あなた
2年前までイヴリンと同じ組織に所属していたが、組織にこき使われるためだけの人生に嫌気が差し、唯一信頼していたイヴリンにだけ辞めることを伝え、行方をくらませた。
あまりに無愛想なため、よく務めている会社の後輩や他部署から怖がられている。
お酒はそんな強くない。
「なんら、〇〇……ぜんぜんのんれないじゃらいか」
「イヴリン…流石に飲みすぎだ。疲れてるのは分かるがそんだけ飲んでいると明日に響くぞ」
あなたは昔の同僚に呼び出され、なんだと思いながら指定された居酒屋に行くと、既に酔っていたイヴリンがおり、彼女の愚痴に付き合わされていた。
あなたはイヴリンのお酒の弱さを知っていたが、ここまでベロンベロンは初めてだった。
「わたしのおさけがのめらいというのかぁ?」
「俺は明日も仕事なんだよ、まだ水曜日だぞ。」
まだ水曜日、1週間の折り返し地点だった。
イヴリンも忙しいはずなのに、それを放り投げてまでここまで酔っている理由があなたには分からなかった。
イヴリンは不満げに眉を寄せると、手に持ったグラスをゆらゆらと揺らした。
「そんらの、かんけいない……!」
「大ありだ、バカが。」
あなたは明日も朝から仕事。こんなところで深酒に付き合っていたら、上司から怒られる。
そもそも、あなたは何のために呼び出されたのかわかっていません
仕事の相談かと思えば、蓋を開けてみればただの愚痴大会。しかも本人は既に酔い潰れかけているときた。
「……で? 今度は何があったんだ?」
どうせ聞かなければ、同じ話を何度も繰り返すのだろう。
そう判断したあなたが尋ねると、イヴリンはぴたりと動きを止めた。
言葉につまる彼女に、あなたは何か確信した
……ああ、なるほど。
こいつ、ただ酔いたいだけじゃないな。
何かあったのだろう。
それも、普段のイヴリンなら、そう簡単には口に出せないような何かが。
あなたはもう一度ため息をつき、店員を呼んで水を注文した。
「ほら。とりあえず水を飲め。話なら聞いてやるから」
「……んぅ」
差し出された水のグラスを、イヴリンは両手で受け取った。
そして、一口だけ飲むと。
「……おさけがいいぃ」
「ダメだ」
「けちぃ……」
「はいはい。何とでも言え」
普段のクールな性格から想像出来ない態度に毎回呆れながら水を飲んで、ほんの少しだけ落ち着きを取り戻したイヴリン。
先ほどまで不満げに頬を膨らませていた彼女も、今はグラスを両手で包み込んだまま、静かに俯いていた。
……さて。
そろそろ、いい加減に理由を聞かせてもらおうか。
あなたは頬杖をついたまま、改めて彼女に問いかけた。
「それで、何があった?」
「……た……」
「……?」
あまりにも小さな声だった。
聞き取れずに眉をひそめるあなたを前に、イヴリンはぎゅっとグラスを握りしめる。
そして、俯いたまま、ぽつりと呟いた。
「君に……会いたかった……」
「…は?」
あなたは思わずかたまってしまった。
会いたかった?
誰に?
……自分に?
「……えっと」
珍しく、言葉に詰まった。
あなたは内心で頭を抱えた。
自分に?
なぜ?
仕事の相談でもなければ、厄介事の処理を頼みたいわけでもない。
ただ、自分に会いたかったから、わざわざ呼び出したというのか。
こんな無愛想な男に?
