東方天命録~The Final Shape Begins~ 作:はならむ
「~~~~~~~~~~~~っ!!!!」
咲夜の喉から、もはや言葉にすらならない声が漏れた。
握り締められたナイフが細かく震えている。回復グレネードを投げられ、勝手に休憩を提案され、椅子を出して寛がれたかと思えば、その場で雪だるままで作られた。挙げ句の果てには「一緒に作らないか」と誘われ、巨大なハートまで見せつけられたせいで、霊夢と魔理沙には口説かれているのではないかと疑われ、妖精メイド達からは「雪だるまデート」などと囃し立てられる始末。
さらには、その全てを引き起こした男がゴーストによって「れっきとした成人男性」であると堂々と宣言され、そのあまりの情報量にパチュリーとイコラまで倒れた。
それだけ散々周囲を引っ掻き回しておきながら、張本人は最後まで何が悪かったのかまったく理解していない。そして今――。
『もう息も整っただろうから、始めよう』と。
まるで何事もなかったかのように、主催者且つ自分の仕えるレミリアそっちのけで勝手に試合を再開しようとしている。
「も……」
咲夜の唇が震えた。
「も、も……!」
目の前では、ガーディアンが妙に様になった中腰姿勢のまま、こちらが構えるのを静かに待っている。
その姿を見た瞬間。
ついに、咲夜の中で最後まで残っていた何かが切れた。
「もう許しませんっ!!」
怒声が紅魔館の庭園全体を震わせた。
「本気を出します!!」
「さ、咲夜……………!?」
その言葉に真っ先に反応したのは、二階のバルコニーから様子を見ていたレミリアだった。
先ほどまでガーディアンの奇行に腹を抱えていた彼女の表情から、一瞬にして笑みが消える。
「あなた待ちなさ――」
だが、その制止が届くより早かった。
咲夜の左手が腰元へ伸び、銀色に輝く懐中時計を引き抜く。その蓋が乾いた音を立てて開き、紅い瞳が鋭く細められた。
「幻世――」
レミリアの顔色が変わる。
「『ザ・ワールド』!!」
……………。
……………………。
………………………………。
――そして世界から、すべての音が消えた。
庭園を吹き抜けていた風も、風に揺れていた木々の葉も、噴水から零れ落ちていた水滴も、その瞬間に完全な静止へと変わる。驚いて身を乗り出したレミリアも、何が始まるのか分からず咲夜を見つめていた霊夢達も、先ほどまで腹を抱えていたケイドも、すべてが一枚の絵へ閉じ込められたように止まっていた。
当然、ガーディアンも同じだった。中腰に構えたまま、一切動かない。
「やっと、捕まえた…………」
ただ一人、十六夜咲夜だけが、停止した世界の中を歩いていた。
荒れていたはずの呼吸は、今や不自然なほど静かだった。それは怒りが収まったからではない。むしろ逆で、感情が限界を越えすぎたせいで、叫び続けることすら必要なくなってしまっただけだった。
咲夜はゆっくりとガーディアンへ近づき、その無防備な姿を正面から睨み上げる。
「人をここまでコケにするのが……」
指先に挟んだ一本のナイフを持ち上げる。
「そんなに楽しいのですか……?」
銀色の刃が、ガーディアンの胸元へ向けられたまま空中へ置かれる。
続いて二本目。
三本目。
四本目。
咲夜は停止した時間の中を滑るように移動しながら、次々とナイフを配置していった。
正面だけではない。
左右。
背後。
頭上。
斜め上。
さらには、ガーディアンが咄嗟に身体を沈めたり、横へ飛び退いたりしたとしても逃げ道がなくなるよう、死角となり得る場所へまで念入りに刃を置いていく。
十本。
二十本。
三十本。
それでも咲夜の手は止まらない。
いつしかガーディアンの周囲は、無数の銀色によって巨大な球体を形作るように包囲されていた。
地上を走ろうが。
スライディングを使おうが。
空中へ跳び上がろうが。
イカロスダッシュで軌道を変えようが。
時間が動き出した瞬間には、その全ての逃げ道を塞ぐようにナイフが殺到する。
「なら……」
咲夜は最後の一本を指先へ挟み、ガーディアンの真正面まで戻った。
「その身体で、思い知りなさい」
停止したガーディアンは何も答えない。
当然だった。
彼には、自分の周囲が既に無数の刃で埋め尽くされていることすら認識できていない。
咲夜は銀の懐中時計へ視線を落とす。
その瞳には、先ほどまでの困惑も羞恥もなかった。
残っているのは、煮えたぎるような怒りだけ。
「時よ……動け」
低く告げる。
「そして、この不届き者の身体を――血で染めなさい」
次の瞬間。時計の針が、再び時を刻み始めた。
「ッ――!?」
ガーディアンの身体が大きく跳ねた。
彼にとっては、一瞬前まで自分の周囲には何も存在していなかった。
咲夜も離れた場所にいたはずだった。
それが突然。
視界の全てを埋め尽くすほどの銀色が出現した。
回避しようと考えるよりも早く、無数のナイフが全方向から殺到する。
ドドドドドドドドッ――!!
