東方天命録~The Final Shape Begins~   作:はならむ

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第六十二話:不穏の日常 ③

人間の里に到着した頃には、太陽はすっかり高く昇っていた。

大通りには大勢の人々が行き交い、あちらこちらから商人達の威勢のいい声が聞こえてくる。店先には旬の野菜や果物が並べられ、乾物屋の軒下では干し椎茸や昆布が風に揺れていた。

荷車を引く男が通りを横切り、その後ろを子供達が笑いながら駆け抜けていく。

少し離れた茶屋からは団子を焼く香ばしい匂いが漂い、道端では買い物を終えた女性達が立ち話に花を咲かせていた。

幻想郷の人間達が暮らす、ごくありふれた日常の風景である。

 

「さて、と」

 

霊夢は大通りへ出ると、周囲の店を見渡した。

 

「まずは野菜ね。その後に日用品を買って、最後にお米にしましょうか」

 

「分かった」

 

隣を歩くクロウが素直に頷いた。彼にとって、人間の里を訪れるのは初めてのことだった。

博麗神社から見下ろしたことはあっても、実際にこうして人々の生活の中へ足を踏み入れるのは、また違った感覚がある。

石や木材で作られた日本式の建築物。

開けた店先に並べられた様々な商品。

人々が身につけている素朴な日本特有の着物。

 

そのどれもが、彼の知るリーフ、シティとは大きく異なっていた。

 

「……随分と賑やかな場所だな」

 

クロウが呟いた。霊夢が振り返る。

 

「そう?」

 

「ああ。古風ではあるが嫌いではない」

 

クロウは道端で遊ぶ子供達へ目を向けた。

 

「皆、楽しそうに暮らしている」

 

「まあね。ここは人間の里だもの」

 

霊夢は何でもないように答えた。

 

「生活に必要なものは大抵揃うし、妖怪だって勝手に暴れられるわけじゃない。住むには悪くないところよ」

 

「なるほど」

 

クロウは小さく頷いた。

彼の目の前では、一人の幼い少女が母親の手を引っ張り、菓子屋の店先を指差している。

母親は困ったように笑いながらも、結局は少女に菓子を一つ買ってやった。

少女が嬉しそうに笑う。

そんな何気ない光景を、クロウはしばらく眺めていた。

戦場ではない。

敵の襲撃を警戒する必要もない。

人々は今日の夕食や明日の仕事について考え、子供達は遊びに夢中になっている。

彼の知る世界にも、こうした時間は確かに存在する。

けれど、幾度となく戦火に晒されてきた世界に身を置いていたからこそ、目の前の穏やかさには自然と心を惹かれるものがあった。

 

「……空気が澄んでいていい場所だな」

 

その言葉に、霊夢が少しだけ笑った。

 

「でしょう?」

 

そして、どこか得意げに続ける。

 

「まあ、ここで何かあったらあたしが出ていかなきゃならないんだけどね」

 

「そうだったな」

 

クロウも小さく笑った。

しかし、そんな穏やかな会話を交わしながら歩いているうちに、彼は周囲の人々から向けられる視線に気づいた。

 

「…………」

 

最初に足を止めたのは、店先で荷物を運んでいた男だった。

何気なく霊夢の姿を見つけ、その隣にいるクロウへ視線を移す。

そして、思わず二度見した。

 

「……なあ」

 

「何だ?」

 

隣にいた男へ小声で話しかける。

 

「博麗の巫女さんの横にいる男、見たか?」

 

「ああ……何だ、あの格好?」

 

二人がクロウを眺める。

 

「外来人か?」

 

「じゃないか? あんな服、見たことないぞ」

 

「肌も青白いしおかしい瞳をしている……異国から来た人間なのかねえ」

 

そんな囁きが、周囲のあちらこちらで聞こえ始めた。

無理もなかった。

クロウは、幻想郷の住人達が普段見慣れている人間とは明らかに異なる姿をしていた。

青白い肌に、淡い光を宿す瞳。

白と黒を基調としたハンターの防具には、鱗を思わせる硬質な突起が幾重にも重なっている。肩から胸部にかけての装甲は複雑な形状をしており、腰には見慣れない装備品が取り付けられていた。

背中から伸びる外套も、この里で売られているような衣服とはまるで違う。

どう見ても、普通の旅人ではない。

 

