東方天命録~The Final Shape Begins~ 作:はならむ
紅魔館の庭園には、つい先ほどまでとは少し違う静けさが漂っていた。
ガーディアン達が何百年もの間どのような世界で戦い続けてきたのか。死んでも蘇るという力が、必ずしも幸福だけを意味するものではなかったこと。そして、普段は誰よりも軽口を叩いているケイドでさえ、本人が二度と思い出したくないと語るほどの過去を抱え、それでも周囲を笑わせることをやめなかったこと。
一度に聞かされた話としては、あまりにも重かった。
霊夢も魔理沙も、少し前までならケイドが何か馬鹿なことを言うたびに遠慮なく突っ込んでいたはずなのに、今は妖精メイド達を相手に大袈裟な身振りで冗談を飛ばしている彼の姿を、どこか複雑な気持ちで眺めていた。
「……………………」
文が手帳を開いたまま筆を止めている。
いつもなら面白い話を聞けば誰より早く食いつき、質問を矢継ぎ早に投げかける彼女だったが、さすがに先ほどまでの話は軽々しく記事へまとめられる類のものではなかったらしい。
「……難しいですねぇ」
文がぽつりと呟いた。霊夢が横を見る。
「何が?」
「記事ですよ。『死んでも蘇る不死身の戦士達!』なんて見出しだけなら簡単なんですけど、実際の話を聞いた後では、とてもそんな書き方できません」
魔理沙が文の手帳を覗き込もうとする。
「珍しいな。お前が記事の書き方で迷うなんて」
「私だって何でも面白おかしく書けばいいと思っているわけではありませんよ」
「ほんとか?」
「魔理沙さん?」
文が笑顔のまま筆を握る指に力を込めたため、魔理沙は素早く一歩下がった。
霊夢は小さく息を吐く。
「でもまあ……今回はあたしも同感ね。さっきまで『若いままでいられて羨ましい』なんて言ってた自分がちょっと馬鹿みたいだわ」
「知らなかったんだから仕方ねえって」
少し離れた場所からケイドが声を飛ばす。
「また聞いてたの?」
「俺、耳いいからな」
「機械の耳でしょ」
「性能いいって言ってくれよな」
そんなやり取りに、少しだけ笑いが戻った。
イコラもそれを見て僅かに表情を緩めたが、文はしばらくケイドを見つめた後、手帳へ小さく何かを書き加えた。
「何書いたのよ」
霊夢が尋ねる。文は一瞬手帳を隠すように胸へ寄せる。
「企業秘密です」
「新聞記者に企業も何もないでしょうが」
「細かいことは気にしないでください」
「絶対ろくでもない見出し書いてるわね」
「失礼ですねぇ」
そんな空気の中で。今までほとんど言葉を発さず、少し離れたところで話を聞いていたガーディアンが、不意に動いた。
最初に気づいたのは咲夜だった。
つい先ほどまでの決闘で散々振り回された相手ということもあり、彼が僅かに腕を上げただけでも無意識に目で追ってしまう。
「………………」
ガーディアンは何もない空間へ手を伸ばすと、突然その手の中に謎の光輝く双眼鏡を出現させた。
「…………え?」
咲夜の眉が僅かに動く。
ガーディアンは何の説明もなく双眼鏡を顔へ当てると、庭園の右側へ身体を向けた。
しばらく覗く。
次に左。
空。
紅魔館の屋根。
霧の湖の方角。
それから何故か、ほんの数メートルしか離れていない霊夢達まで双眼鏡越しに観察し始める。
「…………」
霊夢が顔をしかめた。
「何してんの、あいつ」
魔理沙も同じ方向を見る。
「索敵じゃないか?」
その一言に、美鈴の表情が瞬時に引き締まった。
「敵ですか?」
周囲にいた妖精メイド達まで慌てて空を見上げる。
大妖精も不安そうにチルノの袖を掴んだ。
「またあのハイヴでしょうか……」
「来るなら来い!」
チルノはすぐに拳を握る。
「あたいが凍らせてやる!」
ルーミアも空を見上げる。
「どこにいるのかー?」
その一方で、文だけは素早かった。
