東方天命録~The Final Shape Begins~ 作:はならむ
「……さて、私はそろそろ寺子屋に戻るとするか」
一通り話を終えた慧音は、腕に抱えていた書物を持ち直した。
昼下がりの人間の里には、相変わらず活気が満ちていた。通りを行き交う人々の話し声に、商人達の威勢のいい売り声が重なる。荷車の車輪が土の道を軋ませ、軒先では風に揺られた暖簾がゆったりとはためいていた。
霊夢も、そろそろ残りの買い物を済ませようと思っていた。
もっとも、買った品物の大半は、すでにクロウの両手に収まっている。
野菜の袋に乾物の包み、調味料に雑貨類。どれも生活には必要なものばかりだが、こうしてまとめて持つとなかなかの量だった。
それでもクロウは嫌な顔一つせず、二人の会話が終わるのを静かに待っていた。
「じゃあまたね。慧音」
「ああ。霊夢も気をつけて――」
そこまで言いかけた慧音が、不意に口を閉じた。
「……ん?」
何かを思いついたらしい。その視線が、霊夢の隣へ向けられる。
「あ、そうだ」
「何よ?」
「いや、少し思いついたことがあってな」
慧音は改めてクロウへ向き直った。
「あなた、クロウさんと言ったな?」
「ああ」
突然話しかけられたクロウが顔を上げる。
「どうした?」
「もしよかったら、少し寺子屋に寄っていかないか?」
クロウは一瞬、意外そうに目を瞬かせた。
「……私が?」
「ああ」
慧音は頷いた。
「外の世界から来た方と話せる機会など、そうそうないからな。うちの子供達は昔から外の世界の話が大好きなんだ」
「……なるほど」
「もちろん、難しい話でなくても構わない。君の故郷のことでも、旅先で見たものでもいい。子供達に少し聞かせてやってくれないか?」
そう言ってから、慧音は霊夢へ視線を移した。
「いいか、霊夢? 時間はあまり取らせないつもりだが」
「……寺子屋ねえ」
霊夢は腕を組んだ。まだ買い物は終わっていない。
米を買わなければならないし、神社へ戻れば夕食の支度も待っている。
それに、クロウへ荷物を持たせたまま随分歩き回っていた。
「私自身は構わない。だが――」
クロウが遠慮がちに口を開いた。
「霊夢の買い物がまだ終わっていないんだ。私だけ勝手に寄り道するわけには……」
「別にいいわよ」
「……え?」
霊夢は軽く肩を竦めた。
「しょうがないわね。少しだけよ」
「いいのか?」
「ええ。それに、クロウに荷物を持たせっぱなしだったし、そろそろ休ませてあげたいと思ってたところなのよ」
霊夢はクロウの両手を指差した。
「さすがに、そのまま米まで持たせて歩き回るのもね」
クロウは自分の持っている袋へ目を落とした。
「……私は大丈夫だが」
「はいはい。分かってるわよ」
霊夢は呆れたように手を振った。
「あんたがそう言うのはもう十分分かったから。今は素直に休憩しなさい」
クロウは少しだけ困ったように笑った。
「……ありがとう、霊夢」
「どういたしまして」
霊夢は何でもないように答える。
慧音はそんな二人のやり取りを眺め、穏やかに微笑んだ。
「では、案内しよう」
◇
人間の里の大通りから少し外れた場所に、寺子屋はあった。
周囲には民家が立ち並び、道の脇には小さな水路が流れている。
木造の建物は決して豪華ではなかったが、手入れは行き届いていた。軒先には竹箒が立てかけられ、開け放たれた障子の向こうからは子供達の賑やかな声が聞こえてくる。
「……ここが寺子屋か」
クロウが建物を見上げた。
「ああ」
慧音が頷く。
「普段はここで子供達に学問を教えている。今はちょうど休憩時間だな」
「なるほど」
クロウは興味深そうに周囲を見回した。
建物の中には、畳の上に小さな机がいくつも並んでいる。
その上には筆や硯、文字の書かれた紙が置かれ、壁際には何冊もの書物が積まれていた。
彼の知る学校とは大きく異なる。
最後の都市にある教育施設と比べれば、設備も建物も驚くほど素朴だった。
けれど、子供達が集まって学ぶ場所であることに変わりはない。
