東方天命録~The Final Shape Begins~ 作:はならむ
……しばらくの間、紅魔館の庭園には重い沈黙が残っていた。
少し前までなら、霊夢も魔理沙も「何度死んでも蘇る」「歳を取らない」というガーディアンの性質を、どこか羨ましいものとして捉えていた。けれど、彼らが死の痛みも恐怖も消えているわけではなく、それらを何度も経験しながら何百年もの間戦い続けてきたこと、そしてクルーシブルという異常な訓練すら、人類が生き残るためには必要だったのだと知った今では、同じ言葉を気軽に口にすることはできなかった。
霊夢は腕を組んだまま何度か口を開きかけていたが、やがて観念したように小さく息を吐いた。
「……なんか、ごめん」
突然の謝罪に、ケイドが片眉を上げた。
「ん? 何がだ?」
「何がって……さっきの話よ」
霊夢は少し気まずそうに視線を逸らす。
「あたし、あんた達が何度でも生き返るって聞いて、『若いままでいられて羨ましい』とか言ったでしょう。そんな簡単なものじゃないって知らなかったとはいえ……ちょっと無神経すぎたわ」
隣では魔理沙も帽子のつばを指先で弄りながら、小さく頷いていた。
「……あたしも悪かったな。若さ気にしてるのかとか言って笑ってたけど、茶化すような話じゃなかった」
ケイドはしばらく二人を見ていた。
いつもならすぐに軽口を返すところだったが、その時だけは少し間があった。やがて、いつものように肩を竦める。
「まあ……長々と駄弁ってた俺が言うのもなんだがそんな気にすんなって。お前らは知らなかったんだしな」
「でも――」
「俺達だって、そのモコウやらカグヤやら蓬莱人って奴らの事情なんか全く知らないんだし、というかここに来てまだ数日しか経ってないからそもそも幻想郷のことなんか全然分からないし分かるはずがない」
「知らねえ話を最初から全部理解しろって方が無茶だよ」
ケイドは笑った。その笑顔は普段と変わらないように見えたが、ほんの一瞬だけ視線が遠くへ向いた。
「俺達だって、昔は知らねえことだらけだったさ。知らないで突っ込んで、死んで、起こされて、『ああ、次はこうしよう』って覚えてきた。……まあ、学習方法としては最悪だけどな」
魔理沙が少しだけ苦笑する。
「文字通り身体で覚えるってやつか」
「身体どころか命ごとな」
ケイドは笑ったものの、その声の最後には微かな乾きが混じっていた。
「便利だぞ。忘れにくい」
霊夢は何か言いかけたが、やめた。
今の冗談は、笑っていいのか分からなかったからだ。
それに気づいたらしいケイドは、わざとらしく両手を広げる。
「おいおい、そんな顔するなよ。冗談が滑ったみたいになるだろ?」
「実際、ちょっと笑いづらいわよ」
「そりゃ困った。ハンターとして致命傷だ」
「戦闘能力じゃなくてそっちなの?」
「俺から冗談取ったら銃しか残らねえだろ」
霊夢が呆れたように眉を寄せる。
「十分でしょうが」
「いやいや。銃だけじゃ人は笑わねえ」
その言葉を口にした瞬間、ケイドの笑みがほんの少しだけ薄くなった。だが、誰かが問い返すより先に、すぐいつもの顔へ戻る。
「というわけで謝罪は受理。罰金もなし」
「罰金取るつもりだったの?」
「今思いついた」
「やっぱり謝って損した気がするわ」
霊夢がそう返すと、ケイドは満足そうに笑った。
そのやり取りを見ていたクロウも、少し迷うような顔をした後、一歩前へ出た。
「その……霊夢、魔理沙。それから皆にも、私から謝らせてほしい」
霊夢が首を傾げる。
「なんであなたまで?」
「さっきガーディアンと私による即席のクルーシブルのことだ」
