を叩いている。
「ゴーストぉぉぉぉ!!お前、テンパりすぎてとうとう自分からボケる側に回ったのかよ!!ギャハハハハハッッ!!!」
「え、ええっ!?」
ゴーストが慌てて振り返る。
「な、何がおかしいんですか!?本当のことですよ!彼は成人男性です!」
「ゴースト!」
今度はクロウが声を上げた。彼も笑いを堪えているらしく、口元が不自然に引きつっている。
「全然フォローになってないぞ!むしろ状況を悪化させている!」
「な、なぜですか……!?」
「なぜって……今までのこいつの行動を落ち着いてよく思い出してみろ!」
クロウは頭痛でも覚えたように額へ手を当てると、もう片方の手でガーディアンを指差した。
「突然ソリを取り出して滑る。何の脈絡もなく踊り出す。ゴミバケツに入って転がる。レミリア嬢の説明中に菓子を食べ始める。戦闘でもないのに雪を出して楽しそうに雪だるまを作る。しかも今は決闘中なのに、疲れている対戦相手へ『一緒に雪だるまを作らないか』と誘って、その直後には巨大なハートまで出したんだぞ!」
一つ挙げられるたびに、周囲の者達の視線がゆっくりガーディアンへ集まっていく。
言われた本人はしばらく考え込むように首を傾げていたものの、やがて自分の行動を一通り思い返したらしく、何故か胸を張って誇らしげに親指を立てた。
「肯定するな!」
クロウの叫びが庭園へ響いた。
その隣ではケイドがまた腹を抱えている。
クロウは大きく息を吐き、ゴーストへ向き直った。
「そんな奴を指差して『これでも成人男性なんです』なんて強調したら、周りにはどう聞こえると思う?」
「ど、どうと言われましても……」
「『ガーディアンっていう連中は、こんな幼稚なことをする変人ばかりなのか?』と思われるだろ!」
「………………」
ゴーストの動きがぴたりと止まった。
中心部の青い光が、小さく一度だけ瞬く。
そして数秒後。
「…………………あ」
ようやく意味を理解したらしい。
そのあまりにも情けない声を聞いた瞬間、ケイドが再び吹き出した。
「お前、それじゃただの『成人男性(笑)』になってんじゃねえか!フォローどころか完全にトドメ刺してるぞ!」
「そ、そんなぁ……!」
ゴーストの高度が目に見えて下がった。
その様子を見ていた妖精メイド達の間からも、堪え切れないようなくすくす笑いが漏れ始める。
「成人男性なんだ……」
「もっと子供かと思ってた……」
「中身は?」
「しっ、聞こえるよ」
「聞こえてますよ!」
ゴーストが泣きそうな声で振り返った。
だが、その背後からさらに冷たい声が降ってきた。
「…………ゴースト」
「は、はい?」
恐る恐る振り向く。
そこにはイコラが立っていた。
表面上だけなら静かな微笑みを浮かべているが、その額にははっきりと青筋が浮いている。
「あなたにも始末書を書かせようかしら」
「…………」
ゴーストの中心部の光が、見るからに弱くなった。
「…………ぐすん」
しゅん、と高度まで下がる。
その姿を見て、さすがのガーディアンも相棒が落ち込んでいることだけは理解したらしい。ゴーストの隣へ歩み寄ると少し身を屈め、浮かんでいる白い外殻へそっと手を伸ばす。
ぽん、ぽん、と、まるで小動物でも慰めるように優しく撫でた。
「…………」
ゴーストは最初こそされるがままになっていた。
ガーディアンは「気にするなよ」とでも言いたげに、さらにもう一度だけ優しく撫でる。
するとゴーストの身体が、ふるふると震え始めた。
「元はといえばあなたが原因だということを忘れないでくださいっ!!」
突然の怒声に、ガーディアンの手が止まった。
(・ω・)?