瞬時に手帳を開き、筆を走らせ始める。
「外来の戦士、突如索敵を開始……これは何かを察知したのでしょうか。目線は北東、続いて西方……」
霊夢が呆れた顔で文を見る。
「もう記事にしてるの?」
「何か起きてからでは遅いですから」
「敵がいなかったら?」
「その部分は削ります」
「便利ね、新聞」
――ところが、イコラもクロウも武器へ手を伸ばしていない。
「あれ、二人とも警戒しないの?」
ケイドに至っては、双眼鏡を覗き始めたガーディアンを見た瞬間、既に何か嫌なものを察したように顔を引きつらせていた。
ゴーストもまた、主人の横で微妙に距離を取っている。霊夢はその反応を見逃さなかった。
「……ねえゴースト」
「はい」
「もしかして敵がいるの?」
「いません」
文の筆が止まった。
「……いないんですか?」
「少なくとも私は何も感知していません」
美鈴が周囲を見回しながら首を傾げる。
「では、ガーディアンさんは何を……?」
ゴーストが一度主人を見る。
「私にもまだ分かりません」
「通訳役なのに!?」
霊夢が思わず声を上げる。ゴーストもさすがに少しむっとしたらしい。
「私だって彼の全行動を即座に理解できるわけではありません!」
「え、長年一緒にいるんじゃないの?」
魔理沙が尋ねる。
「長年一緒にいるからこそ、分からないものは分からないと学びました」
「なんか重いな、その言葉……」
クロウが横から静かに言った。
「経験から来る諦めだ」
「クロウまで!?」
そんな会話の間も、ガーディアンは双眼鏡で辺りを見回していた。
やがて満足したらしく、双眼鏡を下ろすとそのままスッと消える。
美鈴が少し安堵したように息を吐いた。
「どうやら何もいなかったようですね」
文も手帳へ書きかけた文章を線で消しながら呟く。
「うーん、『謎の索敵行動』というだけでは記事として弱いですね……」
「記事にしようとしてたんですか!?」
大妖精が驚く。
「新聞記者ですから」
「何でも書けばいいってものじゃないと思うんですけど……」
大妖精の正論に、文が一瞬黙った。
その直後だった。ガーディアンが突然腰を落とした。
「…………?」
霊夢達が見ている前で、身体を左右へくねらせ始める。肩を揺らし、腰を捻り、何故か楽しそうに尻を左右へ振っている。
「………………は?」
文の筆も止まる。咲夜は数秒間ガーディアンを凝視した後、静かに口を開いた。
「……彼は何を?」
誰にも分からない。魔理沙がさっきガーディアンが双眼鏡で覗いていた方向を見てから、もう一度本人を見る。
「おい待て、さっきまで敵探してるみたいだったのに、なんで急にケツ振り始めたんだ?」
霊夢は額へ手を当てた。
「し、知らないわよ……」
チルノだけは少し目を輝かせる。
「なんか楽しそう!」
「チルノちゃん、真似しないで!」
「なんで!?」
「もう意味が分からないから!」
ルーミアはガーディアンの動きに合わせるように身体を左右へ揺らす。
「わはー」
「ルーミアちゃんもやらなくていいよ!」
大妖精が慌てて止める。文はしばらく呆然としていたが、職業意識が勝ったのか、再び恐る恐る筆を動かし始めた。
「えー……『索敵を終えた直後、突如として臀部を左右に振る不可解な舞踏を開始』……」
魔理沙が手帳を覗き込む。
「そのまま書くのかよ」
「他にどう書けと言うんですか!」
「新聞記者も大変なんだな」
「今ちょっとだけ辞めたくなりましたよ!」
文が本気で困った顔をした。パチュリーはガーディアンを観察しながら眉を寄せる。
「魔力的な意味は……ないわね」
小悪魔が尋ねる。
「何かの儀式では?」
「少なくとも私の知る体系には存在しないわ」
「外の世界の踊りでしょうか?」
「可能性はあるけれど、今この場で行う理由が分からない」
