料理人と娼婦、時々ギルドマン   作:オシドリ

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10.再会のポトフ

 その日の昼。

 仕込みをしていたフィオナの下に、ドンドンドンと扉を叩く音が聞こえた。

 

「はーい、どちら様ー?」

 

 玄関を開けると、居たのは革のトランクを持った旅装姿の女性に、軽装姿の兄妹らしい若い男女だった。

 

「フィオナ!」

 

 女性がぱっと顔を輝かせる。艶やかな巻き髪も、透き通るような白い肌も、気の強そうな切れ長の瞳も、以前と変わらない。フィオナにとっても、よく知る人物だった。

 

「リリー!?」

「会いたかったわ!」

 

 フィオナは抱き着いて来たリリーを慌てて受け止めた。移動疲れなのか、その重さは別れの時より軽く感じた。

 

「なーに、どうしたのー……?」

 

 眠そうな顔で玄関まで来たシアラに、リリーは顔を綻ばせた。

 

「シアラ! 相変わらずね!」

「あら、リリーじゃない! 久しぶりね!」

 

 シアラとも嬉しそうに抱き合う。

 リリーは、かつて“宵の艶花”で共に働いていた娼婦仲間だ。フィオナやシアラとも付き合いが長く、仕事の合間に笑い合ったり、時には客の愚痴をこぼし合ったりした気心の知れた仲だった。

 

「こちらの二人は? 護衛?」

「ちょっと違うわ。この子が私付きの女中(メイド)のシャーリーで、そっちが兄のキースね」

「シャーリーと言います」

「キースです」

「あ、これはご丁寧に……」

 

 フィオナがそう返したところで、ふと疑問が浮かんだ。

 

「……えっと、どうしたの?」

「お願い、私たちをここで働かせて!」

 

 必死なリリーの言葉に、フィオナとシアラはお互いの顔を見合わせた。

 

 

「はい、お茶」

「ありがとー。あー、この香りよ。やっぱり癒されるわー」

「お菓子も食べて。ここの焼き菓子は美味しいわよ」

「ふぅん。あ、本当に美味しい……」

「美味しいです……」

「落ち着くなぁ……」

 

 自家製のハーブティーと、一口大の小さな焼き菓子。ケンの菓子工場という良い店をたまたま見つけ、そこから頼んでいるものだった。

 リリーは懐かしそうに茶の香りを楽しみ、菓子と茶を食べた兄妹もホッとしたような表情を見せた。

 

「それで、良いかしら」

 

 一服したところで、シアラが切り出した。

 

「リリー、どうしたのよ? 別の店に移籍して働いてたんじゃなかったの」

「そう! それよ!」

 

 リリーはテーブルをドン、と叩いた。

 

「ご飯が不味くなったのよ!!」

「あれ、リリーが移ったのって、確か“渡り鳥の止まり木”でしょ。あそこはダンカンさんだっけ。真面目で腕も良かったはずだけど」

 

 思い出したフィオナが言った。

 娼館での料理は基本的に味が良い。所属する娼婦たちが満足に働くためには、食事と休息の環境が重要だからだ。でなければ娼婦たちが働かないし、自由娼婦*1なら離れていってしまう。周りの娼館がフィオナの料理とレシピを喜んだのも、これが大きい。

 

「ああ、そういえばお店に料理を習いに来てたわね」

「そうそう。煮込みが上手な人でね。特にポトフが絶品だった」

「そのダンカンさんをね!」

 

 リリーは頬を膨らませた。

 

「あの馬鹿ボンボンがクビにしたのよ!」

「はぁ?」

 

 聞けば、二代目が張り切った結果だった。 

 長らく宿場町でトップの座についていた“宵の艶花”が閉鎖したことで、“渡り鳥の止まり木”が拡張するチャンスとなった。また、丁度同じ頃に“渡り鳥の止まり木”も代替わりした。