「……いい場所だな」
クロウが静かに呟いた。慧音は少し嬉しそうに笑った。
「ありがとう。そう言ってもらえると教師冥利に尽きるよ」
その時だった。
「あっ!」
開け放たれた障子の向こうから、一人の子供が顔を出した。
「慧音先生、おかえり――」
そこまで言いかけて、少年の視線が隣へ移る。
「……あれ?」
霊夢を見つけたらしい。
「霊夢だ!」
その一言を合図に、教室の中が一気に騒がしくなった。
「えっ、霊夢!?」
「本当だ!」
「霊夢ー!」
「遊んで遊んで!」
「今日は何しに来たの?」
子供達が次々と駆け寄ってくる。霊夢は少し驚きながらも、軽く片手を上げた。
「はいはい、こんにちは」
「「「こんにちはー!」」」
元気な挨拶が返ってきた。
「ねえ霊夢、今日は弾幕ごっこしないの?」
「しないわよ」
「ええー!」
「じゃあお話して!」
「今日は別のお客さんを連れてきたのよ」
「……お客さん?」
子供達の視線が、一斉に霊夢の隣へ集まった。
「…………」
そこに立っていたのは、青白い肌を持つ見知らぬ青年だった。
白と黒を基調とした独特な防具。
鱗のように重なった装甲。
背中に垂れる黒いクロークのマント。
そして、淡く輝く瞳。
「…………」
子供達は一瞬、静かになった。
しかし、それもほんの数秒のことだった。
「うわあ!」
「何その服!?」
「目が光ってる!」
「肌が青いよ!」
「妖怪なの?」
「外の世界の人!?」
「その鎧、本物!?」
あっという間に質問攻めが始まった。
「……おっと」
クロウは少しだけ目を丸くした。
一人の少年が彼の防具を興味深そうに眺め、別の少女は不思議そうに顔を覗き込んでくる。
「ねえ、どうしてそんな色なの?」
「その目、暗いところでも光るの?」
「お名前は?」
「ねえねえ!」
「なあお前達!」
慧音が少し声を張った。子供達がぴたりと振り返る。
「お客さんに失礼だろう。まずはきちんと挨拶をしなさい」
「「「はーい!」」」
慧音は軽く咳払いすると、クロウへ手を向けた。
「こちらはクロウさんだ。外の世界から来られた方で、今日は特別にお前達へ色々なお話をしてくださることになった」
「…………!」
子供達の目が輝いた。
「外の世界!?」
「本当に!?」
「どんなところ!?」
「すごい!」
「だから、まずは挨拶だ」
慧音が念を押す。
「「「こんにちはー!」」」
クロウはその元気な声に、思わず笑みを浮かべた。
「こんにちは」
子供達と目線を合わせるように、少し身を屈める。
「私はクロウと言う。よろしく」
「「「よろしくお願いしまーす!」」」
その様子を見ていた霊夢が、小さく笑った。
「へえ、随分人気者じゃない」
「はは……少し驚いたよ」
クロウは苦笑した。
「皆、元気なんだな」
「まあ、子供なんてそんなものよ」
霊夢は肩を竦めた。
「特にここはね」
慧音も苦笑する。
「まったくだ。元気なのは結構だが、もう少し授業中も集中してくれると助かるんだがな」
「先生、それ今言わなくてもいいじゃん!」
一人の少年が抗議した。
「授業中に居眠りする奴が言うことか?」
「うっ……」
周囲の子供達が笑い出す。
クロウも小さく笑った。
その笑顔は、先ほどまで人里を歩いていた時よりも、どこか自然なものだった。
◇
……しばらくして、寺子屋の縁側にはちょっとした人だかりができていた。
クロウは両手いっぱいに持っていた買い物袋を隅へまとめ、縁側に腰を下ろしている。
その前には、子供達が半円を描くように座っていた。
小さな膝を揃えて座る少女。
身を乗り出している少年。
友達と肩を寄せ合い、興味津々でこちらを見上げている子供達。
皆、これから始まる話を楽しみにしているらしい。
霊夢は少し離れた場所に腰を下ろし、柱へ背を預けていた。
慧音もその隣に座っている。
「ねえ、クロウ!」
最前列の少年が勢いよく手を上げた。
「何だ?」
「外の世界って、どんなところなの?」
クロウは少し考えた。
「……そうだな」