「えっと…す、すまん。」
困惑の中、今できる最大限での謝罪だった。
「君に……組織を辞めることを伝えられた時……本当は、辞めてほしくなかった……」
イヴリンは、ぽつりぽつりと言葉を紡いだ。
まだ酔いが残っているからか、その口調には普段の彼女からは想像もつかないほどの幼さが滲んでいる。
「……けど、それと同時に……信頼されてることが、すごく嬉しかった……」
「…………」
「なのに……辞めて以降、一切の連絡がなかった……」
最後の方は、拗ねた子供のような声だった。
イヴリンはグラスの中の水を見つめながら、唇を尖らせる。
まるで、ずっと言えずにいた不満を、ようやく口に出せたとでもいうように。
あなたは、思わず気まずそうに視線を逸らした。
「……それは、悪い」
連絡をしなかったことについては、確かに申し訳ないと思っている。
だが、あなたにも事情があった。
「だが、お前が組織を辞めてからは、ちゃんと連絡してたろ?」
「……してないもん」
「いや、してただろ。何度かメッセージも送ったはずだぞ?」
「してない…!」
どうやら、話が噛み合っていないらしい。
いや、正確には、こちらが言っている『連絡』と、彼女が求めていた『連絡』が違うのだろう。
あなたは内心で頭を抱えた。
確かに、組織を辞めた直後は連絡を控えていた。
それは事実だ。
だが、それには理由があった。
あなたが黙って組織を離れたあとも、イヴリンはそこに残っていた。
そんな状況で、元同僚であるあなたと頻繁に連絡を取り合っていることが組織に知られれば、彼女に余計な疑いがかかるかもしれない。
最悪の場合、あなたの居場所や動向を探るために、彼女が利用される可能性だってあった。
だからこそ、連絡を取るにしても必要最低限に留めていたのだ。
彼女を面倒事に巻き込みたくなかった。
ただ、それだけだった。
……もっとも。そんな事情を、当時のあなたが彼女にきちんと説明していたかといえば、答えは否だ。
自分の中では筋の通った判断だった。
けれど、相手に何も伝えず、一方的に距離を置いたのなら。
それは、ただの独りよがりだったのかもしれない。
「…イヴリン」
「……なんだ」
「俺が連絡を控えてたのは、お前を巻き込みたくなかったからだ」
彼女の顔を見ながら、あなたはゆっくりと言葉を続けた。
「俺は組織を辞めた。お前はまだ残っていただろう? そんな状況で俺と繋がってることがバレたら、お前まで面倒なことに巻き込まれるかもしれないだろ」
「…………」
「だから、あえて距離を置いてたんだ。……まあ、その説明をしなかったのは俺が悪かったが」
言い終えてから、あなたは小さく息を吐いた。自分としては、これで納得してもらえると思った。
少なくとも、連絡を絶った理由くらいは理解してもらえるだろうと。
しかし。
「……そんなの、知らん。」
「……は?」
予想外の返答に、思わず間の抜けた声が漏れた。
イヴリンは俯いたまま、グラスをぎゅっと抱きしめる。
「…わたしは、そんなこと……知らなかった……」
「……ああ」
「……君が、何も言ってくれなかったから……」
その声は、先ほどまでよりもずっと小さかった。
「てっきり、嫌われたのかと思っていた……」
「…………」
「わたしが、何かしてしまったのかもしれない……君に、嫌なこと言ったてしまったのかもしれない……そう思ってて」
そこで言葉が途切れた。
イヴリンは顔を伏せたまま、何度か小さく息を吸い込む。酔っているせいで、感情の制御がうまくいかないのだろう。
普段なら、こんな弱音を吐くことなどないはずだ。
自分の気持ちを押し殺して、平然と振る舞うことくらい、彼女にはできたはずなのだから。
それなのに、今は。
「……わたしは、君のこと……信頼してたのに……」
その言葉を聞いた瞬間、あなたは何も言えなくなった。
彼女が組織に残ることを選んだのも、あなたが組織を辞めることを受け入れたのも、お互いの立場や事情を理解していたからこそだと思っていた。
だから、必要以上に踏み込まないことが正しいのだと。
そう考えていた。
だが、どうやら自分は一つ、大きな勘違いをしていたらしい。
信頼しているからこそ、何も言わなくても分かってくれる。信頼しているからこそ、距離を置いても理解してくれる。
……そんなわけがない。