鈍い衝突音が立て続けに響き渡った。
胸部。
肩。
腕。
脇腹。
太腿。
背中。
装甲の隙間。
一瞬にして全身へ銀の刃が突き立てられる。
いくらガーディアンの鎧が頑丈とはいえ、その全てを防ぎ切ることなどできなかった。
「――――」
声すら上がらない。
ガーディアンの膝から力が抜ける。
身体が前へ傾き、そのまま大量のナイフを突き立てた状態で石畳へと倒れ込んだ。
どさっ。
その音が。
異様なほど大きく庭園へ響いた。
「…………」
誰も。すぐには声を出せなかった。
つい先ほどまで雪だるまを作り、ハートを出し、何が問題なのか理解できないまま首を傾げていた男が、今は全身から銀色の刃を生やし、まるで巨大な針鼠かサボテンのような有様で地面へ伏している。
しかし、その姿を笑える者など一人もいなかった。
最初に我に返ったのは霊夢だった。
「な……」
顔から血の気が引く。
「な、何やってんのよ咲夜!?」
その隣で、魔理沙も目を見開いたまま倒れたガーディアンへ駆け出しかける。
「お、おい!これ本当にまずいだろ!」
彼女はガーディアンの身体へ突き刺さったナイフの数を見た途端、完全に顔色を変えた。
「急いで永遠亭の永琳のところへ運ばないと!あいつなら何とかできるかもしれない! このままじゃ本当に死んじまうぞ!」
「待って魔理沙、下手に動かしたら余計危ないんじゃ……!」
霊夢も慌ててその後を追おうとする。
その一方、美鈴は倒れたガーディアンを見たあと、今度は咲夜へ視線を移し、額へ手を当てながら大きな溜息を吐いた。
「あ~あ……」
小悪魔も完全に青ざめている。
「さ、咲夜さん……ついにやっちゃいましたね……」
先ほど倒れていたパチュリーも、小悪魔に身体を支えられながら何とか上体を起こしていた。その顔には疲労が残っているものの、今の一撃がどれほど危険なものだったのか理解しているだけに、呆れとも心配ともつかない表情で咲夜を見る。
「ほとんど彼が原因ではあるけど……怒りに任せてあれを使うなんて……少しやりすぎよ」
チルノと大妖精は、倒れたガーディアンを呆然と見つめていた。
「…………死んじゃった?」
チルノが普段とは比べ物にならないほど小さな声で呟く。
隣では大妖精も青ざめ、無意識にチルノの袖を掴んでいた。
「た、多分……」
「死んだのかー………」
ルーミアですら声が低い。そして文ですら、すぐには手帳へ筆を走らせなかった。
いつもならどんな騒動でも記事の種にしようとする彼女だったが、さすがに今回は表情を引きつらせたまま倒れたガーディアンを見ている。
「……これは、さすがに……記事にできませんね」
しかし幻想郷側が一斉に慌て始めた中。
まったく別の意味で固まっている者達がいた。
ケイド。
クロウ。
そして、先ほど精神的に倒れていたところから何とか復帰したイコラだった。
三人とも倒れたガーディアンを見ている。
だが、その表情に浮かんでいたのは恐怖ではない。
ケイドはただ目を丸くし、クロウは状況を理解できず眉を寄せ、イコラは何かを分析するように視線を細めていた。
「…………は?」
最初に声を漏らしたのはケイドだった。珍しく、その声にはいつもの軽薄さがほとんどない。
「今、何が起きた?」
クロウも理解できていない。
「一瞬前まで、普通に立ってたが――」
「ああ」
ケイドが頷く。
彼らにとっては、ガーディアンの周囲にナイフなど一本もなかった。
咲夜も離れた場所にいた。
それなのに。
次の瞬間には。
何十本もの刃がガーディアンの全身へ突き刺さり、本人は地面へ倒れていた。
「いやまてよ」
ケイドが片手を上げる。
「瞬間移動……じゃねえよな?」
「違うと思う」
クロウが即座に答えた。
視線は、倒れたガーディアンの周囲へ散らばるナイフへ向けられている。
「咲夜君自身が移動しただけなら、あれだけのナイフが全方向から同時に飛んでくる説明がつかない。正面、左右、後ろ、頭上……全部だ」
「だよなぁ……」
ケイドは顎を掻きながら、今度は咲夜を見る。
「しかも俺達には、あの娘が動いたようにすら見えなかったぞ」
クロウが小さく頷く。
「消えたようにも見えなかった。ただ……」
言葉を探すように一度間を置く。
「結果だけが突然現れた」
その表現を聞いた瞬間。イコラの瞳が僅かに細くなった。
「……結果だけが」
小さく呟く。
彼女はすぐには咲夜へ問いかけなかった。
代わりに庭園を見る。
木々。
噴水。
石畳。