クロウは、先ほど自分が倒れた場所へ一度視線を向けた。石畳にはまだ、アークの力によって焦げた跡が残っている。
「私達にとっては日常茶飯事だが、君達にとっては目の前で人間が焼け死んだようにしか見えなかったはずだ」
その言葉に、大妖精が少しだけチルノへ寄った。
クロウは彼女の反応に気づき、表情を柔らかくした。
「怖がらせるつもりはなかった。私達の世界がどれだけ過酷かを見せつけたかったわけでもない。ただ、どうして私達がああいう戦い方をするのか、口で説明するだけでは伝わりにくいと思ったんだ」
「クロウが謝る必要ないわよ」
霊夢は少し困ったように言った。
「言い出したのケイドでしょ」
「おい」
ケイドがすぐ反応する。
「何よ」
「そこで俺だけ売る?」
「事実じゃない」
「クロウ、お前も何か言え」
クロウは少し考えた。
「事実だな」
「お前まで!?」
魔理沙が思わず吹き出す。
「四面楚歌だな、ケイド」
「お前まで敵側かよ!」
ケイドは大袈裟に胸を押さえたが、その直後、ふっと笑みを落ち着かせた。
「……まあ、俺が言い出したのは本当だ。そこは責任取るよ」
その切り替わりがあまりに自然だったため、霊夢は少しだけ目を細めた。
騒いでいても肝心なところでは逃げない。
そういう男なのだろう。
クロウは霊夢達へ向き直った。
「ただ、一つだけ分かってほしい。君達は君達の世界で、その考え方を尊重していけばいい」
パチュリーが静かに聞き返す。
「理解することと、同じ価値観になることは別?」
「ああ」
クロウは頷く。
「我々の世界では必要だった。それだけだ。君達まで同じようにならなければならない理由はない」
魔理沙が腕を組む。
「つまり、あたし達はあたし達のやり方で戦えばいい?」
「そうだ。ただし、相手が我々の世界の敵なら、その性質だけは知っていてほしい」
「そこは覚えておくぜ」
「ありがとう」
その会話を聞いていたイコラが、ゆっくり口を開いた。
「だからこそ、私達はここでも戦うのよ」
霊夢達の視線が集まる。
「目撃者と配下のドレッドがこの世界へ現れただけに留まらず、さらにハイヴまで入り込んだ。今はまだ幻想郷の一部で戦闘が起きているだけに見えるかもしれない。でも、この状態が広がれば、いずれ皆が今まで通りに暮らしてはいられなくなる」
レミリアが静かに問い返す。
「あなた達の世界のようになる可能性がある、と?」
「そう」
イコラは迷わず答えた。
「都市が戦場になり、家を失った者が逃げ、昨日まで隣にいた人間がいなくなる。私達はそういう光景を何度も見てきた」
美鈴の表情が曇る。
「それを、この幻想郷でも……」
「起こさせない」
イコラの声は穏やかだったが、そこには強い意志があった。
「この世界まで、私達の世界のような地獄にはしたくない。目撃者やハイヴがここへ来てしまった以上、私達にも無関係ではいられないわ。だから戦う。それが、私達ガーディアンが背負ってきた役目よ」
ケイドが横で軽く肩を竦める。
「ま、そういうことだ。せっかくこっちの世界は賽銭が少ないだの、紅茶がどうだの、氷の妖精が最強だの言って平和に喧嘩してるんだ。宇宙から来た化け物に台無しにされちゃ勿体ねえ」
チルノがすぐ反応する。
「あたいは本当に最強だぞ!」
「はいはい、最強最強」
「適当に言うな!」
ケイドが笑う。だが、その笑みのまま、ほんの少しだけ声音が落ちた。
「……こういうくだらないことで騒げるうちは、その方がいいんだ」
チルノは意味が分からず首を傾げたが、霊夢と魔理沙は何となく黙った。