 高齢のオーナーから代わった息子は、以前より親に代わって実務をこなしており、問題も起こしていない評判の男だった。

 だから店を大きくしたい、という言葉も反対されずに通った。

 “宵の艶花”があった空き店舗を買い取り、娼婦を増やし、王都の有名店で腕を振るっていた料理人まで呼び寄せたのだ。

 

「ええ……? 旅人相手に王都の料理を出したの? 合わないでしょ」

「そうなの?」

「そうなの! スープは見た目は綺麗だけど碌な出汁も取ってなくて貧弱! そのくせ煮込みやローストは香辛料とバターでくどすぎる! あんなもん毎日は食えないわよ!!」

「あー、王都は内陸で偉い人の数が多いからね。有名店の料理人なら、各地から輸送してきた食材をふんだんに使ってこそ、というのがあるかな。貴族受けは良いけど、味付けは濃すぎるよ」

「そんなに濃いんですか?」

「前に王都にいた料理人に聞いたけど、濃いというより、くどいみたいよ。肉ばっかりで。濃厚な煮込みに山鳥のローストがメインで、香辛料やバター、クリームをバンバン使った料理が続く。特別な日なら良いけど、毎日食べるものじゃないよ」

「うわぁ……」

 

 その場にいた全員が引いた顔をした。

 女性、まして娼婦にとって、美しさは仕事道具でもある。毎日のように脂の多い料理を食べ続ければ、体調にも肌にも影響が出てくる。

 

「最初は二人とも厨房にいたのよ……。でも、皆がダンカンさんの料理だけ食べてて、その王都の料理人のご飯を食べなかったから……」

「ああ、揉めたのね。で、折角呼んだ料理人に辞められると困るから、前の人をクビにしたと」

「ダンカンさんも、自分の料理が安っぽくて店に相応しくないって言われて……」

「……そっか」

 

 フィオナは少しだけ寂しそうに笑った。

 

「ダンカンさん、娼婦の健康を第一に考えてたからね」

「それからは食事も変わって、碌に食べてないのに太るし肌は荒れるし、胃もたれも起こしちゃうし……。もうやってらんなくなっちゃって……」

「それで、こっちに来たのね」

「うん……。私は自由娼婦だから、部屋代や食事代の払いだけで済んだわ。ぼられたけど。この鞄以外は売っちゃった」

「え、あんなにあった宝石やドレスも全部?」

「そうよ。ああ、それだけじゃないわよ。この二人の支払いね」

 

 これも、よくある話だった。

 兄妹はギルドマンで、一緒に村から出てきた。コツコツと依頼をこなし、揃ってブロンズまで昇格した。そこで利率が良い護衛任務を受けたのだが、護衛していた商隊が山賊の襲撃を受けた。

 

「そこで、僕が怪我をしてしまって……」

「治療費を捻出するため、その、私が身売りするところでリリー姉さまに助けていただいて……」

「へぇー」

「あの、リリーがねぇ……」

 

 二人から見たリリーは、美容と宝石が好きで、自分を飾り付けることに余念がない女性だ。

 そんな彼女が、見ず知らずの兄妹のために大金を払ったという事実に、少しだけ驚いていた。

 

「なに、文句あるの?」

「いや別に何も」

 

 と、表では言いつつ。

 

(そういえば、リリーって前オーナーのこと尊敬していたっけ)

(ああ、そうね。そういうこと)

 

 シアラもフィオナもそうだったが、前オーナーは「こんな目だけ大きい痩せっぽちの子どもなんて」と文句を言いつつも人買いから買い取り、生きていくための教育を施してくれた。それを二人に返したのだろう。

 内緒話する二人に、リリーは睨んでいたが、その勢いは少しだけ弱く感じた。

 

「それで!」リリーが言った。「この子たちの借金は私が払ったし、治療もしたんだけど。もうギルドマンとして活動できないそうなの。だから私の小間使いにしたのよ。でも……」