空中へ落ちたまま転がっている銀のナイフ。
そしてガーディアンが倒れている位置。
頭の中で、直前の光景をもう一度組み立て直す。
咲夜は確かに数メートル離れた場所にいた。
ガーディアンの周囲には何もなかった。
その状態から認識できる時間的な間隔を一切挟まず咲夜の位置が変化し、ガーディアンの周囲へ大量のナイフが配置され、それらすべてが同時に運動を開始した。
高速移動……いや、違う。
いくら速く動いたとしても空間を移動する以上、そこには過程が存在する。
少なくとも自分達ガーディアンの知覚能力なら、何らかの残像、空気の変化、足音、光景の乱れ程度は捉えられるはずだ。
瞬間移動、それでも説明できない。
咲夜一人が場所を移したのならともかく。
あれだけ大量の物体を、一瞬のうちに、あれほど正確な位置へ配置するには複数回の動作が必要になる。
何よりナイフの角度があまりにも整いすぎている。
あれは一瞬で投げたのではない。
一つ一つ配置した。
そう考えなければ説明がつかなかった。
イコラの視線が鋭くなる。
そして――もう一つ彼女には気になることがあった。
「……まさか」
その声に、周囲の視線が集まる。
イコラはゆっくりと咲夜へ視線を向けた。
「彼女は、時間そのものへ干渉したの?」
「時間?」
クロウが振り向く。
ケイドも一瞬ぽかんとした顔をしたあと。
すぐに表情を引き締めた。
「おいおい」
彼は咲夜を見る。
それから倒れたガーディアン。
周囲に散らばる大量のナイフ。
もう一度、彼女を見た。
「……本気で言ってんのか、イコラ?」
「他に説明がつかないわ」
イコラは静かに答えた。
「少なくとも、単純な高速移動でも瞬間移動でもない」
「どうして分かる?」
クロウが尋ねる。イコラはガーディアンの周囲を指す。
「あのナイフよ」
無数に散らばった銀色の刃。
「配置されていた方向も、高さも、角度もすべて違う。それぞれをあの位置へ置くには、一回の動作では足りない。何十回もの動作が必要になる」
クロウの表情が変わる。
「でも、俺達には……」
「その時間が存在しなかった」
イコラが続きを言った。
「少なくとも、私達の認識する時間の中には」
一瞬、空気が静まった。
「私達の視点では、咲夜はあそこにいた」
イコラが、先ほど咲夜が立っていた場所を指差す。
次に倒れたガーディアンへ。
「そして次の瞬間には、彼女はこちらへ移動し、何十本ものナイフが既に攻撃態勢へ入っていた」
「途中が……丸ごとない?」
クロウが呟く。
「そう」
イコラは頷いた。
「正確には、私達から観測できる途中経過が存在しなかった」
その言葉に。ケイドがゆっくり顔を引きつらせる。
「…………」
そして数秒――。
「いや」
両手を広げた。
「ちょっと待て」
普段なら冗談めかして済ませるところだったが、今のケイドは本気で困惑していた。
「つまり何か?」
咲夜を指差す。
「あのお嬢ちゃん、俺達が瞬きする間に超高速で動いたとかじゃなくて」
今度は自分達全員を指差す。
「俺達の時間そのものを止めたってのか?」
「断定はできないけどその可能性は高いわ」
「…………」
ケイドの口が僅かに開く。
「マジかよ……」
そして思わず漏らす。
「あの娘、ベックスじみたことができるのか……?」
その単語に今度はイコラが反応した。
「似ているように見えるけれど、同じとは限らない」
「違うのか?」
ケイドが聞き返す。
「ベックスも時間を弄るだろ?」
「ええ」
イコラは頷く。
「ベックスは時間に対して極めて特殊な干渉能力を持っている。時間軸の異なる個体が存在することもあるし、特定の領域では因果律そのものが通常とは違う形で働くこともある」
一瞬、彼女の脳裏に浮かぶ場所。
――ガラスの間。
無数に分岐する時間。
存在そのものを歴史から消去しようとする力。
そんな光景が過る。
「でも――」
イコラは咲夜を見つめる。
「今の現象には、少なくとも私が知っているベックス特有の兆候がない」
「兆候?」
イコラは僅かに考えてから、幻想郷の者達にも分かるよう言葉を選んだ。
「ベックスが時間へ干渉する場合、多くは彼ら自身の構造物やネットワーク、特殊な空間など、何らかの条件が関わっていることが多い」
咲夜を見る。
「でも彼女は違う」
銀の懐中時計。
それを握る手。
そして、咲夜自身。
「ここにはベックスの装置もない。巨大な演算装置もない。時間異常を発生させる施設もない」
そこでイコラの目が僅かに鋭くなる。
