東方天命録~The Final Shape Begins~ 作:はならむ
「では――始め!」
ケイドの右手が振り下ろされ、その声が庭園へ響いた――ほとんど、それと同時だった。
ガーディアンの全身を青白いアークの電光が駆け抜ける。
次の瞬間、彼の姿がその場から弾き出された。
「――っ!?」
観戦していた全員の顔色が変わった。
地面を蹴った、という表現だけでは到底足りない。アークの力によって身体能力を極限まで引き上げる『スピードブースター』に加え、長距離の移動能力を高めるウォーロック用の脚部装具『横断のブーツ』。それらを同時に生かしたガーディアンは、まさしく韋駄天の如き速さでクロウへ向かっていた。
しかし、ただ一直線に突進しているわけではない。
右へ滑り込み、石畳を蹴りつけるように立ち上がったかと思えば、すぐさま反対方向へ身体を倒して再びスライディング。次の瞬間にはまた軌道を変え、そのたびに青白い電光が残像のように庭園へ刻まれていく。
しかも、その猛烈な移動の最中にも、彼の両手には既にショットガンが構えられていた。
「な、なにあのスピード!?」
思わず霊夢が叫ぶ。
先ほど咲夜と模擬戦をしていた時のガーディアンも十分に速かった。地面を滑り、空中へ飛び、イカロスダッシュで弾幕の間を抜け、着地と同時に次の行動へ移る。咲夜自身も、それまで見たことのない動きに幾度となく翻弄された。が、
今の動きはそれとは明らかに性質が違う。
先ほどまでは「攻撃を避けるため」の機動だった。
今は――相手を仕留めるための機動だった。
「うおっ……!」
クロウも即座に危険を察した。
ガーディアンが動き出した瞬間には既に踵を返し、全力で庭園の反対側へ向かっている。ハンターらしい身軽さで瓦礫を飛び越え、短いスライディングを織り交ぜながら少しでも距離を広げようとする。
だが、広がらない。
むしろクロウが一度振り向くたび、ガーディアンの姿は確実に大きくなっていた。
「速すぎるだろ、あいつ!」
クロウが悪態をつきながらさらに速度を上げる。
しかしガーディアンは、単に後ろから追いかけているだけではなかった。
クロウが右へ向かえば、自分は少し左寄りの進路を取る。遮蔽物へ逃げ込もうとすれば、その出口を塞ぐように角度を調整する。クロウ自身に逃げ道を選ばせながら、最終的には自分が望んだ場所へ追い込もうとしている。
その様子を見て、美鈴がはっと息を呑んだ。
「……ただ追いかけているんじゃない。クロウさんが逃げる場所を、少しずつ限定してる……」
隣に立つケイドだけが、比較的平然とした表情で頷いた。
「ああいう奴は、敵をただ追っかけたりしねえんだよ。相手が『こっちなら逃げられる』って思う場所を残して、そこへ自分から入らせる。そして――」
ケイドは指先を軽く鳴らしながら、口元を歪める。
「選ばせた場所で仕留める」
咲夜の紅い瞳が鋭く細められた。
彼女には、その言葉の意味がよく理解できた。
自分も戦闘中、相手の逃げ道を塞ぎ、攻撃の方向を限定するようにナイフを配置することがある。しかしガーディアンが今行っているのは、それを弾幕ではなく、自身の移動だけで成立させるような戦い方だった。そして、ついにその瞬間が来る。
「うおっ!?」
クロウが振り返った時には、既に目の前にショットガンの銃口があった。
――速い、あまりにも速い。
狙いを定めてから撃つのではなく、スライディングの最中に銃口がクロウの身体と重なったほんの一瞬、その刹那だけを拾って引き金を引く。
だがクロウもまた、数え切れないほどの戦場を経験したガーディアンだった。
「くっ!」
発砲の寸前、クロウの身体が横へ回るように大きく翻る。
――【狙撃手の回避】