美鈴も腕を組み、珍しく真剣な顔で考えている。
「武術的な意味もなさそうです……腰の使い方は妙に滑らかですけど」
霊夢が美鈴を見る。
「そこ分析しなくていいわよ」
レミリアは椅子へ腰掛けたまま、完全に困惑していた。
「私、何百年も生きてきたけれど」
「はい、お嬢様」
咲夜が答える。
「ここまで次の行動が読めない人間は初めてよ」
「私も同意見です」
咲夜の声は真顔そのものだった。しかしフランドールは目を輝かせて、
「お姉様、あたしもあの人みたいにやっていい?」
「やらなくていい!」
即答だった。
「なんで?」
「あたし達姉妹の品格が疑われるから!」
「ちぇっ!」
しかも、ガーディアンの奇行はそこで終わらなかった。
身体をくねらせる踊りを終えたかと思うと、今度は両手に色鮮やかに光る棒を出現させる。
霊夢の顔がさらに引きつった。
「……まだ続くの?」
ガーディアンは答えない。
両手の光る棒を高く掲げ、今度は激しい勢いで腕を振り始めた。
上下。
左右。
交差。
大きく身体を捻りながら、見えない観客席へ全力で声援を送っているかのような動きで、庭園に鮮やかな光の軌跡を描いていく。
文の筆が完全に止まった。
「…………」
魔理沙が彼女を見る。
「書かないのか?」
「記事にできる日本語が出てきません」
「射命丸が負けた!」
「負けてません!」
「いや、今完全に負けてたぜ」
「うるさいですよ!」
その横でチルノがますます興味を示していた。
「あたいもあれ欲しい!」
「何に使うの?」
大妖精が聞く。
「知らないけど振り回す!」
「一番持たせちゃ駄目な理由だよ!」
ルーミアまで両腕を振り始める。
「こうするのかー?」
「だからルーミアちゃんも参加しない!」
大妖精一人だけが必死に二人を止めている。
ケイドはとうとう堪え切れず、肩を震わせながら横を向いた。
「ぶっ……!」
クロウがその隣で深く息を吐く。
「笑うな」
「無理だろ……!」
「君は慣れているだろう」
「慣れてるから余計面白いんだよ!」
イコラは完全に頭痛を堪えるような顔をしていた。
「……ガーディアン」
当然、返事はない。
「お願いだから、せめて何をしているのか説明しなさい」
ガーディアンは光る棒を振りながら親指を立てた。
イコラの眉間の皺が深くなる。
「それは説明じゃないわ」
やがて怒涛のエモートを一通り終えたガーディアンは、何事もなかったかのように光る棒を消し、その場へ普通に立った。
「…………」
しばらく誰も口を開けなかった。
文は手帳に「解読不能」とだけ書いた。
霊夢がそれを横目で見てから、ゆっくりゴーストへ顔を向ける。
「……ゴースト」
「はい」
「通訳しなさい」
ゴーストは主人を見る。ガーディアンが軽く頷いた。
「…………………………………」
ゴーストは少しだけ気まずそうに外殻を傾ける。
「えーっと……『まあ俺達も色々あったけどこっちの世界の話だから、みんな気にするな』と言っています」
沈黙。
文がゆっくり手帳から顔を上げる。
美鈴も。
小悪魔も。
レミリアも。
パチュリーも。
咲夜も。
霊夢達も。
全員が頭の中で、双眼鏡、尻振り、光る棒と今の翻訳を必死に結びつける。
結論は同じだった。
繋がらない。
「だから意味不明な踊りじゃなく言葉でそれ言えよおおおおっっ!!!」
庭園全体に、ほぼ全員の絶叫が響いた。
文まで珍しく手帳を握ったまま叫んでいる。
「記事にできませんよこんなの!!」
「いや百歩譲ってよ?」
霊夢が勢いよくガーディアンを指差す。
「ダンスが『気にするな』って意味なのは、百歩譲ってまだ何となく雰囲気で分からなくもないわよ!」
魔理沙が横から聞く。
「分かるのか?」
「百歩譲ってって言ってるでしょ!」
霊夢は構わず続ける。