それから、ゆっくりと空を見上げる。
「君達は、夜空に浮かぶ星を見たことがあるだろう?」
「うん!」
「いっぱいある!」
「流れ星も見たことあるよ!」
クロウは頷いた。
「私が来た世界では、その星々の間を船で旅することができるんだ」
「え…………」
子供達が目を瞬かせた。
「……船?」
「ああ」
「海じゃなくて?」
「そうだ」
クロウは少し笑った。
「宇宙を渡る船だよ」
「うちゅう?」
「星のある、空よりも遥か遠い場所のことだ」
「星のところまで行けるの!?」
「行けるとも」
次の瞬間。
「「「ええええええ!?」」」
子供達が一斉に声を上げた。
「すごい!」
「月にも行けるの!?」
「お星様って熱くないの!?」
「船は空から落ちないの!?」
質問が次々と飛んでくる。
クロウは驚くこともなく、一つずつ丁寧に答えていった。
「月にも行ける。ただし、どんな星にも近づけるわけじゃない」
「どうして?」
「とても熱い、寒い、空気がない星もあるし、人間が暮らせない場所もあるからな」
「へえ……」
「それに、宇宙を旅するには専用の船が必要なんだ。海を渡る船とは少し違う」
彼は両手を動かし、船の形を示してみせた。
「こんなふうに、空気のない場所でも中で暮らせるようになっている」
「すごーい!」
子供達の目が輝く。霊夢はそんな様子を眺めながら、少し意外そうに眉を上げた。
「……へえ」
慧音が横を見る。
「どうした?」
「いや……」
霊夢はクロウを見た。
「案外、説明が上手いなって」
「……確かにな」
慧音も頷いた。クロウは、子供達が知らない言葉を使うと、その都度別の言い回しへ変えていた。
宇宙船を説明する時には、里で使われている船を例に出す。
地球から遠く離れた場所について話す時には、夜空に浮かぶ星を指し示す。
子供達の反応を見ながら、少しずつ話を進めている。
「……なかなかできることではないな」
慧音が感心したように呟いた。一方、子供達の興味はますます膨らんでいた。
「ねえ、クロウ!」
「何だ?」
「その世界のお話、何かしてよ!」
「お話?」
「うん!」
「冒険のお話!」
「怖いのがいい!」
「怖いのはやだー!」
「お姫様が出てくるの!」
「強い戦士のお話!」
あまりに好き勝手な注文が飛んでくるものだから、クロウは思わず苦笑した。
「ははは……随分と色々あるんだな」
「ねえねえ、お願い!」
クロウは少し考えた。やがて、何かを思いついたように表情を和らげる。
「……そうだな」
彼は改めて子供達を見回した。
「それなら、私の暮らしていた故郷の話をしようか」
「故郷?」
「そう。リーフという場所だ」
「リーフ?」
子供達が聞き慣れない名前を繰り返す。
クロウは穏やかに頷いた。
「私達アウォークンが暮らしている、星々の間にある場所だよ」
「アウォークン?」
「私のような者達のことだ」
クロウは自分の手を軽く持ち上げた。青白い肌が、昼の日差しを受けて淡く輝く。
「私達には、光と闇の狭間から生まれたという、とても古い話が伝わっている」
「……光と闇?」
「そうだ」
クロウはゆっくりと語り始めた。
「遥か昔、私達の祖先は大きな船に乗って、遠い星を目指して旅をしていた。けれど、その途中で、とても大きな出来事に巻き込まれてしまったんだ」
子供達が静かになる。
「光と闇。二つの巨大な力がぶつかり合い、その狭間で、祖先達はそれまでとは違う存在になった……そう伝えられている」
「…………」
一人の少女が、自分の手を見つめた。
それからクロウの手を見る。
「……だから、クロウのお肌は青いの?」
「そうだ。私達アウォークンには、こういう特徴があるんだ」
「へえ……」
子供達が感心したように声を漏らす。
すると、別の少年が勢いよく身を乗り出した。
「ねえ! リーフってどんなところ!?」
「うーん、例えば……」
クロウは縁側の前に落ちていた小石を一つ拾った。
「この石を見てほしい」
「石?」
「そう」
クロウは小石を掌に乗せる。