「……ねえ、お母さん」

 

道端を歩いていた子供が、母親の袖を引いた。

 

「何?」

 

「あの人、目が光ってるよ」

 

「こら、人を指差しちゃ駄目でしょう」

 

母親が慌てて子供の手を下ろさせる。

クロウはその様子に気づくと、困ったように笑いながら軽く手を振った。

すると子供は一瞬驚いた後、嬉しそうに手を振り返した。

 

「…………」

 

そのやり取りを横目で見ていた霊夢が、小さく呟く。

 

「……やっぱり目立つわね、あんた」

 

「仕方ないさ」

 

クロウは周囲を見回した。

 

「だが、思っていたほど悪い反応じゃない」

 

「まあ、別に悪さをしてるわけでもないしね」

 

霊夢は肩を竦めた。

 

「それに……」

 

その言葉を途中で止める。少し離れた反物屋の前で、二人の若い女性がこちらを見ていた。

 

「……ねえ、あの人」

 

「うん?」

 

「霊夢さんの隣を歩いてる人、ちょっと格好よくない?」

 

「……ああ」

 

もう一人の女性がクロウを見た。

 

「確かに。随分綺麗な顔してるわね」

 

「でしょ?」

 

「肌の色は変わってるけど……何だか不思議な雰囲気」

 

「目元もいいわよね。ちょっと寂しそうというか悲しそうっていうか」

 

「分かる分かる!」

 

二人は顔を見合わせて小さく笑った。

クロウはもともと端正な顔立ちをしていた。

アウォークン特有の肌や瞳も幻想郷では珍しいがゆえに、どこか神秘的な印象を与えている。

さらに、その眼差し。落ち着いた物腰とは裏腹に、瞳の奥にはどこか物悲しい影が宿っていた。

その雰囲気が、女性達の関心を引いているらしかった。

 

「…………」

 

霊夢はクロウを見た。

当の本人はというと、軒先に並べられた見慣れない商品を興味深そうに眺めている。

どうやら周囲の女性達の反応には気づいていないらしい。

 

「あなた、意外と人気あるみたいね」

 

「ん?」

 

クロウが振り返る。

 

「何がだ?」

 

「……何でもないわ」

 

霊夢は小さく笑った。

 

(……ケイドだったら、絶対ここで調子に乗ってるわね)

 

そして、もう一人の姿が頭に浮かんだ。

蛍光色の鎧。

発光する角のついたヘルメット。

そして、巨大なハートのエモート。

 

(……あいつだったら、間違いなく人んちの屋根とかよじ登って踊ってゴミバケツに入ったりして屋根から落っこちて死にそう)

 

霊夢は即座にその想像を打ち消した。

今は買い物である。

余計なことを考えている場合ではなかった。

 

◇

 

「いらっしゃい!」

 

最初に立ち寄ったのは、大通りに面した八百屋だった。

店先には大根や人参、白菜、葱などが山のように積まれている。

店主の男は霊夢の姿を見ると、親しげに笑った。

 

「おや、霊夢さん。今日は買い物かい?」

 

「ええ」

 

霊夢は店先に並ぶ野菜を眺めた。

 

「ちょっと食料が足りなくなってね。今日はいつもより多めに買うわ」

 

「へえ、珍しいね」

 

「まあ、色々あってね」

 

霊夢は曖昧に答えた。

実際、色々ありすぎた。

神社に居候している異世界の住人が増えたこと。

そのうちの一人が、朝から神社の屋根で踊っていたこと。

そして、意味の分からない遊びで二回も死んだこと。

……もちろん、店主に説明したところで理解してもらえるとは思えない。

 

「大根と人参、それから白菜を二つ。葱もお願い」

 

「はいよ」

 

店主が手際よく野菜を取り分けていく。

霊夢は品物を一つずつ確かめながら、値段を聞いていた。

 

「……ねえ、これちょっと高くない?」

 

「今日はこれでも安い方だよ」

 

「もう少し安くならない?」

 

「霊夢さん、毎度それ言うねえ」

 

「言うだけならただでしょう?」

 

「ははは!そりゃそうだ!」

 