本気で意味が分からないと言わんばかりにまた首をこてん、と傾げる。
その仕草を見たゴーストの震えがさらに大きくなった。
「その顔をやめてください!本当に何も分かってない顔をしないでください!!」
「……駄目だわ、これ」
霊夢が額へ手を当てる。隣では魔理沙も完全に笑いを隠せなくなっていた。
「でも、なんだかんだ仲良いよな、あいつら」
「今それを言う?」
そんなやり取りが交わされる一方で、少し離れた場所では別の人物にも異変が起こり始めていた。
パチュリーが、先ほどからほとんど動いていない。
普段から大きく感情を表へ出す方ではないが、今の静けさはいつもの落ち着きとは明らかに違った。紫色の瞳を虚ろにさせたままガーディアンを見つめ、口の中で何かを小さく呟いている。
「雪だるま……」
「パチェ?」
バルコニーからレミリアが怪訝そうに眉を寄せる。
「求愛行動……」
「パチュリー様?」
小悪魔も不安そうに顔を覗き込んだ。
「回復……休憩……成人男性……雪だるま……ハート……」
どうやら一連の出来事を順番に整理しようとしているらしい。
しかし、一つ思い出すたびに彼女の瞳から少しずつ光が失われていく。
そしてついに。
「…………むきゅー」
パチュリーの身体がぐらりと傾いた。
「パチェ?」
レミリアが目を見開いた次の瞬間、彼女はそのまま力なく倒れ込んだ。
「パチェえええええええええっ!!?」
「パチュリー様ああああああああ!!?」
レミリアと小悪魔の悲鳴が重なる。
小悪魔は慌てて駆け寄り、倒れたパチュリーの肩を抱き起こした。
「パチュリー様、しっかりしてください! パチュリー様!」
「……むきゅー……」
「駄目です!情報量が許容量を超えてます!」
「何の許容量よ!」
霊夢が思わず突っ込んだ。
数分前まで、庭園では咲夜とガーディアンによる息を呑むような決闘が繰り広げられていたはずだった。咲夜は未知の戦闘技術を持つ相手へ必死に食らいつき、ガーディアンは常識外れの機動力で攻撃を捌き続け、観客達も二人の一挙手一投足を見逃すまいと真剣な表情で見守っていた。
それが今では、一人は雪だるまを作り、一人は顔を真っ赤にして怒り、一人は成人男性であることを必死に説明した結果さらに事態を悪化させ、ついには魔法使いが情報量に耐え切れず倒れている。
もはや先ほどまでの緊張感など、欠片ほども残っていなかった。
そんな混沌の中心で、ガーディアンがふと身体を動かした。
「…………?」
咲夜がその動きへ気づき、嫌な予感を覚えながら顔を上げる。
ガーディアンは何事もなかったかのように数歩前へ進むと、両脚を肩幅より少し広く開き、そのまま腰を深く落とした。続いて両腕を左右へ持ち上げ、まるで巨大な怪獣と対峙するどこかの『怪獣退治の専門家』のような、妙に様になった中腰の構えを取る。
姿勢だけを見れば、かなり格好いい。
しかし今この瞬間だけは、その場にいた誰も格好いいとは思わなかった。
何をしようとしているのか、あまりにも分かりやすかったからだ。
「…………まさか」
ゴーストが低く呟く。
ガーディアンはゴーストを見ると、次に咲夜を指差し、それから「さあ」と促すように片手を動かした。ゴーストの外殻が、僅かに震える。
「ガーディアン……本気ですか?」
ガーディアンは迷いなく頷いた。
「…………」
ゴーストはしばらく何も言わなかった。
今度ばかりは、本気で通訳を拒否したそうに見えた。
しかしガーディアンは急かすでもなく、先ほどの構えを保ったまま静かに待っている。その無言の圧力に耐え切れなくなったのか、ゴーストはとうとうすべてを諦めたように深い溜息を吐いた。
「……えーっと、ガーディアンがですね……」
咲夜は既に、嫌な予感しかしないという表情になっていた。
「……何でしょうか」
「『もうそんなこと言っている間に、息も整ったでしょ』」
「…………」
ゴースト自身も途中で一度言葉を止めた。
だが、言わなければならない。
「『よし、試合を始めようか!』……と」
庭園へ、再び沈黙が落ちた。咲夜は何も言わない。
霊夢も魔理沙も、数秒ほどガーディアンを見つめたまま固まっている。そして。
「ぶっ……!」
最初に耐えられなくなったのは、やはりケイドだった。
次の瞬間には腹を抱え、その場で前屈みになりながら爆笑する。
「だああああっはははははははははははは!!!!もう駄目だ!!お前マジで天才だわ相棒!!」
笑いすぎて涙まで浮かべながら、ケイドはガーディアンを指差した。