ケイドはそれ以上何も言わず、大妖精、チルノ、ルーミアの三人へ歩いていくと、彼女達と目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「あー……おチビちゃん達」
「誰がおチビちゃんだ!」
チルノが即座に怒鳴る。ケイドはわざと驚いたように両手を上げた。
「おっと。謝る前から失敗したな」
「当たり前だ!」
「じゃあ訂正。最強の氷妖精様と、大妖精様と、闇の妖怪様」
ルーミアが首を傾げる。
「私は様なのかー?」
「今だけ特別サービスだ」
「そーなのかー」
「そこ納得するんだな」
大妖精が思わず笑った。
三人の表情が少し緩んだのを見てから、ケイドは静かに続ける。
「その……本当に悪かったな」
大妖精が笑みを引っ込める。
「さっきの模擬戦。あんなもん、いきなり見せるべきじゃなかった」
チルノが腕を組む。
「大ちゃん、すっごく怖がってたんだからな」
「ああ」
「泣きそうだった!」
「……見てたよ」
「なのに笑ってた!」
その言葉だけは、ケイドの顔に僅かな痛みを走らせた。
「そうだな」
彼は視線を少し落とした。
「そこが一番悪かった」
チルノが少し勢いを失う。ケイドは続ける。
「俺達にとっては、クロウが死んでもグリントが無事なら戻るって分かってた。だから、いつもの感覚で見てた」
一度、小さく息を吐く。
「死んだ仲間が戻ってくる前提の世界に長くいるとさ……時々、戻ってこない側の気持ちを忘れそうになる」
大妖精がケイドを見る。
「戻ってこない側……?」
ケイドはほんの一瞬だけ黙った。
「……いや。今のは忘れろ」
笑って誤魔化そうとしたが、その笑顔は少しだけ弱かった。イコラは何も言わずに見ている。
ケイドは大妖精達へ改めて顔を向ける。
「まあとにかくだ、俺に配慮がなかったのは認める。ただ、俺は悪気があってやったわけじゃない。お前達を怖がらせたかったわけでもない。ただ、俺達がどうしてああいう戦い方をするのか、どうして死んでもすぐ立ち上がるのかを、少しでも知ってほしかった」
「……ケイド」
「許せないなら、それでもいい」
ケイドは少し笑った。
「嫌われるのは慣れてる」
チルノが眉を上げる。
「誰に嫌われたんだ?」
「そりゃあ色々。報告書出せって怒る奴とか、賭けの借金返せって怒る奴とか」
「それはケイドが悪い!」
「だろ?」
わざと笑わせるような答えだった。
けれど大妖精は、その直前の一瞬だけ見えた表情を見逃さなかった。
「でも」
ケイドは続ける。
「そこんとこだけは分かってくれ」
チルノはしばらくケイドを睨んでいたが、やがて大きく鼻を鳴らした。
「今日は特別に許してやる!でも今度大ちゃん泣かせたら許さないからな!」
「ああ、約束する」
ケイドが真面目に頷くと、チルノはようやく満足そうな表情になる。ルーミアが横から首を傾げた。
「許してやるのかー?」
「今日はね!」
「そーなのかー」
ケイドはルーミアを見る。
「あたしは別に怒ってないのかー」
「怖くなかった?」
「ちょっと怖かったのかー」
「じゃあ怒っていいぞ?」
「怒るの面倒なのかー」
「……お前、ある意味一番強いな」
そのやり取りに、大妖精が小さく笑った。
「ケイドさん」
「ん?」
「私はもう大丈夫です」
ケイドはすぐに冗談を返さず、真面目な顔で彼女を見た。
「無理してねえか?」
「してません」
大妖精は小さく首を振った。
「さっきは怖かったです。でも、今はどうしてあんなことをしたのか、少し分かったから」
「……そっか」
「それに」
大妖精は少しだけ言葉を選んだ。
「ケイドさん達の方が、ずっと酷いことを何回も経験してきたんですよね」