「彼女自身が起点になっている」
パチュリーが、その言葉を聞きながら静かに目を細めた。
「しかも局所的な時間加速とも考えにくい」
「どうしてだ?」
ケイドが尋ねる。
「もし彼女だけが極端に加速していたなら、周囲に何らかの影響が出ても不思議ではない。空気との摩擦、衝撃、移動による風圧……少なくとも完全に何も起きないとは考えにくい」
ケイドが「ああ」と声を漏らす。
「確かにな」
先ほどまで咲夜が立っていた場所を見る。
「俺達、クロークすら少しも揺れなかったぞ」
クロウも頷く。
「音もなかった」
「そう」
イコラの視線がさらに鋭くなる。
「それに、彼女だけが高速化したというより……」
ほんの僅か言葉を止める。
「彼女以外のすべてが止められた、と考える方が自然ね」
その瞬間、ケイドの表情が完全に固まった。
「…………」
クロウも何も言わない。
イコラですら自分で口にした結論の異常さを理解していた。
ガーディアン達がこれまで相手にしてきた敵の中には。
空間を歪める者も。
現実を書き換える者も。
因果律へ干渉する者もいる。
ベックス。
ハイヴ。
アハンカーラ。
そして。
目撃者。
超常現象そのものには慣れている。
だからこそその異常さが分かる。
何の巨大装置も使わず、何の儀式もなく、庭園の真ん中で一人のメイドが当然のように時間を止めた。
「…………幻想郷」
ケイドがぼそりと呟く。
「どうなってんだよ、この世界は……?」
自分の世界でも超常的なことが起こるから、この世界の妖怪だとか妖精だとか、吸血鬼やら、魔法があるとかはまだ分かる、が――。
ケイドが倒れたガーディアンをちらりと見る。
そして咲夜へ視線を戻す。
「で?」
ほんの少しだけ口元を上げる。
だがいつもの完全な軽口ではない。
「本当に時間を止めたのか?」
パチュリーが静かに口を開く。
「そうよ」
イコラが彼女を見る。
「これが十六夜咲夜の能力。彼女は時間を操ることができるの。今のは時間そのものを停止させ、その間にあれだけのナイフを配置したのよ」
クロウの瞳が僅かに見開かれる。
「本当に時間を……止めた?」
「少なくとも、あなた達にはそう感じたでしょうね」
パチュリーは説明しながら、倒れたガーディアンへ視線を戻した。
「外から見れば何も起きていないようにしか見えない。けれど咲夜だけは止まった時間の中を自由に動ける。それが彼女の最大の強みの一つよ」
「…………本当にかよ」
ケイドが頭を掻いた。先ほどまでの冗談めいた表情は消えている。
「あの娘、マジでベックスじみたことができるのか……」
「だからそのベックスとかいうのと一緒にしないで」
パチュリーが淡々と返す。
「咲夜は咲夜よ」
「いや、そりゃ分かってるけどよ」
ケイドは苦笑した。
「俺達の知ってる連中で時間そのものにこんな真似する奴って言ったら、真っ先にあいつらが浮かぶんだよ」
イコラはまだ咲夜を見ていた。
その表情には驚きこそある。
だが、それ以上にウォーロックらしい強烈な知的好奇心が浮かび始めていた。
「時間の停止だけ?」
その問いにパチュリーが彼女を見る。
「何?」
「彼女の能力よ」
イコラは静かに続ける。
「止めるだけなの? それとも、加速、減速、時間の流れそのものを変えることもできる?」
「イコラ」
ケイドが横から口を挟む。
「研究者の顔になってるぞ」
「当然でしょう」
即答だった。
「目の前で時間操作を見せられたのよ」
イコラは咲夜から視線を外さない。
「しかもベックスの技術でも、光でも暗黒でもない。少なくとも、私が確認できる範囲では」
その一言にパチュリーも僅かに興味を示した。
「光でも暗黒でもない?」
「ええ」
イコラは頷く。
「私達の世界では物理法則を逸脱する現象の多くに何らかの原因がある。光。暗黒、パラコーザル、ベックス、アハンカーラ、ハイヴの魔術……」
そして咲夜を見る。
「でも今の現象は、そのどれにも当てはまらないように見える」
一拍。
「それが興味深い」
「おいおい」
ケイドが肩をすくめる。
「このままだと次は『一度詳しく測定させてもらえない?』とか言い出すぞ」
「可能ならお願いしたいわね」
「イコラ………」
クロウが苦笑する。そんな三人を前にパチュリーは小さく息を吐いた。そして咲夜へ僅かに厳しい視線を向ける。
「もっとも、模擬戦で頭に血を上らせて使うようなものではないけれど――で、彼どうするの?このままだと間違いなく死ぬわよ」
