私が学園に来てからもうかれこれ、二ヶ月半くらい経っている。
ナタリー、アイン、麗ともっと仲良くなったし、たまに来てくれる優樹さんとも話すようになった。
楽しい楽しい学園生活。だけど私たちには、忘れちゃいけないことがある。
“延命方法の模索”
本来ならたくさんあったはずの、砂時計の砂は、たった五年分にまでなくなって。そして、この世界に来た時点で、段々と下に落ち始めている。
落ち切ったら、そこで終わり。どんでん返しはもう起きない。
もうみんな、諦めているのかもしれない。
アインは剣技に熱を上げているけれど、“冒険者になりたい“。“剣士になりたい”。と口にするところを、私は一度も見たことがない。
ナタリーは、笑っていることが多い。けれど時折、どこか遠くを見て悲しそうな目をしている。
麗は屈託のない笑みで、無邪気に笑っている。教室の黒板で絵しりとりしたり。すごろくをしたり。そういう遊びは大抵、麗の提案で始まった。
......麗はそもそも、知らないから。
教えていないから、当たり前のことなんだけれど。
私も、思う。
麗に教えたくないって。
夜更けの寮でたまに、誰かの名前を呼びながら、声を殺して啜り泣く、小さな声が聞こえてくる。
その小さな声の主が麗だと、私たちは知っている。
寂しいんだろう。帰りたいんだろう。
みんなそう、だけどさ。
私たちはそれを踏み越えてしまった。その先にある、もっと大きい絶望を知ってしまったから。
麗には、乗り越えてほしくない。
私だって、急に泣きたくなる夜もある。母さんや父さんを思い出して、また会いたいと思う日だってある。
どこかちぐはぐの友情で、不器用に穴埋めされた心は、やっぱりどうしても、両親からの愛情には及ばないらしい。
私はどう足掻いても小学五年生で、たったの十歳で、子供。
でも、泣きたいのに、脳が冷え切っているから、泣けない。泣くような体力があるなら、本のページをめくれと、自分自身が告げている。
仕方ないから、図書室で本を広げる。窓際の日当たりがいい席___ではなく、ぼんやりとしたライトの下にある、図書室の端っこの方の席。
本棚に囲まれているし、入り口や司書さんの居る場所からは死角になっているので、心置きなく読書できる。
魔素について、スキルについて、魔法について。そして、この世界について。
足りない。圧倒的に知識量が足りない。
この世界で生き残るには、まずこの世界を知らなきゃいけない。そんなのは当たり前だ。
...私には『理解者』というスキルがある。先生のように教えてくれるわけでもなく、間違いを正してくれるわけでもない。
でも、多分、『思考加速』『言語理解』『知能』を常時発動させてくれている。そして、私の理性を最大限にまで引き出してくれている。
私にとっては嬉しいのか嬉しくないのか、微妙なスキルだったけど。でも、知識を得るという点においては、大きなアドバンテージになるスキルだった。
この世界のことを、この世界に生きる普通の人より知らなければ、何もできない。
「......。」
本と、安物の紙。そして鉛筆もどきを卓上で並べて、本の内容を自己理解していく。後から見返せるように。固有名詞をひとつずつ調べて、記して。わからないことも別の紙に書いていく。
『理解者』で結論が出せなかった難しいものも、紙に記しておく。疑問が残るものも。
誰かに聞かなきゃいけないけど、今はそんなことを考える時間はないから、とりあえず、わからないところは飛ばして、詰め込んでいった。
そして、それを。二週間続けた。
二週間続けて、分かったことも、わからなかった事もある。
地理や歴史は、詳細にまでとはいかずとも、ある程度頭に入った。
この世界に住んでいる種族や魔物についての知識も、主なものは。毎日小テストのようなものを自作して、取り組んだ甲斐があった。
でも、この図書室には、専門書がない。魔素について、スキルについては一般常識程度しか書かれていない。
そしてそもそも、“私たちはなぜ五年しか生きられないのか”すらもわからない。
......やっぱり、誰かに聞かなきゃ分からないんだろう。独学では、限界がある。
“わからないもの”が書かれた十数枚の紙の束を手に取り、息を吐いた。
じゃあ、誰に聞けばいい?