ケイドの笑顔が止まった。
「私達は一回見ただけですけど、ケイドさん達は何百年も……」
大妖精はそこまで言って、少し困ったように俯いた。
「だから、もう大丈夫です」
しばらくケイドは何も言わなかった。
やがて、いつもの笑みを戻した。
「……困ったな」
「え?」
「いや俺、あんまりこんなのに慣れてなくてな。だが――」
ケイドは笑いながら大妖精の頭へ手を置いた。
「お前らいい子だ!」
その声だけは、冗談ではなかった。
次にチルノの頭を撫でる。
「わっ、何するんだ!」
「最強の頭を撫でてる」
「ならもっと撫でてもいいぞ!」
「現金な奴だなぁ」
最後にルーミアへ手を伸ばすと、彼女は気持ちよさそうに目を細めた。
「わはー」
「お前、こういう時だけ素直だな」
「そーなのかー?」
「俺に聞くなよ」
三人の笑顔を確認すると、ケイドも少し安心したように立ち上がった。
だが、そのまま戻るのかと思えば、今度は妖精メイド達の方へ歩いていく。
霊夢が眉を上げる。
「まだ謝るの?」
「当然」
ケイドは振り返った。
「怖がらせた相手は他にもいるからな」
魔理沙が少し笑う。
「意外と律儀なんだな」
「『意外と』を取るともっと嬉しいなあ」
妖精メイド達の前まで行くと、ケイドは両手を軽く上げた。
「えー、お嬢ちゃん達」
妖精メイド達が少し身を寄せ合う。ケイドはその反応を見て、肩を落とした。
「……やっぱり俺、今かなり怖い人扱いされてる?」
一人が小さく答える。
「ちょっとだけ……」
「ちょっとで済んだか。よかった」
「ケイド」
後ろからイコラの声が飛ぶ。
「そこで安心しない」
「厳しいな」
「謝りなさい」
「分かってるよ」
ケイドは妖精メイド達へ向き直り、今度は真面目に頭を下げた。
「あー、本当に悪かった。あんな過激なもんをいきなり見せちまって」
妖精メイドの一人が聞く。
「クロウさん……本当に死んでたんですよね?」
「ああ」
「怖くなかったんですか?」
ケイドは少しだけ考えた。
「俺達は慣れすぎてた」
「慣れるものなんですか?」
「慣れちゃいけないものにも、人間って案外慣れるもんだよ」
その答えは冗談めいていたが、少しだけ寂しかった。
「だから余計に悪かった。お前達まで同じ感覚だと思っちまった」
「もうしない?」
「もう二度と、今日みたいに何の説明もなく死人が出る模擬戦を目の前で始めたりはしない」
イコラがすぐに口を挟む。
「何の説明もなく?」
ケイドが固まる。
「……イコラ」
「何?」
「今いいところなんだから黙っててくれない?」
「あなたは言葉の隙間を使うでしょう」
妖精メイド達からくすくすと笑いが漏れた。
ケイドも少しだけ笑う。
「分かったよ。訂正。お嬢ちゃん達が嫌がるような形では、もうやらない」
「本当ですか?」
「約束する」
少し間を置いて、ケイドは笑った。
「俺、約束守るの得意なんだぜ」
その言葉を聞いた瞬間、イコラの表情がほんの僅かに変わり、ケイド自身も一瞬だけ黙った。
「……まあ」
すぐに、いつもの軽い声音へ戻す。
「守れなかった約束も、ちょっとはあるけどな」
妖精メイド達には意味が分からなかったらしく、首を傾げただけだった。
けれど霊夢は、その笑い方に微かな違和感を覚えた。
寂しい。ほんの一瞬だけそう見えた。
「次やったらレミリア様に言いますからね」
妖精メイドが言うと、ケイドは大袈裟に両手を上げた。
「それは勘弁してくれ!」
レミリアが遠くから口元を吊り上げる。
「もう聞いているわよ」
「最悪だ!」
「次は地下室送りね」