店主が笑う。クロウはその隣で、二人のやり取りを静かに眺めていた。

霊夢は財布の中身が増えていることを知ってから、随分と機嫌がよくなっていた。

しかし、だからといって無駄遣いするつもりはないらしい。

品物を吟味し、少しでも安いものを選び、必要な量を考えて、何なら値切り交渉をして買っている。

 

(……こういうところもしっかりしているんだな)

 

クロウは少しだけ感心した。すると、店主がふと彼へ目を向けた。

 

「……ところで、霊夢さん」

 

「何?」

 

「そちらの方は?」

 

霊夢が振り返る。

 

「ああ、紹介してなかったわね」

 

そして、隣のクロウへ手を向けた。

 

「クロウよ。訳あって今、うちで居候してるの」

 

クロウも店主へ向き直り、軽く頭を下げる。

 

「クロウだ。よろしく」

 

「へえ……」

 

店主は改めてクロウを眺めた。

青白い肌。

淡く輝く瞳。

見慣れない防具。

そして、整った顔立ち。

 

「……なるほどねえ」

 

何かを納得したように頷く。それから、にやりと笑った。

 

「いやあ、てっきり霊夢さんに恋人ができたのかと思ったよ」

 

霊夢の手が止まった。

 

「……は?」

 

「だって、霊夢さんが男の人と二人で買い物なんて珍しいじゃないか」

 

店主は楽しそうだった。

 

「しかも、よく見りゃ随分顔の整ったいい男だしねえ。こりゃあ、ついに霊夢さんにも春が来たのかと思ったよ」

 

「ち、違うわよ!」

 

霊夢が慌てて否定した。

 

「そういうんじゃないから!」

 

「ははは、分かってる分かってる」

 

「絶対分かってないでしょうが!」

 

その声に、近くを歩いていた人々がちらりと振り返った。霊夢はそれに気づき、少しだけ声を落とす。

 

「……まったく、余計なこと言わないでよ」

 

クロウも、どう反応していいものか分からず、困ったように笑っていた。

 

「は、はは……っ」

 

霊夢がじろりと睨む。

 

「……クロウ」

 

「ん?」

 

「あんたも笑わないでよ」

 

「いや、すまない。どう反応すればいいか迷ってな」

 

クロウは小さく肩を竦めた。

 

「少し驚いただけだ」

 

「……もう」

 

霊夢はため息を吐いた。

 

「他にも何人か居候してるのよ。クロウはその一人。それだけだから」

 

「へえ、そうなのかい」

 

「で、いっぱい買い物してクロウを荷物持ちさせたりこき使ってやろうかってね」

 

「なるほどねえ」

 

店主は頷いた。

 

「そりゃあ、随分賑やかになっただろうね」

 

「…………」

 

霊夢は遠い目になった。

 

「……賑やか、ね」

 

脳裏に浮かぶのは今朝の出来事だった。

屋根の上で踊るガーディアン。

溶岩渡りゲーム。

墜落。

蘇生。

ゴミバケツ。

再び墜落。

そして、満面の笑顔で親指を突き上げる成人男性(笑)。

 

「…………」

 

霊夢はしばらく黙った。

 

「……まあ、退屈はしなくなったわね」

 

何とも言えない声音だった。

 

「……そうかい?」

 

店主は少し首を傾げたものの、それ以上深く追及しなかった。

 

「……そういえばさ」

 

野菜を袋へ詰めてもらっている間に、霊夢がふと口を開いた。

 

「ん?」

 

店主が顔を上げる。

 

「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

 

「何だい?」

 

「ここへ来る途中、見慣れない道があったのよ」

 

「道?」

 

「ええ」

 

霊夢は、先ほど森の中で見つけた道について説明し始めた。

博麗神社から人里へ向かう途中。

いつも通る森の一角。

そこに、以前は見かけなかった道があったこと。

しかも、人間の里へ続くことを示す看板まで立っていたこと。

 

「……最近、誰かが作ったの?」

 

霊夢が尋ねた。すると、店主は不思議そうに首を傾げた。

 

「は?何を言ってるんだい?」

 

「え?」

 

「あの道なら、ずっと昔からあるぞ?」

 

「…………」

 

霊夢の表情が僅かに変わった。

 

「……昔から?」

 

「ああ」

 

店主は何でもないことのように頷いた。

 