と、パチュリーの問いに全く焦る様子すら見せないイコラ、ケイド、クロウ。
「まあ、心配しなさんな」
と、ケイドがそれだけ言う。パチュリーは怪訝そうに目を細めた。
(彼があんな状態なのに慌てるどころかむしろ見慣れてる感じだわ…………)
彼女の憶測の一つが再び蘇り、脳裏によぎる。
(まさか……………っ)
パチュリーの視線が、倒れ伏したガーディアンから、その傍らに浮かぶ小さな機械――ゴーストへと移る。
先ほどから妙だとは思っていた。
彼らは誰一人として、仲間が致命傷を負う可能性そのものを恐れていない。
イコラに至っては腕を組んだまま、止めに入る素振りすら見せずに戦況を見つめている。クロウも同様だ。ケイドなど、今の一撃を目の当たりにした直後だというのに、肩をすくめただけだった。
それは信頼という言葉だけでは説明がつかない。
まるで――。
(『死ぬこと』そのものが、彼らにとって決着を意味していないみたいじゃない)
その一方で、そして咲夜の中に残っていた怒りが、急速に冷めていった。
視線がゆっくりと倒れたガーディアンへ向かう。
全身に刺さったナイフ。
まったく動かない身体。
そして、その向こう二階のバルコニーにはレミリアがいた。
「…………」
無言、無表情。
先ほどまで腹を抱えて笑っていた面影など、完全に消えている。
ただじっと咲夜だけを見つめていた。
「…………あ」
咲夜の顔から血の気が引いた。
その瞬間になってようやく、自分が何をしたのかという現実が一気に押し寄せてくる。
相手は自分へまともな攻撃をほとんど仕掛けていなかった。
それなのに自分は怒りに任せ、時間を止め、逃げ場がなくなるほど大量のナイフを配置し。
その全てを相手の身体へ突き刺した。
「し……」
握っていたナイフが手から滑り落ちる。
からん、と石畳へ乾いた音が響いた。
「しまった……!」
咲夜は恐る恐るレミリアへ視線を向ける。
「お、お嬢様……?」
彼女はまるで見下すかのような鋭い目で睨み付けるようで返事がない。その沈黙が何より恐ろしい。
「その……これは……」
咲夜の視線が右へ泳ぎ、続いて左へ。
完全に狼狽していた。
「ち、違うんです。いえ、何が違うのかと聞かれると、その……つい、頭に血が上って……」
そんな咲夜の動揺など気にも留めず、魔理沙は今にもガーディアンを抱き起こそうとしていた。
「とにかく永遠亭だ! 永琳なら人間だけじゃなく妖怪だって診られるんだから、急げばまだ――」
「まあ落ち着けって」
その言葉を遮ったのは意外にもケイドだった。
魔理沙が勢いよく振り返る。
「いや何でだよ!?」
ケイドは倒れた相棒を見ながら、妙に落ち着いた顔をしていた。
「そんな慌てんなって」
「慌てるだろ普通!」
魔理沙が怒鳴る。
霊夢も信じられないものを見るような目をケイドへ向けた。
「そうよ!どう見ても致命傷じゃない!あんた達仲間でしょうが!」
それでもケイドは焦らない。
クロウも、先ほどまでは咲夜の能力そのものに驚いていたものの、ガーディアンが倒れていること自体には驚くほど冷静だった。
やがてケイドは倒れたガーディアンを上から見下ろし、顎へ手を当てながら苦笑する。
「にしてもまあ……やっとやられたか」
「…………え?」
咲夜が思わず振り向く。クロウも小さく頷く。
「ああ、最後の最後で油断しきっていたせいだな」
「無自覚に咲夜ちゃんを煽りすぎたな、自業自得だぞ相棒」
「ちょっと待ちなさい!」
霊夢の頬が引きつる。
「何であんた達、そんな他人事みたいなの!?」
ケイドは改めてガーディアンを見る。
「あーらら」
身体には大量のナイフが刺さったままだ。
「まあ……普通の人間なら間違いなく死んでるなこりゃあ」
「だから言ってるでしょうが!!」
霊夢の怒声が飛ぶ。魔理沙も完全に苛立った顔になる。
「だったら早く助けろよ!こっちは永琳のところまで運ぼうって言ってるんだぞ!」
「まあまあ」
ケイドは片手を軽く振った。
「だから落ち着けって。ほら、見てな」
そして倒れたガーディアンのすぐ近くを指差す。
「ゴースト。出番だぞー」
「…………?」
霊夢達が揃ってそちらを見る。
「咲夜ちゃん!」
「!?」
「何も心配しなくていいからな!よおく見とけ!」
ケイドが咲夜に声をかけると同時に、ガーディアンのゴーストが、倒れた主人の上へゆっくり浮かび上がった。
その瞬間、パチュリーだけが僅かに眉を寄せた。
(……………あの仮説が本当に?)