「じゃあ最初の双眼鏡は何!?どこに『色々あったけど俺達の世界だから』の要素があるのよ!」
文も筆を向ける。
「そこです!私もそこが一番気になります!報道する側としても因果関係が全く見えません!」
魔理沙が呆れる。
「お前まだ記事にする気なのか?」
「ここまで来たら意地です!」
美鈴が周囲を見る。
「皆さん、途中で意味が分かった方っています?」
誰も手を上げない。小悪魔が申し訳なさそうに首を横へ振る。
「私、本当に何一つ分かりませんでした……」
パチュリーも小さくため息を吐く。
「安心しなさい。私にも分からないわ」
文が食いつく。
「パチュリーさんでも?」
「知識で解ける種類の謎ではないもの」
「なるほど……『知識人にも解読不能』と」
「書かなくていい」
「はい」
レミリアは椅子の肘掛けへ身体を預け、呆然とガーディアンを眺めている。
「私、さっきまでこの男のことを寡黙で底の知れない戦士だと思っていたのよ」
咲夜が静かに頷く。
「私もです」
「今、評価の置き場所に困ってるわ」
「奇遇ですね。私もです」
そこでゴーストが恐る恐る口を開いた。
「あ、双眼鏡ですが……」
霊夢がすぐ振り返る。
「やっぱり意味あったの?」
「ありません」
「…………は?」
「『なんとなく』だそうです」
文の筆が再び止まる。霊夢の頬が引きつった。
「意味ないの!?」
「はい」
「じゃあ何でやったのよ!」
ゴーストがガーディアンを見る。
本人は軽く肩を竦める。
「『その時の気分で双眼鏡を覗きたくなったから』だそうです」
文は震える手で手帳に何かを書き込んだ。
魔理沙が覗き込む。
「何て書いた?」
「『双眼鏡に意味なし』」
「記事として酷すぎるだろ」
「本人に言ってください!」
霊夢は両手で頭を抱えた。
「もうヤダ、この男……!」
魔理沙は腹を抱えて笑っている。
「駄目だ、何も考えてなかったのかよ!」
「だから腹立つのよ!」
文も顔を覆う。
「私は今まで何を一生懸命記録していたんですか……」
「新聞記者の宿命じゃない?」
霊夢が言う。
「こんな宿命いりませんよ!」
しばらくして、霊夢はガーディアンをじっと睨みつけた。そして周囲へ顔を向ける。
「……ねえ」
魔理沙が反応する。
「なんだ?」
「今からみんなであいつをぶっ殺さない?どうせ生き返るんだし」
魔理沙は一秒も迷わなかった。
「喜んでやるぞ」
チルノも元気よく手を挙げる。
「あたいも!」
ルーミアも続く。
「私もなのかー」
大妖精だけは慌てる。
「ええ!? 本当にやるの!?」
文が顎へ手を当てる。
「うーん……」
霊夢が見る。
「何よ」
「暴行現場を取材する側に回るか、参加者になるかで迷っています」
「迷うところそこ!?」
「記者としては取材したい。でも個人的には一発くらい……」
「射命丸まで!?」
美鈴も困ったように笑いながら拳を握る。
「まあ……蘇るのでしたら、一発くらいは……」
小悪魔もおずおずと手を挙げた。
「私も、パチュリー様をむきゅーさせた仕返しで」
パチュリーが横を見る。
「小悪魔」
「ご、ごめんなさい。でもちょっと腹が立ってきて……」
「……気持ちは分かるわ」
「パチュリー様も!?」
レミリアとフランドールは楽しそうに笑う。
「私も参加するわ」
「ならあたしも!」
「あんたは絶対に加減しないでしょ!」
「大丈夫だって、生き返るんでしょ?」
咲夜は何も言わない。ただ、手の中にいつの間にか数本のナイフが現れていた。
「咲夜もやる気じゃない」
「……否定はしません」
「一番怖いわよあんた」
瞬く間に敵だらけになったガーディアンは、周囲をゆっくりと見回した。
普通なら少しくらい後退する場面である。
しかし、満面の笑顔を浮かべるエモートとともに、親指を勢いよく立てた。
d(^ω^)bワーイ!