 

 リリーは少しだけ視線を逸らした。

 

「ダンカンさんは居なくなっちゃったし、アーケルシアに行こうと思ったけど、遠いし、旅費も心許なかったし……」

「……だから?」

「……フィオナのご飯が食べたくなったのよ」

 

 気恥ずかしそうなリリーに対し、フィオナはニンマリと笑みを浮かべた。 

 

「そっかー、そんなに私の料理が食べたくてかー」 

「……腹が立つわね」

「えー? でも本当のことでしょ?」

「……そうだけど」

「ふふっ」

 

 久しぶりの再会だというのに、まるで昨日まで一緒に働いていたかのように会話は続いた。

 けれど、フィオナもシアラも気付いていた。

 リリーはここに来るまで、ずっと気を張っていたのだ。

 来た当初は昔と同じ態度だったが、どこか強がるような表情だった。けれど、それが、取り留めのない軽口を交わしているうちに、少しずつ消えていった。

 

「──喋ってたら疲れちゃった。少し休ませて頂戴」

 

 会話が一区切りついたところで、リリーは残っていた茶を飲み干した。

 

「そうね、その方が良いわね」シアラは言った。「詳しい話は、休んでからにしましょうか」

「ええ、お願い。愚痴を言ってたらすっかり忘れてたわ」

「ふふ。それなら二階の個室になるけど、それでも良いかしら?」

「ありがとう。寝れるならどこでも良いわよ」

「キースさんとシャーリーさんもいいかしら?」

「あ、すみません。ありがとうございます……」

「ありがとうございます」

 

 後ろで控えていたキースとシャーリーが慌てて頭を下げた。

 シアラが二階へ案内するのを見送り、フィオナも準備を始めた。

 

「あれ、フィオナさん。どうしましたか?」

「ちょっと料理を変更ね」

 

 そう言いながら食糧庫(パントリー)に向かい、中から肉の塊を取り出してきた。

 

「今日の煮込みはポトフにしよう」

「リリーさん、ポトフ好きなんですか?」

「うん。今日はこれしかないかなって」

 

 ポトフのレシピは色々あるが、今回は色んな部位の牛肉の塊を野菜と一緒にじっくりと煮て、味付けは香草と胡椒と塩。シンプルだが、奥深い料理になる。

 

 使う肉は、ムーンカーフだ。牛に似た動物で、老いて絞められた個体である。今回はすね肉と肩肉、骨髄を使う。

 これを寸胴鍋に入れて火にかける。しばらくすると、鍋の底から細かな泡が浮かび始めた。やがて白い灰汁が表面へ集まってくる。

 フィオナはそれを丁寧に掬い取った。

 その間に、香草を束ねてブーケガルニを作り、出汁に使う野菜を準備する。

 

「で、出汁に使うのはこれ」

「これ、安売りしてた屑野菜ですよね? こっちは捨てる部位じゃ」

「そ、屑野菜。剥いた皮とかヘタの部分。あとは器量が悪いとか、萎びたてて売れ残ったものだね。これから良い出汁が出るんだ」

 

 よく水洗いし、炒めていく。

 玉ねぎは切った面を下にして焼く。音を立てながら表面が色づき、やがて黒く焦げていく。焦げた玉ねぎから、香ばしい匂いが立ち上った。

 人参は逆に、表面へ軽く焼き色がつく程度で止める。芋やキャベツのような葉物はスープの色を悪くしたり、匂いがきついのでここに入れない。

 

 野菜を炒め終えると、フィオナは一度寸胴鍋を洗った。

 そこへ肉と濾した煮汁を戻す。

 炒めた野菜、ブーケガルニ、塩、粒胡椒。そして小さな包みを一つ。

 

「この包みは?」

「ガーゼで包んだクローブ。これは煮て出汁を取りたいから、濾すときに取りやすくするためだね。口に入ると刺さって痛いんだ」 

「なるほど……」

「玉ねぎに刺す人もいるけど、野菜の出汁殻も後で使うからやらない」

 