彼女は蘇生という仕組みを知っていたわけではない。
ただ。
ケイドもクロウもイコラも、どう見ても致命傷を負った仲間を前にして、あまりにも落ち着きすぎている。
それが妙だった。
特にケイドの「ゴースト、出番だ」という言葉。
あの小さな機械生命体が何らかの手段を持っているのは間違いない。
しかし、それが何なのかまでは……。
自身のあり得そうにない仮説が本当に――。
そんな彼女の疑問をよそに、ゴーストは倒れたガーディアンの上で静止する。
先ほどまで主人の奇行に振り回され、泣きそうになったり怒鳴ったりしていた時とはまるで違う。
声にも迷いがなかった。
「蘇生します!」
「………………!!」
パチュリーの目が僅かに見開かれる。
霊夢も。
魔理沙も。
咲夜も。
その言葉の意味をすぐには理解できなかった。
次の瞬間。
ゴーストのシェルが開くと中心部から、強い青白い光が放たれた。
その光が倒れたガーディアンの身体全体を包み込む。
「な、何してるの?」
霊夢が呟く。
そして。
全身をナイフに貫かれていたガーディアンの身体が、光の粒子へと変わった。
「えっ?」
咲夜の目が大きく見開かれる。
身体そのものが消失したことで、それまで刺さっていたナイフが一斉に支えを失う。
カラン、カラン、カランカラン――。
無数の銀の刃が次々と石畳へ落ち、乾いた音を庭園に響かせた。魔理沙も完全に動きを止める。
「消え……た?」
しかしそれで終わりではなかった。
倒れていた場所から少し離れたところへ、今度は青白い光の粒子が集まり始める。
最初はぼんやりとした人型だった。
やがて。
脚が形作られ。
胴体が形成され。
両腕が現れ。
最後に頭部と装甲が再構築される。
そして一際強い光が弾けた。
「…………」
そこにガーディアンが現れて地面に降り立つ。
傷一つない。
ナイフも一本も刺さっていない。
先ほどまで全身を貫かれ、完全に動かなくなっていたのが嘘のように。
ガーディアンは何事もなかったかのように首を左右へ回し、続けて肩を軽く動かした。
まるで長時間同じ姿勢で座っていたあと、少し凝った身体でも解すような仕草だった。
「………………」
何も言えなかった。
霊夢。
魔理沙。
咲夜。
美鈴。
パチュリー。
小悪魔。
文。
チルノ。
大妖精。
ルーミア。
バルコニーにいるレミリアとフランドール。
妖精メイド達。
幻想郷側の者達全員が目を点にして完全に固まっていた。
「…………は?」
ようやく霊夢の口から出たのは、それだけだった。
魔理沙は口を半開きにしたまま。
先ほどまで「永琳のところへ運ばないと」と本気で焦っていたにもかかわらず、その本人が傷一つない状態で立っている。
「なっ……………?」
指を差す。
「なにがおきたんだ……?」
咲夜も完全に理解が追いついていなかった。
間違いなく刺した。
あれだけの数を時間を止め、逃げ道を完全に塞ぎ。
その全てを身体へ突き立てた。
それなのに生きている。
「ほらな?」
ケイドが満足そうに笑う。
「大丈夫だって」
クロウも幻想郷側の面々を見回し、全員が揃って呆然としていることを確認すると、少しだけ苦笑した。
「みんな理解できていないな」
「当然よ」
イコラが静かに答える。
先ほどまでガーディアンの奇行によって精神的に倒れていた人物とは思えないほど、今の彼女は落ち着いていた。
「彼女達にとって、今の現象は完全に常識の外でしょうから」
霊夢がようやく我に返り、ガーディアンを指差した。
「ちょ、ちょっと待って!」
イコラが振り向く。
「今の何!?」
「蘇生よ」
「…………は?」
「文字通りの意味で」
霊夢の表情がさらに引きつる。
「いやいやいや、だってこいつ今死んでたでしょ!?」
「そうよ」
「あれだけナイフ刺さってたんだぞ!?」
魔理沙も割って入る。
「ええ。普通なら助からないわ」
「じゃあなんで普通に立ってんだよ!?」
二人の叫びが重なる。
イコラは少しだけ周囲を見回した。
霊夢達だけではない。
紅魔館側も。
チルノ達も。
文ですら。
全員が説明を求めるようにこちらを見ている。
「……ここで説明しておいた方がよさそうね」
イコラの表情が少しだけ真剣なものへ変わる。