「自分から勝手に休憩を提案して、勝手に雪だるま作って、勝手に相手を雪遊びに誘って、ハートまで出しておいて!最後は『もう息整っただろ、始めようぜ』って、お前が勝手に再開させるのかよ!!」
ガーディアンは褒められたと思ったらしい。
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満足そうに親指を立てた。
「だから褒めてない!」
クロウが叫ぶ。しかし彼自身も、もはや笑いを堪える余裕がなく、片手で顔を覆いながら肩を震わせていた。
「お前……ある意味、目撃者よりやばいぞ……」
「…………」
その時だった。先ほどまで額へ手を当てたまま、何とか精神を保っていたイコラの身体が僅かに揺れた。
「……イコラ?」
クロウが違和感に気づいて顔を向ける。
イコラは無言だった。
普段であれば鋭い意志の宿っている瞳が、今は完全に虚空を見つめている。
口元が、小さく震えた。
「……ガーディアンとしての品性……」
「…………?」
「ウォーロックの威厳……バンガードの信用……異世界外交……始末書……雪だるま……求愛……成人男性……」
「イコラ?」
クロウの声音に、はっきりと不安が混じる。
「始末書千枚……二千枚……三千枚……いえ、もう枚数の問題じゃ……そもそも、どうして私は毎回この男の後始末を……」
そこでイコラの目から、完全に光が消えた。
「…………もう、だめ」
「え?」
クロウが目を見開く。
イコラの身体が、ゆっくりと前へ傾いた。
「い、イコラ!?」
クロウが慌てて手を伸ばしたが、僅かに遅い。
「………………むきゅー」
あのイコラ・レイがクルーシブルで数え切れないほどのガーディアンを打ち倒し、その名を知らぬ者などほとんどいないほどの歴戦のウォーロックが戦闘でも何でもないところで、見事なまでに前のめりに倒れた。
「イコラああああああああああああっっ!?」
クロウが慌てて駆け寄る。
「しっかりしろ、イコラ! 大丈夫か!?」
床に伏したイコラは、かろうじて意識だけはあるらしい。
「…………もう……私じゃあの男をどうにもできない……」
掠れた声が聞こえる。
「始末書……好きなだけ……書きなさい……」
「イコラ!?」
その光景を目にしたケイドが、一瞬だけ呆然とした。
だが。次の瞬間。
「ギャハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」
この日最大級の笑い声が庭園へ響き渡った。
「見ろ相棒!!やったぞお前!!」
ケイドは腹を抱えながらガーディアンを指差す。
「クルーシブルの最強チャンピオンを倒したぞ!!あのイコラ・レイを、銃も撃たず、光も使わず、ただの奇行だけでぶっ倒しやがった!!ギャハハハハハハ!」
「ケイド!」
クロウがイコラを抱き起こしながら怒鳴る。
「笑ってる場合じゃないだろ!」
「いや、だってお前! あのイコラだぞ!? 昔クルーシブルで散々ガーディアンを叩きのめしてた女が、相棒の雪だるまとハートと『成人男性』でノックアウトだぞ!?こんなの笑わずにいられるかよ!」
「その説明を本人に聞かせるな!」
「…………ケイド」
地面へ倒れたまま、イコラの低い声が響いた。
ケイドの笑いが一瞬だけ止まる。
「……ん?」
「あとで……あなたも……始末書……書かせるわ」
「俺もかよ!?」
再び庭園が笑いに包まれる。
しかし、その騒ぎの中で、一人だけ笑っていない者がいた。
……咲夜だった。
「…………」
先ほどから、まったく動いていない。
俯いたまま、両腕を身体の横へ垂らしている。
その銀色の前髪に隠れ、表情はよく見えなかった。
ただ、肩が震えていた。
ほんの僅かに細かく。
最初、それを見た霊夢は笑いを堪えているのかと思ったが、違った。
「……あれ?」
霊夢の笑顔が消える。魔理沙も咲夜の異変に気づき、僅かに眉を寄せた。
「お、おい……なんか様子おかしくないか?」
美鈴は、二人よりもさらに早く意味を理解したらしい。
先ほどまで笑いを堪えていた顔から、急速に血の気が引いていく。
「あ……咲夜さん……っ」
美鈴は咲夜から目を離さない。
「本気で怒ってます」
霊夢が怪訝そうな顔をする。
「いや、さっきからずっと怒ってたじゃない」
「違うんです」
美鈴は即座に首を振った。
「さっきまでは、まだ怒鳴れてました。文句も言えてました。でも咲夜さん、本当に怒ると……」
そこで言葉を止める。
言う必要がなくなった。