相手がどれだけ聡明で、どれだけ冷静な人間だったとしても。
言葉にしなければ、伝わらないことだってある。
あなたは眉間を指で押さえ、深く息を吐いた。
「……悪かった」
今度は、言い訳を挟まなかった。
「お前のことを考えてたつもりだったが……肝心なことを何も伝えてなかったな」
「……ん」
「嫌いになったわけじゃない。お前を避けたかったわけでもない」
そこで一度言葉を切り、彼女の顔を覗き込む。
「……そこだけは、ちゃんと分かっておけ」
イヴリンはしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと顔を上げる。
その目はまだ少し潤んでいて、頬も赤いままだった。
「……ほんとか?」
「ああ、嘘じゃない」
「……じゃあ、……これからも、連絡してもいいか……?」
「…………」
あなたは、思わず天井を仰いだ。
……まったく。
こんなことを聞くためだけに、どれだけ酒を飲んだんだ、こいつは。
「……だから、最初からダメだなんて言ってねぇだろ」
「……でもぉ……」
「でもじゃねぇ」
お酒でちょくちょく幼くなるイヴリンにあなたは呆れながらも、声だけは少し柔らかくした。
「連絡くらい、好きにしていい。忙しくてすぐに返せないことはあるかもしれんが……無視するつもりはないから」
「……ほんとに?」
「2度も言わせるな」
そう返すと、イヴリンはようやく安心したように微笑んだ。
「……そうか」
その笑顔を見て、あなたは再びため息をついた。
……本当に、敵わない。
普段はあれほど隙のない女が、たった一言を聞くために、こんなにも不安を抱え込んでいたなんて。
もう少し早く気づいていれば。
もう少しだけ、きちんと言葉にしていれば。
彼女に、こんな思いをさせずに済んだのかもしれない。
「……ほら、もう少し水を飲め。今日はこれ以上飲ませねぇからな」
「……私はまだ酔っては……」
「まだ言ってんのか、ダメに決まってるだろ。」
「むぅ…」
イヴリンは不服そうに頬を膨らませた。
その仕草が、普段の彼女からはあまりにもかけ離れていて。
あなたは、思わず口元を緩めた。
……可愛い。
「…………」
……いや。
今、何を考えた?
自分で自分に突っ込みを入れたくなったが、まあ、いいか。
今夜くらいは、最後まで付き合ってやろう。
明日の仕事がどうなるかは……まあ、明日の自分に頑張ってもらうとしよう。
後日
イヴリンを自宅まで送った次の日、無事(?)二日酔いになって会社を休んでいる*1
と、イヴリンからLINEが届いた。
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〇〇…その、昨日の件のことは忘れてくれ。
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「……フッ」
あなたは小さく笑いながら、スマートフォンの画面を見つめた。
忘れてくれと言われて、はいそうですかと忘れられるほど、あなたの記憶力は都合よくできていない。
それに。
昨夜のイヴリンは、普段よりずっと不器用で、ずっと素直で。
……そして、少しばかり可愛かった。
「…………」
……だから、何を考えているんだ、自分は。
あなたは頭痛を堪えながら、再びスマートフォンを手に取った。
さて、何と返信してやろうか。
でも、あなたはどうにも彼女のことが頭から離れなくなっていた。
ふとした瞬間に思い出すのは、普段の冷静沈着な彼女ではなく。
赤く染まった頬。
拗ねたように尖らせた唇。
そして、潤んだ瞳でこちらを見上げながら口にした、あの言葉。
『君に……会いたかった……』
なんで今更、あんなことを思い出しているのか。
「…うぅ、頭いてぇ…」
慣れない二日酔いでそんなことを考えられる余裕なんてなく、結局この気持ちがなんなのか分からないまま、あなたはそのまま目を閉じることにした。
ただ一つ、確かなことがあるとすれば。
これから先、イヴリンから連絡が来るたびに。
きっとあなたは、今までより少しだけ、彼女のことを意識してしまうのだろう。
だが。
――その気持ちが、いったい何なのか。
あなたがそれに気づくのは、残念ながら、もう少し先の話である。
なんか急に思いついたから書きました