フランドールが楽しそうに顔を上げる。
「私の部屋?」
「やめてくれ、お嬢ちゃんのレーヴァテインを振られたらヤバい」
妖精メイド達から笑い声が上がる。ケイドも大袈裟に震える真似をした。
その姿を見ていた霊夢は、先ほどの一瞬が気のせいだったのかと思いかけた。
「……あいつ、意外と子供の扱い上手いのね」
魔理沙も頷く。
「もっと適当に謝ると思ってたぜ」
「昔から、ああいうところはあるわ」
横からイコラが静かに答えた。
霊夢が振り返る。
「昔から?」
「ええ」
イコラは妖精メイド達に囲まれているケイドを眺めた。
「ケイドはあんなお調子者だけれど、普段の姿からは想像できないくらい、壮絶な人生を歩んできた人でもある」
霊夢と魔理沙が揃って目を瞬かせる。
「……あいつが?」
「ケイドが?」
「ええ」
イコラの表情が少しだけ曇る。
「彼がエクソなのは知っているわよね」
霊夢が頷いた。
「元々は人間で、その意識を機械の身体へ移した存在」
「そう」
パチュリーも話に加わる。
「それは魔法で魂を別の器へ移すようなものなの?」
「そんなに単純なものではないわ」
イコラの声音に僅かな嫌悪が滲んだ。
「私はエクソが生み出された経緯について、古い記録を調べたことがある」
「どんなものだったの?」
パチュリーが尋ねる。イコラは一度だけ目を伏せる。
「……狂気の沙汰どころじゃない。人間の精神を機械へ移すという目的のために、人間の尊厳がどれほど踏みにじられたのか、読んでいるだけで気分が悪くなるような記録だった」
美鈴が眉を寄せる。
「そんなに酷かったんですか?」
「ええ」
イコラは静かに頷く。
「ケイド本人が、どのような手順を経てエクソになったのか、私も全てを知っているわけではない。けれど、何も苦痛がなかったとは思えない」
魔理沙がケイドを見る。
「あいつは覚えてるのか?」
その問いに、イコラはしばらく黙った。
「以前、一度だけ聞いたことがあるわ」
「直接?」
「ええ」
霊夢が少し身を乗り出す。
「『エクソになった時のことを覚えている?』って」
パチュリーが尋ねる。
「答えたの?」
「断片的には覚えている、と」
「じゃあ、どんな記憶だったの?」
イコラは静かに息を吐いた。
「私もそう聞こうとした。でもケイドはそれ以上は語らなかったわ」
その一言だけで、霊夢達の表情が変わった。
普段のケイドから笑いが消える姿など、簡単には想像できない。
「『二度と思い出したくない』と言ったわ。そして、『口にもしたくない』と」
霊夢は何も言えなかった。
魔理沙も、遠くのケイドを見つめている。
当の本人は、妖精メイド達に何かを言われて大袈裟に肩を落とし、その直後にはまた笑わせていた。
「……全然そんな風に見えない」
霊夢が小さく呟く。
「見せないのよ」
イコラが答える。
「多分、自分の苦しみを周囲に見せるのが嫌なんですね」
咲夜が静かに尋ねる。
「だから、冗談を?」
「それだけではないでしょうけど」
イコラはケイドを見つめた。
「彼自身、本当に冗談が好きではある。でも、辛い時ほど余計に笑おうとするところはあった」
魔理沙が眉を寄せる。
「辛い時ほど?」
「ええ」
「なんでだ?」
イコラは少し考える。
「沈黙すると、思い出してしまうからかもしれない」
その答えに、一同が静かになる。
「何か喋って、誰かを笑わせて、馬鹿なことをしていれば、その間だけは過去のことを考えなくてもいい」
パチュリーが小さく呟いた。
「……さっき彼が『無理しても笑わないと、やってられない時がある』って言ってたのはそういうことなのね」
「おそらくはね――」