霊夢の額に青筋が浮かぶ。
「あんた今の状況分かってんの!?」
魔理沙も叫ぶ。
「今から集団リンチされるんだぞ!?」
文まで手帳を閉じて叫んだ。
「攻撃対象がなぜ喜んでるんですか!?」
ガーディアンはもう一度親指を立てる。
(●^ω^●)bヤッター
「答えになってません!!」
文の絶叫に、ケイドがとうとう耐え切れなくなった。
「ワハハハハハハハハハ!」
腹を抱えて笑い始める。
「相棒!お前完全に四面楚歌じゃねえか!」
クロウは額へ手を当てる。
「まあ、『気にしていないから心配するな』、という意図は分かる」
霊夢がすぐに振り向く。
「本当に?」
「ああ。ただし」
クロウはガーディアンを見る。
「コミュニケーション能力が壊滅的だ」
「そこよ!」
文も激しく頷く。
「同感です!新聞記者泣かせにも程があります!」
ゴーストが重々しく上下した。
「私もそう思います」
ガーディアンが自分のゴーストを見る。
「そんな顔をされても困ります」
ゴーストは珍しく疲れきった声音を出した。
「私は何年あなたの通訳をしていると思っているんですか。毎回あなたの踊りから意図を推測するの、本当に大変なんですよ?」
魔理沙が感心する。
「ゴースト、お前苦労人だったんだな」
「ようやく理解していただけましたか」
「うん」
「ありがとうございます」
文が真剣に手帳へ書き込む。
「『専属ゴースト、長年の苦労を告白』……」
「書かなくていいです!」
今度はゴーストが叫んだ。
再び庭園に笑い声が広がりかけた。
その時だった。
「…………?」
ガーディアンが、ふっと『感情表現』を消した。
先ほどまで満面の笑顔で親指を立てていた男が、静かに姿勢を戻す。
その僅かな変化だけで、イコラは最初に気づいた。
「……ガーディアン?」
本人は少しだけ周囲を見回した。
それから、低く落ち着いた声で口を開いた。
「…………俺は」
レミリア達紅魔館の面々と文の動きが一斉に止まった。
「…………え?」
レミリアが目を見開く。
美鈴も。
パチュリーも。
小悪魔も。
咲夜も。
フランドールも。
妖精メイドも。
そして文も、手帳を持ったまま完全に固まっている。
一方、霊夢、魔理沙、チルノ、大妖精、ルーミアは、彼が喋れること自体は既に知っている。だが普段ほとんど口を開かない男が自分から話し始めたことには、さすがに少し驚いた。
魔理沙が小声で呟く。
「そういや紅魔館の連中と文は、こいつが普通に喋べるのを見るのは初めてだっけ」
文が勢いよく魔理沙を見る。
「知りませんよ!」
レミリアは椅子から立ち上がった。
「待ちなさい!」
ガーディアンがそちらを見る。
「どうした?」
その声を聞いて、レミリアがさらに固まる。
低く、静かで、落ち着いていて、先ほどまで尻を振り回していた『成人男性(笑)』とは到底思えないほど理知的な声だった。
「あなた、そんな声してるの!?」
美鈴が思わず一歩前へ出る。
「いきなり喋るんですか!?」
「ああ」
小悪魔も驚く。
「じゃ、じゃあ今までのゴーストさんの通訳は……」
「必要だったから頼んでいた」
ゴーストが横からすぐ訂正する。
「あなたが普通に話さないから私が必要だったんです」
「まあそうだな」
「それしか言いません」
文は震える手で急いで筆を動かした。
「『衝撃、謎の外来戦士は普通に会話可能だった』……!」
霊夢が文を見る。
「そこ記事にするの?」
「しますよ! これは大事件ですよ!」
「本人が喋れるだけでしょうが」
「今まで一言も喋らず踊ってた人が急に低い声でしかも知性的で喋ったんですよ!?これは大事件です!」
ガーディアンはそんな騒ぎを気にする様子もなく、静かに続けた。
「今までのは俺なりに、ただ楽しんでいただけだ」