 沸騰させないよう、薪の位置を調整して火を弱める。狙いは鍋の表面に、ときおり小さな泡が浮かぶ程度。時間をかけてゆっくりと柔らかくする。

 厨房には、少しずつ肉と香草の匂いが満ちていった。フィオナは合間を見て鍋を覗き、浮いてきた灰汁を掬う。

 しばらくして。 

 

「煮終わったら、具を取り除いてスープを濾す。浮いた脂も取ってやるとスッキリとした味わいになる。使った野菜とブーケガルニはすり潰して、炒めた小麦粉を混ぜて固めてやると朝のスープの具になる」

「へぇ……。具に代わるんですか」

「これだと味が抜けて柔らかいから、二日酔いでも食べやすいんだ。あとはいつも通り。肉と玉ねぎ人参は煮汁と一緒に煮て、火が入ったら別茹でにした芋やキャベツを直前に合わせる。皿に盛り付けて、別の皿にマスタードを添えて、これで完成」

 

 そろそろ、いい時間だ。

 リリー達が降りて来たのは、開店前の食事の時だった。

 

「いい匂いね! ポトフかしら?」

「うん、もう出来たから席に座ってね」

 

 全員が着席し、白い湯気を上げるポトフが置かれた。それだけでは足りないので、焼いた黒パンと箸休めのピクルス、麦茶が並べられる。

 

「はい、お待たせ」

「……いただくわ」

 

 全員で食事前の祈りを捧げ。リリーは一口、スープを飲んだ。

 

「ああ、この味よ。ホッとするわ……」

 

 思わず、声が漏れた。

 気を遣ってくれたのだろう。フィオナの料理は、以前よりもずっと優しい味わいだった。

 リリーでも分かった。これはダンカンのレシピだ。

 フィオナを見やると、何も言わず微笑を浮かべていた。

 

「胃にすっと入りますね……」

「久しぶりに、食べて安心する飯を食った気がする」

 

 王都の料理人が作る料理とは違う。

 見た目の華やかさも、珍しい食材もない。けれど、毎日食べても飽きない。身体が疲れている時ほど欲しくなる味だった。

 

 テーブルではゆったりとお喋りをしつつ、ポトフの味を楽しんだ。お代わりも食べ、黒パンでスープもしっかり食べきったリリーの表情にもようやく安堵の色が戻っていた。

 

「……本当に、美味しかった」

 

 食後のお茶を両手で包み込むように持ちながら、リリーは小さく息を吐いた。

 

「久しぶりよ。こんなに楽しくご飯を食べられたの」

「少しは元気になった?」

「ええ。ぐっすり眠れたし、お腹いっぱい食べられたもの」

「なら良かった」

 

 フィオナは嬉しそうに笑った。釣られてリリーも笑った。そして、真っ直ぐシアラとフィオナを見つめた。

 

「ここなら、もう一度。頑張れる気がしたの」

 

 その言葉に、部屋の空気が少しだけ静かになる。

 

「それじゃあ、改めて聞くわ」穏やかな笑みを浮かべながら、シアラは問いかけた。

「リリー、本気でうちで働くつもりなのね?」

「ええ、もちろん!」

 

 迷うことなく、リリーは満面の笑みで頷いた。

 この日、“宵の艶花”に新しい仲間が加わった。

 

 その夜。

 予備の制服に着替えたリリーは、勝手知ったる様子で店を手伝っていた。その表情は、かつて"宵の艶花"で毎日を楽しそうに過ごしていた頃と変わらぬ、眩しい笑顔だった。

*1
娼婦には大きく分けて二種類ある。店と契約して働く契約娼婦と、部屋代や諸経費を払いながら自由に客を取る自由娼婦だ。“宵の艶花”は自由娼婦の店になる。

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