イコラは僅かに笑った。
「それにケイドは戦場でも一流だった。射撃、判断、即興の対応。現場での働きなら本当に頼れる人だったわ」
魔理沙が眉を上げる。
「そういえば、あいつにゴーストはいないのか?」
「……ええ」
イコラの声が少し沈む。
「ずっと前に……彼のゴースト、サンダンスは敵に殺されてしまった――」
何故かイコラは言葉を濁すように話し、クロウも顔を深く落とす――。
「それってつまり………」
「彼は次に死んでしまったら二度と生き返らないし、私達と違い光を使って戦うこともできなくなった」
「そんな……っ」
「そんな状態でも昨日のハイヴとの戦いであれだけ戦える。だから全盛期の彼がどれほどだったかは想像できるでしょう」
美鈴が静かに頷く。
「じゃあ、長い間ずっと前線に?」
「ええ」
「その分……」
美鈴は少し言い淀む。
「失った仲間も、多かったんでしょうね」
イコラは否定しなかった。
「そうね」
大妖精が遠くのケイドを見る。
「それでも、あんなに笑ってる……」
「だからこそ、なのかもしれないわ」
イコラは静かに答えた。
「笑うことをやめたら、いなくなった人達のことばかり考えてしまうから」
霊夢は少しだけ胸の奥が重くなるのを感じた。
さっき妖精メイドに向かって「約束を守るのは得意だ」と笑った後、一瞬だけ見せた寂しい表情。
もしかするとあれは、守れなかった誰かとの約束を思い出していたのかもしれない。
パチュリーが小さく息を吐く。
「軽い性格だから苦しまないんじゃない」
「ええ」
イコラは頷いた。
「苦しんできたからこそ、軽く振る舞うことを覚えたのかもしれない」
「……なんだかな」
魔理沙が帽子のつばを少し下げた。
「そう聞くと、あいつの冗談も笑いづらくなるぜ」
「それはケイドが嫌がると思うわ」
「え?」
イコラがほんの少し笑う。
「彼は笑ってほしくて冗談を言っているんだもの」
霊夢が呆れたように言う。
「面倒臭い男ね」
「そうね」
「否定しないのかよ」
「けど、だからこそ彼は私達の世界では友人も多く、かなり慕われてた」
それを聞いて、霊夢と魔理沙はケイドを眺めながら頷く。
「凄く分かる気がする」
「ムードメーカーみたいだしな」
「一方で気難しい人物からはいい顔されなかったけどね」
「ははっ、確かに!」
その時、遠くからケイドの声が飛んできた。
「おーい! なんか俺の悪口言ってないかー!?」
霊夢が即座に返す。
「言ってるわよ!」
「おい、少しは隠す努力をしろー」
「面倒臭いって言ってた!」
「誰がだ!」
「全員!」
「嘘つけ!」
庭園に笑い声が広がる。ケイドは大袈裟に胸を押さえると、そのまま芝居がかった仕草で空を見上げた。
「なあサンダンス、聞いたか? 俺、異世界でも扱い変わらねえぞ」
一瞬、誰も何も言わなかった。
ケイド自身も、ほんの僅かに空を見上げたまま止まっていたが、すぐに肩を竦める。
「……ま、聞こえてたら笑ってるか」
そう呟き、何事もなかったように妖精メイド達へ向き直る。
その横顔を霊夢達は黙って見ていた。
冗談だった。
きっと本人にとっても、冗談として口にしたつもりだった。
それでもその笑い声の奥に。
ほんの少しだけ、もう隣にいない相棒へ向けた寂しさが混じっていた。
そしてイコラは、そんなケイドを見つめながら静かに笑った。
「……ああいう人なのよ」
霊夢が小さく息を吐く。
「分かりにくいわね」
「分かりやすくしたくないのかもしれないわ」
魔理沙が苦笑する。
「ますます面倒臭い奴だぜ」
だが今度は誰もその言葉を本当の悪口としては受け取らなかった。