ほとんど地面を転がるような低い姿勢で射線から外れた直後、凄まじい発砲音が庭園を揺らした。
ショットガンから吐き出された大量のペレット弾がクロウの脇を通過し、その後方にあった石畳を派手に抉り飛ばす。
「ひっ……!」
大妖精が思わず肩を震わせた。
しかしクロウは止まらなかった。
回避の勢いを利用してそのまま跳躍し、さらに空中で二度目の跳躍を行う。ハンター特有の二段ジャンプで一気に高度を取りながら、右手でホークムーンを抜き放つ。
「今度はこっちの番だ!」
乾いた銃声が連続して響く。
一発、二発、三発。
さらにその合間を縫うように、左手からナイフが投げ放たれた。
銃弾と刃が、地上を走るガーディアンへ集中する。
だが、当たらない。
ガーディアンはクロウが撃つ瞬間ごとに細かく進路を変え、時には身体を沈ませ、時には僅かに横へ跳ぶだけで攻撃を外していく。
ホークムーンの弾丸が肩口を掠め、ナイフが頭部装甲のほんの数センチ横を通過する。それでもガーディアンの足は一度として止まらなかった。
「当たらない……」
チルノがぽかんとした表情で呟く。
美鈴はその言葉を聞きながら、ゆっくりと首を横に振った。
「違うよ。あの人……当たらないんじゃない。クロウさんに、当てさせないように動いてる」
クロウ自身もそれを理解していた。
「ちっ……!」
着地寸前、彼は舌打ちすると左腕を大きく振る。
燃え盛るソーラーグレネードが弧を描き、ガーディアンの進路上へ投げ込まれた。
着弾。
次の瞬間、橙色の炎が地面から噴き上がる。
「これなら――!」
クロウの顔に一瞬だけ安堵が浮かぶ。
だが、ガーディアンは炎へ突っ込まなかった。
ソーラーの炎が膨れ上がる直前、身体を地面すれすれまで倒し、ほとんど直角に近い角度で横方向へスライディングする。そのまま炎の範囲を回り込みながら、左手をクロウの着地点へ向けて振った。
小さな物体が石畳を転がる。
青白い光が瞬く。
「――え?」
クロウの顔から、さっと血の気が引いた。
――【パルスグレネード】!
「しまっ――!」
着地と同時だった。
バチィッ!!
空気そのものを引き裂くような音と共に、アークエネルギーが爆発した。
「ぐああああっ!!」
クロウの身体を、青白い電撃が容赦なく貫く。
一度ではない。
地面に形成されたアークの領域から、心臓の鼓動のような一定間隔で強烈な電撃が放たれ、そのたびにクロウの全身が跳ねた。
「クロウさん!」
美鈴が思わず叫ぶ。
その声に反応した者は多かった。
だが――ガーディアンだけは違った。
苦しむクロウを見ても、動きを止めない。
むしろ一切の躊躇なく、そのまま距離を詰め続けている。
「え……?」
咲夜の唇から、思わず小さな声が漏れた。
普通であれば、少なくとも一度は確認する。
相手が倒れたのか。
まだ戦えるのか。
降参するのか。
幻想郷の決闘であれば、なおさらだった。相手が大きな傷を負えば、一瞬でも攻撃の手を緩める者がほとんどだ。
しかしガーディアンには、その一瞬が存在しない。
クロウはまだ生きている。
ならば戦闘は終わっていない。
ただそれだけだった。
「待って……!」
大妖精の震える声が届く。
もちろん、ガーディアンが止まるはずもない。
クロウが電撃に耐えながら、必死にホークムーンを持ち上げる。
「くそっ……!」
だが、その銃口が向くより早く、ガーディアンの全身から激しいアークの光が弾けた。
そして。
消えた。
少なくとも、霊夢達にはそう見えた。
「――!?」
実際には瞬間移動ではなかった。
ほんの一瞬で距離を消し去ったガーディアンは、次の瞬間には既にクロウの懐へ潜り込んでいた。
右腕にアークエネルギーが集中する。
そして、その腕が天へ突き上げられた。
――【ライトニングサージ】!!