咲夜の周囲に漂う雰囲気そのものが、目に見えない形で変わり始めていたからだ。
妖精メイド達の笑い声が一つ、また一つと消えていく。
小悪魔も倒れたパチュリーを支えながら顔を上げた。
レミリアの口元から笑みが消える。
フランドールも、何かを感じ取ったのか首を傾げながら咲夜を見つめた。
そして咲夜が、ゆっくりと顔を上げた。
「…………」
その場にいた誰も、すぐには声を出せなかった。
咲夜は笑っていた。
正確には、口元だけが笑っていた。
頬は不自然に引きつり、こめかみには何本もの青筋が浮かび、紅い瞳は先ほどまでとは比べ物にならないほど充血している。
「…………ガーディアンさん」
その声は、不気味なほど穏やかだった。
ガーディアンが首を傾げる。
「?」
咲夜の右目が、ぴくりと痙攣した。
「ええ……そうですね」
ゆっくりと身体を起こしていく。
確かに、呼吸は整っていた。
先ほどまで肺が焼けるように苦しく、立っているだけでも辛かったはずなのに、今はその疲労すら頭から吹き飛んでいる。
「お陰様で……」
咲夜は腰へ手を伸ばした。
指先が、ナイフの柄へ触れる。
一本。
続いて、もう一本。
それまでなら戦闘のために引き抜かれていた銀の刃が、今だけはまるで別の意味を持っているように見えた。
「すっかり……」
咲夜の口元の笑みが、さらに深くなる。
「元気に……」
最後のナイフを握る。
「なりました……」
ぎり、と。
ナイフの柄を握る指に力が入った。
その言葉を聞いたガーディアンは、自分の気遣いが役に立ったとでも思ったのだろう。
嬉しそうに頷く。そして、能天気にも親指を立てた。
「……………………」
その瞬間、咲夜の頭の中を、この数分間の出来事が一気に駆け巡った。
こちらが死に物狂いで戦い、疲労で立っていることすら辛くなっている最中に、突然回復グレネードを投げられた。
勝手に休憩を提案された。
椅子へ逆向きに座られた。
雪だるまを作られた。
一緒に作らないかと誘われた。
巨大なハートを出された。
「癒されろ」と言われた。
周囲から口説かれていると勘違いされた。
主人と妹君から腹を抱えて笑われた。
妖精メイド達から「雪だるまデート」とまで囃し立てられた。
そして相手が「れっきとした成人男性」であると、何故か改めて強調された。
その騒動の果てにはパチュリーが倒れ、イコラまで倒れた。
それなのにそのすべての原因である男は何事もなかったかのように。
『息も整っただろうからなら、そろそろ始めようか!』
と言い出した。
しかも今、こちらが「元気になった」と言ったことへ。
嬉しそうに親指を立てた。
「……………………」
咲夜の手が震えた。
怒鳴りたい。
文句を言いたい。
何か一言でも返してやりたい。
しかし怒りが大きすぎて、言葉が出てこなかった。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!!!」
喉の奥から、声にならない音だけが漏れる。
紅い瞳が、真っ直ぐガーディアンを射抜いた。
先ほどまで胸を締め付けていた恐怖も。
自信を削っていた焦りも。
身体を蝕んでいた疲労も。
もはや何も残っていない。
今の十六夜咲夜の胸を満たしているのは、ただ一つだった。
純然たる。
圧倒的な。
そしてこれ以上ないほど明確な――怒り。
美鈴の額に冷や汗が浮かぶ。
「……ああ」
その声を聞いて、霊夢が隣を見る。
「何よ?」
美鈴は答えなかった。
ただ、これから起こることを悟ったように、僅かに顔を引きつらせている。
咲夜はナイフを握ったまま、ゆっくり右腕を持ち上げた。
その動作は決して大きくない。
派手でもない。
だが、彼女を知る者達には、それだけで十分だった。
レミリアの表情から完全に笑みが消える。
パチュリーを介抱していた小悪魔も息を呑む。
妖精メイド達は誰からともなく黙り込み、先ほどまで笑い転げていたフランドールですら、興味深そうに咲夜を見つめ始めた。
クロウも異様な気配を感じ取ったのか、倒れたイコラを支えながら顔を上げる。
ケイドもようやく笑いを止めた。
それでも、ガーディアンだけはまだ何も分かっていなかった。
「?」
また、不思議そうに首を傾げた。
それが最後だった。
咲夜の頬が、びくりと引きつる。
「………………………………!!!!」
握り締められた銀のナイフが、小さく震える。
そして彼女の紅い瞳から。
最後に残っていた僅かな理性が、静かに消えた。
十六夜咲夜の怒りは――ついに頂点へ達した。