その言葉に、文の筆が僅かに止まる。
「俺はどれだけ馬鹿にされても構わない。罵倒されても、呆れられても、それで誰かが笑うなら別にいい」
霊夢の表情が少し変わる。ガーディアンは声を荒げることなく、淡々と話を続けた。
「俺達の世界じゃ、笑えないことなんて腐るほどあった。昨日まで話していた仲間が次の日にはいなくなることもあったし、自分が間に合わなかったせいで守れなかった場所だってある。死んで、蘇って、それでも何も取り戻せないこともあった」
文はいつの間にか筆を止めていた。
記事へするためではなくただ話を聞いている。
ガーディアンは庭園にいる者達をゆっくり見回した。
「だから、この世界にまで同じものを持ち込みたくない」
大妖精が彼を見つめる。
「俺はただ、自分達の世界で味わった苦しみや辛さ、悲しみを、この世界の人間にまで背負わせたくない。それだけだ」
しばらく誰も何も言わなかった。咲夜は特に複雑な表情でガーディアンを見ている。
「……では」
ガーディアンが彼女を見る。
「あなたは、私が先ほどのことを気にしているのを分かっていたのですか?」
「ああ」
「だから、あの……」
咲夜は一瞬、適切な言葉を探した。
「お尻を振っていたんですか?」
「ブフォッ!!」
一同が吹き出した。咲夜の顔が赤くなる。
「笑わないでください!」
ガーディアンは平然と頷く。
「少しでも馬鹿らしくなれば気が楽になると思った」
「もっと他に方法があったでしょう!」
「でも、さっき少し笑っただろ」
「呆れただけです!」
「それも悪くない」
「あなた……!」
文が手帳へ素早く書き込む。
「『被害者、呆れを笑顔として処理される』……」
咲夜が振り返る。
「射命丸さん!?」
「すみません、今のは書きたくなりました」
「消してください!」
「後で考えます」
「今消してください!」
そこへイコラが、小さくため息を吐きながらガーディアンを見る。
「……ねえ」
「どうしたイコラ?」
「一つ聞いていい?」
「ああ」
「……どうしてあなた、普段ほとんど喋らないの?」
空気が少し変わった。
「無理にとは言わないけど……」
レミリアも。
咲夜も。
美鈴も。
パチュリーも。
小悪魔も。
文も。
今しがた聞かされた話が話だけに、誰もが何か特別な理由を想像した。
戦争で負った心の傷。
過去の喪失。
発声そのものに何か嫌な記憶があるのかもしれない。
文は筆先を止めたまま、ガーディアンの答えを待った。
「……………………………」
一方、霊夢と魔理沙は互いに顔を見合わせる。
「……霊夢」
「何よ」
「嫌な予感するな」
「するわね」
文が二人を見る。
「なんでです?」
霊夢は疲れた顔で答えた。
「まともな理由を期待すると損するってことが」
「そんなに?」
ガーディアンは少し考えた。そして、何のためらいもなく答えた。
「普通に喋るより、『感情表現(エモート)』で会話するのが楽しいからだ」
庭園が静まり返った。
文の筆が手帳の上で完全に停止した。
「……それだけ?」
「ああ」
「戦争の後遺症とかではなく?」
「ない」
パチュリーが尋ねる。
「何かの誓約?」
「全くない」
美鈴が続く。
「声を出すと疲れるとか?」
「疲れない」
小悪魔が恐る恐る手を挙げる。
「喋るのが恥ずかしいとか……?」
「特にない」
一同、沈黙。しかし数秒後。
「そんな理由かよおおおおおおおおおっっ!!!!???」
即座に全員に突っ込まれるガーディアン。
「じゃあ本当に楽しいからだけなんですか!?」
「ああ」
文はその場で膝から崩れかけた。
「私、今までこの人に何か深い事情があるものだと思って記事の表現まで考えてたんですよ!?」
霊夢が肩を叩く。