「私達ガーディアンが、そもそもどういう存在なのかを」
庭園が静かになった。
イコラはガーディアンの隣に浮かぶゴーストへ一度視線を向け、それから話し始める。
「まず第一前提として、私達ガーディアンは元々普通に生きていた人間やアウォークン、エクソだった。でもガーディアンとして選ばれる前に一度死んでいる」
「…………一度?」
大妖精が小さく聞き返すとイコラは頷いた。
「そう。死んで、身体が朽ちたあとに、トラベラーによって生み出されたゴーストが適合する者を探し出す。そして選ばれた死者へ光を与え、再び生命を取り戻させる」
幻想郷側の面々から、僅かなどよめきが上がった。
「ただし、その時に生前の記憶は失われる。自分が何者だったのか、どこで生まれ、どういう人生を送っていたのか。家族がいたのかどうかさえ、普通は分からない」
「名前も?」
小悪魔が恐る恐る尋ねる。
「ええ。名前もよ」
イコラの答えに、霊夢達の視線が自然とガーディアンへ向かう。その横でゴーストが少しだけ前へ出た。
「ちなみに彼の場合は――」
自分のガーディアンを振り返る。
「私が彼を発見したのは、コスモドロームと呼ばれる場所でした」
「コスモドローム?」
魔理沙が聞き返す。
「我々の世界における黄金時代以前、人類が宇宙へ進出するために使っていた巨大な宇宙基地です。今では大部分が廃墟になっていますが」
ゴーストは静かに続ける。
「その外れに、大量の放棄された自動車が積み重なった場所がありました。私はそこで彼を見つけたんです」
僅かに間を置く。
「白骨化した遺体として」
「…………」
咲夜の表情が止まった。
魔理沙も。
霊夢も。
ガーディアンを見る。
「白骨……?」
「はい」
ゴーストは頷いた。
「どれほどの期間そこで眠っていたのかは分かりません。彼が生前どういう人物だったのかも、私は知りません。ただ、私は彼を選び、光によって身体を再構築させて目覚めさせました」
先ほどまで雪だるまを作っていた男。
巨大なハートを出した男。
咲夜を雪遊びへ誘った男。
ゴーストから「れっきとした成人男性です」と紹介され、周囲を完全に混乱させていた男。
その人物は、何らかの理由で廃墟で朽ち果てた白骨死体から蘇った人間だった。
あまりにも話の落差が大きすぎて、霊夢はしばらく何も言えなかった。
「…………さっきまでの雪だるまの話と同じ奴の話とは思えないわね」
「急に重すぎるぜ……」
魔理沙も珍しく神妙な表情になる。
そんな中。
パチュリーだけは、復活したガーディアンとゴーストをじっと見つめていた。
「……やっぱりそうだったのね」
霊夢がその言葉へ反応する。
「あんた、まさか分かってたの……?」
「ケイド達のクルーシブルの話を聞いて、もしかしたら――ぐらいだっただけよ」
パチュリーは平然としているガーディアンを見つめる。
「それにさっき、ケイド達があまりにも冷静だったでしょう」
パチュリーは静かに答えた。
「普通なら、仲間があれほどの傷を負えば真っ先に駆け寄るはず。それなのに三人とも、傷そのものを見てもまったく慌てていなかった」
ケイドが僅かに眉を上げる。
「そこ見てたのか」
「ええ。だから、何か私達の知らない手段があるとは思ったわ」
パチュリーの視線がゴーストへ向かう。
「特にあなたが『ゴースト、出番だ』と言った時点で、この小さな存在が何かをするのだろうとは予想できた」
そこでほんの少しだけ苦笑する。
「でも、まさか本当に死者そのものを蘇らせるとは思わなかったけれど」
ケイドは感心したように口元を上げた。
「あんた、さすがだな。あの一瞬でそこまで考えてたのか」
「幻想郷では、見た目だけで判断していたら命がいくつあっても足りないもの」
そう答えたパチュリーだったが。
イコラはそこで、少し低い声を挟んだ。
「ただ、一つだけ誤解しないで」
その声音の変化に、霊夢達が再び彼女へ視線を向ける。
「ガーディアンは、絶対に死なない存在ではないわ」
先ほど目の前で蘇生を見せられたばかりだけに、その言葉は意外だった。
「え?」
大妖精が首を傾げる。イコラはゴーストを見る。
「今のようにゴーストが無事で、光との繋がりが保たれていれば、多くの場合は致命傷を受けても蘇生できる。でも、その条件が失われれば話は別」