「私が生まれる前からある道だよ。昔から里へ出入りする人が使ってる」

 

「…………」

 

霊夢は眉を寄せた。

 

「……ちょっと待って」

 

「何だい?」

 

「あたし、そんな道知らないわよ?」

 

「知らない?」

 

店主は目を丸くした。

 

「そんなはずないと思うけどねえ」

 

「でも、見覚えないのよ」

 

「霊夢さんだって、何度もあの辺りを通ってるだろう?」

 

「そりゃそうだけど……」

 

「だったら見てるはずだよ」

 

店主の言葉は、あまりにも自然だった。

冗談を言っている様子もない。

ましてや、嘘をついているようにも見えない。

霊夢は腕を組んだ。

 

「……本当に昔からあるの?」

 

「ああ」

 

即答だった。

 

「私の親の代からあるはずだよ。少なくとも、最近できた道じゃないね」

 

「…………」

 

霊夢の眉間に皺が寄った。

 

(……どういうこと?)

 

頭の中で、先ほどの景色を思い出す。

木々の間を伸びる道。

踏み固められた土。

苔の生えた古い看板。

確かに、最近作られたものではなかった。

だが。

 

(……あたし、あんな道知らないんだけど)

 

長年幻想郷で暮らし、何度も人里へ足を運んできた。

もちろん、地上の道を全て覚えているわけではない。

それでも、あれほど目立つ道なら、一度くらい気づいていてもおかしくないはずだった。

 

「……霊夢?」

 

隣からクロウが声を掛ける。

 

「……何?」

 

「何か気になるのか?」

 

「……まあね」

 

霊夢は小さく息を吐いた。

 

「何となく、記憶と合わないのよ」

 

クロウは少し考えた。

 

「……君が見落としていたという可能性は?」

 

「それは分かってるわよ」

 

霊夢は小さく肩を竦める。

 

「でも、何か引っかかるのよね」

 

店主も不思議そうに二人を眺めていた。

 

「まあ、霊夢さんは普段空を飛んでるんだろう? 地上の道に気づかなかっただけじゃないかい?」

 

「…………」

 

霊夢はしばらく黙った。そして。

 

「まあ……そうかもね」

 

曖昧に頷いた。これ以上聞いたところで、答えは変わらないだろう。

店主の態度には、何一つ不自然なところがなかった。

むしろ、自分の方がおかしなことを言っているように思えてくる。

 

(……まさか、あたしが忘れてるだけ?)

 

霊夢は小さく首を振った。

 

「……まあ、いいわ」

 

店主へ向き直る。

 

「変なこと聞いて悪かったわね」

 

「いやいや、構わないよ」

 

男は笑った。

 

「気になるなら、帰りに通ってみればいいじゃないか」

 

「……そうね」

 

霊夢は曖昧に答えた。

会計を済ませると、店主が野菜の入った袋を差し出す。

 

「はいよ。毎度あり!」

 

「ありがと」

 

霊夢はそれを受け取る。そして、当然のように隣へ差し出した。

 

「はい、クロウ」

 

「ああ」

 

クロウは何も言わず、袋を受け取った。その様子を見た店主が、再びにやりと笑った。

 

「……本当に仲がいいねえ」

 

「だから違うって言ってるでしょうが!」

 

霊夢の声が、店先へ響き渡った。

 

◇

 

それから二人は、人里の店を次々と回った。

乾物屋では干し椎茸や昆布を買い、調味料を扱う店では味噌や醤油を購入する。

雑貨屋では布巾や紙、紐などの日用品を選び、さらに掃除道具も買い足した。

霊夢は店先で品物を吟味し、時には値段を交渉しながら買い物を進めていた。

そして。

 

「クロウ、これ持って」

 

「ああ」

 

「あと、こっちもお願い」

 

「分かった」

 

「その袋、まだ持てる?」

 

「問題ない」

 

「じゃあこれも」

 

「ああ」

 

……そんなやり取りを繰り返しているうちに。

気がつけば、クロウの両手には大量の買い物袋が下がっていた。

野菜。

乾物。

調味料。

掃除道具。

その他、細かな日用品。

白と黒の特徴的なハンター防具に身を包んだ男が、両手いっぱいに生活用品を抱えている。

その光景は、どう見ても歴戦の戦士には見えなかった。むしろ。

 