引き裂くような轟音と共に庭園全体を真昼のように白く染め上げるほどの閃光が走る。
次の瞬間。
天から叩き落とされた雷撃が、クロウの身体を真正面から貫いた。
「――――っ!!」
絶叫は最後まで続かなかった。
クロウの身体が大きく仰け反り、全身が激しく痙攣する。
衣服の一部が焼け焦げ、皮膚から白い煙が立ち上る。
それから……糸の切れた人形のように、クロウはその場へ崩れ落ちた。
……動かない。
焦げ臭い匂いが、風に乗ってわずかに流れてくる。
一瞬前まで戦闘音に包まれていた庭園が、嘘のように静まり返った。
「…………」
誰も声を出せなかった。
ほんの十数秒前まで、余裕のある笑みを浮かべながらホークムーンを構えていたクロウが、今は石畳の上で物言わぬ骸となっている。
最初に声を漏らしたのは、大妖精だった。
「ひ……」
その顔がみるみる青ざめていく。
「ひ、ひいいいいいいいいいっっっ!!!!!」
彼女の悲鳴を合図にしたかのように、周囲の妖精メイド達も一斉に悲鳴を上げた。
「きゃあああああああっ!!」
「クロウさんが!」
「死んじゃった!」
「み、みんな見ちゃ駄目ーっ!」
年長らしい妖精メイドが慌てて仲間達を抱き寄せ、クロウの死体が見えないように顔を胸元へ押しつける。別の妖精達はその場にしゃがみ込み、両手で目を覆った。
大妖精は完全に身体を震わせていた。
その隣にいたチルノも、普段であれば真っ先に大声を上げて騒ぐところだったが、今回は違った。自身も明らかに顔を引きつらせながら、大妖精の手をぎゅっと握る。
「だ、大ちゃん……見なくていいから。ほら、あたいの方見なよ」
「う、うん……」
大妖精は震える声で答え、チルノの手を強く握り返した。
霊夢も。
魔理沙も。
美鈴も。
ルーミアも。
そして、吸血鬼であるレミリア、そしてフランドールですら、すぐには言葉が出てこなかった。
彼女達とて、戦いそのものを知らないわけではない。
妖怪退治もすれば、時には本気で命を奪い合うこともある。幻想郷が決して安全で平和なだけの場所ではないことも、そこにいる者達自身が一番よく知っている。
しかし、今目の前で起きたことには、それらとは全く別の不気味さがあった。
『相棒は良いヤツだが――――一度、本当の戦闘になれば情け容赦がなくなる』
霊夢の脳裏に試合中、ケイドの言っていた言葉を思い出した。
「…………………」
ガーディアンには怒りがない、憎しみもない。
クロウを嫌っているわけでもなければ、恨みがあるわけでもない――寧ろ大切な仲間だ。
それなのにあまりにも効率的に、あまりにも迷いなく友人を殺した。
「……こんなの」
射命丸文が、いつの間にか手を止めていた。
いつもならどんな異変でも、どんな珍事でも、即座に記事の題材へ変えてしまう彼女の手から、筆がゆっくりと下がる。
「……こんなの、記事にできない……」
冗談めかした調子は、どこにもなかった。
パチュリーもまた、眉間へ深い皺を寄せながらガーディアンを見つめていた。
先ほどまで行われていた咲夜との模擬戦が、頭の中へ蘇る。
あの時のガーディアンは、多彩な技を使った。
空中を滑るように飛び、炎を操り、弾幕の間を縫い、時には華麗に着地し、ラスト・ワードで咲夜のナイフを撃ち落とした。
戦闘ではある。
だが、見ている側が思わず感心するような華やかさも確かに存在していた。
今の戦いには、それが一切ない。
(……彼らの言っていたことは本当だった)
パチュリーは胸の奥で呟く。
(あれは戦いを魅せるための動きじゃない)
必要な時だけ撃つ。
必要な時だけ能力を使う。
相手が苦しんでいても、倒れかけていても、それが完全な戦闘不能を意味しないのであれば一切攻撃の手を緩めない。
余計な動きも、余計な感情もない。
(一秒でも早く――)
パチュリーは背筋を走る寒気を自覚した。
(一秒でも早く、相手を殺すことだけを考えている……)
レミリアもまた、同じ光景を違う意味で凝視していた。
クロウを倒したガーディアンは、死体を見下ろそうともしない。
勝利を誇示しない。
煽らない。
歓声を上げることも、安堵の息を吐くこともない。
ただ、何事もなかったかのように無残に倒れるクロウの隣でショットガンを少し傾け、残弾を確認する。
「………………」
カチリ、と小さな機械音が響いた。
それだけ次に備えている。
(自分が手にかけた相手を……見ようともしない)
最初、レミリアはそれを冷酷さだと思った。
だがすぐに、もっと嫌な答えへ辿り着いてしまう。
(違う)
紅い瞳が僅かに揺れる。
(見慣れているんだわ)
――人の死を。
自分が相手を殺す光景を。
自分自身が殺される光景すらも。
いちいち確認する必要がないほどに。
「…………」
咲夜は無意識に、自分の胸元へ手を当てていた。
つい先ほどまで、自分もあの男と戦っていた。
ナイフを投げた。
時間を止めた。
幾度も追い詰めた。
実際に一度は彼を倒した。
そして、自分は確かに思ったのだ。
――この男が本気を出したら、どこまでやれるのだろう。
今なら、その答えが分かる。
(本当に……私は手加減されていたんだ)
自分との戦いで、彼にはもっと多くの選択肢があった。
もっと危険な武器もあった。
もっと凶悪な能力も使えた。
そして何より、今のように相手が反応できなくなるまで一気に距離を詰め、戦闘としての形すら整う前に終わらせることもできたはずだ。
(もし……これが模擬戦じゃなくクルーシブルだったら――)
咲夜の視線が、黒焦げになったクロウへ向く。
(私も、クロウさんみたいになっていた……?)