その説明に、咲夜が少しだけ表情を引き締める。
「もしゴーストそのものが破壊されれば、そのガーディアンは二度と蘇生できない」
「……そうなんですか?」
咲夜の視線がゴーストへ向かう。
「ええ」
イコラは続ける。
「それに、強力な暗黒の影響下や、光そのものが届かない特殊な領域では、ゴーストが生きていても蘇生が妨げられることがある。私達はそういった場所を、『暗黒領域』と呼ぶことがあるわ」
クロウも小さく頷く。
「だから、不死身というよりは……条件付きで何度でも蘇れる、と考えた方が近い」
ケイドも今度は笑わなかった。
「だから間違えないでくれ。何回死んでも問題ないって意味じゃない。ゴーストをやられたら、それで終わりだ」
その言葉だけは先ほどまでの軽口とは違っていた。
すると霊夢はケイドに、
「そういえばケイド、あんたもガーディアンならゴーストがいるはずよね?見たことないけどどうしたの?」
「…………」
ケイドの表情から、笑みが消えた。
クロウも何も言わない。
ただ一瞬だけ、ケイドから視線を逸らした。
その変化を見て、霊夢も言葉を止める。
「霊夢、悪いけどその話は、今はやめておきましょう」
イコラが静かに言った。
「…………分かったわ」
イコラは割り込むようにはぐらかし、静かに言葉を重ねる。
「私達にとってゴーストは、装備でも便利な道具でもない。文字通り、命を預ける相棒よ」
「…………」
咲夜は、ゆっくりとゴーストを見る。
先ほどまで。主人の奇行に振り回され、余計なフォローをして自爆しイコラから始末書を書くよう言われ、ガーディアンに撫でられて逆に怒鳴っていた。
そんな小さな存在が本当にガーディアンの命を握っている。
「……ということは」
咲夜は恐る恐る口を開いた。
「先ほど、私は……」
言葉が詰まる。
「この方を……本当に、一度……?」
ゴーストは一瞬だけガーディアンを見上げたあと、何の悪気もなく答えた。
「はい」
そして声で付け加える。
「完全に死んでました」
「………………」
咲夜の顔からまた血の気が引いた。
「で、でも蘇生できたので大丈夫ですよ!」
「大丈夫じゃありません!!」
咲夜の絶叫が庭園中へ響き渡った。
その時。
「咲夜」
二階のバルコニーから、静かな声が落ちてきた。
「…………っ」
咲夜の肩が跳ねる。見上げれば、レミリアが腕を組み、冷たい視線をこちらへ向けていた。
「お、お嬢様……」
「相手が生き返ったからって、今のは見過ごせないわよ」
「…………」
「これは模擬戦よ。頭に血を上らせて、本当に相手を殺してどうするの」
咲夜は俯く。
「……申し訳ありません」
「どれだけ腹が立っても、勝負の範囲を越えた時点であなたの落ち度よ。そこは分かってるわね?」
「……はい」
咲夜は小さく頷いた。そしてガーディアンへ向き直ると、深く頭を下げる。
「申し訳ありませんでした。完全に我を失っていました」
ガーディアンはしばらく咲夜を見たあと、右手の親指を立てた。
「……許してくださるのですか?」
こくり。ガーディアンが頷く。
「本人は全然気にしてません」
ゴーストが明るく付け加える。
「相棒、反省しろ。咲夜ちゃんを振り回ししすぎだ」
ケイドからも咎められて親指をグッと上に突き出すガーディアンにクロウは苦笑いした。
「ホントに分かってるのかあいつ……」
そしてレミリアは小さく息を吐いた。
「なら今回はそれで終わり。ただし咲夜、次はないわよ」
「はい。心得ています」
「よろしい」
ようやく咲夜が胸を撫で下ろした――その直後。
――カチャ。
「…………?」
ガーディアンが再びラスト・ワードを構えた。
「…………」
一同が固まる。霊夢の頬が引きつった。
「いや、あんたまだ続ける気なの!?」
ガーディアンは不思議そうに首を傾げた。
「?」
「『?』じゃないわよ!!」
ケイドが堪え切れず吹き出す。
霊夢は額を押さえ。
魔理沙は「だから永琳のところへ運ぼうとしたんだよ!」と頭を抱え、美鈴もとうとう苦笑した。
そして。完全に元通りになったガーディアンだけは。
なぜ咲夜がまた突然取り乱したのか最後まで理解できないまま。
「?」
と、いつものように、不思議そうに首を傾げていた。