「…………」

 

霊夢は少しだけ立ち止まり、クロウを見た。

クロウも足を止める。

 

「どうした?」

 

「……いや」

 

霊夢は彼の両手へ目を向けた。

 

「……随分持たせたわね」

 

「ああ」

 

「重くない?」

 

「大丈夫だ」

 

クロウは普段と変わらない声で答える。

 

「この程度なら問題ない」

 

「…………」

 

霊夢は少し考えた。

そして。

 

「じゃあ、次はお米を買うからついてきて」

 

「ああ、分かった」

 

クロウは素直に頷いた。

 

「…………」

 

霊夢はしばらく彼を見つめた。

 

「……ねえ、クロウ」

 

「何だ?」

 

「あなた、本当に嫌がらないわね」

 

「……何をだ?」

 

「荷物持ちよ」

 

霊夢は腕を組んだ。

 

「普通、こんなに持たされたら少しくらい文句言わない?」

 

クロウは少し不思議そうな顔をした。

 

「どうしてだ?」

 

霊夢の表情が止まった。

 

「……なぜって」

 

「君の買い物に付き合うと約束しただろう?」

 

「……まあ、そうだけど」

 

「なら、最後まで付き合うさ」

 

霊夢は彼をじっと見た。そして。

 

「……クロウさ」

 

「ん?」

 

「大の男なのに、本当に従順ね」

 

クロウが目を瞬かせる。

 

「……そうか?」

 

「そうよ」

 

霊夢は少し呆れたように続けた。

 

「こんな小娘にああだこうだ言われて少しは反発したりしないの?」

 

クロウは僅かに考えた。そして。

 

「……なぜだ?」

 

「…………」

 

「私はただ、居候としての責務を果たしているだけだが」

 

「………………」

 

霊夢は完全に黙った。

クロウは本気で不思議そうだった。

荷物を持たされていることに不満があるわけでもない。

ただ、世話になっている場所のために、自分ができることをしている。

彼にとっては、それだけの話らしい。

 

「……あなたさ」

 

霊夢がようやく口を開いた。

 

「よく損する性格って言われない?」

 

クロウは少しだけ笑った。

 

「……まあ、否定はしない」

 

「……自覚あるのね」

 

「ああ」

 

「だったら少しは――」

 

「だが」

 

クロウは穏やかに続けた。

 

「私自身が構わないと思っているなら、別にいいだろう?」

 

「…………」

 

霊夢はまた黙った。

 

……どうにも調子が狂う。

 

普段なら、ここまで言えば相手も多少は文句を言うものだ。

魔理沙なら、間違いなく「お前も少しは持てよ」と言うだろう。

ケイドなら、軽口の一つや二つは確実に飛んでくる。

 

そしてガーディアンなら――。

 

「…………」

 

霊夢の脳裏に、突然ソファーを出して寛ぎ始めるあの目に悪い蛍光色の鎧が浮かんだ。

 

(……あいつなら絶対やるわね)

 

しかも、こちらが怒れば親指を立てる。

あるいは巨大なハートを出す。

もっと悪ければ、地面へ寝転がって駄々をこね始めるかもしれない。

 

「…………」

 

霊夢は小さく息を吐いた。

 

「……ほんと、変なところでまともよね」

 

「……褒められているのか?」

 

「一応ね」

 

「そうか」

 

クロウは少し笑った。

 

「ありがとう」

 

「…………」

 

霊夢は額へ手を当てた。

 

(……だから、そこで素直に礼を言うのが調子狂うのよ)

 

しかし助かっているのは事実だった。

これほど大量の買い物袋を持ちながら、嫌な顔一つしない。

しかも、彼は歩く速度まで霊夢へ合わせている。

 

「……まあ」

 

霊夢は少しだけ口元を緩めた。

 

「そう言ってくれるなら、これからも安心してこき使えるわね」

 

クロウは迷いなく頷いた。

 

「任せてくれ」

 

「…………」

 

霊夢は数秒間、彼を見た。

そして。

 

「……いや、だからねえ」

 

「どうした?」

 

「……もういいわ」

 

霊夢は諦めたように前を向いた。

 

「ほら、次は米屋よ」

 

「ああ。行こうか」

 