「だから言ったでしょ」
「もっと強く止めてくださいよ!」
「なんであたしの責任になるのよ!」
レミリアも両手を広げる。
「私だって何百年もの戦争で心を閉ざしたとか、そういう理由を想像したわよ!」
「残念だったな」
「その声で言われると余計腹が立つわ!」
咲夜もとうとうこめかみを押さえた。
「では、私があなたの手振りや仕草の意味を必死に読み取っていた時も」
「ああ」
「あなたは単純に面白がっていただけ?」
「かなり楽しかった」
「私が楽しくありません!」
文が横で頷く。
「私も記者として全然楽しくありませんでした!」
魔理沙が笑う。
「嘘つけ。お前途中ちょっと楽しそうだったぞ」
「それとこれとは別です!」
霊夢はガーディアンを指差した。
「ねえ。やっぱり今すぐこいつ殺らない?」
魔理沙は即答する。
「大賛成」
文が少し考える。
「……今回は取材ではなく参加側でもいい気がしてきました」
「あんたも来る?」
「新聞記者として暴力はいかがなものかと思いますが」
「じゃあやめる?」
「いえ、一発だけ」
「来るんじゃない!」
チルノも元気よく手を挙げる。
「あたいも!」
ルーミアも続く。
「私もなのかー」
美鈴も笑いながら拳を握る。
「今回は少しだけ」
小悪魔も小さく手を挙げる。
「私も……」
パチュリーは静かに本を閉じた。
「一度くらいなら観察対象として興味があるわ」
霊夢が見る。
「それ殴る理由になってないわよ」
「細かいことはいいの」
レミリアも楽しそうに立ち上がる。
「私も混ざるわ」
フランドールもレーヴァテインが既に握られている。
「思う存分やっていいよね!」
「館が本当に壊れるからそれだけはやめて!手加減できるようになってから参加しなさい!」
「ケチンボ!!」
咲夜は無言だった。ただし、手の中のナイフが明らかに増えている。文がすぐに気づく。
「咲夜さん、それ一発の量じゃないですよね?」
「気のせいです」
「絶対違いますよね?」
一瞬で包囲されたガーディアンは、周囲をゆっくり見回した。そして何の躊躇もなく。
\( ≧ω≦)/イェーイ!
「だからなんでそんか余裕そうなのよ!!」
霊夢が叫ぶ。文も続く。
「普通そこは怯える場面でしょう!?」
ガーディアンはもう一度親指を立てる。
「会話をしてください!」
「今度は射命丸まで言ってるぜ」
魔理沙が笑う。ケイドはとうとう腹を抱えて大笑いした。
「ワハハハハハハハハハ!お前ら、こいつを暴力で脅したって何にもならねえぞ!」
霊夢が振り返る。
「なんでよ!?」
ケイドは笑いながらガーディアンを指差す。
「だってこいつ、自分や仲間がクルーシブルで派手に死んだ時の映像を残して、後で一緒に上映会開いてゲラゲラ笑うような奴だからな!」
「…………」
文の顔から笑みが消えた。ゆっくり手帳を開く。
「……今、何と?」
ケイドが嫌な笑みを浮かべる。
「自分の死に様上映会」
文の筆が高速で動き始める。
「ちょ、射命丸!?」
霊夢が止める。
「これは書かせてください!これは書きます!」
大妖精は目を丸くしている。
「自分が死んだところを、後で友達と見るんですか?」
クロウが深いため息を吐いた。
「見る。しかも酷い死に方をした時ほど本人は喜ぶ」
チルノですら理解不能という顔をする。
「なんで!?」
クロウが数秒考えた。
「……私にも分からない」
「仲間にも分からないの!?」
ゴーストが観念したように続ける。
「本人曰く、『面白い死に方なら後でネタになる。だから殺るなら派手に残虐に頼む』とのことです」
文の筆が止まる。
「…………」
霊夢も。
魔理沙も。
レミリア達も。
全員がガーディアンを見る。
本人は。
(●^ω^●)ハヤクハヤク!