ぞっとする寒気が背中を這い上がった。
――その時。
「クロウ!」
グリントが主人の元へ飛び出した。
倒れたクロウの上空まで移動すると、その機体が淡い光を放ち始める。
光が死体を包み込む。
焦げた肉体が一度粒子状へ崩れ、その輪郭が再び人の形へ構築されていく。
そして次の瞬間。
「――――!」
大きく息を吸い込みながら、クロウが何事もなかったようにその場で復活した。
観客達の間から、安堵の声は上がらなかった。
むしろ皆、呆然としている。
クロウはそんな周囲の反応には気づいていないのか、首を左右へ回し、肩をほぐしてから、服に付着していた埃を軽く払い落とした。
「………ったく」
転んだだけの人間が、身なりを整えるような仕草だった。
「ガーディアン」
クロウが眉間を揉みながら、少し呆れたように彼を見る。
「もう少し手加減しろ。私はお前ほどクルーシブルが得意じゃないんだからな。パルスグレネードで着地地点を潰した後にライトニングサージは、さすがに性格が悪すぎるぞ」
ガーディアンは数秒クロウを見た後、いつものように片手を上げ、サムズアップした。
「褒めてない」
クロウが即座に返す。するとガーディアンは、親指を立てたまま僅かに首を傾げた。
「……まあいい」
クロウは小さく溜息を吐き、ホークムーンをホルスターへ戻した。
「けど、おかげで何となくスピード感は掴めた。次はもっと早く距離を取る。今度こそ――」
彼は腕組みをしてガーディアンに対して、
「その憎たらしい頭を確実に撃ち抜く」
ガーディアンは再び親指を立てて、胸を張る。
「こいつ………まあ、お前らしいな」
そのやり取りを見ていた霊夢の口から、ようやく声が漏れた。
「…………は?」
クロウとガーディアンが、揃って彼女の方を見る。
「いや、ちょっと待って」
霊夢はこめかみに手を当てたまま、信じられないものを見るような顔をしていた。
「あなた、今死んだのよ?」
「そうだな」
クロウが不思議そうに答える。
その返答に、霊夢の顔がさらに引きつった。
「そうだな、じゃないわよ!黒焦げになって死んだのよ!?」
「ああ」
「なんでそんな普通なのよ!」
「慣れているから」
「そういう問題じゃない!」
霊夢の怒声が庭園へ響く。その隣では、魔理沙も青ざめた顔のままクロウを指さしていた。
「お前、あれ一番嫌な死に方の一つだぞ!?電撃で全身焼かれて、煙上げて倒れてたんだぞ!?それなのに復活して最初の話が『次は頭を撃ち抜く』って、どういう神経してるんだよ!」
「次に同じ詰め方をされた場合の対策を考えただけだが……」
「そういう話じゃない!」
クロウはそこで初めて、周囲を見回した。
妖精達は怯え切っている。
大妖精に至っては、未だにチルノの手を握りしめたままだ。
美鈴も複雑そうな顔をしている。
咲夜の表情も硬い。
レミリアでさえ、いつもの余裕ある笑みを完全に消していた。
「……まあ、私にとっていつものことさ」
クロウが小声でそう答えると、パチュリーが額へ指を当てながら深く息を吐いた。
「……駄目ね」
「何がだ?」
「あなた達の感覚よ」
パチュリーは呆れと嫌悪を隠そうともせず、クロウとガーディアンの二人を見比べた。
「完全に壊れてるわ。目の前で友人が黒焦げになって死んだ直後に、次はどうやって殺すかを普通に相談してるのよ?それを異常と言わずに何と言えばいいの?」
「……確かに異常だな」
「分かってるじゃない!」
その一言で、ケイドが思わず吹き出しそうになるが。
「ケイド」
すぐ後ろから聞こえた静かな声に、彼の肩がびくりと揺れた。振り返ると、そこには腕を組んだイコラが立っていた。
表情は無表情であるが、雰囲気からして明らかに怒っている。
「……イコラ」
ケイドの声が小さくなる。イコラは深い溜息を吐いた後、低い声で告げた。
「あなた、始末書五百枚くらい書かせるからそのつもりで」
「はあ!?」
ケイドが両手を大きく広げる。
「ちょっと待てよ!お前さっき許したじゃねえか! 実際に戦わせた方が説明しやすいって!」
「実力を見せることには同意したわ」
イコラは表情一つ変えない。
「だろ?」
「クロウを黒焦げにして彼女達を泣かせろとは言ってない」
「…………」
ケイドの動きが止まる。イコラはそのまま、呆れたように周囲へ目を向けた。
「私達がこの世界で最もやるべきことは、自分達の力を誇示することではない。何が必要かあなたにも分かるでしょ?」