クロウは大量の荷物を持ったまま、素直に後をついていった。

 

◇

 

「……ん?」

 

そんな二人へ、少し離れた場所から声が掛かった。

 

「霊夢じゃないか」

 

霊夢が振り返る。

そこに立っていたのは、青いワンピースに白い半袖の上着をまとい、開いた胸元に赤いリボンを結んだ女性。長い銀髪の頭には、赤い飾りのついた独特な帽子を被っている。そして、その手には数冊の書物を抱えている。

 

――彼女は上白沢慧音。

 

人間の里で寺子屋の教師を務める、半人半獣である。

 

「あら、慧音じゃない」

 

霊夢が軽く手を上げた。

 

「今日は寺子屋は?」

 

「今は休憩時間だ。予備の筆記用具を買いに来てな」

 

慧音は手にした包みを軽く持ち上げた。

それから、霊夢とクロウを交互に見る。

 

「……霊夢も買い物か?」

 

「うん」

 

霊夢は頷いた。

 

「ちょっと生活用品が足りなくなってね」

 

「なるほど」

 

慧音は納得したように頷いた。

しかし、すぐにクロウへ視線を向ける。

 

「……ところで」

 

「何?」

 

「そちらの男性は?」

 

霊夢はクロウを見る。

 

「紹介するわ。クロウよ」

 

軽く手を向けた。

 

「外来人で、今は訳あってうちに居候してるの」

 

クロウも慧音へ向き直り、丁寧に頭を下げた。

 

「クロウだ。よろしく」

 

慧音も同じように頭を下げる。

 

「私は上白沢慧音。この里で寺子屋の教師をしている」

 

「寺子屋?」

 

クロウが首を傾げた。

聞き慣れない言葉だった。

霊夢が横から説明する。

 

「子供達に学問を教える場所よ」

 

「――ああっ」

 

クロウは納得したように頷いた。

 

「学校か」

 

「そういうことだ」

 

慧音が微笑む。

 

「読み書きや算術、それから歴史などを教えている」

 

「なるほど」

 

クロウは少しだけ表情を和らげた。

 

「子供達に学ぶ機会を与える仕事か。立派な役目だな」

 

「……ありがとう」

 

慧音は僅かに目を瞬かせた後、穏やかに答えた。

霊夢はその横で、何とも言えない表情になっていた。

 

「……ほら、こういうところなのよ」

 

「ん?」

 

クロウが振り返る。

 

「何がだ?」

 

「何でもない」

 

霊夢は即答した。慧音はそんな二人を少し不思議そうに眺めていたが、やがて何かを思い出したように口を開いた。

 

「……そういえば、霊夢」

 

「何?」

 

「先日、紅魔館の近くで随分大きな騒ぎがあったそうだな」

 

霊夢の表情が僅かに変わった。

 

「……ええっ」

 

「何でも、霧の湖の辺りから凄まじい音が聞こえてきたとか。空が光ったとか、遠くからでも爆発が見えたとか……色々と噂になっている」

 

慧音は少し眉を寄せた。

 

「また異変だったのか?」

 

「……え、ええ」

 

霊夢は少しだけ言葉を選んだ。

 

「まあ、色々あったわ」

 

「色々?」

 

「……ちょっと死にかけたけど」

 

「…………」

 

慧音の表情が止まった。

 

「……は?」

 

「いや、だから」

 

霊夢は少し困ったように笑う。

 

「結構危なかったのよ」

 

「ちょっと待て」

 

慧音は思わず一歩近づいた。

 

「お前が死にかけたのか?」

 

「……まあね」

 

「霊夢ほどの実力者が?」

 

その声には、明らかな驚きが滲んでいた。

博麗霊夢。

幻想郷で起こる異変の多くを解決してきた、博麗の巫女。

その実力について、慧音もよく知っている。

普段は気ままに振る舞っているが、ひとたび異変となれば、並みの妖怪では到底相手にならない存在だ。

そんな霊夢が、自ら死にかけたと口にしたのである。

 

「……魔理沙も一緒ではなかったのか?」

 

「いたわよ」

 

霊夢は頷いた。

 

「魔理沙も、チルノも、大妖精も、ルーミアもいたし」

 

「……何?」

 

「それに、レミリア達紅魔館の連中も総出だったわ」

 