霊夢の絶叫が庭園へ響いた。
「こいつ頭おかしすぎるわ!!」
文も叫ぶ。
「記事の見出しが決まりません!!」
魔理沙が笑いながら尋ねる。
「候補何個あるんだ?」
「『不死の戦士、己の死を娯楽化』か、『外来の英雄、死に様上映会を開催』か、『幻想郷史上最も理解不能な男』で迷ってます!」
霊夢が即答する。
「最後のでいいわよ!」
ガーディアンが文を見る。
「悪くない」
文が固まる。
「気に入るんですか!?」
「物凄く」
文は額を押さえた。
「この取材対象、強すぎます……」
レミリアも深く息を吐く。
「私、最初はケイドが一番の問題児だと思っていたのだけれど」
美鈴が頷く。
「私もです」
小悪魔も。
「私も……」
文も手を挙げる。
「私も最初はケイドさんの記事になると思ってました」
ケイドがすぐ反応した。
「おい! なんで全員俺が問題児前提なんだよ!」
クロウが淡々と言う。
「普段の行いだ」
「クロウまで!」
イコラはこめかみを押さえる。
「私は最初から両方だと思っているわ」
「イコラ!?」
その隣でガーディアンは、また楽しそうに親指を立てた。
「お前は喜ぶな!」
「褒められたと思った」
「違う!」
霊夢と文が同時に叫ぶとそれをきっかけに、庭園にはまた大きな笑い声が広がった。
つい少し前まで、何百年もの死や喪失、ケイドが抱えてきた過去について話していたとは思えないほど、今は皆が笑っていた。
文はその光景をしばらく眺めてから、手帳へゆっくりと一文を書き加えた。
魔理沙が覗き込もうとする。
「今度は何書いた?」
「見ないでください」
「いいじゃん」
「駄目です」
霊夢が横から聞く。
「どうせまた変な見出しでしょ」
文は少しだけ笑った。
「いいえ」
手帳には、記事の文章ではなく、ただ短くこう書かれていた。
――この男は、笑われることを恐れない。
文はそれを誰にも見せず、そっと手帳を閉じた。
少し前まで、ガーディアンの奇行は単純に意味不明だと思っていた。
今でも意味不明ではある。
双眼鏡には本当に意味がなかったし、尻を振る必要も、光る棒を振り回す必要もなかった。
それでも、周囲が重苦しい顔をしていた時。
この男は、誰より先に馬鹿なことを始めた。
自分が笑われる側に立って。
誰かが笑える空気を作ろうとした。
それが本人なりの楽しみでもあり、同時に彼なりの気遣いでもあるのだろう。
霊夢も同じことを考えていたのか、満面の笑顔でまた親指を立てているガーディアンを眺めながら、小さく息を吐いた。
「……ねえ魔理沙」
「なんだ?」
「あいつ、ケイドより面倒臭くない?」
魔理沙は少し考える。
ケイドを見る。
ガーディアンを見る。
さらに、何やら次の記事の見出しを考え始めた文を見る。
「……問題児、三人になってないか?」
文が即座に振り返った。
「どうして私まで入ってるんですか!?」
霊夢は少し考えた。
「普段の行い」
「さっきクロウさんがケイドさんに言ったのと同じ理由!?」
ケイドが指を差して大笑いする。
「ワハハハハ!仲間が増えたな相棒!」
ガーディアンは嬉しそうに親指を立てる。
「だから私はあなた達側じゃありません!!」
文のその声に、庭園にはまた笑いが広がった。
今度ばかりは誰も、その笑いを止めようとはしなかった。