「……………信用だ」
「ええ。その通り」
イコラは深いため息をつく。
「『私達はこれだけ素早く、且つ効率よく人を殺せます』なんて実演して相手を怯えさせて、一体どうするつもりだったの?」
「いや、その……」
「周りを見なさい」
言われて、ケイドも視線を巡らせる。
そこにはまだ身体を震わせている妖精メイド達がいた。
大妖精は今にも泣き出しそうな顔をしており、その手をチルノが懸命に握っている。
普段はどんな相手にも強がるチルノでさえ、この時ばかりはケイドを睨むような顔をしていた。
「……ほら」
イコラは短く言った。
「完全にやりすぎよ」
「…………」
ケイドも、さすがに返す言葉がなかった。
「なにやってんのよこの馬鹿!」
そこへ霊夢まで加わる。
「メイド達は怯えてるし大妖精なんて今にも泣きそうじゃない!少しは周りの反応を考えなさいよ!」
「馬鹿は余計じゃ――」
「余計じゃない!」
「……すまん」
完全に勢いを削がれたケイドが肩を落とす。
魔理沙も続いて、未だに焦げ跡の残る石畳を指さした。
「誰がこんなの楽しめって言ったんだよ!?クロウが目の前で焼け死んだんだぞ!復活するって分かってたって、見てるこっちからすりゃ最悪だ!」
「いや、俺もここまで派手になるとは……」
ケイドが言い訳を始めようとした、その時。
「ケイド」
パチュリーの声が響いた。
大声ではない。
むしろ静かだった。
だからこそ、ケイドはすぐに口を閉じた。
パチュリーは真正面から彼を見る。
その紫色の瞳には、強い不快感と警戒心が宿っていた。
「あたしからも、この際だからはっきり言わせてもらうわ」
周囲も、自然と静かになる。
「幻想郷に危険な存在が多いことは否定しない。私達自身も含めて、人間を簡単に殺せるような力を持つ者は幾らでもいる。妖怪の中には人間を食料としか見ていない者もいるし、ルーミアみたいに人間を食べることそのものを特別な悪事だと認識していない者だっているでしょうね」
名前を呼ばれたルーミアが、「そーなのかー?」と小さく首を傾げる。
パチュリーはそれに構わず言葉を続けた。
「チルノ達妖精も、人間とはそもそもの死生観が違う。人間からすれば危険に見える行動でも、本人達にとってはそれが自然なこともあるでしょう。それに――」
彼女は大妖精に視線を向けた。
「あのコやメイドの中には人間に限りなく近い感性を持つ妖精だっているの」
一拍。
「藤原妹紅と蓬莱山輝夜みたいな蓬莱人同士が殺し合うことだってある。あの二人の場合は、本当に殺しても死なないし、長い年月の中で積み上がった個人的な事情もある」
そこでパチュリーは一度息を吸い、ケイド達へ鋭い視線を向けた。
「でも、私達はわざわざ死ぬほど痛い思いをするための競技を作ったりはしない」
ケイドの表情から、少しずつ軽さが消えていく。
「撃たれれば痛いんでしょう?焼かれれば苦しいんでしょう?さっきみたいに雷に打たれれば、死ぬほど痛いんでしょう?いくら後から蘇るからといって、その経験そのものが消えるわけでもないのでしょ?」
「ああ」
クロウが静かに答える。
「痛みはある」
「なら、なおさら理解できないわ」
パチュリーは眉を寄せた。
「どうして、自分達からわざわざそんな場所へ行くの?」
クロウは答えなかった。
ガーディアンも何も言わない。
ケイドも、いつもの軽口を差し挟まなかった。
「最初にクルーシブルの話を聞いた時は、正直なところ、もっと大袈裟に言っているだけだと思っていたの。危険な模擬戦を少し誇張して話しているだけなんじゃないかって」
パチュリーの視線が、先ほどまでクロウが倒れていた場所へ向く。
石畳には未だにアークによって焼け焦げた跡が残っている。
「でも違った」
彼女の声が少し低くなる。
「今の戦いを見て、もう冗談として受け取ることはできない」
そして――今度こそ真正面から言い切った。
「あなた達ガーディアンは狂ってる!」
一瞬、庭園の空気が止まった。
「異常よ!」
それは、かなり強い言葉だった。
だが誰も否定しない。
ガーディアンも。
クロウも。
ケイドも。
そしてイコラですら。
しばらく沈黙が続いた後、最初に口を開いたのはケイドだった。
「……まあ」
彼は後頭部を掻きながら、少し困ったように笑う。
「そう言われても仕方ねえな」
霊夢が僅かに目を見開いた。