慧音の眉がさらに寄る。

 

「紅魔館の連中まで?」

 

「ええ」

 

霊夢は隣のクロウへ視線を向けた。

 

「あと、このクロウと他にも何人か外来人の仲間がいてね。今はうちに居候してるんだけど、その人達も一緒に戦ってくれたの」

 

クロウも静かに頷いた。

 

「私達も戦闘に参加した」

 

「…………」

 

慧音はしばらく二人を見比べた。

霊夢。

魔理沙。

チルノ。

大妖精。

ルーミア。

レミリア達、紅魔館の住人。

さらに、目の前にいるクロウと、その仲間達。

それだけの人数が揃っていたという。

にもかかわらず。

 

「……それだけいて、なお苦戦したのか?」

 

「……そうなのよ」

 

霊夢の声が少しだけ低くなった。

慧音は真剣な表情になった。

 

「一体、どんな奴だったんだ?」

 

「…………」

 

霊夢は少し黙った。

脳裏に、あの日の光景が浮かぶ。

 

――霧の湖。

無数の化け物達。

耳障りな咆哮。

異様な武器を手に襲いかかってくる連中。

その中には、自分達の知っている妖怪とも魔法とも異なる力を使う存在がいた。

そして、紅魔館の庭園。

ステイシスの結晶。

砕け散る地面。

無数の魔法弾と銃弾。

巨大な斧とアーク、ステイシスを操るアラークハル。

あの時のことを思い出すだけで、今でも少しばかり背筋が冷たくなる。

 

「……ハイヴよ」

 

やがて霊夢が答えた。

 

「ハイヴ?」

 

慧音が聞き返す。

 

「ええ」

 

霊夢は頷いた。

 

「そういう名前の化け物連中よ」

 

「……化け物?」

 

「そう」

 

霊夢は少し考え、言葉を選んだ。

 

「人間でもなければ、こっちでよく見る妖怪とも違う。見た目も気味が悪いし、妙な武器を持ってるし、何より数が多かったわ」

 

慧音は真剣に耳を傾けている。

 

「しかも、連中はまともに話が通じる相手じゃないのよ」

 

霊夢の表情が少し険しくなった。

 

「いきなり襲ってくるし、こっちが何者かなんてお構いなし。戦い方も弾幕ごっことは全然違った」

 

「……そうなのか」

 

「ええ」

 

霊夢は小さく息を吐いた。

 

「まあ、全力で立ち向かって何とか追い返したけどね」

 

慧音はしばらく黙っていた。

そして、顎へ手を添える。

 

「……ハイヴ、か」

 

聞き慣れない名前だった。

彼女は幻想郷の歴史に詳しい。

人間の里で子供達に歴史を教え、幻想郷で起こってきた様々な出来事についても相応の知識を持っているのだが。

 

「……聞いたことがないな」

 

慧音が静かに呟いた。

 

「歴史に詳しい私でも、そのような名の妖怪や種族は知らない」

 

「……そうでしょうね」

 

霊夢は曖昧に答えた。

 

「外の世界から迷い込んだ妖怪という可能性もあるが……」

 

「…………」

 

その言葉に、霊夢は思わずクロウを見た。

クロウも僅かに目を動かす。

二人の視線が、一瞬だけ交わった。

慧音はその様子に気づかなかったらしい。 

 

「しかし、そこまで危険な連中が現れたとなると、少々気になるな」

 

「……まあね」

 

霊夢は軽く頷いた。

だが、それ以上は何も言わなかった。

ハイヴが幻想郷の妖怪ではないこと。

その正体が、クロウ達の世界から現れた敵対勢力であること。

そして、彼らの背後には幻想郷の住人達が想像するよりも遥かに大きな脅威が存在していること。

それらを、今ここで全て説明するわけにはいかなかった。

もちろん、慧音を信用していないわけではない。

むしろ彼女なら、話を聞けば真剣に考えてくれるだろう。

ただ、今はまだ、情報が少なすぎた。

クロウ達の仲間、ザヴァラの行方すら分かっていない。

幻想郷のどこに敵が潜んでいるのかも不明だ。

そんな状況で、里の教師へ異世界から危険な勢力が入り込んでいると伝えれば、当然ながら人里への影響も考えなければならない。

それに霊夢自身、まだ全てを理解できているわけではなかった。

 