______
私は翌日、”この世界の言語に翻訳した“わからないものが書かれた紙束を持って、図書室のカウンターの前に立った。
「......あの。」
恐る恐る、カウンター越しに声をかける。本の貸し出しリストと向き合っていた司書さんが、ゆっくりと顔を上げた。
「......教えて、くれませんか。」
目を見て、そう言った後に、紙を差し出しながらゆっくりと頭を下げる。
手が震えてたかもしれない。手汗で紙が少し湿ったかもしれない。声が裏返ってたかもしれない。
受け取って、くれないかもしれない。
私の手から、そっと紙が抜き取られる。
ゆっくりと顔を上げれば、司書さんは紙をじっと見ていた。
「......カウンターの中、おいで。教えられる範囲でいいなら、教えてあげる。」
司書さんはカウンターの中へ、手招きしてくれた。
「専門的なことは、教えられないけれど。一般常識の延長とかなら、話せるよ。」
司書さんが用意してくれた、小さな椅子に腰掛けて、隣に座る形で話を聞く。
司書さんは紙の全てに目を通した後に、十数枚のうちの十枚くらいを、私に返還した。司書さんの手元にある紙は全部で、五枚。
「話せるのは、たぶん今持ってる紙の内容くらいだけ。」
「それでも、いい?」
私は、ゆっくり頷いた。その五枚目の一番下に、今一番知りたいことが書かれてあるのが、分かっていたから。
______
「そう。地理条件から見ても、人間の国はあらかた、十大魔王の領土に囲まれてる。だから、人間は魔王を無視できないし、意識せざるを得ない。」
「...なるほど。だから、魔王に対しての認知度はとても高いんですね。」
五枚目の、最後から二番目の質問が終わった。
司書さんは、五枚目の一番下の質問に目を向けてから、ゆっくりと深呼吸をした。
______【なぜ幼くして召喚された異世界人の子供は、約五年ほどしか生きられないのか。】
「......まず。転移と召喚の違いは、わかる?」
「いいえ、あまり...。」
「転移してきた異世界人は、突発的・偶然的に、この世界にやってくる人たちのこと。誰に意図されたわけでもなく、ある日突然に。」
「召喚された異世界人は、魔法使いたちが夜通し儀式をして、意図的に呼び出す人たちのこと。」
「この二者の共通点は、お互いに強大な能力を持ってやってくる事が多い、ということ。」
「けれど、大きな違いもある。」
「転移の方は、この世界に適応できる体が、自然に形成される。魔素に適応できるように、世界を渡るときに、自然に。」
「でも、召喚の方は違う。魔法使いたちが大量の魔素を体に取り込ませて、強制的に体の構造を作り変える。」
「大人だったら、それに耐えられるだけの身体構造が、体の中で出来上がっているけれど。子供はそうはいかない。」
私は、ぐっと息を呑んだ。
「未成熟の肉体に、身の丈に合わない大量の魔素を取り込まされる。」
「だから、それを受け止めきれず、内包しきれずに。」
「内側から、壊れてしまう。」
あらためて言葉にされると、胸の中に尖った石を埋め込まれているような感覚がする。
喉奥を震わせながら、ゆっくり声を絞り出した。
「......壊れないように、する方法は。」
司書さんは最後の紙を私に返しながら、ゆっくり目を伏せた。
「......今のところは、見つかっていない。」
「......。」
重たい沈黙が横たわり、昼間のはずなのに、ここだけ深夜みたいだった。
でも、現実を突きつけられても。絶望は、しなかった。
だって。方法が見つかっているなら、誰かが。それこそ優樹さんとかが動いてくれたはず。分かりきっていた事だから。方法が無いなんて。
無い上で、探しているんだから。
「ありがとう、ございました。答えにくかった、はずなのに。」
私は紙を抱えて、ゆっくり頭を下げた。もう声は震えていない。
司書さんは私を見て、ゆっくりと瞬きをしてから、微笑む。
「専門書は、専門機関にしか無いけれど。」
「私はいつでもここにいるから。」