もっと反論すると思っていた。
いつものケイドならば、「言い過ぎだろ」と茶化しても不思議ではない。
だが今回は違った。
「その、悪かったよ」
ケイドは、まず妖精達の方を見た。
「本当に悪かった。ここまで怖がらせるつもりじゃなかったんだ。配慮が足りなかったのは認める」
それから大妖精へ目を向け、少しだけ頭を下げる。
「お嬢ちゃんも、悪かったな」
「…………」
大妖精はチルノの背後から少しだけ顔を覗かせ、戸惑ったように小さく頷いた。
ケイドは苦笑する。
「……完全に嫌われたな」
「当然よ」
霊夢が呆れたように返す。
「だよなぁ」
ケイドもそこまでは素直に認めた。
しかし、次に顔を上げた時。その表情から、いつもの軽さが消えていた。
「それでも」
霊夢が眉を寄せる。
「……何よ?」
ケイドはすぐには答えず、先ほどまでクロウが倒れていた場所へ視線を向けた。
「俺は、見せたこと自体には意味があったと思ってる」
霊夢の顔に、再び怒りが浮かぶ。
「まだ言うの?」
「最後まで聞け」
ケイドの声は、先ほどまでよりずっと低かった。
軽口を叩く時の声音ではない。
「一つ、聞きたい」
彼は霊夢達を順番に見回す。
「さっき、クロウが焼け死んだ時……どう思った?」
「どうって……」
魔理沙が戸惑ったように帽子のつばへ手を添える。
「嫌だったろ?」
ケイドが続ける。
「当たり前じゃない」
霊夢は即答した。
「あんな死に方、誰だって嫌よ」
「ああ」
ケイドは頷いた。
「俺だってイヤさ」
「……え?」
霊夢の表情が変わる。
「俺だって焼かれるのも、撃たれるのも、凍らされるのも、身体を吹き飛ばされるのも御免だ。死ぬのは痛えし、怖えからな」
大妖精が、恐る恐る顔を上げた。
「だったら……」
震える声で尋ねる。
「だったら、どうして……わざわざあんなことを、やるんですか……?」
その問いに、ケイドはすぐには答えなかった。
一度だけゆっくり息を吐き、少し遠くを見る。
「やらざるを得なかったからさ」
大妖精が首を傾げる。ケイドは、庭園に残る焦げ跡を指さした。
「さっきみたいな光景を、一回見るだけでは済まない世界だったんだよ。俺達の世界はな」
誰も口を挟まない。
「明日も見る」
静かな声が続く。
「明後日も見る。一週間後も。一年後も。十年後も、何百年間もな――」
魔理沙の表情が少しずつ硬くなっていく。
「目の前で仲間が撃ち殺される。焼かれる。身体を吹き飛ばされる。暗黒に呑まれる。助けに行けば、自分まで死ぬ――俺達はもう嫌になるほどこの目で見てきた」
クロウが僅かに視線を落とす。ケイド自身も、その言葉を軽く口にしているわけではないことが分かった。
「しかも、今みたいに毎回ゴーストが無事だとは限らない」
その一言に、霊夢が反応した。
「……ゴーストが死んだら」
「ああ」
ケイドが頷く。
「次はない」
大妖精の表情が強張る。
「暗黒領域でも同じだ。光が届かなきゃ、蘇れないこともある。復活できるからって、俺達が本当に不死身なわけじゃねえ」
クロウが静かに、自分の胸元へ浮かぶグリントを見る。
先ほどまで黒焦げだった男が、今ここに立っていられるのは、この小さなゴーストが生きているからに過ぎない。
その事実は、説明として聞いた時よりも遥かに重かった。
「そして」
ケイドの声が、さらに真剣なものになる。
「俺達の敵は、そんな状況でも手加減してくれない」
霊夢達は黙って聞いている。
「ハイヴは殺す。カバルは踏み潰す。昔のフォールンはシティの壁まで押し寄せてきた。宿られた兵、スコーン、ベックスなんて話し合い以前の問題だ」
一度、ケイドは言葉を止めた。それから、ゆっくりと口を開く。
「目撃者は――そいつらとは話が違う」
その名が出た瞬間、空気そのものが重くなったように感じられた。レミリアが目を細める。
ケイドは、先ほどクロウが倒れていた場所を見る。
「お前ら、さっき相棒がクロウにやったことを見て、『酷い』と思っただろ」
誰も否定しない。
「俺もそう思う」
ケイドは淡々と続ける。
「でもあいつらはあれと同じか、いや、それ以上のことを平然とやる。敵だから、じゃない。そういうやり方しか知らねえ奴らもいるし、そもそも俺達を生き物としてまともに見てねえ奴だっている」
魔理沙の喉が小さく鳴る。
「そして今――」
ケイドは視線を幻想郷の空へ向けた。