「宇宙には小惑星帯という、こうした岩が数え切れないほど集まっている場所があるんだ」
「こんな小さい石が?」
「もっとずっと大きなものもある」
クロウは両腕を大きく広げた。
「山ほど大きな岩もあれば、それより大きなものだってある。それらが、星々の間を漂っているんだ」
「…………」
子供達は、クロウの広げた両腕を見つめた。
「……すごい」
一人の少女が呟く。
「お山が空に浮いてるみたい!」
「お、いい発想だ。そう考えると分かりやすいかもしれない」
クロウは小さく笑った。
「私の故郷では、そんな場所に街や船の停泊所を作って暮らしているんだ」
「へえー!」
「じゃあ、落っこちないの?」
「宇宙では、こことは少し事情が違うんだ」
「どう違うの?」
「そうだな……」
クロウは説明しようとして、少し考えた。
そして、笑みを浮かべる。
「まずは一つ、お話を聞いてもらおうか」
子供達が一斉に姿勢を正した。
「昔々、リーフの外れに、小さな船で暮らしていた一人の若い船乗りがいたそうだ」
その声が、少しだけ低くなる。
「その船乗りは、誰よりも立派な船長になりたいと思っていた。だから、ある日、自分の小さな船で遠くまで旅をすることにしたんだ」
クロウは両手を使い、小さな船が進む様子を表現してみせた。
「最初は順調だった。船は星々の間を進み、船乗りは見たこともない景色に大喜びした」
「いいなあ!」
「私も乗りたい!」
子供達が声を上げる。
クロウは笑いながら続けた。
「ところが、船乗りは一つだけ大切なことを忘れていた」
そこで言葉を止める。子供達が身を乗り出した。
「……何?」
「それはな」
クロウは真面目な顔になった。
「帰り道を覚えていなかったんだ」
「「「えええええ!?」」」
一斉に驚きの声が上がる。
「駄目じゃん!」
「ちゃんと覚えてなきゃ!」
「その通りだ」
クロウは苦笑した。
「でも、その船乗りはとても自信家だった。自分なら大丈夫だと思っていたんだ」
彼は軽く胸を張り、少し威張った声音を作った。
「『この俺が道に迷うものか!星を見ればすぐに帰れるさ!』」
子供達が笑う。クロウはそのまま続けた。
「ところが、右を見ても星。左を見ても星。上にも下にも星がいっぱいで、どれが故郷の方角なのか全く分からなかった」
「当たり前だよー!」
「馬鹿だなあ!」
クロウは楽しそうに笑った。
「困り果てた船乗りは、とうとう小さな岩の上へ降りることにした」
そこで少しだけ声を落とす。
「すると……」
子供達が静かになる。
「そこには、古い船の残骸が一つ、ぽつんと残されていたんだ」
「……船?」
「ああ」
クロウは掌の小石を指先で動かした。
「もう何年も動いていないような、壊れた船だった。けれど、船乗りが中へ入ってみると、一つだけまだ使えるものが残っていた」
「何?」
「……古い星図だった」
「せいず?」
「星の位置や、船が進む道を記した地図のことだよ」
「ああ、地図!」
「そう」
クロウは頷いた。
「船乗りはその星図を使って、ようやく故郷へ帰ることができたんだ」
「よかったー!」
子供達から安堵の声が上がる。
しかしクロウは、そこで少しだけ表情を変えた。
「でも――」
「……え?」
「故郷へ帰った船乗りは、一つのことを考えたんだ」
彼はゆっくりと子供達を見回した。
「自分が助かったのは、あの壊れた船を残した誰かのおかげだ。でも、その誰かが今どこにいるのかも、どんな人だったのかも分からない」
子供達が静かに耳を傾ける。
「だから船乗りは、自分も旅の途中で困っている誰かを見つけたら、必ず助けることにしたそうだよ」
クロウは小石をそっと元の場所へ戻した。
「誰かに助けられたことを忘れなければ、今度は自分が誰かを助けることができる。そんな言い伝えだ」
「…………」
しばらくの沈黙――やがて、一人の少女が小さく微笑んだ。
「……いいお話だね」
「ああ」
クロウも穏やかに頷いた。
「私も好きな話なんだ」
その表情は、どこか懐かしそうだった。