(……さすがに、今ここで話すことじゃないわね)

 

霊夢は心の中で呟いた。一方、クロウも静かに口を閉じていた。

彼にとって、ハイヴは決して未知の存在ではない。

その危険性も、幻想郷の住人達より遥かによく知っている。

 

何より、クロウの世界から来たと分かれば彼らに無用な不信感を抱きかねない。

 

だからこそ、軽々しく説明できるものではなかった。

 

 

慧音が小さく息を吐く。

 

「……まあ、お前達が無事だったなら何よりだが」

 

「ええ」

 

霊夢は少しだけ笑った。

 

「今回は何とかなったわ」

 

「しかし、油断するなよ」

 

慧音の声音が真剣なものへ変わる。

 

「お前がそこまで苦戦するような相手だ。もしまた現れたら、今度は人間の里に被害が出るかもしれない」

 

「……分かってる」

 

霊夢も静かに頷いた。

 

「そのために、今も色々調べてもらってるところなのよ」

 

「調べてもらっている?」

 

「ええ」

 

霊夢は少しだけ言葉を選んだ。

 

「クロウの仲間に、そういうのが得意な人がいるから」

 

「……なるほど」

 

慧音はクロウへ視線を向けた。

 

「あなた達も、その化け物について何か知っているのか?」

 

「…………」

 

クロウは一瞬だけ霊夢を見た。

彼女が小さく頷く。

クロウは慧音へ向き直った。

 

「少なくとも、危険な相手であることは知っている」

 

「……そうか」

 

「ああ」

 

クロウは静かに続けた。

 

「だから、もし見慣れない武装集団や怪物を見かけたら、絶対に近づかないでほしい」

 

その声音には、先ほどまでの穏やかさとは異なる、はっきりとした真剣さがあった。

慧音も自然と表情を引き締める。

 

「……分かった」

 

そして、少し考えた後に頷いた。

 

「寺子屋の子供達にも、知らない危険な相手には近づかないよう、改めて言い聞かせておこう」

 

「助かる」

 

クロウが短く答える。

慧音はそんな彼をしばらく見つめた。

青白い肌。

不思議な瞳。

見慣れない防具。

外見こそ奇妙だが、少なくとも言葉遣いや態度は実に礼儀正しい。

それに、先ほどから霊夢の買い物袋を何一つ文句を言わずに持ち続けている。

 

「……あなたも随分と苦労しているようだな」

 

慧音が少し笑った。

クロウが首を傾げる。

 

「……何がだ?」

 

慧音は彼の両手へ視線を落とした。

そこには、大量の買い物袋。

野菜。

乾物。

日用品。

そして、まだ増える予定の荷物。

 

「……それだけ持たされているのに、よく平然としていると思ってな」

 

クロウは少し笑った。

 

「この程度なら問題ない」

 

霊夢が横から当然のように言った。

 

「そうよ。これからお米も買うんだから」

 

慧音が目を丸くした。

 

「……まだ買うのか?」 

 

慧音はクロウを見た。

クロウも慧音を見る。そして。

 

「心配ない」

 

何の躊躇もなく答えた。

 

「…………」

 

慧音はしばらく黙った。

それから、何とも言えない表情で霊夢を見る。

 

「……霊夢」

 

「何よ?」

 

「少しは加減してやれよ」

 

「してるわよ!」

 

霊夢が即座に反論した。

 

「それに、本人がいいって言ってるんだから!」

 

「……そういう問題なのか?」

 

「そういう問題よ!」

 

クロウは二人のやり取りを見ながら、小さく苦笑した。

 

「私は本当に構わないんだが……」

 

「ほら!」

 

霊夢が胸を張る。慧音は深いため息を吐いた。

 

「……まったく、相変わらず人使いが荒いな」

 

そう呟きながらも、その口元には僅かな笑みが浮かんでいた。

 

人里の喧騒は、相変わらず続いていた。

子供達の笑い声。

商人の売り声。

行き交う人々の足音。

いつもと何一つ変わらない、ごく普通の昼下がり。

それでも霊夢の胸の中では、朝から積み重なっていた小さな違和感が、少しずつ無視できないものへ変わり始めていた。

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