「そんな連中が、この世界にまで攻めてきたんだ」
静寂。
誰もすぐには言葉を返せなかった。
「だから聞きたかったんだ」
ケイドが再び霊夢達を見る。
「これから先、さっきみたいな光景を一度じゃなく、何度も見ることになったら……お前らは耐えられるか?」
霊夢は、無意識に拳を握っていた。
魔理沙は帽子のつばを掴んだまま黙っている。
大妖精はチルノの手を握ったまま、少し俯いた。
レミリアも咲夜もパチュリーも、すぐには何も言わなかった。
咲夜は、自分の胸へ浮かんだ感情に気づいていた。
……怖い。ガーディアンが怖い。
ほんの十数秒でクロウを殺した、その強さが。
しかし同時に。
(違う……)
それだけではない。
こんな戦い方を覚えなければ生き残れなかった世界。
そんな世界そのものの方が、よほど恐ろしいのではないか。
そう思い始めていた。
その沈黙を破るように、イコラが静かに口を開いた。
「ケイドのやり方そのものは褒められないわ」
ケイドが僅かに肩を竦める。
「そこは変わらないから」
「分かってるさ」
イコラはすぐに霊夢達へ向き直る。
「でも、彼の言い分にも一理ある」
霊夢が意外そうな顔をする。
「……え?」
「ある意味では、実際に見てもらえたことに意味があったと思う。あの戦いが良かったという意味ではないけれど、言葉だけで説明しても、きっとここまでは伝わらなかった」
パチュリーが腕を組む。
「じゃあ、あなたもクルーシブルを肯定するの?」
「肯定する、という言い方は少し違うわね」
イコラは少し考えてから答えた。
「少なくとも、健全な競技だとは少したりとも思ってはいない」
魔理沙が驚いたように目を見開く。
「えっ」
「あなた達から見れば異常でしょうし」
イコラは静かに続けた。
「私達から見ても、異常よ」
「自分達でもそう思ってるのか?」
「もちろん」
イコラの答えは即座だった。
「実弾を使う。能力も使う。死者が出る。そしてゴーストが蘇生する。それを前提に、何度も同じことを繰り返す」
一度、クロウの方を見る。
「普通ではないわ」
パチュリーの眉が僅かに動く。
「なら、どうしてそんなものを体系化したの?」
「ケイドのいう通り、必要だったからよ」
イコラは迷いなく答えた。
「必要……」
霊夢が、その言葉を反芻する。
「ええ」
イコラは視線を、先ほどガーディアンとクロウが戦っていた場所へ向ける。
「私達の世界では、実戦に出て初めて恐怖を知った者が、そのまま死ぬことがある」
庭園にいた者達の表情が静かに引き締まる。
「自分より速い敵がいる。自分より射撃の上手い敵がいる。遮蔽物から身体を出した瞬間、頭を撃ち抜く者がいる。逃げ道へ先回りする者がいる。能力を使った瞬間の隙を狙う者もいる」
それは、先ほどのガーディアンの戦い方そのものだった。
「だからクルーシブルでは、それを味方同士で経験する」
美鈴が静かに尋ねる。
「敵にやられる前に……?」
「そう」
イコラは頷く。
「敵に教えられる前に、仲間から教わるのよ」
クロウが苦笑する。
「さっきの私みたいにな」
イコラがそちらへ目を向ける。
「あなたはもう少し真面目に反省なさい」
「……すまない」
その様子に、霊夢が僅かに呆れたような顔をする。
イコラは言葉を続けた。
「遮蔽物から身体を長く出していれば撃たれる。退路を読まれれば追い込まれる。能力を雑に使えば、その隙を突かれる。同じ行動を何度も繰り返せば読まれる」
一つ一つ、まるで教本を読むかのように、しかし実体験の重さを伴って説明していく。
「そして何度も負ける。何度も撃たれる。何度も死ぬ」
パチュリーの表情が、ほんの少し変わった。
「……訓練」
「そう」
イコラは頷いた。
「実戦に限りなく近い極端な訓練」
ケイドが横から口を挟む。
「シャックスなら、『明日死なないために今日死ぬ場所』とか言いそうだな」
イコラが半眼を向ける。
「その言い方は最悪だけど」
「でも合ってるだろ?」
「意味だけならね」
ケイドは少し得意げな顔をしたが、イコラの視線を受けてすぐに黙った。
パチュリーはそれでも納得し切れない表情をしていた。
「それでも」
イコラを見る。
「あたしには異常としか思えない」
するとイコラは、意外なほど穏やかな表情で答えた。
「それでいいわ」
「……え?」
「無理に理解する必要はないし理解してほしくない」
パチュリーが僅かに目を見開く。
「あなた達がクルーシブルを見て、『こんなのはおかしい』と思えるなら、それは悪いことじゃないわ」
イコラの声は静かだった。
「むしろ、そう思える環境で生きてきたということだから」
霊夢達は黙ったまま、その言葉を聞く。
「私達だって、好きでこうなったわけじゃない」
その一言に。
ケイドも。
クロウも。
何も言わなかった。
ガーディアンも、ただ静かに彼女を見ている。
「ゴーストが蘇生してくれるから、死を軽く考えているわけじゃない。死が軽いから、何度でも戦えるわけでもない」
イコラは少し視線を伏せた。
「何度死んでも、痛いものは痛い。怖いものは怖い」
声は変わらない。
だがそこには、幾度となく自分自身が死を経験してきた者だけが持つ重さがあった。
「それでも、立ち上がらなければならなかった」
そして顔を上げる。
「私達の最後の砦、シティの後ろには戦えない人達がたくさんいるから」
霊夢が静かに聞いている。
「子供がいる。家族がいる。普通に一日を過ごしたい人達がいる。明日の食事のことだけを考えていたい人もいるし、友人と笑っていたいだけの人もいる」
大妖精が少しだけ顔を上げる。
「そういう人達に」
イコラは、先ほどクロウが倒れていた場所を見る。
「惨たらしい死に方をさせないために」
そして最後に、ガーディアンへ視線を向けた。
「私達が先に経験する」
誰も、すぐには何も言えなかった。
パチュリーも。
レミリアも。
咲夜も。
完全に納得したわけではない。
クルーシブルを受け入れたわけでもない。
それが異常だという考えも、おそらく変わってはいない。
ただ、先ほどまで彼らを、「死を弄ぶ狂人」としか見ていなかった認識に、僅かに別の色が混ざり始めていた。
狂気じみた戦い方。
狂気じみた訓練。
狂気じみた死生観。
けれど、それは最初から彼らが好んで選んだものではない。
狂わなければ。
死に慣れなければ。
殺し方を覚えなければ。
生き残れなかった世界があった。
その世界で、それでも誰かを守ろうとした結果なのだ。
霊夢は、しばらく黙った後で小さく息を吐いた。
「……嫌な世界ね」
ケイドが苦笑した。
「まあな」
「笑って言うことじゃないわよ」
「無理してでも笑わなきゃ、やってられねえ時もあるのさ」
その一言だけは。今度は誰も咎めなかった。
少しして、大妖精が恐る恐るクロウの方を見る。
「……クロウさん」
「なんだ?」
クロウが振り返る。
「もう……痛くないんですか?」
その問いに、クロウは少しだけ驚いた顔をした。
それから、自分の腕を曲げ伸ばしして見せる。
「ああ。今は大丈夫だ」
「……本当に?」
「ああ」
クロウは穏やかに笑った。
「心配してくれてありがとう」
大妖精はしばらく彼を見つめていたが、やがて少しだけ安心したように息を吐いた。
その隣でチルノが胸を張る。
「つ、次はあたいが守ってやるからな!」
「君は頼もしいな」
クロウが笑う。
「なんたってあたいは最強だから!」
ほんの少しだけ張り詰めていた庭園の空気が緩んだ。
だが、その中で咲夜だけは、まだ庭園中央に立つガーディアンを見つめていた。
彼は相変わらず何も語らない。
先ほど十数秒でクロウを殺した男とは思えないほど、いつも通りの姿で立っている。
けれど。
咲夜には、もう先ほどまでと同じ姿には見えなかった。
(この人は……)
殺すことが好きだから強いのではない。
殺すことそのものに喜びを感じているわけでもない。
(殺さなければ守れなかったから……)
強くなった。
そう考えた時。
咲夜の脳裏に、自分との模擬戦がもう一度蘇る。
あの時。
ガーディアンは何度も攻撃を抑えた。
こちらの動きを待った。
反撃する隙を与えた。
明らかに致命的な攻撃を選ばない場面もあった。
その時は、余裕なのだと思っていた。
自分を見下しているのではないかと、僅かに苛立ちすら覚えた。
だが、今なら分かる。
あれは余裕ではなかった。
侮っていたわけでもない。
まして遊んでいたわけでもない。
――自制していたのだ。
自分が普段行っている戦い方を。
相手を最短で殺すための技術を。
そのまま幻想郷へ持ち込まないように。
咲夜は静かに息を吐いた。
(……本当に、手加減してくれていたのね)
その事実は、先ほどクロウが倒れた瞬間よりもずっと重く。
そして違う意味で恐ろしく。
咲夜の胸の奥へ、ゆっくりと沈んでいった。